ドイツ人の支那紀行

  呑気な日本人には支那人を理解することはできない。それは日本人の知能が低いからではなく、支那人が異星人のような生物だからである。マスコミや大学教授は日本人を支那人や朝鮮人と一色単にして、「アジア人」と平気で呼ぶが、ちょっとでも現実を眺めれば、我々と「アジア人」とは水と油以上に離れた存在なのが判るだろう。以前にも触れた譬えだが、日本人はイルカのような愛嬌のある哺乳類で、血に飢えたサメの如き支那人とは、種族の点ばかりか性質においても異次元の世界に属している。ただ、馬鹿な西歐人が海に住むというだけで、イルカとサメを同一視しているに過ぎない。西歐白人が日本人を支那人と同じ「アジア人」と考えるのは彼らの勝手だが、日本人までこの分類を信奉する必要はないはずだ。よく海外旅行をする日本人が、旅先の現地人から「お前は支那人か?」、あるいは「朝鮮から来たの?」と訊かれれば、憮然として「違います。日本人です !」と反駁するのは、心の底でアジア人とは違うことを認識しているからだろう。「あんな奴らと一緒にされたくない」というのは素朴な感情だが、案外、本質的な自己識別なのかも知れない。日本人はアジア大陸には属さない独特な民族というのが我々の本音である。

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(左: 支那人  / 右: 朝鮮人 )

  近年、こんな支那人が続々と日本にやって来て永住したり、厚かましくも日本国籍を取得しているのに、一般の日本人ときたら彼らの排斥に消極的である。その理由は「レイシズム」というレッテルを恐れるからだろうが、根本的には支那人に対する無関心が主な原因なんだろう。何と言っても、支那人が持つ民族性を学校で習っていないし、逆に支那人への罪悪感を植え付けられているので、「支那人が嫌い」という心理を表明できないのである。現実の生活では時折、不作法な支那人を目にして不快に思っていても、彼らがどんな連中なのか体系的に分からない。そこで、我々は一時的な嫌悪感として忘れることにしている。意識的か無意識的かは定かではないけど、何となく支那人を毛嫌いすることに躊躇いがあるのは事実だ。でも、こうした態度を取るのも無理はない。だいいち、一般国民は日々の仕事で疲れ果ているし、休暇となれば楽しい趣味に没頭するのが普通だから、貴重な時間を穢らわしい支那人への研究に費やすなんて馬鹿げている。したがって、日本国民の対支那認識が甘くて曖昧なのも不思議ではない。そこで、こんちにの我々にとって有益と思えるので、明治の頃に支那大陸を訪れたドイツ人の話を紹介したい。

Ferdinand von Richthofen 1( 左 / リヒトホーフェン )
  フェルディナンド・フォン・リヒトホーフェン(Ferdinand von Rochthofen)は、1833年、ポーランドとチェコに跨がるシュレジア地方のカールスルーヘに生まれた。彼は大学で自然科学を専攻し、地中にある石炭を調査すべく、地質学者として支那を訪れたという。彼はベルギー人のパウル・スプリンゲルト(Paul Splingaert)を通訳として伴っていたそうだ。スプリンゲルトは元々ベルギーの教会に雇われていた人物だが、二年間の勤務中に支那語を習得したという。もっとも、実際の会話能力は子供並であったそうだが、彼はフランドル語に精通し、拙いけどドイツ語も話せたので、リヒトホーフェンにとっては有り難い存在だった。しかも、スプリンゲルトはいつも朗らかで、正直、誠実、熱心という人物だったから、孤独なリヒトホーフェンにとっては良き相棒だったし、彼のお陰で一人では無理な場所にも行けたから本当に感謝したそうだ。

  こうして心強い友を得たリヒトホーフェンは、未知の暗黒大陸に足を踏み出すことになった。彼は各地で歴史的建造物や大自然を目撃し、感銘を受けた時もあったそうだが、愕然とする場面にも遭遇したそうだ。例えば、支那に特有な“不潔さ”である。文明国からやって来た旅人にとって、至る所で汚穢が散乱し、不衛生が常習化している支那は、とても人間が住む場所とは思えなかった。リヒトホーフェンは支那の印象を述べていた。

  銭塘江(せんとうこう)流域の住民は、他の支那人よりも立派な服を着て、体裁の良い家に住み、料理も北支に比べれば優れている。しかし、清潔とは言えないのだ。皮膚病患者が多いので驚く。(大谷孝太郎 『現代支那人精神構造の研究』 東亜同文書院支那研究部 昭和10年 p.170)

  続いて杭州での見聞を記している。

   杭州の住民は正直で悪意は無いが、同情を喚起するには至らない。耕地と家屋のほか、彼らの頭にあるのは貨幣と秤(はかり)のみ。日常生活において一言たりとも優しい言葉を聞かない。教養を欠き、読むことも書くこともできず、自分の地域以外のものは知らない。それなのに、根掘り葉掘りモノを尋ね、不潔にして煩(わずら)わしく纏(まと)わりつく。(上掲書 p.171)

  リヒトホーヘンが山東省のある村落を訪れた時のことである。彼が石と煉瓦で出来た家屋に入ると、丈夫そうな造りであったが、不潔で悪臭に満ちていたそうだ。(上掲書 p.183) また、山東省の萊州府(らいしゅうふ)を訪れると、住民の性格は善良だが、不潔なことは他の地方と少しも変わりがないと評している。彼がある民家に入りかけた時、襲いかかる悪臭のせいで身の毛のよだち、思わず嘔吐を催してしまったそうだ。リヒトホーフェンの感想によれば、「支那の民家に一ヶ月滞在したら嘔気が徐々に餓死を誘致し、長生きできまい」とのことである。(p.185) 山東省は垢まみれの筋肉労働者たる「クーリー(苦力)」で有名な土地柄だから、鼻が曲がるほど不潔であっても不思議ではない。リヒトホーフェンは村々を訪れたそうだが、そこでは相変わらず貧困が目についた。彼の車が来るのを見かけると、遠くから家を飛び出た子供たちが群がってきて、リヒトホーフェンに金銭をせがんだそうだ。十数人の子供が一斉に物乞いの声を上げるものだから、しょうがなく小銭を投げてやると、強い者が全部拾ってしまい、弱い者はお零(こぼ)れに与れず、ワンワン泣きながら帰っていったという。子供たちは半裸で古い襤褸(ぼろ)切れを少しまとっているだけで、大人ですらちょっとマシなくらいだったから、支那の貧困には想像を絶するものがある。(リヒトホーフェン 『支那旅行記』 上巻  海老原正雄 訳  慶應書房 昭和18年 p.240)

  現在でも、支那大陸に向かった日本人が片田舎に行けば、目を疑うほどの貧困と頽廃を体験するはずだ。土壁で出来た掘っ立て小屋とか、薄暗くて冷たい雰囲気の住宅とかである。こうした家の中に入れば、臭気はもちろんのこと、薄気味悪い気配がするし、段々と陰鬱な気分になるから、早々に立ち去りたくなる。村には惨めな生活ばかりではなく、白痴や狂人が普通に闊歩しており、中には兇悪犯や詐欺師が平然と紛れて住んでいるから、支那は何でもありのジャングルだ。道路に出れば交通違反など当り前で、積載量を無視したトラックが走っているし、ひき逃げがあっても誰も振り向こうとはしない。自分に利害が無ければ「何処吹く風」で散歩するのが支那人だ。こんな連中が歴史的遺産を管理修復するわけがないし、環境保全なんていう高度な公共心を持つはずがない。観光資源になっている萬里の長城だって、「俺のモノじゃないから」という理由で崩れるままに放置されている。それでも、心を入れ替えて修復するかと思いきや、杜撰な工事で原型を台無しにする始末。しょせん、赤の他人が造ったものだから、熱心に保存しようとは思わないのだろう。

  よくNHKは「悠久の支那」と称して支那の大自然を賛美するが、支那の景観といったら朝鮮と同じく「無惨な標本」といったところである。リソトホーフェンは支那の炭田を調査すべく山岳地帯に向かい、山の谷間にある大渓谷を眺めたりしたそうだ。しかし、彼は支那の「大自然」に感動できなかった。リヒトホーフェンはその感想を述べている。

  痛ましくも、支那人達は植物根絶の名人である。現住民の祖先達は森を根抜ぎにした。その次には、灌木の最後の残りが引き抜かれた。私はこれ迄にも、住民達が禿山で灌木の根株を念入りに探し、それを燃料用に掘り起こしているのをよく見かけた。しかし、山東の芝罘(しふう)附近とこの西部地方では、上述の段階でさへすでに過ぎている。とふのは、灌木はとっくの昔に無いからである。それ故、人々は雑草を根抜ぐ迄になっている。山腹や田畑の畔(あぜ)では、屢々(るる)一団の人々が、その為に特製された道具で先ず枯れ草を取り、次にその根を掘り起こす仕事に従事している。幾つかの平面全部が一日で完全に荒らされてしまうのだ。この習慣は古くからのものに違ひない。( リヒトホーフェン 『支那旅行記』   p.248)

  支那人と同じタイプの朝鮮人も、山の木を伐採したままで植林活動をせず、禿山にしていたから日本人は驚いていた。日本統治になるまで、朝鮮人には苗木を植えて樹木を育てるという意識が無く、冬になって寒いから薪にする木を採ってくるという慣習しかなかったのだ。愚かな朝鮮人に植樹活動を教えたばかりか、農業から牧畜、金融、産業、インフラ整備、教育、医療まで広範囲に亙って国家運営を教えた日本人は、神の国から訪れた天使に違いない。ヨーロッパ人はローマ教皇を含め、大天使のミカエルとかガブリエルを一回も目にしたことはないが、朝鮮人は多くの偉大な「日本人」を見ることができた。厳格な規律を誇る帝國軍人とか、献身的な看護婦、熱心な教育者、公正な行政官、有能な企業家など、朝鮮の歴史に一度も現れたことがないタイプの人物が、野蛮国と思っていた日本からやって来たんだから朝鮮人が驚愕したのも当然だ。支那では書物の中にしか「聖人」は居ないけど、日本には普通の庶民の中に「聖人」が居るんだからすごい。「兄貴分」と崇めている支那からやって来るのは、いつも掠奪者か征服者なんだから、朝鮮人には涙と不幸が似合っている。言及するのも嫌だけど、朝鮮の娘を攫って「性奴隷」したと信じている日本人は、朝鮮の肥溜めに頭から浸かっていろ。多分、こうしたアホは朝鮮人の糞尿を「キムチ味」だと錯覚するはずだ。

水増しの運搬料

  話が逸れたので戻す。支那には詐欺師が溢れているが、それを日本人が見分けるのは難しい。なぜならば、職業的詐欺師以外の者でも、“あっと言う間”に詐欺師へと変わるし、詐欺を本職にする支那人はそもそも正体をバラさないからだ。虚言が生活の基本となっている支那では、みんなが本心を隠して他人を騙すから油断も隙もあったもんじゃない。警官だっていつ詐欺師に変身するか判らないし、詐欺師を捕まえた警官だって金銭を騙し取ろうとする極道だから、支那人に誠実さや正直さといった美徳はまず無いだろう。たぶん、詐欺師くらいが唯一の正直者といえるのかも知れない。というのも、彼らは人を騙して稼いでいるという自覚があるからだ。普通の支那人にとって、「詐欺」とは生活上の技術(アート)であって、日本人が考えるような悪徳ではない。支那では騙される方が悪いのだ。支那人はカラスにだって「あんた肌が黒いアルヨ。ワタシ丁度、良い品持ってるから、特別価格で売ってやるよ」と囁いて美白化粧品を勧める連中である。しかも、その化粧品は偽物で単なるドブ水を綺麗なビンに詰めただけ、という代物だったりするから、カラスだって「この鷺(サギ)野郎 !」と鳴いて怒るだろう。でも、支那人は隼(ハヤブサ)よりも早く高飛びする悪党だから、足の速いカラスだって追いつけない。(頭にきたカラスも飛ぶことを忘れてしまうんじゃないか。) 支那人ならきっと『デスノート』の死神リュークだって騙せるぞ。(支那商人ならリュークに偽造リンゴと交換で殺人依頼をしそうだなぁ。でも、支那人が「デスノート」を手にしたもっと恐ろしい。1億人くらい訳もなく殺しそうだもんね。)

  支那人の大量殺戮を話すと長くなるので省略する。再び話を戻すと、リヒトホーフェンは詐欺に遭っていた。広東省の楽昌県(らくしょうけん)にいた時のことである。四川省から来た陳という支那人と出逢い、陳が是非ともと言うので、リヒトホーフェンは彼と一緒に旅をすることにした。ところが、湖南省の宜章県(ぎしょうけん)に着いた時、良き友であったはずの陳が、実は山師であることが明らかとなった。陳はリヒトホーフェンの通訳、買辧(仲介者)および支配人として振る舞っていて、周りの支那人に対しても睨みが利いていたらしい。こうした姿を見てリヒトホーフェンは陳を頼りにするようになり、警戒心を忘れて、つい油断していたしまったそうだ。陳の策略は荷物運搬契約にあったという。公定運賃だと荷物1斤(約600g)につき制銭6枚、輿(こし)だと1挺につき1,600枚かかることになっていた。(「制銭」は「穴あき銅銭」という硬貨。) そこで、リヒトホーフェンはいくらになっているのかと思い、陳に契約書を見せてくれと頼んだが、陳はあれこれ言って中々見せようとはしなかった。それでも、執拗に言い続けたので、やっと契約内容を確かめることができたという。

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(左: 水を汲みに来た支那人 / 右: 阿片を吸引する支那人)

  リヒトホーフェンが契約書に目を通すと、その取り決めは只ならぬものであるとこが判った。荷物は既に目的地に出発してしまったというが、その重量は実際の荷物の二倍になっていたのだ。つまり、荷物は1,621斤(約973kg)と測定された上に、1斤につき12制銭で、輿は1挺3,000枚という計算になっていたのである。さらに、ありもしない雑件に対しても代価が見積もられていて、総額19海関両(銀貨)にもなっていたという。リヒトホーフェンは現地の知事に訴えて、この詐欺師を罰してもらおうと思ったが、異国の地では何が起こるか分からず、心許ないので事を荒立てようはしなかった。そこで仕方なく、陳に料金の一部を払わせたというが、荷物を運ぶ苦力(クーリー)に渡されたのはたったの8両で、後で分かったことだが、リヒトホーフェンは11両も余計に払わされていたそうだ。察するに、その余分な11両は陳の懐に入っていたのだろう。肝心の荷物は先に運搬されたはずなのに、実は適当にあしらわれていたらしく、リヒトホーフェンが出掛けた後を追うようにして運ばれていたそうだ。

  支那人は嘘をついても恥じぬばかりか、それが暴露されそうになると隠蔽のために演技を披露する。日本人だと恥ずかしくて出来ないことでも、支那人にとったら朝飯前というか、タバコを数よりも簡単な事なのだ。リヒトホーフェンは旅の途中で陳に、いずれ詐欺がバレるぞと仄めかしたらしい。すると、陳は顔を真っ赤にして激しく怒り始め、苦力頭(かしら)に向かって当たり散らし、地団駄を踏んで狂ったように飛び回ったという。周囲の者は彼の挙動に恐れをなしていた。その夜、彼らは料亭を宿にして泊まったらしい。翌日、苦力たちは前の晩の宿泊料をリヒトホーフェンにせがんだが、それは彼が支払うものではなかった。しかし、陳は宿屋の主人に4円渡したというのだ。だが、これも陳の狂言。宿屋の亭主はリヒトホーフェンに同額を請求したという。そこで、リヒトホーフェンは道台(地方代官)に申し出て、厄介な詐欺事件の解決を委ねた。彼は約定額を払うので、苦力たちへ平等に分け与えて欲しいと道台に頼んだ。道台によって役人が派遣され、料亭の主人は罰せられたというが、リヒトホーフェンは陳に対する処罰は寛大にしてくれと願い出たという。というのも、リヒトホーフェンはいずれ陳の故郷である寧遠府(ねいえんふ)に行くつもりだったので、陳が先手を打って現地住民を扇動し、報復にでるのではないかと懼れていたからだ。

  案の定、彼が湖南省の郴州(ちんしゅう)にある鉱山を訪れたとき事件は起きた。彼は植物や石炭を蒐集し、船に乗って現地を後にしようとしたらしい。ところが、そうは問屋が卸さなかった。船頭が舟を出そうとすると、暴徒の一群が押し寄せてきて、リヒトホーフェンに危害を加えようとしたそうだ。しかし、恐怖で真っ青になった船頭が間一髪のところで舟を出してくれたお陰で、リヒトホーフェンは難を逃れたという。リヒトホーフェンがお伴の支那人ボーイに陳を見かけなかったかと問うと、その下男はここに来たとき、陳に話しかけられたことがあると打ち明けていた。リヒトホーフェンが予想した通り、陳は復讐を企てており、暴徒の主犯は陳であった。(pp.196-202) まったく、支那人というのは本当に執念深い。しかし、支那風に考えれば、詰めの甘いリヒトホーフェンの方が愚かなのだ。リヒトホーフェンは陳の仕返しを予想していたんだから、何が何でも陳を抹殺しておくべきだった。支那大陸で安全を確保しようと思えば、敵の「殲滅」以外に方策は無い。たとえ女子供であっても、どんな報復をしでかすか判らぬ。何と言っても支那人が相手なんだから、情け容赦なく一族皆殺しが得策である。陳に恩情を掛けて災難を防いだと思っていたリヒトホーフェンは、やはり甘い考えを持つ唐変木に過ぎなかった。支那人なら知識人であっても躊躇なく殺していただろう。

信仰心のカケラも無い支那人

  リヒトホーフェンは済南に赴いた時、ヨーロッパ人の宣教師をお茶に招いたことがあるそうだ。彼が招待したのは、年長の神父とナポリから来たばかりの新米伝道師だったという。互いにヨーロッパ人ということで話が弾んだらしく、話題が西洋人宣教師に及んだそうだ。支那人たちは英国人宣教師のことを幾分軽蔑的に語っていたそうで、彼らを単なる書籍商人と見なしていたらしい。それというのも、宣教師が聖書を手渡す時に、僅かばかりだが代金を取っていたからだ。でも、これは仕方がない。いくら善意の宣教師とはいえ、聖書を無料(タダ)で配る訳にも行くまい。印刷物には元手がかかっているのだ。しかし、彼らが代価を取っていたとはいえ、紙の値段にも達しないほどの額だったから、利潤を追求した訳ではなかった。でも、そんな事で納得するのは支那人じゃない。どんな行為にも必ず「裏」があると考えるのが支那人であるからだ。

  ところが、意外なことに聖書は支那人に好評だった。もちろん、イエズス・キリストの福音に感動したからではない。支那人はこうして配られた本が、自分たちの靴底に敷く“おあつらえ向きの素材”と考えていたからだ。欲ににまみれた支那人はこぞって聖書を購入し、なかには買い占める者まで出たという。こんな調子だから、支那人たちは、宣教師がお金儲けのために聖書を販売しているのだ、と考えていた。(p.262) さぁ~すが支那人。何でも欲得づくの思考が身についている。こんな支那人にとって、救世主とは貧乏大工のイエズス・キリストではなく、大富豪のビル・ゲイツや投資家のウォーレン・バフェットである。もっとも、イエズスが水をワインに変えたと知れば、支那人はその秘訣を聞きたがるかも知れない。フランスで葡萄畑を買い漁るハゲタカだから、神様の「奇蹟」にだって値段があると思うんじゃないか。宣教師たちにとっては気の毒な話だが、「欲望」しか頭にない支那人には、彼らの布教は「聖書ビジネス」にしか見えないのである。

  リヒトホーフェンは商売熱心な支那人を見て、ヨーロッパに居坐るユダヤ人を思い出したというが、彼は商売人としたら支那人の方がユダヤ人よりも優れているのではないか、と考えていた。リヒトホーフェンは著作の中で再三述べていたけど、「利慾の念こそは支那人の普遍的属性である」と喝破していたのだ。例えば、支那では小さな子供さえも貨幣と商売に興味を有している。この少年たちは大人と同様に日々変動する銀の相場を熟知しているからだ。リヒトホーフェンによれば、「売買」が支那人の生活にとって最高の趣味であるらしい。彼らの会話を盗み聞きしていると、あらゆる話が殆どこの種の題目だったという。(大谷 p. 242) リヒトホーフェンは呆れていたが、とことん“がめつい”支那人たちは、小さな取引でもウンザリするほど長い時間を費やす。まず、社交辞令を巧みに交し合うと、胸中に秘めた目的とは反対の趣旨を述べ始めるという。そして、別件の話をしてから、徐々に本筋に進み、最後に大きな取引を持ち掛けるから、手間がかかるのは当然だった。日本人も支那商人からモノを買う時、延々と値段交渉を持ち掛けられて痺れを切らす事もあるだろう。支那人の観光客を相手にする日本人の店員も、しつこく値引きを迫る支那人に腹を立てる者がいるはずだ。そんな時は持っているボールペンで支那人の目玉を刺したくなる。まぁ、心優しい日本人だとランディー・クゥートゥア(Randy Couture)流のクリンチ・アッパーか、北岡悟の得意技であるフロント・チョークで勘弁してやるんじゃないか。(ランディーはUFCの元ヘビー級チャンピオンで、北岡は元DEEPのライト級王者。ちょっとマニアックすぎて御免なさい。)

Randy Couture 2Kitaoka Satoru 3Chinese tourists 2








(左: ランディー・クゥートゥア  /  中央: 北岡悟  /  右: 支那人観光客 )

身の毛もよだつ刑罰

Chinese 04(左 / 飯を食う支那人の子供)
  日本人にとって支那人は永遠の謎である。日本人はどんな地方の日本人と会っても、大抵は相手がどんな人間なのか判るものだが、支那人ときたら「うなぎ」よりも摑み所のない別の動物に見えてしまう。お金儲けや犯罪になればヘラクレスも舌を巻くほどの努力をするが、公共奉仕とか慈善活動となれば死んだ亀のように動かない。そのくせ、いつも何か食っている。映画の中でも、支那人は道端で饅頭(まんじゅう)を頬張ったり、スイカを囓(かじ)っては種を吐いている。熊の手や猿の脳味噌まで口にする支那人は、食える時に食っておくというサバイバル生活が身に沁みているのだろう。常に戦乱が巻き起こる支那で生き延びるには、食えるモノは何でも腹に入れておくのが庶民の智慧なのかも知れない。

  こんな殺伐とした暗黒地帯に暮らす支那人は、腹を割って真実を話すという考えが微塵も無い。本音は墓場に持って行くのが支那人で、同じ鍋を突(つつ)いた程度で仲良しになる日本人とは、体をつくる炭素の次元で違っているのだ。リヒトホーフェンによれば、支那人は全国民こぞって嘘つきらしい。彼は旅の途中に何度も多くの質問をしたそうだが、どの問い掛けに対しても、一つとして本当の返事を聞いたことがなかったという。(大谷 p.244) 物質主義の支那人にあっては、一言一句が貨幣に従って考慮されているらしい。彼らは唯物主義と猜疑心から、嘘と出任せを言うのである。科学者のリヒトホーフェンにしてみれば、支那人というのは文字を尊ぶ民族だが、物事の本質を追究する探究心に欠けている民族だという。彼はこう語っている。

  支那人は好奇心を有するも知識慾を有せぬ。彼らの国家試験に必要とされいること以上に深く立ち入って質問を発することがない。匙は銀であるか銅であるか、書物の中に記号は文字であるかどうか、等というふのが、日に百遍も出会ふ質問であって、一人として事物の理由、方法、外国の風俗習慣、凡そ彼らが眼に見る能はず、手に捉うる能はざるものを問ふものはない。(大谷 p.243)

  結局、支那人というのは仕事を終えたり、銭儲けが済んで腹が膨れれば、あとは阿片でも吸ってゴロ寝しているのが普通なのだ。だから、一文にもならない元素の研究とか自然現象の観察なんて、支那人の人生においては無意味である。雷を目撃してその光の素は何なのかを調べたり、雪の結晶を見てその形に感動するなんて事は支那人に求めることはできない。そんなことに時間を費やすくらいなら、軍鶏(シャモ)の決闘にお金を賭けて興奮する方が、よっぽど意味のある時間の使い方なのだ。

  支那人を観察したリヒトホーフェンは、支那人の冷酷で野蛮な性質に気づいていた。支那人には恐ろしい兇暴性と並んで、軟弱性と無気力が共存し、それらが破壊的な暴力に発展するという。すなわち、支那人には臆病と残忍が併存しているのだ。リヒトホーフェンの見解によれば、この臆病さは官僚からの圧迫と国民の継続的頽廃に由来するという。だが、彼らが臆病なのは、支那人に「人間性」が欠けているからではないか。彼らは人間と動物を区別せず、他人は野獣と変わらぬ生き物だから、殺しても食べても平気である。万人が万人にとって狼だから、ちょっとでも危険なものには近づかないのだろう。もっとも、狼だって支那人みたいに敵を滅多殺しにはしない。狼は必要な獲物だけを捕獲するのであって、支那人は無限大の欲望のために人を次々に殺すから、狼だって尻込みする程の禽獣である。(英国の哲学者トマス・ホッブズだって支那人を知っていたら、ピューリタンくらいで騒がなかったんじゃないか。) とにかく、支那人が臆病なのは、過剰なまでに用心深いからだ。

  拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』で、筆者は支那人が捕虜に加える虐待や、眼球を潰して芸妓を「盲妹」する話を書いた。読んだ人は信じられなかったり気分が悪くなったりしたと思うが、あからさまな支那人の本性だからしょうがない。現実は小説よりも残酷なものである。リヒトホーフェンも残酷な話を耳にしたようだ。彼が訪れた湖南省では、残酷な仕置き、というより冷酷な刑罰と呼ぶべき慣習があったという。支那人は女の扱いが矢鱈とひどいのだ。嫁に来て妻となった女は、夫が長期不在中といえども、一切外出はできず、常に姑のもとに留まっているよう義務づけられていた。しかも、家の中は男子禁制となっていたから、亭主は猜疑心が強いというか用意周到であった。こんな具合だから、妻の不貞は全く考えられない。しかし、それでも掟を破る妻がいたらしく、不義密通を犯した女房には、「八つ切り」という酷刑が課せられていたというから驚きだ。別の男と寝た姦婦は役人に連行され、この恐ろしい罰を受けたという。その手順を述べてみると、まず、両方の眉が切り取られ、次に乳房が切り落とされる。さらに、刃物で両腕に上から下へと切り目が入れられ、胸骨の下を刺され、最後に頸(くび)を刺されて出血死になるらしい。(大谷 p.204) こんな戦慄すべき刑罰が実施されていたんだから、支那人の感覚など日本人には到底理解できまい。

支那人に対しては武力のみ

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(写真 / 支那人の群集)

  リヒトホーフェンが心得ていた支那人の取り扱いは、我々日本人にとっても参考となる。支那大陸横断を成し遂げたリヒトホーフェンは、都市部から奥地に至るまでの土地を渡り歩き、各地で支那人に取り囲まれていた経験がある。外国人、特に西洋人はアジア人とは明確に異なる容姿を持っていたので、リヒトホーフェンが現れると、鉱山でも船着き場でも、あるいは宿泊所でも、好奇心旺盛な支那人が押しかけたという。だが、支那人には西洋人への興味がある一方で、夜郎自大の華夷秩序意識があるから、リヒトホーフェンを目にするや「洋鬼子」と罵声を浴びせて、石を投げつける者までいたらしい。しかし、リヒトホーフェンが一人一人に近づくと、急に支那人は蹲(うずくま)ってしまい、意気地無しを晒(さら)すそうだ。彼が観たところ、支那人が「堂々たる態度を持しているのは群れをなして寄り会っている時だけである」という。(p.178) 

  支那人というのは集団になると居丈高になる。凡庸な支那人が大勢で群れていても、大抵は烏合の衆で、遠くから西洋人を眺めていることが多い。ところが、一人でも大胆な不良が現れると、その者が無邪気な群集に影響を及ぼし、暴動すら引き起こすこともできるという。支那人が持つ外国人への反感と侮蔑には、付和雷同的性格が潜んでおり、数名のアジテイター(煽動者)がいれば、いとも簡単に暴徒の集団となってしまうそうだ。だから、この危険性を未然に防ぐためにも、真っ先にこうしたデマゴーグ(大衆の指導者)を引っ捕らえて処罰せねばならない。然るべき厳格な処置を講じれば、他の者は直ちに事の公正を悟り、裁きを下した者に敬意を表する。(p.245) 支那人には「圧倒的力」を見せつけて、どちらが優越者であるのかを示さねばならぬ、ということだ。

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(写真  / 支那人の反日抗議デモ)

  日本人は未だに理解していないが、支那人に対して甘い対応は全く効果が無いし、時と場合によっては命取りにもなってしまう。支那人というのは実に厄介な連中で、外国人に対して驚くほど根深い自負心を持っている。貧乏な庶民から知識人階級に至るまで、支那人というのはヨーロッパ人に侮蔑心と嫌悪感、さらに畏怖の念を抱いているのだ。特に、鼻持ちならない支那人官僚は、中華思想に凝り固まっているから、彼らの方が外国人よりも遙かに優れていると思っている。ただし、厭々ながらではあるが、ただ一つの点において西洋人の優越を認めていた。それは「武器と軍艦」である。支那人は口であらゆる屁理屈を捏ねるが、武力で屈服するや、信じられぬくらい従順となる。だから、外国人が外政交渉で支那人と対等になろうとするのは誤りで、自分たちの行動様式を相手に投影しただけの幻想だ。日本人は西歐列強の高圧的態度を非難するが、支那人相手の交渉には絶対的武力を以て契約にあたるのが正論である。もし、日本人が支那人との外政交渉を望むなら、彼らの頭を土足で踏みつけながらの対話でなければならない。日本人が圧倒的に有利な立場に立ってこそ、公平な取り決めができるのである。

  現在、日本政府はトランプ政権に「尖閣諸島を米軍が守るぞ」と言ってもらって安心しているが、本来なら日本だけで支那に対抗できるだけの軍事力を持たねばならぬはずである。支那人は力の論理で行動するから、日本人が東亜の平和を望むなら、支那の核兵力を凌駕する程の核武装をすべきなのだ。支那を封じ込めるためには、支那人の支配層まで殲滅できる軍事力が必要で、一般の支那人を何人殺傷しようが無意味である。だいたい、貧弱な自衛隊であの支那人を黙らせようなんて子供の空想にも及ばぬ愚行であろう。支那人が合衆国大統領と交渉のテーブルにつくのは、米軍が支那人を皆殺しにできる厖大な核ミサイルを持つからだ。支那人は粗暴に見えて理性的なのは、恐怖の均衡を熟知しているからで、日本人を馬鹿にするのは、我が軍に攻撃能力が無いと見切っているからである。支那人に対しては「誠意」よりも「棍棒」の方が有効だ。支那人との話し合いに正義は無用。武器を以ての脅迫が支那人に対する切り札である。これが分かっていないのが、外務省とマスコミに居坐っている学校秀才なんだよねぇ~。本当に心から厭になっちゃう。



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