黒人の祭典

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(左: 用済み女優となるテレサ・パーマー /  右: 人気急上昇中の黒人女優ウゾ・アドゥバ)

  ヨーロッパのゲルマン系知識人は、ローマ帝国の興亡を深く調べて感嘆した。イタリア半島の偉大な民族が如何にして興隆し、何が原因で消滅したのか、その鍵を知ったからだ。日本人でもブリテン人の歴史家であるエドワード・ギボン(Edward Gibbon)やドイツ人泰斗のセオドール・モムゼン(Theodor Mommsen)、イタリア人作家でローマ史の大著があるグッリエルモ・フェレーロ(Guglielmo Ferrero)なら知っている人も多いだろう。一般的には『ローマ人の物語』を書いた塩野七生の方が馴染みがあると思うけど、あのシリーズは初心者を狙った入門書で、ローマ史を愛する読者層からすれば、歐米人の史書から切り貼りしたパッチワークにしか見えない。だから、筆者としてはあまり人に勧めることはできない。(以前、塩野氏は西洋人とは違った視線で書くと豪語していたが、どのように違うのか、具体的に脚注と引用を明確にして叙述しなかったので、当初の目的が曖昧にされたままであった。彼女は予防線を張って「私は歴史小説家だから」と言い訳を述べていたけど、一般読者からすると「ずるい」と思わざるを得ない。) ただ、ルネッサンス史に詳しかった故・會田雄次先生が、随筆風でもいいからローマ史を書いていたら、必ずや一読の価値はあったと思う。

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(左: エドワード・ギボン  /  セオドール・モムゼン/ グリエルモ・フェレーロ / 右: 塩野七生 )

  今、我々はアメリカ合衆国の変質と衰亡を目の当たりにしている。こんなことは肩肘張って学術的な研究をしなくても、ちょいと大衆のサブ・カルチャーを調べたり、流行の風俗をのぞいてみれば判ることだ。例えば、最近『ムーンライト』という映画がアカデミー賞の作品賞をもらったが、アメリカの一般白人なら「どうしてこんな作品が?」と疑問を持つだろう。多少勇気のあるアメリカ人なら、「また黒人におもねっての授与かよ !」と愚痴をこぼすんじゃないか。これが醒めた白人だと、「まぁ、ユダヤ人が盤踞するハリウッドだからねぇ、怒ってもしょうがないか」と諦めている。1950年代までのアメリカだと、白人俳優が主役の映画が当然で、しかも倫理基準が大変厳しかった。現在ならありふれている淫乱や暴力シーンはなかったし、白人女優と黒人男優がからむベッドシーンなどは“もってのほか”だった。言うまでもないが、同性愛や幼児虐待の物語はまったく考えられず、企画にさえならない。しかし、現代では何でもあり。黒人が白人をリンチにかける痛快劇や、白人女性が下層黒人に憧れる恋愛作品など珍しくもない。多民族主義が浸透したハリウッドでは、もう様々な人種を起用した作品ばかりで、アメリカ映画というより地球映画と呼んだ方がいいくらいだ。

God Father 1Meyer Lansky 1Abraham Weinberg 1







(左: 「ゴッド・ファーザー」でのマーロン・ブランドー / 中央: マイヤー・ランスキー /  右: ユダヤ人ギャングのアブラハム・ワインバーグ)

  ひと昔前だと、アカデミー賞候補となる作品には特別な期待があって、どの俳優や監督が受賞するのか世間の評価が集まっていた。配給会社はもとより銓衡(せんこう)委員も少しは真面目だったはず。ところが、近年の受賞作品ときたら、どうでもいい作品が多く、わざわざ劇場に足を運ぶほどの代物ではい。例えば、人気男優のレオナルド・デカプリオを起用しただけの『ディパーテド』、スラム街で育ったインド人少年を主人公にした『スラムドック$ミリオネア』、落ち目の俳優を扱った『バードマン』、黒人奴隷の物語を描いた『それでも夜は明ける』など、心が躍るような期待感を持てない映画ばかり。日本人がアカデミー賞作品と聞けば、『アラビアのローレンス』『ベンハー』『ゴッド・ファーザー』『スティング』『ディア・ハンター』とかを思い出すんじゃないか。ジーン・ハックマン(Gene Hackman)が刑事を演じた『フレンチ・コネクション』も印象深かった。でも、在米ユダヤ人の悪事を暴く『ユダヤ・コネクション』という作品が企画されないのは残念だ。だいたい、ハリウッドのユダヤ人制作者は、イタリア人ギャングをテーマにした『ゴッド・ファーサー』は作るけど、更に狡猾なユダヤ人マフィアを描く映画になると何故か避けようとするから、イタリア系アメリカ人が憤慨するのも無理はない。米国のユダヤ人ギャングについては、リッチ・コーエン(Rich Cohen) の『Tough Jew』に詳しく書かれているから、日本人でもこれを読めば、マイヤー・ランスキー(Meyer Lansky)やジュリアス・バーンシュタイン(Julius Bernstein)、ダッチ・シュルツ(Dutch Schultz)といった大物を理解できるだろう。

Dutch Schultz 1Julius Bernstein 1Gene Hackman 2Trevante Rhodes 2








(左: ダッチ・シュルツ  / ジュリアス・バーンシュタイン / ジーン・ハックマン / 右: トレヴァンテ・ローズ )

  今回の受賞作品である『ムーンライト』も同じレベルで、マイアミの貧民街に育った黒人青年の物語であるという。映像には麻薬中毒の母親とか、ゲイの黒人、すさんだ性格のガキども、ドヤ街に群れる悪党など、黒人にとっては「いつもの日常風景」である。こんな具合だから黒人は何となく親近感が湧くのかも知れないが、中流階級の白人にしたら、黒や茶色の顔が次々と出て来て不愉快だ。日本の観客だって気分がいいとは限らない。それでも、麻薬を売りさばくキューバ人のホアンを演じたマハーシャラ・アリ(Mahershala Ali)なら、TVドラマの『House of Cards』や『The 4400』に出演していたので、日本人に受け容れられるかも知れない。ただし、共演のジェネル・モネイ(Jenalle Monáe)とかナオミ・ハリス(Naomie Harris)、トレヴァンテ・ローズ(Trevante Rhodes)は、人気役者にならないだろう。つまり、アーノルド・シュワルツネッガーみたいにテレビの広告で登用される藝人ではない、ということだ。アメリカの映画評論家は袖の下でも貰っていたのか、どいつもこいつも『ムーンライト』を絶賛していた。でも、黒人がうじゃうじゃ登場する映画を観て、本当に白人が共感を覚えるのか? 日本人の観客だって感動する者は多くないだろう。たぶん、興行収入の面ではヒット作品にならないんじゃないか。

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(左: マハーシャラ・アリ  / 中央: ジャネル・モネイ / 右: ナオミ・ハリス )

「自分たちの映画」を観たい

  アメリカの映画業界では、黒人やヒスパニック団体からの抗議で、多民族混淆ドラマが多く制作されている。以前、当ブログでもこの変の事情(例1)を紹介したが、マイノリティー(すなわち有色人種)の役者たちは、主要配役が白人ぱかりで占められていることに腹を立て、抗議文を渡して異議を唱えていた。それでも現実的に言えば、いかに脇役の黒人俳優が優秀で実力があっても、主役級に抜擢されるのは西歐系美人の女優とか、白人のハンサム男優と相場が決まっている。例えば、日本でも放映された『コールド・ケース』ではキャスリン・モリス(Kathryn Morris)が主役だったし、その他だと『ボーンズ』のエミリー・デシャネル(Emily Deschanel)、『キャッスル』のスタナ・カティック(Stana Katic)、『ブラックリスト』のメーガン・ブーン(Megan Boone)など、すぐ思い浮かぶだろう。異民族でごった返す米国でも人種平等は達成しづらいのである。となれば、アフリカ系国民の比率が極めて低い日本では尚さら無理だ。

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(左: キャスリン・モリス  / エミリー・デシャネル / スタナ・カティック /  右: メーガン・ブーン)

  実際、黒人が主役になると作品の人気が出づらい。例えば、クウェンティン・タランティーノ監督が手掛けた『ジャッキー・ブラウン』は、そんなに出来の悪い作品ではなかったが、主役を張ったのがパム・グリアー(Pam Grier)だったからヒットしなかった。これがもし、『ミニミニ大作戦(The Italian Job)』で盗賊を演じたシャーリーズ・セロン(Charlize Theron)や、知能犯が似合いそうなシャロン・ストーン(Sharon Stone)が主役を務めていたら、違った結果になっていただろう。この映画はタランティーノ作品だから、お気に入りのユマ・サーマン(Uma Thurman)を使うという選択肢もあったのではないか。前作の『パルプ・フィクション』では、彼女と人気俳優のジョン・トラボルタが大好評であった。でも、『キル・ビル』は今ひとつパっとしなかったから、ユマが主役になってもヒットするとは限らないと分かる。(ちなみに、彼女の父親であるロバートはチベット仏教を研究するコロンビア大の教授で、母親のニーナ・フォン・シュレブリュッゲはメキシコ生まれだけど、種族的にはドイツ・スウェーデン人であるらしい。しかも、十代の頃からファッション・モデルであったというから、美人に生まれた娘のユマは母の遺伝子に感謝すべきだ。)

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(左: パム・クリアー  / シャーリーズ・セロン / ユマ・サーマン  / 右: シャロン・ストーン )

  大ヒット・シリーズのドラマ『24』で、ジャック・バウアー役を演じたキーファー・サザランド(Kiefer Sutherland)は人気者となったが、長期間の役柄に飽きてしまい降板。新シリーズの『24 / レガシー(24 : Legacy)』では主役が交替となった。そこで抜擢されたのが黒人俳優のコリー・ホウキンズ(Corey Hawkins)である。彼は元陸軍特殊部隊で軍人で、ある事から対テロ捜査官になったエリックを演じる訳だが、ありふれた設定が多く、これといった新鮮味に欠けるし、ストーリーも当初のようなスリルが無いので至って凡庸。でも、「24」ファンは構わず視聴するだろう。彼らは『水戸黄門』の贔屓客と同じだから、スピン・オフでも別物でも気にならない。いずれ日本でもDVDレンタルが開始されるだろうが、恐らく大ヒット作にはならないだろう。

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(左: キーファー・ザザランド  / 中央: コリー・ホウキンズ /  右: ダイアン・ドーン)

  世はまさに多文化・多民族主義の時代である。映画やドラマでは微妙な「人種構成」に配慮するのは当り前。もし、時代背景や人物設定が白人中心となれば抗議が起こるので、何らかの理由をこねて、無理矢理にでも有色人種を配役にねじ込もうとするらしい。例えば、ヒストリー・チャンネルのヒット作となった『ヴァイキング(Vikings)』では、支那系女優のダイアン・ドーン(Dianne Doan)が奴隷のイドゥ(Yidu)役で登場し、主人公のラグナー・ロスプロックと親密な関係になる筋書きになっていた。でも、北歐のヴァイキング村に支那人の囚人が売られてくるという設定には、やはり無理があるんじゃないか。確かに、地中海かどこかの場所で海賊に捕まった支那人という設定は不可能じゃないけど、ちょっと強引すぎるだろう。でも、舞台がスカンジナヴィア半島とブリテン島、そしてガリア人のフランスのみで、登場するのが北歐種族ばかりじゃ、ドラマを監視する圧力団体が許さない。だから、制作者が早めに対策を講じたのではないか? カナダ生まれの支那人を新キャラクターに据えれば、「白人ばかり」という批判をかわせるはずだ。このゴリさんもビックリの配役に、視聴者からも色々な文句が寄せられたというが、黒人団体から叩かれるよりは遙かにマシだろう。(ちなみに、「ゴリさん」とは『太陽に吠えろ』で竜雷太が演じた刑事である。今の高校生だと知らない人も多いよねぇ。)

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(左: デイヴィッド・ヘアウッド  / アシュリー・トマス / デイヴッド・アジャラ / 右: ジョーイ・アンサー )

  日本のTVドラマは全体的に不振のようだけけど、競争が激しい歐米の業界も深刻な問題を抱えているようだ。選りすぐりの脚本家を用いてドラマを作っているのだが、どうしても駄作ができてしまうらしい。というのも、ドラマの構想じたいは悪くないのだが、そこに投じるキャスティングが無茶苦茶なのだ。例えば、英国で放送された『ベーオウルフ(Beowulf : Return to the Shieldlands)』は、低視聴率のためシーズン1で打ち切りとなった。英文学専攻の人なら直ぐに分かるだろうが、この物語は英雄ベーオウルフが巨人のグレンデルや火を吐く龍を退治するといった叙事詩で、アングロ・サクソン文学を学ぶ日本人なら必ず知っている古典の一つである。ところが、この英雄譚を映像化したドラマには、浅黒い異人種がいっぱい登場するのだ。まず馴染みがある俳優から挙げれば、TVドラマ『ホームランド』に出ていたデイヴィッド・ヘアウッド(David Harewood)、映画『ボーン・アルティメイタム』に暗殺者役で出ていたジョーイ・アンサー(Joey Ansah)、黒人俳優のデイヴッド・アジャラ(David Ajala)、アシュリー・トマス(Ashley Thomas)、黒人女優のスーザン・アデリン(Susan Aderin)、インド系女優のロリタ・チャカラバティ(Lolita Chakrabati)、同じくエローラ・トルチア(Ellora Torchia)など、とても北歐種族とは思えぬ面々がキャスティングされていた。これでは時代背景の無視も甚だしく、英国の白人視聴者は白けてしまうから、不人気となっても当然だ。いくら当時のアングロ・サクソン人が人種意識に鈍感でも、普通にアフリカ人と会話を交わしているなんておかしい。

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(左ロリタ・チャカラバティ  / エローラ・トルチア /  スーザン・アデリン / 右: 「ヴァイキング」でのトラヴィス・フィンメル )

  日本の視聴者が日本人向けのドラマを要望しているように、アメリカの白人視聴者も西歐人向けのドラマを観たいと思っている。だから、ヒストリー・チャンネルが初めて手掛けた歴史ドラマの『ヴァイキング』がヒットしたのである。アメリカのTVドラマだと、どれを観ても必ず黒人や南米人、あるいはアジア人の役者が混じっており、“自分たちだけ”のドラマを観たいと思っている白人層は嫌気が差していたのだ。そこへ古代のヴァイキングを扱ったドラマが出現したから拍手喝采。大昔のスカンジナヴィアなら黒人やアラブ人は登場しないし、出てくるキャラクターは好ましい北方種族だけである。たとえ、北歐の海賊たちがイングランドに遠征しても、敵役のイギリス人はアングル人やザクセン人、あるいはオランダ系のジュート人だから安心。これなら観ていて楽しい。主要キャラクターはオーストラリア人男優のトラヴィス・フィンメル(Travis Fimmel)やウクライナ系カナダ人のキャサリン・ウィニック(Kathryn Winnick)だし、助演俳優だってガイア・ウェス(Gaia Weiss)というフランス人女優になっている。(筆者としては個人的にスウェーデン俳優のグスタフ・スカースガールドGustaf Caspar Orm Skarsgårdが気に入っている。彼が演じるフロキは素晴らしい。本物のヴァイキングに見えてくるから、グスタフは名優である。残念ながら、今の日本にはこういうタイプの役者はいないよねぇ。)

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(左: ガイア・ウェス  /  中央: キャサリン・ウィニック /  右: グスタフ・スカースガールド)

  現在のアメリカ社会を見渡すと、ゲルマン民族の国家とは到底思えないけど、南北戦争くらいまでは北歐種族が主流の共和国だった。たぶん、幕末に渡米した小栗上野介や木村摂津守は、主にオランダ人かイギリス人みたいなアメリカ人と交渉していたはずだ。当時のアメリカには東歐や南歐からの貧民が流入していたけど、移民の大半はブリテン出身者かドイツ人だった。合衆国労働省が作成した報告書を繙けば分かるけど、年間5万人ないし6万人くらいのドイツ人が渡米していたのである。(Annual Report of the Commission of Immigration to the Secretary of Labor, 1921~1930を参照。) 建国の父祖として有名なベンジャミン・フランクリンが移民の増大と異文化の併存を気にしていたけど、それはペンシルヴァニアなどに向かうメノナイト派のキリスト信徒やルター派のドイツ出身者で、イスラム教徒のトルコ人とかアラブ人ではなかった。確かに、このプロテスタント移住者はドイツ語で日常生活を送り、頑なにご自慢のドイツ文化を守っていたが、しょせん同じゲルマン民族なので、次第にアメリカ文化に同化してしまい、イギリス系アメリカ人と区別がつかなくなったそうだ。

Baron von Steuben1(左  /  フォン・シュトイベン男爵)
  ちなみに、アメリカ社会におけるドイツ文化の影響は結構たくさんあって、ハンバーガーとかハロウィーンだけじゃない。まず思いつくのは、独立戦争に貢献したプロイセン軍人のフリードリッヒ・ウィルヘルム・フォン・シュトイベン男爵(Baron Friedrich Wilhelm von Steuben)であろう。当時、アメリカ軍を率いていたジョージ・ワシントンは、真田昌幸とか上杉謙信いった智将猛将のタイプではなかった。どちらかと言えばイギリス軍に押されて、劣勢に立たされることが多かったのだ。そこで、シュトイベン男爵が素人も同然の兵卒を鍛え、アメリカ人士官に部隊の統率術を教えるとともに戦闘のコツを伝授したから、入植地の民兵集団が英国の正規兵に勝てたのである。当時のアメリカ軍は地方からの寄せ集め兵隊で、武器がバラバラな上に兵站は貧弱であったから、ヨーロッパの将校は呆れていたのだ。

  兵卒の装備だってお粗末で、例えば、1781年に起こったユートー・スプリングス(Battle of Eutaw Springs)の戦いを調べれば驚いてしまう。何とアメリカ軍の兵卒はインディアンが穿くズボン(ブリーチクラウト / breechclout)姿で、おまけに靴が無いから素足であったのだ。しかも、マスケット銃は雨天の時に不発になる危険性があったから、突撃を命じる指揮官たちは天を仰ぎたくなる。だから、ドイツ人とスイス人によってライフル銃が導入されたことは誠に幸運であった。(独立戦争時の話をすると長くなるので、戦闘や軍隊については別の機会に述べたい。) 歴史学に「もし」を持ち込むとややこしくなるから避けたいが、もしシュトイベン男爵が渡米せず、代わりにカナダ派遣軍のジェイムズ・ウルフ将軍(Sir James Wolfe)が生きていたら、ワシントン麾下の植民地軍は惨敗を喫していただろう。そうなれば、アメリカ「の叛逆者」たちは一人残らず絞首刑である。

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(左: ジョージ・ワシントン  / ジェイムズ・ウルフ /  「ブリーチクラウト」のズボン/ 右: ブリーチクラウトを穿いたインディアン )

  したがって、シュトイベン男爵の名は特筆大書すべきなのだが、驚いたことに学校の歴史教科書では些細なエピソードの扱いなのだ。疑う読者はアメリカの公立学校で一般的に使われているグレンコー・マックグロー・ヒル(Glenco McGraw-Hill)の教科書を読んでみればいい。(日本で言えば「東京書籍」みたいな出版社である。) 筆者の手元には最新版がないけど、以前アメリカの教育事情を調べる際、自前で購入した『自由国の歴史(History of A Free Nation)』や『アメリカのヴィジョン(The American Vision)』にはシュトイベンの項目が無かった。(ちなみに、左翼による教科書問題を論ずる『正論』や『WiLL』でも、米国の歴史教科書を紹介しないのは変だよねぇ。) 多文化主義を掲げるアメリカの教科書では、公民権運動で有名な黒人女性のローザ・パークス(Rosa Parks)や、マルコムXなどが写真付きで説明されているのだ。(History of A Free Nation, 1994, p.955, p.975)

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(左: チェザー・チャベス  / 中央: ベティー・フリーダン /  右: ウッドストックの会場に集まった若者)

  また、ヒスパニックの子供たちを喜ばせるために、メキシコ系極左活動家のチェザー・チャヴェス(Cesar Chavez)を取り上げているし、フェミニスト執筆者の差し金なのか、ユダヤ人フェミニストであるベティー・フリーダン(Betty Friedan)を載せているのだ。(上掲書, p.980, p.920) そればかりか、教科書の記述は風俗文化にまで及んでいて、ヒッピー文化を象徴するウッドストックの野外コンサートまで教えているんだから、『少年ジャンプ』も三舎を避ける。(上掲書 p.992) 憎い西歐系の偉人だと省略し、白人に抑圧された有色人種やユダヤ人だとつまらぬ人物まで取り上げるんだから、偏向教科書丸出しである。日本と同じく、アメリカの教科書もかなり酷い。(中学生や高校生徒の良い子は知らないだろうけど、1960年代から70年代には「ヒッピーHippie」と呼ばれる若者達がいて、奇妙な音楽やロックを聴いて踊ったり、マリファナをすってラリっていたんだよ。また、花を身につけて「愛と平和」を唱え、ゾロゾロと街を行進したから、別名「フラワー・チルドレン」なんて呼ばれていたんだ。初めて聞く子は、ママやお爺ちゃんに尋ねてね。たぶん、ジミー・ヘンドリックスやサンタナのレコードを持ち出して教えてくれるよ。)

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(上写真  / 1970年代のヒッピーたち )

ゲルマン戦士の大河ドラマ

  話はTVドラマに戻るけど、アメリカの白人としたら「自分たちの祖先」を描く歴史大作を観たいんじゃないか。日本人だって源頼朝とか足利尊氏、織田信長、高杉晋作、西郷隆盛、東郷平八郎など、伝記映画になった英雄を喜んで観ていた。一方、衛星放送で垂れ流される南鮮ドラマなんか、嘘で固めた豪華なホラ話。こんな捏造劇を眺めている日本人はよっぽど暇なんだろう。だいいち、「赤貧」という言葉さえ色褪せる朝鮮人が、目も眩む煌(きら)びやかな衣装を身につけ、若い女性までもが活躍する社会だったのか? 「そんな奴はおらんやろ~」と大木こだまが怒るぞ。悪臭が100m先まで漂う垢まみれの服が普通だったのに、優雅で親切な貴婦人とか可憐で美しい宮廷料理人など、ふざけるんじゃない。厨房の片隅で鼻水を垂らしながら泣いている下女が、朝鮮によくいた“一般の”女性である。朝鮮人が中世のフランス貴族に憧れるのは分かるけど、日本人がそんな妄想を公共の電波を使って放送する必要があるのか? NHKは国民からお金を巻き上げて、南鮮人に貢いでいたんだから赦(ゆる)せない。筆者はかつて、NHKに「いくらで南鮮ドラマを購入したのか」と問い質したことがある。しかし、明確な回答は無く、内部情報だから秘密であるそうだ。でも、日本人の視聴料は朝鮮へ人の上納金じゃないぞ。朝鮮のドラマを観るくらいなら、深夜の砂嵐映像か、壊れた蓄音機を聴いていた方がマシである。

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(左: 昔は普通だった天然の朝鮮人女性  / 中央: 人工的かも知れない今の朝鮮人女性/ 右: 過去によくいた朝鮮の一般女性 )

  話が逸れたので戻す。アフリカ系アメリカ人が『ルーツ』といった黒人奴隷のドラマを楽しむなら、西歐系アメリカ人もイギリス人とかスウェーデン人、あるいはデンマーク人やドイツ人を扱った映像作品、すなわちチュートン系の古代人を描いたTVドラマを望んでも不思議ではない。例えば、ローマの支配からゲルマン民族を解放したアルミニウス(ヘルマン / Arminius)は、チュートン系民族にとって永遠の英雄である。アルミニウスは人質としてローマに送られ、ローマ軍に配属されると騎士となって出世を遂げる。上官のクウィンクティリウス・ヴァルス(Quinctilius Varus)にも信頼され、まるでローマ貴族の子弟のようになっていた。しかし、アルミニウスはローマ人になりきれなかったのである。ローマ軍による収奪は苛酷で、同胞のゲルマン人は搾取されっぱなし。ただでさえ、生産性が低い農業を営んでいたのに、ローマ人の支配者は情け容赦なくゲルマン民族の膏血(こうけつ)を搾り取っていた。これといった産業を持っていなかったローマ人たちが、人も羨むような生活を送ることができたのは、属州からの厖大な富が持ち込まれていたからである。

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(左: アルミニウスの彫像 / 右: ローマ軍を描いた絵画 )

  心からローマ人になれなかったアルミニウスは、同じ血を分けた同胞が塗炭の苦しみに喘(あえ)いでいたことに我慢がならなかった。そこで、彼はローマ軍に叛旗を翻そうと決心したのである。彼が上官や同僚を裏切ってから、ローマ軍にいる弟に対面する機会があったという。この弟のゲルマン名は不明だが、彼はローマ人からフラウス(Flaus / 金髪の男)と呼ばれていた。兄のアルミニウスは従者を斥けて、弟と直に話をしたたそうで、兄はフラウスに「そのみっともない顔はどうしたんだ」と問い掛けたらしい。すると、弟は戦闘の場所と様子を説明し、「給料は上がったし、首飾りや冠など色々な勲章をもらった」と自慢したそうだ。ところが、アルミニウスは侮蔑の表情を浮かべ、「奴隷の身分だと、褒美も馬鹿に少ないな」とおちょくったらしい。これに反撥したのか、弟はローマの偉大さや、カエサルの権威、敗北者へ加えられる厳罰、投降者に対する寛大な処置を口にしたという。だが、兄は違っていた。アルミニウスは祖国に対する真正な義務、古い伝統を持つ自由、ゲルマニアにいる土着の神々について語り、「我々兄弟の母も、フラウスが肉親や血縁を、いやお前の同胞部族全体を見棄てたり、裏切ったりせず、むしろその指揮を執るよう祈っている」と述べたのだ。(タキトゥス 『年代記』 (上) 国原吉之助 訳 岩波文庫 1981年 pp.99-100)

  こうした口喧嘩を交わした兄弟は一触即発の状態になった。もし、ローマ人のステルティニウスがその場に駆けつけて、興奮するフラウスを押さえつけなければ、きっと剣を交えての決闘になっていただろう。いつの世でも骨肉の争いというものはあるから、ことさら驚くには値しないが、ローマ人による蛮族の洗脳教育には恐れ入る。いくらローマ軍の騎兵部隊で士官になったとはいえ、フラウスは血統的に見ればゲルマン人じゃないか。自分の両親や兄弟のみならず、故郷の民衆だって仲間だろう。それなのに、自分は洗練されたローマ人の一員なのだ、と思い込んでいたのだから、人質へのローマ的教育は成功だった。でも、これを聞けば日本人だって思い当たる節がある。ただし、ゲルマン人のケースより深刻だ。例えば、英語コンプレックスに悩んだ親は、自ら進んで子供を歐米系の「インターナショナル学校」へ送り込み、国史や国語はそっちのけで英語を学ばせ、準白人に仕上げようと必死である。しかし、いくら英語が流暢になっても、西歐系アメリカ人から見れば、ちょっと上等なインド人かフィリピン人程度。日本人の魂が欠落した日本人なんてバナナと一緒だ。中身が白くても外見は黄色のアジア人に過ぎない。実際、アメリカに行けば英語を喋る朝鮮人や支那人がいっぱい居るんだぞ。だが、そんな奴らと同じになったからといって何が嬉しいのか?

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(左: 英語を話してカナダに住む支那人家族  / 右: 米国に暮らす英語が得意なフィリピン人一家 )

  ゲルマン兵を率いたアルミニウスの叛逆は、トイトブルク(Teutoburg)の森で起こった戦いで有名だから、ここでは詳細に述べない。しかし、ゲルマン人の戦闘シーンは映像にしたら「いい絵」になるんじゃないか。『ヴァイキング』が人気ドラマになったのも、その戦闘シーンで敵味方が血塗れになって乱闘を繰り広げたからだ。戦場の鬼と化したヴァイキングが、物凄い形相で鋭利な手斧を振り上げ、イギリス兵やフランス兵を惨殺するなど迫力満載である。狂気に満ちたヴァイキングは次々と敵に襲いかかり、冷酷無情にもその肉体に斧を叩きつけるのだ。冷たい刃が肉に突き刺さると、熱い鮮血がほとばしり、霧のように血飛沫が宙に舞う。命知らずの野蛮人に恐れは無い。彼らの目的はただ一つ。相手の殲滅だ。こんな相手じゃ文明国のイギリス人やフランス人は腰砕けになってしまうじゃないか。つくづく思うけど、北方種族って根っからの戦士である。

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(左: 「ヴァイキン」での戦闘シーン /  右: クラ「ディエーター」でのホアキン・フェニックス)

  こう述べれば色々な反論が湧き起こるだろうが、やはりゲルマン人の戦争は壮絶だ。厖大な予算をかけて作る映画に相応しい。ところが、アメリカの映画業界は白人から成るゲルマン社会より、黒いアフリカ人や褐色のアラブ人まで登場す雑種国家、すなわちアメリカと似通ったローマ帝國の方を好む傾向が強い。まぁ、世界市場を見据えた場合、多くの民族から支持される映画の方が儲けになるからだろう。そう言えば、アカデミー賞を授与された『グラディエーター』にも、黒人や中東アジア系の役者が起用され、現代のアメリカ社会を反映した作品になっていた。例えば、皇帝のコモドゥス役にはユダヤ人のホアキン・フェニックス(Joaquin Phenix)が起用されていたし、アフリカ系の剣闘士にはジャイモン・フンスー(Djimon Hounsou)が扮していたから、ちゃんと人種的配慮がなされていた。ただし、主役のマキシムスは白人男優のラッセル・クロウ(Russell Crowe)が演じており、彼以外の候補者として名前が挙がっていたのは、メル・ギブソンやヒュー・ジャックマンであったそうだ。おそらく、黒人俳優は対象外だったはず。もし、主役がウィル・スミス(Will Smith)とかウェズリー・スナイプス(Wesley Snipes)、ローレンス・フィシュバーン(Laurence Fishburne) じゃ銀幕が暗くなる。しかも、夜の戦闘シーンでは誰が誰なのか判らない。白い目玉と歯が浮き出ているだけじゃ四谷怪談になってしまう。

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(左: ウィル・スミス  /  ウェズリー・スナイプス/ ローレンス・フィシュバーン / 右: ラッセル・クロウ )

仲間が敵でよそ者が味方

  とにかく、ユダヤ人が牛耳るハリウッドでは、ゲルマン民族を賞讃するようなドラマは制作されないだろう。ユダヤ人は西歐諸国で安全に暮らすため、社会を様々な人種が共存する雑居状態に保たねばならぬ、と考えている。というのも、現地の白人がナショナリズムを高め、血の繋がった同族で団結すれば、「よそ者」のユダヤ人を排除したくなるからだ。異質な肉体を持つユダヤ人は、反ユダヤ主義の伝統が薄かったアメリカを絶好の穴場と考え、アングロ・サクソン系国民が結束しないよう、移民の流入を熱心に勧めていたのである。例えば、ユダヤ人が作った全米リベラル移民同盟(National Liberal Immigration  League)」や「ヘブライ移民支援協会(Hebrew Sheltering and Immigrant Aid Society / 後のHAIS)」を調べれば明らかである。しかも、ナチ・ドイツに対して恨み骨髄のユダヤ人は、映画の中で執拗に「反ドイツ主義」を盛り込んでいた。ドイツ人は救い難いレイシストで、残忍な民族である、と長年に亙り観客に刷り込んでいる。その結果、騙されやすいアメリカ人の頭には、「ナチスのドイツ人=悪魔」という単純な構図が出来上がっているのだ。

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(上 写真 /  アメリカ人が憎むゲルマン人のタイプ)

  でも、すでに戦争が終わったんだから、西歐系アメリカ人は元のドイツ贔屓に戻って、自らが犯した戦争犯罪でも悔い改める方が先だろう。なにせ、ドレスデンを空爆して無辜の女子供を虐殺し、イタリアでは負傷者や聖職者まで殺しまくったのだから当然だ。また、日本人に対しては絨毯爆撃と原爆攻撃で大量殺戮を繰り返した。元国防長官のロバート・マクナマラは、「フォッグ・オブ・ウォー(The Fog of War)」というドキュメンタリー映画に登場し、明確な戦争犯罪だったと認めていたのである。アメリカ人はユダヤ人の噂に過ぎないガス室殺人を信じているのに、証拠映像が残っている民間人の大量虐殺には関心が無い。それどころか、正当だったと言い張っている。まぁ、異人種への攻撃だから気にしないのだろうが、同種族たるドイツ人への飽くなき敵意とは異常じゃないか。ブリテン島のイギリス人やブリテン系のアメリカ人が、似通ったチュートン種族を憎み、異質な容姿を持つユダヤ人に同情を寄せているのだ。アーリア人の顔とセム人の顔を千人くらい見続ければ、いくら阿呆なアメリカ人でも両者の違いくらいは判るはずなのに、それが丸っきりできない。ハリウッド映画による洗脳は全く以て恐ろしい。

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(左と中央: アメリカ人が親しみを持つユダヤ人のタイプ  /  右: ロバート・マクナマラ)

  そうは言っても、気づいてる白人だって少しはいるだろう。ただ、それを口にすれば身の破滅だから言葉にしないのだ。公衆の面前で、「私は気持ち悪いユダヤ人なんかより、同種族のチュートン人が好き !」なんて口にしたら、たちまち各方面から非難が殺到し、職場や家庭にまで脅迫電話がかかってきたり、同僚や知人からも白い目で見られてしまう。だから、本心を隠したままの生活を選ぶしかない。アメリカにおける「言論の自由」なんて、イタチやカッパの屁と同じである。確かに存在するけど、その実態は曖昧模糊としているんだから。日本人は愚かなアメリカ人を見て、異邦人に支配された国民の悲劇を認識すべきだ。せっかくアメリカ人が危険な社会実験を行ってくれたのに、日本人はそれに感謝せず、愚かにも異民族を輸入して、自ら検証実験を行ってみようと考えている。重症の日本人には附ける薬が無い。バファリンやオロナインでも無理。拳銃を口にくわえて引き金を動かすのが一番。アメリカ人が肉体的に変質するのは彼らの勝手で、いわば自業自得である。しかし、日本人は「日本人」として存続すべきだ。

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(左:西歐系のアメリカ人女性  / 中央: 魅力的なユダヤ人女性 / 右: 人気が高いユダヤ人俳優のアダム・サンドラーが少年の頃 )

  アメリカ人は自国を超大国と思っているが、実際はイスラエルの衛星国である。政治家は選挙の度にイスラエル詣でを行っているし、毎年多額の援助金を貢いでいるのに止めることができない。自国民が健康保険さえ満足に持てないというのに、何十億ドルも献上しているんだから狂気の沙汰である。しかし、我々も笑ってはいられまい。日本政府は支那人留学生に“たんまりと”奨学金を与えた上に、卒業後は日本国籍まで贈与しているのだ。その傍らで、日本人の若者は進学費用の工面に困り、家計が苦しくなった者は中退をせざるを得ない。大学を諦めた日本人が納税し、その貴重なお金がよりにもよって支那人に渡っているんだから、これを全国の日本人が知ったら激怒するだろう。マスコミの論調を気にする日本政府は、拉致された邦人を見殺しにする一方で、北鮮人や南鮮人の生活に便宜を計っている。在日北鮮人は親子代々子々孫々、嫌いな日本に永住できるし、南鮮人は愛する祖国に送還される虞(おそれ)は無い。しかも、南鮮での選挙権を行使できるのに、我が国の政治に容喙するんだから質(タチ)の悪い連中である。さらに腹立たしいのは、日本が徴兵逃れの温床になっている事だ。だいたい、血税を払わなかった不逞鮮人が、日本国籍を取得したら愛国者になるのか? 日本人は冷静に考えてみるべきだ。

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(左: 朝鮮人の少女  /  右: 支那人の子供たち)

  もっと深刻なのは、日鮮混血児や帰化支那人の子供が増えて、日本国民の血統が変化している事である。ローマ帝國では昔ながらのローマ人が減少し、その空白をベルベル人やギリシア人、トラキア人、シリア人、フェニキア人などが埋め、ローマ軍には非ローマ人が溢れていた。首都だってイタリアからギリシアに移ってしまい、「永遠」の都だったローマは、皇帝の居ない「空き家」になってしまった。かつての帝都もゴー人やヴァンダル族に蹂躙され、挙げ句の果てに「異民族の新都心」となってしまったのだから情けない。日本もローマやアメリカになりつつある。街中で支那人や朝鮮人、フィリピン人といったアジア人が跋扈するだけではない。映画やTVドラマにも帰化鮮人や日比混血児が役者として登場し、日本社会は多民族共生社会である、とのメッセージが観客に刷り込まれてしまうのだ。いつの間にか「李」あるいは「金」、「劉」、「胡」、「鄭」といった名前を持つ俳優が普通となり、先祖代々我が国に住むネイティヴの日本人は「日系民族」に転落するだろう。将来、日本アカデミー賞が朝鮮部落をモチーフにした作品や、支那移民の生涯を描いたドキュメンタリー映画に贈られたら、一般の日系国民はどう思うのか? もしかしたらあと数十年で、「あっ、お婆ちゃんが住んでいた街のドラマだ !」とか、「お爺ちゃんの仲間が出ているよ !」と口にするアジア系の子供が増えるかも知れない。日本の歴史教科書が載せる偉人に、毛沢東や金日成が連なっていたら厭だなぁ。