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激昂するだけの民族
( 中央写真 / 日の丸を燃やす朝鮮人 )
日本人にとってアジア大陸の住民は実に迷惑な存在である。特に、支那人と朝鮮人は最も有害で、彼らが日本の近くに住んでいる事だけでも天を恨んでしまう。毎年毎年、支那からは不愉快な流民がやって来るし、彼らが傍(そば)に近寄れば虫酸が走る。しかし、その支那人に負けず劣らず、朝鮮人はしつこくって鬱陶しい。もし、図々しさを絵に描くとしたら朝鮮人が最適だ。彼らが本国で何をしようが勝手だが、売春婦の彫像を造って「日本の性奴隷」と称し、ドイツにまで設置するんだから赦せない。朝鮮人には「恥」という観念が無いんだろう。そもそも、ありもしない淫売女の悲劇を捏造し、本来なら隠したい民族の恥部を暴露するんだから正気じゃない。凱旋式なら分かるけど、如何に自分が惨めだったのかを外国に宣伝するなんて常軌を逸している。こうした傍迷惑な民族は何処かに消えてもらいたい。そこでマギー四郎にでも頼みたいところだが、たぶん茨城か群馬の営業で忙しいから、スケジュール的に無理だろう。でも、凄腕のMr.マリックに依頼するとギャラが高そうだから、引田天功に引き受けてもらうしかない。一瞬でトレーラーを消せるくらいだから、朝鮮人なら百人くらい消せるかもしれないぞ。でも、意外ととシンプルにダイナマイトを使ったりして・・・。
(左: マギー司郎 / 中央: Mr.マリック / 右: 引田天功)
日本のテレビ局は重要な課題を放送せず、どうでもいい事件ばかり垂れ流している。ついこの間までは金正男が暗殺されたと騒ぎ、最近では朴槿恵が罷免されたと驚いている。だいたい、任期満了が近づく南鮮の大統領に「悲惨な末路」が待っているのは毎度の事で、日本人の我々がいちいち慌てることじゃないだろう。朝鮮で腐敗や瀆職(とくしょく)なんか珍しくないし、誰が大統領になろうが南鮮が“まとも”な国になる訳じゃあるまい。朝鮮の混乱は三面記事で充分だ。だって、そうだろう。例えば、「シベリアで雪が降りました」とか、「猫が電柱に登って降りられなくなりました」という事件が「特ダネ」になるのか? それと同じことだ。騒ぐだけ馬鹿らしい。在日朝鮮人や帰化鮮人はこうしたニュースを聞く度に、朝鮮人の宿痾(しゅくあ)たる「民度の低さ」に辟易するだろう。多少なりとも賢い在日朝鮮人なら、早く自分の系譜を忘れたいと必死になるはずだ。
それにしても、朴槿恵が大統領の座から引き摺り降ろされたというのに、それを哀しむどころか逆に花火を上げて「祝う」国民とは、一体どんな頭をしているのか? 我々には理解不能である。もし、精神を病んだ南鮮人を治すとしたら、「花火を口にくわえてみたら」とアドバイスするのが一番だ。苦しまずに一瞬で楽になるだろう。朝鮮日報で論説委員をしている朴正薫によれば、「韓国人はみんな狂っている。まともではない」とのことだが、こんなことは子供でも知っている周知の事実。本性がバレだだけ。そもそも、南鮮が“いっちょ前”の国家になれたのは、日本人による壮大な無駄遣い、則ち日韓併合による朝鮮人の教育と天文学的設備投資、そして日韓基本条約による経済支援などがあったからで、朝鮮人だけの努力ならモザンビークかスーダン並の貧乏国がせいぜいだ。とても近代産業を擁する国家にはなっていないだろう。ソ連と支那に支配された北鮮をみれば分かるじゃないか。端っから朝鮮人に経済大国は望めないし、ましてや高度な力量を要する立憲政治は更に無理。空からダイヤモンドが降ってくる確率より低い。出来損ないの缶詰みたいな顔をぶら下げる南鮮人は、窮地に陥った大統領の失脚を喜んでいる。憎い権力者が没落すればスッキリするし、新しい大統領が決まれば明るい未来が到来する、と思っているんだから呆れて物が言えない。まことにお目出度い民族である。まぁ、こんなアホが同胞なんだから、帰化鮮人が「チョーセン」という響きを嫌うのも分かるし、日本人が心の底で「チョーセン人」と馬鹿にしたくなるのも当然だ。
(左: 警官隊と衝突する朝鮮人 / 右: デモ行進を行う朝鮮人 )
先ほどの朴論説委員が狂った南鮮人に言及していたけど、ちょっと賢い日本人なら朝鮮人の民族性に関して昔から分かっていた。例えば、カトリック教会のシャルル・ダレ(Claude Charles Dallet)神父は、朝鮮で布教活動をしたダヴリュイ(Marie-Nicolas-Antoine Daveluy)司教の資料を基にして当時の朝鮮社会を記していた。だから、それを読めば誰にでも朝鮮人の愚劣さが分かるだろう。ダレ神父は朝鮮人の民族性に触れた箇所で、彼らが客人をもてなす風習を褒めていたが、そんな長所はごく僅かで、短所を述べた部分の方が生々しくて説得力がある。彼は現在の朝鮮人にも通じる性格を述べていた。
朝鮮人は一般に、頑固で、気むずかしく、怒りっぽく、執念深い。それは、彼らがいまだ浸っている半未開性のせいである。(ダレ 『朝鮮事情』 金容権 訳 東洋文庫 平凡社 1979年 p.269)
こんにちの我々は、朝鮮人の「半未開性」と聞けば当時の貧しい朝鮮人の事と思ってしまうが、朝鮮は何年経っても未開のままである。そもそも、時代と共に朝鮮人が「進歩」すると考えること自体が間違っているのだ。日本人は開国以来、西歐文明を咀嚼(そしゃく)して自国を改善できたから、他国も努力次第で同様の発展を達成できるだろう、と安易に考えてしまう癖がある。しかし、根本的に異なるアジア諸国には困難だ。アジア人は西歐人の文化を飲み込んでも、吐いてしまうか下痢を起こすのが関の山である。日本人とは体質(constitution)が違うのだ。ダレ神父の考察は今でも色褪せることなく正しい。朝鮮人が「怒りっぽくて執念深い」のは慰安婦騒動を見れば誰にでも分かる。朝鮮人っていうのは本当にしつこく、靴底に附いた犬の糞みたいで、地面にこすりつけても中々消えることがない。
(写真 / 古き朝鮮社会の人々 )
日本人が朝鮮人を避けたがる理由の一つに、彼らの激昂しやすい性格、つまり理性のカケラも無い行動に出る点が挙げられる。何らかの屈辱で猛り狂った朝鮮人は、スイッチの壊れたチェーンソーみたいで手がつけられない。ダレ神父によると、朝鮮人の間には何らの倫理教育も行われていないし、子供が感情のコントロールができなくても懲罰を受けないので、幼子はそのまま成長するそうだ。だから、男も女も成長したとはいえ、見境の無い怒りを絶えず爆発させるようになるらしい。
この国では、ひとたび決心すると、これを証明するために、自分の指を刺し、その血で誓いを記す。怒りが爆発したりすると、人びとは不思議なほど安易に首を吊ったり、投身自殺したりする。些細な不快や、一言の蔑視、ほんのなんでもないことだが、彼らを自殺へと追いやっている。(上掲書 p.269)
本当に半島の鮮人すべてが首でも括って死んでくれれば、どれだけ幸せなことか。てるてる坊主の隣に短冊を吊して星に願いをかけたくなるだろう。これは想像だけど、神様は天地創造の際に朝鮮人用の「理性」を附け忘れたのかも知れない。冗談はさておき、朴槿恵を糾弾していた朝鮮人を思い出せば、知性が無く激情的な人間が昔から居たことが分かる。財閥と癒着した朴大統領に抗議するため、憤慨した大勢の朝鮮人が集まったという事までは理解できるが、半ば発狂した群集が警官隊と衝突した挙げ句、三名の死者が出てしまった。偶然の出来事なんだろうが、結果的に「馬鹿は死ななきゃ治らない」を実践してしまった事になる。たぶん、抗議者の中には南鮮社会に鬱積する不満を晴らすために参加した者や、みんなが集まるから「流行」で駆けつけた者もいるだろうが、朝鮮人には集団で感情を爆発させることに快感を得る民族的気質があるのかも知れない。
無謀が本能になってる朝鮮人
朝鮮人の「無謀さ」で思い出したけど、2005年、テレビの挌闘番組「PRIDE」を観ていた時のことだ。俳優の金子賢が試合をするというので驚いたことがある。初めての実戦なのに、相手は凶暴な黒人格闘家のチャールズ・“クレイジー・ホース”・ベネット(Charles “Krazy Horse” Bennett)。格闘技ファンなら「まさか、そんな」と天を仰ぐが、朝鮮人の金子氏はやる気満々だったから、筆者もその「無謀さ」に驚いたことを覚えている。(金子賢の本名は「キム・ヒョン(Kim Hyeon)」というらしい。) あんな兇暴な黒人を対戦相手にするなんて、プロモーターもあんまりじゃないか。虎と仔猫のバトルじゃないんだぞ。案の定、腕ひしぎ十字固めで惨敗。だいたい、ちょっと練習しただけの素人が、歴戦のプロに勝てる訳がないじゃないか。元横綱の曙だってK-1で散々な目に遭ったのだから、俳優が考えるほど挌闘の世界は甘くはないのだ。
(左: 金子賢 / 中央: 「クレイジー・ホース」と呼ばれるベネット / 右: 所英男)
しかし、これで懲りないのがアホな朝鮮人。金子氏は2006年、またもやプロを相手にした試合に臨んでしまったのだ。今度の対戦者は所英男(ところ・ひでお)で、舞台は「HERO'S」のリングであった。で、「結果は?」と言えば、「やはり」惨敗。金子は最初から所氏にタックルされて押さえ込まれてしまった。でも、所氏は憐憫の情があったのか、金子の顔面を肘や拳でボコボコにせず、腕十字を決めてさっさと試合を終わらせてしまったのだ。おそらく、所氏は素人を対戦相手にされて興行主に怒っていたんじゃないか。また、金子を「あてがわれた」プロの挌闘家にしてみけば、「俺をナメてるのか?」と言いたいところだろう。一方、金子は負けても幸運だった。もし、所氏が本気で鼻をへし折ったり、パンチで眼底骨折にしていたら、俳優人生はどうなっていたことか。2009年のK-1 Dynamiteでは、青木真也がアーム・ロックをかけて廣田瑞人の腕を折ってしまったのだから。あの時、廣田の関節から出た「ボキ」って鈍い音は凄かった。とにかく、どうしてこうも朝鮮人は理性が足りないのか不思議である。元プロレスラーで帰化鮮人の前田日明(まえだ・あきら)に金子が叱られたのも当然だ。
世の中には「三度目の正直」というものがあるけれど、アマチュアが飛び込むリングの上では皆無。敗戦に懲りない金子は、同年末の「K-1 Dynamite」に出場し、黒人のアンディー・オロゴンと対戦し、少しは腕を上げたようだが、判定であえなく負けてしまった。誰でも「当り前」と納得するが、我々はそこに朝鮮人の特徴を二つほど見ることができる。ひとつは、後先考えずに矢鱈と格好をつけたがるという点だ。朝鮮人はとにかく「大物」になりたがる。例えば、懐が寒くても後輩に飯を奢る先輩とか、恋人に自慢したくて中古でもいいからベンツを乗り回す見栄っ張りなどだ。彼らは意地でも朝鮮の「ヒュンダイ」なんかには乗らないだろうなぁ。(だって格好悪いもん。) もう一つは、妄想を積み上げて「現実」にしてしまう癖だ。朝鮮人は客観的な判断ができず、都合の良い状況を想定し、根拠は無くてもそれが実現すると思い込む。簡単に言えば「バカ」ということだが、悲しいけど朝鮮人にはそれを認識する能力が無い。ただし、日本で育てばその愚かさに気づくだけの知能が備わってくる。だから、朝鮮には戻りたくはないのだろう。
(左: 電動スクーター の一例 / 右: エレベーターに突撃する死亡した朝鮮人 )
朝鮮人の「愚かさ」を語る上で欠かせないのが、2010年の8月25日南鮮の大田(テジョン)で起きた事件である。場所は定かではないが、ある駅に設置されたエレベーターに中年女性が乗り込み、ボタンを押して扉を閉じた。そこへ、電動スクーターに乗った障碍者とおぼしき朝鮮人男性が滑り込もうとしたのである。しかし、ほんの少しだけ早く扉が閉まったものだから、その障碍者はエレベーターに乗ることができなかった。ところが、これに腹を立てた男性は、スクーターを勢いよく前進させ、閉まっている金属製の扉にぶつけたのだ。でも怒りが治まらなかったのか、スクーターをバックさせ、もう一度勢いよく扉に向かって突進。すると、エレベーターの扉が破損し、勢い余ったスクーターは停止せず、そのまま前進を続けてしまったのだ。激昂した男性は為す術もなく、暗いシャフト(昇降路内)の中に消えてしまった。スクーターごと前のめりに落下した男性は、「うぉぉぉ~!!!」という叫び声を上げて即死。冷たい金属音が印象的だった。興味のある方は、YouTubeのサイトを開き、「エレベーターに突っ込んで死ぬ韓国人」と検索すれば、問題の動画を観ることができる。(ただ、注意しなければならないことがあって、悲惨な事故なのに、つい笑ってしまうから後で罪悪感に苛まれてしまうかも知れないよ。)
空を飛ぶ深海魚を捜す徒労
だいぶ脱線したので話を戻す。ダレ神父は結果を考えずに復讐を果たす朝鮮人の軽率さにも触れていた。
彼らは怒りっぽいが、それと同時に、復讐心で満ちている。たとえば、五十の陰謀のうち四十九までが何人かの陰謀加担者によって事前に暴露される。これらはほとんどいつも、個人的な恨みを満足させるためのものであったり、かつての少し辛辣な言葉に対する仕返しのためであったりする。敵対する者たちの頭上に懲罰を加えることができるならば、自分が罰せられることなど、彼らにとっては何でもないのである。(pp.269-270)
朴槿恵を権力の座から引き摺り降ろすことに夢中な朝鮮人は、その後に訪れる政治的混乱と左傾化、さらに深刻な事態とも言える北朝鮮による容喙や工作を考えていないのだ。金王朝が南鮮の政界に工作員を送り込む一方で、米国は南鮮を見棄てるオプションまで考えているんだから、南鮮軍の将校は顔が青ざめてくるだろう。でも、脳天気な一般人は失墜した大統領の顔を眺めて清涼感に浸っている。朴槿恵が罷免されたことを祝して、店のドリンクを無料にした食堂があるくらいだ。最近、マンガ本すら売れなくなっているというが、朝鮮人の日常を描く漫画家が現れれば、意外なヒットが出るかも知れない。『まさちゅーせっつ』で有名な故・波南カンコとか、名作『愛の泉』を出したザビエル山田の如き人材が期待されるところだ。
(左: 日本統治時代にいた朝鮮人の幼児 / 中央: 南鮮ドラマに出てくる子供 / 右: 1950年代にいた朝鮮人の子供 )
カトリックの司祭だから嘘をつけないという訳ではなかろうが、朝鮮人の民族性を語るダレ神父は非常に正直だった。彼は各地に住む朝鮮人の性格について書いている。例えば、平安道の人は他の道に住む人より屈強で、粗野な上に性格が激しい、と述べていた。(p.275) 黄海道の者は狭量で、視野の狭い性格として知られていたらしい。彼らは欲深く、信義が無いと非難されていた。翻って、京機道、つまりソウルの人々は、軽薄で節操がなく、奢侈と快楽に耽るらしい。朝鮮人の野心、強欲、浪費、豪奢などに当て嵌まるのは、まさしく彼らであるという。全羅道の民は他の朝鮮人から、下品で偽善的、狡猾なうえに自己の利益しか求めず、利得のためなら醜悪な背反行為も辞さない連中と目されていたそうだ。(p.276) 現在の朝鮮人も同じだから、朝鮮人というのは自国の「伝統」を忠実に守る民族なんだろう。それにしても、こうした欠点を縷縷(るる)述べているということは、ダレ神父も相当あの朝鮮人たちに手を焼いたのかも知れない。日本に来たルイス・フロイスや聖フランチェスコ・ザビエルは、布教には成功しなかったものの、素直で賢い子供や慎み深い女性、立派な武士に逢えたから幸せだった。例えば、フロイスは日本の子供について書いている。
ヨーロッパの子供は青年になってもなお口上(レガード)ひとつ伝えることができない。日本の子供は十歳でも、それを伝える判断と思慮において、五十歳にも見られる。(ルイス・フロイス 『ヨーロッパ文化と日本文化』 岡田章雄 訳註 岩波文庫 1991年 p.65)
またフロイスは次の様にも褒めていた。
われわれの子供はその立居振舞に落ち着きがなく優雅を重んじない。日本の子供はその点非常に完全で、全く賞讃に値する。(上掲書 p.66)
まぁ、朝鮮人を評するに当たって日本人と比較するのは酷であろう。社会の基盤や人間の質が雲泥の差なんだから、ゴミ溜めにうずくまる賤民と武勲に輝く英雄を比べるようなものだ。朝鮮には立派な人物などほとんどいなくて、悪党ばかりが目立つ。筆者は拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』で、朝鮮人の「前科者カードは偉人伝」(p.217)と述べたが、我が国に潜り込んだ朝鮮人を調べてみれば、あながち暴言とは思えまい。朝鮮人が「英雄」とか「偉人」とみなす人物は、拳銃や爆弾を用いたテロリスト、警察官を襲撃する「ならず者」、婦女強姦を得意にするゴロツキ、麻薬密輸を行うヤクザ、庶民から嫌われる博徒など、立派な朝鮮人なんてまずお目に懸かることができない。ちようど「空を飛ぶ深海魚」を捜すのと似ている。朝鮮学校を「卒業」した優等生が就く職業なんて、パチンコやの店員か朝鮮料理店の給仕くらいなものだろう。もっとも、朝鮮総聯の幹部候補生なら別だけど。だって、暴力団との交渉役とか、密輸船の指揮官になれるんだから、憧れの的である。
( 左: 日本で工作活動をしていた辛光洙 / 中央: 密入国者で賭博業者の韓昌祐 / 右: 皇太子殿下暗殺を謀ったアナーキストの朴烈)
日本のテレビ局は我々がどうすることも出来ない朝鮮人の問題を毎日のように取り上げているが、韓国の大統領を選ぶのは南鮮人で日本人ではない。次の大統領が誰になろうが、日本人は朝鮮人を冷たく突き放し、お金を一切渡さず、助け船も控えて深入りせぬ事だ。ただし、南鮮が北鮮に併合される事態も予想されるから、国家の防衛を強化すべきである。何度も過ちを繰り返す朝鮮人というのは、エレベーター・シャフトに落ちた男のように「救いようのない愚者」である。アニメ『フランダースの犬』では、絵画の前で亡くなったネロを天使が抱きかかえて天国に連れて行ってくれるけど、朝鮮人が死んだら優しい天使でも知らぬ顔を決め込んでソッポを向くだろう。いくら天使だって好き嫌いがある。たぶん、神様に仕える妖精だって、栃木県の宇都宮か佐野で開かれるマギー四郎のマジック・ショーの方が面白いから、朝鮮人のピンチに駆けつけるような事はないだろう。だいいち、ニンニク臭い朝鮮人の息だと鼻が曲がってしまうじゃないか。それより名物の餃子やラーメンの方がいい。(『ドラゴンボール超』を観ている人は、たぶん分かるよねぇ。良い子へのヒント。「ビルス様の師匠」を思い出してね。)
(左: 激昂する朝鮮人の抗議者 / 右: 幸せな頃の朴槿恵 )
朝鮮の社会は昼間でも暗い煉獄だから、日本人は朝鮮人に生まれなくて良かったと神様に感謝すべきだ。とにかく、大統領の椅子から転げ落ちた朴槿恵の運命がどうなるか分からないけど、平穏な余生を期待できるとは思えないから、何らかの罪状を問われて法廷に引き摺り出されるんじゃないか。朝鮮では「ポケモンGO!」じゃなくて「牢屋へGO !」だから怖い。一般人になった朴槿恵は毎日、戦々恐々とした気分だろう。もしかしたら、報復を恐れてどこかに亡命するかもね。でも、仮に日本を亡命先に選んだら、ピシャリと国境の門を閉ざすべきだ。それでも亡命を望むなら、愛しい「竹島」にでも幽閉してやれ。ちょうど南鮮人の警備隊が暇を持て余しているから名案だろう。冗談みたいだが、「独島」の名物が韓国の元大統領なんて、なかなか乙(おつ)じゃないか。でも、「アイゴぉぉぉ~」と泣く声は釜山に届くのかなぁ。
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激昂するだけの民族
( 中央写真 / 日の丸を燃やす朝鮮人 )
日本人にとってアジア大陸の住民は実に迷惑な存在である。特に、支那人と朝鮮人は最も有害で、彼らが日本の近くに住んでいる事だけでも天を恨んでしまう。毎年毎年、支那からは不愉快な流民がやって来るし、彼らが傍(そば)に近寄れば虫酸が走る。しかし、その支那人に負けず劣らず、朝鮮人はしつこくって鬱陶しい。もし、図々しさを絵に描くとしたら朝鮮人が最適だ。彼らが本国で何をしようが勝手だが、売春婦の彫像を造って「日本の性奴隷」と称し、ドイツにまで設置するんだから赦せない。朝鮮人には「恥」という観念が無いんだろう。そもそも、ありもしない淫売女の悲劇を捏造し、本来なら隠したい民族の恥部を暴露するんだから正気じゃない。凱旋式なら分かるけど、如何に自分が惨めだったのかを外国に宣伝するなんて常軌を逸している。こうした傍迷惑な民族は何処かに消えてもらいたい。そこでマギー四郎にでも頼みたいところだが、たぶん茨城か群馬の営業で忙しいから、スケジュール的に無理だろう。でも、凄腕のMr.マリックに依頼するとギャラが高そうだから、引田天功に引き受けてもらうしかない。一瞬でトレーラーを消せるくらいだから、朝鮮人なら百人くらい消せるかもしれないぞ。でも、意外ととシンプルにダイナマイトを使ったりして・・・。
(左: マギー司郎 / 中央: Mr.マリック / 右: 引田天功)
日本のテレビ局は重要な課題を放送せず、どうでもいい事件ばかり垂れ流している。ついこの間までは金正男が暗殺されたと騒ぎ、最近では朴槿恵が罷免されたと驚いている。だいたい、任期満了が近づく南鮮の大統領に「悲惨な末路」が待っているのは毎度の事で、日本人の我々がいちいち慌てることじゃないだろう。朝鮮で腐敗や瀆職(とくしょく)なんか珍しくないし、誰が大統領になろうが南鮮が“まとも”な国になる訳じゃあるまい。朝鮮の混乱は三面記事で充分だ。だって、そうだろう。例えば、「シベリアで雪が降りました」とか、「猫が電柱に登って降りられなくなりました」という事件が「特ダネ」になるのか? それと同じことだ。騒ぐだけ馬鹿らしい。在日朝鮮人や帰化鮮人はこうしたニュースを聞く度に、朝鮮人の宿痾(しゅくあ)たる「民度の低さ」に辟易するだろう。多少なりとも賢い在日朝鮮人なら、早く自分の系譜を忘れたいと必死になるはずだ。
それにしても、朴槿恵が大統領の座から引き摺り降ろされたというのに、それを哀しむどころか逆に花火を上げて「祝う」国民とは、一体どんな頭をしているのか? 我々には理解不能である。もし、精神を病んだ南鮮人を治すとしたら、「花火を口にくわえてみたら」とアドバイスするのが一番だ。苦しまずに一瞬で楽になるだろう。朝鮮日報で論説委員をしている朴正薫によれば、「韓国人はみんな狂っている。まともではない」とのことだが、こんなことは子供でも知っている周知の事実。本性がバレだだけ。そもそも、南鮮が“いっちょ前”の国家になれたのは、日本人による壮大な無駄遣い、則ち日韓併合による朝鮮人の教育と天文学的設備投資、そして日韓基本条約による経済支援などがあったからで、朝鮮人だけの努力ならモザンビークかスーダン並の貧乏国がせいぜいだ。とても近代産業を擁する国家にはなっていないだろう。ソ連と支那に支配された北鮮をみれば分かるじゃないか。端っから朝鮮人に経済大国は望めないし、ましてや高度な力量を要する立憲政治は更に無理。空からダイヤモンドが降ってくる確率より低い。出来損ないの缶詰みたいな顔をぶら下げる南鮮人は、窮地に陥った大統領の失脚を喜んでいる。憎い権力者が没落すればスッキリするし、新しい大統領が決まれば明るい未来が到来する、と思っているんだから呆れて物が言えない。まことにお目出度い民族である。まぁ、こんなアホが同胞なんだから、帰化鮮人が「チョーセン」という響きを嫌うのも分かるし、日本人が心の底で「チョーセン人」と馬鹿にしたくなるのも当然だ。
(左: 警官隊と衝突する朝鮮人 / 右: デモ行進を行う朝鮮人 )
先ほどの朴論説委員が狂った南鮮人に言及していたけど、ちょっと賢い日本人なら朝鮮人の民族性に関して昔から分かっていた。例えば、カトリック教会のシャルル・ダレ(Claude Charles Dallet)神父は、朝鮮で布教活動をしたダヴリュイ(Marie-Nicolas-Antoine Daveluy)司教の資料を基にして当時の朝鮮社会を記していた。だから、それを読めば誰にでも朝鮮人の愚劣さが分かるだろう。ダレ神父は朝鮮人の民族性に触れた箇所で、彼らが客人をもてなす風習を褒めていたが、そんな長所はごく僅かで、短所を述べた部分の方が生々しくて説得力がある。彼は現在の朝鮮人にも通じる性格を述べていた。
朝鮮人は一般に、頑固で、気むずかしく、怒りっぽく、執念深い。それは、彼らがいまだ浸っている半未開性のせいである。(ダレ 『朝鮮事情』 金容権 訳 東洋文庫 平凡社 1979年 p.269)
こんにちの我々は、朝鮮人の「半未開性」と聞けば当時の貧しい朝鮮人の事と思ってしまうが、朝鮮は何年経っても未開のままである。そもそも、時代と共に朝鮮人が「進歩」すると考えること自体が間違っているのだ。日本人は開国以来、西歐文明を咀嚼(そしゃく)して自国を改善できたから、他国も努力次第で同様の発展を達成できるだろう、と安易に考えてしまう癖がある。しかし、根本的に異なるアジア諸国には困難だ。アジア人は西歐人の文化を飲み込んでも、吐いてしまうか下痢を起こすのが関の山である。日本人とは体質(constitution)が違うのだ。ダレ神父の考察は今でも色褪せることなく正しい。朝鮮人が「怒りっぽくて執念深い」のは慰安婦騒動を見れば誰にでも分かる。朝鮮人っていうのは本当にしつこく、靴底に附いた犬の糞みたいで、地面にこすりつけても中々消えることがない。
(写真 / 古き朝鮮社会の人々 )
日本人が朝鮮人を避けたがる理由の一つに、彼らの激昂しやすい性格、つまり理性のカケラも無い行動に出る点が挙げられる。何らかの屈辱で猛り狂った朝鮮人は、スイッチの壊れたチェーンソーみたいで手がつけられない。ダレ神父によると、朝鮮人の間には何らの倫理教育も行われていないし、子供が感情のコントロールができなくても懲罰を受けないので、幼子はそのまま成長するそうだ。だから、男も女も成長したとはいえ、見境の無い怒りを絶えず爆発させるようになるらしい。
この国では、ひとたび決心すると、これを証明するために、自分の指を刺し、その血で誓いを記す。怒りが爆発したりすると、人びとは不思議なほど安易に首を吊ったり、投身自殺したりする。些細な不快や、一言の蔑視、ほんのなんでもないことだが、彼らを自殺へと追いやっている。(上掲書 p.269)
本当に半島の鮮人すべてが首でも括って死んでくれれば、どれだけ幸せなことか。てるてる坊主の隣に短冊を吊して星に願いをかけたくなるだろう。これは想像だけど、神様は天地創造の際に朝鮮人用の「理性」を附け忘れたのかも知れない。冗談はさておき、朴槿恵を糾弾していた朝鮮人を思い出せば、知性が無く激情的な人間が昔から居たことが分かる。財閥と癒着した朴大統領に抗議するため、憤慨した大勢の朝鮮人が集まったという事までは理解できるが、半ば発狂した群集が警官隊と衝突した挙げ句、三名の死者が出てしまった。偶然の出来事なんだろうが、結果的に「馬鹿は死ななきゃ治らない」を実践してしまった事になる。たぶん、抗議者の中には南鮮社会に鬱積する不満を晴らすために参加した者や、みんなが集まるから「流行」で駆けつけた者もいるだろうが、朝鮮人には集団で感情を爆発させることに快感を得る民族的気質があるのかも知れない。
無謀が本能になってる朝鮮人
朝鮮人の「無謀さ」で思い出したけど、2005年、テレビの挌闘番組「PRIDE」を観ていた時のことだ。俳優の金子賢が試合をするというので驚いたことがある。初めての実戦なのに、相手は凶暴な黒人格闘家のチャールズ・“クレイジー・ホース”・ベネット(Charles “Krazy Horse” Bennett)。格闘技ファンなら「まさか、そんな」と天を仰ぐが、朝鮮人の金子氏はやる気満々だったから、筆者もその「無謀さ」に驚いたことを覚えている。(金子賢の本名は「キム・ヒョン(Kim Hyeon)」というらしい。) あんな兇暴な黒人を対戦相手にするなんて、プロモーターもあんまりじゃないか。虎と仔猫のバトルじゃないんだぞ。案の定、腕ひしぎ十字固めで惨敗。だいたい、ちょっと練習しただけの素人が、歴戦のプロに勝てる訳がないじゃないか。元横綱の曙だってK-1で散々な目に遭ったのだから、俳優が考えるほど挌闘の世界は甘くはないのだ。
(左: 金子賢 / 中央: 「クレイジー・ホース」と呼ばれるベネット / 右: 所英男)
しかし、これで懲りないのがアホな朝鮮人。金子氏は2006年、またもやプロを相手にした試合に臨んでしまったのだ。今度の対戦者は所英男(ところ・ひでお)で、舞台は「HERO'S」のリングであった。で、「結果は?」と言えば、「やはり」惨敗。金子は最初から所氏にタックルされて押さえ込まれてしまった。でも、所氏は憐憫の情があったのか、金子の顔面を肘や拳でボコボコにせず、腕十字を決めてさっさと試合を終わらせてしまったのだ。おそらく、所氏は素人を対戦相手にされて興行主に怒っていたんじゃないか。また、金子を「あてがわれた」プロの挌闘家にしてみけば、「俺をナメてるのか?」と言いたいところだろう。一方、金子は負けても幸運だった。もし、所氏が本気で鼻をへし折ったり、パンチで眼底骨折にしていたら、俳優人生はどうなっていたことか。2009年のK-1 Dynamiteでは、青木真也がアーム・ロックをかけて廣田瑞人の腕を折ってしまったのだから。あの時、廣田の関節から出た「ボキ」って鈍い音は凄かった。とにかく、どうしてこうも朝鮮人は理性が足りないのか不思議である。元プロレスラーで帰化鮮人の前田日明(まえだ・あきら)に金子が叱られたのも当然だ。
世の中には「三度目の正直」というものがあるけれど、アマチュアが飛び込むリングの上では皆無。敗戦に懲りない金子は、同年末の「K-1 Dynamite」に出場し、黒人のアンディー・オロゴンと対戦し、少しは腕を上げたようだが、判定であえなく負けてしまった。誰でも「当り前」と納得するが、我々はそこに朝鮮人の特徴を二つほど見ることができる。ひとつは、後先考えずに矢鱈と格好をつけたがるという点だ。朝鮮人はとにかく「大物」になりたがる。例えば、懐が寒くても後輩に飯を奢る先輩とか、恋人に自慢したくて中古でもいいからベンツを乗り回す見栄っ張りなどだ。彼らは意地でも朝鮮の「ヒュンダイ」なんかには乗らないだろうなぁ。(だって格好悪いもん。) もう一つは、妄想を積み上げて「現実」にしてしまう癖だ。朝鮮人は客観的な判断ができず、都合の良い状況を想定し、根拠は無くてもそれが実現すると思い込む。簡単に言えば「バカ」ということだが、悲しいけど朝鮮人にはそれを認識する能力が無い。ただし、日本で育てばその愚かさに気づくだけの知能が備わってくる。だから、朝鮮には戻りたくはないのだろう。
(左: 電動スクーター の一例 / 右: エレベーターに突撃する死亡した朝鮮人 )
朝鮮人の「愚かさ」を語る上で欠かせないのが、2010年の8月25日南鮮の大田(テジョン)で起きた事件である。場所は定かではないが、ある駅に設置されたエレベーターに中年女性が乗り込み、ボタンを押して扉を閉じた。そこへ、電動スクーターに乗った障碍者とおぼしき朝鮮人男性が滑り込もうとしたのである。しかし、ほんの少しだけ早く扉が閉まったものだから、その障碍者はエレベーターに乗ることができなかった。ところが、これに腹を立てた男性は、スクーターを勢いよく前進させ、閉まっている金属製の扉にぶつけたのだ。でも怒りが治まらなかったのか、スクーターをバックさせ、もう一度勢いよく扉に向かって突進。すると、エレベーターの扉が破損し、勢い余ったスクーターは停止せず、そのまま前進を続けてしまったのだ。激昂した男性は為す術もなく、暗いシャフト(昇降路内)の中に消えてしまった。スクーターごと前のめりに落下した男性は、「うぉぉぉ~!!!」という叫び声を上げて即死。冷たい金属音が印象的だった。興味のある方は、YouTubeのサイトを開き、「エレベーターに突っ込んで死ぬ韓国人」と検索すれば、問題の動画を観ることができる。(ただ、注意しなければならないことがあって、悲惨な事故なのに、つい笑ってしまうから後で罪悪感に苛まれてしまうかも知れないよ。)
空を飛ぶ深海魚を捜す徒労
だいぶ脱線したので話を戻す。ダレ神父は結果を考えずに復讐を果たす朝鮮人の軽率さにも触れていた。
彼らは怒りっぽいが、それと同時に、復讐心で満ちている。たとえば、五十の陰謀のうち四十九までが何人かの陰謀加担者によって事前に暴露される。これらはほとんどいつも、個人的な恨みを満足させるためのものであったり、かつての少し辛辣な言葉に対する仕返しのためであったりする。敵対する者たちの頭上に懲罰を加えることができるならば、自分が罰せられることなど、彼らにとっては何でもないのである。(pp.269-270)
朴槿恵を権力の座から引き摺り降ろすことに夢中な朝鮮人は、その後に訪れる政治的混乱と左傾化、さらに深刻な事態とも言える北朝鮮による容喙や工作を考えていないのだ。金王朝が南鮮の政界に工作員を送り込む一方で、米国は南鮮を見棄てるオプションまで考えているんだから、南鮮軍の将校は顔が青ざめてくるだろう。でも、脳天気な一般人は失墜した大統領の顔を眺めて清涼感に浸っている。朴槿恵が罷免されたことを祝して、店のドリンクを無料にした食堂があるくらいだ。最近、マンガ本すら売れなくなっているというが、朝鮮人の日常を描く漫画家が現れれば、意外なヒットが出るかも知れない。『まさちゅーせっつ』で有名な故・波南カンコとか、名作『愛の泉』を出したザビエル山田の如き人材が期待されるところだ。
(左: 日本統治時代にいた朝鮮人の幼児 / 中央: 南鮮ドラマに出てくる子供 / 右: 1950年代にいた朝鮮人の子供 )
カトリックの司祭だから嘘をつけないという訳ではなかろうが、朝鮮人の民族性を語るダレ神父は非常に正直だった。彼は各地に住む朝鮮人の性格について書いている。例えば、平安道の人は他の道に住む人より屈強で、粗野な上に性格が激しい、と述べていた。(p.275) 黄海道の者は狭量で、視野の狭い性格として知られていたらしい。彼らは欲深く、信義が無いと非難されていた。翻って、京機道、つまりソウルの人々は、軽薄で節操がなく、奢侈と快楽に耽るらしい。朝鮮人の野心、強欲、浪費、豪奢などに当て嵌まるのは、まさしく彼らであるという。全羅道の民は他の朝鮮人から、下品で偽善的、狡猾なうえに自己の利益しか求めず、利得のためなら醜悪な背反行為も辞さない連中と目されていたそうだ。(p.276) 現在の朝鮮人も同じだから、朝鮮人というのは自国の「伝統」を忠実に守る民族なんだろう。それにしても、こうした欠点を縷縷(るる)述べているということは、ダレ神父も相当あの朝鮮人たちに手を焼いたのかも知れない。日本に来たルイス・フロイスや聖フランチェスコ・ザビエルは、布教には成功しなかったものの、素直で賢い子供や慎み深い女性、立派な武士に逢えたから幸せだった。例えば、フロイスは日本の子供について書いている。
ヨーロッパの子供は青年になってもなお口上(レガード)ひとつ伝えることができない。日本の子供は十歳でも、それを伝える判断と思慮において、五十歳にも見られる。(ルイス・フロイス 『ヨーロッパ文化と日本文化』 岡田章雄 訳註 岩波文庫 1991年 p.65)
またフロイスは次の様にも褒めていた。
われわれの子供はその立居振舞に落ち着きがなく優雅を重んじない。日本の子供はその点非常に完全で、全く賞讃に値する。(上掲書 p.66)
まぁ、朝鮮人を評するに当たって日本人と比較するのは酷であろう。社会の基盤や人間の質が雲泥の差なんだから、ゴミ溜めにうずくまる賤民と武勲に輝く英雄を比べるようなものだ。朝鮮には立派な人物などほとんどいなくて、悪党ばかりが目立つ。筆者は拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』で、朝鮮人の「前科者カードは偉人伝」(p.217)と述べたが、我が国に潜り込んだ朝鮮人を調べてみれば、あながち暴言とは思えまい。朝鮮人が「英雄」とか「偉人」とみなす人物は、拳銃や爆弾を用いたテロリスト、警察官を襲撃する「ならず者」、婦女強姦を得意にするゴロツキ、麻薬密輸を行うヤクザ、庶民から嫌われる博徒など、立派な朝鮮人なんてまずお目に懸かることができない。ちようど「空を飛ぶ深海魚」を捜すのと似ている。朝鮮学校を「卒業」した優等生が就く職業なんて、パチンコやの店員か朝鮮料理店の給仕くらいなものだろう。もっとも、朝鮮総聯の幹部候補生なら別だけど。だって、暴力団との交渉役とか、密輸船の指揮官になれるんだから、憧れの的である。
( 左: 日本で工作活動をしていた辛光洙 / 中央: 密入国者で賭博業者の韓昌祐 / 右: 皇太子殿下暗殺を謀ったアナーキストの朴烈)
日本のテレビ局は我々がどうすることも出来ない朝鮮人の問題を毎日のように取り上げているが、韓国の大統領を選ぶのは南鮮人で日本人ではない。次の大統領が誰になろうが、日本人は朝鮮人を冷たく突き放し、お金を一切渡さず、助け船も控えて深入りせぬ事だ。ただし、南鮮が北鮮に併合される事態も予想されるから、国家の防衛を強化すべきである。何度も過ちを繰り返す朝鮮人というのは、エレベーター・シャフトに落ちた男のように「救いようのない愚者」である。アニメ『フランダースの犬』では、絵画の前で亡くなったネロを天使が抱きかかえて天国に連れて行ってくれるけど、朝鮮人が死んだら優しい天使でも知らぬ顔を決め込んでソッポを向くだろう。いくら天使だって好き嫌いがある。たぶん、神様に仕える妖精だって、栃木県の宇都宮か佐野で開かれるマギー四郎のマジック・ショーの方が面白いから、朝鮮人のピンチに駆けつけるような事はないだろう。だいいち、ニンニク臭い朝鮮人の息だと鼻が曲がってしまうじゃないか。それより名物の餃子やラーメンの方がいい。(『ドラゴンボール超』を観ている人は、たぶん分かるよねぇ。良い子へのヒント。「ビルス様の師匠」を思い出してね。)
(左: 激昂する朝鮮人の抗議者 / 右: 幸せな頃の朴槿恵 )
朝鮮の社会は昼間でも暗い煉獄だから、日本人は朝鮮人に生まれなくて良かったと神様に感謝すべきだ。とにかく、大統領の椅子から転げ落ちた朴槿恵の運命がどうなるか分からないけど、平穏な余生を期待できるとは思えないから、何らかの罪状を問われて法廷に引き摺り出されるんじゃないか。朝鮮では「ポケモンGO!」じゃなくて「牢屋へGO !」だから怖い。一般人になった朴槿恵は毎日、戦々恐々とした気分だろう。もしかしたら、報復を恐れてどこかに亡命するかもね。でも、仮に日本を亡命先に選んだら、ピシャリと国境の門を閉ざすべきだ。それでも亡命を望むなら、愛しい「竹島」にでも幽閉してやれ。ちょうど南鮮人の警備隊が暇を持て余しているから名案だろう。冗談みたいだが、「独島」の名物が韓国の元大統領なんて、なかなか乙(おつ)じゃないか。でも、「アイゴぉぉぉ~」と泣く声は釜山に届くのかなぁ。
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森友が理想とする戦前日本の教育、道徳など志那朝鮮儒教以外の何者でもない。
日本古来の伝統でもなんでもない。
奈良平安、鎌倉室町の日本にそんなものなかった。
いい加減気付けよ。
『志那朝鮮が嫌いなヤツに限つて日本を志那朝鮮にしようとしている。」ことに。
ところで志那朝鮮を日本から120バーセント一掃する
完璧な方法がある。
ダグラスマッカーサ一様だよ!!
マック様に頂いた憲法は正真正銘、アングロサクソン白人さまが純粋120バーセントお造りになったものである。
正真正銘、完璧な白人憲法をもつ、我々戦後日本人は、この白人憲法を一字一句改正することなく(憲法改正は白人憲法の儒教化、志那朝鮮化である。)、信奉、死守することにより、志那朝鮮臭を完璧に一掃出来るのである。