教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房






黒人が家にやって来た!

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(左: ブリット・ロバートソン  / 右: マッケンナ・グレイス )

  日本人には国家意識が無い。国防軍の創設どころか、国民の質に興味が無いからだ。日本国民が遺伝子組み換えの種子に警戒心が足りないのも当然で、人間の精子に関心が薄いんだからしようがない。現在だと朝鮮人や支那人の種はもちろんのこと、日本国民が保存する「遺伝子プール」に、フィリピン人からタイ人、インド人、クルド人、アフリカ人まで、実に様々な民族の種が紛れ込んでのだ。以前なら考えられぬことだが、インドネシア人やトルコ人と交際・結婚する日本人女性がいる。もしかして、イスラム教に改宗したのか、頭にベールをまとって街を歩いている女性までいるのだ。そうなれば当然、生まれてくる赤ん坊は亭主の遺伝子を受け継いでいるし、イスラム教の信仰と誡律で育つ可能性が高い。一方、アフリカ人と結婚した女性から生まれる子供は色黒となるだろう。単に肌が黒いというだけでなく、人相もアフリカ人的となるのだ。もっとも、日焼け防止クリームを塗らなくて済むから経済的なのかも知れないが。

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(写真  /  ハリウッドで獲物にされる女性のタイプ)

  アメリカから浸透するグローバリズムの潮流は、映像や娯楽に乗って運ばれてくる。「人種混淆は善」というハリウッドの津波は、歐米諸国のみならず、我が国にも押し寄せている。1950年代くらいまでは白人国家だったアメリカは、文化破壊型のマルクス主義によって雑種国家に造り替えられてしまった。本を読まないアメリカ人でも映画だけは毎週のように観るから、知らず知らずのうちに、異人種との性交に対する抵抗感が薄くなって行ったのだろう。ハリウッドのユダヤ人は「リアリティー・ショー」などで、頻りに白人女性と黒人男性とのロマンスを焚きつけるが、その結果までは映像で見せない。アホな白人娘たちは、黒人の精子で生まれてくる赤ん坊が、自分と異なる人種として誕生することに気がついていないのだ。両親や祖父母、曾祖父母から受け継いだ遺伝子に、アフリカ黒人の遺伝子を混ぜ込んで、別系統の子孫を残すことに頭が回らないのだろう。

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(写真  / 右: 理想的な男性とされるアフリカ人とアジア人 )

  こうした風潮を助長する映画の一つに、エディー・マーフィー(Eddie Murphy)主演の『ミスター・チャーチ(Mr. Church)』がある。スランプ続きの元人気コメディアン、エディーが心温まるヒューマン・ドラマに挑戦したわけだが、これがまた滑稽というか“うんざり”するような作品なのだ。ちょっとだけストーリーを紹介したい。

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(左: エディー・マーフィー  /  右: 映画の中でシャーロットを抱きしめるエディー)

  このドラマは、ある黒人男性と母子家庭の間に芽生えた「友情」をモチーフにしている。その友情はエディー扮するヘンリー・ジョセフ・チャーチという「家政夫(?)」が、マリー(ナターシャ・マッケルホーン / Natascha McElhone)の家庭にやって来るところから始まるのだ。彼女は以前、既婚者のリチャードと不倫関係となってしまったという。しかし、この姦通相手は不運にも亡くなってしまった。だが、裕福だったリチャードは生前、シングル・マザーであるマリーの為にと、料理人を雇っていたのである。リチャードは死ぬ前に手筈を整えていたということだ。という訳で、ある日突然、黒人の派遣料理人チャーチがマリーの家に現れたのである。

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(左: ナターシャ・マッケルホーン  / 右: マッケンナ・グレイス )

  乳癌で余命半年と宣告されていたマリーは、助け船としてチャーチを迎え入れるが、娘のシャーロット(ナタリー・コクリン / Natalie Coughlin)は、この料理人を受け容れる事ができない。まだ、10代の少女は彼が作る料理も好きにはなれず、自宅に居坐る黒人に反撥を感じていたのだ。学校に行った彼女は、友達の前で「私の家には新たな料理人がいるの! しかも、彼は黒人よ!!」と驚くべき内情を打ち明けていた。しかし、学校のみんなは関心が無い。たとえあっても、驚いたりしては人種差別になるから、無視することが一番。

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(左: 幼少期のシャーロットを演じたナタリー・コクリン  /  中央: 成長したシャーロットを演じたブリット・ロバートソン   /  右: 母親を演じたナターシャ・マッケルホーン )

  不治の病を患っていたマリーだが、奇蹟的に六年間も命を伸ばすことができた。最初、半年の契約だったチャーチも、引き続き料理人として一家と共に過ごすこととなり、シャーロットも親しくなっていた。母の病気が不安でならないシャーロットは、チャーチと話していた方が安心するからだ。しかし、マリーの終焉も近づいてきた。シャーロットがプロム(卒業時のダンス・パーティー)を迎えると、マリーの寿命が尽きてしまったのだ。孤児となったシャーロットはボストン大学に通いたいが、経済的余裕が無い。すると、チャーチが5千ドルの入った封筒を彼女に渡したのだ。実は、チャーチが長いことクーポン券を利用してお金を貯めていたのだ。

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(左: 映画でのシーン。シャーロット やイジーと一緒のチャーチ /  右: 店内でくつろぐチャーチ)

  大学に入ったシャーロットは無事に学業を修めるのか、と思いきや、男子学生と昵懇になって未婚の妊婦になっていた。身籠もって帰ってきたシャーロットは住む場所も無い。そこでシャーロットはチャーチの自宅を訪ね、一緒に暮らしてくれるよう頼んだ。すると、チャーチは自分の私生活に干渉しないことを条件に、彼女を住まわせることにした。ただ不思議で堪らないのは、彼に謎が多く、シャーロットには彼が一体どんな生活をしているのか判らい点だった。チャーチはジェリーズ・カフェ(Jelly's Cafe)という店に通っているみたいだが、彼は何をしているのか語ろうとはしないのだ。ただ、店の人と口喧嘩をしたことくらいしか分からない。どうやら、チャーチはジャズが好きなようだが、どうしたことか、シャーロットには詳しく話そうとしなかった。

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(左と右: マッケンナ・グレイス   /    中央: エディーとマッケンナ )

  妊娠したシャーロットは無事女の子を出産し、「イジー(Izzy)」と名づけられた。同居人のチャーチは、さながら父親かお爺ちゃんのようになっていた。こうして幸せな家族を持ったシャーロットは仕事を見つけ、ウェイトレスの職に就く。しかし、こうした日々も長くは続かなかった。五年後、チャーチが病に冒されてしまったのだ。心臓が肥大化したことで、チャーチは還らぬ人となってしまったのだ。彼が亡くなったあと、シャーロットはジェリーズ・カフェを訪れてみた。彼女が店の主人にチャーリーの事を尋ねると、彼の職業が判明したのである。実は、ジャズ・ピアニストであったのだ。物語はシャーロットがチャーリーの回想を記すシーンで幕を閉じることになった。

白人家庭に住む場違いの召使い

  まぁ、ざっとこんな粗筋で、映画の興行成績は惨憺たるものであったらしい。監督はモーガン・フリーマンの『ドライヴィングMissデイジー』や、アシュリー・ジャッド主演の『ダブル・ジョパディー』を手掛けたブルース・ベレフォード(Bruce Beresford)であるが、今のところ日本での公開はなさそうだ。この作品が目指したものは、チャーチとシャーロット一家を描いた心温まるヒュマン・ドラマなんだろうが、全体的にまどろっこしく、どうもスッキリしない箇所が多い。例えば、物語はチャーリーが自分の私生活や職業をなぜ曖昧なままにしているのか、という疑問に答えていないし、ジェリーズ・カフェで何が起こったのかの説明も無いのだ。これでは観ている方にストレスがたまってしまい、未消化のままラスト・シーンを迎える事になる。原作者のスーザン・マクマーティン(Susan McMartin)や監督のベレフォードも分かっていたはずなのに、映画のプロットをぼかしていたのだ。評論家や観客から「駄作」の烙印を押されても当然だろう。

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(左: ブルース・ベレスフォード  / 中央: スーザン・マクマーティン  /  右: スーザンとエディー)

  ある評論家によれば、チャーチの秘密はその職業ではなく、彼が属していた店にあったというのだ。なるほど、彼はジャズ・ピアニストであったが、それをシャーロットに隠さねばならぬ理由はどこにもない。どうして彼女に伏せねばならなかったか、といえば、あのカフェがゲイの集まる店であったからだ。映画の中で、店に居るチャーチが酔っ払って、親爺と喧嘩になり、「俺をホモ(fag)と呼ぶんじゃねえよ!」と叫んでいたからである。これは単なる推測に過ぎないが、なぜチャーチが自分のしていることをシャーロットに内緒にしたかったのか、これで何となく解るだろう。彼が同性愛者でなくとも、ゲイの店で働いていることを、大切なシャーロットに知られたくなかったのだ。ただし、原作者のマクマーティンがはっきりさせていないので、依然として謎のままである。

Kristen West Savali 2(左  /  クリステン・ウエスト・サヴァリ)
  しばらく銀幕を遠ざかっていたエディー・マーフィーにとって、この映画は久々のカムバック作品となった訳だが、どうも嬉しくない結果に終わったようだ。それに、黒人の映画批評家にも袋叩きにあっていた。クリステン・ウエスト・サヴァリは、黒人向けのニューズ・サイトに批評を載せ、エディーとその作品を扱(こ)き下ろしていた。エディーの演じる役が、料理人だろうが運転手だろうが、彼女にとっては問題ではない。彼女にとって不満なのは、黒人男優が主役なのに、なぜ脇役のようになっているのかに腹を立てていたのだ。彼が仕える相手が白人のシングル・マザーで、友達になるのが白人娘という点がおかしい。なぜ、白人の母子家庭、しかも世帯主が病気で、それほど裕福でもないのに、高潔な黒人が使用人として雇われるのか。黒人俳優がいつも白人に劣る役どころなんて、黒人批評家には我慢がならないのだ。サヴァリはこの作品を黒人を救ってあげるリベラル白人の幻想(ファンタジー)と評していた。(Kristen West Savali, "Mr. Church : Just Another Film about a Black Man Being a Whie Woman's Servant", The Root, August 23, 2016)

  一方、白人の観客だって言いたいことはあるだろう。まず、黒人の料理人が本当に女だけの家庭に入っていけるのか、甚だ疑問である。サヴァリが第一原則に挙げていたが、黒人男性は白人にとって脅威とならないこと。いくら優しそうに見えても、黒人はいつ兇暴になるか分からないから、まず白人女性は雇わないし、たとえタダでも引き取ってもらうだろう。黒人にとっては心外だが、彼女たちには通じない。例えば、深夜の高層アパートで、たまたま白人女性がエレベーターに乗っており、そこに黒人男性が乗り込むと、大抵の女性は緊張する。目的の階に着く前に早めにエレベーターを降りようとする。ちょっと気の利いた黒人なら、下の階に行くためにエレベーターを待っていても、エレベーターのドアが開いた瞬間、白人女性一人なら、「僕は上に上がるから」と嘘をつく。なぜなら、彼女が表情に現さなくても、妙に緊張しているのが分かるからだ。

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  フィクションだから仕方ないが、キャラクターと環境の設定に無理がある。チャーチがシャーロットや娘のイジーと仲良くしているが、黒人と白人娘の私的な交流だと、何となく違和感が湧いてくるのだ。よくハリウッド映画だと、白人の女子学生が黒人のルームメイトや親友を持つ設定になっているが、現実的には白人女性が求めるルームメイトは白人だし、親しくなる友人も白人である。家族ぐるみの付き合いだって、白人カップル同士の親睦が普通なのだ。ましてや、母子家庭の白人女性が、謎だらけの黒人男性と親密になることはない。それに、イジーのような白人の幼女を連れたチャーリーが街中を歩けば、周囲の人々は誘拐犯じゃないかと疑ってしまうのだ。もし、そうじゃなくても奇異な目で見られることは確かである。

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(左と中央:  クリス・エヴァンスとマッケンナ・グレイス   / 右: エディーと実の娘シャイン  )

  エディー・マーフィーには悪いけど、もしイジーを演じたグレイス・マッケンナ(MacKenna Grace)の養父にするなら、クリス・エヴァンス(Chris Evans)の方が相応しいし、白人観客にとっても納得が行くだろう。エヴァンスは『キャプテン・アメリカ』や『ファンタスティック・フォー』で人気俳優となっているから、日本人にも馴染みがある。実を言えば、エヴァンスとグレースは『ギフテド(Gifted/ 2017年制作)』という映画で共演を果たしているのだ。作品の中では、エヴァンス演じる独身男性のフランク・アドラーが、数学の天才児である姪のメアリーを育てることになっている。つまり、『ミスター・チャーチ』では黒人が小さな白人少女のお爺ちゃん役を演じ、『ギフテド』では二枚目の白人男性が姪の養父になっていたのだ。どちらが、現実的で好ましいかは、アメリカ人じゃなくても解るだろう。

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  日本人の幼女だって、アフリカ系黒人のエディーと西歐系白人のエヴァンスを提示され、「どちらと一緒に住みたいか」と訊かれれば、圧倒的にエヴァンスを選ぶだろうし、シンジル・マザーの大人でもハンサム白人の方を選ぶに違いない。これとは関係無いけど、もし英語の個人レッスンを受ける時、日本人女性に「選択の自由」が保障されるなら、きっとエヴァンスの方に人気が集中するだろう。たとえ、両者が等しい能力を持っていても、気分的にはエヴァンスの方が良いし、もし二人っきりになれるなら、エヴァンスのような白人男性の方が断然いい。以前、有名男優のユアン・マクレガー(Ewan G. McGregor)が、大手英会話学校のテレビ宣伝に出ていた。義務教育の学校なら生徒の要望は無視されるが、民間企業だとお客様は神様となるので、お金を払ってくれる生徒に耳を傾ける。

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(左: ユアン・マクレガー  /  マイケル・クラーク・ダンカン / ローレンス・フィッシュバーン  /   右: フォレスト・ウィティカー)

      いくら人気俳優でも、教師役がフォレスト・ウィティカー(Forest Whitaker)とかウェスリー・スナイプス(Wesley Snipes)、マイケル・クラーク・ダンカン(Michael Clark Duncan)、ローレンス・フィシュバーン(Laurence Fishburne)などに廻ってくるとは思えない。日本では子供英会話スクールが流行(はや)っているが、日本人の母親がこうした黒人男性を見て、娘の家庭教師にしようとは思わないだろう。父親だって反対だ。たぶん、露骨に異を唱えないだろうが、適当な理由をこしらえて鄭重に断るだろう。人種差別という非難を受けない保証と、誰を選ぼうが勝手という自由が与えられれば、日本人は正直な行動を取れるのだが、世間には建前が根強く残っている。

黒い恋人が子供の種

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(左と中央: ペイジ・ブッチャー  /  右: エディーとペイジ)

  『ギフテド』で親子のような叔父と姪を演じたエヴァンスとグレイスは、見ていて気持ちが温かくなる。街中で一緒に歩いていても、本当の親子のように見えるし、周囲の白人だって気にしないだろう。人種の壁というものは意外と厚いものである。一般の日本人観客なら、黒人の召使いが白人家庭に入り込む設定に違和感を抱くだろう。また、その役を演じたエディー・マーフィーだって、黒人の観客から酷評がくると予想できたはずだ。でも、彼が『ミスター・チャーチ』のオファーを受け容れた理由は何なのか? 一つのヒントは、彼の私生活にあった。エディーは離婚経験者だが、新たな恋人ができて、ついには赤ん坊まで出来てしまったのだ。ところが、このお相手が、モデルのペイジ・ブッチャー(Paige Butcher)という白人女性なのである。しかも、すごいブロンド美人。エディーがぞっこんになるのも無理はない。(何となくタイガー・ウッズみたいだ。)

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(左: エディーの元妻ニコールと子供たち  / 中央: エディーの子供たち / 右: エディーと娘のブリア)

  56歳のエディーが36歳のファッション・モデルに惚れるのは解るけど、彼は既に八人も子供がいたのだ。元夫人のニコール・マーフィーとの間には、ブリア、ベラ、ゾラ、シャインという娘とマイルズという息子がいるし、スパイス・ガールのMel Bという女性との間には、エンジェルという名前の娘がいる。そして、ペイジとの間には「イジー(Izzy Oona Murphy)」という名の女の子を授かったのだ。エディーのファンなら、「あれっ、映画の中の女の子と同じ名前だ」と気づくだろう。偶然なのかもしれないが、運命的な命名である。ただし、映画のイジーとは違って、ちょっと色黒だ。でも、母親が白人なので赤ん坊が真っ黒ということはない。前妻のニコールは黒人女性だから、彼女との子供たちは黒人である。

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(左: エディーの元妻Mel B  / 中央: エディーと娘のベラ  /  右: ペイジ・ブッチャーと娘のイジー )

  エディーを見ていると、殺人容疑を掛けられ、有罪になりかけたO.J.シンプソンを思い出す。白人美女を手に入れたO.J.は必死になって「白人」になろうとした。在米日本人なら解ると思うが、彼の英語は黒人らしからぬ発音で、白人男性と変わらぬ喋り方であった。それもそのはずで、O.J.はレッスンを受けて黒人訛りを矯正し、標準英語を身につけていたのだ。しかし、アクセントを改善しても、アフリカ系の容姿は変えられなかった。妻のニコール・シンプソンとの間にできた娘も、白人というより黒人に近かった。有名フットボール選手だったO.J.は、念願の「トロフィー・ワイフ(勝利を象徴する妻)」を手に入れ、上等な白人社会の一員となったのに、結局、何らかの疎外感を抱いて妻を刺し殺してしまったのだ。(もっとも、裁判では殺人犯にならなかったけど、米国の白人は彼を有罪だと思っている。) エディーはペイジと仲良く暮らして行けるだろうが、彼女の友人たちが自然な感情を持ってエディーを受け容れるかどうかは別である。これも、「たまたま」だろうが、別れた妻の名前が「ニコール」だなんて、嫌な偶然だ。

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(左: O.J. シンプソンと一番目の妻マルゲリットと子供たち  / 右: 二番目の妻ニコールとその子供たち )

  赤の他人には関係無いけど、ペイジの両親は娘の交際と未婚の妊娠をどう思っていたのか、ちょっと興味がある。確かに、エディーはハリウッド・スターだから大歓迎なんだろうが、もし彼が単なる平民で、華やかな職業に就いていない低所得の黒人だったら、彼女の両親は喜んで娘のボーイ・フレンドを受け容れただろうか? 恋人が黒人なら、生まれてくる孫は自分と違った容姿になってしまうが、それでも気にならないのだろうか? 藝能情報筋によると、ペイジはオーストラリア出身でちょっとした女優業もこなしていたそうだ。彼女の父親は元モデルで、母親はファッション・デザイナーであるという。どおりで、黒人男性に慣れている訳だ。これがもし、米国南部の片田舎で育った白人女性で、両親が伝統的精神を有する保守派だったら、決して娘の交際を許さないだろう。すくなくとも、未婚のまま妊娠を認めることはしないんじゃないか。

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(左: 両親と一緒のペイジ  / 中央: エディーと妊娠中のペイジ /   右: 娘イジーを抱くペイジとエディーの娘ブリア)

  現在の若者は多民族教育で洗脳されているから、異人種間結婚を気に掛けないけど、昔のアメリカでは優生思想が常識で、黒人との結婚など論外だった。特に、生まれてくる赤ん坊が混血児になってしまうし、白人の仲間とは見なされない。なぜ西歐人がこうした混淆を嫌ったかと言えば、雑婚・混血(mongrelization)は種族の特徴を消滅させるからだ。名家に生まれ育った社会学者のヘンリー・プラット・ホールによれば、二つの異なった種族が交われば、その両者が有する人種的特徴が変質してしまうというのだ。(Henry Pratt Fairchild, The Melting-Pot Mistake, Boston, Little, Brown and Company, 1926, p.125.) エディーとペイジとの間に生まれたイジーは、確かに母親と似ているのだろうが、その肉体は父親の遺伝子も含んでいる。イジーの顔つきがゲルマン系ではなく、アフリカ人と似ていても不思議ではない。この幼女は母親と祖父母から“種族的に”隔たっていると言えるのではないか。彼女は二つの世界に跨がっているが、そのどちらにも属さないとも言えるだろう。しかし、どちらかを選ぶとすれば、彼女は黒人の方を選ぶかも知れない。なぜなら、バラク・オバマのように、白人社会からは弾かれるので、黒人社会の方が“安心して”暮らせる世界、つまり自分を温かく迎えてくれる共同体と思うからだ。

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(左: ヘンリー・プラット・フェアチャイルド   /  右: 異人種カップルの家族 )

  最近は、日本人でもアフリカ人やアジア人との交際や結婚を気にしなくなった。それは個人の自由だからしょうがないけど、子供が日本人から疎外された時が厄介なのだ。異国人の親は不条理な差別に憤るし、日本人の親は同胞を恨むようになる。例えば、黒人と結婚した日本人女性は、アフリカ人のような人相と体質をもつ我が子を不憫に思う一方で、人種差別を以て愛する息子や娘を毛嫌いする日本人を「敵」と見なしてしまう。もし、日本人男性と結婚していれば、いつも通りの生活を送り、人種や民族、国境などを考えずに過ごせたはずだ。彼女の両親だって祖先と同じような生活を送ってきたし、娘も当然似たような人生を迎えるものと思っていたはずだ。ところが、「グローバル化時代」とか「多民族共生」といった馬鹿げた思想が流布し、自分の娘が予想外の行動を取ってしまい、目の前が真っ暗になる両親が出て来た。まさか、遺伝子が激変する孫が出来るとは思ってもみないからだ。「まさか!」というショックで気が滅入ってしまう両親もいるはずだ。

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(左: 混血児の子供  / 右: 異人種家族 )

  確かに、娘が黒人やトルコ人、インド人、タイ人などの恋人を家に連れてきたら、普通の両親は手が震えてしまい、心臓が一瞬凍りつくし、毛細血管の血流すら止まってしまうだろう。理屈ではなく本能で「嫌だ! こんな男が義理の息子になるなんて!」と心の中で叫びたいが、口に出してはならぬと自戒するので、冷静さを装うしかない。朝鮮人や支那人でさえも嫌なのに、中東アジア人とかアフリカ人ならもっとショックである。メロンやグレープ・フルーツなら中味がオレンジ色でもグリーンでも良いが、人間の赤ん坊ならそうは行くまい。遺伝子操作で虫のつかないトウモロコシは嫌だけど、教育環境操作なら歓迎だ。出来れば悪い虫がつかない子供に育てたいものである。「アフリカ系」とか「マレー系」、「インド系」なんていう孫じゃ嫌だ。「何々系」は電車だけで充分。やはり、ハイフンが附かない昔ながらの日本人がいい。




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