所詮は他人のゼニ

  東京都議会選挙が近づくにつれ、築地問題で揺れる都政を小池百合子はどうするのか、といった不安や、加計問題を乗り越えた安倍晋三総理大臣の支持率が下がったぞ、といった報道で世間はマスコミに踊らされている。でも、常識的に考えれば、前川メモは単なる役人の私的文書だし、安倍総理からの「ご意向」は文部官僚の失敗を隠す言い訳に過ぎなかったことが明らかになった。こんな下らない事で国会が廻っていたのでは、ウィーン会議のワルツの方がよっぽどマジである。それでも、まだ民進党や共産党を支持する有権者がいるんだから、国民の方にも責任があるだろう。ただ、蓮舫はある意味すごい。普通なら恥ずかしくて人前に出られないのに、開き直っているのか知らないが、逆に青筋立てて怒っている。日テレの「スーパーJOCKEY」でガンバルマンズと一緒に出演していたから、コントや馬鹿騒ぎが得意なんだろうなぁ。

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(左: 蓮舫  / 中央: 小池百合子 /  右: 安倍晋三)

  一方、首相から首都に目を移せば、これまたマスコミと野党の左翼踊りで時間と税金の浪費になっていた。たかだか地下水ごときで、「食の安全は確保されているのか ?」とか、「基準値を超えた汚染水で不安だ !」と騒いでいたが、誰もその地下水で魚を洗ったり、味噌汁を作る訳じゃないだろう。小池都知事は最初から事情を分かっていたはずだ。本音は、この騒擾を自分の基盤作りに利用しようと思っただけじゃないのか。彼女は何かと言えば「都民を優先します !」と民衆に媚びるが、肝心の主役は都民じゃなくて小池氏自身になっている。その証拠に「都民ファーストの会」は実質的に「百合子ファースト友の会」だし、何人当選するのか「捕らぬ狸の皮算用」で忙しい。市場の引っ越し延期で道路建設も遅れたんだけど、その損失額はどうするんだ? 豊洲移転延期に伴う損失だって、莫大な金額になっているのに、「誰がそのツケを払うのか」と考えれば恐ろしくなる。でも、所詮は「他人のゼニ」だから、小池都知事には痛くも痒くもない。最終的責任は小池氏にあるというが、何百億もの損失を彼女が贖うのか? 「ユリコ写真集」の売上げくらいじゃ、とてもカバーできないぞ。(たとえ、熟女ヌード写真集にしたって、女の肌には“賞味期限”ってものがあるんだ。どうでもいいけど、古本屋のおっちゃんは、いくらの値をつけるんだ? 世間にはマニアックな人も多いから、意外と高値がついたりして。)

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  ついでに言えば、小池氏が提案した筑地跡にできる「食のワンダーランド」って何だ? 市場が豊洲に移転した後、築地をレストラン街にしようと考えているのだろうか。仮に、そうなった時いくら掛かるのか、明言を避けていたから、どうも怪しい。もしかして、豊洲移転への言い訳に使おうとしているんじゃないか。以前、彼女は選挙公約で「冒頭解散」と口にしていたが、都知事の権限で不信任決議も無しに都議会を解散できるのか? また、小池氏は選挙中に秋葉原を訪れ、「東京全体をアニメランド」にすると公言していたが、その後どうなったのか? 魔法使いサリーに扮して、「魔法使いユリー」を気取っていたが、都民をたぶらかすだけの妖術師だった、なんて冗談じゃないぞ。巷で「白塗りババア」と陰口が絶えないのは、政党を移動する渡り鳥から、風見鶏へと変身し、都政に進出したら「サギ」に生まれ変わったからじゃないのか。
 
やはり偉かった西郷隆盛

Ozaki 2(左  /  尾崎咢堂)
  こんな政治家の体たらくを見ていると、民衆政治を褒めている学者の頭を引っぱたきたくなる。現実的には無理だけど、理想的政治家を求めれば、「憲政の神様」と呼ばれた尾崎咢堂(がくどう / 行雄)を思い出す。明治の政治家には偉人が多いけど、その中でも咢堂は傑出した人物と言えるだろう。しかし、その咢堂が崇敬する西郷隆盛はもっと偉かった。憲政の神様が尊敬するくらいだから、西郷は「神様」よりも凄かったということになる。咢堂翁が物心つく頃には、この大西郷は既に有名人であった。尾崎は長じて論説を書くジャーナリストになるが、事もあろうに、朝廷の官職を辞して薩摩に帰った西郷を批判し、「西郷隆盛討つべし、薩閥討つべし」と記事を書いて、新聞に載せてしまったのだ。そんな処女論文を書いた咢堂だが、南洲に対する敬意は尋常ではなかったらしい。尾崎は「なぜ、西郷はあのように偉大だったのか」が解らなかったらしく、この謎はずうっと彼の頭にこびり付いていたそうだ。

  一般的な理解でなら、西郷の凄さは誰にでも分かっていた。咢堂はそれを「徳望」と指摘する。人々が西郷を慕ったのは、まさしくその「人柄」であり、彼独特の「人徳」である。それにしても、西郷南洲はある意味恐ろしい人間であった。まるで彼は人の魂を吸い取るように、見知らぬ者をも惹きつけ、命懸けの闘いに引き込んでしまうのだ。当時の世間には、「西郷の為なら死ねる !」とか、「西郷先生と一緒に戦えるなら、官軍でも朝敵でも構わない !」と思う人が多くいたらしい。これは嘘みたいな本当の話。ただ、いくらなんでも「朝廷に刃向かってもいい」なんて常識外れというか、怖い物知らずというか、もう狂気の沙汰である。こうした心情を持つのが、西南戦争に参加した薩摩隼人なら解るが、逢って話をしたこともなければ、写真すら見たこともない、ただ「西郷」という名前を聞いた者が、「あの人の為に命を捨てよう」と決心するんだから驚きである。

Saigo Takamori 1( 左 /  西郷隆盛)
  こういう訳で、咢堂は「なぜ多くの人が西郷に感服したのか」、その根本理由を知りたかったそうだ。ところが、ある養老院を訪問したことで、偶然にも西郷の偉大さが判ったらしい。彼は養老院の入院者を目にして、「貧富や階級の点で様々な入院者がいるものだなぁ」と思ったそうだ。そこで、養老院の幹事に彼らの特質とか共通点は何かと尋ねたらしい。突然の質問に戸惑っていた幹事だが、一つだけ気がついたことがあった。養老院にいる者は皆自分の事ばかり考えて、他人の世話は一切せぬ人であることだった。(「西郷はどこが偉かったか」 『尾崎咢堂全集』 第五巻、公論社、昭和三十年、p.487) この共通性を教えてもらった咢堂は、瞬く間に「ああ、これだ !」と西郷の偉さが理解できたという。西郷は養老院に入る人とは正反対の性格を持っていたのである。

  自分のことばかり考えている人は、すべての人に見棄てられ、元官吏であろうと、かなりの資産家であろうと養老院に送られてしまうのだ。それに反し、西郷は自分の事を考えない。いつも他人のことばかり考えている。だから、人々は西郷の為に働こうと思ったのだ。養老院に入る人は「同情の心」が無い。何ぴとに対しても同情を寄せないという共通項がある。しかるに、西郷は誰に対しても同情を寄せてしまうのだ。自分の命を棄てても「あの者を助けたい」と考えてしまうのが西郷の性格である。ゆえに、島流しになろうが、僻地に飛ばされようが、決して人に対する思いやりを忘れはしないのだ。たとえ役職で給料をもらっても、自分では使わず、周囲の者に預けて、勝手に使わせてしまう。確かに、東京で豪華に暮らす大久保利通と違って、薩摩に戻った西郷は質素な生活に甘んじていた。燦然と輝く陸軍大将だったのに、薩摩の百姓みたいな日々を送っていたんだから、黒船に乗ったアメリカ人が見れば、腰を抜かして驚くだろう。

  この敬天愛人の薩摩藩士は、何事につけても自分自身のことは考えず、終始人様のこと、国家のことを優先して生きてきたのである。普通の人間なら、裕福になりたい、旨い物を食いたい、見栄を張れる役職に就きたい、惚れ惚れするような恋人に出逢いたい、華やかな人生を送りたい、など世俗的な欲望を持っているものだ。ところが、西郷南洲ときたら、お金も要らず、名誉も要らない、地位も望まず、女も買わず、ときている。支那人から見れば、何の為に生きているのか解らない。何てったって、酒池肉林がチャイニーズ・ドリームなんだから。支那大陸では神様だってお金に弱く、賄賂漬け。支那人は地獄に預金通帳を持ち込むくらい、金銭に対しての執着心が強い。だから、支那のいわゆる「聖人」が西郷に会えば、その清らかさに目を剝いて驚くだろう。書物の中にしか存在しない聖人君子が現実の世界にいるんだからさぁ。尊敬される孔子だって、権力への「スケベ心」がある。欲の無い人間なんて「モン・プチ」を遠慮する猫より珍しい。(註 / 「モン・プチ」とは人気の生餌缶詰のこと。)

  西郷は凡ての人に向かって、己の命に代えても助けようと考えたから、その同情が西郷に向かって反射したのである。(上掲書 p. 488) 西郷なら自分の為に命を棄ててくれる、とみんなが信じていた。これなら、誰もが西郷の為に命を捧げようと思っても無理はない。西郷は徹頭徹尾、公平で無私の人であった。上下貴賤の区別無く誰とでも接し、一身を以て人を救うという“情”を持っていたから、みんなが感服した。おおよそ、人や社会を動かすのは感情である。なるほど、高位高官の人物なら庶民を動かすこともできょう。だが、それは強制を以て人の体を動かしているに過ぎない。つまり、その心を動かしている訳ではないのだ。大勢が集まる会議で討論が紛糾した時、西郷のような責任者がいてくれると非常に助かる。なぜなら、西郷による鶴の一声でみなが納得したからだ。例えば、困った人々が西郷に決断を乞うと、この偉人は「皆がヨカと思うところをすればよか」とだけ述べて、他には何も言わなかったという。「俺が正しい」とか「お前が間違っている」とか、屁理屈を並べて説得するようなケチなことはしないのだ。全責任を西郷が取る。事によれば切腹をして詫びるだろう。西郷は余りにも命を粗末にするから、却って周囲の者が罪悪感に苛まれてしまうのだ。だいいち、やましい事をしている者は、西郷の目を直視できまい。西郷みたいな豪傑は、みんなが呆気にとられている脇で、囲碁などを指して平然としているんだから肝が据わっている。このように、威厳と人徳に溢れた人物だから、みんなが「西郷どん」に敬服してしまうのだろう。

  西郷の如き人徳者と対蹠的なのが小池都知事である。確かに、小池都知事はマスコミや有権者を操るのが上手いし、旋風(ブーム)を巻き起こして大衆を思うがままに動かしている。あるいは、動かしているように見える。だが、彼女は決定的な資質に欠けているのだ。それは人徳である。現在の小池氏は時代の寵児だから、みんなが彼女の一挙手一投足に注目しているのだろう。しかし、その軽薄な熱気が冷めた時、いったい何人の側近や部下が、何名の同志や同僚が彼女と一緒に沈んでくれるのか? 西郷は月照を助けたかったが、微力ゆえ助けられなかった。だから、一緒に死ぬしかない。志を共にした月照にしてやれることは、自分の身を投げることのみ。西郷の心には、死後の憂いも、裏の計算も、一切無かった。純粋な気持ちだけ。もし、月照が逆の立場でも、西郷の為に命を棄てようと考えたはずだ。我々が何時までも二人のエピソードを語り継ぐのは、そこに我々の「心」が共振するからだろう。庶民は愚かに見えても、本物を見抜く力は持っている。

   小池氏のもとに集まる議員や新人候補者は多い。しかし、その実態は当選を求めての打算的な烏合の集である。小池氏には、たとえ選挙で勝てなくとも小池百合子と共に戦いたい、一文無しになってもいいから彼女を助けたい、ただ一緒に居るだけでいい、と思う仲間がいるのか? 何の見返りも求めず黙って死んでくれる同志が小池氏にいるとは思えない。小池氏だって、そんなことは思っていないだろう。なぜなら、誰もが利益を求めるから集まっているんだし、小池氏も自分の魅力が大衆の熱狂にあることを判っている。だから、次から次へと新鮮で刺戟的な話題を提供せねばならない。興奮するようなネタが尽きれば小池氏の没落となる。彼女が目指しているのは、小泉純一郎が演じた「改革者」という役柄だろう。既存の政治構造をぶっ壊すことで民衆の喝采を浴び、一躍スターダムにのし上がる手腕に惚れているのだ。でも、その嵐が過ぎ去った後の始末は? そんなの関係無い。小島よしおもビックリ。彼女にはそもそも関心が無い。瓦礫が散乱する政界の掃除は有権者に押しつけて、自らの任期が満了すれば、嬉々として退任だ。百合子スマイルを浮かべながら、「みなさま、ご機嫌よう。さようなら」でお終い。

乃木だったら

  咢堂は大人物の資格にも触れていた。指導的立場や高い官職にある人は、ある程度有能でなければならないが、物事の隅々にまで精通している必要は無い。具体的で細かい事務仕事は、能吏を据えて任務に当たらせれば良い。咢堂曰わく、小悧巧にして小智慧を働かす者は小使いの仕事である。(上掲書 p.493) 大臣はそんなことをすべきではない。咢堂は当時スキャンダルになった「シーメンス事件」を取り上げていた。これは海軍高官に絡む収賄事件であったが、直接的には関係の無い山本権兵衛や斉藤実までが責任を取らされて辞任。無茶苦茶だけど、内閣総辞職にまで発展したから、深刻な事件であった。伝え聞くところによると、五万円とか六万円の賄賂であったらしいが、そんな瀆職の五つや六つ、同時に起こったところで国家は何の損傷も蒙らない。どこの国でも、どの時代でも、こんな事件は起こるものだ。問題なのは、内閣の頂点に立つ者の資質である。トップが人徳を持っていないから、人々が騒ぐんだ、との見解を咢堂は持っていた。取締る立場の人間が怪しいと思われるから、人々に猜疑心が芽生えてくるのである。最高責任者が取締るべきものを取締り、悪人が悉く罰せられ、善人は必ず讃えられると世間が思えば、シーメンス事件が幾つ起こっても世間は騒がない。

Nogi 2(左  /  乃木希典)
  こうした持論を述べる咢堂は、乃木希典大将の如き総理大臣を想像してみせた。仮に、収賄事件が起きたとしよう。しかし、「これは大変だ。乃木が怪しい !」と世間が疑うだろうか? たぶん、そうならないだろう。なるほど、何万円かの賄賂が遣り取りされたかも知れぬ。だが、乃木が居る以上、必ずきちんと調べ上げ、公平な処分を下すはずだ。乃木の如き清廉の士がいれば、誰も騒がす皆が安心する。世間がざわめくのは、上に立つ者が違うタイプの人間だからである。これは西郷隆盛にも言えることで、西郷が首相ならどんな瀆職事件が起きても安泰である。「西郷どんなら不正は絶対しない」と皆が信じているからだ。西郷南洲が大金に目が眩んで不正をはたらくなんて想像できないし、小銭稼ぎのためにセコい嘘をついたり、失敗を隠すために嘘を重ねるなんて考えられない。小役人がいくら欲得づくで不正を犯しても、西郷がいれば正義が行われるに違いない。こうした絶大な信頼感が当時の世間にはあった。「信」無くば立たず。人心が離れたら「政(まつりごと)」は成り立たない。

  翻って、現在の政治家を見てみれば、どいつもこいつも怪しくて信頼できない。蓮舫が次期首相になったらどうするんだ? 「怪しい」どころ話じゃないぞ。疑惑が凝縮した闇鍋みたいで、目にするだけでも鳥肌が立つ。保守派国民から希望を託された安倍首相だって、やることなすこと裏切りの連続である。「まさか」やらないだろうと思った消費税アップを断行して、景気の失速を招いてしまったし、積極的に移民を輸入しようと謀る竹中平蔵を追放せず、この政商が口にする意見を鵜呑みにしている。周囲を見渡せば赤い菅義偉が官房長官として居坐り、支那人の下僕である二階俊博が幹事長となっている。親友の塩崎久弥は左翼崩れのアカンタレ。皇室会議のメンバーに反日分子が入っているのに知らぬ顔。雑誌『諸君!』や『正論』に潜り込んだ偽装学者の山内昌之ばかりか、極左教授として悪名高い御厨貴が、ぬけぬけと皇室破壊に勤しんでいる。保守派国民の一部は安倍氏を確信的左翼と思っているが、案外それほどでもなかったりして。究極的には単純な馬鹿というのが真相なのかも知れないぞ。本人は保守派を自認しているが、やっていることは左翼政策で、周囲に気を使いながら長期政権を目指しているうちに、左翼と変わらぬ政権になっていたという、笑えない推測も可能なのだ。

  一般国民にはアクセスできない情報や内部事情もあるので、時が経たないと本当の事は分からない。ただ、安倍氏を支持している国民に失望感が漂い、信頼感が低下たこと、そして安倍氏に代わる次期首相が見当たらないことだけは確かだ。安倍首相の裏切りに腹を立てる保守派国民がいるが、自民党にあれだけ左翼議員がひしめいているんだから、安倍氏一人が奮闘しても埒が明かないのは当然だろう。それに、安倍首相の後任が誰になっても、安倍氏と同じレベルか、それより酷くなる場合だってある。保守派国民にとって苦痛なのは、首相に担ぎたい次の神輿がいないことだ。いくら何でも、フジテレビが応援する石破茂じゃ嫌だよねぇ。じゃあ、民進党みたいに「ボロ神輿、軽くてちょっとパーがいい」では自爆と同じだ。ちょっとくらいは責任感のある総理大臣でなきゃ。

  テレビや新聞は選挙が近づけば、やれ「マニフェストだ !」、「目玉の政策は?」とはしゃぎまくるが、一般有権者には複雑怪奇な政界の仕組みや煩雑な法律のことは解らない。いくら候補者が立派な公約を掲げたって、一旦当選してしまえば公約を反故にしても構わないし、議員の日常をいちいち監視している訳じゃないから、二、三年も経てば、前回の約束破りを忘れ、再び同じ候補者に投票してしまうのだ。結局、一般国民が考慮すべきは、その人物が信頼できるかどうかの一点に尽きる。政務調査費の誤魔化しとか、支持母体への利益供与とかがあるかも知れないが、国家の根幹を揺るがすような真似はしないだろう、と信じられる議員に投票するしかないのだ。でも、悲しいことに、国家の防衛を蔑ろにする議員が普通で、真の愛国者がいない代わりに、筋金入りの左翼主義者が国会に溢れている。在任期間だけの利益しか考えぬ議員が大半で、国家の大事を考える議員が数える程しかいないんだから情けない。まぁ、政治家の質は国民の平均以下、というのが相場だから、高望みしない方が利口だ。いくら民衆政治の原理において国民に責任が無いとはいえ、日本的常識からすれば選ぶ方にたって責任はある。民衆から愛される西郷隆盛が偉大だったのは、「民衆から選ばれなかったから」という皮肉もあるから、とかく世間は難しい。デモクラシーはデモス(民衆)に任せてはならない、というのが教訓なのかも知れないね。
  


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