教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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困難だった映画制作

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  日本ではまだ公開されていないが、アメリカでは既に上映された新作『ワンダー・ウーマン』は、結構いい評判であるるようだ。この作品は随分と長い時間をけて制作されたそうで、当初は成功するかどうか危ぶまれていた。映画の企画は1999年の頃から持ち上がっていたようで、制作元のワーナー・ブラザーズとシルヴァー・ピクチャーズは、ジョン・コーエン(John Cohen)を脚本家にして、映画制作を進めようとしたらしい。制作指揮を依頼されたコーエンは、ダイアナ(ワンダー・ウーマン)役を、有名女優のサンドラ・ブロック(Sandra Bullock)にしようかと考えていたそうだ。確かに、ブロックは知名度抜群だが、スーパー・ヒロインには向かないんじゃないか。代表作の『スピード』で演じたような、素人娘役が似合っており、アクション映画には不向きなように思えてならない。

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(左: サンドラ・ブロック  /  右: アンジェリーナ・ジョリー)

  配給会社はコーエンに任せるつもりだったが、彼が仕事を断ると、脚本担当はトッド・アルコット(Todd Alcott)やレオナード・ゴールドバーグ(Leonard Goldberg)に移ったというが、どちらも頷かず実現しなかった。そうこうしているうちに2010年となってしまい、監督役はジョス・ウィードン(Joss Whedon)に廻って行ったという。彼はダイアナ役をアンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie)にしようかと考えていたそうだ。なるほど、ジョリーなら『トゥーム・レイダー』や『Mr. & Mrs. スミス』、『ソルト』でアクションをこなしているし、体型もスーパー・ヒロインにピッタリだ。出演料は高くつくが、宣伝効果を計算すれば決して高くはない。ただし、ああいった“大女優”になると、色々と注文が飛び出しそうだから厄介だ。でも、そこは大手の映画会社が根回しをするから安心なのかも。

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(左: アイリーン・ウォーノス  / 中央: 「アイリーン」に扮したセロン / 右: パティー・ジェンキンズ )

  ところが、ウィードンも監督を降りてしまい、作品の撮影は再び延期され、宙に浮いた状態となってしまった。そこで制作会社が白刃を矢を立てたのが、女性監督のパティー・ジェンキンズ(Patty Jenkins)だった。彼女は殺人犯の伝記を映画化した『モンスター』の監督として知られている。ハリウッド・スターのシャーリーズ・セロン(Charlize Theron)が、連続殺人鬼のアイリーン・キャロル・ウォーノス(Aileen Carol Wuornos)を演じて話題となったが、日本ではさほど人気にならなかった。そもそも、なんでわざわざ美人女優を起用して、不細工な役柄を演じさせたのか? ギャラと美貌の無駄である。最初からアイリーンと似ている“不美人”女優を雇って、ノーメイクで演技をさせればいいじゃないか。美人をブスにする事で喜ぶのは、フェミニストかその類いの女性くらいである。フェミニストの性(さが)は非常に厄介で、女に生まれたことで“楽しい”思い出や体験が無い。男性から“ちやほや”されないし、鏡を覗けば憂鬱になる。男子の友達から食事に誘われないし、誘われたとしても「僕がおごるから !」という言葉はなく、いつも「じゃ、割り勘ね !」という「平等主義」の合い言葉だけ。彼女たちにとって「レディー・ファースト」は利益の無い慣習で、クルマに乗せてもらう時も、男から「ドアくらい自分で開けられるだろう」と言われてお終い。これじゃ性格が歪んでしまうだろう。だから、フェミニストには男社会への恨みが募っている。「女の価値は容姿じゃないのよ!」という怨念が根底にあるんだから恐い。したがって、こういった女性と理性的に話しても無駄。(男女平等なんだから「特別扱い」は無いはずなのにねぇ。)

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(左: シャーリーズ・セロン  /   右: 「アイリーン」を演じたセロン )

  一方、『モンスター』に出演したシャーリーズ・セロンは、フェミニストの評論家から、その「演技力」を絶讃されて喜んでいたけど、オツムの足りないセロンには、巧妙に「美しさの撲滅」を謀る左翼の意図が見抜けなかった。監督のジェンキンスは、大根女優を「実力派女優」にして満足だろが、日本の観客からすれば人材の無駄遣いにしか見えない。日本人なら適材適所考えるだろう。例えば、かなり昔のことだけど、緒形拳が岩下志麻と一緒に『鬼畜』という作品に出演し、子供を殺す犯罪者を演じたことがある。当初、監督は緒方ではなく渥美清を考えていたそうだが、『寅さん』のイメージが悪くなるのを懸念した事務所が断ったらしい。でも、緒形拳で正解だった。元「仕掛人」の緒方なら、簡単に冷酷な殺人鬼を表現できるじゃないか。ただし、温厚そうな渥美清が演じたら、それはそれで恐いから、効果があったのかも知れない。しかし、観客の反応がどうなるのか未知数だからやめておいてよかった。関係無いけど、役者には“はハマリ役”というものがある。例えば、『ねこタクシー』のカンニング竹山は良かった。何と言っても藝能人のオーラがゼロで、いかにも居そうな、うだつの上がらないタクシー運転手を演じていたからだ。しかも、猫を隣に乗せたり、公園で一緒にお弁当を食べるシーンは“しんみり”していて哀愁が漂っていた。やはり、映画は内容に合った配役じゃないと。もう一つ筆者の好みを言わせてもらえば、竹山の相棒となる「御子神(みこがみ)」さんは、三毛猫じゃなくて茶トラ猫の方が良かったなぁ。

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(左: アラン・ハインバーグ  / 右: リンダ・カーター版のワンダー・ウーマンを描いたイラスト )

  脱線したので話を戻す。『ワンダー・ウーマン』の監督を任されたジェンキンズだが、当初は余り期待されておらず、映画会社の方も成功するかどうか不安だったという。ところが、その予想に反して映画は大ヒットとなり、続編の制作も決定したそうだ。時代の変遷とは驚くべきもので、1970年代に作られたテレビ版と比べれば画質も良くなり、莫大な予算も得ていたから、豪華な作りとなっている。ところが、この作品にはいまいち特徴や味わいが無い。確かに、派手なアクション・シーンが満載で、CGも素晴らしいのだが、只それだけである。おまけに、作品の色調はリベラル派が喜びそうな思想が基調になっていた。例えば、ダイアナと諜報員のスティーヴ・トレバーが向かう英国は、男尊女卑の社会となっており、貞淑な女性が基本とされ、ダイアナのような御転婆(おてんば)娘は白い目で見られるという設定なのだ。長いスカートを窮屈に思うダイアナのシーンは、当時の慣習に対する諷刺となっている。まぁ、こんなストーリーになるのも当然で、脚本家のアラン・ハインバーグ(Allan Heinberg)はユダヤ人のゲイだから、礼儀正しい英国文化が大嫌い。何でも「平等」、如何なる「差別」も許さないとするユダヤ人らしく、理不尽な倫理道徳を憎んでいる。彼らはどんなに下品でも、好き勝手に暮らせる「自由」の方がいい。信仰心を捨てたユダヤ人は、忌々しい西歐人が守る礼節など馬糞くらいにしか思っていないのだ。ちなみに、ハインバーグは『セックス&ザ・シティー』『グレイズ・アナトミー』『スキャンダル』といったTVドラマを手掛けている。また、彼が制作した「ゲイが夢想するバナナとキュウリ」という卑猥なCMを観れば、何となく彼の正体が分かるはずだ。

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(左: エーリッヒ・ルーデンドルフ  /  中央と右: ルーデンドルフを演じたダニー・ヒューストン)

  DCコミックスには幾つかのルールがある。その一つは、ドイツ人はいつも悪人ということだ。したがって、ドイツ軍が悪役になっていたのは毎度の事で、今回の作品は更にスケールがアップしており、ワンダー・ウーマンが戦争神アレス(Ares)と戦う設定になっている。物語の中では、歴史的に有名なドイツ軍のエーリッヒ・ルーデンドルフ大将(Erich F. W. Ludendorff)が登場し、その役をダニー・ヒューストン(Danny Huston)が演じている。戦史を勉強したことがある人なら、これを見て呆れ返ってしまうだろう。タンネンベルクの戦いに貢献し、優秀な参謀であると共に高名な政治家となった軍人が、残忍冷酷な悪役になっているのだ。また、戦時内閣で平和を訴えていたパトリック・モーガン卿(Sir Patrick Morgan)役をデイヴィッド・シューリス(David Thewlis)が演じていて、その正体は神々を殺しまくったアレス神となっていた。彼とワンダー・ウーマンの戦闘シーンは、派手なCGを使って演出され、映画のクライマックスになっている。強大なパワーを有する破壊神が登場していることからも分かる通り、『ワンター・ウーマン』は諜報活動を基本にしたスパイ・アクション映画というより、超能力者のミュータントが出てくる『X-Men』のようになっている。日本で言えば「ドラゴンボール超」みたいなものだ。

  新たにリメイクされた『ワンダー・ウーマン』は元々フェミニズムの産物だから、監督のジェンキンズがその路線で制作してもおかしくはない。(この点については、以前当ブログで触れたので、興味のある方は「ワンダー・ウーマン」の記事を読んでください。) それに、総指揮を執ったジェンキンズ自身がフェミニストで、その母親エミリーもフェミニストだったというから、もう筋金入りのリベラル派である。また、彼女の思想は意外と単純で、アクション映画を好むのは男性ばかりじゃない、人類を救うヒーローがいつも男性というのはおかしい、という考えらしい。ジェンキンズが思い描く「ワンダー・ウーマン」は、女性だって力強くなれるし、「スーパーマン」や「バットマン」に負けず劣らず、格好いいスーパー・ヒロインになれるんだ、という主張に基づいている。

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(左: 「ミス・イスラエル」に選ばれたガル  /  右: 女優になったガル・ガダット)

  だが、皮肉なことに、ワンダー・ウーマンの成功は「女性的セクシーさ」が隠し味になっている。それに、か弱いはずの女性が驚異的な強さを発揮する点にこそ、「ワンター・ウーマン」の魅力があるのだ。ダイアナ役を演じたガル・ガダット(Gal Godat)は、モデル業もできるほどプロポーションが良く、重量挙げ選手とは違った体型を持っている。もし、ヒロインとなるダイアナ・プリンスが、ゴリラみたいな“ごつい”顔で、元プロレスラーみたいな体型だったら人気は出ない。一見すると華奢な体つきの女優だから、一般の観客が魅了されるのであって、肩の筋肉が盛り上がり、首が筋肉に埋もれ、太腿が丸太より太くて、がっしりと短く、腰と尻が区別できぬほど頑丈な体型だと、確かに強そうだが、お金を払ってまで見たいとは思わない。つまり、女性らしいバストやヒップ、すらりと伸びた脚などがあるから魅力的なのである。映画だからしょうがないけど、男がいないはずのアマゾネス社会で、みんなが化粧をしていたのは奇妙だ。

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  しかも、女ばかりの世界で男を意識した格好なんておかしいじゃないか。南米にある原始的なインディオの村では、女性が胸を隠さす、乳房を露出したままで生活をしているんだから、アマゾネスの島でもみんなノーブラでいいはずだ。それなのに、ギリシア人と同じような服装をしているんだから、本当におかしい。不思議なことは他にもある。古代ギリシアの競技では、選手の男たちは全裸で槍投げをしていた。それなら、アマゾネスたちも全裸で剣術を練習してもいいはずだ。でも、そこだけは妙に西歐的で、男優りの女たちにも「羞じらい」がある。もっとも、アンティオペ将軍(Gen. Antiope)を演じていたロビン・ライトなら、交渉次第で全裸の役もOKしたかもねぇ。他方、「フィリッパス(Philippus)」を演じたアン・オクボモが全裸になっても、あまり話題になりそうもない。アフリカに行けば、それ風の女性を観ることができるからだ。

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(左: ドイツ人のカップル  /  右: ドイツ軍人 の家族)

  米国のDCコミックスを実写化した映画に共通しているんだが、ぶっ殺しても可哀想に思えない悪役にはドイツ兵が適している。確かに、第一次・第二次世界大戦で、ドイツは英米の敵となった。そして、激戦の末に英米軍が二度も勝ったから、アメリカ人やイギリス人にとっては、ドイツ軍将兵が格好の悪役だ。恨み骨髄のユダヤ人脚本家たちは、ドイツ兵にだって心優しい人物もいるだろう、とは考えない。ドイツ軍将兵は、ことごとく冷血漢。立派なドイツ軍将校と下品なアメリカ兵を対比することはなく、女子供対しても残酷なのがドイツ人で、人情に厚く道徳的なのがアメリカ人となっている。だから、ハリウッド映画はいつもワン・パターンだ。そもそも、アメリカの観客は「正義の味方が必ず勝つ」という絵本みたいな作品しか好まないし、ハッピー・エンドになると分かってる映画じゃないと喜ばない。だいたい、ドイツがどこにあるのか地図上で示すことが出来ないアメリカ人に、複雑な歴史的背景を理解せよと要求する方が無茶で、彼らは勧善懲悪の単純な映画しか受け付けない。どちらが「善」なのか“はっきりしない”作品は、大衆社会のアメリカでは“うけ”ないし、企画段階で「ボツ」になってしまうのだ。

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(左: 英米人が憎むイツ人の少女たち  / 右: 英米人が好むユダヤ人の男性 )

  とにかく、ハリウッドで制作されるアクション・ヒーロー映画には、ユダヤ人の意図が見え隠れするから気持ちが悪い。というのも、ユダヤ人を“いじめた”ドイツ人は極悪人、という刷り込みが含まれているからだ。二度の大戦は、西歐系のアメリカ人と「非ユダヤ系」のイギリス人のが主体となって戦った死闘である。ユダヤ人が先頭に立って戦った訳じゃない。そこで、ハリウッドのユダヤ人たちは巧妙な構図を考えていた。すなわち、ドイツ軍を悪く描くことで、それを倒した英米軍が救世主となり、彼らが救ったユダヤ人は「可哀想な被害者」となる。そして、ユダヤ人が英米人を称讃すればするほど、英米人の頭の中では、ドイツ人が極悪人となり、その悪党によって迫害されたユダヤ人は、益々哀れな“弱者”となって「正義の味方」に与する一員になるのだ。いくつかの映画では、復讐心に燃える勇敢なユダヤ人が秘密工作員になったり、情報将校として必死の活躍したり、という設定がよく見られる。しかし、当時の英米を調べてみれば分かるが、一般的にユダヤ人は嫌われ者で、隣人とか友人にしたくない民族であった。ユダヤ人の難民受け容れに関する世論調査でも、六割以上のアメリカ人が「反対」と答えたそうだ。

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(写真 / 英米のゲルマン系国民が「友人」と思うユダヤ人のタイプ)

アメリカのヒーローになったユダヤ人のヒロイン

  ハリウッドのユダヤ人たちからすれば、憎いドイツ軍をやっつけるのは「ユダヤ人将兵」であって欲しいが、実際の歴史を見ると、大抵のユダヤ人はあっけなく殺されるか、ビクビクしながら家畜のように追い立てられ、収容所に閉じ込められて終戦を迎えただけである。これじゃあ、ユダヤ人は意気銷沈だ。そこで、西歐人の容姿をした俳優を「主人公」にして、ユダヤ人の夢、すなわちドイツ兵をコテンパンにやっつける「ヒーロー」に仕立て上げた。ところが、最新作の「ワンダー・ウーマン」では、従来の「代理人」ヒーローではなく、本物の「ユダヤ人」が憧れの「英雄」になったのだ。しかも、主役を射た止めたガル・ガダットは、2004年、18歳の時にミス・イスラエルに選ばれたスーパー・モデルである。(Gabe Friedman, "Is Ga Gadot On Her Way To Being The Biggest Israeli Superstar Ever? ", The Jewish Daily Forward, May 29, 2017) これならイスラエルのユダヤ人は大満足。何と言っても、彼女は兵役を済ませた女優であるから、イスラエル軍としても誇りにできる。現地の主要メディアによると、「イスラエルとその国民は、ガル・ガドットのようなヒロインが必要なのだ」とのこと。まぁ、彼らがそう思っても致し方ない。国際社会に流布するイメージといったら「醜いユダヤ人」という否定的なものが大半である。ところが今回、イスラエル出身のユダヤ人女優が、このネガティヴ・イメージを払拭してくれたのだ。イスラエル国民が喜んだのも無理はない。(Danielle Berrin, Gal Gadot and the Jewish essence of Wonder Woman, Jewish Journal, May 31, 2017) 

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( 写真 /  リンダ・カーター)

  イスラエルや歐米諸国に住むユダヤ人が、ガル・ガダットをこぞって持て囃したのは分かるが、普通のアメリカ人からしたら、今回のキャスティングにはどうも納得が行かない点がある。1970年代に制作されたテレビ版だと、リンダ・カーター(Lynda Carter)がワンダー・ウーマン役を務め、絶大な人気を誇っていた。彼女は今でも語り継がれるほどの功績を残している。そのカーターも1972年に「ミス・ワールド」のコンテストに出場し、合衆国代表となった。しかし、世界大会の最終予選に残ったものの、オーストラリア代表のベリンダ・R・グリーン(Belinda Roma Green)に破れてしまい、ミス・ワールドの王冠を逃してしまったというから、本当に惜しい。それでも、カーターの美貌は業界の注目を引いたようで、彼女はファフッションモデルとなり、次第にテレビ・ドラマへと進出するようになった。そこで運命の『ワンダー・ウーマン』に出逢い、ダイアナ役を演じて世界的知名度を得ることになるのだ。日本でも『ワンダー・ウーマン』はテレビで放送され、多くのファンを獲得したことは人々の記憶に残っている。

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(左: ガル・ガダットによる新しいワンダー・ウーマン  /  右: リンダ・カーターが演じた昔のワンダー・ウーマン)

  翻って、ガル・ガダットは“ちらっ”と見れば美人に見えるが、アメリカだとあの程度なら「平均」、あるいは「凡庸」といった評価がせいぜいで、冷静に見れば際立った美人ではない。だが、人々の印象はどうにでも変化するので、彼女がスーパー・スターになるのも夢ではないし、各マスメディアが頻りに持ち上げるから、徐々にではあるが「美人」に見えてくる。それに、ハリウッドで雇われる化粧アーティストの腕は超一流だから、どんなに貧相な素材でも絶品にする事など朝飯前。まさに「職人技」だ。ガルの起用は偶然なのかも知れないが、筆者にはどうしても疑いたくなる点がある。もしかしたら、「ガルの採用はジェンキンズ監督の“好み”が反映されたのでは?」と思えるからだ。なぜなら、フェミニストのジェンキンスが選ぶフェミニズムのヒロインには、妖艶な「美人」が適さないからである。つまり、「色気」より「筋肉」の方が優先されるというわけ。

Audrey Hepburn 1(左  /  オードリー・ヘップバーン)
  確かに、ガルはブスじゃないけど、男性の観客が喜ぶようなセクシー女優ではない。これはゲスの勘ぐりだけど、ジェンキンズ監督は、無意識的に美人女優に嫉妬を覚え、嫉妬を感じないガルに目をつけたんじゃないか? なるほど、アクション・スターを求めていたからガルに決めた、という言い訳も成り立つだろう。しかし、たとえ武術の素人でも、地道な訓練と最新技術の特撮でどうにでもなるはずだ。こう考えると、ジェンキンズが理想とするスーパー・ヒーローは、女の“香り”を除いた戦士だったのでは、との疑問が湧いてくる。うがった見方をすれば、「女の色気」を前面に出す女優より、「性的魅力」の薄い女優を選んだんじゃないかと思えてしまうのだ。日本では女優の評価で「綺麗」と「可愛い」、「美人女優」と「実力派女優」といった区別があるけど、米国でもあるみたいで、名作『ローマの休日』で一躍有名になったオードリー・ヘップバーンは、大女優になったけど、セクシーさが足りなかったので、「お嬢様」の役しかできなかった。『麗しのサブリナ』『ティファニーで朝食を』『マイフェアレディー』『おしゃれ泥棒』などで有名になったが、若さが失せると価値が激減し、あとは定番の親善大使になるしかなかった。ちなみに、決して美人女優じゃないけど、『愛の嵐(The Night Porter)』でルチアを演じたシャーロット・ランプリング(Charlotte Rampling)には妙な「セクシーさ」があった。歳を取ってもどことなく魅力的で、人気TVドラマ『デクスター』のシーズン8に出演していて、とても懐かしかったのを覚えている。印象的な女優は中高年になっても存在感を持っているという実例だ。

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(左と中央: 若い頃のシャーロット・ラナンプリング  /  右: 最近のランプリング)

  またもや脱線したので元に戻すと、監督のパティー・ジェンキンズは、フェミニズムの宣伝だけではなく、他にも政治的メッセージを込めていたそうだ。日本人も奇妙に思うだろうが、今回の作品はナチスが登場する第二次世界大戦ではなく、第一次世界大戦が時代背景となっている。その理由をジェンキンズ自身が述べていた。彼女は「ナショナリズム」の台頭に警鐘を鳴らすつもりで、第一次大戦を選んでいたのである。(Matthew Rozsa, "The confused, confusing nationalism behind, Wonder Woamn", Salon, June 6, 2017) 彼女は丁度100年前に起きた戦争を、現在の国際的危機に結びつけたかったらしい。いかにもリベラル派らしい発想で、「ナショナリズムは悪」と考えるユダヤ人の意向と一致する。国際的「根無し草」の民族にとって、同じ種族の仲間で団結しようとするナショナリズムは、身の毛もよだつ悪夢となるからだ。でも、一番強烈な国家意識をもっているのはアメリカ人なんじゃないか? (イスラエルのユダヤ人を除いたらの話けれど。)

洗脳映画をつくるハリウッド

  アメリカ国内で好成績を上げ、イスラエルでも歓迎された『ワンダー・ウーマン』だが、その裏で様々な問題が起こっていた。例えば、レバノンやチュニジアでは上映禁止となったらしい。やはり、イスラエル軍を連想させる女優の起用で、イスラム諸国が難色を示したのであろう。たかだか一本の娯楽映画なのに、公的機関が介入してくるなんて異常で、我々だと「過剰反応なんじゃないか」と思ってしまうが、大衆に及ぼす影響を懸念する政府だと、上映許可を渋ってしまうのだろう。洗練されたエンターテイメントが乏しい国では、映画といえども強力なプロパガンダとなるから、自由放任のままという訳にも行くまい。アメリカ人は気づいていないけど、彼ら自身が既に洗脳されているのだ。第一次と第二次世界大戦は「光と闇」、「正義と悪魔」との戦いにされているが、そこでの戦死者や破壊の規模を考えれば、とても「良い戦争」とは思えない。

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(左: ドイツの軍人  / 中央: ドイツ人のカップル /  右: ドイツ人の少女)

  それに、どうしてゲルマン系のアメリカ人やイギリス人が、いつまでもゲルマン系のドイツ人を「敵」と見なす必要があるか? ナチスのドイツ軍将校は“いつも”残忍冷酷だけど、彼らにだって両親や兄弟、女房や子供がいるはずだ。映画の半分くらいは、温かい家庭のドイツ兵を描いてもいいはずで、ドイツ貴族を紹介すれば、ドイツ人の方が好ましく思えてくる。その証拠に、ドイツ軍を唾棄するアメリカ人やイギリス人が当時のドイツを撮したフィルムを見れば、その美しい娘たちや立派な軍人に感動するはずだ。もし、反ドイツ映画しか知らぬアメリカ人が、髭もじゃのユダヤ人とか、“へちゃむくれ”のユダヤ娘を目にすれば、現実の彼らに嫌悪感を抱くだろう。実際、ゲルマン人ばかりが暮らすドイツ人村と、ユダヤ人だらけの村を比較すれば、大抵の歐米人は「ドイツ人村」に住みたいと答えるはずだ。不動産屋だって、ゲルマン人が住む土地の価格を高くし、ユダヤ人が住む土地の物件には、「お手頃価格」をつけるだろう。

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(左: ヴィクトリア女王  /  中央: ウィルヘルム2世  /   右: ジョージ5世)

  最近の日本人は忘れているけれど、ドイツ皇帝のウィルヘルム2世は英国王ジョージ5世は従兄弟同士で、ヴィクトリア女王が共通の祖母となっている。(ウィルヘルムの母ヴィクトリアは、ヴィクトリア女王の長女である。) 第一次世界大戦はある意味、英独の間で生じた従兄弟同士の戦争となっていて、そこに途中からアメリカが参戦し、英米独で厖大な損害を出したというのが実態だ。負けたドイツがヴェルサイユ条約で苦しんだのは有名だから説明するまでもない。一方、英国はこの戦争で国家の屋台骨が揺らいでしまったのだ。優秀な人材がバタバタと倒れ、惜しい人材が大勢墓場行きとなった。何で参戦したかも分からぬまま負傷したアメリカ兵は愚痴をこぼしてばかり。「もう歐洲の戦争に係わりたくない」と考えても不思議ではない。もちろん、戦死者にも数々の不満があるが「死人に口なし」で、当り前だけど、何の愚痴も記録に残っていないのだ。ということで、ユダヤ人が介入しなければ、今頃は英米独の国民同士で和解が実現し、「お互い馬鹿な事をしましたね」で済むのだ。しかし、このままハリウッドの洗脳が続けば、千年経ってもドイツ軍は極悪人のままである。朝鮮人は千年経っても日本人を赦さないそうだが、ユダヤ人は二千年経っても恨みを忘れないだろう。支那人といい朝鮮人、ユダヤ人など、アジア大陸の民族はしつこくて、ネチネチしている。我々はあっさりした日本人に生まれて本当に良かった。




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