黒木 頼景
成甲書房
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独裁者のミニチュア版
東京都議会選は地方選挙なのに、首都で行われたものだから、まるで総選挙でも行われたかのような騒ぎであった。新聞各社とも大きな見出しで「自民党大敗 !」とか、「都民アフースト大躍進 !」と書いて大はしゃぎだったが、何てことはない、話題を振りまいて販売部数を増やしたい、という下心が透けて見える。要するに、衝撃的な見出しを以て、「歴史的大事件」にしたいのだろう。でも、そんなのは鰻屋の煙と同じで、換気扇から流れてくる臭いに過ぎない。本当の問題は、自民党の獲得議席が激減したことよりも、得体の知れない新人候補が「都民ファースト」という看板だけで当選してしまったことだ。素性もよく判らない相手に、一人頭2千万円ほどの税金を暮れてやるんだから、東京都民は随分と太っ腹である。(まぁ、他の地方議会も同じだけど。)
選挙の翌日に、小池百合子都知事は「都民ファーストの会」代表を辞任して、自分の子分に代表の座を譲ったというが、そんなの形式だけだろう。「都民ファーストの会」とは言っても、実質的には「百合子ファースト友の会」とか「小池商店」といった個人企業なんじゃないか。おそらく、小池氏が大勢の議員や秘書、事務員を引き連れて、私的に運営する会社といったところだろう。したがって、名目的な「代表(社長)」が誰になっても、そんなのはスナックかバーの「雇われママ」と一緒で、創業者の会長の意向に逆らえるはずがない。何でもかんでも、重要事項は小池氏が発する「鶴の一言」で決定だ。まさか、新米議員や陣笠議員が「小池さん、それは違うでしょう !」なんて“タメ口”を利けるはずがないだろう。小池都知事が「みなさぁ~ん、これで宜しいかしらぁ?」と、いつもの甘い声で賛成を求めれば、みんな「ごもっとも!」と叫んで、パチパチと拍手する。なんか、ちょっとソフトな北朝鮮みたい。
まぁ、小池氏が苦労して手に入れた地位と、その人気を梃子にして作った「党派」なんだから、彼女の自由にしても良かろう。元々知事は「一国一城の主」なんだから。だが、小池氏を見ていてると、スケールが違うのに、何となくイタリアの独裁者を思い浮かべてしまう。ご存じ、イタリアのファシスト党を率いた総帥(ドウチェ)、ベニート・ムッソリノーニ(Benito Mussolini)である。我が国ではヒトラーやチャーチルの影に隠れて地味な存在となっているから、西歐史を専攻しなかった高校生や大学生にはあまり馴染みがない政治家だろう。でも、あの分裂傾向が激しいイタリアを纏め上げたんだから、一応は「凄い人」と考えねばなるまい。
戦後もそうだが、戦前だと社会主義が矢鱈と持て囃され、多くの若者が「未来の政治体制だ!」と思ったそうである。現在では信じられないが、優等生ならほとんど社会主義者になっていたし、あの保守派の巨星フリードリヒ・フォン・ハイエック博士も、若い頃の一時期だが、社会主義に魅了されたという。稀代の碩学だってよろめいたんだから、他の凡庸な学者や学生が社会主義に傾倒したのも無理はない。ムッソリーニもヒトラーと同じく、学問的正確さは別にして、社会主義に希望を託していた。それに、両者とも高学歴者ではないが頭の回転が鋭く、単なるゴロツキではない。たぶん、独学だったぶん、真剣に勉強していたんだろう。
(左 / ベニート・ムッソリーニ)
少年時代のムッソリーニは乱暴者だったようで、何でもトップを目指し、高慢で迷信深く、気位も高かった。粗野な性格だからしょうがないが、彼は学校で二人の友達を刺したことがあるという。このため学校から追放され、仲間の多くからも憎まれていたそうだ。しかし、少数の者は心から彼を愛し、この腕白坊主に従ったというから、リーダーとしての素質はあったのだろう。不良のベニートは喧嘩早いが、必ずしも常に勇敢であるとは限らなかったそうで、時として男らしさに欠け、オマケにちょっとせこかった。例えば、ゲームに勝った時は掛け金以上のお金を要求し、負けた時には支払いを拒んだこともあるらしい。それでも、彼は野心を抱く少年であったようで、自分には偉大な運命が待ち受けていると信じていた。彼は母親に向かって、「いつか」と口を開き、「いつか、私は地球を揺り動かしてみせます」と語ったそうだ。日本人ならその後を分かっているので、「すごぉぉい!」と驚いてしまうが、イタリア人とかフランス人の子供は大抵“ませた”口を叩き、大人顔負けの“フレーズ”を用いたりするから、あまり真剣に受け取らない方がいい。イタリア人やフランス人だと、六歳の少年でもソフィー・マルソーと(Sophie Marceau)かモニカ・ベルーチ(Monica Bellucci)、エロディ・ナヴァー(Élodie Navarre)とかの「いい女」を見つければ口説こうとするんだから、日本人からすれば、「この餓鬼んちょめ、まだ子供のくせに!」とつい叱りたくなる。
(左: ソフィー・マルソー / 中央: エロディ・ナヴァー / 右: モニカ・ベルッチ)
こんなベニートも1901年には学校教員になれたというが、翌年には徴兵を逃れるためスイスに向かったらしい。革命家になりたかったムッソリーニは結構な読書家で、ニーチェやショーペンハウアー、ソレルなどに加えマルクス主義の書籍も読んで勉強したみたいである。ただ、顔や手を洗わず、滅多に髭も剃らなかったというから気持ち悪い。そんなムッソリーニは1904年、国王に世継ぎが生まれたので、その恩赦に預かり、イタリアに戻ることができた。そして、村の学校に勤めたり、軍隊に入って「狙撃手」になったという。さらに、ジャーナリストの道を歩むようになり、社会党の機関紙「前進! (Avanti !)」の編集員になったそうだ。彼は編集者として成功し、この新聞の発行部数は5万部から21万部にまで伸びたいう。ムッソリーニは教養のある少数派ではなく、素朴な感動に引き摺られやすい大衆に向かって話しかけたのか良かった。編集社としてのムッソリーニは、ずば抜けて扇動が上手く、この才能がやがて偉大な指導者へと導くことになる。
ムッソリーニを評したルイジ・バルジーニ(Luigi Barzini)によれば、現実の「編集員ベニート」は、自分が前進するにつれて、どんなものでもでっちあげる。その時どきの大役を演じる自分に見とれ、悦に入っては大根役者振りを発揮していたという。この評伝者は次のように述べていた。
ムッソリーニは雄弁を上達させ、のにち自分をイタリア最高の、扇動家の一人にさせることになった技術を徐々に磨いていった。彼は自分の言うことが力にあふれ、人の心を動かすものでさえあれば、論理や真実性がどうであろうと、大して気にかけなかった。その身振りはリズムと活力をもっていた。はっきりとした脈絡のない、短い歯切れの良い文章を、しばしば長い、劇的な休止と共に用い、時には声や表情を変えて、次第に激しさを増し、悪罵の嵐で話を終えた。(ルイジ・バルジーニ『イタリア人』 室伏哲郎・室伏尚子 訳、弘文堂、昭和40年、 p.157)
イタリアの執政官となった人物の特質は、直感的で皮相的な知力の持ち主であったことだ。物事を極端に単純化し、芝居がかった表現にする能力に長けているが、その一方で目覚ましい事件にだけ興味を抱き、その場限りの関心しか持たない。党派的な考えで物事を見るだけで、真実とか正確さ、客観性はどうでもよく、論旨を一貫させる事が自分の意図に沿わない、あるいは抵触するならば、躊躇わずそれを無視する。独裁者だから当り前だけど、こうした時に良心の咎めに苦しむことはない。全部が当て嵌まるわけではないが、何となく小池都知事と似ている。東京の住民やテレビの視聴者が興味を抱くことにだけに取り組み、自分がどう画面に映るかだけを気にして、その場限りのコメントで済ませる。正確な数字を述べているようで、実は中味がなく焦点がぼけていたりするけれど、そんなのは殆ど関係無い。「私は統計にも強いのよ!」との印象を与えれば充分。後は部下に丸投げ。結果がどうなろうがお構いなしで、「良心の咎め」はあるんだろうが、そんなのは「ホッホホホホ!」と笑えば3分で忘れることが出来る。ウルトラマンだって3分経てば戦闘が終わって、次回の予告になるんだ。人間に戻ったウルトラマンが、「あぁ~あ今日は、怪獣と戦ってたくさんビルを壊しちゃったなぁ」と反省しないだろう。それと同じだ。
民衆を魅了する時代の寵児に共通するのは、記憶力が良くて、頭の切れがいいことだ。ファシストのムッソリーニも抜け目がなく、物覚えが早く、機敏であった。数分の内に複雑な事態を把握し、びくともしない相手に真っ向からぶつかって成功を収めることができる。どのような局面でも、事態が要求するがままの、直感的な決定を下したという。小池都知事も「世間の風」に敏感で、マスコミや一般人がどんなことを求めているのか、女の「直感」で分かるみたいだ。そして、ムッソリーニと小池氏の共通点は、民衆に向けた「ショーマンシップ」に長けている点だ。つまり、演台とか舞台に立って、自分一人が脚光を浴び、聴衆にに向けて娯楽を提供するのだ。バルジーニはムッソリーニの演技について述べている。
独裁者のショーはいつも目新しく、あっと言わせる態のものである。民衆に興味を抱かせ、血を湧かせ、途方に暮れさせる。怯えさせたり、面白がらせたりと、色々な事を続けて犠牲にされた自由や悲惨な窮乏を忘れさせた。自分に従う民衆を団結させ、反対者の意気を挫き、分裂させ、国内の秩序と国際的信望を獲得することができた。(上掲書 p.173)
政治家にとって「退屈」は大敵である。たいていの場合、政治は細々とした事務手続きや法律議論の積み重ねで、聞いていて面白くない。只でさえ眠気を誘うのに、聴衆が飽きてしまうような話し方ではダメだ。石破茂が典型例で、彼の演説や解説を聞いていると、5分もしないうちに「もういいよ!」と言いたくなる。あのムッつりした顔を見るだけでも厭だ。女性なら、生理的に拒否してしまうだろう。それに、要領の得ないぼやけた談話を聴いて、誰が感動するというのか? 石破が総裁選に出ても、一般党員の多数を取れないのは、あの話振りのせいだ。いくら大物議員でも、ワクワク感が無い話じゃ誰も附いてこないし、気分的に落ち込んでしまうだろう。名演説とは民衆の心に訴えかけるもので、他人の精神を鼓舞するものでなければならない。石破の語り口はイライラするし、中味がなくて、そのうえ情熱にも欠けている。まだ麻生太郎のほうがマシだ。石破の話を聴いていると、何か口に何かがへばりついているような、後味の悪い感想しか残らない。譬えが悪いけど、もらった饅頭を食べたら、イモ虫が「プチ」っと歯で噛み潰された、そんな感じである。苺大福ならいいんだけど。
(左: 石破茂 / 中央: 小池百合子 / 右: ベニート・ムッソリーニ )
石破と違い、小池氏は中味がなくても、あの口調と笑顔だけで充分だ。彼女が重要な話をしているとき、結論がよく理解できなくても、何か大切な情報を聴いたかのようにに思える。だから、大衆は次もまた聞きに行こうと思うのだ。都知事選の時、一般人は候補者本人よりも小池氏の立ち会い演説を見に来ていたそうだ。じゃあ、候補者は何をしていたかというと、「小池先生が間もなくいらっしゃいます !」、と宣伝に忙しかった。まともな人なら「えっ! 小池氏の選挙じゃないのに !」と思ってしまうが、世間のオバちゃんたちは百合子ちゃんにしか興味が無いのだ。ムッソリーニの演説会も、話を聴くために集まった群衆は多く、道にまで溢れていたそうだ。バルジーニによれば、
彼の技巧は仰々しく用地で馬鹿げたものであったが、非常に効果的であった。無知なイタリア人を満足させた。イタリアではインテリの数は限られていたから、ムッソリーニの演説は大衆に向けられていた。(上掲書 p.171)
(左 / 浜田幸一)
デモクラシーでの演説は、少数派のインテリではなく、多数派を占める民衆に向けて喋るのが基本で、気取った知識人の言い回しより、ぶっきらぼうでもイイから愉快で率直なものがいい。昔、浜田幸一議員がメチャクチャな国会乱闘騒ぎを起こしていたが、浜幸さん独自の「筋」を通していたし、確固とした信念が伺えたから、インテリどもが馬鹿にしても、一般の大衆は拍手喝采で楽しんでいた。浜幸さんは民衆政治の要諦、つまり民衆からの人気を取ることが一番重要ということをよく弁えていた。例えば、福祉とか教育を語る場合、統計や専門用語をちらつかせて、偉そうに高邁な哲学を語ったりせず、人々の感情に訴えていた。浜幸さんは人前でも憚らず、自分の十八番「お母さん」を熱唱して大粒の涙を流すから、誰も彼を憎めなくなる。間違ったことや失敗を犯せば、恥ずかしくもなく土下座して謝るから、目の前で糾弾する人も、「あのぉ、もう、分かりました」とか、「どうか頭を上げてください」と言いたくなる。まぁ、浜幸さんのキャラクターもあるだろうが、あんなことは民進党や都民ファーストにいる、ちょっとお金持ちでお高くとまった、弁護士上がりの代議士には真似できない。
ムッソリーニの成功は信じられぬ程で、彼はイタリアで過去の誰よりも人気があった。新聞や雑誌から総統の写真が切り抜かれ、貧しい百姓小屋でも彼の切り抜き写真が壁に貼り付けられていたらしい。その写真は聖母マリアや聖ヨハネの肖像画と一緒に並んでいたそうだ。ムッソリーニは優れたショーを愛し、立派な陸軍の閲兵式を楽しみ、海軍の観艦式に心を慰められ、広場に集まった大海原の如き大衆に勇気づけられたという。ただ、大衆は見せかけと現実とを混同していた。真実とは彼にとって「それらしく見えるもの」であり、多くの民衆が信じたがるものであったからだ。立派な指導者は、嫌な現実でも正面を向いて取り組むし、耳の痛い話でも進んで聴こうとする。しかし、ムッソリーニは戦況が悪化しても、冷徹な現実に目を背け、卑屈な取り巻き連中や、自分に諂う者ばかりに囲まれていたそうだ。ムッソリーニも事態が逼迫しているのを薄々分かっていたが、それを認められず、自分が他人の為にと作り出した楽園に、自分から耽溺するようになったというから呆れてしまう。彼は自分の絶対的な正しさに確信を持ち、直面する危機を警告されても無視。周りにいるのは、決して真相を伝えない御機嫌取りだけ。
結果として、彼に近づくのは王国で一番腕利きのおべっか使いばかりということになった。もっとも、彼らはみながみな、不正直だったわけではない。ある者は、自分の言う通りを信じている馬鹿者だっただけである。またある者は、自分の言うことが真実であり、ムッソリーニが本当に現存する最高の偉人であり、しまいには、全てがよいことずくめだったと必死で願っていた。彼らがムッソリーニに諂っていたのは、自分自身を安心させるためであったのだ。残りは、ただの破廉恥なごろつきであった。(上掲書 p. 176)
(左 / クラレッタ・ペタッチ)
こうなると、もう何をしても無駄で、独裁者の終焉は近い。案の定、ドイツ人はムッソリーニに内緒で連合国との秘密停戦協定に署名し、イタリア人を戦争捕虜として連合国に引き渡そうとしていた。ムッソリーニはパルチザンに捕まり、愛人のクラレッタ・ペタッチ(Claretta Petacci)も同じ運命を辿ることとなった。1945年4月28日、二人は正式な裁判もなく盗賊のように処刑され、この世に別れを告げることになったのだ。
独裁者の末路は惨めだ。あるエピソードは興味深い。国王ヴットーリオ・エマヌエレは、ムッソリーニを別荘に迎え、彼の逮捕を命じたことがある。ところが、そのニュースが広まった時、ファシストの叛乱は起きなかった。武器を持って蹶起する忠実な党員は一人もいなかったのだ。「私は血を以て革命を死守することを誓う」と以前口にした者があんなにいたのに、それを守った者は誰もいなかった。何事も起こらなかったという。ショーは終わっていたのだ。ほんの数ヶ月前までは、ムッソリーニは街で熱狂の渦に巻かれ、民衆の熱烈な声援を受けていた。劇場では彼が行った演説に拍手喝采が絶えなかったのに、数週間が過ぎるると、総帥が死を迎えなんて誰が予想したことか。
ムッソリーニはヒトラーと違っていた。彼はスイスへ少数の部下と共に逃げようとしたが、彼は最後まで迷い、結局決断を下せなかった。これがもとで、彼はクラレッタ・ペタッチと共に逮捕され、二人は豪華な別荘の門の前で銃殺されてしまうのだ。彼女はムッソリーニの体を庇うように一緒に銃弾に斃れたという。金と書類は永久に掻き消されてしまい、二人の遺体はミラノに運ばれた。ムッソリーニの足首にはロープが括り付けられ、給油所の屋根から逆さ吊りにされたそうだ。
小池都知事は民衆から見放されても、命を失うことはないだろう。目新しい演技が出来なくなり、楽しい政治ショーのネタが尽きても、都知事を退任するだけで、死刑になることはない。巨額の退職金と議員年金が転がってくるから、優雅なマダムに戻って悠々自適の生活だ。巨大なツケを残された都民は、ぶつぶつ言いながらもその「穴埋め」を税金で行い、再び愚劣か気紛れの都知事を選ぶことになるだろう。東京都民は増税に喘ぐということはないから、何回でも同じ愚行を繰り返す。一方、豊かな引退生活を送る小池氏は、時々古巣のテレビ局に出演し、昔話に華を咲かせ、「わたくしが知事の頃はねぇ・・・」と自慢話を交えて対談するかも知れないぞ。ひょっとしたら、「小池元都知事、現在の都政を斬る!」なんていう冠番組を任されて、総合司会を務めていたりして。また、フジテレビのことだ、耄碌した木村太郎をクビにして、小池氏を「ご意見番」に据えることもあり得る。ちょっと歳を食った小池氏でも、「ふフふ・・・」といった笑い声で、お茶の間にいる“同世代の”おばちゃんたちを魅了するかもね。
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