マスコミによる陽動作戦
(左 / 蓮舫 )
二重国籍問題で揺れる民進党の蓮舫が、自分の戸籍謄本を見せる見せないとかで揉めていた。落ち目のストリップ嬢じゃあるまいし、さっさと見せて終わりにした方がいいんじゃないか。ところが、これだけ大事になったのに、一転して戸籍謄本を見せないと言い出した。これを聞いた国民は「えぇぇっっっ??! 見せるって言ったじゃん!」と怒り出す。そこで、焦った蓮舫は、日本国籍の選択宣言を公表し、台湾国籍を持っていましたと間接的に認めたが、それは故意ではなく、法手続に無知であった自分と、台湾籍を抜いたと伝えた父親が悪いとのことであった。彼女の記者会見を聴いていると、見苦しい弁明との印象を持ってしまうが、それ以上に、「弁護士の入れ智慧通りの説明だなぁ」と笑ってしまう。確信犯だったことを隠すために、色々な言い訳をこしらえて、辻褄合わせをしたんじゃないか。これは推測だけど、記者会見に向けて弁護士と一緒にリハーサルを重ね、記者たちから突っ込まれても大丈夫なように質疑応答の練習をし、入念に準備したんだろうなぁ、と思えてくる。結局、間抜けな一般人は台本通りの釈明に引っ掛かってしまった。フジテレビの「ユア・タイム」は悪質で、移民推進派の極左学者、あの近藤敦に意見を求め、蓮舫支援に必死なんだから、「本当に日本のテレビ局なのか?」と疑いたくなる。
多少なりとも判断能力のある国民なら、「やっぱり騙していたんだよねぇ~。でも、全部さらけ出さないんだから、よっぽど都合の悪いことがあるんじゃなぁ~い?」と勘ぐるはずだ。もし、蓮舫が素直に全部公開したら「ゴキブリが詰まった箱」をひっくり返した時のように、周囲が絶叫状態となるに違いない。アナリストの深田萌絵さんが雑誌『WiLL』(2017年3月号)で蓮舫の出自について書いていたが、蓮舫の父親と祖父母には謎が多い。例えば、父の謝哲信の生年月日が不明だし、祖母の陳杏林は単なるタバコ業者だったのに、どうやって日本軍に戦闘機を寄贈できたのか? しかも二機だぞ。蓮舫の家族がどのように国民党や青幇(チンパン)と繋がっていたのか、日本国民は徹底して追求すべきだ。野党の代表となった政治家に、このような闇があるんだから、一般的なプライバシーの問題では済まされない。こう考えれば、今まで蓮舫は「なぜお茶を濁してきたのか」という理由が分かるだろう。日本国民からあれこれ調べられると、台湾の他に支那人の影が出てくるのかも。だから、「ヒ・ミ・ツ」なのだ。
まぁ、「嘘つき」が枕詞(まくらことば)になっている蓮舫に唖然としてもしょうがない。それよりも、この疑惑を報道するマスコミや、それとなく蓮舫を支援する評論家たちの「陽動作戦」の方が問題だ。つまり、一般国民は「いつ台湾国籍(一つの中国問題は別にして)を離脱したんだ?」という日付や、「二重国籍を承知で立候補したんじゃないか?」という真偽を知りたいだけなのに、蓮舫の支援者は「極右勢力が民族差別をしている !」とか「排外主義はよくない !」「個人のプライバシーを守るべきだ !」と喚き散らし、問題の焦点を“ずらす”作戦に出ている。彼らは蓮舫が国民を騙した事をうやむやにする一方で、彼女の素性を詮索する有権者を攻撃しているのだ。なるほど、「攻撃は最大の防禦なり」である。しかし、政治家の国籍を質(ただ)すことが、どうしてレイシズムになるのか? 公人は日本国に忠誠を誓う者であるはずだ。外国籍を有する者は、意識・無意識にかかわらず、我が国には忠誠を誓っていない。こんな事は、どの先進国でも常識なのに、なぜか我が国では「拝外思想」になっている。
(写真 / 支那人たち)
「なぜ ?」の答えをはっきり言えば、蓮舫がアジア地域の人間だからだ。特に、支那人や朝鮮人の血筋を持つ者は、その家系を明かしたくないという心理があって、日本人がそれを暴こうとすると激怒する。なぜか? それは彼ら自身が、自らを劣等民族と自覚しており、「差別主義者ではない」と自称する国民も、実は無意識的にアジア人を見下している。考えてもみよ。どうしてアジア系国民だと、両親や祖父母を隠したがるんだ? もし、母親とか祖父がドイツ人やイギリス人、ノルウェー人とかのヨーロッパ人なら隠さないだろう。犯罪の前科者なら別だが、堅気の外国人を家族に持つことがどうして恥ずかしいのか? 朝鮮人や支那人の親とか祖父母を持つ者は、「私は先祖を恥じてません」と豪語する割に、その家系を隠したがる。本当はやましい過去があることに気づいているんじゃないか? 蓮舫たちは「出自で差別をしてはいけない」と苦言を呈するだけで、日本人がアジア人を差別する原因は何なのか、については言及しないのだ。それに、蓮舫から叱られる日本人だって、明確な理由を述べてもらわなければ、「何があるんだ?」と怪訝に思うだろう。
こうした問題で一番の偽善者はマスコミに巣くっている業界人だ。蓮舫を支援する左翼マスコミも、アジア人を「劣等種族」と見なしている。普段は「アジアとの連帯を」とか「アジアの一員としての日本」といったキャッチフレーズを口にする知識人でも、プライベートではアジア人を馬鹿にしており、自分を「高級人間」であるとか、有名な大学を出た「社会的エリート」と思っている。その証拠に、彼らは矢鱈とアジア人に“親切”なのだ。例えば、支那系・朝鮮系帰化人が事件を起こしても、マスコミは決して血統とか家族背景に触れようとはせず、淡々とした報道で終わり。日本人の犯人なら根掘り葉掘り暴露するくせに、お気に入りの支那人や朝鮮人だと、奇妙な「配慮」をみせるからどうもおかしい。マスコミの連中は支那や朝鮮にルーツをもつ居住者や帰化人を、「哀れな人々」なしい「考慮すべき者」と考えている。なぜなら、「身分の高い」報道関係者は、「格下」のアジア人を“保護”する「義務」があると思っているからだ。
(左: 朝鮮人 / 右: 支那人)
昔の日本人なら新聞記者を「羽織りゴロ」と呼んで蔑んでいたが、敗戦後になると、このゴロツキどもが「公平な報道をする」エリートみたいに思われてしまい、当の本人たちもその気になっていた。例えば、「俺は天下の朝日新聞に合格したんだぞ !」と自慢するアホがいる。NHKなんか民間の宣伝(CM)が無いという理由だけで、“不偏不党”の公共放送と思われていた。よく教養人を臭わせる奥様が「うちは民放は観ませんの。NHKだけですわ ! ホホホ !」なんて笑いながら自慢したりする。こういう単細胞は、暗に「わたくしどもは下劣な番組など観ない上流家庭でございます」と言いたいのだ。今では馬鹿らしい考え方だけど、左翼が全盛の頃は朝日新聞を読んでNHKだけを観るのがインテリ家庭の特徴だった。少なくとも、そのように見せかけるのが格好良かったのだ。こういう似非インテリたちは、如何に判断力が鈍いのかを自覚しておらず、朝日新聞とか日経新聞を読んでいる自分の姿に酔っているだけ。ただ、新聞業界にとっては、こういう困った人々が「最後の頼み」となっている。それにしても、未だに新聞を信じている高齢者は哀れだ。新聞社やNHKの論説委員に扇動されたうえに、毎月購読料や受信料を払っているんだから。
結婚すれば外国人?
日本は移民を基本とした国じゃないけど、米国は移民が殺到し、国籍問題でかなり揺れている。アメリカ人が直面している国籍問題を述べると一冊の本が出来てしまうので、詳しく述べないが、特徴的な部分をちょっとだけ述べてみたい。
外国人による国籍取得には、「結婚」という常套手段がある。アメリカ合衆国へ出稼ぎにやって来たり、永住を目的に渡米する者、密入国を果たす者など、十人十色だが、やはり安定した生活を送るためには合法的在住の方がいい。そこで手っ取り早いのが、現地人と結婚することだ。特に女性の移民なら簡単だ。女に飢えた不細工な男性に色目を使って虜(とりこ)にしてしまえばいい。支那人とかフィリピン人などは結婚を「手段」と見なし、白人女性に相手にされないクズ白人に近づいて、肉体を武器にアメリカ国籍を取ってしまう。たとえ、最初から結婚が無理でも、妊娠すれば相手の男性も考えてしまうから、もう帰化したのと同じである。現在では外国人の男女とも、この手口を使って国籍を取得するが、昔は男女の違いによって国籍取得が難しかった。
第19世紀末、日本でいえば明治から大正時代の頃、アメリカ人女性が外国人男性と結婚するとアメリカ国民の地位を喪失してしまう危険があった。現在の価値観からすれば信じられないが、1907年の「国籍離脱法(Expatriation Act)により、女性は結婚により亭主の国籍へ移ってしまい、自動的にアメリカ国籍を離脱した事になってしまうのだ。当時、女性の国籍は旦那に依存するという考え方が一般的だったし、夫婦の一体感を重視する風潮があったから、国籍を変えることになるとすれば、女房が亭主の国籍に移る方が普通だった。この件についての実例は「マッケンジー対ヘアー(Mackenzie vs. Hare)」という訴訟である。1909年、サンフランシスコに住むエセル・マッケンジー(Ethel C. Mackenzie)というアメリカ人女性が、結婚による米国籍喪失に異議を唱え、訴えを起こした。というのも、彼女は同市に住むゴードン・マッケンジーというスコット人歌手と結婚したことで、アメリカ国籍を失ってしまったのだ。旦那がブリテン国籍だから、エセルもブリテン国籍者となってしまったのだが、アメリカから離れるつもりもないエセルとしては納得が行かなかった。それで裁判に訴えたのだが、あえなく却下。もし、結婚前に旦那が帰化して米国籍者となっていれば、彼女の身分はそのままのはず。選んだ男が悪かったということなのかも知れない。
(左: 女性の参政権を求めるアメリカ人女性 / 右: アメリカ人カップル)
ところが、第一次世界大戦が勃発したことで事態は転換を見せる。ドイツが敵国となったことで憤慨するアメリカ人女性が出てきたのだ。第19世紀から第20世紀初頭まで、ドイツからの移民は結構多くて、当然のことだけど、ドイツからの移民が現地のアメリカ人女性と結婚することも稀ではなかった。ただ問題なのは、結婚相手のドイツ人が帰化していないうちに結婚してしまうと、アメリカ人の女房はドイツ国籍者になってしまうのだ。特に、大戦中ともなれば、米国生まれで米国育ちなのに、「敵国人」と見なされ、財産を失うケースもある。それゆえ、1907年法に反対する女性が大勢いたらしい。アメリカ人女性の不満はこれだけに留まらず、選挙権がない事にも批判の矛先が向けられていたという。
(左: ジョン・ケイブル下院議員 / 右: 既婚女性の権利を求めるアメリカ人女性)
1922年はアメリカ人女性にとり、記念すべき年となった。すなわち、「既婚女性法(Married Women's Act)」ないし「既婚女性の独立した国籍法(Married Women's Independent Nationality Act)」と呼ばれる法案が成立したのである。この法律は議会で主導権を取った共和党下院議員のジョン・ケイブル(John Levi Cable)の名前にちなんで「ケーブル法(Cable Act)」とも呼ばれている。ケーブル議員が推進した法律により、外国人と結婚したアメリカ人女性が自動的に国籍を喪失することはなくなったという。また、女性参政権の方もかなりの進展をみせており、議会は1919年に憲法の修正を行い、女性にも参政権を与えるようにしたのである。(合衆国憲法修正第19條) こんな経緯があったから、米国では「元の国籍とか性別で差別してはダメ」という議論が活発となっているのだ。
イスラエルとアメリカの国籍を併せ持つユダヤ帰化人
この歴史に大量移民の流入もあったから、現在の米国では国籍付与の条件が非常に緩くなっている。中には「二重国籍を認めろ」という主張まで堂々と行われているのだ。世界中から外国人が集まってくるアメリカだと、厄介な連中も多く紛れ込むので、政治や文化の面で悩みの種が尽きない。読者からは、「またぁぁ~?」と嫌悪の声が上がってきそうだが、法学専攻の米国人が二重国籍問題を勉強する時には必ず出くわす事例がある。それが1967年に起きた「アフロイム対ラスク(Afroyim vs. Rusk)」という裁判で、この判決が二重国籍を認める先例となってしまったのだ。ちなみに、ラスクとは国務長官のディーン・ラスク(Dean Rusk)のことである。
(左 / ベイズ・アフロイム )
ベイズ・アフロイム(Beys Afroyim)という原告は、アメリカ生まれの国民ではなく、1893年にポーランドで生まれたユダヤ人で、本名を「エフライム・ベルンシュタイン(Ephraim Bernstein)」という。(何でこうもユダヤ人はしょっちゅう問題ばかり起こすのか、毎度の事だけど理解に苦しむ。) 彼は19歳の時(1912年)に渡米し、1926年にアメリカ国籍を取得したそうだ。このユダヤ移民は藝術家であったらしく、自分の藝術学校(Afroyim Experimental Art School)を設立して生徒に教えていたそうだ。ところが、単なる藝術家でないところが、いかにもユダヤ人らしい。何を隠そう、彼はバリバリの共産主義者であったのだ。(Ben Herzog, Revoking Citizenship : Expatriation in Amerca from the Colonial Era to the War on Terror, New York : New York University Press, 2015, p. 82.) 毎回呆れてしまうけど、ユダヤ人にはコミュニストが多い。こんな男だから嫁ぐ女も同類で、妻のソシャナ(Soshana)も左翼の藝術家ときている。
新天地のアメリカで藝術活動と政治活動に勤しんでいたアフロイム夫婦だが、1940年代後半から50年代にかけて巻き起こったマッカーシズムの嵐に遭遇し、身の危険を感じ取った二人はヨーロッパへ逃げることにしたらしい。アメリカを去ってヨーロッパに行くも、やはりそこはユダヤ人。イスラエルに移住したそうだ。イスラエルには「帰還法」というのがあって、ユダヤ人の血筋なら国籍を取得できるという制度がある。つまり、ユダヤ教の信仰を持たなくてもいいし、無神論者とか世俗主義者でも構わないとする、レイシスト法が罷り通っていたのだ。そこで、イスラエル国籍者となったアフロイムは、当然だが、現地で投票行為を行ったという訳である。
しかし、どんな夫婦も危機を迎えるようで、アフロイム夫婦にも「離婚」という危機が訪れてしまった。1960年、女房と別れたアフロイムは心機一転、アメリカに戻ってやり直そうとしたのである。ところが、アメリカ国務省は彼のパスポート更新を拒否。なぜなら、アフロイムは1951年にイスラエルの選挙で投票を行ったからだ。彼は1940年の国籍法に抵触した廉で、アメリカ国籍を喪失、もっと露骨に言えば、剝奪されてしまったというわけ。彼の弁明によれば、選挙に参加したのではなく、投票所に訪れる人々をスケッチするため現場に赴いたというのだ。しかし、こんな言い訳は認められず、彼の主張は裁判で却下。だが、最高裁の判事たちは、彼の国籍剝奪を憲法違反と判断した。つまり、外国の選挙で投票したことが、即アメリカ国民の国籍喪失に繋がる訳ではないということらしい。この判決は、アメリカ国民からその神聖な国籍を剝奪するのは難しく、本人の自発的放棄でなければ容易でない、ということを示している。まぁ、違憲判決を下した判事たちの面々を思い出せば、なぜこんな馬鹿げた結果になったのかがわかるだろう。多数派を形成したのはリベラル派のヒューゴ・ブラック(Hugo Black)判事とアール・ウォーレン(Earl Warren)首席判事、そしてニューディーラーで極左のウィリアム・ダグラス(William O. Douglas)判事、死刑反対で中絶賛成のウィリアム・ブレナン(William Brenan, Jr.)判事、ユダヤ人のエイブ・フォータス(Abe Fortas)判事である。(それぞれの裁判官について述べると長くなるので省略する。我が国でもそうだが、米国には左翼判事がとても多い。)
(左: ヒューゴ・ブラック / アール・ウォーレン / ウィリアム・ダグラス / 右: エイブ・フォータス )
現在の米国だと二重国籍が許されており、ユダヤ人の他には南米人に多重国籍者が結構いる。昔のメキシコだと、二重国籍なんか「もっての外」と反対していたが、近年になると移民から送られるお金に目が眩み、1998年に憲法を修正し、二重国籍を許してしまったそうだ。まぁ、あれだけ大量のメキシコ人が米国に移り住んで、故郷の家族に送金するんだから相当な額だろう。それに、アメリカ国籍を持つメキシコ国民が増えたところでメキシコ政府に損は無い。むしろ、隣国に強力な味方が増えたのだから万々歳だ。アメリカ国籍を取ったメキシコ移民は、メキシコを敵視するトランプ大統領を「国内」で攻撃してくれるし、メキシコとの経済関係をスムーズにする潤滑油にもなる。トランプを支持する西歐系アメリカ人からすれば忌々しい存在だけど、大量の異邦人を受け容れれば、こんなことが起こっても不思議ではない。帰化した支那人だって、便利な選挙権を行使して利益を貪っているんだから。地峡嬢で最低の支那に生まれた貧乏人が、上海や北京に住んでいたって何の得にもならない。せいぜい汚い空気を吸って肺癌になるくらいだ。ところが、米国に潜り込んで国籍を取得すれば、所得に関係無く投票権がもらえ、同胞と一緒に徒党を組めば一大勢力になれる。だから、支那人は各地で圧力団体を作っているのだ。一方、西歐系アメリカ人で支那に帰化して、支那国内で政治活動をしようとする奴なんていないから、どう考えても不公平である。
国家への純粋な忠誠心
二重国籍容認の「旨味」を知ったのはメキシコばかりじゃない。米国に大量の移民を輩出するインドやフィリピンも、この利点に気づき、同胞がアメリカ国籍を取得しても、インド国籍やフィリピン国籍を保持できるよう配慮しているというのだ。一方、二重国籍者となった帰化人も祖国のパスポートを維持できることでメリットがある。例えば、アメリカ国民となったフィリピン人が実家に里帰りする時、母国の旅券を持っている方が得だし、持っていても維持費が掛かるわけじゃないので損は無い。こんな利点があれば、日本にやって来るフィリピン人も二重国籍を持ちたい、と考えても当然だ。ただ、フィリピン人には家族への愛はあっても、祖国への愛着が無いから、日本国籍取得が第一となる。フィリピン国籍を失って寂しいという感覚は無い。だいたい、「フィリピンを誇りに思う」なんてフィリピン人はいないだろう。フィリピン人女性と結婚した日本人は、ゴミ溜めと変わらないフィリピンの国籍なんか取らない。日本人男性の目的は女の肉体だけ。フィリピン人の女房がタガログ語を話しても、その言語を学ぼうなんて気は更々無い。
( 写真 / 魅力的なフィリピン人女性 )
国家主義とかナショナリズムを憎む蓮舫には、「日本優先主義」とか「愛国精神」というものは無い。彼女は二重国籍を「人権」みたいに肯定しているが、この容認は日本社会に深刻な影響を及ぼす。もし、台湾人やインド人、フィリピン人、朝鮮人の片親を持つ混血児が、成人になるまで国籍を決めていない場合、どうやってその子に愛国心が芽生えるのか? なるほど、日本で生まれ、日本でずっと暮らせば日本語が流暢になるし、日本食が好きになり、日本の漫画も好きになる。また、隣近所の日本人と同じく、地元の商店街にも詳しくなるだろう。しかし、その子供は命を懸けて守る「祖国」を理解しないのだ。公教育の要諦は、如何にして立派な公民を育成するかにある。米国では幼い頃から星条旗に対する忠誠心を植え付けることが教育の根幹だ。数学や理科が苦手でも、アメリカに対する忠誠心があればいい。逆に、優秀な科学者でも国家機密を外国に売り渡す奴は最低の人間だ。
では、どうやって立派な国民を育成するのか? 一番良いのは、国家の歴史を教える事である。祖先たちがどれほど苦労して国家を維持してきたのかを教える事で、未来を担う子供たちはその後継者としての自覚を持つ。ところが、二重国籍の子供はどうなるのか? 将来、捨て去るかも知れない国の歴史なんか、勉強する価値も無い。ただ、アジア系の二重国籍者は大抵、祖国に戻らず日本国籍を取得するから、未決定の子供はだいたい日本人になるものと思っている。ところが、彼らは素直に歴史を学ぶことができない。なぜなら、自分を「完全な日本人」とは思っていないからだ。日本人とは「日本人の両親から生まれた者」という暗黙の定義があるので、混血児は無意識的に我が国を愛することができない。例えば、帰化鮮人の息子は自動的に「日本国民」となるが、皇室への敬愛は無い。天皇陛下を見ても「なんであんな奴が威張っているんだ?」との反撥が芽生えてしまうのだ。朝鮮にいる自分の遠い祖先や、日本に潜り込んだ祖父母なら尊敬できるけど、赤の他人である皇族を尊敬する義務は無いし、その感覚が理解できないのである。片親が日本人でも、朝鮮人の血が混ざっていると「よそ者」となってしまう。アジア系混血児にとって、「アジア人の血」というものは恥辱の源泉となっており、拭いたくても拭えない「汚点(stigma)」になっている。彼らは日本の旅券を取得しても、先祖代々の国家的遺産を継承する「日本国民」にはなれない。アジア系混血児の「苛立ち」は、日本人の偏見ではなく、三流国にしか見えない祖国と、情けない祖先を見られたことによる「恥ずかしさ」が原因となっている。
本来なら、二重国籍どころかアジア人の帰化も原則禁止にすべきなのだ。もし、日本国籍を取得したいのであれば、インターネットを通してでもいいから、その意思を全国民の前で表明し、宗教の入信式と同じような宣誓を行い、その上で国民からの承認を得るという手続きにしなければならない。スイスだと帰化申請者の素性や経歴を書いたパンフレットを作って、住民が許可・不許可を決めていたんだから、日本人も役人ではなく、一般国民が申請者を吟味すべきなのだ。これはプライバシーの侵害ではない。外国人を「同胞」として迎えるんだから、受け容れる側の日本人が、その者を直接審査して、本当に「仲間」として相応しいのかどうか調べるのは当然だ。もし、こうした資格審査が実行不可能なら、せめて真摯な国家への忠誠を求めるべきだ。アメリカに帰化を申請する者は、以下のような宣誓を行っている。
私はかつて臣下あるいは公民であったところの外国の君主、支配者、元首に対する総ての臣従と忠誠を悉く全面的に破棄することを、ここに誓います。私は国内外のあらゆる敵に対し、アメリカ合衆国の憲法と法律を守り支えます。・・・法が求めるなら、私は合衆国の為に武器を取る所存であります。また、法が要求する時、私は文民指揮官のもと、国家の重要な役目を務める意思を有します。私はこの義務を、なんの余地も無く、自由意思に基づき行っています。主に誓って述べます。
(写真 / 国籍取得時の宣誓式)
こんな宣誓文を日本政府は要求しているのか? 例えば、帰化を求める朝鮮人や支那人が、「日本国に心の底から忠誠を誓います」とか、「一旦緩急あらば、国家と皇室の為に武器を取ります」、なんて口にするのか? (アジア人の言葉は本当に信用できない。「言葉」なんか無料だから、いくらでも「神聖な言葉」を吐くことができる。) 蓮舫が戸籍謄本を見せないというのであれば、テレビ・カメラに向かって、「外国勢力の如何なる誘いにも一切応じず、たとえ全身から血の一滴が無くなろうとも、愛すべき日本に尽くし、国家と皇室に絶対の忠誠を誓います」くらいは宣言してもらいたいものだ。我々は紙切れ一枚で「私は日本人よ !」と豪語するアジア人を「日本人」とは認めない。日本国民は「排外主義」とか「民族差別」という宣伝工作に騙されず、何度でも蓮舫に「過去を正直に話せ !」と迫るべきだ。我々は蓮舫のバスト・サイズを知りたいんじゃない。その胸に秘めた正体を知りたいのだ。
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