失敗だった英国の戦争

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(左: ユニティ・ミットフォード  /  右: アドルフ・ヒトラー)

  一般的に日本人は戦争音痴だ。戦争とは銃撃戦だけではなく、謀略が渦巻く心理戦をも含んでいる。そして、戦争には目的があって、いくら戦闘で勝っても、当初の目的を達成できなければ意味が無い。第二次世界大戦を見ていると、最大の勝者はスターリンのソ連で、最も悲惨なのは敗者のドイツ人と日本人である。アメリカは半々で、ブリテンはどちらかと言えば、負け組だ。「なにぃぃぃ?!」とクールポコの小野ちゃんみたいに目を剝いて驚くのは学校秀才だけ。教科書の記述は一応正しいけど、真相を語っているとは限らない。ブリテン政府はドイツがポーランドに手をつけたことで戦争を始めたが、結局ポーランドはスターリンの手に落ちてしまった。ヒトラーが悪くて、スターリンなら良いなんておかしいじゃないか。それに、どうしてイギリス人の兵卒がポーランド人の為に死ななければならないのか? 誰だって怪訝に思うだろう。普通のイギリス人はイングランドの為に闘うが、世界各国を防衛するために死ぬのは御免である。

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(左: ローズヴェルト  / 中央: スターリン /  右: チャーチル)

  第二次大戦で勝者となった英国だが、戦争が終わると経済はガタガタになっており、しかも優秀な人材が大量死。生き延びた将兵も負傷したり、精神がズタズタになって役立たずになってしまった。宣伝番組としか言いようのないドキュメンタリー映画は、格好が良くて「健康な英雄」に多くの時間を割くが、戦場で呻(うめ)き声を上げる負傷兵のシーンはほんのちょっぴり。実際の戦場では、爆弾の破裂で片足や指が数本吹っ飛んだり、破片が目玉に刺さって失明なんて珍しくない。また、大やけどで顔がケロイド状態なった兵卒なんて、本当に惨めである。これだから、前線に駆り出された労働者階級が戦果に不満を持っても当然だ。彼らはチャーチルの口車に乗ってドイツを倒したが、ふと気がつけば大英帝国も消え去っていたのである。必死で戦ったイギリス人からすれば冗談じゃない。奇妙なことに、ブリテン王国を勝利に導いたチャーチル首相は、栄光に包まれた「国家の英雄」と称されていたが、選挙区のイギリス国民からは不評で、再選に臨むとあえなく落選。チャーチルの没落は自業自得だからしょうがないけど、その“とばっちり”が一般国民に降りかかっていたのである。何と、自慢の植民地を失ったら、旧植民地から続々と有色人種がやって来たのだ。白人が主人公の島なのに、アフリカの黒人やアジアからの褐色人種が上陸し、まるでイギリス人のように街に住み始めたのである。これじぁ、イギリス人だって「蘇れ ! ヒトラー !」と叫びたくなるじゃないか。

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(左: アドルフ・ヒトラー  /  右: 三巨頭会談)

  だいたい、ドイツでアーリア人とか北方種族が主人になってもイギリス人は一向に困らない。イギリス人自身が白人至上主義者で、「オレたちが世界で一番優秀」と信じていたのだ。インドや支那で君臨していたイギリス人は、たとえ謙虚になっても「私たちは有色人種と対等なのかなぁ」とは思わない。大英帝国の臣民なら、「オレたちは生まれながらの支配民族」と考えるのが当時の常識で、今でもイギリス人は密かにそう思っている。ところが、ドイツ人を悪魔にして打倒したイギリス人は、ナチズムに関係するもの総てを廃棄したことでしっぺ返しを食っている。イングランドでアングロ・サクソン至上主義が「駄目」となったら、イギリス人はどこで自分たちの「ホーム」を見つけたらいいのか。ケニアやギニアの黒人が、アフリカ大陸で黒人至上主義を唱えても誰も彼らを譴責しないのに、同じ事をイギリス人が唱えれば袋叩きに遭ってしまう。モンゴルでは世界征服を達成したチンギス・ハンが未だに民族の英雄なのに、アメリカ人や日本人はモンゴル人を厳しく非難しないのだ。ジョージ・W・ブッシュ元大統領は、ヒトラーとナチ・ドイツを罵倒したのに、チベット人の虐殺者たる胡錦濤と笑顔で握手した。ユダヤ人の大量虐殺は悪だが、チベット人の民族的抹殺はOKなんておかしい。

  確かにヒトラーは領土拡張を欲したが、ドイツ軍によるイングランド征服を目指した訳ではない。しかし、ソ連への侵攻なら考えていた。というよりやる気満々だ。戦場で戦う破目になるイギリス人の兵卒なら、「そりゃ結構だ。さっさとロシア人どもを片付けてくれ。オレたちは共産主義なんか大嫌いだ。君主政撲滅なんてとんでもない。ドイツ兵はロシア兵と戦って共倒れしてくれ。ポーランドなんて関係ねぇ。オレたちには女房子供がいるんだ。国王陛下万歳 !」と考えるはずだ。ヒトラーが英国との同盟を望んでいたことは明らかで、それなら英国政府はドイツ政府にソ連への攻撃を唆(そそのか)すべきだった。建前上、協力者になれないのであれば、裏からこっそりと支援すればいいじゃないか。ついでに、日本も南進論を取らず、北進を決定して、日独でソ連を挟み撃ちにすれば良かった。まぁ、そんなことをすれば近衛文麿や尾崎秀実以下、ソ連シンパの統制派軍人や革新官僚が困ってしまうけどね。

変人貴族のご令嬢

  つい長くなったが、大戦前、イングランドとドイツの同盟を夢見たイギリス人女性がいた。その名はユニティ・ヴァルキューリ・ミットフォード(Unity Valkyrie Mitford)である。彼女は1914年8月8日、第二代リーズデイル男爵(2nd Baron Redesdale)ことデイヴッド・ベルトラム・フリーマン・ミトフォード(David Bertram Freeman Mitford)の娘として生まれた。母親はトマス・ギブソン・ボウルズの娘シドニー(Sydney)である。リーズデイル卿は子沢山で、息子一人と娘六人をもうけていた。長女がナンシー、次女がパメラ、三番目が息子のトマスで、四番目がダイアナとなる。ダイアナの妹が五番目のユニティで、六番目がジェシカ、末っ子の七番目がデボラであった。ユニティに「ヴァルキューリ」という名が附けられたのは、祖父のアルジャノン(Algernon)がリヒャルト・ワーグナーの信奉者かつ支援者であったからだ。リーズデイル卿は幾つもの所領を持っており、グロチェスターシャーのバッツフォードには宏大な領地があって、そこに建てられたチューダー朝の城に住んでいた。

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(左: 幼い頃のユニティ  / 中央: 成人した頃のユニティ /  右: ミットフォード家の集合写真)

  普通の日本人だと英国貴族の生活に憧れてしまうが、現実はそれほど甘くはなく、貴族の家庭に生まれたからといって、その子供たちが幸せな日々を過ごせるとは限らない。六番目の娘ジェシカの回想によると、教育はスパルタ式で、白い漆喰の壁に囲まれた部屋はとても寒く、部屋には暖房が無い。冬になると洗面器の水が凍るほどだったという。住む家に温かみが無かったのはしょうがないが、家族にも温かさが無かったのは哀しいことである。唯一の息子であるトマスは嫡男として大切にされたのだが、娘たちの教育はおざなりで、養鶏場の費用ほどにはお金を掛けてもらえなかったそうである。娘たちの誰一人として長期間の学校生活を送った者はいなかったという。ただし、ユニティだけが例外的に寄宿学校へ通わせてもらえたそうだ。しかし、お転婆娘というか気性の荒いユニティは直ぐ学校を辞めてしまい、彼女を受け容れてくれる学校はどこにもなかったらしい。家庭教師にもヘビを使った悪戯(いたずら)で困らせたそうだ。

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(写真  /  ミットフォード家の子供たちと両親 / 左下の女の子がユニティ )

  娘たちが変わっていたのは、両親が変人だったからであろう。リーズデイル卿夫人のシドニーは厳格なうえに冷たい感じの女性で、近寄りがたい人物と周囲から見られていた。彼女の話はいつも辛辣で、気性の激しい毒舌家であったというから、お世辞にも愛嬌のある奥方と評することはできない。他方、夫のリーズデイル卿は相当な癇癪持ちで、彼は度重なる激しさで義歯を噛み砕いてしまうほどであったという。こうした性格の上に外人嫌いときているから、とても人に好かれるような人物ではない。彼はアウトサイダーの全てを軽蔑していた。ドイツ人は「フン族」と呼ばれ、フランス人は蛙を食べるからだろうか「カエル」、田舎者としか思えないアメリカ人、長年の敵であるカトリック信徒、そして黒人やユダヤ人などはもう論外。唯一の例外はアメリカ人作家のジャック・ロンドン(Jack Griffith London)だ。リーズデイル卿はロンドンの『白い牙』を愛読書にしていたそうで、この本以外は読んだことがないと自慢していたらしい。作家のロンドンは日本でも馴染み深く、彼は日露戦争を取材するために来日したこともある。米国へやって来る黄色人種に反対していたが、日露戦争に勝った日本人の事は尊敬していたそうだ。でも、彼は無神論者にして社会主義者だった。変人のリーズデイル卿がファンになったのも分かるような気がする。

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(左: ジャック・ロンドン  / リーズデイル卿デイヴッド・ミットフォード / シドニー・ミット・フォード夫人 / 右: 息子のトマス・ミットフォード )

  こんなリーズデイル卿夫妻は趣味も変わっていて、彼らはカナダのオンタリオ州に土地を購入していて、そこで金鉱探しをしていたそうだ。そして、1914年の冬、身籠もっていたシドニー夫人は金鉱採掘者たちの居住地、「スワスチカ(Swastika)」でユニティを出産したという。後にナチ・ドイツに夢中になる娘が、こんな名称(ハーケンクロイツ / 鉤十字)の土地で生まれたんだから、何とも運命的な誕生である。ちなみに、ナチスの鉤十字は右向きのスワスチカで、昔のインドだと神様や太陽を表していたようだ。一方、太陽を国旗のデザインにしている日本のお寺や染め物、家紋に用いられる「まんじ」には、左卍が多いよね。一般人は気にしていないけど、子供に尋ねられた教師や親は、どう答えているんだろか? でも、即座に「ナチスのまんじとは逆なんだよ。でねぇ、永遠の勝利とか女神、魔術を表しているんだよ」と説明できる人は、相当なオタク族に見えてしまう。

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(左: ユニティと両親  /  右: ミットフォード家の子供たち)

  イギリス人にはエキセントリック(eccentric)な人物が多い。しかし、リーズデイル卿の奇行はイギリス人でも眉を顰めるだろう。例えば、彼は「チャイルド・ハント(子供狩り)」に興じたことがあるそうだ。それは、猟犬を引き連れたリーズデイル卿が、娘たちの残した足跡を辿って追い詰めるという遊びであった。村の住民たちは驚いたそうだが、子供たちは結構この「遊び」を楽しんでいたそうだ。今なら幼児虐待で児童福祉局が出動する騒ぎとなるだろう。父親が変人なら母親も変人だった。シドニー夫人は何の予防であれ、娘たちに決して予防接種を受けさせなかったという。また、ユダヤ人は癌に罹らないと頑なに信じていたようで、豚肉を用いないユダヤ式の食事を導入したそうだ。ユダヤ教徒の「コーシャ」なんて美味しくもないのに。支那人ならどんな金持ちだって豚肉を断つことはない。やはり、支那料理では豚肉が一番いい食材なんじゃないか。でも、豚の鼻を食べる支那人や豚の足まで食べる朝鮮人は厭だなぁ。豚足は考えようによっては気持ち悪い。散々ウンコを踏みつけた足にかぶりつくなんて。もし、毎日ウンコを掬っていたお茶碗に御飯を盛ったら、日本人はどう思うのか。「洗ったから気にしないでね !」と言われても、気にしちゃうよねぇ。

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(左: 幼い時の ダイアナとデボラ /  右: 幼い時のユニティとジェシカ)

  こんな家庭で育ったユニティは、12歳で既に大柄だったという。姉のナンシーから「不格好(Boud)」という綽名をつけられたユニティは、大人になると近衛兵並に身長が伸び、180cmくらいの背丈があったそうだ。ユニティは大きな碧い目を持ち、相手をじっと見据える目つきで、手足が長い。ナチ党員から見れば、理想的な金髪碧眼の美女という姿であったが、妹のジェシカによれば、毛むくじゃらのヴァイキングであったらしい。それでも、十五歳になったユニティがパーティーに出れば人目を引いたし、姉のダイアナが結婚式を挙げたセント・マーガレット教会でも目立っていたという。

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(左: ナンシー・ミットフォード  / パメラ / ジェシカ / 右: デボラ )

  姉のダイアナはたぶん、姉妹の中で一番の美貌を誇っていたのかも知れない。同じ姉妹でもばらつきがあって、ダイアナとユニティ、デボラは美人タイプで、ナンシーは少し凡庸、ジェシカはやや劣るといった感じ。面白いことに、ダイアナとユニティはナチズムに夢中になったが、ジェシカはコミュニズムに傾倒し、極左グループと付き合うようになり、スペイン内戦が勃発すると、スペインに渡ってしまったというから、相当な入れ込みようである。もし、ジェシカがユニティを凌ぐほどの美人であったら、共産主義者になっていたかどうか疑わしいところだ。あんな暗い教義に惹かれる女性というのは、どこか精神に歪みが生じている異常者、あるいは僻(ひが)みっぽい性格のブス、物事を否定的に見てしまう根暗人間に多い。共産主義者になる人は、自分の努力で社会を豊かにしようとはせず、他人の財産を奪って気前よく分配することに「正義」を見出す。彼らは自分で稼ごうとはせず、他人の財布に嫉妬を覚えるんだから、精神的に賤しいと言えるんじゃないか。

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(左: ダイアナ・ミットフォード  /  右: ダイアナの子供たちと一緒のユニティ)

  つまらなそうな人生を送るユニティに一大転機が訪れたのは、ダイアナの不倫が切っ掛けであった。美貌を誇るダイアナは、娘たちの間で人気の高いブライアン・ギネス(Bryan Guinnes)と結婚できたのだ。言うまでもなく、ブライアンはビールやウィスキーの製造で有名なギネス家の御曹司で、莫大な遺産を相続した青年である。1932年の夏、ユニティは姉夫婦が主催する仮面舞踏会に出席し、そこには億万長者のオズワルド・モズレー卿(Sir Oswald Mosley)が参加していた。彼は保守主義と自由主義を代表する議員として政界に登場するが、やがてプレイボーイの社会主義者となり、労働党政権に入閣するや、大臣にまで上り詰めた。しかし、モズレーは自分が提出した経済政策が却下されると、労働党に背を向け、自らの政党を設立するまでになったという。ドイツのナチ党を模範にして結成された政党は「新党(New Party)」と呼ばれたが、総選挙で惨敗するや、この「新党」は解散の憂き目に遭ったそうだ。しかし、これでモズリー卿の政治生命が終わった訳ではない。ユリウス・カエサルとムッソリーニを理想とするモズリー卿は、英国でファシズムによる政治を目指したという。

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(左: オズワルド・モズレー  / 右: モズレー率いる黒シャツ隊 )

  件(くだん)の仮装パーティーに現れたモズレー卿は、全身をファシストの黒で固めていたので格好良かった。妖艶な雰囲気を醸し出すファシストには危険な香りがある。特に、堅実な家庭生活を営む、貞淑そうなな奥方は身を引き締めなければならない。どんな女性にも「魔が差す」という瞬間がある。夫と二人の子供を持つダイアナであったが、モズリー卿との間に芽生えた禁断の愛に落ちてしまった。当時のモズリー卿は知的なうえにハンサムであったというから、ダイアナが惹かれたのも無理はない。1933年、ユニティは姉の不倫相手に紹介され、モズレー卿が行った「ハイル・ザ・ファシスト !」という挨拶に感動したらしい。このファシスト貴族に魅了されたユニティは、1932年に出来たばかりの「ブリテン・ファシスト連合(British Union of Fascists)」に感銘を受け、躊躇いも無く入会したそうだ。黒シャツ隊の「ハイル・モズレー」はドイツ式の敬礼を真似ただけで、これといった独創性は無い。その方針だって完全にナチ政権を模倣したもので、モズレーに対する絶対服従が党の綱領になっていたそうだ。

Deborah Mitford 3Freeman Mitford, Deborah Vivien Cavendish










(左: デボラ・ミットフォーの結婚式  / 右: デボラ )

  黒シャツ隊に夢中になったユニティだが、彼女には全体主義とか国家社会主義の理論など、どうでもよかった。そんなものより、連隊旗とか髑髏マークの旗を靡かせた軍隊式行進や、威勢の良い音楽の方がお気に入りで、退屈な日常をドラマチックな世界に変える「運動」に興味を示したのである。そして、ユニティにとっては体に合わせて仕立てた党の制服、つまり今風に言えばコスプレ姿で闊歩することが嬉しかった。しかし、彼女は女の勘がはたらいていたのか、モズレーはヒトラーに匹敵するほどの人物にはならない、と気づいていた。そこで、彼女はファシズムの本場、ドイツに向かうことにしたのである。ミットフォード姉妹の人生は様々である。ダイアナは亭主を捨ててモズレーに寄り添い、やがてモズレー夫人となる。ユニティーはミュンヘンに渡ってヒトラーの追っかけとなり、ジェシカは共産主義に心酔して作家となるのだ。そして、末っ子のデボラは、デヴォンシャイアー公爵夫人(Duchess of Devonshire)となった。

次回につづく。




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