教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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左翼の巣窟で学者になる

  戦前と戦後で大きく変わった価値観一つに、子供がなりたい職業の変化がある。戦前の日本人は帝國陸海軍を誇りに思っていた。商売や留学で海外に暮らす日本人が現地人から一目置かれたのも、歐洲列強を威圧するだけの軍事力を持っていたからだ。日本海海戦でバルチック艦隊を完全に打ち負かし、奉天ではコサック騎兵を擁するロシア軍を帝國陸軍が破ったのは、一大快挙であり奇蹟に近い勝利だった。巷の保守派知識人は白人国家に勝った唯一の有色人種国と自慢するが、日本人が偉大だったのはアジアに属さず、日本人という意識で団結し、武士の気概を持つ孤高の民族だったからである。西歐人が我々を「アジア人」とか「有色人種」と呼ぼうが、そんなのは彼らの勝手な言い草で、我が国の強さとは関係無い。日本人は昔から戦闘民族で、名誉を生命よりも重んじる稀有な種族だったから偉大なのだ。

  こうした国家に生まれ育った日本の子供は、武士の伝統を引き継ぐ陸海の軍人に憧れ、将来は陸軍大将とか、海軍士官、戦闘機のパイロットになりたいと望んでいた。以前、大臣経験者の渡辺美智雄がテレビ番組のインタビューで、質問者から子供の頃の夢を訊かれて「陸軍大将かなぁ」と答えていたのを覚えている。普通の子供で「大学教授になりたい」とか「大蔵省の役人になりたい」と答えるのは稀だろう。やはり、戦場で勇敢に戦う指揮官の方が格好良く、宮澤喜一のように役所の片隅で軍人恩給の計算なんて嫌だ。大学教授の方は文弱の青瓢箪というのが漠然としたイメージで、肺結核に罹って死んでしまうのが落ちである。一般の女性だって、喧嘩に弱く、殴られれば鼻血を流してうずくまる文学青年より、血気盛んな青年士官の方が大好きだ。肉体に自信があり、容姿端麗の青年が目指した海軍士官は、うら若き乙女のハートをくすぐったそうで、たいそうモテたらしい。歐米に留学した日本人でも、軍服に身を包んだ若者は現地人からそれなりの尊敬を受けたが、単なる学者志望の若造なんか相手にされなかった。

Maruyama 2( 左 /  丸山眞男)
  戦前の日本でも大学教師の社会的地位は高かったが、弱肉強食の帝国主義時代だと、どうしても軍人の方が偉くなる。理系の技術者とか研究者なら、兵器開発に携わる貴重な人材だったから尊敬されたけど、文学とか哲学なんて暇人の学問と見なされがちだから扱いは良くなかった。当時の軍部には、役立たずの文系学生など兵隊不足の前線に送ってしまえと考える者もいたそうだ。しかし「適材適所」という言葉があるんだから、法学部や英文科の学者を諜報組織や宣伝工作部に招いて、心理戦を手伝ってもらうことくらい考えてもよさそうなものだが、そもそも日本人には民間人を起用して謀略作戦を仕掛けるという発想が無い。一方、米国だと戦時下で諜報員に転身した弁護士が多い。例えば、OSSを率いたウィリアム・ドノヴァン(William Donovan)は、第一次大戦時中に聯隊長を務めたが、平時になるとニューヨークで活躍する弁護士に戻っていた。彼の下でOSSに所属し、後にCIA長官となるアレン・ダレス(Allen Dulles)、フランク・ウィズナー(Frank Wisner)、ウィリアム・ケーシー(William Casey)も弁護士上がりだ。

  日本だと戦争になったからといって、大学講師とか弁護士が中隊長とか大隊長に抜擢されることはなかった。軍人と学者は縦割りの関係になっていたということだ。東京帝國大学で助教授になっていた丸山眞男は、1944年に召集され、二等兵として朝鮮に派遣されたという。当時、丸山は結婚したばかりで、30歳くらいだったが、身体は強靱でなかった。7月に召集を受けたのに、9月には脚気で入院生活。しばらくしてから再び軍に戻ると、広島の曉部隊の暗号隊に配属され、その後、船舶司令部参謀部の情報班に転属となった。頭が良かったから暗号解読の教育を受けたのだろうが、何しろ病弱だから、激戦をくぐり抜ける勇士ではなく、使役兵として肥桶担ぎがせいぜい。運が悪ければ古参兵や上官からビンタを喰らうのが軍隊の実態だった。

  ところが、8月15日に玉音放送が流れて大東亜戦争は停止となった。ピラミッド構造の軍隊でこき使われていた丸山一等兵は、終戦の詔勅を聴いて大喜び。彼は「終戦というのは、ぼくは躍り上がるほど嬉しかった」と述べている。(『丸山眞男 回顧談』 p.16) 祖国が破れて嬉しいなんて、丸山の精神は日本人じゃない。健全な日本人なら哀しむか、陰鬱な気持ちになるのが普通だ。確かに、アジア戦線で終戦を迎えた日本兵の中には、「これで命が助かった、万歳」と小声で喜んだ者もいたが、それは無謀な作戦に駆り出された兵卒だから仕方がない。でも、丸山は安全な参謀部情報班に居たのだから、少しくらい残念に思ってもいいはずだ。そんな丸山も終戦時に泣いていた。実は彼の母親が終戦の8月15日に亡くなっていたのだ。実家からの電報を受け取った丸山は、母の訃報を聞いて嘆き悲しんだという。

真っ赤な学者に教えを受けた丸山

  進歩的文化人として脚光を浴びた丸山は、学生時代、東大でどんな教授について学び、どんな本を呼んで勉強したのか? 高等文官試験を受けるつもりはなかった丸山が法学部に入学したのは、先生から文学部は行っても無駄だから法学部にしろ、と勧められたからだという。夏目漱石の親友で、菅虎雄(すが・とらお)という名物教授がいて、丸山はその学者に進路を相談したそうだ。菅教授曰わく、「文学なんてものは専攻すべきじゃない」と。文学というものは、就職してからでも自ら読むものだから、大学では就職してから勉強できない学問をやれ、と叱責されたらしい。父親の幹治も同じ意見で、大学を出てから勉強できないもの、独学では困難なものを専攻せよ、と言い聞かせ、法律は学生時代に習得しないとダメだと述べていた。そこで、丸山は法学部を目指したという。彼は一高時代、一番難しい「文乙(ドイツ語)」に入っていたから、ドイツ語の文献を読まねばならぬ法学部で有利だった。ちなみに、一番易しいのが「文丙(フランス語)」で、大抵の生徒は「文甲(英語)」を選んだそうだ。丸山は難しいドイツ語を選んだから、何となく威張っていたというか、鼻に掛けていた。

Hirano 1Yokota Kisaburo 1Miyazawa Toshiyoshi








(左: 平野義太郎  / 中央: 横田喜三郎  /  右: 宮澤俊義)

  東大に入るというのは、赤に染まるためじゃないか、と思えるほど、教授陣には凡庸なピンク系、平均的左翼、悪徳の極左が多い。丸山が習った教師には、「八月革命説」で悪名高い宮澤俊義がいたし、卑劣な国際法学者の横田喜三郎、マルキストの平野義太郎、経済学部の山田盛太郎がいた。丸山が直接世話になった教授というのは、あの真っ赤な蠟山政道である。蠟山は共産主義者の近衛文麿に仕え、近衛のブレーン・トラストたる「昭和研究会」に尽力した人物である。今ではどんな業績がある学者だったのか、ほとんど誰も知らないし、知ろうとも思わない。丸山がドイツの法学者カール・シュミット(Carl Schmit)に興味を持ったのは、蠟山の影響であったという。(『回顧談』 p.138) カール・シュミットについて述べると長くなるから省略するが、日本だと田中浩や樋口陽一といった極左学者に人気のある法哲学者である。そして、宮澤俊義がネタ本として用いたハンス・ケルゼン(Hans Kelsen)の法学が、丸山の思想を形成していたのである。このケルゼンは人定法(positive law)を商売にしていた代表的法学者で、左翼学者とか全体主義者に人気が高い。

Hans Kelsen 1Carl Schmitt 1Harold Laski 1










(左: ハンス・ケルゼン  / 中央: カール・シュミット /  右: ハロルド・ラスキ)

  その他に丸山が夢中になったのは、ブリテンに住んでいた政治学者のハロルド・ラスキ(Harold Laski)とドイツの政治学者ヘルマン・ヘラー(Hermann Heller)であったそうだ。(上掲書 p.135) こんな左巻きの知識人から最も影響を受けたなんて、丸山の頭の中味がどの程度なのか誰にでも解るだろう。偶然だけど、両者ともユダヤ人の左翼だ。彼らは西歐諸国でまともに相手にされないが、三流知識人が犇(ひし)めく日本の学界ではとても人気が高い。フェビアン協会と労働党を経てロンドン大学(LSE)の教授に納まったラスキは、岩波書店や法政大学出版局、ミネルヴァ書房の社会主義者には好評でも、健全な保守派知識人から見れば、あくびが出るほど退屈なマルキストである。一方、ドイツから追放されたヘルマン・ヘラーに至っては、その存在さえ知らないというのが現実だ。私的なことになるけど、筆者は教養課程を取ったときヘラーの『国家学』を読むよう「指導」されたことがある。半ば強制的なのだが、ヘラーの著書は矢鱈めったら晦渋なだけで、彼が何を主張したいのか明確に解らなかった。(明確に述べると「赤い尻尾」が丸出しになるので、左翼学者は「特殊用語」でコーティングするのを常とする。) ユダヤ人の左翼学者って、小難しい抽象語を弄(もてあそ)んで正体を煙に巻く人が多い。筆者はヘラーから得るところは無く、ただ本の値段が高かったことだけを覚えている。

Herbert Marcuse 1Max Horkheimer 1Jurgen Habermas 1










(左: ヘルベルト・マルクーゼ  / 中央: マックス・ホルクハイマー /  右: ユルゲン・ハバーマス )

  一般的に日本人は共産主義者の種類に詳しくない。「アカ」と言えば直ぐ暴力革命で政府を打倒する武闘派や、民間企業を国有化したり計画経済を推進する統制派を思い浮かべてしまう。しかし、厄介なのはフランクフルト学派のような良心的知識人を装った詐欺師タイプだ。丸山眞男はこの第三番目の共産主義者に属する。表面上、丸山は穏健な大学教授をカバーとし、滅多にその尻尾を現さず、いかにも善人ぶって民衆の幸福を第一に考える振りをしていた。しかし、その正体は、フランクフルト学派のユダヤ人ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)やマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)、ユルゲン・ハバーマス(Jürgen Habermas)などと同じ類いである。丸山の愛読書を調べてみれば分かるが、この隠れマルキストが好んだのは『イデオロギーとユートピア』を著したカール・マンハイム(Karl Mannheim)とか、ハンガリーのユダヤ人マルキストたるジェルジ・ルカーチ(György Lukács)が書いた『歴史と感泣意識』、そしてスターリンの『レーニン主義の諸問題』である。(日本の学者はマンハイムを「ハンガリー人の父とドイツ人の母から生まれた知識人」と紹介するだけだが、父のグスタフと母のローザは共にユダヤ人である。書類上の「国籍」より、血統上の「種族」の方が重要なのに、日本の学者はそれを隠そうとするから悪質だ。たぶん、「伝えない自由」が「学問の自由」に含まれるからだろう。)

Karl Mannheim 1Georg Lukacs 1Joseph_stalin 1










(左: カール・マンハイム  / 中央: ジェルジ・ルカーチ /  右: スターリン)

  大学という場所は教育・研究機関という役目を果たしているが、その一方、民間で使い物にならないダメ人間や社会不適合者、精神異常者、屁理屈屋、半端者を収容する隔離施設の側面を持っている。ところが、こうした象牙の塔では赤い知識人が繁殖してしまうから厄介だ。民間企業に勤めれば即座に解雇されるような人物や、実績が雀の涙ほどの者でも出世ができるし、まんまと教授になれば高額な給料と恩給が保障されてしまうのだ。紅生姜みたいな蠟山政道や南原繁に育てられた丸山は、東大に居坐って赤い弟子の育成に励んでいた。何処の国でも同じだが、左翼が繁殖してしまうのは、国民が悪党にも学問の自由を認め、それを赤色分子が利用して後継者の製造に励んでいるからだ。深紅の教授が出来損ないの学生を育成し、その者が目出度く助教授になると、さらなる学生をリクルートする。そうした孫弟子も講師から教授に出世すると、かつて世話になった師匠の本を絶賛し、次世代の若者を物色しようとするから悪循環が途絶えない。こうして左翼細胞はネズミ算式に増えて行く。左翼は独立不羈の精神を持って暮らすことができない。したがって、他人の銭を吸収しながら社会に害毒を巻き散らかすしか能が無いのである。各役所に共産党や社会党の手下が就職するのも同じ論理だ。「男女平等参画社会」の実現に取り組む役人が元気なのは、税金という肥料が栄養源になっているからだろう。

  丸山は教え子をヨイショして赤い細胞を政官財に送り込もうとした。東大法学部は官僚製造機関だから、東大生をこっそりとマルキスト的にしてしまえば、国家改造がしやすくなると踏んだのだろう。彼は戦前の日本を「ファシズム国家」と罵り、我々を暗い牢獄で抑圧された囚人のように描いていた。そして、日本を怖ろしいファシズムに導いた中間層、すなわち小市民階級を二つに分類したのである。第一の中間階級とは、小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売り商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校教員、殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官、というような社会層である。(丸山眞男 『増補版 現代政治の思想と行動』 未来社 1964年 p.63) 第二の類型は、都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、その他自由知識人職業者(教授とか弁護士とか)、及び学生層であるらしい。さらに、丸山は学生層も「第一」と「第二」の二種類に分けていた。もちろん、東大生は「第二類型」に入る。

  爬虫類のような冷酷さを見せる丸山は、第一の類型がファシズムの基盤である、と喝破した。第二のグループを「本来のインテリゲンチャ」と呼び、第一のグループを「疑似インテリゲンチャ」ないし「亜インテリゲンチャ」と見下していたのである。丸山によれば、いわゆる「国民の声」を作るのは、この「亜インテリ階級」であるらしい。まことに“イヤらしい”区別だ。丸山は自分が生まれた家庭と自分が学んだ学校、自分の教え子を「高級」で「良質」な階級と規定し、自分より「格下」の身分に属する庶民を足蹴りにしたのである。世間のオッちゃんオバちゃんは勉強ができなかったことを恥じて、「有名な東大の先生だから優秀なんだろう」と思ってしまうが、こんな推測は幻想だ。確かに、物理学者や数学者は優秀かも知れないが、それは客観的評価と国際競争に晒されているからである。外科医の評価はもっと厳しく、いくら肩書きが凄くても手術の失敗率が高いと、素人の庶民でもその手腕を訝しむ。一般人は他人の手術なら平気だが、自分の命が懸かっていると真剣に考えてしまうものだ。特に、内輪で看護婦さんの評判が悪い医者は「要注意」となる。

  しかし、法学や政治学、社会学、経済学の教授たちは、ガラパゴス島に棲息する珍獣でしかない。西歐諸国の一流学者は、特殊言語(日本語)で書かれた論文を読まないし、英語に翻訳されることもないから気に留めないのだ。とりわけ、各大学が発行する『紀要』は無能学者のために存在する雑誌で、誰も読まないから図書館の奥で埃(ほこり)を被っている。“これ”といった業績の無い教授にしたら、『紀要』の雑文でも“誇り”なんだろうけど、他人が見ればインクで汚れた紙切れに過ぎない。ちり紙交換のガラクタ屋でも引き取らない「紙屑の束」である。彼らは話をしたって面白くないから、誰も講演会のゲストに呼ぼうとはしないし、妬みや僻みが強いから人間的に魅力が無い。ただし、学内政治とか人事の根回しは得意だ。翻って、もし一般人がお金を払って講演を聴くとしたから、岡野工業の岡野雅行社長のような苦労人の方がいい。思わず膝を叩きたくなるような説得力がある。経済の話だって、売国奴の竹中平蔵なんかより、株の神様と崇められた是川銀蔵さんのような相場師に人気が集まるはずだ。(他人のゼニではなく自分のお金を運用する人は、投資の「指南役」選びに真剣なので。)

日本国民を分断する悪魔

谷沢永一2(左  / 谷沢永一 )
  かつて、故・谷沢永一先生は丸山眞男を批判する『悪魔の思想』を執筆し、その中で、なぜ丸山が「国民の中間層」を憎んだかに言及した。谷沢先生はこの中間層が社会的に有力者だったから、嫉妬したのだろうと推測していた。(『悪魔の思想』 クレスト社 平成8年 p.98) しかし、丸山の回顧談を読むと、もっとドロドロとした個人的恨みが根底にあったように思われる。つまり、前編で述べたように、特高に検挙され、怖ろしい留置所に勾留されたうえ、いつまでも監視対象となっていたことだ。もちろん、軍隊で二等兵だったから、理不尽なしごきやビンタ、嫌な雑役、臭い便所の掃除などといった忌まわしい体験も重なっていると思う。秀才の丸山が軍隊に入れば最下層の兵卒にされ、自由な読書生活を送っていただけなのに、警察からは終始「赤色分子」と目を附けられていたんだから、戦前の日本社会に恨み骨髄でも当然だ。彼はスターリンのソ連が大好きなのに、ドイツや日本のファシズムだけを非難するなんておかしい。しかも、我が国の「フアシズム」が如何なるものなのか、全く定義せず、ただ「ファショ」と呼んで嫌悪するだけだった。たぶん、個人的恨みが露見することを恐れたのだろう。

  左翼知識人は丸山の皇室観について率直に語らないが、丸山は密かに皇室を侮蔑していたはずだ。丸山は大学二年生の時、尾崎咢堂の講演会を聞きに行き、咢堂のある発言に衝撃を受けたという。咢堂曰く、

  われわれの私有財産は、天皇陛下といえども、法律によらずしては一指も触れさせたもうことはできない。これが大日本帝國憲法の主旨だ。

Ozaki 1(左  /  尾崎咢堂)
  丸山は「目からウロコが落ちる思い」をしたという。(『回顧談』 p.170) 彼は「社会主義の洗礼」を受けていたから、何となく私有財産というのが「悪」と思っていたそうだ。しかし、丸山が感銘を受けたのは私有財産の神聖さではない。天皇陛下でも国民の財産を勝手に取り上げることができない、つまり天皇より国民の方が「上」なんだと教えられたのだ。今まで国家の絶対者と思われていた天皇陛下が、国民が持つ飴玉や自転車すら奪う事ができないのだ。もっとも、天皇陛下が他人の財産を掠奪する暴君であったことは一度もないのだが、周りの大人たちが崇める天子様が法律に拘束されるなんて衝撃的である。憲法学者がよく「国民主権」を謳うのは、「俺たちの方が天皇より偉いんだ」と言いたいからだ。天皇は国民、より詳しく言えば知識人の「下僕」というのが、左翼の共通認識なのである。

  丸山が「民主主義」を矢鱈と称讃していたのは、知識人たる丸山たちが社会の頂点に立ちたかったからだろう。民衆は無知蒙昧の群れだから、教養人たる丸山が「正しい方向(共産主義)」に導いてやらねばならない。そして、彼らは絶対口にしないが、ソ連の占領軍を迎えるのは、スターリンを称讃してきた「進歩的知識人」との自負がある。アホらしい夢だが、彼らはロシア人から褒めてもらい、ソヴィエト日本地区の支店長になりたかったのだ。ちょうど、金日成が北鮮の代官に指名されたように。

  東大でぬくぬくと暮らしていた丸山は、殊さら知識人という身分を自慢していた。彼の見解によると、知識人というのは自分の階級を超えて、他の階級の立場を理解できるという。(『回顧談』 p.238) へぇぇぇ~、随分と偉いもんだ。天界に君臨する神様にでもなったつもりなんだろう。丸山は「民主主義」を商売にしながら、灯台のてっぺんから下界を見下ろして、愚民に説教を垂れていた訳だ。だが、この学者先生はマルクス主義の洗礼を経て、南原門下になったらしいから(上掲書p.251)、義理と人情で生きる庶民とはだいぶ感覚が違っている。丸山はあの尾崎秀実を「マルクス主義の教養を受けた最も良質な分子」と評していたのだ。(上掲書 p.250) (高齢者の方は椅子から転げ落ちないように注意して下さい。) いくらなんでも、それはないだろう。「おい、正気か?」と尋ねたくなるほどの見解である。こんな学者が名物教授だったとは、東京大学には教員の精密検査が無いのか? まぁ、教養の無い姜尚中が「朝鮮人枠」で教養学部の教授になれたくらいだから、旋毛(つむじ)が左巻きならOKなんだろう。でも、こうした心配も今では無用だ。東大には多くの支那人留学生が集まり、丸山より有害な存在となっているんだから。いずれは支那系総長だって選出されるだろう。もしかしたら、支那系総理が誕生して、日本共産党を傘下に置くかも知れないぞ。その時は、日系共産党員が反共パルチザンになる番だ。怯えた彼らが「北京の共産党を打倒せよ!」と叫びだしたら、案外乙(おつ)なものかもね。




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