教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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天賦の才に恵まれた少女

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(左: マッケンナ・グレイス  /  中央: クリス・エヴァンス/  右: 「ギフテド」で共演した二人)

  最近のハリウッド映画はどれもこれも精彩を欠き、わざわざお金を払って観る気がしない。でも、今年の夏は一つだけ驚いたことがある。まだ日本では公開されていない作品なんだけど、米国では今年の四月に上映された『ギフテッド(Gifted)』という映画がちょっとだけ良かった。この低予算映画は、数学の天才少女を巡る親権争いが全体の枠組みになっているのだが、その中核は親子の愛情を描いた物語である。大ヒット映画の『キャプテン・アメリカ』や『ファンタステック・フォー』を観た人なら分かるけど、少女の父親(実際は伯父)を演じていたのは、クリス・エヴァンス(Chris Evans)だ。(二枚目俳優は、どんな役をやっても「さま」になる。) そして、主役の少女を演じたのが、映画『ミスター・チャーチ』のイジー役でお馴染みのマッケンナ・グレイス(Mckenna Grace)だ。現在はTVドラマ『デジグネイテド・サヴァイヴァー(Designated Survivor)』に出演し、カークマン大統領の娘ペニー役をこなしているが、勉強と仕事の両立で忙しそうだ。

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(左: 「ジャック・バウアー」を演じたキーファー・サザーランド  /   右: 「カークマン大統領」を演じたサランド)

  日本での公開前に『ギフテッド』を観ようと思ったのは、大統領を演じるキーファー・サザーランドとマッケンナのシーンが微笑ましかったからだ。内政と対策に忙殺されるカークマン大統領が、夫人のアレックスと娘のペニーを気遣い、何かと家族を非常に大切にしているシーンは心が温まる。特に、副大統領の陰謀で暗殺未遂に遭ったカークマンが、第二弾を危惧するアレックス夫人の懇願で、息子と娘を「危険な」ホワイトハウスから遠ざけ、身内の安全を優先したことだ。家族と離れて暮らしたくはないが、不測の事態を避けるため、泣く泣く幼い娘と別れるカークマンには同情を禁じ得ない。大ヒット・シリーズのTVドラマ『24』では、サザーランド扮するジャック・バウアーが、御転婆娘のキムに手を焼き、次第に疎遠となってしまうけど、今回のドラマでは幼い娘だから父親に懐(なつ)いている。それに、アレックス夫人役のナターシャ・マッケルホーン(Natascha McElhone)がアイリス系美人だし、ペニー役のマッケンナも西歐系だから観ていて気持ちがいい。

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(左: 「キム」を演じたエリシャ・カスバート   / 中央: ナターシャ・マッケルホーン  /  右: デニス・ヘイスバート )

  一方、『24』では「多民族主義」が満載で、黒人男優のデニス・ヘイスバート(Dennis Haysbert)がパーマー大統領役だったし、そのシェリー夫人にはペニー・ジェラルド(Penny Johnson Jerald)があてがわれ、後に大統領役に昇進する弟役のウェイン・パーマーには、チンピラにしか見えないデイヴッド・ウッドサイド(David Bryan Woodside)が起用されていた。これは明らかに黒人版のケネディー兄弟だ。愛国心を前面に押していた『24』であったが、そのプロデューサーには民衆党贔屓のユダヤ人が控えていた。映画業界で大御所になったハワード・ゴードン(Howard Gordon)、エヴァン・カッツ(Evan Katz)、ジョエル・サーノウ(Joel Surnow)を見れば誰にでも解る。シリーズの中でも彼らの政治的嗜好は明白で、米国の裏切者となった「チャールズ・ローガン大統領(グレゴリー・イッツェン)」は、いかにもリチャード・ニクソンみたいだったし、シーズン8に出てくる「アリソン・テイラー大統領(シェリー・ジョーンズ)」は紛れもなくヒラリー・クリントンを模していた。

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(左: ペニー・ジェラルド  / デイヴィッド・サイド・ウッド   / グレゴリー・イッツェン   /   右: シェリー・ジョーンズ)

  案の定、『ギフテッド』も世界市場を狙っていたのか、多民族主義の害毒に染まっていた。この物語では、7歳の小学一年生メアリー・アドラー(マッケンナ・グレイス)が初めて学校に登校し、その類い希なる数学の才能を発揮して、担任教師のボニー・スティーヴンソン(ジェニー・スレイト)を驚かせている。それもそのはず。彼女の母親ダイアンは優秀な数学者であったからだ。「だった」というのは、既に亡くなっているからだ。彼女はミレニアム・プライズ問題の一つである「ナヴィエ・ストークス方程式の解の存在と滑らかさ(Navier-Stokes existence and smoothness)」に取り組んでいた。しかし、精神的に圧迫され自ら命を絶ってしまったのだ。以前、日本の教育問題を論じたけど、数学者は難問に取り組んでいるために、不幸な人生を送る人が少なくない。本当に優秀な数学者は金銭や地位を求めず、神秘的な数字の世界に魅了され、世間からの評価を気にしないものだ。「何とか学会の理事長職」を欲しがる数学者は、探究心よりも野心に取り憑かれた俗人である。それはともかく、研究に没頭しながらメアリーを出産したダイアンは、自殺する前に兄のフランク(クリス・エヴァンス)に娘を預け、「普通の子供時代」を過ごすような「普通の女の子」にしてもらうよう頼んだそうだ。

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(左: 亡くなった母ダイアンの写真  /   右: 教室でメアリーに質問するボニー・スティーヴンソン先生)

  妹からの委託を受けた兄のフランクは、約束通り姪のメアリーを“普通”に育てようとした。ところが、そこにフランクの母、すなわちダイアンの母でもありメアリーの祖母にあたるエヴリン(リンゼイ・ダンカン)が尋ねてくる。彼女は息子のフランクに孫娘を明け渡すよう言い付けたのである。というのも、エヴリンはかつて英国のケムブリッジ大学で数学を専攻する研究者であったからだ。彼女は英国でフランクの父と出会って結婚し、米国に移り住んだという過去がある。結婚と育児で天職を諦めたエヴリンであるが、数学への情熱は失われていなかった。娘のダイアンとは人生観で対立し、長いこと疎遠になっていたが、ダイアンが亡くなり、遺児のメアリーを引き取りたくなったのだ。それに、孫が数学の天才児と判ったから、是非とも手元に置いてその才能を伸ばしたいと熱望するようになったのである。頭脳明晰なエヴリンにしたら、フロリダ州の公立学校で、凡庸な子供たちと一緒に授業を受けさせるなんて、偉才の抹殺にしか思えない。神童には、それ相応の環境が不可欠なのだ、という信念がエヴリンにはあった。

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(左: 大学で勉強するメアリー   /  右: 祖母役のリンゼイ・ダンカン )

  しかし、メアリーと慎ましい生活を送るフランクは、上流階級の暮らしをする母の要求を斥けた。ボートの修理屋をしながら「娘」のメアリーを育てるフランクは、そもそも母親と反りが合わないようで、「母さん(Mom)」とは呼ばず、ファースト・ネームの「エヴリン」と呼んでいた。余談になるけど、スコット系女優のリンゼイ・ダンカンは、「エヴリン」という教育ママの役柄にピッタリで、感情を抑圧した冷たい感じの女性を見事に演じていた。それに、エヴリンが英国婦人という設定が、これまた良い。もし、彼女がイタリア出身とかメキシコ人だと、観客は白けてしまうだろう。ラテン系の母親が“冷静沈着に”怒るなんて想像できない。大抵は感情を剝き出しにして激怒するからだ。映画の中で面白かったのは、フランクと酒場でデートしていた担任教師のボニーが、彼の母親について尋ねたシーンだ。フランクが「俺の母親はブリティシュなんだけど」と語るや、ボニーは「ああ、ちょっと嫌な感じの人ってこと?」と聞き直した。フランクは「いや、イングランド出身ということさ」と説明したのだが、アメリカ人の頭には、キザでお高くとまったブリテン人というイメージがあるらしい。関係無いけど、英国の諜報組織がテロリストを捕まえて“いたぶる”とき、その拷問を「ブリティシュ・ホスピタリティー(British hospitality / 英国風の歓待)」と呼ぶ場合がある。虐殺を上品に行うイギリス人なら、唇や眉を一つも動かさず、極寒の中で冷たい鉄砲水を悪党に浴びせかけたり、ナックルを嵌めて捕虜を半殺しにできそうだ。

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(左: MITで数学の難問を解くメアリー  /  右: 酒場で話し合うフランクとボニー )

  フランクは妹に約束した通り、メアリーを公立学校に通わせるが、当のメアリーは初歩的すぎる「算数」に退屈していた。担任のスティーヴンソンが三桁とか四桁の掛け算を質問すると、メアリーは暗算で答えてしまう。「まさか !」と思ったスティーヴンソン先生は、さっそく電卓を手に取り検算する。すると間違いなく正解。しかも、メアリーは平方根まで判ってしまうのだ。そんなメアリーを知って、校長先生も奨学金が附く特待生を勧め、保護者のフランクに飛び級をさせてはどうかと持ち掛ける。しかし、フランクは頑固拒否。ところが、お婆ちゃんのエヴリンはメアリーを諦めなかった。裁判を起こしてでも孫の親権を握ろうと執念を燃やしていたのだ。裁判沙汰に引きずり込んだことで、エヴリンはメアリーをMIT(マサチューセッツ工科大学)に連れて行くことができ、自慢の孫娘を数学の教授に会わせることもできた。この数学者は黒板に書かれた数式問題を提示する。だが、じっと黒板を見つめるメアリーは答えようともしない。「難解すぎたのかしら」と落胆するエヴリンは、彼女の手を引いて帰ろうとした。だが、メアリーは「解けなかった」のではなく、問題自体に「ミス」を発見したので、わざと答えなかったのである。すると、前もって問題に「いたずら」を仕掛けていた教授は、その「罠」にきづいたメアリーに驚嘆し、すらすらと問題を解くメアリーに驚嘆する。「どうして最初から、答えなかったのか?」という質問に、メアリーは「誰も賢すぎる人は好きじゃないから」と答えていた。姪の鋭すぎる頭脳を披露したくなかったフランクが、常々メアリーに才能をひけらかすな、と言い聞かせていたらしい。

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(左: 数学の勉強に夢中で外出を厭がるメアリー   /  右: フランクと浜辺にでかけ、ボートで沖に出るメアリー)

  強固な意志は知的な女性の特質である。どうしても孫の才能を開花させたいエヴリンは、親権を獲得すべく白人の敏腕弁護士(ジョン・フィン)を雇って法廷闘争を挑んだ。対するフランクは黒人弁護士のグレッグ・カレン(グレン・プランマー)雇う。しかし、裁判はフランクに不利だった。母のエヴリンは裕福で立派な邸宅に住んでいる。一方、息子のフランクは“フリー”の修理屋で、安定した収入がなく、生命健康保険すら持っていないのだ。裁判では相手側の弁護士から、「あなたやメアリーが病気になったらどうするんですか?」と詰問され、医療費に困らない祖母と比較されてしまったのだ。この法廷ドラマの中で刮目すべきは、フランクが元ボストン大学の助教授で、哲学を教えていたことである。そう言えば、ドラマの冒頭で朝食のシーンがあり、学校へ行くことをグズるメアリーに対し、フランクが「アド・ナジィアム(ad nauseam)」というラテン語を口にしていた。(ギリシア語の「nausia」から由来し、英語で「nausea」と言えば「吐き気」や「船酔い」を意味する。) メアリーが「それ、何ていう意味?」と質問すると、ドヤ顔のフランクは「それを分からない者には学校が必要だなぁ」と述べて、彼女の不満を却下した。この「アド・ナジィアム」は、繰り返しずうっと議論して、もう話し合うのも嫌な状態を指して使う言葉である。つまり、フランクはメアリーに対し、「もう何回も学校に行く必要性を説いたよね !」と言いたかったのだ。

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(左: 浜辺でメアリーを肩車するフランク  /  右: 養父母からメアリーを取り戻しにきたフランク)

   メアリーとの平凡な生活を望んでいたフランクだが、遣り手弁護士を相手にして勝てるすばはなかった。そこで顧問弁護士のカレンは、近くにメアリーを留めておく妥協案を提示する。すなわち、第三者の養父母を見つけ、メアリーを託せばエヴリンに奪われずにすむ、とアドヴァイスしたのである。「そんなの嫌だ !」と断固拒絶するフランクだが、他に打つ手が無く、自宅の近くに住む養父母に預ければ、時々面会できるということで苦渋の決断を下すことにした。しかし、いざメアリーを手放すとなると、悲しくて仕方がない。それにメアリーも離れたくないとグズって癇癪を起こす。彼が養父母宅にメアリーを預け、「済まない」と謝りながらも家を去ろうとすると、メアリーは必死で「フランク!」と叫ぶ。フランクは断腸の思いで振り切ろうとするが、彼女の声が耳の内側で大きく響く。後ろ髪を引かれるフランクは言葉にできぬほど辛かった。胸が張り裂けるほどの哀しみだ。心臓をむしり取られる方がまだ痛みが少ない。

  平常心を装って日常の仕事をするが、居ても立ってもいられないというのがフランクの本音である。この先のストーリーは配給会社に悪いので話せないが、ハッピーエンドになることは誰にでも想像がつく。フランス映画だと悲惨な結末で幕が降りてしまう場合があるけど、ハリウッド映画なら100%幸せなラスト・シーンになる。お子様用「ハッピー・セット」に附いてくるアイスクリームや玩具のオマケと同じだ。物語の最初から判っていたけど、取り戻しにきたフランクが、悲壮なメアリーと対峙する場面は胸に突き刺さる。メアリーは自分を見棄てたフランクに腹を立て、彼の顔を両手で叩くが、最後は泣きじゃくって抱きつく。懺悔の念に駆られたフランクもメアリーを強く抱きしめるから、観ている方だって泣けてくる。心の底から「すまない、メアリー。もう絶対に離さないからな!」というフランクの決意が聞こえてきそうだ。やはり、子供は肉親の手で育てられるのが一番ということなんだろう。映画のクライマックスは秘密にするけど、そのヒントは、メアリーが飼っている片目のデブ猫フレッドと、母のダイアンが取り組んでいた証明問題にある。

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(左: 飼い猫のレッドを教室に連れてきたメアリー  /  右: メアリーに謝るフランク)

大人より子役の方が貢献した映画

  この作品の脚本を書いた人物は、あまり知られていないトム・フリン(Tom Flynn)である。だが、その監督は『アメイジング・スパイダーマン』を手掛けたマーク・P・ウエッブ(Marc Preston Webb)だ。(ちなみに、マークの父親は数学の教師であるそうだ。) 彼らには悪いけど、作品自体は何の変哲も無い平凡なストーリーで、粗筋を聞いただけで映画の展開を想像できてしまう。しかし、この作品が米国とカナダで2,480万ドルの収益(海外だと3,710万ドル)を上げたのは、何と言ってもメアリー役のマッケンナ・グレイスを登庸したことにある。もし、彼女が採用されず、他の子役だったらここまでの興行収入は無かったろう。『ギフテッド』はマッケンナ・グレイスが「一番の稼ぎ頭」と言ってもおかしくはない。たぶん、配給会社も認めるんじゃないか。

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(左: ジョン・フリン夫妻  / 中央: マーク・ウエッブ /  右: マッケンナ・グレイス )

  とにかく、マッケンナの演技力がすごい。実際は10歳なのだが、7歳の小学生を見事にこなし、わざとらしい演技が無く、どの場面にも「自然な仕草」が滲み出ている。(NHKのドラマで白洲次郎を演じた伊勢谷友介が、人気の高い色男なのは分かるけど、主役級の俳優としてはイマイチだ。彼の演技はわざとらしかったし、白洲次郎のイメージに合わない。また、怖ろしい実話なんだけど、彼は「ジョジョ」の映画で空条承太郎を演じたそうだ。筆者は観てないから何とも言えないが、劇場に行かなくても「悲惨さ」が目に浮かぶ。) フランクに対し駄々をこねたり、学校の授業でムっとしたかと思えば、フランクと遊びに出掛け、無邪気に楽しむところなど、いかにも“子供らしい”動きだ。観ている者がいつの間にか引き込まれてしまうのも納得できる。もし、メアリー役がユダヤ人とか黒人の少女だったら、観客の感情移入は無いだろう。例えば、ウィル・スミスの娘であるウィロー・スミス(Willow Smith)が演じたら、黒人の観客は喜ぶかも知れないが、白人や日本の観客はそっぽを向くだろう。また、ハリウッドの左翼監督ならマイノリティーに配慮して、わざと数学が苦手なヒスパニックから役者を選んだり、アジア市場での観客数を増やすため、ベトナム人とか支那人の子役を採用するかも知れないぞ。でも、アメリカ人の観客はそんな政治映画に興味を示さないだろう。

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(左: ウィロー・スミス   / 中央:  オクタヴィア・スペンサー /  右: A.J. クック )

  ハリウッドの映像作品には、「主役が白人なら、脇役は有色人」という法則がある。なるほど、『ギフテッド』ではフランク、メアリー、エヴリンのアドラー家が西歐系白人で固められていた。しかし、担任教師のボニー・スティーヴンソンは、ユダヤ人コメディアンのジェニー・スレイト(Jenny Slate)が務めていたし、メアリーの世話をするロベルタ・テイラー役には黒人女優のオクタヴィア・スペンサー(Octavia Spencer)がついていた。スレイトは日本で知られていないが、NBCのコメディ番組「サタデー・ナイト・ライブ」に出演していたお笑い芸人だ。個人的意見を言えば、下品な雰囲気を醸し出すスレイトを筆者は好きになれない。彼女はヒッピーの両親に育てられたユダヤ人娘で、教師役をするより、酒場のバーテンダーとか立ちんぼ娼婦の方が似合っている。ボニーは酒場でフランクと話すうちに彼と仲良くなり、メアリーとフランクが住む家で一夜を過ごす間柄になってしまう。だが、フランクほどのハンサム青年なら、もっと魅力的な恋人を持てたはずだ。なにもボニー役にA.J.クック(Andrea Joy Cook)とかケイティー・ロッツ(Caity Lotz)を採用しろとは言わないが、ちょっと気を利かせてアナベル・ウォリス(Annabelle Wallis)とかモリー・シムズ(Molly Sims)、ブレイク・ライヴリー(Blake Lively)なんかを採用すればいいのに、と思ってしまう。暗い感じのユダヤ人教師じゃ、学生運動に疲れた元左翼みたいで厭だ。

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(左: ケイティー・ロッツ   / アナベル・ウォリス  / モリー・シムズ  /  右: ブレイク・ライヴリー )

  担任教師がユダヤ人というのはウンザリするけど、フランクが居ない時にメアリーを預かる世話人が黒人というのも変だ。普通、白人の親が雇うベイビー・シッターは、仕方なくヒスパニックの中年女性ということもあるが、白人女性というのが定番である。いくらロベルタが親切な隣人でも、自宅の鍵を預けるほどの関係にはならない。映画の中では、休日の夜に酒場でくつろぐフランクに代わって、ロベルタがメアリーを引き取り、音楽に合わせて踊ったり歌ったりするシーンがあるけど、アメリカ社会を知る者からすれば、どことなく腑に落ちない。まぁ、制作者としては黒人層にまで観客を増やしたいから、マイノリティーにおもねったキャスティングにしたのだろう。もし、西歐系アメリカ人の子守にしたら、「白人用の映画」になってしまうからだ。でも、本当に立派な映画を作りたいのであれば、有色人種に媚びたキャスティングをせず、素直に白人俳優だけの映画にすればいいじゃないか。日本人だって日本のドラマにアジア人役者が混じっていたら嫌だろう。アジア市場を狙うからといって、無理やり支那人や朝鮮人の俳優を配役にねじ込んだら気持ち悪い。朝鮮人の顔を銀幕で拝むなんて厭だ。只でさえ、藝能事務所による「ごり押し」が横行しているのに、不愉快な異民族の混入となれば、もう作品の毀損でしかない。ハリウッドの制作者は「多民族配役」で収益を上げようとするが、本来なら脚本家や監督の腕で勝負すべきなんじゃないか。白人だらけのキャスティングという理由でヒットしないなら、元からその作品に魅力が無く、最初からB級映画であったということだ。

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(左: ジェニー・スレイト  /  中央: ヒパティアの想像画 /  右: ヒュパティア役のレイチェル・ワイズ)

  この映画『ギフテッド』には、女子生徒に数学を奨励するという意図が隠されていたそうで、脚本家のフリンが主役を少女にしたのも、数学の天才は男子ばかりだから、という憶測も成り立つ。まぁ、歴史を繙けば、優秀な女性数学者だって結構多い。例えば、古代アレクサンドリアのヒュパティア(Hypatia)は有名だ。日本人でもレイチェル・ワイズ(Rachel Weisz)主演の『アゴラ(Agora)』を観た方も多いだろう。これは同性愛の監督アレハンドロ・アメナーバル(Alejandro Amenábar)が手掛けた作品で、キリスト教徒に対する悪意に満ちた内容となっていた。キリスト教の頑固な「狂信者」が、理性的な天文学者を迫害するというシーンを見ると、「また、ゲイや左巻きの連中が張り切っているのか !」と少々ウンザリする。他に思いつく女性と言えば、ロシア人数学者のソフィア・コワレフスカヤ(Sofia V. Kovalevskaya)とか、ユダヤ人のアマーリエ・エミリー・ネーター(Amalie Emmy Noether)、フィールズ賞をもらったペルシア人のマリアム・ミルザハニ(Maryam Mirzakhani)などだろう。(コワレフスカヤは東京図書から伝記が出ている。ミルザハニの方は最近亡くなった学者だから、雑誌などで追悼記事を読んだ人もいるだろう。)

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(左: ソフィア・コワレフスカヤ  /  アマーリエ・エミー・ネーター / マリアム・ミルザハニ  /  右: アウガスタ・バイロン )

  そう言えば、詩人のバイロン卿を父に持つエイダ・ラヴレイス(Ada Lovelace)伯爵夫人こと、アウグスタ・バイロン(Augusta Byron)も有名だ。彼女の家庭教師はウィリアム・フレンド(William Frend)という数学者兼牧師であった。個人的意見を言わせてもらえば、彼の随筆風著書『パトリオティズム(Patriotism)』がおもしろい。この本は第19世紀初めに出版された本なので日本の図書館には所蔵されていないが、とても興味深いので大学生にはお勧め。記憶が定かではないけど、米国のイェール大学にはあったと思う。ちなみに、フレンド牧師が世話した教え子の中には、人口論で有名なトマス・ロバート・マネサス(Thomas Robert Malthusがいる。英国のインテリ階級は広いようで狭い。

  余談になるけど、映画の『ギフテッド』を観てしまうと、日本人の父親の中には「あんな娘がいたらなぁ」と溜息をつく人がいるかも知れない。というのも、夏休みとくれば、我が子の宿題を見てやることもあるからだ。よせばいいのに、「たまには親らしくするか」と急に父親気分を発揮して、娘が取り組む数学問題に“ちょっかい”を出す。「中学生の数学なんて簡単さ !」と思いきや、解いて行くうちに自信喪失となってしまうこと多々ある。単純な計算問題ならいいけれど、図形問題や二次方程式となると怪しくなり、「あっ、パパはお仕事があるから、後はママに教えてもらいなさい」と言い聞かせて居なくなる。しかし、夜中に女房から「無責任じゃない。解らなければ邪魔しないで !! それに私、文系なんだけど!」、とキツく叱られたりする。善意から始まり、混乱を残すのがダメ亭主の日常だ。父親は黙って見守るのが一番。

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(左: ロベルタと一緒に踊るメアリー  /  右: 学校の友達と遊ぶメアリー)

  つくづく思うけど、数学の宿題に悪戦苦闘する子供を助けるのは至難の業だ。一度嫌いになった科目を好きにさせることは難しい。筆者が学生時代、小遣い稼ぎで中学生や高校生に英語を教えたことがあるんだけど、数学の話しになって手こずったことがある。意味も解らず数学を押しつけられた子が不憫だったので、気分転換に易しいギリシア数学の話をしたが、結局どうすることもできず解決にならなかった。大人だと平方根が無理数だと発見したピタゴラス学派に興味を示し、平方根の無理数を証明したテオドロス(Theodoros)とか、その弟子であるテアイテトス(Theaitetos)の業績に耳を傾けるだろう。ところが、数学の発展に感動しない子供だと、「そんなのつまらない!」と言い放つ。微分・積分・幾何学を理解すれば色々と便利だよ、と言い聞かせても駄目だ。もっと具体的に説明しようと、BS放送で使われるパラボラ・アンテナとか、タッチ・パネルの仕組み、クルマに搭載されるGPSシステム、ジョン・ネピア(John Napier)により広まった対数(logarithm)を引き合いに出し、色々な有益論を述べても、結局「受験数学」に行き着くから話が暗くなる。

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(数学の天才たち  / 左: ピタゴラス  / ユークリッド / アルキメデス /   右: ジョン・ネピア)

  夏休みだからといって、普通の子供にひまわりの種を見せて、その配列とフィボナッチ数(Fibonacci numbers)の謎を語っても、「へぇ~」と答えるだけで心に響かない。翻って、美学としての算術に目を向け、「古代ギリシア人にとって数学は哲学を兼ね備えた宗教みたいなもので、秘伝の奥義だったんだよ」と語ってもチンプンカンプン。「ロゴス(Logos)」と「救世主(Soter)」を関連づけようが、「だから何?」と言い返されて撃沈だ。そう言えば、新約聖書を繙くと、ギリシア人を前にした使徒パウロの伝道活動があって、「私はあなたがたに神秘を告げよう」と語りかける場面がある。この「神秘」というのは英語で言う「ミステリー(mystery)」だ。(「第一コリント信徒への手紙」15章51節参照。) 元々は、ギリシア語の「黙っている」という意味で、名詞の「mu-sterion」はここから派生している。古代人にとって奥義は部外者に隠されていたから、ギリシア文化に通じた聖パウロは、イエズズの言葉が特別な秘儀であると伝えたかったのであろう。しかも、「無料」なんだから凄い。現代の我々にはピンとこないが、「生まれ変わり」や「永遠不滅の命」を信じていた当時の聴衆には、とても印象的であった。しかし、時間の流れを遅く感じる元気な子供には、魂の不滅なんて馬耳東風だ。翌週まで待てない「ドラゴンボール」の方が、よっぽど気になる。

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(写真  /  フランクに向かって朝食についての不満を漏らすメアリー / テーブルの上にケロッグ社のシリアルの箱がある)

  またもや脱線したので、元に戻す。アメリカ人の批評家からは辛口のコメントが寄せられていたけど、『ギフテッド』に対する観客の評価はそれほど酷くない。子役の笑顔は大人の心を和(なご)ませるから、あえて厳しい点数をつけないんだろう。それに、観客の方だって過大な期待を抱いていなかったはずだ。まぁ、7ドルか8ドルくらいのチケット料金だから、平凡なストーリーでも我慢できる。ちょっと面白かったのは、「スペシャル朝食」を作ってやったと豪語するフランクに対し、いつものシリアルを食べているメアリーが不満を漏らすシーンである。「特別」を期待していたのに、メアリーにはそれが見当たらない。すると、フランクはシリアルの箱をクルッとひっくり返し、「スペシャル」の意味を示した。何と、ケロッグの「スペシャル・オリジナル」コーンフレイクとなっている。そんなの詐欺に等しい。工場で大量生産されたソーセージなのに、「手作り風」と称するウィンナーと一緒じゃないか。とにかく、11月になったら劇場で公開されるそうだから、興味のある方はどうぞ。ただし、筆者は映画評論家のおすぎと違って、お金を貰っていない素人の平民だから、「つまらない ! 期待外れだ !」と怒って「ゼニ返せ !」と言わないでね。
  



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