教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
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多民族社会となった日本

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(左: 若い頃のオバマ  /  右: 大統領になったオバマ)

  最近、街中でアジア人やアフリカ人見かけることが珍しくない。幼稚園でも日本人かと思ったら混血児、というケースも増えてきた。確かに昭和の頃も、在日や帰化した朝鮮人、昔から住みつく支那人がいたけど、現在ほど堂々としていなかったと思う。学校に通う朝鮮人の子供は「朴」とか「金」といった姓を捨てて、日本式の「通名(偽名)」を本名にして暮らしていたし、「劉」とか「李」という支那人女性は日本人と結婚して正体を「洗浄」することに努めていた。ところが近年、偽装移民や経済難民が激増し、日本人との通婚もあって、日本国籍を取得したアジア人が目立っている。さらに、昔では考えられなかった黒人との結婚も増えたので、黒い肌のアフリカ系日本人が増えてしまった。黒い陸上選手や漫才師、どう見ても「ミス・アフリカ」みたいな「ミス日本」まで誕生したから、もう日本はシンガポールかフィリピン並の多民族国家である。

  「人種の坩堝(るつぼ)」に鈍感な日本人は、ヴァージニア州シャーロッツヴィルで起きた人種対立を対岸の火事として見ていたが、その動乱が実際に日本でも起きるとは考えていないから何とも呑気だ。敗戦後、在日朝鮮人が我が国に住みついて何十年も経つが、日本人は朝鮮人とは同化したくないし、朝鮮人の肉体を持ちたいとも思わない。ヨーロッパ人から見れば、日本人も朝鮮人も同じ黄色人種で、ちょっと見ただけでは判別が難しい「アジア人」だ。しかし、我々は自らをアジア人とは思っていないし、朝鮮人や支那人と同類の地球人とは思っていない。例えば、アメリカに赴任したビジネスマンや留学生が、現地人から「君、朝鮮人 ?」と訊かれれば、即座に「いいえ、日本人です !」と反駁するだろう。日本人は朝鮮人に間違われるような「屈辱」に耐えられないからだ。ここでちょっと興味があるのは、帰化鮮人の親を持つ日鮮混血児がどう反応するかである。旅券上では「日本国民」となっているが、半分は朝鮮人だから、「コリアン・ジャバニーズ」とでも答えるのだろう。もっと知りたいのは、帰化した支那人夫婦から生まれた支那人の子供が留学生になった場合だ。彼らは何と答えるのだろうか? おそらく、「コリアンではない」と否定するだろうが、「日本人です」と訂正するのかどうか分からない。 たぶん、「支那系日本人」ですと答えるのかも知れない。中には図々しく「ジャパニーズ」と答えて、素性を隠す奴もいるはずた。色々あるけれど、 アジア系帰化人や彼らの子供たちが持つ自己識別(identity)は複雑である。

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(左: 黒人との混血児  /  右: 白人と黒人のカップルとその混血児)

  アジア系帰化人の子供やアジア系混血児は、それとなく日本人を装い、自らの家系を曖昧にしようとするが、黒人との混血児はそうも行くまい。アフリカ人の片親を持つと、生まれてきた子供はたいてい縮れ毛の黒髪で、大きな鼻と唇が特徴となる。こうした混血児は幼稚園の頃から、他の子供たちと違う人相を意識するし、年頃になればアフリカ人の容姿を気にしたりするから、黒人と結婚した日本人の親は口には出せない罪悪感でいっぱいだ。黒い亭主(あるいは女房)と結婚する前は、「他人の目なんか気にしない!」と啖呵を切って夫婦(めおと)になるが、セックスの結果として誕生する黒い赤ん坊を見て不安になる。本来なら愛すべき我が子なのに、友達や同僚に何となく披露できない。跡継ぎを祝福する日本人の祖父母も、親しい茶飲み友達に写真を見せて、「うちの孫なんだけど」と自慢できずにいる。「いけない」と思いつつも「ためらい」が生じてしまうのだ。普通なら「あらぁ、可愛いぃぃ !」と褒めてあげたい友人も、「あら、元気そうな赤ちゃんじゃない !」と外見に触れないよう心掛ける。幼稚園の保母さんだって「えぇ、お母様、当園では平等にお世話しますから、どうぞご安心を」との気遣いを忘れない。日本人の子供に対してなら附け加えない「一言」である。こうした微妙な心遣いと雰囲気は有り難いが、混血児を持ってしまった親には辛いものがあり、考えてはいけない「後悔」が頭をよぎってしまうのだ。

触れたくない友人からの証言

  日本のマスコミは御用学者や馴染みの解説者を動員し、シャーロッツヴィルの衝突事件を批判していたが、人種対立というのは感情のぶつかり合いなので、他人がどうこう言って解決する問題ではない。米国の主要メディアは「白人至上主者」から支援されているトランプ大統領を糾弾する一方で、白人と黒人の平和的共存を訴えていた。本音で暮らす日本人からすれば、白々しい偽善に過ぎないが、アメリカのリベラル放送局は素知らぬ顔で屁の河童。彼らは多人種社会の調和を主張する前大統領のバラク・オバマを称讃していた。もう、ウンザリするほどの黒人贔屓だが、オバマの過去をほじくれば、マスコミの「ヨイショ」がいかに下らないかが解る。以前、当ブログでオバマの出生と家族について書いたから、ここでは繰り返さない。(記事1記事2を参照。) ただ、彼が子供時代を過ごしたハワイでの友人、キース・キヨシ・カクガワ(Keith Kiyoshi Kakugawa)が貴重な証言を述べていたから、ここで紹介することにする。

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(左: キース・カクガワ  / 中央: バラク・オバマ・シニアとアン・ダナム /  右: 孫のバリーと祖父のスタンリー・ダナム)

  オバマの友人であるキース・カクガワは日本人と黒人の混血児で、オバマの自伝『マイ・ドリーム(Dreams from My Father)』に出てくる「レイ(Ray)」が彼である。この親友は後に麻薬や強姦で有罪判決を受け、刑務所に服役したから、あまり表舞台には現れてこない。しかし、彼との思い出は否定できなかったようで、自伝の中に数々のエピソードが記されている。(バラク・オバマ 『マイ・ドリーム』 白倉三紀子 / 木内裕也 訳 ダイヤモンド社 2007年、 第4章、pp.84-100.を参照。) それでも、オバマには絶対に触れたくないエピソードがあった。これはオバマの過去を調査するジョエル・ギルバート(Joel Gilbert)が、服役中のカクガワと接触し、直接彼から聞いた話だ。(もちろん、カクガワの一方的な記憶だから正確さを欠くかも知れないが、彼の体験談を検証する手段が無いので、とりあえず彼を信用して話を進めることにする。)

 001Obama 10(左: 父親のオバマ・シニア  /  右: 息子のオバマ・ジュニア)
  高校時代、バリー(オバマの愛称)はレイ(キース・カクガワ)と一緒にあちこち遊び回っていたようだ。1977年のある日のこと、彼らはワイキキにあるスポーツ店を通りかかった。その時、バリーがある黒人男性を目にして興奮したそうだ。何と、その人物はバリーがいつも写真で見ている「父バラク・オバマ・シニア」であった。胸を弾ませるバリーが、「あの人はボクの父さんだ」と言ったので、キースは「嘘だろう !(No Way !)」と答えて驚いたらしい。そこでバリーは「父親」のもとへ駆け寄る。映画なら「感動的な親子の再会 !」となるはずだが、現実はドラマのようにハッピーではなかった。バラク・オバマ・ジュニアは「父」に向かって「ボクはあなたの息子です!」と告げるが、優しく迎えてくれるはずの「父親」は怖ろしいほど冷たく、抱きかかえるどころか邪魔なガキとして追い払ったそうだ。この冷酷な態度にバリーは大変なショックを受ける。キースが鮮明に覚えていたのも当然だ。

  「父親」と教えられていたアフリカ人から袖にされたバリーは、胸が張り裂けるほどの哀しみに打ちひしがれたという。彼は帰宅するや、母親のアン、祖父のスタンリー、祖母のマデリンに怒りをぶちまけ、彼らの「嘘」を非難した。「あの写真に映っている黒人はボクの父親なんがしゃない !  本当の親爺はフランクだ !」、というのがバリーの確信であったという。フランクはバリーと度々会ってくれるし、小遣いまでくれる。まるで「実の父親」みたいだ。しかも、他人とは思えないほど優しい。「虚構の父親」に気づいたバリーは、「フランクこそがボクの本当の父さんなんだ」と判った。孫の怒りをどうにか鎮静化しようと考えた祖父スタンリーは、キース・カクガワに向かって、「あの男が父親じゃないのは分かっているが、バリーの前で二度と父親のことを持ち出んじゃないぞ !」と釘を刺したそうだ。日米の主要マスコミは、「ケニアからの父を尊敬するオバマ」と紹介し、このフィクションを盛んに宣伝したが、実際の「ケニア人留学生」は黒人少年を邪険にする「他人」だった。

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(左: オバマとオバマ・シニア  / 右: オバマとフランク・マーシャル・デイヴィス )

  この「事件」を知った者は、自伝の第三章に書かれている父との再会がアホらしく思えてくる。自伝によると、バリーは母親のアンと一緒に「父親」のバラク・シニアと再会したそうだ。この父は「バリー、長い間会えなかったけど、やっと合えてかったよ。本当によかった」と温かく迎え、「バリー、学校ではずいぶんと頑張っているみたいだな。おばあちゃんに聞いたよ」と話したらしい。(上掲書 p.75) 息子のバラクは照れていた。そして、笑顔の父親をじっと見つめていたそうだ。日本の庶民なら「あ~ぁ、やっちまったか!」とつぶやくだろう。 上院議員になったバリーは、架空の父親を描いたのかも知れない。つまり、「笑顔で迎えてくれる父」を夢見た少年は、大人になってからその「空想」を「事実」に替えてしまったのだ。野良犬でも追い払うかのようにバリーを無碍に拒んだバラク・シニアは、息子の自伝の中で「心優しいパパ」に変身したのだ。こんなお伽噺に感動した黒人が何人いたことか ! どうせ、指導役のビル・エアーズ(William Ayers)が、感動物語にすべく脚色・創作したんじゃないか。元爆弾魔のエアーズによれば、弟子のバリーには全く文才が無かったので、ほとほと疲れたそうだ。「ハーヴァード大に進んだエリート」なんて作り話で、「口が達者なだけの黒人」というのがバラク・オバマ・ジュニアの正体である。日本人は素顔の八代亜紀と黒柳徹子ばかりか、もう一人、オバマの素顔も知らなかった。噂によれば、スッピンの黒柳徹子は誰だか判らないそうだ。高校生の諸君は、「えぇぇっ、じゃあ、人間に変身した(註 / 化粧を取った)デーモン小暮と同じゃん!」と言っちゃいけないよ。世の中には「禁句」というモノがあるんだから。

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(左: ジョエル・ギルバート  /  中央: 逮捕時のウィリアム・エアーズと財団役員になった頃のエアーズ/  右: ムスリム風のバラク・オバマ)

  自伝では「父の不思議な力」に魅了されたそうだが、実際には「父の冷たさ」に傷ついたというのが本当のところだろう。バリーにとって人生の教師は、自伝の中に登場する「フランク」である。自伝を読んだ白人や日本人は不可解に感じるだろうが、オバマは「フランク」が何者なのかを明確に説明していない。この「フランク」とはハワイ在住の黒人ポルノ小説家で、母のアンと非常に“親しい”フランク・マーシャル・デイヴィス(Frank Marshall Davis)である。オバマがなぜファースト・ネームだけにしたのかと言えば、フランクはハワイで活動する極左分子であったからだ。もちろん、フランクは米国共産党員であることを周囲に隠していた。もし、こんな事を保守派有権者が嗅ぎつけたら大変だ。まさか、シカゴ選出の上院議員になったオバマが、隠れコミュニストを慕っていた、なんて告白できる訳がないじゃないか。どの箇所にも明言は無いが、「黒人とは何か」を教えてくれたフランクこそ、人種問題で悩んでいたバリーにとって一番の相談役であり、後の人生を決定づけた恩師でもあった。

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(左: フランク・マーシャル・デイヴィスとヘレン・キャンフィールド  / 中央: アン・ダナム /  右: 母親と一緒のオバマ )

  このフランクは口にするのも憚れるほど下品な黒人で、白人社会を憎んでいるのに、付き合う女は白人という矛盾の塊であった。オバマの母アン・ダナムと懇ろになる前、ヘレン・キャンフィールド(Helen Canfield)という白人女性と結婚しており、息子と娘をもうけていた。フランクはジャーナリスト上がりの詩人という仮面を持っていたが、実際は女を弄(もてあそ)ぶ変態左翼である。彼のドキュメンタリー・フィルムを制作したジョエル・ギルバートによれば、アンは彼の指図でストリッパー役を演じていたらしい。アンらしきストリッパーと一緒に映っているハニー・ハーロウ(Honey Harlow)の写真もある。残念ながら、プログ運営のライブドア社による検閲があるため、裸になった「アン」の写真は掲載できない。写真に映っているヌードの女性は、化粧が濃い点を除けばアンとソックリなので、もし多くの人々が検証すれば真実がはっきりするはずだ。

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(左: 若い頃のアン・ダナム   / 中央: 「アン」とされるストリッパー  /  右: インドネシアにいた頃のアンとバリー)

  アンらしき女性と親しいハニー・ハーロウは、「ハバ・バハ(Hubba Hubba)」というストリップ劇場に出演するヌード・ダンサーであった。この店はハワイに駐留する米兵が通う風俗店だったようで、現在は店終いとなっている。ただ、「ハバ・ハバ」の看板に「ヌード・ショー」というカタカナがあるから、日本人観光客も訪れていたのだろう。キース・カクガワによれば、フランクはこの店にバリーを連れて行き、酒やドラッグを共にしていたという。性道徳が厳しかった1950年代に、未成年をストリップ劇場に誘う「おじさん」なんて明らかに下劣だ。でも、こんなフランクに付き随うバリーも不届き者である。とにかく、我々が刮目すべきは、こんな助平話ではない。重要な事は、オバマがフランクとの交流を通して彼の共産主義思想や白人への憎しみを吸収したことだ。大統領になったオバマには国際金融とか財政再建、軍事外政などはちっとも解らなかった。ところが、アメリカの人種問題となるや、キラキラと目を輝かしていた事だけは確かだ。彼は人目を引く話術を披露し、側近からの台本無しに喋る事ができた。やはり、苦い経験を基にした演説には迫力がある。ただ、フランクとの思い出を堂々と話せなかったのは残念だ。彼と一緒に裸の女を堪能した、なんて言えまい。もし、オバマが大統領選挙に出馬した時、こんな子供時代の事がバレたらどうなっていたことか。でも、主要メディアはハワイでの生々しい過去には触れず、無邪気な子供時代ばかりを報道していた。フランクとオバマのことに言及した全米ネット局は無かったと思う。我々は如何にマスコミの情報操作を受けているかが分かる。

オバマの母親はストリッパーだった?

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(左: ハニー・ハーロウとレニー・ブルース  /   右: 映画でレニーを演じたダスティン・ホフマンとヴァレリー・ペリン )

  ところで、このハニー・ハーロウとは何者なのか? 彼女は本名をハリエット・ジョリフ(Harriett Jolliff)と言い、当時人気を博していたストリッパーである。そして、ハニーは有名なコメディアンであったレニー・ブルース(Lenny Bruce)の元女房。(別名「ハニー・ブルース・フリードマンHoney Bruce Friedmanともいう。) レニーの本名はレオナード・アルフレッド・シュナイダー(Leonard Alfred Schneider)といって、下品な漫談を得意とするピン藝人のユダヤ人であった。映画ファンなら彼の人生を描いた『レニー』を覚えているんじゃないか。ドラマの中では、同じユダヤ人の男優ダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman)がレニー役を演じ、ハニー役をヴァレリー・ペリン(Valerie Perrine)が演じていた。(註 / 当時、ホフマンはユダヤ人であることを隠していたから、一般の日本国民は知らなかった。) ヴァレリーは今ひとつ成功しなかった女優だが、映画の『スーパーマン』に出ていたことで一応のキャリアを積んだことになっている。彼女はスーパーマンと敵対するレックス・ルーサーの恋人役を務めていた。その後はパっとしない役ばかりで、大した女優人生ではなかったから、人々の記憶に残っていないのも当然だ。

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(左写真: 右側の女性がにハニー・ハーロウで、彼女の左隣に「アン」と思われる女性が映っている  / 右: レニー・ブルース )

  ユダヤ人のコメディアンだから仕方がないが、レニー・ブルースはその下品なトークで知れ渡っていた。1961年、サンフランシスコのジャズ店で卑猥な言葉を吐いてしまい、それが問題となりって警察沙汰になってしまったそうだ。しかし、レニーは懲りず、同年、今度はロサンジェルスの店で、またもや卑猥な言葉を口走ってしまった。当時は社会道徳が厳しかったから、レニーは警察に目を附けられていたのである。この手の藝人は警察を恐れないから、レニーは1962年、シカゴの店でまたもや卑猥な言葉を使ってしまった。そして今度は裁判にかけられたという。ところが、彼には強い味方が現れた。映画監督のウッディー・アレン(Woody Allen)、歌手のボブ・ディラン(Bob Dylan / 本名 Robert Allen Zimmerman)、ゲイの詩人で反戦活動家のアレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg)、小説家で批評家のノーマン・メイラー(Norman Mailer)、といったユダヤ人が群がってきて、レニーの罪を軽くしようと奮闘したのである。彼らの支援活動には、黒人作家で公民権活動家としても知られるジェイムズ・ボールドウィン(James Baldwin)まで加わってきた。それにしても、ユダヤ人の団結力はすごい。スズメバチやデーモン族と同じく、ユダヤ人は同胞が窮地に陥ると、どこからともなく助っ人がやって来るんだから。(TVアニメ「デビルマン」には悪魔の一族が出ているので参照してね。)

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(左: ウッディー・アレン  /  ボブ・ディラン /  ノーマン・メイラー /   右: アレン・ギンズバーグ)

  脱線したので話を戻す。ジョエル・ギルバートはオバマの母親アンを調べて行くうちに、彼女の恥ずかしいヌード写真を入手した。その内の何枚かは、ストリッパーのハニー・ハーロウと一緒に映っている写真なのだが、厚化粧をしているので、隣の女性が本当にアンなのかどうか判らない。ただ、ポルノ小説家のフランクが、愛人のアンを唆(そそのか)してヌード写真を撮らせたという可能性もある。一般的にアンは文化人類学を専攻する研究者として知られているが、その裏に無神論者で左翼リベラル派の顔を持つ。父親のスタンリー・アーマー・ダナムは息子が欲しかったのに、娘が生まれたのでがっかりしたそうだが、それでも諦めきれず「スタンリー」という男の子の名を附けてしまった。アンは一緒に通学していたエレイン・ジョンソンに、ファーストネームについての不満を漏らしていたそうだ。束縛の強い父親に反抗したのか、娘のアンは「自由思想的」な、つまり左翼思想に惹かれていったという。彼女が通っていたマーサー・アイランド高校には、二人の左翼教師がいたそうで、彼らは生徒に政治色の強い本を紹介していた。例えば、教師のヴァル・フォウバートは、アイン・ランド(Ayn Rand)の『肩をすくめるアトラス(Atlas Shrugged)』とか、ウィリアム・H・ホワイト(William H. Whyte)の『オーガニゼイション・マン(The Organization Man)』を紹介し、もう一人の教師ジム・ウィザーマンは、サルトルやキルケゴール、マルクスの『共産党宣言』などを教えたそうだ。

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(左: ストリッパーの「アン」と思われる女性とオバマの母たるアンの歯を比較した写真  /  右: アンと「アン」らしきストリッパー)

  彼らの左翼偏向教育は保護者からの批判を招き、学校側も相当困ったらしい。ところが、アンの両親だけは気にしなかったというから、ダナム家は元から左に傾いていたのだろう。(母はメソディストで父はバプティスト派のキリスト教徒であったが、彼らの信仰心は空っぽで、“日曜だけ”の信者であった。) こうした家庭に育ったアンは、ハワイ大学でロシア語のクラスを取り、そこでケニアからの留学生であるバラク・オバマ・シニアと出逢ったそうだ。当時、ロシア語を勉強するアメリカ人は非常に珍しい。今だって、文法や表記の違う外国語を学ぶ学生は少数派だから、1950年代に敵対国の言語を勉強するアメリカ人は、よほどのロシア好きである。アンの経歴には謎が多く、ジャーナリストのウェイン・マドセン(Wayne Madsen)は、アンがCIAのフロント組織で働いていたエージェントであると見なしている。これを述べると長くなるので省略するが、アンがフォード財団に雇われて働いていたことは興味深い。彼女の上司はピーター・フランツ・ガイトナー(Peter Franz Geithner)で、彼の息子は後にニューヨークの連銀で総裁を務めたティモシー・ガイトナー(Timothy Geither)だ。つまり、大統領になったバラク・オバマは、母の上司の息子を財務長官にしたのである。アン・ダナムの旅券記録が抹消されていたり、息子のバラクがコロンビア大学在学中パキスタンに渡っていたのは、アンが何らかの裏家業(CIAの仕事)に従事していたからだろう。(不思議な事に、バラクはコロンビア大学での思い出を具体的に語ろうとはしない。また、同時期に在学した者で、オバマを見かけた者がほとんどいないのも変だ。)

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(左: 幼い時のアンと両親のダナム夫妻  / 中央: ピーター・ガイトナー  /  右: ティモシー・ガイトナー)


偽造された疑いの強い出生証明書

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(上写真  /  オバマが公表した簡易証明書)

  とにかく、バラク・オバマには不審な点や疑問点が多い。オバマがなぜ二つも社会保障番号(Social Security Number)を持っていたのか不思議だったが、キース・カクガワによると、当時ハワイではアイデンティティー詐欺とか不正な身分証明書が横行していたので、アンとオバマは何らかの方法で別の身分を購入したらしい。なぜなら、アンがどの病院で息子を出産したのか不明だし、父親が本当にケニア人の「バラク・オバマ・シニア」なのか判らないからだ。オバマには病院が作成した正式な出生証明書が無い。彼が大統領になってから公開した簡易証明書は偽造である。オバマがマスコミに披露した証明書と、他のアメリカ人が持つ同時期の証明書とは明らかに違う。ジョエル・ギルバートは1961年にハワイで生まれた黒人の出生証明書を入手した。ちなみに、オバマの誕生日は1961年8月4日である。そこで、1961年8月25日に生まれたブルース・ラエル・ヘンダーソン(Bruce Lael Henderson)の証明書と比較すると、オバマの証明書にある致命的な「ミス」が浮き彫りとなる。ブルースの父親と母親は黒人なので、両親それぞれの人種欄を見ると、「ニグロ(Negro)」と記されている。1960年代のアメリカでは、まだ「アフリカン・アメリカン」という呼称はなく、一般的に黒人は「ニグロ」と呼ばれていたのだ。

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(上写真  /  ヘンダーソンの出生証明書)

  もう一人のアフリカ系アメリカ人の出生証明書を紹介する。1961年6月9日に生まれたジェイムズ・ホウィットニー・グレイヴリー・ジュニア(James Whitney Gravely, Jr.)は、ハワイ人を母に持つが、父親のジェイムズ・シニアは黒人である。だから、彼の人種欄には「カラード(Colored)」とタイプされていたが、「ニグロ(Negro)」に訂正されていた。というのも、以前は黒人を「有色人種(カラード)」と呼んでいたので、職員が間違って「カラード」と印字したのだ。そこで、やむなく横線を引いて「ニグロ」と訂正したのである。以上の例から解ることは、1960年代に生まれたバラク・オバマが黒人の父親を持っていたのなら、親の人種を明記する欄には「ニグロ」と書かれているはずだ。ところが、大統領になったオバマが提出した簡易証明書に記されていたのは、「アフリカン(African)」という言葉だった。まともなアメリカ人や日本人なら、「あれ?  おかしくない ?」と思うだろう。どうして、昔に作成された書類に「今風」の用語が使われているのか、全く以てわからない。

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(上写真  / グレイヴリーの出生証明書 )

  しかも、オバマが公表した出生証明書の活字をよく見てみると、矢鱈とタイプ印字が鮮明なのだ。1961年に作成された「本物」の書類だと、活字のインクが紙に染み込み、いかにも旧式のタイプで打ったように見えるのが普通である。ところが、オバマの証明書はコンピューターで作成された為なのか、妙に紙から印字が浮き上がっているのだ。これは急いで拵(こしら)えたから、細部まで丁寧に「再現」できなかったのだろう。「アフリカン」と表記したのも、「作成者」が昔を知らない若者である可能性が高い。つまり、「政治的に正しい」言葉を教え込まれた世代が手掛けたということだ。もしかしたら、オバマはCIAやNSAのプロフェッショナルではなく、CGに詳しいだけの側近とか捏造の素人に依頼したのではないか? だから、杜撰な書類になったのかも知れない。しかし、合衆国大統領が偽造書類を提出するなんて変だ。出生証明書の原本もなければ、出生を示す当時の新聞告知すら無いなんておかしい。アン・ダナムと大学で一緒だったニール・アバクロンビー(Neil Abercrombie)は、オバマが大統領になった時、ハワイの州知事になっていたので、オバマの出生証明書を捜そうとした。だが、州知事の力を持ってしてもダメだったという。

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(左: オバマトヘンダーソンの証明書にある活字  /  右: ニール・アバクロンビー)

昔と鼻が違うオバマ

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(左写真:  2002年のオバマと2008年のオバマ /  右: フランク・マーシャル・デイヴィス )

  謎の多いバラク・オバマだが、意外なことに彼は整形手術を受けていた。ちょっと見ただけでは気づかないが、昔の写真と比べてみると鼻の形が微妙に違っているのが判る。美容整形外科のデイヴィッド・ホルコム(David Holcolm)氏によれば、僅かながら整形の跡が見られ、鼻の尖端をやや細くしたようだ。( Jerome Corsi, "Yet another secret about Obama's life, World Net Daily, October 24, 2012) 美容整形についての著書があるウェンディー・ルイス(Wendy Lewis)氏も同意見だという。しかし、なぜオバマは微妙な整形をしたのか? 一般的に考えれば、「見た目を良くするため」というのが答えであろが、その一方で、「だんだんと父親に似てくるからマズいと思ったから、顔に修正を施した」という意見もある。つまり、幼い頃優しくしてくれたフランク・マーシャル・デイヴィスの面影が浮き出てくるからだ、という。これは主観的な見方だから意見が分かれるけど、バラク・オバマ大統領は、「父親」と称されるケニア人留学生、バラク・オバマ・シニアと似ていないのだ。常識的に考えればおかしい。年を取るにつれ、息子は父親に似てくるのが普通なのに、バリーは最初から似ていないのだ。それよりも、可愛がってくれた「フランクおじさん」の方に近づいている。日本人には顔の判定が難しいので、ぜひ多くの黒人から意見を仰ぎたい。

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(左: 幼少期のオバマ / 中央: 高校時代のオバマ /  右: キース・カクガワ)

  本当にオバマは闇に包まれている。だが、一つだけ確かなことは、彼が白人たちを憎んでいたことだ。オバマは七年生の時、初めて「クーン(黒人への別称で「アライグマ」を意味する)」と呼ばれたので、その言葉を発した少年を殴ったそうだ。(『マイ・ドリーム』 p.94) 鼻血を出した少年は、「なぜ殴るんだよ?」と言って涙を流したそうだが、心に傷を負ったのはバリーの方だった。バリーは黒人少年でも、自宅に戻れば白人の母親と祖父母がいる。いくら母親が差別をする者たちを「偏狭な人たちなのよ」と諭しても、浅黒い混血児のバリーには納得できない。高校生のバリーは黒い日系人の友、「レイ」ことキース・カクガワを連れて、あるパーティーに行ったことがあるという。しかし、黒人にしか見えなかったバリーは、白人娘から相手にされなかったそうだ。白人の母から生まれたのに、周囲から「黒人」と蔑まれ、黒人の仲間に入ろうとしても「完璧な黒人」じゃないから、何となく「仲間」に馴染めない。日系黒人のレイに向かって、「白人なんかあんなものさ !」と冷たく言い放つバリーだが、心の何処かで白人になりたいと思っていた。

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(左: オバマとジェネヴィヴ・クック  /  右: アレックス・マクニア )

  シカゴで「コミュニティー・オーガナイザー(左翼の扇動家)」になったバリーには、ミッシェル・ロビンソンという黒人の妻ができたが、学生時代のバリーには白人娘の恋人がいた。ニューヨークのコロンビア大学に編入する前、バリーはオキシデンシャル・カレッジという大学に通っていて、彼はオーストラリア外交官の娘であるジェネーヴィヴ・クック(Genevieve Cook)という白人女性と付き合っていたそうだ。意外にモテたのか、バリーはアレックス・マクニア(Alex McNear)という白人女性とも交際していたのだ。ハーヴァード大学に入った時、あるいは政治活動に勤しんでいた頃、バリーはしっかりとした黒人意識を持っていたのだが、多感な二十代前半の頃は白人に憧れていたようだ。白人社会を憎む一方で、魅力的な白人娘が現れると、下半身が疼(うず)いてしまったのだろう。だが、黒人女性を女房に持ったバリーは、黒人として生きることを固めたのだ。

憎しみが原動力となる共産主義者

  「オバマはコミュニスト」と聞いて訝(いぶか)しむ日本人もいるが、オバマは文化破壊型の左翼、つまりフランク学派に属する共産主義者なのだ。ただ、オバマにはマルクスやレーニンの著作を学んで共産主義社会を目指すという意図は無い。ユダヤ人と同じように、有色人種を抑圧する白人社会を叩き潰したいだけなのだ。冷戦時代、米国に潜入したロシア人工作員は、白人に対して不満を募らせる黒人を利用して、敵国の内部を混乱させ、人種対立を以て合衆国政府を揺さぶろうとした。ソ連の共産主義者は生物兵器ではなく、邪悪な政治思想や道徳的頽廃、民族対立などを撒き散らして米国にダメージを与えようとしたのである。したがって、黒人が持つ怨念や憎悪は、ソ連の工作員にとって便利な道具となっていた。怒りに燃える黒人には、民間企業の国有化とか計画経済、上部・下部構造とかはどうでもいい。「憎い白人に一矢報いたい」とか、「傲慢な白人を見返してやりたい」、「威張り腐った奴らを倒したい」という執念があるだけ。オバマもそうした「怒れる黒人」の一人なのだ。

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(左: マルコムX   / 中央: アンジェラ・デイヴィス  /  右: タバコを吹かすオバマ )

  オバマを見ていると、実に哀れだ。白人国家を憎む黒人は、心の奥底で白人に憧れるが、鏡を見るたびに復讐心が燃え上がってしまう。つまり、黒人に生まれた自分の肉体を呪っているのだ。「なぜ黒人なんだ」という怒りと悲しみが入り混じっているから不憫でもあり、どうしようもない運命なのである。オバマが黒人指導者のマルコムXや、極左活動家のアンジェラ・デイヴィス(Angela Yvonne Davis)に共感を覚えたのは、胸の奥で燻る苦悩から自分を解放してくれたからだ。マルコムXは白人の血が流れる母親から生まれたが、その母は白人の血を嫌っていた。なぜなら、マルコムの祖母は白人に強姦されて娘を産んだからだ。そして、孫のマルコムは人種や民族の壁を超越したイスラム教を以てアフリカ系黒人の統一を図った。表面上キリスト教徒だったオバマは、民族を超越するマルコムの主義に感動したのだろう。オバマもイスラム教にたいそう理解を示している。一方、アンジェラ・デイヴィスは米国共産党に属する過激派で、白人社会を転覆すべく公民権運動の急先鋒になっていた。彼女は過激な黒人団体のブラック・パンサーと気脈を通じ、オバマも密かにブラック・パンサーから支持を受けていた。米国のリベラル・メディアはトランプ大統領とKKKやネオ・ナチの繋がりを無理矢理こじつけていたが、オバマを明確に支持する兇悪な過激派黒人には触れなかったから卑怯だ。

Black Panthers 1Jeremiah Wright 2










(左: 「ブラック・パンサー」の黒人たち   /  右: ジェレマイア・ライト牧師と一緒のオバマ )

  以前、オバマが親しくしていたジェレマイア・ライト牧師(Rev. Jeremiah Wright)が世間の注目を浴びたことがある。この黒人牧師は白人社会を心底憎み、説教壇から「主よ、アメリカを呪いたまえ !」と言い放った。この映像は全米に放送されたから、一時大騒ぎになった。オバマとライト牧師は家族ぐるみで親しく、共通の感情を有していたという。すなわち、黒人に生まれた悲哀である。抑えようのない憤慨と、受け容れがたい運命、繰り返し行われる差別など、黒人の人生には幸せが少ない。ミッシェル夫人も同類で、彼女は夫が大統領候補になるまで、合衆国を恥ずかしく思っていたそうだ。白人は滅多に口にしないが、アメリカ黒人の心は捻れている。それもそのはずで、アングロ・サクソンの国家に居坐りながら、遠いアフリカを理想国にしているからだ。彼らの矛盾は甚だしく、白人という種族とその文化を憎むが、今さら貧しいアフリカに移住したくはない。立派な国家を創ることができない無能黒人は、白いアメリカを黒くすることができないが、せめて茶色、あるいはごちゃ混ぜのドブ色にしたいと考えている。寛大な心を以て人種の統合を訴えかけたオバマだが、その胸には憎しみの炎が燃えていた。正常な日本人だと馬鹿らしくて見ていられないだろう。だが、大半のアメリカ白人は左翼に調教されているから、肉眼で見てもこれに気づかないのだ。

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(左: オバマトミッシェル夫人   /   右: 学生時代のオバマ)

  日本人は黒人に生まれたオバマを見ても、「あら、そうなの」としか思わないが、混血児の危険性は日本にも忍び寄っている。支那人や朝鮮人ばかりでなく、フィリピン人やタイ人を親に持つ混血児が増えれば、日本に恨みを抱く子供が増えてしまうのだ。彼らは日本の歴史や伝統を愛さない。たとえ、「日本が好き」と答える子供でも、心の奥に深い悲しみや劣等感を宿しているから、ひょんなことで押さえつけていた感情が噴き出してしまうのだ。純粋に我が国を愛せるのは、日本人の両親から生まれ、日本人として成長し、日本人の肉体を受け継ぐ祖先の子孫だけである。アジア人の血が混ざるというのは、日本への反撥、憎悪、怨恨が混ざるということだ。日本を守る気概は日本人の血が根源であり、帰化手続きの書類に使われるインクではない。日本人の魂は日本人の体に宿る。この原則を忘れたのが古代のローマ人であり、その失敗を繰り返したのがフランス人、ドイツ人、イギリス人といった西歐人で、我々は今、崩壊過程のアメリカ合衆国を見ている。いくら日本が神国でも、怠けていればやがて神様に見棄てられるぞ。
  




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