教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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国家を恐喝した男

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(左: 『太陽を盗んだ男』に出演した沢田研二  / 右: 刑事役の菅原文太 )

  どうもこのところ邦画がつまらない。なるほど、二、三十年前と比べれば映画の撮影技術は飛躍的進歩した。しかし、作品の質が高くなったのか、と言えば首を傾げてしまうのが現在の状況だ。最近の興行収益を見ると、上位はほとんどがアニメ作品となっている。最近だと、人気シリーズの『名探偵コナン』とか『ミニオン』『ドラえもん』などが上位を占め、その下に百田尚樹・原作の『海賊と呼ばれた男』が続いているらしい。確かに、子供向けの映画は親も一緒に観る破目になるから、どうしても入場者数が増えてしまうのだろうが、大人が楽しめるような邦画が少なくなっているのも事実だろう。「昔は良かった」とは言いたくないが、昭和の頃の方が映画やTVドラマを真剣に作っていたんじゃないか。こんにちの映画監督が怠け者という訳ではないが、前もって成功が約束された作品しか撮影できないのだろう。現在のTVドラマだと漫画か小説が原作となっており、それがヒットすれば映画になるといったパターンになっている。

  そもそも、2時間枠のTVドラマ程度の作品なのに、劇場用にしているんだから、観客数が伸びないのは当然だ。まともな大人は暇じゃないから観ないだろう。銀幕に映る役者が素人のお嬢ちゃんや、大根役者としか思えない人気アイドル歌手じゃ洒落にならない。例えば、いくら水谷豊が出演しているからといって、無料で放送しているTV版の『相棒』を、お金を払って劇場で堪能するのか? 失敗を恐れる配給会社と制作スタッフは、ある程度の観客数が見込める映画ばかりを作ろうとする。だいたい、アニメ化で充分の漫画を実写化にするなんて、素材の風味を殺すためにご馳走を作るようなものである。『進撃の巨人』や『ジョジョの奇妙な冒険』を実写化したって失敗するに決まっているじゃないか。それでも映画化にこだわるのは、他に映画用のオリジナル脚本を作れないからだ。要するに、博奕を打つことが怖い。失敗を恐れるあまり、未知の原作に大金を投資できないのだろう。今の映画会社は収益至上主義に陥ってしまい、無謀な「挑戦」よりも無難な「お仕事」を選んでしまうのだ。

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(左: 長谷川和彦   / 中央: レナード・シュレーダー  /  右: 沢田研二)

  昭和50年代は庶民文化の黄金期で、流行歌には特色とオリジナリティーがあったし、TVドラマにも名作が多かった。映画界にも意欲作が豊富で、ベテランから若手の監督まで、様々なジャンルに取り組んでいた。そんな時代の作品の一つに『太陽を盗んだ男』がある。これは1979年の作品で、監督は長谷川和彦。原作はレナード・シュレーダー(Leonard Schrader)が担当したが、映画化に当たり長谷川氏が共同脚本を務めていた。シュレーダーは日本に詳しいそうで、『男はつらいよ』の共同脚本を手掛けたほか、三島由紀夫の映画にも取り組んだことで知られている。『太陽を盗んだ男』という映画を思いたい出したのは、北鮮が存亡を賭けて核開発に邁進しているからだ。ご存じの通り、北鮮は貧しい小国だが、核兵器を持つことで日米を恫喝するキー・プレイヤーになろうとしている。たとえ通常兵器で劣っていても、最終兵器の核ミサイルを保持していれば米国による斬首作戦の抑止力になるし、日本国政府を脅すことも可能になる。したがって、北鮮は核開発を諦めない。金正恩は毛沢東を見倣っており、国民が飢え死にしようが核兵器を手にすると決めているのだ。

Taiyo 5( 左  /  原発を下見する城戸誠  )
  『太陽を盗んだ男』はフィクションだが、一個人が警察機構を脅迫できたという点で、国際政治に通ずるものがある。物語は中学校で理科を教える城戸誠(きど・まこと / 沢田研二)が、原子力発電所を襲って核燃料を強奪し、自分の部屋でプルトニウム型の原子爆弾を作るという設定になっている。映画の冒頭に城戸が東海村にある原発を下見する場面があり、獲物を狙う城戸の目つきが非常に印象的だ。彼は燃料を奪うために武器を調達しようと考えた。そこで、城戸は部屋にやって来る野良猫を捕まえ、催眠ガスの詰まったスプレーを吹き付けて、その効果を確認する。ある晩のこと、彼は老人に変装し、交番に勤務する警察官のもとへ赴くと、彼に催眠スプレーを吹き付けて拳銃を奪った。この巡査を演じていたのは水谷豊。

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(左: 老兵を演じた伊藤雄之助  /  右: 人質となった城戸と山下 )

  怖ろしい計画を目論む城戸であるが、普段は中学校で理科を教える冴えない教師だ。受験勉強には必要の無い原子爆弾の話を授業で行ったりして生徒の不評を買っている。そんなダメ教師は生徒を連れた遠足でバスジャックに遭ってしまう。息子を戦争で亡くしたという狂った老兵がバスを乗っ取り、城戸を含めた生徒を人質にして江戸城(いわゆる「皇居」)へ迎えと命じる。伊藤雄之助が演じているこの老兵は、帝國陸軍の亡霊みたいな姿をしているのだが、なぜか最新式のアサルト・ライフルと手榴弾を持っていた。役柄は滑稽だが、ベテラン俳優の伊藤が演じると妙に板に付いている。ハイジャック犯の老兵こと山崎留吉は、駆けつけた警官隊に向かって、「天皇陛下に会わせろ !」と要求した。この時、犯人との交渉役を務めたのは、山下満州男(菅原文太)警部。彼は自ら進んで人質となり、捨て身の行動で老兵のライフルを掴み、山崎を逮捕しようとする。警察の狙撃隊はその瞬間を逃さず、犯人を撃ったことで山崎を取り押さえることができた。この事件が切っ掛けで、城戸は山下警部と顔見知りとなる。

禁断の兵器を手に入れる

Taiyo 3(左  /  核燃料を盗み出す城戸)
  クライム・サスペンスというのは、観客がいつの間にか犯人と一体化して、禁じられた悪を楽しむところに醍醐味がある。奪った拳銃を携帯して原子力発電所に侵入した城戸は、警備員に察知されたが見事プルトニウムを盗み出すことに成功した。たぶん、硝酸プルトニウム溶液だと思うんだけど、城戸は盗んだカートリッジからよく解らない紫色の液体を取り出し、化学処理をしてプルトニウム239を得ようとする。理科の宿題に取り組む良い子のみんなは、原子炉の燃料に使われる「天然ウラン(ウラン238が99.3%とウラン235が0.7%)」と「兵器級プルトニウム(Weapon Grade Plutonium)」の違いに気をつけてね。物理か化学の先生に訊けば、ウラン238が中性子を吸収して、陽子数92と中性子数147のウラン239となり、それがベータ崩壊を起こしてネプツニウム239となるんだ、と教えてくれるから。ちなみに、このネプニウム239(陽子数93と中性子数146)がベータ崩壊をして、原子番号94のプルトニウム239となるわけだが、なぜプルトニウム239の方がウラン235よりも核分裂を起こしやすいかについては、理科の先生に尋ねてね。でも、「うひひぃ、核爆弾の製造って面白いんだ !」と笑顔で説明してくれる先生って、親切なんだろうけどちょっと怖い。

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(左: プルトニウム球を作る城戸  / 右: 製造室になった自分の部屋で成功を喜ぶ城戸 )

  話を戻すと、狭い部屋で核爆弾を密造する城戸は、製造過程で致命的なミスを犯す。沈殿物を台所のオーヴンで加熱処理をしている時、つい野球中継に夢中になってしまったのだ。彼はオーヴンの中で炎が出ていることに気づかず、煙が出てたことで事態を認識し、急いで消火器を持ち出し鎮火に努めるが、油断していた城戸は被曝してしまう。それでも、彼は放射線を浴びていないと慢心して精製を続けた。そして、城戸はついに銀色に輝くプルトニウムの塊を作り上げた。原爆を手にした城戸は欣喜雀躍。彼は達成感に酔いしれていた。何しろ、単なる学校教師過ぎない一個人が、国家を揺るがすほどの最終核兵器を手にしてしまったのだ。背中に翼が生えて昇天しそうな勢いである。ただ可哀想なのは、部屋に入ってきた馴染みの野良猫が、戯れに金属プルトニウムの断片を嘗めてしまい、コロっと死んでしまうことだ。

Taiyo 4(左  / 核爆弾を作る城戸 )
  プルトニウムの球体を1個手にした城戸は、本物の爆弾と見本用の爆弾を作り、見本用にはプルトニウム球の代わりに梅干しとプルトニウムの断片を入れることにした。彼は本当の核爆弾を持っていることを証明するために、この見本を警察に送り届けようとしたのである。そこで、城戸は妊婦に変装して国会議事堂に入ると、議事堂内の便所に見本用の爆弾を置き、その場で警察庁に通報したのである。警察庁に呼び出された専門家の市川博士(佐藤慶)は、偽爆弾の中に仕込まれていた金属片を調べて驚愕する。本物のプルトニウム爆弾と解った警視庁長官は、変声器を使って電話を掛けてくる城戸に渋々ながらも従う。城戸は交渉役に山下警部を指名する。電話越しに山下から名前を訊かれると、城戸は大胆にも「九番」と名乗った。8つある核保有国に続く「九番目」の核保有者だからだ。調子に乗った城戸は、警察にふざけた要求を突きつけた。それは、いつも試合前に終了するナイター中継の延長だった。すると、彼の無理難題は承諾され、野球中継の延長がなされる。勝ち誇った城戸は満面の笑みを浮かべ、警察を屈服させたことに有頂天となった。

Ikagami 1(左  /  零子を演じた池上季実子)
  ところが、彼には一つ悩みがあった。怖ろしい爆弾を作ってはみたものの、それを以て何をしたいのかが分からなかったのだ。そこで、ラジオのDJをしている沢井零子(通称「ゼロ」/ 池上季実子)に電話を掛け、どんな要求が良いのかリスナーに募集させることにしたのだ。色々な提案がなされたが、結局、零子が述べた「ローリングストーンを招いてコンサートを開かせろ」という要求に決まってしまった。なぜなら、かつてストーンズのメンバーが大麻を所持していたので、それ以降ストーンズの来日公演が不可能となり、零子は苛立っていたからだ。リスナーの興味を惹くことしか頭に無いDJは、半ば「世紀の犯罪」を楽しむように日本国がストーンズを連れてこい、と要求したのである。左翼かぶれの長谷川監督は、零子を叛逆的な娘に設定していたのだ。匿名の電話を受けるDJの零子は、不審な城戸を追いかけているうちに彼を好きになってしまった。それゆえ、警察から犯人のモンタージュ写真作成に協力するよう頼まれても、城戸を特定するような写真にはせず、別人の顔を主張していたのである。

Taiyo 6(左  /  警察に脅迫電話をかける城戸)
  原爆製造のために高利貸しから金を借りていた城戸は、借金取りに付け回されたので、ついに5億円を警察に要求することにした。城戸が繁華街にある喫茶店を指定したので、山下警部率いる捜査班はそこで待機することになる。警察は犯人からの電話を受け取り、指図された通りに動くが、ある秘策を持っていた。一方、城戸は渋谷の東急百貨店から電話を掛け、現金引き渡しの方法を提示する。ところが、警察の逆探知にあって居所がバレてしまう。間髪を置かず百貨店の出入り口が警官隊によって封鎖され、城戸は店内から逃げ出すことができなくなってしまうのだ。変装用の髭を整える為にトイレに入った城戸は、鏡に映った自分の歯茎から血が出ているのに気づく。ここで彼は自分が被曝したことを悟る。動揺した城戸は便所の中で拳銃自殺を図るが、恐ろしさのあまり引き金を引くことができない。気を取り戻して山下警部に電話を掛けた城戸は、捜査チームに取引を持ち掛けた。すなわち、爆弾のありかを教えるから警察の包囲網を解けという要求だ。意外なことに、城戸が指定した喫茶店に爆弾が隠されていたのである。こうして、城戸は逃走と引き替えに“切り札”を失ってしまった。

何とも間抜けな追跡劇

  一般向けの娯楽映画には、荒唐無稽な設定や脚本が多い。零子と親密になった城戸は路上でマツダのRX-7を盗み、彼女を煽てて爆弾の保管場所を聞き出した。押収された爆弾は警察署ビルの屋上近くの部屋に保管され、そこには多くの刑事が詰め込んでいる。しかし、城戸は強行突入を図った。屋上からロープを垂らしたのか、そのロープを摑んだ城戸はターザンの如く足で部屋の窓ガラスをぶち破り、拳銃片手に飛び込んできたのだ。現在の我々なら、「えぇぇぇ! そんな無茶な ! あり得ない !」と呆れてしまうが、昭和の頃は何でも“あり”で許されていた。狭い部屋の中で銃撃戦を繰り広げ、城戸は傷一つ無く刑事たちをやっつけると、爆弾を奪い去って建物を後にした。こんな芸当ができるのは、X-メンのミュータントかターミネーターくらいである。シルヴェスター・スタローン扮するジョン・ランボーでも無理。普通なら城戸が銃弾の嵐を浴びて、蜂の巣になるのが関の山だ。

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(左: トレーラーを飛び越えるマツダRX-7 : トレーラーの裏にジャンプ台が見える  / 右: ジャンプして道路に着地したRX-7 )

  もっと凄いのは、クルマに乗った城戸と零子が、追跡してくる山下警部やパトカーの群れを振り切ったことだ。「ボニー・アンド・クライド」を意識したんだろうが、警察が道路を封鎖してしまえば一巻の終わりである。でも、そこは映画だから、主人公の逃走は不可能ではない。この逃走劇にはオマケが附いていて、零子は警察の犯人追跡をラジオで流すため、放送局にヘリコプターを用意させ、上空から仲間に指示を出して記録させたのだ。マツダRX-7のサンルーフから半身を乗り出して実況中継する零子は、逃走幇助に関する罪悪感が一切見られず、むしろ手に汗握る犯罪を楽しんでいるかのようだった

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(左: トレーニラーの車体に突っ込む山下警部のクルマ  /  右: トレーラーの下をくぐり抜ける山下のクルマ)

  このカーチェイスには度肝を抜く程のアクロバット走行があった。猛スピードで城戸が運転するRX-7は、交叉点で大型トレーラーと激突寸前となる。ところが、何故かクルマが空高くジャンプして、トレーラーの上を飛び越えてしまうのだ。映像をよく観ると、トレーラーの反対側にジャンプ台が隠されていて、それをRX-7が駆け上ってジャンプしたと判る。しかし、その直後に現れた山下警部のクルマは、何も無いトレーラーの車体下をくぐり抜け、その狭さゆえに屋根の部分とフロントガラスが剝がれてしまうのだ。観客は「あれ ! ジャンプ台が無くなっている !」と気づくが、そこは大目に見ているから野次を突っ込まない。でもさぁ、どうして素人の学校教師がスタントマン顔負けの運転ができるんだ? 信じられないけど、城戸の運転テクニックはA級ライセンスものだった。

Taiyo 1(左  / ヘリの搭乗ステップに摑まる山下 )
  不思議な事は他にもあった。激しいカーチェイスの末に、山下警部の車は横転し、燃料以上の大爆発を起こしてしまう。(撮影秘話になるが、山下役の菅原文太は爆発のタイミングが打ち合わせよりも早かったので、本当にビックリしたそうだ。たぶん、監督が臨場感を出すために、菅原文太を騙したんだろう。) 執念の鬼と化した山下警部は、クルマを失っても追跡を諦めない。警察の追跡を逃れた城戸と零子は、高飛び用のヘリが来たと思い、Rx-7でヘリの方へと向かうが、そのヘリには何故か山下警部がぶら下がっていた。監督による無茶な演出なんだろうが、役者は黙って従うしかない。山下警部はヘリの搭乗ステップに片手で摑まり、ぶら下がりながら拳銃を発砲したのである。すると、偶然にも一発の銃弾がRX-7のフロントガラスを貫き、助手席に乗っていた零子に当たってしまうのだ。

Taiyo 2(左  / 車内で瀕死の零子と城戸 )
     しかも、クルマは横転して走行不能となる。瀕死の零子は城戸に生き延びるよう言い残し息を引き取った。一方、山下警部は焦っていたのか、ヘリがまだ空を飛んでいるのに、無謀にも搭乗ステップから手を離し、30mないし40mの上空から飛び降りたのだ。我々なら「えぇぇっっ、そんな ! ちゃんと着陸してからヘリを降りればいいのに !」と考えてしまうが、長谷川監督は派手なアクションにこだわったのだろう。案の定、山下警部は地面に叩きつけられた。犯人逮捕を目的とする山下警部なのに、わざとヘリから飛び降りて脚を負傷するんだから、何とも間抜けな話である。それでも、激痛にもがき苦しむ山下警部は、城戸に向かって拳銃を発射する。しかし、所詮は無駄なあがきで、まんまと逃げられてしまう。

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(左: 絶命した零子  /   右: バッグに核爆弾を入れて逃走する城戸)

  もうメチャクチャなカーチェイスだが、これも昭和ドラマの特徴である。冷静に考えれば、山下がヘリに乗ってクルマを上空から追跡し、応援のパトカーに情報を与えればいいだけの話だが、それでは見せ場が無くなってしまうから駄目。問題の多い逃走劇であったが、そのシーンに流れてくるBGMだけは例外的に良かった。有名な井上堯之(いのうえ・たかゆき)が手掛けた曲だから当然なのかも知れないが、どことなく哀愁が漂うメロディーになっていて、激しい逃亡シーンなのに不思議なくらい静寂な雰囲気が漂っていた。また、必死で追跡を振り切ろうとする城戸であったが、彼の表情には悲壮感はなく、却って生命力に溢れていた。逮捕されるという恐怖より、「生きている」という実感が彼にはあったのだろう。奇妙なことに、城戸はテロ攻撃に関する目標が無い。むしろ、核爆弾という最終兵器を以て警察機構を脅迫する事にスリルを感じていた。おそらく、城戸は巨大な権力を相手とする事に「生き甲斐」を見出していたんじゃないか。禁断の兵器製造に情熱を注ぐ城戸にとって、学校の仕事なんて退屈極まりない。それよりも、大胆な犯罪で世の中を支配する方が性(しょう)に合っている。核爆弾こそが彼を権力者にする唯一の手段であった。こう考えれば、なぜ彼が目的の無い脅迫を続けていたのかが解る。

偶然が重なる運命

Sawada 5(左  /   山下刑事と挌闘する城戸)
  突っ込み所は色々あるが、映画はクライマックスへと向かう。城戸の要求が通ってローリングストーンズの来日公演が実現した。日本武道館で犯人を待ち伏せる山下警部のもとに、拳銃を隠し持った城戸が近づいてきた。新聞に銃を隠した城戸は、話があるから別の所に移動するよう山下に迫った。城戸はカバンに入れた核爆弾を抱え、山下と共に武道館近くの建物に入って行く。山下を屋上に連れ出した城戸は、彼に手錠を掛け問答を始めた。しかし、山下警部は城戸の隙を見て足元の石を拾い、反撃のチャンスを窺う。そして、城戸が油断した瞬間にタックルをかけて乱闘に持ち込んだ。激しく絡み合う二人だが、拳銃を持っていた城戸が明らかに有利だった。彼は山下に銃弾を数発撃ち込み、血塗れの山下は絶命寸前となる。

Sawada 19( 左 / 城戸を道連れにする山下 )
  しかし、瀕死の山下は最後の力を振り絞って城戸を抱きかかえた。山下は彼を道連れにするつもりで屋上から飛び降りたのである。ところが、運命の女神は城戸に微笑んだ。彼は建物の電線に引っ掛かって一命を取り留めたのである。(何ともラッキーというか、うまく出来過ぎている。) 一方、山下警部は路上に激突して即死。ビルから落ちる瞬間、城戸が手放してしまった爆弾も、これまた運良く木の枝に引っ掛かったので無事だった。この映画には“ちょくちょく”あり得ない展開があるけれど、昭和50年代の日本人は無茶な設定に慣れていたから、多少の「ウルトラC」には寛容だった。

Sawada 17(左  /  繁華街を歩く城戸)
  運良く危機を脱した城戸は、核爆弾を抱えて繁華街を歩く。爆弾にセットされた時計の秒針が音を立てて、時を刻んでいる。そして、轟音が響き渡るシーンで物語は幕を閉じた。実際に核爆弾が炸裂したのかどうかは定かではない。長谷川監督によると爆発していないそうだ。映画ファンとしては、キノコ雲が立ち上がる映像でラスト・シーンにして欲しかった。原作者のシュレーダー氏によると、当初は大金を摑んだ城戸が零子と逃亡に成功し、ブラジルかどこかの外国に高飛びするという脚本だったという。(最初のタイトルは「日本を強奪した奴(The Kid Who Robbed Japan)」であったそうだ。) しかし、そうした結末を長谷川監督が却下したので、当初のストーリーが変更されたそうである。

  たった一個の核爆弾で、個人が国家と対等になる、という恐怖が『太陽を盗んだ男』の主題となっている。これは北朝鮮についても当て嵌まる話で、貧乏国の北鮮が核ミサイルを保有することで、超大国のアメリカと同じ土俵に立つ事ができる。これだから、金王朝が核兵器開発に執念を燃やすのも当然だ。たとえ、通常兵器が貧弱でも、破壊能力が高い核兵器を手にすれば強国と対等なテーブルに着くことができ、自国の運命を“自分で”決めることができるのだ。米国の属州(保護領)になっている日本とは対照的である。確かに、我が国は物質的に豊かで、陸海空の通常兵器にお金をかけている。しかし、日本は独立国ではない。なぜならば、自分で自分の運命を決められないからだ。同胞を拉致されても、僅かな経済制裁しか対抗手段が無く、特殊部隊による奪還作戦とか軍事的な報復行動は端っから無い。拉致被害者家族が頼るのは、日本の総理大臣じゃなくて、宗主国の元首たる合衆国大統領。日本政府が出来るのは、北鮮に「経済援助」を貢ぐだけ。つまり、核兵器を持った怖い敵国に、厖大な税金を献上して慈悲を乞い、願わくば邦人を返していただければ、と土下座するのがせいぜい。日本人を拉致した廉(かど)で北鮮人皆殺し、なんて夢物語。しかも、国内には北鮮贔屓やその手下がウヨウヨしているから、「軍隊は違憲だ ! 核兵器保有に絶対反対 !」との世論が沸き起こるのは、火を見るより明らかだ。

  金日成や金正日の野望を受け継ぐ金正恩は、核兵器をネタに犯罪ゲームを楽しむ小僧じゃないぞ。金王朝は核兵器開発を絶対諦めない。核兵器こそ北鮮の命綱である。もし、米国と妥協して核兵器開発を断念した瞬間に、北鮮は国際政治の波に揉まれて消えゆく「捨て駒」になるはずだ。悔しいけど、北鮮には独立国の気概がある。一方、我が国は豊かな下僕が住む儚い楽園だ。もし、日本が核保有国になれば、南北朝鮮はおろか、支那やロシア、アメリカでさえ我々を侮ることが出来なくなる。日本が独立国となるのは、支那やロシアが譲歩する程の核兵器を保有した時である。日本を核攻撃すれば、自国も完全に消滅するという恐怖を、相手国が解った時、日本人は交渉の切り札を持つことになるからだ。とは言っても、日本国民に城戸のような度胸があればの話だが。今や日本人は「サムライ」じゃくなて、「憎みきれないろくでなし」程度。これじゃあ、「勝手にしやがれ」と言いたくなる。(今の高校生だとジュリーの名曲は知らないだろうなぁ。)
  


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