教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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政治家の責任だろう !

  もう触れるのも厭になるけど、反日左翼のマスコミ、事なかれ主義の国会議員、そして無関心な国民のせいで、「従軍慰安婦」という虚構が「事実」になってしまった。一般的に日本人は朝鮮人を見くびっているが、彼らには朝鮮人独特の“しつこさ”がある。日本人は客観的にモノを考える常識を備えているので、あからさまな捏造だと口にするのをためらってしまうが、アジア大陸の劣等民族は利益の爲なら平気で嘘をつく。我々は先進国の西歐人を念頭に置いて外交を考えてしまうが、アジア人やアフリカ人も存在する事を肝に銘じるべきである。心の優しい日本人は、どの外人とも平等に接しようとするが、第三世界の人間は武士が重んずる恥の概念を持たないから、異次元の「生物」と見なした方がよい。

  特に、朝鮮人や支那人には「都合良く歴史を書き換える」という風習があるので、彼らに知的正直さを求めるのは無駄。したがって、朝鮮半島や支那大陸で、どれほど反日発言が繰り返されようとも放って置くしかない。支配階級から下層の苦力に至るまで、彼らは根性がひん曲がっているし、腹黒いのが“当り前”なんだから。日本人が上等なだけ。そもそも、動物の本能というのは変えることができない。例えば、日本では誰もスカンクに「屁をするな !」とは言わないじゃないか。これと同じで、支那人や朝鮮人に「嘘をつくな !」と言い聞かせるのは、泥棒に「盗むな !」とか、乞食に「毅然たれ !」と説教するのと同じだ。

Koreans in San Francisco 1Koreans 3








(左: サンフランシスコに集まった朝鮮人  /  右: 「慰安婦像」に群がる朝鮮人)

  ただし、朝鮮人が歐米諸国で日本に関する嘘を広める場合は別。彼らは何としても「性奴隷」を“歴史的”事実にしたいと考えている。しかも、朝鮮人は嘘も百回言えば「真実」になると考えているから厄介だ。(実際には、十回くらいで充分と思っていたりして。) とにかく、朝鮮人は米国で「戦場売春婦」をどうしても「日本軍の被害者」にしたい。教養のあるアメリカ人やヨーロッパ人は、最初「本当かなぁ ?」と疑っていたが、あまりにも多くの鮮人が訴えるので、「真実なのでは」と思うようになった。だって、南鮮の大統領から裁判官、歴史学者、教育者、軍人、警察官、老人、女子供まで、あらゆる身分の朝鮮人が皆口を揃えて、「日本人が朝鮮人の娘を攫(さら)ってって行ったニダぁぁぁ !」と泣き叫ぶんだから、「やっぱり本当なのかも」と思うじゃないか。一人や二人の左翼学者ならともかく、百人、千人、一万人が同じ事を訴えれば、日本人を知らない歐米人は「真実」と考えるようになるだろう。まさか、千人中千人が“嘘つき”だなんて、歐米諸国ではあり得ない。西歐人は全国民が「火病」に罹っている社会を想像できないのだ。

Kono Youhei 1(左  /  河野洋平)
  とは言っても、冤罪事件を「真実」にしたのは日本政府である。今でも腹立たしいが、官房長官だった河野洋平が公式に謝罪し、日本政府は公金を南鮮に渡したのだから、歐米人が日本の「有罪」を確信したのも当然だ。たとえ、日本人が「あれは反日左翼と朝鮮人のデマだ」と訂正しても、歐米人は「じぁあ、なぜ日本政府は830万ドルもの賠償金を払ったのか?」と反論するだろう。無実を主張する者が大金を払うなんて考えられない。したがって、どんな正論を述べようが、日本人は自ら濡れ衣を認めた事になる。だいたい、一般国民が嘘をついてまで日本を貶めようとする朝日新聞や東京新聞、NHKにお金を払ってきたんだから異常だ。もし、大多数の国民が精神的に健全なら、とっくに朝日新聞は潰れているだろう。未だに健在ということは、購読者に読解力と判断力が無いという証拠だ。

  それでも、大阪市の吉村洋文市長は慰安婦像を設置したサンフランシスコ市に抗議を行い、姉妹都市関係の解消を表明したから正常だ。南鮮の嫌がらせに憤慨する日本国民なら、吉村市長の決断に反対せず賛成するだろう。ただし、この件に便乗して人気を得ようとする石原伸晃には拍手を送ることができない。彼は今月5日、東京都内で開かれた石原派(近未来政治研究会)の研修会で、サンフランシスコ市が慰安婦像と碑文を公共物化したことを取り上げ、「総領事の責任は非常に重い。総領事といえども、ロビイング(活動)をして、歴史を捏造(ねつぞう)するようなことに対しては、ものを言っていかなければならない」と述べたそうだ。保守派の国民にしたら、「何を今更、国士ぶっていやがるんだ」と吐き捨てたくなる。今まで日本の防衛や名誉について無関心だったくせに、急に親爺の真似をして“タカ派”にでもなったつもりなのか。「お前が言うな !」と叱り飛ばしたい。

  かつて慎太郎は「スパルタ教育」や「独立国家」を喧伝していたが、自分の倅(せがれ)は例外にして甘やかしていたんだから、情けないというか軽蔑したくなる。だいたい、慎太郎の息子達はどれもこれも出来損ないだ。長男は政治家の器じゃないのに、総理・総裁を目指したし、次男の良純は叔父の七光りで俳優になるも、才能と魅力に欠けているので、役者としては三流以下。それでも、気象予報士になれたので藝能界に残っている。残念ながら、三男の宏高は批評する価値さえ無い人物だ。無能というか、しょぼくれた深海魚みたいに政界の底辺をウロチョロしてるだけ。四男の延啓は画家らしいが、その才能は不透明。親爺と叔父の七光りを放つが、世間のスポットライトはまだ遠く、石原ブランドのみが頼みの綱になっている。

Ishihara Shintaro 2石原伸晃Ishihara Yoshizumi 1Ishihara Takahiro 1








(左: 石原慎太郎   /  石原伸晃   /  石原良純  /  右: 石原宏高 )

  威勢の良い伸晃の発言は癪に触るが、米国に派遣された外務省の役人は何をしているのか知りたい。外交官が本省の雑務や現地の仕事で忙しいのは分かるが、日本の名誉を守ることだって重要な任務だぞ。確かに、国政を司る国会議員がどいつもこいつも腰抜けで、マスコミを恐れて左翼に媚びた挙げ句、南鮮人に屈服しているんだから仕方ない。でも、ちょっとくらい国家への無償奉仕をしたっていいんじゃないか。天下り先が消滅となれは、職務に関係無くても全職員が一致団結して抵抗するくせに、英霊の名誉となれば床に落ちた消しゴムの滓(カス)程度なんだから、一体どこの外交官なのかと問いたくなる。平民を相手にする時だけは、「俺は大学を卒業する前に外交官試験に合格したんだ」とか「天皇陛下から直々に任命された“特命全権大使”なんだぞ」と威張るけど、アメリカ人を前にすると仔犬のように従順だ。借りてきた猫だってもっと勇気があるぞ。まぁ、北京政府の犬になるアジア課の連中よりマシかもね。

亡国を導く外交官

Kuriyama 1(左  /  栗山尚一)
  日本の外政に於いて日米関係は一番重要な基軸なので、米国担当の外務官僚が花形なのは分かる。しかし、官邸と外務省の人選には素直にうなづくことができない。だって、歴代の駐米大使を見れば解るじゃないか。最低の部類に入る駐米大使と言えば、故・栗山尚一(くりやま・たかかず / 1992年から95年までの任期)が先ず思い浮かぶ。 当時のアメリカ人が栗山大使を「冷たい魚」とか、陰で「死んだ魚」と評していたことは有名だ。日本人だって「誰、このオっさん ?」とか「あの人、どこかの事務員 ?」と思うくらいだから、外国人がせせら笑ったのも無理はない。どうせ笑われるんなら、タンバリンの達人、「ゴンゾー」の方がいいよね。(ところで、彼は今何をしているんだろう ?)  まぁ、栗山氏の“見た目”は直しようが無いから我慢するけど、その思考は日本の国益にとってマイナスだから赦せない。例えば、栗山氏は支那人が言い出した「南京大虐殺」について肯定はしないが、さりとて徹底的に反論することもなかった。彼は退官後、大学に天下っていたが、対支那関係については、次のように述べていた。

  中国や韓国と日本がまったく同じような歴史認識を持つということは難しいと思います。ただ、基本的に南京事件で何万人死んだ、殺されたといったことの数字で議論することは私に言わせれば枝葉末節の話だと思います。事実としてどのくらいの人が日本軍によって殺されたのかということは、なかなかわかるものではありません。中国側も数字を大きく言うということもあるでしょう。しかし、本質的な問題は、国策を誤って、植民地支配と侵略戦争をやったということを、日本として受け入れるかどうかということなのです。(栗山尚一、 第1話:「日本は過去の歴史に向かい合うべき」、 言論NPO、 2006 年3 月8日) 

  「南京事件」については、保守派言論人が多くの著書を出しているから、一般国民も詳しく知るようになり、支那人のデタラメや謀略工作についている。ところが、栗山氏は日本側の研究をことごとく無視。肝心な虐殺者数については「わからない」と避け、「枝葉末節の話だ」と片付けるも、日本の植民地支配と侵掠戦争だけは反省しろ、と説教を垂れる。反日感情を剝き出しにした江沢民についても同情的で、その外交的失敗を認めながらも、やたらと支那人側に理解を示していた。栗山氏は首相の靖國参拝問題が起こった時、“加害者”の日本と“被害者”の支那を論じて、次のように述べていた。

  しかし、中国に半分責任があるとしても、和解のプロセスというのは、加害者の方がイニシアティブをとらなければならない。被害者の方がイニシアティブをとるという問題ではないわけです。そこの認識が、日本人一般に足りないという気がしているのです。(栗山尚一 、第2話:「靖国問題をどう考えるか」、言論NPO 、2006 年 03 月 10日)

  支那が「被害者」だって? 共産党は漁夫の利を得た盗賊じゃないか。日本の国家利益や国民感情を擁護するはずの栗山氏は、日本人が先ず支那人に土下座し、その赦しを乞うことで両国の和解があると思っていた。一々腹を立ててもしょうがないが、この外交官は我々に「支那人様の“国民感情”を優先しろ」と語っていたのだ。これでは、支那人の忠犬になっていた駐支那大使の中江要介とソックリだ。

  本当に、外務省でアジア担当になる者には、愛国心が無いというか、ロクな奴がいない。当時、栗山氏は「外務省きっての知米派」と評されたそうだが、このアカンタレが駐米大使になれたのは、たぶん「すごろくゲーム」みたいな外務省の人事にあるのだろう。何しろ、マレー大使を務めた栗山氏は、条約局長や外務審議官、事務次官という華やかな職務を歴任したから、最後の花道として駐米大使に選ばれてもおかしくはない。これを「エスカレータ人事」とか「トコロテン方式」と呼ぶかは、個人の自由だ。外務省は彼の能力を評価したからという「建前」を貫くだろうが、一般国民が見れば「役所の論理」で選ばれたとしか思えない。普通、駐米大使に選ばれるような外政官なら、アメリカで幅広い人脈を持ち、ワシントンでの活動はもちろんのこと、現地の政治や社会に精通している人物であるはずだ。

  ところが、栗山氏は英語が下手なうえに、テレビ討論の訓練も受けておらず、マスコミ対策については素人同然だった。これを証明するのが、1995年に起きた逃亡事件である。米国のABCには『20/20』という報道番組があり、そこの制作者が日本軍による慰安婦問題を取り上げることにした。ということで、同番組は駐米大使である栗山氏にインタビューを申し込んだのだが、何と彼は放送直前になって出演を断ってしまったのだ。そこで、栗山大使のキャンセルを受けて、急遽、近藤誠一公使が彼の代役を務めることとなり、流暢な英語を駆使してキャスターのインタビューに答えたという。(古森義久 『亡国の日本大使館』 小学館、2002年 p.172-73)

  天皇陛下の名代である“特命全権大使”が、日本の名誉を守らず、一目散に「敵前逃亡」するなんて、驚くというより目眩がする。いくら英語の遣り取りが苦手だからといって、近藤公使に“災難”を押しつけるとは、本当に卑劣な奴だ。こんな男が駐米大使として赴任してきたんだから、当時の在米日本人がどれほど失望し、恥ずかしく思ったことか。誰だって、「なぜ外務省はこんな奴を寄越してきたんだ !」と恨みたくなる。

Sasae 1(左  /  佐々江賢一郎)
  情けない状況は一向に改善されておらず、現在の佐々江賢一郎・駐米大使も「選良」とは言い難い人物だ。今でも震えがくる暗黒時代、すなわち悪夢のような民主党政権時代に、彼は幻の「佐々江提案」を行った外交官として記憶に残っている。2012年、南鮮側は「日本軍が組織的に、20万人もの朝鮮娘を拉致して“性奴隷”にしたニダぁぁ」と喚(わめ)いていて、勝手につくった虚構を日本政府に押しつけていた。もし、日本政府がこの捏造を認めれば、法的責任を追求され、個人賠償の請求が殺到するのは必然。ところが、佐々江氏は、南鮮の安豪栄・駐米大使から「歴史の真実から顔を背けない勇気と智慧が必要だ」とたぶらかされ、何の反論もしなかったそうだ。

  しかし、幸いな事に、南鮮側は「人道主義の名目による賠償では不充分」と考え、軽々しく佐々江案に応じることはなかった。そうこうしているうちに、民主党政権が倒れ、安倍政権の誕生となったから、佐々江案は消えゆくことになった。しかし、佐々江氏の姿勢は問題である。彼はどのような形であれ日韓合意が出来れば、両国の関係改善に繋がると信じていたそうだから、朝鮮人に対する認識が甘いとしか言いようがない。朝鮮人に対する扱い方は、支那流か蒙古方式しかないのだ。つまり、「理屈を並べず鞭、斧、棍棒で滅多打ちにして、最後に飴少々」という塩梅(あんばい)が最適。朝鮮人を前にして仏心を出すのは愚の骨頂だ。

マスコミ対策の素人が駐米大使に

  朝鮮人に関する認識が小学生以下の佐々江氏では、反日を売り物にするアメリカの左翼メディアや、アジア系の政治家を相手するのは無理だろう。たとえ、報道番組や討論番組に出演しても、アメリカ人のキャスターや評論家を反駁できないし、視聴者への印象だって良くないはずだ。栗山氏と同様に、佐々江氏にも人間的魅力は感じられない。これは筆者の推測になるけど、アジア大洋州局長を務めた佐々江氏は、外務審議官や事務次官を歴任したから駐米大使に栄転できたんじゃないか。外国人記者クラブに出席した佐々江氏の受け答えを聞く限り、とてもアメリカ通とは思えない。これは何も英語が下手という次元の話のではなく、マスコミ対策の訓練を受けていないということだ。

  筆者は英会話能力を以て外交官の資質を判断しないが、言語能力は外交官が習得すべき「技」の一つではないのか。もし、鉋(カンナ)がけの下手な大工がいたとして、その職人が「俺は釘打ちの方が得意なんだけど」と弁明すれば、我々は「アホ、大工なら鉋の腕くらい磨いておけ !」と言い渡すだろう。それと同じで、赴任先の言語くらい自由に喋れなければ、人脈も作れないし、交渉だって難しいはずだ。とりわけ大使クラスとなれば、現地のジャーナリストから鋭い質問を受けるし、テレビ画面に映る機会も多くなるから、魅力的人物でないと好印象を与える事ができない。日本国内なら、自分の部下にインタビューを任せて接待ゴルフに専念できるが、民衆政の米国だと、一番の責任者は駐米大使になってしまい、「詳しい事は広報官に聞いてください」では、日本の評判が悪くなる。やはり、大使館の親分が直々に対応しないとマズい。

  そうなると、流暢な英語のみならず、別の才能も必要になってくる。例えば、相手を和ませるような話し方とか、聴衆の関心を惹くような話題作り、真剣な会話の中にちょっとしたユーモアを織り込む話術など、一般人に好感を持たれる人物でないと、政界で脚光を浴びる大使にはなれない。昔、ジョン・F・ケネディーはジャーナリストに好かれていたが、それは単に彼が民衆党の大統領であったからではなく、パーティーや囲み取材の時など、ユーモアを交えて相手と話をしていたからだ。一方、ニクソン大統領はケネディーのような陽気さが無く、仏頂面というか“ムッ”としている時が多かった。これではマスコミ受けが悪いのも当然だ。

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(左: ジョン・F・ケネディー   / 中央: リチャード・ニクソン  /  右: ロナルド・レーガン )

  歴代の大統領を思い出すと、ロナルド・レーガン大統領は共和党の支持者だけでなく、民衆党の有権者にも評判が良かった。彼がスピーチを行うと、みんなが聴きたかったし、彼のユーモアは今で笑える。筆者が米国にいた時、レーガンに投票したという中高年の民主党員に会ったことがある。彼らが言うには、レーガンは偉大なるコミュニケーターであり、とにかく話が面白いというのだ。筆者もレーガン大統領が演説の時に用いたジョークに笑ったことがある。一例を紹介すると、あるアメリカ人とロシア人がお互いの国が持つ自由について語ったそうだ。当時は冷戦の真っ最中。自由の国を標榜するアメリカ人は、相手のロシア人に対し、こう自慢したという。

   私の国では閣僚が大統領の執務室に入り、「ミスター・プレジデント。私はあなたのやり方に賛成できません !」と率直に言えるんだぞ。

  すると、それを聞いたロシア人は、我が国にも同様の“自由”がある、と反論したそうだ。彼はこう述べた。

  我がロシアでは、共産党官僚がクレムリンに赴き、書記長室に入ることができる。そして、彼は「書記長、私は米国大統領のやり方に賛成できません !」と発言できるんだ。

  このジョークで会場の観客は大爆笑。披露したレーガン大統領も自分のジョークに思わず笑っていたから、とても愉快だった。日本の総理大臣だとレーガン大統領に匹敵する人物はいないだろう。田中角栄でも見劣りする。歴代の駐米大使だって、どいつもこいつも“つまなない”役人で、アメリカの民衆を笑わせる人物ではない。例えば、駐米大使になった柳井俊二は、見るからに「役人」といった感じの中年男性で、気骨がある人物でもなかった。彼は南鮮に媚びたのか、日韓基本条約で個人賠償が否定されていないと仄めかし、以後、朝鮮人が調子に乗る切っ掛けを作った官僚だ。「ミスター外務省」と呼ばれた斉藤邦彦大使も情けなく、PBSに招かれてアイリス・チャンと討論した時、日本側は謝っているじゃないか、と弁明することに必死で、支那人工作員チャンの正体を暴くことはなかった。当時、これくらいの情報すら摑んでいなかったとすれば、日本の外交官が行っている「諜報活動」に疑問が湧いてくる。もしかしたら、外務官僚の情報源はCNNとかBBCの報道で、これらの番組を視聴する事が唯一の「インテリジェンス活動」なのかも知れないぞ。

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(左: 柳井俊二  / 中央: 斉藤邦彦   / 右: アイリス・チャン )

Ed Lee 2(左  / エド・リー )
  石原伸晃は慰安婦設置の件で山田淳総領事を叱責したが、どの外交官がサンフランシスコに赴任しても、アメリカ人に反論はできまい。第一、サンフランシスコの市長が支那系のエド・リー(Edwin Mah Lee / 李孟賢)なんだから、朝鮮人の味方になっても不思議じゃないし、北京政府の協力者という可能性もありうる。したがって、日本の外交官が説得すべきは、現地にはびこるアジア系アメリカ人ではなく、西歐系のまともなアメリカ白人の方である。米国の一般人には詳細な資料など解らないし、アジア史など勉強したことのない者が大半だから、簡単な説明と力強い態度で挑むしかない。彼らは議論の内容ではなく、発言者の容姿とか態度で判断することが多い。だから、日本の外交官が流暢な英語を話し、ユーモアを交えながら説明すれば好感を持たれるし、単純明快な事実を以て反論すれば、ちょっとくらいはアメリカ人の態度を変えることが出来るだろう。理想を述べれば、知的で若い美女を駐米大使に任命すべきだ。米国でもマスコミは視聴率を気にするし、世間の注目を集める人物に出演を依頼することが多い。日本でもキャロライン・ケネディー氏が駐日大使になった時、マスコミが大々的に取り上げたじゃないか。冴えない格好をした中年男性なら、マスコミは素通りするし、一般人だって新任大使の服装には注目しないだろう。

Caroline Kennedy 1(左  /  キャロライン・ケネディー)
  日本から米国に派遣されるされる外交官なんて、現地メディアはどこも興味を持たないし、報道する価値すら無いと思っている。一方、日本の外交官ときたら諜報活動に疎いくせに、ワインの購入になると熱心でうるさい。こんな連中に何億円も給料を払うなら、英語が得意な美人モデルでもスカウトして、討論技術を仕込んだ方がいいんじゃないか。日本はもっと対外宣伝に力を入れるべきだし、米国のマスコミに対して主導権を持つべきだ。トランプ大統領は主要メディアを介さず、ツイッターを使って国民に見解を表明することで、逆にメディア界を操っている。トランプは権力者の魅力を自覚しており、マスコミはどうしても権力者の発言を追いかけ回すから、その弱みを上手く利用しているんだろう。もし、日本の大使が魅力ある人物なら、その発言は多くのマスコミで取り上げられるし、日本側が主導権を取ってインタビューの条件や日時を指定できるはずだ。押し入れの隅に取り残された仏像の如き大使じゃ、誰も見向きはしないだろう。美人を使った大衆操作も外政の一手段なのだが、心理戦が不得意な役人には無理な注文なのかもね。


  

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