教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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日本沈没の恐怖

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(写真  / 『日本沈没』の一場面 )

  1970年代というのは大衆文化に於いて画期的な時代である。音楽業界を例に取ると、1960年代はザ・ビートルズ的雰囲気の音楽が流行っていたが、1970年代になるとレッドツェッペリンとかクリーム、ディープパープルに代表されるロック・バンドが台頭し、冒険的で独創的な名曲が数々と生み出されたので、こんにちに至っても親しまれている。映画業界にも似たような風潮があって、特徴的で印象に残る名作が続々と世に送り込まれていたのだ。当時、日本も好景気に沸いたせいか、映画会社にも活気があって、意欲的な作品が世に受けていた。その中の一つに、東宝映画の『日本沈没』(1973年)がある。

  この作品は小松左京のベストセラー小説を基にした映画であるが、その制作に携わった面々がこれまた凄かった。まず、プロデューサーが敏腕で知られた田中友幸で、『ゴジラ』シリーズや『連合艦隊』、『八甲田山』などを手掛けた人物。脚本家も傑出しており、大御所の橋本忍であった。橋本氏は黒沢明監督の映画『七人のサムライ』や『羅生門』で知られるが、その他の作品を挙げれば『ゼロの焦点』、『砂の器』、『白い巨塔』、『八甲田山』などがある。そして、撮影技師には若き木村大作がいた。彼は松田優作主演の『野獣死すべし』とか高倉健主演の『夜叉』および『駅STATION』、好評シリーズの『極道の妻たち』でカメラを回し、小松左京が原作となっている別の映画で草刈正雄が主演を果たした『復活の日』とか、人気TVドラマの『傷だらけの天使』で撮影を任されたベテランだ。

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(左: 小松左京  / 田中友幸  / 橋本忍  /  右: 木村大作)

  一方、映画のストーリーは、地殻変動により日本が海底に沈むという激震が中核となっている。太平洋プレートとユーラシア・プレートの狭間に位置する日本は、マントルの対流により海底に引きずり込まれ、消滅してしまうのだ。「日本沈没」という悲劇は、ある島が突如として消滅する、という不吉な前兆で幕を開ける。この異変を調査したのは、小林桂樹が扮する科学者の田所雄介(たどころ・ゆうすけ)博士で、彼は深海調査艇「わだつみ」に乗り込み、小笠原諸島沖の海底で衝撃的な亀裂を発見する。田所博士はこの信じられない地殻変動を総理大臣の山本(丹波哲郎)に告げ、山本総理は早速、閣僚を集めて専門家の意見を聴くことにした。映画の中で、山本総理は三人の科学者を招集するのだが、田所博士と山城教授(高橋昌也)という架空の学者に加え、本物の地球物理学者の竹内均教授を登場させていた。当時、東京大学で教鞭を執る竹内教授は、テレビ番組にも登場するほどの著名な学者で、科学雑誌『Newton』の編集者としても有名だった。

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(左: 竹内均  / 小林佳樹  / 右: 藤岡弘 )

  日本近海での異常現象に危機感を覚えた山本総理は、密かに内閣調査室の邦枝と中田(二谷英明)、および首相秘書官の三村を田所博士のもとへと派遣し、詳しい海底調査を依頼する。話を諒承した田所は、海底調査艇「ケルマデック」号の操縦者に、是非とも「わだつみ」で知り合った小野寺俊夫(藤岡弘)を、と指名した。その頃、調査会社に勤務する小野寺は、上司の吉村部長から縁談話を持ち掛けられ、一緒に葉山の別荘へ訪れることになった。その相手とは阿部玲子(あべ・れいこ)という27歳の女性で、裕福な家庭の長女という設定になっていた。こう紹介すると、奥ゆかしい淑女を想像してしまうが、彼女は小野寺に対して最初から積極的である。意気投合した二人は近くの海岸へ赴き、躊躇う事なく浜辺で抱き合う仲となった。仮面ライダーで知られる藤岡弘が“いつも”の通り熱血漢を演じるのは珍しくないが、「玲子」役のいしだあゆみが、まだ若くて素人ぽかったのは嬉しい。1968年のヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」で注目を浴びたこの人気歌手は、後に『北の国から』や『金曜日の妻たちへ』などで大女優に変貌するが、1970年代だとまだ脇役で初々しかった。(俳優の萩原健一が惚れたのも分かるなぁ。)

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(左: 浜辺で噴火に遭遇する小野寺と玲子  / 中央と右: いしだあゆみ )

  『日本沈没』の物語は田所博士と山本総理の二人が中心となっているが、この映画に深みと厚みを加えているのは、「箱根の老人」と称される「渡(わたり)」の存在だ。島田正吾が演じる「渡老人」は政財界の有力者で、山本を総理大臣に押し上げた陰の功労者である。渡は100歳になる高齢者で、姪の「花江(角ゆり子)」に介護を受けるほど体が弱っているが、その精神と頭脳は未だに健全だ。明治・大正・昭和を生きた箱根の大御所は、如何にも気骨のある国士に見える。彼は国家の行く末を案ずる民間の重鎮で、私財を投じて政府に海底調査を行わせたり、判断に迷う山本総理の相談役にもなっていた。山本総理は海底調査を目的する「D1計画」を実施したが、さらなる計画、すなわち1億1千万人の国民を海外に脱出させる「D2計画」をも考案したのである。

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(左: 島田正吾   /  中央: 丹波哲郎  /  右: 二谷英明)

  田所博士の不安は次々と現実のものとなり、日本各地で大地震や火山の噴火が頻発するようになる。日本が海に沈むという現実を隠しきれなくなった政府は、外国人ジャーナリストによる暴露記事と大衆のパニックを恐れ、それを回避すべく自ら発表しようと試みた。その一環として、田所博士のテレビ出演を画策するが、肝心の田所博士は番組の中で癇癪を起こして喧嘩となり、そのまま失脚してしまう。一方、山本総理は日本国民を受け容れてくれそうな国を模索することで精一杯。彼は各国に特使を派遣し、たとえ僅かな人数でもいいから受け容れてくれるよう懇願する。ある特別使節はオーストラリアの首相を訪ね、数百万の日本人を受け容れてくれるよう頼んでいた。国連でも日本の沈没と難民の発生に関して様々な議論が闘わされるが、各国とも日本人の受け容れに消極的で、とても1億の国民が移住できる状況ではなかった。

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(写真  /  渡老人と姪の花江)

  しかし、最期の瞬間は刻々と近づいてくる。日本列島の各地で大災害が起こり、噴火や土砂崩れで崩壊する街、海に飲み込まれて水没する地域が現れてきた。こうした中、役目を終えた小野寺は、恋人となった玲子と共に海外へ脱出しようと考える。ところが、よせばいいのに、玲子は国外脱出を前にして葉山の別荘に立ち寄ってしまい、その地で災害と渋滞に遭ってしまう。ただし、困難にぶち当たっていたのは葉山の住民たちだけではなかった。全国至る所で大勢の被害者が出ていたのだ。それでも日本人の脱出は着々と進んで行く。空港から旅発つ者もいれば、漁船に乗り込み脱出を図る者もいて、中には津波に呑まれて溺死する犠牲者も出てしまった。

  日本列島が終末を迎えようとする頃、山本総理は脱出を前にして箱根の老人を訪ねた。豪邸の中で渡は病に伏していて、側には姪の花江が付き添っている。山本総理は床に伏す渡老人を連れ出そうとするが、この御隠居は動こうとはしない。渡は日本と共に沈むことを欲していたのだ。彼は花江を山本に託し、最後の別れを告げる。外では火山灰が降り注いでおり、ヘリコプターへ乗ろうとする山本と花江は灰だらけとなる。そこへ意外にも焦燥しきった田所博士が現れる。彼も渡と同じく日本に留まる決意であった。田所自身は死を覚悟するが、外国へ移住する日本人には希望を抱いていた。

  大自然に容赦は無い。日本列島には巨大な亀裂が生じ、九州、四国、北海道はとうに水没しており、本州にも地球の鉄槌が襲いかかっていた。地殻変動は無慈悲にも日本列島を切り裂き、断片化した大地は海に沈んで行く。葉山で混乱に遭遇した玲子は小野寺とはぐれてしまい、彼女はシベリアのような北国で列車に乗っていた。玲子は凍りつく窓から外を眺め、静かに小野寺との再会を期待する。他方、小野寺は南米かオーストラリアのような国に流れ着き、熱い曠野を縦断する列車の中から大地を眺めていた。二人がいつ再会できるかは判らない。映画は散り散りになった日本人の姿を以て幕を閉じていた。

何もしないという選択肢

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(写真  /  山本総理と向き合う渡)

  小松左京は『日本沈没』の中で「日本人とは何か」を問うている。物語のクライマックスは日本が沈没するところだが、映画の“肝”は山本総理と渡老人とが向かい合う密談の中にあった。日本人の脱出を図る「D2計画」を準備した山本総理は、再び箱根の長老に会いに行く。この来客が屋敷の居間に通されると、待っていた大老は総理に一通の包みを手渡す。その表面には、『日本民族の将来 D2計画基本要綱』と書かれていた。何かを悟ったような渡は、神妙な顔附きの山本に対し、その中に3つの選択肢をしたためた意見書が同封されていると告げる。渡老人は私的に三名の知識人を招き、屋敷内で移住計画を検討させていたのだ。集められた者のうち、一人は奈良の坊主、二人目は京都の社会学者、三番目は東京の心理学者であった。彼らが研究したのは、①日本民族が何処かに新たな国をつくる場合、②世界各地に分散し、現地で帰化する場合、③どこの国にも受け容れられない場合であった。そして、最も衝撃だったのは、専門家の三名が一致した附帯的意見である。すなわち、何もしないことである。

Tanba 3(左  /  渡に詰め寄る山本総理)
  悲壮な表情を浮かべる渡は、真摯に耳を傾ける山本を前にして、「このまま何もせんほうがいい」と口にした。「何もしない方がいい ?」と聞き返す山本は愕然とする。渡を見つめる山本の目には涙が浮かんでいた。招聘された三人の学者は、あらゆる状況を想定し、様々な検討を交えた結果、日本民族は沈み行く日本と運命を共にすることがいい、との結論に達したのである。もちろん、皇族は外国に移っていただく。山本総理は、「やはり、スイスにですか?」と尋ねる。うなづく渡によれば、天皇陛下はスイスに移動していただくが、皇族の一人はアメリカへ、もうおひと方はアフリカへとの見解であった。渡老人との密会を経た山本総理は、自ら各国の首脳に働きかけ、一人でも多くの日本人を受け容れてくれと頼んでいた。もちろん、外国に何百万人もの日本人を受け容れてくれというのは無理難題であることは百も承知である。が、それでも山本総理は諦めない。1万人が無理なら、千人でも、もし、その千人が駄目なら、百人、十人、いや一人でもいいと懇願する。国民の生命と財産を守りたい山本は必死だった。一人でも多くの日本人を救いたいという彼の願いは、観ている我々の胸に突き刺さる。

Showa 4(左  /  昭和天皇)
  ここで考えさせられるのは、皇室の存続と陛下の意向である。我が国の臣民なら、天皇陛下には安全なスイスに移っていただきたいと願うだろう。しかし、多くの国民が未だに行き先が定まらず、望みを託す外国政府から受け容れ拒否にあっている最中に、陛下だけが一足先にスイスへと脱出なされるのか。おそらく、昭和天皇は拒むに違いない。陛下は皇太子殿下と皇族には移住を命令されるかも知れないが、ご自身は留まろうとなさるはずだ。陛下なら、飛行機に用意されたご自分の席を空にし、幼い子供あるいは病人を乗せるよう厳命なさるだろう。名も無き庶民であっても、陛下にとっては大切な赤子である。昭和天皇は自らの命を犠牲にして日本国民を守ろうとする名君であったから、最後の一人が脱出するまで避難されることはない。たぶん、陛下のご決断を聴く側近や宮内庁の重臣たちは、天子様のお心遣いに号泣し、一緒に残ることを誓うだろう。

  一方、我が国を「この国」と吐き捨てる進歩的知識人や、共産主義者や社会党のシンパ、有名企業や上層階級のお金持ちなどは、コネや賄賂を使って一目散に国外脱出を図るはずだ。普段、格好つけて綺麗事を並べる奴に限って、緊急時には卑劣な行動を取ることが多い。例えば、テレビ番組や新聞のコラムで反米姿勢を示す評論家でも、移住するとなれば「アメリカ合衆国がいい !」と言い出しかねない。支那や朝鮮を讃美する学者なら“憧れの”支那や“友好”の南鮮にでも行けばいいのに、ちゃっかりとアメリカやオーストラリア行きの船に乗っていたりする。彼らの大半は卑怯者だから、「私はアメリカ人や西歐人を批判したけど、彼らの国を否定した訳じゃないから、歐米諸国を移住先に選んでもいいじゃないか !」と開き直るはずだ。ベ平連の小田実(まこと)みたいな連中も、定住先をアメリカやカナダにするかも知れないぞ。

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(左: 帰化手続きを済ませた支那人  /  右: 国籍取得者の宣誓式)

  日本人でも脱出を躊躇わないくらいだから、帰化人やアジア混血児はもっと素早く脱出を図るだろう。特に、在日朝鮮人は危険地帯となった日本に見切りをつけ、電光石火の如く“祖国”へと戻るだろう。平和な時だと図々しく居坐る朝鮮人も、沈み行く日本となれば別で、“我先に”と逃げだし、半島の同胞に向かって「ウリ(私も)朝鮮人ニダぁぁ !」と擦り寄るはずだ。もっとも、半島の南鮮人が諸手を挙げて、この「チョッパリ(半日本人)」を受け容れるかどうかは別問題である。

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(左: 朝鮮人移民の家族  /  右: 元気な支那人娘)

  帰化支那人だともっと露骨で、支那大陸の親戚を頼って一目散に逃げ出す。彼らは元々日本人じゃないから、日本の国土に愛着は無いし、日本がどうなろうと知ったことではない。日本は豊かな生活を提供するから価値がある。神様だってご利益をもたらすから崇拝するのであって、何もしなければタダの穀潰しだ。支那人にとったら、カネの切れ目が縁の切れ目で、沈み行く“外国”に未練は無い。日本が消滅するなら、次の移住先はオーストラリアあたりで、そこがダメなら合衆国へと踵(きびす)を返す。それでも無理なら、カナダへと潜り込む。支那人だとカナダに住む従兄弟の“はとこ”や「はとこ」の大叔父まで頼ったりするから、決して困ることはない。日本人とは「図々しさ」のレベルが違うのだ。

祖国と命運を共にする決断

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  普段、我々は日本人であるとは意識しない。平凡な日常生活では、「当り前」のことをわざわざ口にすることはないからだ。日本人の両親と祖父母を持つ日本人は、自分が日本人であることを改めて確認する必要が無いので、外国を旅行する時以外は「日本人」であることを自覚することが少ない。しかし、日本が消滅するとなれば話が違ってくる。日本という国土が無くなったら、日本人は日本民族として生きることが出来るのか。祖国を持たないユダヤ人なら、他国に寄生しながら独自の宗教と文化を維持できる。むしろ、彼らは積極的にヨーロッパに寄生したがるから、日本人とは本質的に違うと言えよう。この賤民と同じく、支那人も居候の身分で恥じる事はない。

  ところが、誇り高き日本人は別だ。我々の信仰や文化は日本の国土と密接に絡み合っている。日本の神社は日本の樹木で建てられ、そこに祀られる神々は日本の大地に根を下ろす。我々の信仰はアジア大陸の「宗教」と異なり、「宗教」と呼べるほどの拘束力を持たないが、その曖昧な「信仰」は温かく人々の体と心に溶け合っている。我が国の自然は日本人と共存するから素晴らしく、日本人なくして日本は成り立たない。我々はローマ人がローマを愛した以上に日本を愛している。

  もし、日本が海に沈む事態になれば、日本に留まる者もいるだろう。だが、まだ幼い子供や未来のある青年に心中しろとは強制できまい。いや、何としても生き延びてもらいたいと望むだろう。その一方で、女子供の姿を目にすれば、自分の心に芽生える矛盾に悩む事になる。なるほど、日本人は日本に住むのが一番だ。しかし、その日本が沈没するとなれば、選択肢は海外への脱出しかない。ただし、移住した日本人には苛酷な運命が待っている。歓迎されない日本人は、地元民から嫌悪されるだろう。事ある毎に厄介者とか薄汚い難民と侮辱されるだろうし、理不尽な扱いを甘受する破目になる。この仕打ちにじっと耐えるのは容易なことではない。中には死んだ方がマシだと思う者も出てくるだろう。日本人には屈辱にまみれた生活など我慢できない。それでも、家族に責任を持つ者や移住民の指導者は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、民族の復興に一途の望みを託すはずだ。

  新天地での順応は子供の方が早い。幼い子供は日本人であることを忘れ、地元民の子供と似たような人間になるだろう。ただし、すっかり同化した子供を見て、大人の日本人は安堵すると共に、言葉では表現できぬ悲しみを覚えるはずだ。確かに親の言葉を話すが、その文字を書けず、読むことすらできまい。たとえ、日本人の感覚を理解できても、その行動様式は外国人と等しくなる。それでも、オーストラリアとか米国のような西歐諸国で育つ子供はいい。問題なのは、アジア諸国へ移住した子供だ。日本人の大人からすれば、我が子や知り合いの子供が支那人みたいな人間になるのは堪えられない。せっかく日本人として生まれたのに、最低の民族に同化するなんて憐れだ。これはベトナムやタイ、ラオス、バングラディシュ、インドに移り住んだ場合も同じである。日本人の姿をしていても、日本人としての魂が失われていれば、根無し草の浮浪者と変わらないじゃないか。

  「日本沈没」という設定はフィクションだが、筆者は映画を観ながら、「もし、日本が消滅するとしたらどうすべきか」と考えたことがある。筆者も幼い子供たちには生き延びてほしいと望む。恐怖に怯える幼児に諦念を勧めることはできない。しかし、自分自身については、日本と共に滅ぶことを選ぶ。アイデンティティーを失ってまで生き延びようとは思わない。でも、大半の日本人は移住・脱出を選択するだろう。日本人は勤勉だから、一部の者は外国に移住しても努力を重ねて成功するかも知れない。しかし、異国の生活に馴染めず自棄(やけ)を起こしたり、堕落・脱落する者も出てくるはずだ。日本人には矜持(きょうじ)が必要である。食べて寝て排便するだけの人生で良いとする人もいるだろう。しかしその一方で、「日本人らしく」誇りを持って生きたいと希(のぞ)むも人もいるはずだ。大和魂を失った日本人には、もぬけの殻となった空虚な人生しかない。日本人には日本人の血が流れているという実感が不可欠で、体の中を駆け巡る熱い血潮は単なる赤い液体ではないのだ。

  もし、天皇陛下が日本と共に沈むなら、陛下と運命を共にしようとする国民も出てくるだろう。日本人とは何か?  それは同胞と苦しみや悲しみを共にしようと考える人間である。繁栄や名誉なら帰化人でも共有したいと思うだろう。しかし、何の見返りも無い苦労とか、利益を伴わぬ試練なら避けたいと考えるはずだ。帰化したアジア人は、苦境に立つ日本を救おうとは思わない。愛国心は金銭慾とは別物である。確かに、豊かさに憧れてやって来た異邦人は、帰化申請を経て「日本国民」となるが、その魂までが日本人になる訳ではない。

  日本人には「滅びの美学」というものがある。生き恥を晒すのは死ぬよりも辛いからだ。日本は単なる列島ではない。その国土には祖先の血と汗と涙が染み込んでおり、祖国に殉じた英霊の魂も宿っている。日本は雑多な民族がバラバラに暮らす集合住宅ではない。我が国は運命共同体であり、民族の血が脈打つ聖地だ。日本人が故郷を守るのは理屈じゃない。命を懸けても守りたいものがそこにあるからだ。我々の肉体は民族の精神を受け継ぐ器であり、細胞の一つ一つに日本人の歴史が刻まれている。だからこそ、我々は外敵から祖国を守ろうとするし、祖先から継承した国家を“そのまま”子孫へと渡そうと心掛ける。住民が居ないから竹島を朝鮮人に贈与しろと考える者は、日本人として生まれても日本人ではない。外国人は留まろうとする日本人を愚か者と見なすだろう。しかし、愛する子供を見棄てることが出来ぬ親がいるように、愛する祖国を後にすることが出来ぬ日本人もいるのだ。沈み行く故郷見ながらでも、「日本人に生まれてよかった」と言える人生なら幸せなんじゃないか。



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