映画の評価が違うぞ!?

  昨年のクリスマスに待望の『スター・ウォーズ/ 最後のジェダイ』が公開された。しかし、その評価は賛否両論で十人十色。映画評論で有名な米国のインターネット・サイト「ロットン・トマト(Rotten Tomatos)」によれば、批評家の93%が「新鮮だ」との理由で高評価をつけたそうだ。別のサイトである「メタクリティック(Metacritic)」も同様の評価を下し、1から100までの評価基準で「86」のスコアーを挙げていた。ところが、『最後のジェダイ』を劇場で観たファンの判断は異なり、この最新作は5段階評価で「3.3」のスコアしか稼ぐ事ができなかった。(Denny Watkins, "Star Wars fans are already rebellingagainst The Last Jedi", SyfyWire, December 18, 2017) 日本の映画サイトしか読まない人は、「あっれ、何か変 !」と思うに違いない。誰だってこの相違を聞くと、「いかがわしい裏事情があるのでは ?」と勘ぐりたくなる。だって、実際にお金を払って観た人が低評価を下したんだ。何らかの不満があったに違いない。

  そもそも、映画評論家が皆正直とは限らないじゃないか。日本ではほとんどの評論家が「提灯持ち」で、配給会社に抱きかかえられた手先になっている。辛口評論で知られる「おすぎ」だって例外ではなく、映画会社や監督らにゴマをするのは当り前。業界の掟を破ったらきついシバキが待っている。だから、どんなに下らない試写会に参加しても、何らかの長所を見出して褒めるしかない。「衣装が素晴らしい」とか、「主役俳優が二枚目だ」とかでお茶を濁す。間違っても、「こんな映画観るだけお金の無駄。居眠りしたい人は劇場へどうぞ」とは言えまい。アメリカ人の批評家だって五十歩百歩だ。『スター・ウォーズ』の権利を手にしたディズニー社は、天下に聳える巨大企業。こんなメディア・グループを前にしたら、尻尾を股に挟んで「素晴らしい」と連発するのが普通だ。彼らにとっての「お客様」は貧乏庶民じゃなくて、色々な特権を与えてくれる配給会社様である。『最後のジェダイ』を絶讃した評論家が、どんな腹づもりだったのかは判らぬが、「見返り」を望む“サクラ”だった可能性は否めない。

JJ Abrams 2(左  / J.J. エイブラムズ)
  観客からの低評価は興行収入にも現れ、『最後のジェダイ』は米国における公開10日目で、3億6500万ドルしかもたらさず、5億4000万ドルを稼いだ『フォースの覚醒』に及ばなかったそうだ。(Roger Friedman, "Box Office Update : Fans Speak with Closed Wallets as The Last Jedi Now $ 175 Mil Behind Force Awakens", Showbiz 411, December 24, 2017) 前作と比べ、約1億7500万ドルの減収になったから、配給会社の重役が眉を顰めたのも分かる。もっとも、エピソード7に当たる『フォースの覚醒』は、新たな三部作の第一番目だったから、観客の中には何も知らずに、無邪気な期待感を持ったまま、ノコノコと劇場に向かった人もいたはずで、見終わってから「なぁ~んだ、期待ハズレだなぁ」と思った人も多かった。事実、監督のJ.J.エイブラムズ(Jacob J. Abrams)に文句を垂れる人が結構いて、「彼って、失望する作品を生み出す名人なのね !」と皮肉る女性がいたし、「何だ、こんなの ! 出来損ないの駄作じゃないか !」と怒りを露わにするファンもいたそうだ。そりゃそうだろう。せっかく劇場に足を運んで、自前でお金を払ったのに、ガッカリするような作品じゃ頭にくる。『フォースの覚醒』を観たお客が多かったのは、久々の新作にワクワクする人が大勢いたからだ。でも、こんな失敗作を観たら、次回作で観客数が減ってしまうのは当然である。

アジア人役者を入れておけ !

  筆者は以前、『フォースの覚醒』を当ブログで評論したが、実際に劇場へ赴いて鑑賞することはしなかった。「お金がもったいない」という貧乏人ならではの切実な理由もあったのだが、胸の奥で「ハズレじゃないか?」という勘がはたらいたからである。しかし、最大の理由は作品自体に魅力を感じなかったからだ。まず第一に、キャスティングが酷い。新しい主人公が「レイ(デイジー・リドリー / Daisy Ridley)」という女の子になったのは“しょうがない”としても、黒人のジョン・ボイエガ(John Byega)がストームトルーパーの「フィン」役で、主要キャラクターになってのだからアホらしくなる。こんな配役だと、「有色人種優遇制度(アファーマティヴ・アクション)」の影が見え見えだ。「黒人を重要な役どころにしなくっちゃ !」という制作スタッフの意図がありありと目に浮かぶじゃないか。黒人のガキどもを呼び寄せる為に、「黒人のヒーロー」を作ったなんて情けないけど、現実の世界では立派な黒人が少なく、「アフリカ系アメリカ人の英雄」に飢えている若者にとっては、一服の清涼剤となる。ちょっと気の毒だけど、ライトセイバーを握って闘うフィンを眺めていると、勇敢な戦士というより、金属バットを持ったストリート・ギャングに見えてしまう。ボイエガ本人は真剣に演じているのだが、どう見てもシカゴかボルティモアにいる不良黒人にしか思えない。

  今回の新作、『最後のジェダイ』で批判の的になったのは、整備士として登場したローズ・ティコと、その配役に抜擢されたケリー・マリー・トラン(Kelly Marie Tran)である。物語の中で、ローズとフィンはラスヴェガスみたいな「カント・バイト」に向かい、そこで一悶着起こすのだが、スター・ウォーズ・フアンからは大変不評で、彼女の存在が何を意味するのか判らないといった非難が巻き起こっていた。たぶん、これもマイノリティー対策の一環で、アジア系の観客に媚びた結果であろう。つまり、西歐人ばかりの配役だと黄色人種が「疎外感」を抱くので、ベトナム系女優を登場させて宥めよう、という考えだ。(「ローズ」役を演じるトラン氏は、米国へやって来たベトナム難民の娘である。) 米国の映画批評家は「素晴らしい民族的配慮だ」と喜んでいるが、本当にアジア系アメリカ人は嬉しく思っているのか? 監督や演出家たちは、「ゴリ押し」や「附け足し」みたいな役柄でも、アジア系の観客は喜ぶはずだ、と思っている。なるほど、善意からの配役なんだろうが、随分とアジア人を馬鹿にした考えである。もしかしたら、彼らは「渡辺謙や真田広之を採用すれば日本市場も頂きだ!」と皮算用しているのかも知れないぞ。なぜなら、日本人俳優が出演すれば、日本のマスコミが無料で宣伝してくれるし、彼らのエサに引っ掛かる脳天気なカモが出てくるから、制作会社は利益と人選を秤にかけるはずだ。

Grace Kelly 221James Stewart 2James Stewart & Grace Kelly








(左: グレース・ケリー  / 中央: ジェイムズ・スチュアート /  右: 『裏窓』で共演したケリーとスチュアート)

  部外者の筆者にはどうこう言う権利は無いけど、せっかくの人気シリーズなんだから、もうちょっと出演俳優の質を考えてもいいんじゃないか。名監督のアルフレッド・ヒッチコックは、出演させる俳優の才能や容姿を考慮し、観客が魅了されるような役者を用いようと心掛けていた。例えば、『めまい』や『知りすぎていた男』、『裏窓』では、二枚目のジェイムズ・スチュアート(James Stewart)を主役に使い、『ダイヤルMを廻せ』と『裏窓』、『泥棒成金』では贔屓の美人女優、グレース・ケリー(Grace Kelly)を用いていた。ヒッチコックがぞっこんだったティピ・ヘドレン(Tippi Hedren)も、『鳥』や『マーニー』に出演して一躍有名スターになった。しかも、ティピの共演者にはショーン・コネリーが抜擢されたんだから、なんとも豪華なキャスティングである。(個人的意見だけど、コネリー氏はジェイムズ・ボンド役より、『薔薇の名前』で演じたような修道士の方が似合っているじゃないか。また、『レッド・オクトーバーを追え』でのロシア人艦長も良かった。)

  ところが、第21世紀の『スター・ウォーズ』はどうか? 香港映画に出て来そうな女優のトランに、B級映画のエキストラが似合うボイエガ、カイロ・レン役には「アンガールズ」の三人目みたいなアダム・ドライヴァー(Adam Driver)ときている。(註 : 「アンガールズ」は漫才コンビの名前。) レイやルーク・スカイウォーカーに匹敵する主役級のキャラクターなのに、その演技者がチンピラみたいな若造だなんて冗談も甚だしい。青年時代のアナキン・スカイウォーカー役をヘイデン・クリステンセン(Hayden Christensen)が演じるのならまだ赦せる。ところが、アダム・ドライヴァーには正直ガッカリだ。第一、彼には“華”がない。大役をこなすだけの器が無いのだ。英国の舞台俳優でも探せば、もっとマシな人物が見つかったはずだ。


Alec Guinness 4(左  /  アレック・ギネス)
  ちょっと想い出せば判るけど、若い頃のローレンス・オリヴィエ(Laurence Olivier)やクリストファー・プランマー(Christopher Plummer)、ジェレミー・ブレット(Jeremy Brett)、マイケル・ケイン(Michael Cain)などは本当に素晴らしかった。(ジェレミー・ブレットは『シャーロック・ホームズ』で有名なイギリス人男優で、以前、当ブログで紹介したことがある。一方、カナダ人俳優のクリストファー・プランマーは、『サウンド・オブ・ミュージック』や『空軍大戦略(Battle of Briatin)』に軍人役で出演し、好評を博した。ジェイン・セイモア主演の『ある日どこかで』に出演したプランマーは、彼女のマネージャー役を演じ、その存在感は際立っていた。) エピソード4で「オビ=ワン=ケノビ」を演じたアレック・ギネス(Sir Alec Guinness)は適役だったし、エピソード1から3にかけて若きオビ=ワンを演じたユアン・マクレガー(Ewan McGregor)も合格点を附けていい。ジェダイの騎士にはアレック・ギネスのような威厳がなきゃ。アダム・ドライヴァーなんて「ウォルマート」の店員かピザ屋の配達人みたいだ。(筆者が米国の学生寮にいた時、よく週末にピザを注文したけど、配達人の兄ちゃんにドライヴァーみたいな人がいたのを覚えている。1枚5ドルくらいだったから、とても驚いた。その値段だと日本では採算が合わない。恐ろしいほどの低賃金だ。)

  『スター・ウォーズ』の多民族主義には呆れて物が言えず、新キャラクターのポー・ダメロン(オスカー・アイザック / Oscar Isaac)も「人種的配慮」による結果だ。エピソード7から引き続き登場するオスカー・アイザックは、キューバ人の父親とクァテマラ人の母親を持つヒスパニック系男優である。これまた、米国内のヒスパニック系観客や中南米での興行収益を考えての人選だろう。不法入国の仲介業者か自動車泥棒が似合いそうなアイザックなのに、注目されるXファイターのパイロットに起用されているんだから、『スター・ウォーズ』のタイトルは『メルティング・ポット(人種のるつぼ)』に改名した方がいいんじゃないか。監督のライアン・ジョンソン(Rian Johnson)やハリウッドの制作者にとって、様々な容姿の宇宙人が混在する設定は、彼らが理想とするアメリカの未来である。スター・ウォーズの世界には、ジャバ・ザ・ハットやダース・モールなどが登場し、有色人種の観客に安心感を与えている。猥雑なアメリカを見れば本当にエイリアンが存在するかのような錯覚に陥ってしまう。(だって、スパイダーマンやターミネーターが街角にいそうだから。平和な日本だと、エイリアンの出現は非現実的というか、クスッと笑ってしまうほど滑稽だ。一方、大阪の道頓堀附近だと、「また、どこかの変なオっちゃんか」と間違われてしまう。たぶん、変人を見慣れている大阪のオバちゃんは素通りするだろう。ジョージ・ルーカスも“日本のワンダーランド”関西に来れば、もっといいアイデアが浮かぶのにねぇ。)

  『最後のジェダイ』にはもう一つの課題(アジェンダ)があった。それは女性の職場(社会)進出である。新三部作ではルークに替わってレイがジェダイの騎士になり、暗黒面に落ちたルークの弟子(カイロ・レン)と闘う設定になるし、曾てのレイア姫は今や共和国の将軍様だ。物語とは関係無いけど、レイア役の故キャリー・フィッシャーはすっかりオバはんになっていて、年金暮らしの未亡人にしか見えない。第一作目のエピソード4では、麗しきプリンセスを演じていたフッシャーだが、筆者には最初からどうしても“しっくり”こなかった。これは一部のアメリカ人ファンも言っているのだけれど、フィッシャーにはセクシーさが足りないし、お姫様のオーラというか王族の「威厳」も欠けているのだ。その証拠に、彼女が脚光を浴びたのは『スター・ウォーズ』シリーズだけ。他に代表作が無い。長所と言えば、扱いやすかったこと。最初に監督を務めたジョージ・ルーカスは、フィシャーが「うるさ型」の女優じゃなく、従順だったので採用したそうだ。(よくさぁ、役者の分際で監督に注文をつけてくる女優が多いからねぇ。)


  子供の頃、筆者は「レイア姫ならシェリル・ラッドの方が適役なのに」と思ったことがある。高貴なプリンセスが村役場の事務員みたいでは“さま”にならない。筆者は何もボー・デレク(Bo Derek)やファラー・フォセット(Farrah Fawcett)級の女優をキャスティングせよと要求している訳じゃないけど、せめて白雪姫とかシンデレラに相応しい女優を選んでも良かったんじゃないか。プリンセスを演じたことのある女優を調べれば、歴史大作の『トロイ』でヘレンを演じたダイアン・クルーガー(Diane Kruger)や、『スノー・ホワイト』でラベンナ役を演じたシャーリーズ・セロン(Charlize Theron)、『キングダム・オブ・ヘブン』に出演したエヴァ・グリーン(Eva Green)などが思い浮かぶだろう。それにしても、「一発屋」のキャリー・フィッシャーが歩んだ私生活は酷かった。有名ミュージシャンのポール・サイモンと結婚するが、1年くらいで離婚となり、再婚して子供をもうける。しかし、悪友とツルんで麻薬に溺れてしまい、見るも無惨な日々を送っていたのだ。つい数年前、懐かしい出世作に再登板となるも、その麻薬中毒が祟って急死となる。運命の悪戯(いたずら)なのか、『最後のジェダイ』がフィッシャーの遺作となった。

Star Wars Laura Dern 2Kathleen Kennedy 1(左: 「ホールド提督」役のローラ・ダーン  /  右: キャサリーン・ケネディー)
  悪の帝国をやっつける連合軍の女性指揮官にはレイア姫ばかりではなく、ホールド提督もその任務に就いていた。この提督役には『ジュラシック・パーク』で有名なローラ・ダーン(Laura Dern)が起用されていた。映画の中では、男の軍人を女性が指図するんだから、男性天下の職場で不満を募らせるアメリカ人女性は大喜びだ。制作元の「ルーカスフィルム」だって、今や女の天下になっている。2012年にはキャサリーン・ケネディー(Kathleen Kennedy)がジョージ・ルーカスに代わって社長に就任し、その背後にはキリ・ハート(Kiri Hart)やレイン・ロバーツ(Rayne Roberts)、キャリー・ベック(Carrie Beck)といった部下が控えている。彼女たちはスピンオフ作品の『ローグ・ワン(Rogue One)』で女性色を強めたし、『スター・ウォーズ』の新三部作でも女性キャラクターを全面に出そうと励んでいた。日本の映画評論家は、こうした裏事情を全く話さない。町山智浩の映画話を聞いて「わぁ、すごいなぁ」と感心している日本人は単純だ。彼の映画解説には、米国リベラル派の意見が“こっそり”と刷り込まれているから、鵜呑みにしたら騙されることになる。

Kiri Hart 1Rayne Roberts 2Carrie Beck 1







(左: キリ・ハート  / 中央: レイン・ロバーツ  / 右: キャリー・ベック )

コスモポリタンのSF映画

  日本人は『スター・ウォーズ』をカルト的人気を博したスペース・ファンタジーと見なしているが、その正体はグローバル市場で大金を稼ぎ出すドル箱映画に過ぎない。ハリウッドの制作者や映画会社の重役にとって、作品のクォリティーやドラマ性なんか二の次三の次で、まず第一に最大限の観客数を狙っているのだ。アメリカ国内における白人観客数はもう頭打ちだから、更なる収益を上げようと思えば、今まで関心を示さなかった女性層や黒人、南米人、アジア人、未開拓地の外国人などにアピールしなければならない。劇場のチケットを購入した観客を調査した「ポスト・トラック(PostTrak)」の報告書によれば、「お客様」の約62%が白人で、南米系が15%、アジア人が10%、黒人が9%となっている。(Sonaiya Kelley, "Star Wars : The Last Jedi dominates the box office with second-largest opening ---- ever", The Los Angeles Times, December 17, 2017) こうした調査結果を目にすれば、制作会社の幹部が「マイノリティーの観客を相手に“てこ入れ”を図らなきゃ」と考えても不思議ではない。だから、黒人やヒスパニック、アジア系のキャラクターを無理矢理にでも押し込もうとするのである。

Hispanic family 2black single mother 1







(左: ヒスパニック系の人々  /  右: アフリカ系の親子)

  新三部作に限らないが、『スター・ウォーズ』は二つの方針に基づいて作られている。一つは、たくさんの「関連商品グッズ」を販売できるように様々なエイリアンを登場させること。もう一つは、西歐人中心の映画を“非白人化”して、有色人種にも好かれるようにすることだ。『スター・ウォーズ』は所詮ゼニ儲けの道具だから仕方ないけど、グローバル市場に向けた制作方針の兆しは、イウォーク族が登場するエピソード6『ジェダイの帰還』に現れていた。既にチューバッカやC-3PO、R2-D2、ミレニアム・ファルコン号の関連グッズで儲けていたが、更なる暴利を求め、縫いぐるみやバッグにもなるイウォーク族を生み出したのである。『最後のジェダイ』で登場した「ポーグ(Porg)」も商品化を狙った新キャラクダーだ。米国では既に大人気となっているようだから、スター・ウォーズのフィギュアを集めているコレクターは、必ずや総ての種類を買い漁るだろう。世界各地でも同じ現象が起きるから、続々と在庫品が飛ぶように売れ、販売元は笑いが止まらないはずだ。まさしく、「スター・ウォース万歳 !」である。

  西歐白人のお客以外に映画チケットを売りつけようと思えば、彼らが疎外感を持たないように配慮せねばならない。例えば、黒人だって「ジェダイの騎士」になれるんだ、と証明しないと反感を持たれるから、サミュエル・L・ジャクソンを起用してジェダイの重鎮に据えたのだ。ジョン・ボイエガの場合も同じである。さらに、「グローバリズム」、則ち「コスモポリタニズム」のイメージを出すために、様々な宇宙人を登場させ、「褐色や黄色、茶色のお客様、宇宙は白人ばかりの世界じゃございません。おヘソを曲げずに劇場へお越し下さい !」とメッセージを流す。銀幕に登場する奇妙なキャラクターのヌード・ガンレイやジャー・ジャー・ビンクス、ボス・ナス、ダース・モール、アクバー提督などを見れば分かるじゃないか。『フォースの覚醒』を手掛けた監督のJ.J.エイブラムズが目指したように、『スター・ウォーズ』では多元的で多様な世界観が達成されているのだ。

  映画というものは所詮、お金を取って娯楽を提供する“見世物”に過ぎないから、嫌いなモノなら見る必要は無いし、人気シリーズだろうが国宝じゃないから、どうなっても構わない。ただ、我々が注意しなければならないのは、こうした娯楽作品に政治・社会的なメッセージが“刷り込まれている”事である。産みの親であるジョージ・ルーカスが告白していたけど、ダース・ベーダー卿はジョージ・W・ブッシユで、皇帝パルパティンはリチャード・チェイニーがモデルであったそうだ。(Angela Watercutter, "Star Wars : The Last Jedi Will Bother Some People, Good", Wired, December 15, 2017) ハリウッドの制作陣は大半が左翼なので、映像の中にしばしば政治色の濃いシーンを挿入するし、こうした傾向は珍しくもない。

 Bush 1Richard Cheney 1George Lucas 23Rian Johnson 1








(左: ジョージ・W・ブッシュ  / リチャード・チェイニー / ジョージ・ルーカス /  右: ライアン・ジョンソン)

  ただし、暗黒面の総帥で、悪の元老院議長パルパティーン(Darth Sidious)を登場させるなら、ユダヤ人大富豪のジョージ・ソロス(George Soros)とか、シェルドン・エイデルソン(Sheldon Adelson)などをモデルにすればいいじゃないか。いくらブッシュやチェイニーが悪党でも、所詮は操り人形に過ぎない。それよりも、ウォール街の奥の院やイスラエルを支える大御所の方がよっぽど極悪だ。(例えば、ジキル島で連邦準備制度を考案した連中の方こそ、ダーク・サイドの長老みたいじゃないか。) もっとも、こうしたユダヤ人を露骨に「モデル」とすれば、あまりにも“リアル”過ぎるから、必ず100%のNGとなる。日本だって、暴力団と繋がりのある藝能事務所の社長に、映画『アウトレイジ』へのオファーは無いだろう。そんな自殺行為は北野武でもできない。米国でも裏事情は同じで、本当に悪い奴はモデルにできないのである。だって、ハドソン河の底に沈められるのはイヤだもん。

  ジョージ・ルーカスから『スター・フォーズ』のフランチャイズ権を買い取ったウォルト・ディズニー社は、骨の髄まで『スター・ウォーズ』をしゃぶり尽くすつもりらしい。本来なら、この大作映画は第九部を以て完結するはずなのに、ディズニー社は更に延長してエピソード10から12までを作る予定らしい。この新三部作を監督するのは、引き続きライアン・ジョンソンのようだ。高額な買収額を払ったディズニー社は、これからも関連商品や放映権、そしてテーマ・パークや遊園地にある「スター・ウォース」アトラクションで儲けるつもりなのだ。アメリカのユダヤ商人たるロバート・アイガー(Robert A. Iger / 会長兼CEO)に比べたら、ヴェニスの商人なんか10歳の小僧ていど。噂によると、ディズニー社は色々なスピン・オフ作品も手掛けて、百年先まで稼ぐつもりらしい。もしかしたら、近い将来、エピソード1の前に起こった物語を描くため、新たな三部作も有り得るし、各キャラクターを主役にしたスピンオフ映画さえ作られる可能性もある。監督や脚本家を替えれば、いくらだって映画は作れるから、スター・ウォーズ百周年特別映画も夢ではない。ジョージ・ルーカスは「自分の子を売り渡したみたいだ」と告白したが、ディズニー社は女郎がババアになるまで搾取する女衒(ぜげん)みたいだ。あの世で眠るウォルト・ディズニー氏がこれを聞いたら、いったい何と思うのか? もしかしたら、「死んでいて良かった」と呟くかもね。



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