黒木 頼景
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左翼に占領される歴史観
左翼分子による歴史裁判は、日本ばかりではなく歐米社会でも盛んなっている。戦勝国たるアメリカやブリテンは、言挙げできぬ敗戦国の日本やドイツを都合良く裁き、勝手に作った「極悪人」の烙印を押して悦に耽っていた。しかし、今やその熱い焼き鏝(ごて)が自分達に向けられるとこになって大慌て。そもそも、戦争裁判自体が間違っている。例えば、古株の前科者が新米の犯罪者を「有罪」にしたら滑稽だ。もし、さんざん大手の銀行を襲ってきた強奪犯が、片田舎の郵便局に押し入ったコソ泥に向かって、「何てことをするんだ、この野郎 !」と叱ったら、誰だって「お前が言うな !」と怒りたくなるだろう。年中行事のように戦争を行っているアメリカ人はもちろんのこと、世界各地に宏大な植民地を持ったイギリス人だって潔白じゃない。世界史の犯罪国ランキングを作ったら、日本なんて最下位だろう。トップ争いとなれば、支那人かロシア人が常連になるんじゃないか。
(左 / ナイジェル・ビガー )
日本や米国で「歴史修正主義者」と言えば、ネオ・ナチとか極右勢力と呼ばれてしまいそうだけど、英国の偉い学者でも、既成の歴史解釈に疑問を投げかければ、「白人至上主義者」とか「帝國主義者」のレッテルを貼られてしまうのだ。今回、オックスフォード大学で欽定講座担当教授を務めるナイジェル・ビガー(Nigel Biggar)氏が、その槍玉に上がってしまった。彼はクライスト・チャーチ大聖堂の参事会員で、オックスフォード大学に設置された「マクドナルド神学・倫理・公事センター」の所長も務めている。ところが、ビガー教授は多くの学生から「頑固者(bigot)」と非難されてしまったのだ。
「独立」は不幸の素だった !
事件の発端は、彼が「タイム」紙に「我が国の植民史に罪悪感を持つな」というエッセイを投稿したことによる。(Nigel Biggar, "Don't feel guilty about our colonial history, The Times, 30 November 2017) この記事に込められた主旨は、英国の植民地政策にも良い点があったということだ。彼は副題に「帝國を持った事への謝罪は今や強制されているが、恥を感じることで我々が世界の諸問題に取り組まない、ということはない」と書いて、英国が犯した間違いや罪はもちろんあるが、それとは別に地元民への利益や恩恵もあったはずだ、と述べたのである。英国の保守派や日本の教養人が聞けば、「そりゃ、そうだろう」とうなづく見解だが、アフリカやアジアからの留学生や有色人種の「ブリテン国民」、元植民地の祖父母を持つ帰化人にとっては赦しがたい。彼らからすれば、白人の侵略戦争や植民地政策は“絶対悪”なのだ。ちょうど、ユダヤ人がナチスに対して持つ恨みと同じ感情である。
(左 / ブルース・ギリー )
ビガー教授はエッセイの始めに、「過去100年間、西歐の植民地主義は悪名を冠してきた。でも、今やこの正論に疑問を投げかけてもいい頃だ」と述べている。彼は文章の中で、ポートランド州立大学で教授を務めるブルース・ギリー(Bruce Gilley)教授の論文を引き合いに出していた。というのも、ギリー教授の論文が非難の的にされたからだ。このギリー教授は『第三世界季刊誌』という学術雑誌に「植民地主義のケースについて」という論文を発表した。(Bruce Gilley, "The Case for Colonialism", Third World Quarterly, Vol. 38, September Issue, 2017) 彼は固定概念化した西歐の植民地史観を再検討し、その功罪を具体例を挙げながら論述したのである。ところが、案の定というか、読者からの猛烈な抗議が巻き起こり、編集部を構成する34人のうち15名が辞任する事態となったのだ。激昂した抗議者たちは、「白人至上主義(white supremacy)」を助長しているとの理由でギリー教授を糾弾し、1万6千人の署名を集めて、問題となった論文の撤回を求めた。インディオのナショナリストからも殺しの脅迫を受けたそうで、これに怯んだ編集者は問題となった論文を引っ込めてしまったそうだ。それにしても、単なる虚仮(こけ)脅しに屈するとは、青瓢箪の知識人というのは、まことに情けない。
左翼白人やアフリカ系の学生はギリー教授の「再評価」を非難するけど、彼が挙げた事例を冷静に聞けば、賛同する日本人も出てくるだろう。例えば、ギニア・ビサウ(Guinea-Bissau)の事例である。その前に、この国について紹介せねばなるまい。世界地図を見慣れない高校生だと、「何処にあるの?」と尋ねてしまうだろう。ここは西アフリカのギニアに隣接した国家で、近くにはガンビアとかセネガル、シエラレオネがあり、元々ポルトガルの植民地であった。奴隷貿易の中継地として知られていたが、1956年頃、PAIGC(ギニア・カーボ・ヴェルデ独立アフリカ党)が独立運動を展開し、武力闘争を経て一応1975年に独立。この反植民地闘争を指揮したのは、アミルカー・カブラル(Amilcar Cabral)という赤い黒人指導者で、ポルトガル人の支配を打倒すべくゲリラ戦を仕掛けて騒擾を起こしていた。1963年に叛乱軍を組織したカブラルは、白い入植者の手から人民を解放するためには、植民地が築き上げたもの総てを破壊し、灰にしなければならぬと主張したそうだ。
( 左: アミルカー・カブラル / 右: ゲリラ兵と一緒のカブラル )
しかし、ゲリラ兵を率いるこの親玉は孤独無援じゃなかった。カブラルの背後には、キューバのフィデル・カストロが、そしてソ連の対外工作員が控えていたのだ。当時、西歐世界を揺さぶりたかったソ連は、アジアやアフリカの旧植民地や貧困国に“唾”を附け、裏口から堂々と独裁者に軍事的支援を与えていたのである。ちなみに、南アフリカ共和国で英雄視されているネルソン・マンデラもソ連と昵懇の“紅い”黒人指導者で、南アの稀少資源を狙うロシア人にとっては、勢力拡大を手伝ってくれる「便利な馬鹿(useful idiots)」の一人であった。米国の白人リベラル派や黒人活動家、そして日本のエセ知識人は、諸手を挙げてマンデラを称讃し、白人支配から現地人を解放した偉人と評していたが、実際は何ら行政手腕を持たない不平黒人に過ぎず、犯罪を増加させ社会秩序を乱しただけだ。解放された黒人はやっと自由を得たが、更なる貧困に曝されて相変わらず惨めなままである。アフリカ人に“まともな”国家運営は無理。槍を持ってジャンプしている方が似合っている。
(左 / カブラルとフィデル・カストロ )
「独立」という言葉は、アフリカ黒人にとって甘美な響きを持つが、それを実行したら苦汁を嘗めることになるらしい。カブラルに従ってゲリラ戦を闘ってはみたものの、その結果は惨憺たるものであった。当時の人口は約60万人であったが、内乱で1万5千人の戦闘員が命を失い、15万の民間人が住むところを無くしてしまったのだ。さらに、この闘争で1万人余りの犠牲者が出たという。と言うのも、1980年までに米の収穫量が50%以上も減少してしまったのだ。思い起こせば、“忌むべき”ポルトガル統治時代、米の生産高は18万2千トンもあったのに、晴れて「独立」を果たすと、8万トンに激減したのである。これでは共産党支配になったロシアとかウクライナと一緒じゃないか。アメリカ人は「我に自由を与えよ。しからずんば死を !」と格好つけたが、それは裕福な紳士の言葉で、貧乏黒人のセリフではない。「自由の空気より一杯の飯を !」が彼らの本音だ。
(左 / ルイス・カブラル)
経済的な低迷は困ったものだが、アフリカの悲劇はこれで終わらなかった。独裁政治には「恐怖政治」が附き物だ。独立闘争の「英雄」であるアミルカー・カブラルは1973年に暗殺されてしまうが、彼にはルイス・カブラル(Luís Cabral)という異母兄弟 がいて、この弟がギニア・ビサウの初代大統領となるのだ。ところが、このルイスがとんでもない奴だった。彼は刃向かう連中に対し「秘密警察」を解き放ち、この殺人部隊は500名の反対派を粛清したそうだ。しかし、ルイス・カブラルには安寧が無かった。1980年、軍人のジョアン・ヴィエラ(João Bernardo Vieira)がクーデタを起こし、大統領のルイスはキューバへ亡命する破目になる。すると、前大統領の悪事が明らかとなった。1981の調査により、約500名にも上る反体制派の遺体が地中から見つかったのだ。暴君による被害はこれだけではない。殺されはしなかったものの、カブラル政権を嫌った民間人は隣のセネガルへ逃れたそうで、その数は人口の約1割にも及んだそうだ。独裁政権下で恐怖と腐敗が蔓延するのは当然で、カブラルが君臨した国家では役人の数が1万5千にも激増し、ポルトガル時代と比べれば10倍の肥大化である。でも、西歐社会のマルキスト学者は、この惨状を植民地の悪しき遺産の“せい”にしたそうだ。こうした考え方を聞けば、「赤いアホは死ぬまで治らない」ということがよく解る。
1960年代前後のアフリカでは、現地人の「独立」がブームとなったが、その後の国家運営が心許なかった。アフリカ人は本質的に近代とは相容れない未開部族で、経済発展とか金融政策なんていう高度な行政は端っから無理。初歩的な治安維持だってままならない。内戦が絶えないアフリカ諸国に国連が介入し、治安部隊を派遣すれば、何時まで経っても抜け出せず、臨時派遣軍が常駐軍になってしまう。ギニア・ビサウも例外ではなかった。国連の平和維持軍が派遣され、無駄金を注ぎ込むばかり。今だって、米の生産高は恢復(かいふく)せず、ポルトガルが支配した時の3分の1程度だ。独立してから40年くらい経っていて、科学技術も相当進歩しているのにこの水準なんだから、マイナス成長を目指しているのか、と愚痴りたくなる。
(左: アフリカ人の女性 / 右: アフリカ人の少年)
アフリカ人の女性はネズミ算式に子供を産むから、人口減少のイメージはないが、ギニア・ビサウの人々は短命で意外と早死にしているそうだ。平均寿命は55歳で、独立してから“たったの”0.3年しか寿命が延びていないらしい。これじゃあ、植民地時代と変わらないじゃないか。日本の江戸時代なら、「人生36年」で幸せだったけど、第21世紀の現在で「人生55歳」じゃあんまりだ。(昔の日本は乳幼児死亡率が高かったから仕方ないのかも。ちなみに、昭和22年頃の日本だと平均寿命は42歳くらいで、現在は82歳を越えているようだから凄い。) ポルトガル人に支配されていた頃の方が豊かで、内戦で死ぬこともなかったというなら、「独立」したことのメリットはどこにあるのか。同胞の政権で塗炭の苦しみを味わう黒人の中に、「何時になったらポルトガル人が戻ってくるのかなぁ?」と尋ねる人が出て来ても不思議ではあるまい。これは同胞の支那人に支配された香港人も同じで、彼らの中には「英国統治の頃は良かったなぁ」と懐かしむ人がいる。家族共々ブリテンやカナダに逃れた者は、支那人の偽らざる本音を表していた。
植民地政策を多角的に分析するブルース・ギリー教授に反撥するイギリス人や有色人種は大勢いるけど、案外、彼の見解に賛成する人も多いんじゃないか。ナイジェル・ビガー教授もその同調者の一人で、彼は西歐の植民地主義を全否定することに異議を唱えていた。エッセイの中で彼はこう述べている。
政治秩序というのは、胸がゾクゾクするような刺戟的価値を有さないかも知れぬが、それ無しでは如何なる善いことも成就しないのだ。だからこそ、現地人は入植者が支配する地域から逃れず、むしろ時折、その地へと移り住むことを選ぶのだろう。北京の共産主義者が統治し始めた頃や、文化大革命が起こった時、何百万人もの支那人が香港に逃れたのはその証拠である。西歐人の植民地支配に人民からの正統性を与えたのは、民衆による選挙ではなく、この支配体制がもたらした安定性と法の支配であった。
(写真 / 帝国主義時代のイギリス人と植民地の現地人)
日本人なら彼の主張に賛成できるだろう。なぜなら、日本は女真族に代わって満洲国を建設し、野蛮な支那のすぐ隣に安全で豊かな理想郷を誕生させたからだ。独裁制と暴君、虐殺と貧困、不潔と腐敗しか知らなかった支那人は、日本人が建てた近代国家に憧れ、穢らわしい祖国を捨てて満洲に雪崩れ込んだ。今でも、満鉄の特急「あじあ」号とか新京の百貨店を見れば、「凄いなぁ」と感動する日本人が多いはずだ。当時の支那人なら、煌(きら)びやかな満洲を目にして、その素晴らしさに腰を抜かしたしたんじゃないか、と思えてくる。日本の朝鮮統治は更に凄くて、日本政府は惜しみなく巨額の税金を投入し、乞食より貧しい朝鮮を近代国家に変えてしまった。「絶望」と「貧困」という遺産しか持たぬ朝鮮人は、天使よりも気前の良い日本人に統治され、朝鮮史上「初」の黄金時代を経験した。彼らは単なる「人間」に昇格しただけではなく、畏れ多くも「日本国民」にまで出世したのだ。こんな有り難い幸運に恵まれたのに、現在の朝鮮人は日本人を恨んでいるんだから、馬鹿を通り越して異常である。まぁ、輝かしい朝鮮統治を反省し、朝鮮人に謝罪する日本人もいるんだからしょうがない。日教組教育とは、我々の「常識」を消去する洗脳である。
(左 / アフリカ人の兵隊を閲兵するエリザベス女王)
話が脱線したので元に戻す。ナイジェル・ビガー教授は、過去の植民地政策を断罪するイギリス人や西歐人学者、ならびに遺恨を抱く有色人種に叛旗を翻した。彼は植民地政策の長所にも言及したのである。つまり、西歐人のアジア・アフリカ支配が全て抑圧的で、冷酷な搾取ばかりという歴史観は間違っている、と。もし、このような罪悪史観を受け容れるなら、イギリス人は恣意的な誘導操作に対して脆弱となり、海外奉仕への最善策は「ほったらかし」になってしまうだろう、とビガー教授は警告する。実際、アフリカ人は西歐人の「支援」を要請し、それなくしては二進(にっち)も三進(さっち)も行かないので、ビガー教授の言説はもっともとだ。
異邦人学生と混ぜる害悪
(左: セシル・ローズ / 中央: オックスフォードにあるローズの彫像 / 右: セシル・ローズを非難する学生たち )
しかし、アジア・アフリカ諸国からの留学生や、旧植民地からの移民、有色人種の子孫たちは、こぞってビガー教授に反撥を覚えた。特に、オックスフォードに在学するアフリカ人やインド人、パキスタン人などの有色人種は、ビガー教授の見解を白人の傲慢と見なし、人種差別の表れであると糾弾したそうだ。特に、「コモン・グラウンド(Common Ground)」というオックスフォード大の学生が組織するグループは、ビガー教授を目の敵(かたき)にし、英国の人種主義と植民地主義に挑んでいるらしい。(Richard Adams, "Oxford University accused of backing apologists of British colonialism", The Guardian, 22 December 2017) また、オックスフォードで快適に暮らす有色人学生は、更に過激さを増しているようで、セシル・ローズの彫像まで破壊しようと目論んでいるそうだ。(Eleanor Harding, "Eminent Oxford professor is branded a bigot by students for saying feelings of guilt about the British empire hav egone too far", Daily Mail, 15 December 2017) このセシル・ローズ(Cecil Rhodes)は帝国主義者の代表格で、「ローズ奨学金」の創設者としても有名である。
(左: ビル・クリントン / ロバート・ライシュ / ストローブ・タルボット / 右: ジョージ・ステファノポロス)
ちなみに、「ローズ奨学金」を得て英国に留学した有名人は結構いて、ビル・クリントン大統領がまず挙げられよう。彼と同期の1968年組には、後に労働長官となったロバート・ライシュ(Robert Reich)教授や、ロシアの専門家で国務次官となったストローブ・タルボット(Strobe Talbot)がいる。クリントンの選挙スタッフになったジョージ・ステファノポロス(George Stehanopolos)もローズ奨学金をもらっていた。意外なんだけど、MSNBCで番組ホストを務める極左分子のレイチェル・マドー(Rachel Maddow)も奨学生であった。その他、国連大使になったスーザン・ライス(Susan Rice)、大統領選に名乗りを上げた陸軍大将のウェスリー・クラーク(Wesley Clark)、ハーバード大学教授で日本でも人気者になったマイケル・サンデル(Michael Sandel)、日本通で『アトランティック』誌の編集長になったジェイムズ・ファローズ(James Fallows)などもローズ奨学金を得て留学している。
(左: スーザン・ライス / ジェイムズ・ファローズ / レイチェル・マドー / 右: マイケル・サンデル)
また、脱線してしまったので話を戻したい。オックスフォード大学に通う有色人の学生は、イギリス人に対して憧れと憎しみを持っている。彼らは祖国を植民地にした宗主国を恨む一方で、その支配民族が建てた名門大学に入れてもにらった負い目もあり、嬉しさと同時に劣等感と屈辱感に満ちている。彼らは有色人種を見下す白人を呪うが、その白人の国家を素晴らしいと密かに思っているのだ。彼らの根性が妙にねじ曲がっているのは、こうした背景があるからだろう。もし、本当に彼らがイギリス人を嫌っているなら、自腹を切ってまで英国へ留学しようとは思わないはずだ。とりわけ、アフリカやジャマイカからの黒人学生は、自分の祖先が味わった悔しさをイギリス人に解ってもらいたい、と願っている。でも、これでは泣きべそを掻いて、地べたにしゃがみ込んでいる幼児と同じだ。とは言っても、有色人種には栄光の歴史が無いし、白人を糾弾することでしか自分の存在を示せない。彼らと比べれば、黒人同士で仲良く暮らしているアフリカ人の方がよっぽど幸せである。満員電車での通勤がなく、徹夜での残業も無い。朝起きたら牛の小便で洗顔するアフリカ土人は、ビジネスでのストレスや借金苦で自殺しようとは思わないから、けっこう気楽である。クルマも無いアフリカ人は毎日歩いているし、合成保存料や劇物入りの食品を食べないから、老人でも元気で健康だ。モノは考えようである。
(左: オックスフォードで学ぶムスリム学生 / 右: 英国に留学した支那人)
だいたい、英国の名門大学でイギリス人に不満をぶちまけたからといって、黒人学生には一体どんな利益があるというのか? 陰で白人学生から馬鹿にされるだけだ。神妙な面持ちで黒人学生の愚痴を聴くオックスフォードのイギリス人学生は、心の底で「そうかい。ゴメンねぇ~。これで満足かい?」とせせら笑っているのに、アホな有色人種はこれに気付かない。こうした場面を普通の日本人が見れば、「何んだ、みっともない。悔しかったら祖国を立派にして見返してやれ !」と思うだろう。英国の大学に通うアフリカ人やインド人、支那人は、事ある毎にブリテン島の白人に文句を垂れるが、彼らは卒業してからも祖国に戻らず英国に留まろうとするから情けない。キャンキャン吠える野良犬じゃあるまいし、お世話になったイギリス人にお礼を述べる方が先だろう。そもそも、イギリス人の植民地支配が素晴らしかったから、彼らはわざわざ英国にやって来たんじゃないのか。英国で勉強するアジア人やアフリカ人の留学生や移民の子孫は白人を非難していないで、ケニアやエジプト、インド、パキスタン、支那へ帰って、同胞と共に祖国を繁栄に導くべきだ。彼らこそ植民地主義の受益者で、祖国と同胞を侮蔑する張本人である。英国で医学や工学を勉強したアフリカ人は、さっさと祖国へ戻って同胞を治療したり、橋や道路の建設に従事しろ。英国でヌクヌクと暮らす輩(やから)が偉そうな事を言うな。アフリカで救済活動をしているのは白人じゃないか。
(左: オックスフォード大学のイギリス人学生 / 右: オックスフォード大学の黒人学生)
英国の現状は他人事ではない。我が国でもアジア人が反日史観を以て日本を攻撃し、これに呼応する日本人が大勢いるから厄介だ。イギリス人はアジア人やアフリカ人をオックスフォード大やケムブリッヂ大に招き入れ、彼らを英国風に染め上げてから祖国に戻し、自分たちの手先にしようと考えている。しかし、この懐柔策には毒が含まれている。英国に恨みを抱く有色人学生を受け容れてしまうと、イギリス人の学生にその思想的黴菌が感染してしまうのだ。キャンパスにおける有色人種の存在だけでも問題なのに、国家の将来を担うイギリス人の若者が罪悪感に苛まれ、有色人種に対して宥和的になってしまう虞(おそれ)がある。本来、大学の目的は若きイギリス人を立派なエリートに育て、社会の指導者となるべく薫陶を授けることにあるはずだ。それなのに、下劣な有色人種と混ぜて、クルクルパーの左翼に育てるなど狂気の沙汰である、どこが名門大学なのか、と疑ってしまうじゃないか。こんなの、白いパンに蜂蜜じゃなくて、黒カビを塗るようなものだ。エリート校というのは、気違いじみたガリ勉を輩出する工場ではなく、高貴な精神に満ちた紳士を育成する聖堂である。そこに通う学生は親睦を深めながら兄弟の如き同志となり、卒業後も固い友情で結ばれ、国家の一大事に当たっては犠牲を厭わないものだ。ところが、英国の名門校は祖国を恥じるエリートを養成し、政界や財界に提供しているんだから誠に愚かだ。
(左: オックスフォードの図書館 / 右: 英国の未来を担う赤ん坊)
日本の大学もアジア人留学生など受け容れず、出来るだけ排斥するのが賢明である。日本の大学は自国を愛し、祖先を誇る若者を育成すべきで、恨み骨髄の朝鮮人とか、日本を罵る下品な支那人を入学させるべきではない。ましてや奨学基金を与えるなどもってのほかだ。日本人の母親は砂場で遊ぶ我が子を見ると、「犬の糞や猫の小便が混ざっているから駄目よ」と叱るのに、反日思想の教授と下劣なアジア人が居坐る大学に、自ら尻を叩いて我が子を入れようとするるんだから、親馬鹿じゃなくてバカ親だ。公園で遊ぶ子供の手が砂まみれになっても、水で洗えば落ちるけど、赤く染まった脳味噌は洗っても元に戻らない。いい加減、日本人は歐米社会の失敗と惨状に目を向けるべきだ。日本人は我々の歴史を罵倒する不逞鮮人を「故郷」に戻してやる方がいい。そうすれば日本国内がちょっとはマシになる。「しつこい汚れにマジックリ」というが、花王は換気扇の油汚れを取る「レンジ・マジックリン」を開発したんだから、朝鮮人を追い出すスプレーでも開発してくれないかなぁ。ドラキュラはニクニクで逃げ出すけど、朝鮮人は逆に近寄ってくるから厄介だ。やっぱり、ここは朝日新聞に「地上の楽園」記事を再び書いてもらって、「南鮮は素晴らしい」とか「統一朝鮮近し」と宣伝しなくちゃね。ただ、朝鮮人が二度も騙されるとは限らないけど・・・。
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コメントを頂き感謝申し上げます。西歐人には極悪人もいますが、結構まともな人も多いので、一概に「白人」だから悪いとは言えません。日本には白人に対する横恋慕を抱くゆえに「反白人主義者」になっている人が大勢いて、その自覚症状が無いので非常に厄介です。もし、そんなに西歐人が下劣なら、なぜ大量のアジア人やアフリカ人は歐米諸国に移住するのか解らない。昭和40年代から50年代にかけて、日本には支那人崇拝者が沢山いましたが、なぜか支那国籍を取得する人が皆無でした。ソ連が大好きな知識人もロシアに移住すればいいのに、矢鱈と嫌いな米国に旅行していました。
世界史を勉強すれば、ヨーロッパ以外の国でも恐ろしい大虐殺や民族迫害があったことが判明するし、とても日本人が住めるような場所ではなかったことが分かります。日本の知識人は米国の奴隷制を非難しますが、庶民はその米国を「出稼ぎ先」に選び、大勢の日本人が米国籍を取得しました。日系移民は総合的に考えて、「米国は素晴らしい」と結論づけたのでしょう。机上の空論を弄ぶ学者より、実際に現地で暮らす庶民の方が適切な判断を下したのかも知れませんね。