大衆社会に腹を立てた知識人

Nishibe 1 1月21日の早朝、西部邁が亡くなった。現時点の報道によれば、遺書が発見されたというから、「自殺」が死因であると言えよう。つい最近、チャンネル桜で中山恭子議員と対談していたから、西部氏の自決はまだ先だろうと思っていた。中山氏と楽しく昔話を語っていたから、人間の内心というのは部外者には解らぬものである。ただ、筆者は長いこと彼の言論を聞いたり、著書を何冊か読んできたから、畳の上で静かに死ぬとは考えていなかった。「きっと、いずれかの機会を捉えて、自らの始末をするんだろうなぁ」と想像したものである。

  筆者が西部氏の講演を始めて聴いたのは、まだ平成になる前の昭和60年代であった。その頃、日本人はやれ国際化時代だと騒ぎ、株式投資に浮かれ、用もないのに不動産物件を購入していものである。西部氏の講演は抽象的な政治論や民主主義批判が大半で、大して面白くなかったが、「僕は国際化時代って言葉が大嫌いなんです !」という発言だけは珍しく頭に残っていた。まだ、世の中の景気が良かったので、民間企業が歐米諸国に進出し、自動車会社などは円高傾向や貿易摩擦を解消するために現地に工場を建てていた。今では信じられないが、バブル時代の銀行は勢いが良く、お金も相当余っていたので、海外に支店を展開するとともに、無茶な貸付でも「まぁ、何とかなるだろう」という感じだった。こんな調子なので、政治家も企業家も、「これからは国際化の時代だ ! 日本人は内向き思考を止めて、積極的に海外へ飛び出し、外国人と対等に渡り合わねばならない !」と息巻いていた。日本語そっちのけで英会話に勤しむビジネスマンとか大学生が多かったし、幼児からの英会話まで流行るといった狂乱振りだったのを覚えている。

  こんな世相を目にした西部氏は、腹に据えかねたのか、癇癪を爆発させていた。彼は時代の流行に乗って栄華を極めようとする商売人や政治家が愚かに見えたし、唾棄すべき知識人がちょくちょく露呈する“軽薄さ”を嫌っていたのだ。日本人はまさしく「流行」に流されやすい。敗戦前、歐洲で共産主義や社会主義が台頭すれば、「そうだ、日本の未来は社会主義にある ! マルクスが予言したような時代が来るんだ !」と考え、我先に一番乗りを目指そうとする。だから、勉強の出来る秀才はほとんど“アカ”にかぶれ、左翼学生となっていった。若い頃、社会主義に傾倒した長谷川慶太郎が回想していたけど、あの頃はちょっと優秀な若者はみんなそうだったらしい。谷沢永一先生も、若い頃マルクスに“かぶれ”て、共産主義の理論を熱心に勉強していたというから、本当なんだろう。しかし、その赤い思想と訣別し、世間に流布する有害思想を徹底的に攻撃した谷沢先生は偉かった。たぶん、御母堂の躾が素晴らしかったからだろう。偉人の陰に賢母ありだ。

  ところが、戦後になってもこの国民病は治らず、ソ連型の計画経済を素晴らしいと考える学者も多かったし、原爆反対運動が起これば直ぐさま参加するといった知識人が蟻のように群れていた。国連などアジアやアフリカの後進国を利用した大国の操り人形なのに、大江健三郎みたいな“進歩的”知識人は、外国に合わせるのが正義で、日本の国益を優先させる奴は「悪」と考えていた。こうしたアホどもは、貧乏国ですら持っている国防軍を侮蔑し、みんなで平和を願えば平和になるとか、自衛隊に入る若者は同世代の恥さらし、と発言していたのだ。現在の若い日本人が進歩的文化人の著作を読めば、「バッカじゃねぇの」と言って笑い出すか、「読む価値は無い」と評して投げ出すかのどちらかだろう。誰も知らないだろうげと、一応「進歩的知識人」の具体例を挙げてみる。東京大学に巣くっていた江口朴郎は原水爆禁止に熱心な「赤旗」シンパだし、勝田守一は外国人学校法に大反対、草野信男は細菌兵器に反対する赤い教授だが、ソ連や北鮮への非難は無し。山口省太郎などはロシア人の回し者みたいな輩(やから)で、ソ連は平和勢力だが、米国は「平和の敵」と評していた。紹介するとキリがないので、別の機会に廻したいが、今の学生で彼らの論文や批評を読む者はまずいないだろう。共産党員だって時間の無駄と思うくらいだから、一般人で「赤旗」を読み返す者など皆無だ。

  西部氏はこうした左巻きの学者が盤踞する東京大学に勤務し、教養学部がある「駒場村」で教鞭を執っていた。世間のオッちゃんオバちゃん達は、「東大」の名前を聞いただけで平伏(ひれふ)してしまうが、そこで教えている教授達のクズ論文を目にすれば、「なぁ~にぃ~、このつまんない印刷物 !」と驚くに違いない。筆者も以前、よく法学部の図書室に通っていたので、ちょいと教授連中の論文を読んでみたけど、本当につまらなかった。まぁ、各大学が発行する紀要とか学術雑誌に掲載される論文など、一般書店で発売できない粗悪品で、誰も手にしない紙屑である。適当に引用文を載せてゴチャゴチャと書いているが、執筆者の真意が不明確で、肝心な部分には、「これから真剣に考えて行かねばならない」とか、「更なる検討が必要だ」といった結論でお茶を濁しているものが多い。こんな論文は、ハンバーグの無いハンバーガー「擬(もど)き」で、購入者はどこに牛肉があるのか、レタスやピクルスを摘まんで探したくなる。しかも、挟んでいるパンが干からびた低級品じゃ、誰だって頭にくるだろう。図書館の本棚に、埃をかぶった豪華本が多いのは、タイトルからして“魅力の無い”「押し紙」であるからだ。

  西部氏が民主主義と共に批判していたのは、軽佻浮薄な知識人と彼らに追従する大衆であった。全学連で活躍していた西部氏が転向して夢中になったのが、ギルバード・K・チェスタトンやホセ・オルテガ、フリードリッヒ・ハイエック、エドマンド・バークといった保守思想の巨人で、西部氏の著作には彼らを意識した論述が目立つ。例えば、西部氏の大衆批判はオルテガの著作に啓発されたものだ。オルテガは大衆社会の到来に警鐘を鳴らしていた。このスペイン人哲学者によれば、大衆とは甘やかされた子供の心理を有し、その欲望には限りが無い。このタイプの人間には、一切のことが許されており、何に対しても義務を負っていないように見える。自分自身の限界を知らず、周囲にある全ての圧力や、他者との衝突を一切取り除いているから、世界に居るのは自分だけと考えてしまう。自分より優れている者がいると感じるのは、自身よりも強い人間が自分の欲望を断念させ、引っ込んでいるよう強いる時だ。(オルテガ 『大衆の反逆』 桑名一博 訳、白水社、 1991年 p.102)

  簡単に言えば、オルテガの「大衆」とは、自分自身に満足しきっている“お坊ちゃん”で、他人からの厳しい意見には耳を貸さず、好きなモノだけを見て、快適な声だけを受け容れる自己中心的な自惚れ屋ということだ。昔の庶民だと知識は少ないが、自分の至らない点と生まれ育ちの分際を弁え、偉い人の意見に従ったものである。ところが、近代の大衆人は環境に無理強いされない限り、決して自分以外のものに頼ることはない。オルテガ曰わく、優れた人間は自分自身に多くを課し、凡庸な人間とは自分自身に何も課さず、ありのままの状態に満足し、自分自身に陶酔している者を指す。(上掲書 p.107) こういった大衆人といえば、朝日新聞を読んで教養人ぶっている人を思い浮かべてしまう。斜(はす)に構えて“したり顔”の学校教師とか、銀行員、技術者、弁護士、研究員など、高度専門職の人に多かった。彼らは北鮮や支那との軍事的対決に反対で、お互いに話し合って“歩み寄れ”ば、きっとわかり合える、と信じていたのだ。こうした高学歴馬鹿は救いようがない。

  西部氏は東大の助教授を務めていたから、愚劣な左翼学者をたくさん目にしてきたはずだ。したがって、オルテガの知識人批判には、実体験に基づく共感があったのだろう。鋭い洞察力を持つオルテガは、科学者に傲慢な知識人の典型を見ていた。彼は第20世紀に顕著となった専門家の精神構造に言及し、その意外な本質について述べている。オルテガははっきりと、「専門家は知者ではない。というのは、自分の専門以外のことをまったく何もしらないからである」と喝破した。(上掲書 p.161) だからといって、専門家が無知という訳でもない。なぜなら、彼は「科学者」であり、自分が専攻する宇宙の小部分については詳しく知っているからだ。問題なのは、こうした「専門家」が自分の知らないこと、不得意な分野についても口を挟む事である。この御仁はアマチュアとして振る舞わず、あたかも「専門分野の知者」であるかの如く発言するのだ。オルテガはこの「傲慢さ」に危険性を感じていた。

  日本でも専門家の愚行がよくある。例えば、ノーベル賞をもらった益川敏英教授は“専門分野”においては天才だが、“専門外”の政治や軍事においては初心者で、憐れなくらいに幼稚だ。いくら憲法九条を叫んでも、日本の防衛にはならない。同じ物理学者でノーベル賞を授与された湯川秀樹博士と朝永振一郎博士も天才であったが、その意見は稚拙であった。「量子力学」については炯眼の持ち主でも、「政治力学」に関してはズブの素人に過ぎない。世界に向けて「平和」をアピールしても、そんな呼びかけは空虚であり、極悪人のスターリンや毛沢東には通用せず、こうした独裁者は「便利な馬鹿め !」とせせら笑うだけだ。ソ連には優秀な科学者が多くいたが、みんなスターリンの「実力(弾圧)」に怯え、抵抗することなく平伏していた。スターリンや毛沢東なんて学歴が無くても「博士号」を簡単に取れてしまう。教授連中の前に立ち、腰にぶら下げた拳銃を見せればいいだけだ。「PhD」でも「名誉博士号」でもお望み次第。もし、博士論文が必要ならゴーストライターに書かせればいいし、出来上がったら文字通り「幽霊」になってもらえばいい。報酬が弾丸なんて嫌だけど。

  西部氏は生来「反抗心」が強かったのであろう。全学連で先頭に立ったのも、敗戦後の日本人が米国人に復讐せず、それどころか卑屈なまでに恭順を示し、自分だけは豊かになりたい、と考えたからだ。しかし、そんな西部氏にも脛に傷があった。安保反対を大声で叫んでいても、その内容については詳しく知らなかったんだから、何とも呆れてしまうじゃないか。それでも、西部氏には同胞の態度が赦せなかったのであろう。東大を辞めてから知識人批判を展開したのも、口先だけで空論を弄ぶ連中がごまんといたからだ。彼らは自分で信じてもいない教義を滔々と喋り、その欠陥や矛盾を指摘されれば激昂し、ちっとも恥ずかしいとは思わない。「蝶(長)」になりたい芋虫の如き大学教授や評論家が大半だった。彼らにとっては「学部長」、「総長」、「会長」、「所長」といった役職が第一目標で、「高貴な義務」なんて玉葱の皮以下だ。「知識人」を気取ったテレビ藝者も同じ穴の狢(ムジナ)である。例えば、NHKや民放が贔屓とする政治評論家などは、選挙制度を中選挙区から小選挙区に変えれば政治が良くなると公言していたし、新しい政党が誕生すれば、それが自民党政治を打破し、市民の意見を反映するようになると豪語していたのだ。日本新党や新進党、民主党による新党ブームが湧き起こった時、どれほど多くのコメンテイターがはしゃいだことか !

  社会評論家となった西部氏がイライラしていたのは、偽善的な知識人に一般国民が易々と騙され、彼らの言説に引っ掛かっていたからだ。西部氏がいくら進歩主義の危うさを訴え、知識人の無責任さを警告しても、一般人は地上波テレビや全国紙の意見に靡いてしまう。西部氏が熟慮を重ねた見解より、簡単で解りやすく、“キャッチー”な解説の方に飛びつく。晩年の言動や態度を想い出すと、西部氏が国民に愛想を尽かしていた様子がよく分かる。人間は年を取るとどうしても短気になりがちで、堪(こら)えどころが無くなって怒りっぽくなるし、やたらと説教が長くなるから、若者に敬遠されることも多い。ただ、そうなってしまうのも“ごもっとも”で、「大衆」となった日本国民は、何度注意されても、同じ過ちを繰り返すんだから、警告している方が疲れてくる。

  分からず屋の「大衆」を相手にしていると本当に馬鹿らしい。論理的に喋ると「くどい」と思われるし、簡潔に述べれば誤解が生じる虞(おそれ)がある。それでも、西部氏は言論活動を続けていたから、何らかの使命感があったのだろう。しかし、その足は茨の道を歩んでいた。筆者は西部氏の意気込みを買っていたから、半分「義理」であっても、彼が刊行する『発言者』を予備号から購入し続けていた。でも、そのレギュラー執筆者に不満が無かった訳ではない。何しろ、補佐役の佐伯啓思(さえき・けいし)が投稿する文章は毎回つまらないし、内容がスカスカで仔猫のすかしっ屁みたいだ。学生運動の残党なのか、絓秀美(すが・ひでみ)という人物の文章も載っていたけど、最初の数行を読んだだけで厭になる。西部氏が可愛がっていた宮崎哲弥も酷かった。宮崎の評論は色々な理屈を附けていたが、斜め読みにも値しない雑文だった。自分で「俺は十年に一度の逸材」と評する者に碌な奴はいないだろう。宮崎はテレビ局のプロデューサーに取り入るのが上手いだけの評論家に過ぎない。

  酒の席で気が合ったのか、西部氏は元財務省官僚の榊原英資を登庸していた。しかし、こんな恥知らずが書いた社会評論なんてまっぴら御免だ。この役人は昭和天皇の記念硬貨で金の含有量をケチり、偽コインが横行したのに、その罪を悔いて蟄居するどころか、テレビ番組に堂々と出ていた。榊原は「どのツラ」下げて国民に説教しようというのか。昭和天皇を敬愛し、「記念」と思って10万円金貨を購入した国民は、無責任な官僚が誰かも知らず、事件報道に驚くだけだった。今では産経新聞や教科書運動で有名になった八木秀次もレギュラー執筆者の一人で、憲法論を書いていたが未だに本格的な著作が無い。皇室問題にも熱心に係わっていたが、これまた本格的な皇室論を書いていなかった。確か、八木氏は大学で研究生活を送っていたはずだが、「新書」や「解説書」程度の本が代表作だなんておかしい。福田和也に至ってはもう読む気もしない。自称「パンク右翼」の福田氏には、固定ファンがいるのだろうが、どんな点で「保守主義者」なのか教えてもらいたいものだ。 西部氏は保守思想を以て言論活動を続けていたが、その周りに集まる仲間には、ガッカリするような人物ばかりだ。保守派雑誌に保守派論客が居なかったとは、冗談半分にしても痛すぎる。

  インターネット番組でも活躍していた西部氏だが、夫人に先立たれてかなり寂しい思いをしていたんじゃないか。西部氏は随分と奥様に支えられていたそうだから、その存在を失ってしまうと生きる気力が萎えてしまっても当然だ。もし、夫人が生きていれば、自殺を思い留まり、もう少し長生きしていただろう。女房に先立たれた男鰥(やもめ)は、本当に意気銷沈するというから、西部氏が人生に見切りをつけたとしても不思議ではない。彼の遺書に何が記されているのか判らないが、生よりも死への誘惑が大きかったのは確かだろう。西部氏の訃報に驚き、その喪失を悲しむファンは大勢いるだろうし、その死を惜しむ人も多いはずだ。しかし、筆者は西部氏の決断を尊重したい。彼は言うべき事は充分述べてきた。あと10年長生きしても、その発言は以前と変わらず、不満と憤慨だけが募ったと思う。

  筆者には「どうしてお前らは、俺の言っている事が解らないんだ !」と腹を立てている西部氏の姿が目に浮かぶ。西部氏が愚鈍な同胞を「ジャップ」と罵った裏には、鈍感な国民に対する苛立ちがあったのだろう。西部氏は「長いものに巻かれろ」といった屈服主義や、「面倒な課題は先延ばし」という無責任体質に怒っていた。西部氏の生き様を簡単に述べれば、反骨精神を貫きたかった人と言えるんじゃないか。日本人に対して言うべき事は散々述べてきたから、「後はお前達が勝手にしろ !」というのが、西部氏が本音だろう。天邪鬼の西部氏だから、「じゃあな !」というのが最後の捨て台詞でもおかしくはない。もっとも、家族に対しては別の言葉があるだろう。ただ、西部氏は甘ったるい同情心を好まないと思うので、第三者の筆者としては西部氏に向かって「その決断、諒解しました」と言うほかない。あの世の西部氏がニヤリと笑ってくれれば、それだけで満足だ。



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