教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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併合前からダメな朝鮮人

Korea 1950sKorea 1960s







(左: 1950年代の朝鮮人   /    右: 1960年代の朝鮮人)

  世界中どこでも、隣国同士は仲が悪いというが、日本の場合はとりわけ悪すぎる。「なんでよりにもよって、朝鮮と近所なのか」と神様を恨みたい。最近は特に問題が山積みだ。北鮮の核開発を阻止すべく、日本は米国協調して何とか金正恩を説き伏せようとしているが、北の独裁者は一歩も譲らず、核保有国への道を邁進するだろう。日本政府は「北鮮が核武装したらどうしよう」と右往左往しているが、肝心な米国は北鮮の核放棄をどれだけ真剣に考えているのか、いまいち分からない。もしかしたら、何らかの裏取引で核開発を容認し、東アジアに軍事的緊張状態を“あえて”作らせるかも知れないのだ。というのも、“適度な”緊張は軍産複合体にとって「吉報」になるので、軍需特需で経済を活性化させようとするホワイトハウスにとっても「吉兆」となる。どうせ、北鮮の核配備なんか大したことはない。米国は支那の核武装だって許してきたし、そもそも毛沢東を支援したのは米国じゃないか。それに、ペンタゴンは対支那攻撃に関しても「奥の手」を持っているはずだ。北京の皇帝もそれを恐れているから、本気で刃向かわないし、やることは「脅し」と「ハッタリ」に留めている。

  巷の軍事評論家や御用学者は、訳知り顔で米軍の戦略を語っているが、本当のところは分からない。一方、日本政府は合衆国大統領に向かって、「親分、ていへんだ、ていへんだ !」と騒ぎまくるだけ。トランプはもったいぶった物言いで、日本からの最大の利益を出そうと謀っている。余裕しゃきしゃきの米国は、「イザ」となったら全軍を挙げて北鮮を叩き潰す。ニューヨークで悪党相手に商売をしてきたトランプだから、支那人相手に怯まないし、強大な武力を“ちらつかせて”交渉することには慣れている。だいいち、北鮮が米国を攻撃しようとすれば、その前に金王朝と北鮮人は即刻皆殺し。たとえ、核ミサイルを発射しようとしても、事前に察知されて先制攻撃を受けるのがオチだ。悪い奴は残酷だけど、馬鹿じゃない。自分の命が一番大事と思っている。金正日の倅(せがれ)も、そこのところは充分理解しているから、絶対アメリカ軍には手を出さない。結局、とばっちりを受けて困るのは、軍事力を行使できない日本だけだ。

  情けない日本はともかく、アメリカ人でも頭が痛くなるのが、どうしようもない南鮮大統領の文在寅だ。足は南鮮にあっても、心が北鮮にあるんだから呆れてしまう。南北統一を語るが、その主導権は北鮮が握り、後見人が支那人ときている。文が夢見ている統一朝鮮は、金王朝に飲み込まれた祖国で、憎らしいアメリカ人がいない赤い半島なんだろう。南北朝鮮は先祖返りして支那の属国になるんじゃないか。つまり、38度線が釜山にまで届くということだ。青ざめた日本政府は何とかして南鮮を繋ぎ止めようとするだろうが、我々は最悪の事態を想定し、その対応を決めておくべきだ。まず注意すべきは、統一朝鮮から逃げてくる朝鮮人は、南北を問わずに拒絶して、玄界灘に沈めること。手切れ金なら多少は払ってもいいが、難民の受け容れはは絶対にダメだ。朝鮮人というのは有害な外来生物なので、我が国の未来にとって深刻な禍根となる。仏心を出さず、心を鬼にして攻撃すべし。国連がゴチャゴチャ言うなら、日本の負担金を1ドルにまで下げてやれ。困るのは国連で飯を食っている連中だ。また、綺麗事を言う歐米人がいたら、「お前らが自国に引き取って面倒を見ればいいじゃないか !」と言ってやればいい。朝鮮人を迎え入れるのを厭がるのは、歐米人も同じだから、大半は口ごもってしまうだろう。「人権」という言葉は百害あって一利無し。便所に流すべき戯言(ざれごと)だ。

  毎度の事で頭が痛いが、日本人の宿痾(しゅくあ)は「過去から学ばないこと」である。日本人は時代の変化に対応するのが上手で、近代化(西欧化)もすんなりと受け容れ、軍備を整えて大国になれたから、アジア人も同じ事ができると思ってしまう。しかし、日本人は類い希なる「例外」であり、そもそもアジア人ではない。日本人はヨーロッパ人と同じポテンシャル(潜在能力)を持っていたから近代国家になれたのである。「強い」と思われていた支那人は、その蓋を開けてみれば、単なる中華思想に凝り固まった老人で、新たな環境に順応する柔軟性に欠け、何千年でも同じ生活を続けようとする民族だった。他方、朝鮮人は「豆支那人」と呼んだ方がよく、貧困と絶望を背負って生きる乞食に過ぎない。日本人からすると、「彼らには“生きる喜び”があるのか」と疑いたくなるくらい、朝鮮人は惨めな生活に甘んじていた。たぶん、今でもそうだろう。

  日本の歴史教科書では朝鮮統治は極悪非道のように描かれているが、当時の朝鮮人にとっては夢のような時代で、初めて触れる「幸せ」に満ちていた。本来なら、統治者の日本人は朝鮮人を奴隷にしてもいいくらいだ。最初から奴隷のように扱われていた庶民なんだから、日本人が奴卑として引き継いでもおかしくはない。しかし、心の優しい日本人は併合した賤民を「日本国民」に格上げし、本土から厖大な税金を注ぎ込んで、豚小屋より汚い朝鮮に投資を行い、彼らをいっちょ前の人間にしてやったのだ。朝鮮人は日本統治を「残酷だ」と罵って糾弾するが、なら、どうして在鮮日本人の邸宅に朝鮮人の家内奴隷がいなかったのか? 古代ギリシア人やローマ人はもちろんのこと、イスラム教徒だって征服した民族を奴隷にし、こき使っていたじゃないか。また、日本人はなぜアメリカ人のように、半島で奴隷牧場を創設しなかったのか? 朝鮮には簡素な奴隷販売所もなかった。日本人の軍人や官僚が、朝鮮人の男を馬みたいに品評して売買したのか? あるいは、日本の官憲が村々から朝鮮娘を拉致して、奴隷市場に出展し、「商品」にした娘たちを裸にして、競売に掛けたのか? アラブ人や歐米人なら、「どうして日本人はそうしなかったのか?」と訝(いぶか)しむだろう。

白米を食べなかった朝鮮人

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(写真  /  昔の貧しかった頃の朝鮮人)

  日本の朝鮮統治を調べてみると、朝鮮に渡った日本人が如何に「お人好し」で、朝鮮人の本質を誤解していたかが分かる。朝鮮人の暮らしや彼らの風俗を目にした師尾源蔵(もろお・げんぞう)は、現地に住む日本人と会話を交わし、朝鮮人と日本人の違いを述べていた。彼が大邱駅の近くにある旅館に泊まった時、内地人で商売をしているI氏と遭遇したそうだ。彼は太田駅から分岐する湖南線の方面からやって来た日本人であった。I氏は農場を営んでいたそうで、朝鮮人の常傭夫(じょうようふ)が、いつも粟(あわ)ばかりを食べているので、健康と慰労の意味も込めて、「ひとつ白米でも食わせてやろう」と考えたそうだ。しかし、市場と同じ価格の米を買わせるわけには行かないので、農場側の損失を覚悟の上で、仕入値の半額で分配してやったという。値段は1升当たり15銭くらいだった。この価格なら鮮人でも買えるし、白米は粟や麦よりも断然美味しいので、さぞかし彼らの家族も喜ぶだろうと、I氏は思ったそうだ。この「粋な計らい」は如何にも日本人らしい発想で、彼は温情主義を発すると共に、村の社会政策にもなるだろうと考えたそうである。(師尾源蔵 『新朝鮮風土記』 萬里閣書房、 昭和5年、 p.124)

  ところが、I氏はガッカリすることになった。なんと、美味しい白米を分配したら、却って農場への出勤率が減ってしまったのだ。彼は苛酷な扱いをする朝鮮人の地主と違って、鮮農(せんのう / 朝鮮人の農夫)を大切に扱ったので、傭い人の中で不平を漏らす者はなく、みんな気持ちよく働いていたという。現代の我々なら、「じゃあ、どうして?」と疑問に思うだろうが、それは朝鮮人の側に問題があった。驚いたことに、鮮農たちは農場事務所から市価の半額で分配された米を家族で食さず、それを貯えて町の問屋に売りさばいていたのだ。彼らは安く買った米を食わず、依然として粟を常食にし、米を売ったお金で粟を買い、その余った金額、つまり米と粟の差額を懐に入れていたのである。そして、利鞘を得た朝鮮農夫たちは、その金額分だけ仕事を怠けることができたので、農場に出勤せず、自宅でゴロゴロ寝ていたというのだ。「濡れ手で粟」のゼニを得たから、その分だけ楽をしようだなんて、何とも呆れた連中である。I氏は師尾氏に向かって、「貯金に廻すなら、まだ可愛いところがあるんですが・・・ 」と漏らしていた。(空条承太郎じゃないけど、「やれやれ」と溜息が出る。)

  鮮人たちから裏切られたI氏は、彼らに対し「今後、配給する米は転売まかりならぬ !」と厳重に戒告したそうだ。そこで、I氏は原価半額の米を配分する際、分配範囲を「1人1ヶ月3斗」と定め、これを10日目毎に渡したという。一度に希望通り渡してしまうと、また以前のような転売を繰り返してしまうので、全部まとめて与えることをしなかったそうだ。I氏は今度こそ、鮮農の家族が白米を食べ、「やはり粟よりも旨いなぁ」という感謝の言葉を聞けるぞ、と期待したそうである。ところが、またもや失望する破目になった。今度は、近隣の部落から、彼の農場へ「オレたちは鮮農の一族だ」という者が現れ、白米の分配を当て込んでやって来たのである。この押しかけてきた連中は、平気で白米を食し、口々に「白い飯はおいしい」と述べていた。

  話を聴いていた師尾氏は、「朝鮮ではそれほど白米が珍しいのですか?」と尋ねた。するとI氏は答えた。

  そうですとも。貧富の差が甚だしく、また到底内地と比較にならぬ生活程度も低いもんですから、下層社会と云うよりも私共の農村では昔から病人でない限り米は常食として居りません。北鮮地方は殊にそうでせう。しかし地方によつては米を食う所もたくさんありますが・・・・ (上掲書 p. 126)

  病気にならないとお米が食卓に上らないなんて、朝鮮は貧しすぎるせいか、白い飯がまるで高級メロンのように扱われていたのだろう。それにしても、朝鮮人の親類関係というのは誠に複雑で、その親戚範囲というのがこれまた広い。日本人の感覚だと、祖父母から孫の家族に加えて、父親の弟(叔父)とか母親の姉(伯母)、従兄弟くらいなものだろう。ところが、朝鮮人の場合、伯父・叔母・従兄弟はもちろんのこと、同一の先祖から出た者は誰でも家族なのだ。日本人は「一家」と言えば親子兄弟と考えがちだが、朝鮮人は血統を同じくする「一族」と見なす。子孫が何十代にも亙って何千、何万人に脹れようが、朝鮮人の感覚では「一族」となる。朝鮮では“不意に”親戚の者が現れて、居間で飯を食っているという光景は珍しくない。まさしく、「日常茶飯事」といったところ。少し裕福な家庭になると、毎日50人くらいの「親類」が“たかって”きて、朝夕、遠慮無しに飯を食っていたそうだ。在日朝鮮人の回顧談の中にも、ちょくちょく「親戚のオジさん」とやらが自宅に上がり込み、居候になっている話がある。日本人には奇異だけど、朝鮮人の生活では普通なんだろう。ただ、こうした居候を断れないから、朝鮮人の風習は陰湿なのだ。もし、タダ飯を撥ね付けると、「なんだ、あの野郎 !」といった悪名が立ち、社会的制裁を受ける虞(おそれ)があったらしい。

  朝鮮人の悪習はともかく、日本の統治時代は本当に黄金期だった。1990年代の北鮮でも餓死者が出ていたんだから、日本人の支配がどれほど有り難かったことか。日本人が弾圧政治を行い、朝鮮の民衆を搾取したなんてトンデモない。日本で生まれ育った在日鮮人の子供は、同胞から聞かされるヨタ話を鵜呑みにしてしまうが、一次資料を調べればホラ話だと判るだろう。日本の朝鮮統治は曠古の偉業である。奇蹟以上だ。イエズス・キリストだって水をワインに変えるくらいの奇蹟しか行っていないのに、日本人は肥溜めのような朝鮮全体をまともな国家にしたんだから、神様仏様以上の存在である。二代目引田天功の奇術だって、せいぜいトラック一台を消すくらい。それならいっそのこと、金一族を消してもらいたいものだ。でも、「所詮はイルージョン(幻覚)ですから」と言われそう。現実は厳しい。

  脱線したので話を戻す。朝鮮人の行動に呆れるI氏だったが、その彼のもとに白米配給を中止してくれるよう頼む者が、ぼつぼつ現れたそうだ。というのも、傭人(やといにん)が家で白米を食べるようになると、そのおカミさんたちは副食品、つまり「おかず」を用意せねばならないから困ってしまった、というのだ。鮮人の女房たちは毎日の洗濯だけでも大変なのに、余計な支度がまた一つ増えて不平を漏らしていたのである。ちなみに、朝鮮人の洗濯を見ていると、アライグマよりも下手くそなので、つい笑ってしまう。みすぼらしい白い朝鮮服を棒で叩いて汚れを落としているのだが、その仕草が何とも滑稽で、どことなく非効率。呆れたことに、使っている水が汚かったりする。まぁ、小便で顔を洗う民族だから、「清潔」という概念が我々と違うんだろう。朝鮮には銭湯に通ったり、温泉旅行に出掛ける風習が無かったので、いつ風呂に入ったのか分からぬ奴がゴロゴロいた。あれでは野良犬だって「臭い !」と鼻を背けるんじゃないか。ついでに言えば、現代のような歯磨きをせず、ニンニク料理を頬張る朝鮮人の口臭を想像すると、心臓が萎縮するくらいゾッとする。

Korean women laundry 2













(写真  /  洗濯をする朝鮮人)

  とにかく、朝鮮人労働者を相手にしてきたI氏の感想は傾聴に値する。朝鮮人には勤勉、倹約、貯蓄といった概念が無く、「行き当たりばったりに暮らす」という考えが浸透していたそうだ。本当に暢気(のんき)な連中で、働かずに済むなら飯を二三日食わずに、腹が減らぬよう寝て暮らそうと考えるらしい。ところが、いよいよ困ってくると、少しだけ働き出す。働かないことが朝鮮人の自慢なので、I氏は彼らに愛想を尽かしていた。彼は「働き甲斐の無い悪政の祟りは恐ろしいものですなぁ」と述べていたが、悪政が朝鮮や支那の「通常」とは気付いていなかったようだ。日本では「名君」とか「善政」がたくさんあったので、「暗君」や「秕政(ひせい)」が出現すると庶民は歎き、武士や知識人はこれを批判した。つまり、我が国では「悪政」は忌むべき異常事態で、「善政」が普通なのだ。日本は支那や朝鮮とは対蹠的というか、異次元の世界に存在すると言っていい。

  そもそも、朝鮮に上杉鷹山とか保科正之みたいな名君がいたのか? 日本の悪代官だって、朝鮮に渡れば仏様に近い。だいたい、殿様自らが倹約に努め、藩の財政を立て直そうなんて、支那や朝鮮ではあり得ないし、これからもないだろう。現在の朝鮮人は加藤清正とか島津義弘、小西行長なとの武将を憎んでいるが、もし、彼らが朝鮮の支配者になったら、どれほど朝鮮の庶民は喜んだことか。日本の戦国武将は頭脳明晰で行政能力に長け、そのうえ義理人情に厚く、正義感も強いときてるから、残虐な支配者しか知らぬ朝鮮人にとっては天使よりも眩しい存在だ。朝鮮の国王なんて徴税における搾取と、政敵の抹殺くらいが得意なだけで、あとはスケベなことをするか、飯を食ってオナラをするだけ。民衆の生活を良くしようだなんて一切思わない。そのくせ、支那人の書物を真似て、倫理道徳を紙に記す。でも、空理空論の域を出ないから、役立たずの漬け物石みたいだ。海外渡航が出来るようになった明治の頃、初めて“生(ナマ)”の朝鮮を目にした日本人が唖然としたのも当然である。

  結局のところ、日本人は朝鮮人を分かっていないのだ。所謂「慰安婦問題」を巡り、日本政府は韓国政府と「日韓合意」を結んだが、南鮮側は事ある毎にこれを破り、日本人への憎しみを露わにする。おそらく、日本人が何億円渡そうが朝鮮人は納得しないだろう。そもそも、朝鮮人に国際条約を守るという常識は無い。もし、朝鮮人の怒りを宥めるなら、日本政府が天皇陛下を生け贄にして、朝鮮人に引き渡すことだ。安倍総理が宮澤喜一のような売国奴になれば、朝鮮人も“ちょっと”は気が晴れるんじゃないか。しかし、一般の日本国民はこれを絶対に許さない。単なる親善外交であっても、天皇陛下や皇太子殿下を“利用”することは、日本の倫理・常識・憲政・國體に反する。百年経っても陛下のご訪鮮は厳禁だ。日本の国会議員には陛下を「道具」と考えている連中が非常に多く、明治の日本人なら持っていた「尊皇精神」が全く無い。これは、彼らが大学で「主権在民」といった馬鹿げた思想を習っているからだ。国民が絶対神の如き「主権者(sovereign)」となれば、その下に位置する天皇陛下は「主権者の従属者」となってしまう。普通の日本人はこんな畏れ多い発想には同意しないが、大学でクルクルパーにされた議員はその異常性に気付いていないのだ。

  それに、税金で生活する日本の政治家は、朝鮮人が「日帝支配」によって苦しんだ可哀想な民族と思っているから、賠償金をたんまり与えて何とかしてやろうと考える。他人のゼニをくれてやるんだから、彼らは実に気前がいい。朝鮮人に対処するときは、「思いやり」よりも「重い棍棒」を持つべきだ。日本国民は朝鮮の歴史について興味が無いから、朝鮮人の本質が解らず、何回でも裏切られ、簡単に騙されてしまうのだろう。議員に適切な知識を求めるのは非現実的なので、まずは一般国民が良識と知識を持つことが肝要となる。帰化鮮人や朝鮮系国民は、祖先の恥ずかしい過去を隠蔽しようとするが、日系日本人は遠慮無く彼らの過去を暴くべきだ。敗戦後、日本人が在日朝鮮人に対し卑屈だったのは、反論するための知識に欠けていたからである。反日鮮人にとって恐ろしいのは、日本人が本当の歴史を知ることなのだ。当ブログが「ヘイト・スピーチ・サイト」と見なされるのは、朝鮮人について不利な情報を与えるからである。したがって、高校生の良い子は図書館に通って、朝鮮史をもっと詳しく調べてね。




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