教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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「隣は支那人」になった現在

  日本は海で朝鮮半島と支那大陸から切り離されている、というのは昔の話だ。交通機関が発達し、チラシ広告のようにビザが発給されている今日では、あっちに支那人、こっちに朝鮮人、お向かいにフィリピン人、後ろに黒人というのが珍しくない。筆者も驚いてしまったが、ある日、東京四谷のコンビニ店に入って会計をしようと思ったら、レジ係がペルシア人(イラン人)男性なので面喰らってしまった。以前、鉄火丼を食べようと本郷の定食屋に入ったら、注文を取りに来た女給が支那人だった、という思い出がある。また別の日、近所を散歩していたら、背後からウルドゥー語が聞こえたので、「何事か?!」と思って振り返ってみたら、三人のパキスタン人が自転車に乗って走っていたのだ。確か、日本の道路を歩いていたはずなのに、「あれっ ! 英国のブラッドフォード(Bradford)にいるのかなぁ ?」と錯覚しそうになった。日本も一等国になったようで、都市部がロンドンのイースト・エンドみたいになっている。でも、墓場の伊藤博文や夏目漱石は喜ばないよねぇ。

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(左: 英国に住むパキスタン人 /  右: 西歐人を非難するイスラム教徒)

  だいたい日本人は脳天気すぎる。異民族を知らなかった日本人は、日韓併合で下劣な朝鮮人が大量に押し寄せたからビックリ。敗戦で朝鮮を放棄した後も、穢多(エタ)と変わりない賤民が残留し、「第三国人」と称してやりたい放題。不逞鮮人に苦しめられた日本人は結構多いのに、子や孫にその「苦労話」を伝えないから、現在の若者は支那人や朝鮮人に無知なまま暢気に暮らしている。一方、北京政府の改革開放路線で“小金持ち”となった支那人は、歐米諸国はもちろんのこと、近場の日本にも群れを成してやって来た。ディスコだって客を選んで入店させるのに、日本政府は千客万来で支那人の渡航を許してしまうんだから、愚かとしか言いようがない。支那人ってのは欲望全開、道徳最低の銭ゲバ民族である。いくら懐が温かくなろうとも、心は氷点下の冷血動物だ。江戸や京都を歩いても、タバコのポイ捨て、カラ弁の投げ捨て、痰の吐き捨て、ウンコの垂れ流しなんて当り前。犬だって列に並ぶのに、支那人にはそれすら出来ない。昔、アジアの租界で「支那人と犬はお断り」という立て札があったそうだが、盲導犬や麻薬犬に失礼だ。柴犬の「豆助」が近づいてくれば「よしよし」と撫でてやるけど、支那人がホイホイやって来れば、スリッパでその頭を引っぱたきたくなる。「チャンバラトリオ」の南方英二ならハリセンでぶっ叩くし、漫才コンビ「ゆーとぴあ」のホープ師匠なら「ゴムパッチン」だぞ。(だいぶ古いけど、詳しくはネットで調べてね。)

  経済発展で支那人が態度を改めるなんて嘘だ、妄想だ、まやかしだ。日本人はポテンシャル(潜在能力)が異常に高く、自分が変化と進化を遂げて良くなるから、多民族もそうなると信じてしまう。ただし、例外はある。長嶋茂雄は現役引退の時、「巨人軍は永遠に不滅です!」と述べたが、今では斜陽の巨人軍は目を蔽いたくなる程の体たらく。プロレス界だって馬場や猪木の頃とは格段に違っている。それでも、日本は全体的に素晴らしい。ところが、支那人ときたら数千年前と変わらぬままだ。秦や漢、唐、宋、元、明、清になっても同じ。日本の知識人は支那が民撰国家(デモクラシー)になれば変わると思っているが、あと四千年経っても支那人は支那人だ。支那の歴史は軍閥・匪賊で分裂し、中原の覇者が現れて統一というのが定石。しかし、暴君や腐敗と戦乱で再び群雄割拠となるから、残忍で冷酷な独裁者が降臨し、再統一というパターンが繰り返される。絵巻物みたいな美しい日本史とは違い、支那の歴史は血塗れで、恐怖と醜悪に満ちたホラー劇。地獄の方がまだマシだ。なぜなら、閻魔大王は一人だけ。支那ときたら、百鬼夜行で魑魅魍魎。ドラキュラ伯爵でも蠅か蛇に過ぎない。悪魔がたじろぐ悪党がウヨウヨいるんだから。

  支那人について話し始めるとキリが無いので省略するが、支那人というのは実にうるさい。アヒルみたいにガーガー喋る。比べちゃ悪いけど、オックスブリッジを出た中流階級のイギリス婦人とか、エレガントなフランス人女性は躾が良いのか、話を聞いていて気持ちがいい。例えば、日本でも有名なBBCニューズで、アンカーを務めるフィオナ・ブルース(Fiona Bruce)の話し方は気品があって、そのブリティッシュ・アクセントは耳に心地よい。ちょっと庶民的な司会者のキャット・ディーリー(Cat Deeley)でも、話を聴いていて愉快になる。映画ファンならジミー・キンメルのトーク番組とかで、女優のジリアン・アンダーソン(Gillian Anderson)や男優のヒュー・グラント(Hugh Grant)が話すのを聞いたことがあるだろう。米国の中西部だとアンダーソンのような英語を喋る西歐系女性は多いから、在米日本人のビジネスマンでも気付く。一方、グラントはオックスフォード大卒の珍しい俳優で、会話を聞いていても英国風のユーモアを交えて喋るから、いかにもイギリス人らしい。

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(左: フィオナ・ブルース  / キャット・ディーリー  / ジリアン・アンダーソン  /  右: ヒュー・グラント)

  今回、支那人の話し方に触れたのは、先月の4月29日、吉祥寺駅で支那人による傷害事件が起きたからだ。被害者になった会社員の土屋英司さん(65歳)は、電車の中で話す二人の支那人がとてもうるさかったので、吉祥寺で降りたとき、彼らに注意したそうだ。すると、酒に酔っていた支那人の代強(だい・きょう)は、叱責されたことで腹を立て、土屋さんに掴み掛かかった。口論が昂じて二人がもみ合いになると、運悪く電車が動きだし、土屋さんは車輌に押しつけられて重傷となる。脳挫傷で病院に搬送された土屋氏は、意識不明のまま、五月に入って息を引き取った。土屋氏の死亡を以て、代の容疑は傷害致死に変わったそうだ。

  亡くなった土屋氏は正義感が強く、勇気をもって注意したのだろう。一般的に、支那人は自己中心的でマナーが悪く、周囲の迷惑を顧みない。大声で喋っても、大声だと気がつかないくらい鈍感だ。恥も無いければ、反省も無い。日本語が上手い支那人でも、日本語を話す口調は支那的で、“がさつ”な上に、ぶっきらぼう。しかも、押しの強い喋り方で、機関銃のように言葉を発するから、まともな日本人だと眉を顰めるし、温厚な人でも心の底で「何こいつ !」と呟いてしまう。支那人の態度にはデリカシーのカケラも無いし、繊細な感覚とか、相手を思いやる「気遣い」というものが一切無い。これは支那人家庭の特徴で、子供の躾が我々と根本的に違うからだ。いくら日本の大学に留学し、日本での滞在期間が長くても、「生まれと育ち」から由来するの行動様式は中々変えられないものである。だから、日本人と結婚すると、色々な事で驚く。支那人の男にとって日本人女性は別世界の人間で、可愛らしさと慎ましさが魅力的。柔和な性格を持っていても、その中に芯の強さがある。天真爛漫なのに意外と賢く、亭主と苦楽を共にしてくれる伴侶となるから最高だ。

  片や、支那人の女を娶った日本人は、不幸を背負い込んだようなものである。カマキリのような女は、国籍目当てで日本の男に近づくし、隙あらば財産を収奪しようとする。さらに、いつのまにか亭主に多額の生命保険を掛け、チャンスを狙って一攫千金。憐れな旦那は、ハッと気がつくと棺桶の中。年金受給前にあの世へ直行なんて、あゝ無情。支那製の列車に乗ったようなもの。だいたい、支那人を女房にする方が愚かだ。いくら女日照りだからといって、支那人の女房じゃセックス以外に喜びが無い。同僚や友人に自慢できないし、紹介された相手も何となく「馴れ初め」を訊けないし、どんな事を話していいのか分からないから、遠慮がちになる。支那人なら気にしない、ちょっとした“しぐさ”も、日本人にとったら気になる。でも、注意すれば侮辱になるから、素知らぬ振りを決めこんで居眠りするのが一番。やはり、後進国ならぬ最低国から来た劣等民族は、高度な日本社会に同化するなんて無理。(支那人については、拙書『支那人の秘史 朝鮮人の痴史』で詳しく論じたから、そっちを読んでね。笑ってしまうけど、現在でも頷ける支那人の性質が解る。)

  再び話が脱線したので元に戻す。支那人に殺された土屋氏の一件は、実に気の毒な暴力事件だけど、問題の核心は、日本のマスコミと支那人の居住を許す政府にある。事件を受けて、各テレビ局は一応「傷害事件」として報道したが、形式的にサラリと流すだけで、事件の本質を追求しようとしなかった。本来なら、「どうして、こんな事態になったのか?!」と特番を組んでもいいのに、酔っ払いの“いざこざ”としか考えていないのだ。下らない福田財務次官のセクハラ事件だと、何日も延々と報道したくせに、兇暴な支那人の犯罪だとチョロッと触れるだけ。ジジイの残尿じゃないんだぞ。淡白すぎるじゃないか。下手人の代強は、埼玉県春日部市に住む“自称”「調理師」であるというが、これって「専門職」の外国人に分類されるんじゃないか?

  日本政府は「高度技術の保有者」を優遇しているから、北京料理とか上海料理を得意とする支那人も「専門職」の人材となるのだろう。餃子の皮を素早く作ったり、麵を巧みに引き延ばす支那人なら“大歓迎”となる。でも、そんな基準なら、何億人も該当するので、津波のように支那人が押し寄せるぞ。何せ、支那人は一般人でも料理の達人だ。鶏から豚、熊、蛇、蛙に至るまで、何でも包丁で屠殺できる。道端で野菜クズを拾ってきたら、見事な八宝菜を作ってしまうし、腐った肉でも油で揚げてチンジャオロースとか酢豚にして誤魔化すのが上手だ。世界中に散らばる支那人が先ず始める商売といったら、必ず郷土料理を持ち込む食堂である。したがって、支那人に限って言えば、料理人を「専門職」にしてはならない。コンピューター技師だって怪しいものだし、却って危険な場合もある。機密情報を盗むハッカーにもなるし、偽造クレジット・カードを作る「専門家」にさえなってしまうのだ。ピッキングの空き巣だって「専門職」じゃないか。盗難防止の装置が附いている高級車を盗む手口なんか、実に鮮やかで、その素早さ、正確さ、連携プレーは大したものだ。もし、犯罪オリンピックがあれば、支那人は個人・団体戦を含めて金メダルの独占は間違いない。

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(左: 犬の丸焼きを包丁で捌く支那人  /  右: 支那人の子供たち)

  支那人や朝鮮人の犯罪が世間の脚光を浴びると、テレビ局は必ず評論家とか藝能人をスタジオに招いて、「全部の支那人や朝鮮人が犯罪者という訳ではない」と語らせる。しかし、こうしたテレビ藝者は腹話術の人形に過ぎず、裏で糸を操っているのは、制作者のディレクターやプロデューサーである。したり顔の九官鳥は「教えられた台本」を喋ってるだけで、熟慮を重ねた上での結論ではない。提灯を掲げた雑誌記者も、お座敷に呼んでくれた「旦那衆」に媚びるのが十八番(おはこ)である。そもそも、俳優とか漫才師が自分で丹念に調査して、根拠のある資料を以て独自の見解を述べるなんてあり得ない。フジテレビは坂上忍を起用して「ご意見番」にしてるけど、彼はベテランの役者だから、制作者の意図を汲んで“期待通り”のキャラクターを演じているだけだ。

  最近耳にして驚いたが、藝人の東山紀之がテレ朝の『サンデーLIVE』という番組で、メイン・キャスターを務めているという。もう呆れてしまうが、人気者を採用すれば、彼の固定ファンや若い女性が観てくれる、とでも思ったのだろう。確かに、くたびれた中年のアナウンサーよりも、キリっとした二枚目役者を使う方が、一般の視聴者を洗脳しやすい。(ただし、『必殺仕事人』で中村主水の代役を務めた東山は無惨だった。お客の視線が厳しい演劇は、おちゃらけたワイドショー番組と違って実力がモノを言う。大根役者は三流役者のままで、看板役者にはなれない。たぶん、歌手で零落(おちぶ)れたから、キャスターに転向したんだろう。)

  歐米人もそうだが、日本人は率直にモノを言わないから、困った事態に陥ってしまうのだ。嫌なものは「イヤ !」と言うべきである。支那人を排除できないのは、問題の急所を突かないからだろう。つまり、たとえ移民の中に良い支那人がいようとも、国境の前で「支那人はお断り」と撥ね付けるべきなのだ。戦国時代、織田信長は一向宗に手を焼き、それを根絶しようと比叡山延暦寺の焼き討ちを断行し、宗徒や兵僧を皆殺しにしたという。実際、そんな大虐殺があったかどうかは怪しいけど、立派な坊主に生臭坊主がくっついていたことは事実らしい。ここで重要なのは強欲坊主ではなく、そうした僧侶が繁殖する宗教組織の方である。権力と金銭を求める集団は、徹底的に弾圧するしかない。支那人も同じで、本当に勉強したい奴がいても門前払いにすべきなのだ。善良そうな留学生だって、時が経てば“本来”の支那人に戻ってしまうし、北京政府の勧誘を受ければ工作員とか協力者になってしまうのだ。というのも、支那大陸に両親や兄弟、祖父母を残しているから、北京政府がこの血族を人質に取れば、ノンポリの支那人でも忠実なスパイになる。そうじゃなくても、お金に弱い支那人だ。ウキウキして誘いに乗るんじゃないか。

  別の例だけど、アクネス・チャンやジュディー・オングを見てみろ。最初は可憐なアイドル歌手を演じていたアグネスも、中年を過ぎると則天武后か宋美齢みたいに、狡猾な支那人に戻っていた。「アフリカの貧しい子供に救いの手を !」と訴えるアグネスは、ベルサイユ宮殿のような豪邸に住んでいる。しかも、北京政府に弾圧され、酷い拷問を受けた末に処刑されるチベット人やウィグル人には冷淡だ。派手な衣装でヒット曲を歌うジュディー・オングも支那人の家系で、彼女の一族は抗日戦線を行っていた華僑らしい。しかし、国共内戦が勃発し、オング一家は大陸から台湾に渡ってきた。1976年だったと思うが、『必殺からくり人』に出演していた頃、ジュディー・オングは初々しく、とても狡猾な支那人には見えなかった。しかし、年を重ねて徐々に変わってきた。まったく、支那人ってのは腹の中にエイリアンを宿しているのか?

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(左: アグネス・チャン  / チャンの豪邸  /  右: 若い頃のジュディー・オング)
 
  そう言えば、千葉県の知事となった森田健作は「仕掛の天平」を演じ、花火玉を相手にの口に入れて殺すという仕掛人の役だった。まさか、「俺は男だ !」と叫んでいた役者が、後に「俺様は県知事だ !」と豪語するなんて。まぁ、意地悪婆さんの青島が都知事となり、横山ノックが府知事で、大橋巨泉が参院議員なったんだから仕方がない。ミュージカルの「アニー」に出演した山尾志桜理は遙かに酷く、子役で舞台デビューを飾っていたが、国会にデビューしたら姦通議員になってしまった。えっ、昼のメロドラマかと思いきや、現実の不倫劇なんだから唖然とする。一方、ジュディー・オングは山田五十鈴が演じる元締めの養女役で、「花乃屋とんぼ」という役名になっていた。ちなみに、ドラマ自体は平凡な作品だったけど、緒形拳が演じる「夢屋時次郎」は印象に残っている。彼が鳥居耀蔵の狙撃に失敗し、顔に火薬を塗って自爆するシーンは壮絶だった。昔の脚本家は斬新で、今では許されない強烈なシーンを描いていた。現在のテレビ時代劇だと、残酷なシーンは企画段階でカットだから、ハードな作品は望めないのかもね。


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(左: 支那の電車内で起こった客同士の喧嘩と流血事件  /  右: 電車内で幼児に排便させる母親)

  とにかく、支那人の移民が増えると犯罪も比例して増える。支那人がやって来るということは、日本に支那社会が形成されることを意味する。つまり、我々の国家が支那風に染まって行き、日本に居るのに支那と同じ状況に置かれてしまう、ということだ。なるほど、日本人同士でも酔っ払って喧嘩になることはある。しかし、いくら激昂したからといって、走り出した電車に押しつけるなんて普通は無い。せいぜい、プラットホームで殴り合いか、怒鳴り合うだけだろう。ところが、支那人には後先を考えぬ馬鹿が多く、精神異常者も珍しくない。支那全土で白痴が何パーセントいるのか。評論家の黄文雄によれば、相当な数の狂人がいるらしい。支那大陸には日本人の想像を超えた犯罪者や気違い、破廉恥漢がひしめいている。その一部が既に来日しているにもかかわらず、大半の国民は他人事で聞き流すから実感が伴わない。例えば、日本人の加藤善一郎が犠牲者となった、支那人「インリナ」による替え玉殺人事件とか、山形県母娘殺傷事件のような小さな地方事件から、蛇頭や日支混成組織による数々の犯罪、出稼ぎ人が犯罪をビジネスにする風習、阿漕な日本企業乗っ取りに至るまで、あらゆる罪悪が日本各地に蔓延っている。もう目が眩むような犯罪のオンパレード。それなのに、地上波テレビは相変わらず、藝人のスキャンダルを連日追っ掛け、どうでもいい官僚の不祥事に熱を上げている。

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(左: 支那人のギャング  /  右: 逮捕された支那人犯罪者)

  結局、深刻な事件は取り上げないということだ。一般国民に被害が及んだとしても、高給を貪るテレビ局職員には関係無し。駅構内で起こった殺人事件など、単なる三面記事に過ぎない。しかし、我々にとったら恐ろしい事態である。ある日突然、父親ないし母親が殺害され、霊安室で号泣する破目になるのだ。また、幼い子供を持つ親は、もっと心配だろう。朝「行ってきます !」と言って元気に登校した子供が、夕方、遺体となって帰宅することも考えられる。死亡でなくても重傷を負えば、その家族は一生不幸だ。もし、半身不随とか、昏睡状態、身体障碍でずっと介護が必要となれば、面倒を見るのは犠牲者の親で、付添人の方が心労で倒れてしまう。また、兄弟も自分の生活を犠牲にして面倒を見ることになりかねない。老齢化した親と身体障碍者の子供を介護施設に送り込めば楽だろうが、その費用は個人と国家が出すことになるので、一般国民の税負担が重くなる。

  しかし、傷害事件を犯した支那人は、刑務所の中で悠々自適の生活を送ることができる。日本の「更生施設」は支那の牢獄と違って衛生的だし、食事や風呂も完備している。正月には特別メニューが用意されるし、娯楽として歌謡コンサートが開かれ、健康維持の為に野球を楽しむことができるのだ。しかし、刑務所の維持費は国民負担。一般の日本人は外国人犯罪者のために働き、税金をむしり取られたうえ、恐怖に怯えながら暮らす破目になる。支那人は運悪く逮捕されても、通訳をつけてもらって取り調べ。法廷でも通訳をつけてもらえるし、判事や検事は買収されていないから、公平な裁判を期待できる。人を殺したって死刑にならないし、刑期も驚くほど短い。文明国の刑務所では虐待や拷問が無いので気が楽だ。日本人が支那の刑務所に入ったら、どんな運命が待ち受けているやら。想像しただけでも戦慄が走る。日本人の容疑者なら、たとえ濡れ衣で捕まっても、支那人の裁判官は簡単に死刑を言い渡す。お金で正義を買うことができる支那では、法律はゴム紐のように伸縮自在だ。地獄の沙汰も金次第。賄賂で籠絡できぬ支那人はいない。そう言えば、ドラえもんは世界を破壊できる爆弾を持っていたけど、そのポケットの中に支那人だけを抹殺できる爆弾はないのか? もし、どこかにあるのなら一個譲ってもらいたい。100億円でも安いよね。

  


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