教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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殺人鬼が生き延びた日本

Asahara 2  7月6日午前、各テレビ局は一斉に「オウム真理教の麻原彰晃(松本智津夫)がついに死刑に !」との速報を流した。惟(おも)うに、地下鉄サリン事件が起きたのは1995年3月20日。我が国の首都で早朝に起きた無差別大量殺人は前代未聞のテロだった。化学兵器による殺戮事件なんて警察も予想していなかったから、駆けつけた現場の警察官や救急隊は犠牲者を救出するだけで精一杯。構内でのサリン除去など到底無理だから、自衛隊の緊急出動となった。やはり、いざという時に頼りになるのは軍隊だ。しかし、注目すべきは、普段から自衛隊を敵視する知識人や評論家が沈黙したまま、雲隠れしたことだ。

  非情な現実を目の当たりにした空論家は、ただ唖然とするばかりで、自分の甘さを反省する事が無かった。事件前なら、彼らの威勢は天井知らずで、自衛隊が生物・化学兵器に対する防禦や研究を行おうとすれば、即「軍国主義の復活だ !」「戦前に戻るな !」と喚(わめ)きたて、愛国的な自衛官を叩いていたのに、いざ国内テロが起きると、過去の発言に蓋をして、犠牲者に哀悼の意を捧げる“善人”に変身だ。卑怯にも程がある。そう言えば、同世代の自衛官を「恥」と呼んでいた大江健三郎がどう思っていたのか、朝日新聞は取材すべきだろう。でも、同じ穴の狢(むじな)同士じゃ無理かもね。

  刺戟的な話題なら何でも歓迎するワイドショーは、朝から麻原の死刑執行に騒いでいたが、問題は「死刑が執行された」ことではなく、「執行が長いこと延期」され、麻原が“のうのう”と生きていたことだ。惨劇から20年以上じゃ、被害者の方が既に亡くなっている場合もある。テレビにしゃしゃり出てくる人権派は、“死んだ”犠牲者よりも“生きている”犯罪者の「人権」ばかり尊重して、「慎重な裁判を !」と求めるが、突然命を奪われた人間やその遺族のことは二の次だ。だいたい、 「死刑は残酷だ !」と主張する連中は、ここぞとばかりに「死刑廃止は先進国の趨勢になっています!」と宣伝するが、それなら序でに「国防軍の保持は世界の常識です」と言えばいいじゃないか。でも、国民を守る軍隊は侵掠者の集団だからNG。左翼学者というのは実に忌々しい。自分の意見にとってプラスになる時は「歐米」を持ち出すくせに、都合の悪い案件になると口ごもる。手厚い福祉を勧めるときには「北歐」を持ち出すくせに、保守派が核武装論争で「歐米」に言及すると、「右翼的思考だ !」と一蹴り。漫才師の「タカ&トシ」なら赦せるけど、大学教授が「欧米か !」と頭を叩けば、保守派だって「なんだ、テメェ~!」と頭にくる。
  
  「死人に口なし」は極道だけじゃなく、法曹界でも常識となっている。殺人鬼は法律と支援者により手厚く守られているから、取調室で拷問を受けないし、ちゃんと食事を与えられて、健康面も考慮されているから、至れり尽くせりだ。しかも、良心的な弁護士まで附けてもらい、法廷で勝手な言い訳を述べる事もできる。一般人なら「この野郎!」と引っぱたきたくなるじゃないか。さらに腹立たしいのは、確信犯が僅かな可能性に賭けて、精神錯乱を装い「心神喪失状態」へと持って行こうとすることだ。怒りで震えてしまうのはこれだけじゃない。もし、容疑者や被告人が外国人であったなら、もっと厄介な事になる。取り調べを行う警察官や法廷を仕切る裁判官の側には通訳が同席することになり、ちぐはぐな遣り取りが発生してしまうのだ。タイ語とかタガログ語の通訳を介すると、犯罪を追求しようとする検事の質問が上手く翻訳されないし、答える犯罪者の回答も的外れになってしまう虞(おそれ)がある。さらに、通訳者が二流だと微妙なニュアンスが伝わらず、両者の応答が噛み合わない。尋問する日本人の方が厭になってくる。

  とにかく、我が国は犯罪者のパラダイスとなっている。仮に有罪判決を受けても、一人殺したくらいじゃ死刑にならない。家族を殺された一般国民は、裁判になって初めて「えぇっっ、何で?!」と怒りを露わにするが、法曹界の「相場」なんだからしょうがない。弁護士や検事に泣きついたって「駄目なものはダメ」と言われてお終いだ。これなら、「必殺仕置人」に頼むしかない。ただ、哀しいことに念仏の鉄やゴルゴ13は架空の人物なので、外国の傭兵や殺し屋を捜す破目になるんだが、治安の良い日本だと拘置所にいる悪党を暗殺するのは至難の業だ。後進国の刑吏なら買収できるが、日本の看守は真面目だから犯罪の片棒を担ぐことはない。結局、被害者家族は「泣き寝入り」ということになる。

  可哀想な殺人事件ではないが、オウムの村井秀夫を殺した徐裕行の件は特筆に値する。この在日朝鮮人は、山口組系の暴力団に属しており、誰の指図か判らないが、突如オウムの東京本部に現れ、村井を刺し殺した。取材記者が大勢いた中での犯行であったがゆえに、一般国民は驚愕したが、こんな不逞鮮人が日本に住み続けていたことの方が驚きである。鮮血が滴り落ちる刃物を手にした鮮人ヤクザは、逃亡を図らず、そのまま御用となって裁判にかけられたが、その刑期は呆れるほど短かった。僅か12年ほどムショに「勤め」て2007年には釈放だ。臭いけど健康的な食事を摂りながら、元気よくシャバに戻ってきた。朝鮮人の悪党にとって日本人はチョロい。殺人罪でも死刑判決にならないんだから。しかも、ちゃんと暗殺商売が成り立っている。この北鮮系ヤクザが依頼主と如何なる取引を結んだのか知らないが、何らかの報酬をもらったり、負債の帳消しをしてもらったに違いない。

  一方、テロ事件の被害者が味わった恐怖は想像を絶していた。死亡した犠牲者は喋りたくても喋ることができない。犯人擁護の人権派は、これは「しめたもの」と微笑みながら無視。もっと狡猾な奴は、鰐(ワニ)を真似て涙を流す。金日成の死を悼む北鮮人みたい。死亡者の遺族は悲痛に暮れるが、後遺症を抱える被害者も気の毒だ。猛毒の化学兵器に晒された人々は、たとえ生存できても後遺症で苦しむ。神経にダメージを受けた人は、常に何らかの痙攣に悩まされ、ひと時も落ち着く暇が無い。病院で治療を受けても完治する訳じゃないから、寝ても覚めてもイライラするし、娯楽作品を観たって面白くない。こうした日常に耐えきれなくなった人は「私の人生を返して !」と叫びたくなる。だが、教団の元信者は無一文だから賠償できないし、投獄された受刑者が「罪を償う」と述べても、犠牲者を「元の体」に戻せる能力は無い。そもそも、獄中の囚人は反省なんかせず、ただ捕まったことを「不運」と思うだけだ。こんな奴らはロシア流の強制収容所に放り込み、極寒の地でこき使ってやればいい。野蛮なロシア人に酷使され、粗末なエサと極度の疲労で息絶えた将兵を思い浮かべれば、日本の刑務所なんて常夏のハワイにある保養施設だ。

人権が宗教になっている日本

  日本の法律や制度がこうも甘くなっているのは、「人権」という害悪が広く世間に蔓延しているからだ。とりわけ、高校や大学における「人権教育」は徹底している。法学部はもちろんのこと、社会学部とか教育学部、国際関係学部などでも猛威をふるい、医学部や工学部といった理系も例外ではない。法学を専攻する学生じゃなくても、一般教養で刑法や憲法の講義を受けたりするので、知らず知らずのうちに「人権教徒」にされてしまうのだ。日本人は元々「よそ様」とか「ひと様」という言葉で他人を敬い、「お客様は神様」といった意識も強いので、簡単に騙されてしまう。特に、「人権思想入門」といった授業なんか取ったら最悪だ。社会学部の教授を務める横藤田誠(よこふじた・まこと)と中坂恵美子なかさか・えみこ()が執筆した『人権入門』は本当に酷い。学術書というより、共産党の「アジビラ」だ。彼らは1993年の「ウィーン人権宣言にある「すべての人権は、人間に固有の尊厳と価値に由来する」という前文を用いて、「普遍的価値」を強調するが、こんなセリフは「空気の振動」に過ぎない。貧乏人のお風呂と一緒で「湯だけ(言うだけ)」だ。入浴剤すら無いサラ湯。水だって世界各地で異なり、信州や六甲の貴重な名水もあれば、「ミネラル・ウォーター」に偽装される支那の汚水もある。人生色々なら、「人権」も色々だ。実際、支那の水は七色に光っている。(別に、虹が映っている訳じゃないぞ。ヒントは重金属。)

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(左: 支那人    /     右: アフリカ人)

  日本の法学者は三度の飯より「世界人権宣言」が大好きだ。ここには「すべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利において平等である」と記されているが、こんなのは日本とヨーロッパだけで通用する話である。暗黒大陸のアフリカやアジア、南米では「絵に描いた餅」どころか、道端に落ちている「吸い殻」程度である。いくら西歐の知識人が「人間の尊厳」を謳っても、窃盗犯の手首を切断するアラブ人や敗者のペニスをトロフィーにするアフリカ人には理解できない。せいぜい、馬の耳に念仏といったところだ。人権重視を訴えるユダヤ人だって、祖先は驚くほど残酷で、姦通を犯した女を捕まえると、首から下を地中に埋めて、地上に出ている顔を目がけて小石を投げつけていた。みんなで「この淫売!」と罵り、石打ちを続けながら楽しんでいたんだから、どこが「人権重視」の民族なのか? 旧約聖書の「ヨシュア記」を開くと、異民族の皆殺しがたくさん紹介されているから、日本人でもセム種族の残忍さに気付く。これはイスラム教徒も同じで、姦通罪に対する刑罰は今でも厳しい。中には激昂する男もいて、不貞女の顔に硫酸をかける奴がいる。(筆者は「化け物」になった女性の顔写真を持っているけど、これを掲載するとライブドア社から閉鎖命令を受けるので断念した。検閲は日本の至る所にあるんだよねぇ。)

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(左: イスラム教徒の女性  / 右: 石打の刑に処せられる女性 )

  国家による拷問や残虐な取り扱いは基本的に良くないが、それは「いつ」でも「どこ」でも墨守されるものではなく、時と場合によっては必要となる。広島大学に勤める極左教授の横藤田と中坂は、アメリカ軍がイラクのアブグレイブ刑務所で囚人を凌辱したことに触れ、国家権力による「非人道的な扱い」や「品位を傷つける取り扱い」を非難する。彼らは刑務所内の囚人が裸にされ、屈辱的な姿を撮影されたことに同情を示すが、テロの犠牲者になるかも知れない一般人に関しての心配は無い。そもそも、外国人のテロリストには「人権」くらいはあろうが、「合衆国公民が有する権利」は持っていない。これは刮目すべき点である。つまり、アメリカ国民は共和国の成員に付与された特権を持つが、異郷のよそ者は持っていないのだ。米国内で外人が大切にされるのは、出身国の政府が自国民の保護と平等な取り扱いを依頼するからである。無差別テロを仕掛けようとする外人をアメリカ国民と同じく扱っていたら、犯行計画の捜査が一向に捗らないし、手遅れとなれば大勢の犠牲者を出してしまうだろう。しかし、だからといって米国内で拷問を行うことはできないので、近場のキューバにグアンタナモ収容所を造り、人目を避けて悪党を締め上げていた。一方、脳天気な日本だと、破壊工作を目論むスパイを拷問どころか、処罰すらできず直ぐ保釈となる。だって、スパイ防止法に反対する議員が彼方此方にいるんだから。

必要悪となる人権無視

  日本ではテロリストを捕まえて拷問にかけることはできない。しかし、それをしなくて済むのは、日本が国防を米国に委ね、比較的治安の良い島国だからである。「人権」というのは野蛮国に対して要求する概念で、高度文明国の日本には必要ない。「せめて人権くらい・・・」と言いたくなるのは支那人に対してで、北京政府に抗議する民間人を戦車で轢き殺す連中にこそ相応しい言葉である。支那は地上最低の国なので、悠久の歴史を通して形成される「古来の自由」とか「国民の権利」といったものは一切無い。一般人なんて虫けらと同じ。殺虫剤でゴキブリを殺したって殺虫罪に問われないじゃないか。食人慣習を持つ支那人だと、「えっ?! 犬はいいけど人間は食べちゃいけないの?」と訊いてくる。日本人は人間と牛豚の区別をつけない支那人に困惑するが、食事の誡律を持たない蛮族だから、人間だってれっきとした「食材」だ。赤ん坊の蒸し焼きが旨いから食べただけである。驚く日本人の方が変だ。

  一人一人が大切にされる日本では、無意識のうちに「ひと様の権利は貴い」、あるいは「よそ様に迷惑をかけてはならない」といった考えがある。日本人が思い描く「人間」とアジアに棲息する「人間」との間には雲泥の差が存在し、月とスッポンどころの比じゃない。だいたい、天皇陛下を敬う礼儀正しい「臣民」と、支那皇帝に隷属する下劣な「平民」が同じなのか? この程度の認識すら持っていない学生だから、左翼教授に丸め込まれてしまうのだ。中坂はアメリカ軍の囚人虐待を非難する箇所で、日本の外国人登録制度や指紋押捺制度を取り上げ、定住外国人の品位を傷つける取り扱いだ、と怒っていた。(『人権入門』 法律文化社、2008年、 p.52) 反論するのもアホらしくなるけど、我が国に居坐る在日朝鮮人を管理することが、テロリストへの拷問と同じレベルなのか?  我が国に害を為す朝鮮人工作員を野放しにしておいて、受刑者の「人権」を尊重するなんて馬鹿げている。さらに、中坂は収容施設で懲罰的に行われる皮手錠や刑務所で行われる身体検査などもケチをつけ、“非人道的”で、囚人の“品位を傷つける”取り扱いだと述べていた。なぜなら、皮手錠で縛られた受刑者は犬食いを強いられるし、入所する新入りは刑務官により肛門を指で調べられ、屈辱的な扱いを受けるからだ。それなら、中坂はフィリピンやベトナム、ラオス、カンボジアの刑務所を観てこい。ゾっとするような光景を目にすることができるだろう。特に、支那の刑務所では拷問なんか当り前。受刑者が苦痛に耐えかねて自殺するんだから、まさに地獄を凌ぐ特別施設だ。あの支那人が三途の川を泳ぎたくなるんだから凄い。

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(左: フィリピンの刑務所  /  右: タイの刑務所)

  日本の法学部教授とか憲法学者の話をすると長くなるので、別の機会に譲りたいが、現在の法制度はあまりにも「人権尊重」に偏りすぎている。宗教を楯にしたテロリストは論外だが、外国人の犯罪者も堪忍できない。これから大勢の外国人労働者がやって来るという。しかし、これに賛成する国民は様々な被害を認識しているのか? 一般人は人手不足を補う「助っ人外人」と思っているが、彼らが犯罪をしでかしたとき、一体どうなるのかを考えていないのだ。もし、イスラム教徒のテロリストが無差別テロを起こしたらどうするのか?  単に道路脇を歩いていた子供や老人がクルマにはねられ、あっけなく死ぬこともあるだろう。また、帰宅途中の女性が路上で拉致され、数名の外人から輪姦されたうえに殺害されることも有り得るのだ。警察から事情を説明された家族は愕然とするだろうが、犯人が逃走して高飛びという事態も考えられるし、仮に捕まっても長い裁判になることは間違いない。「人権」を配慮された外人犯罪者には、心優しい通訳と弁護士がピタっと横に附き、公平で綿密な捜査と裁判が行われる。有罪となっても再審請求ができるし、殺人罪でも死刑になることは滅多にないから安心だ。ところが、「意外」なことに捜査や裁判の費用は日本人が払った税金で賄われる。刑務所だって「税立」なんだぞ。病気になれば治療費まで無料(タダ)ときているから、犯罪者には有利なことばかり。ところが、被害者は何年も悪夢に悩まされたうえに、毎年毎年、きちんと税金を払って極悪人に貢ぐことになる。馬鹿らしいけど、これが日本の現実だ。

  本当に腹立たしいけど、サリン攻撃で当日亡くなった人がいるのに、麻原はずっと「安全地帯」で生きながらえていた。この教祖にも「人権」とやらがあったのだろうが、もし刑務官がこれを無視してリンチを加えていたら、一般国民はどう思うのか? もちろん「処分しろ !」との批判が湧き起こるだろうが、その一方で「よくやった !」と拍手喝采する国民もいるんじゃないか。麻原のような極悪人には、生きているうちに「生き地獄」を体験させることも必要である。殺された被害者なら、あの世で「賛成票」を投じるかも知れない。民衆政を讃美する者は、死者の声も聞くべきだ。




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