教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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女系天皇を誕生させたい左翼学者

  前回、竹田恒泰が小林節に対し遠慮しがちであることについて述べた。竹田氏は自ら認めている通り、小林教授の『憲法守って国滅ぶ』を読んでいるから、恩師の皇室観がどのようなものか解っているはずだ。小林節の主張を吟味すれば、一般人でも、この対談相手には皇室への尊敬が殊のほか薄く、我が国の伝統に関する愛着が無いことに気づくだろう。竹田氏は対談本の中で糾弾しなかったが、小林節は天皇陛下よりも「国民」を上に位置づけている。すなわち、天皇陛下が我々よりも「格下」の存在になっているということだ。小林節の学説を応用すれば、「主権者」である我々は、陛下の法的地位と将来の運命を決める「権能」を持っていることになる。これは驚嘆すべき発想で、昔の日本人なら畏れ多くて、とても口にすることが出来ない。

  しかし、「天皇制は文化的遺産」と嘲笑う憲法学者には、庶民が皇室に対して抱く尊崇の念は見当たらず、彼にとっては皇室伝統など歴史の遺物に過ぎない。例えば、小林節は男系男子による皇位継承に異議を唱えている。なるほど、小林は憲法第二条、すなわち皇位の世襲制に関しては、歴史的背景を考慮して「当然」と考えているようだが、男系である「必然性は無い」と述べていた。この改憲論者は、男女平等の第21世紀において、国家の象徴を男系に限るなどということは「時代錯誤」と評していたのだ。(『憲法守って国滅ぶ』 p.135) そこで、小林節は現憲法の第二条を改正し、“性別に係わらない”皇位の継承へと変更すべき、と提唱する。つまり、皇太子殿下のもとにお生まれになった一番目の赤ん坊が“たとえ”女の子であっても、性別に関係無く将来の天皇にすべし、というのだ。小林は女帝の先例を挙げながら、皇室の慣行は時代状況の中で変わってきたし、「これからも変わって行くはずだ」と述べ、天皇制といえども男女平等の原則に照らし合わせれば例外ではないと言い放つ。(上掲書 p.136)

  小林節は実に狡猾で、脈々と続いてきた皇室の存在を認めながらも、「これからは“主権者”である国民が皇室の制度を決めるんだ よ !」と宣言していたのである。要するに、男系男子のみによる皇位継承など時代錯誤で、男女平等に反するから、遠慮無く「国民が制定法で変えちまえ !」ということだ。普通の庶民なら、こんな立法を聞けば、「傲慢不遜、陛下に対し不敬であろう !」と激怒するが、小林節は「むしろ健全な憲法感覚」と述べていた。まさしく、「国民主権」恐るべし。もし、国民を代表する議員が多数決で法案を通して、女系天皇も作り出せるとか、皇位継承順位も変更できるということになれば、国民次第で皇室を廃絶し、民主的な「日本人民共和国」の樹立も可能という訳だ。表だって小林節は皇室抹殺を叫ばないが、次のように“提案”している。

  憲法の改正に際しては、是非とも、法制度としての天皇制の存廃を皆で真剣に議論してもらいたい。今のままでは、天皇制は真の国民的合意の上に存続しているとは言えないはずである。(上掲書 pp.136-137)

  皇室の存在に関して国民の合意が無い?  もしかして、小林節の周りに居る「国民」って共産党シンパなのか? 確かに、共産主義にかぶれた大学生やジャーナリスト、進歩的文化人を気取ったインテリ層などは、皇室撲滅を叫んでいたけど、健全な日本人は決して「皇室無き日本」を望まず、皇統の永続を願っている。毎年、正月になれば、多くの国民が宮城(江戸城)に赴き、皇族の御尊顔を拝することを喜んでいるのは周知の事実。そして、何らかのイベントや式典で陛下がご訪問となれば、みんなウキウキしながら陛下のご到着を待ちわびるし、陛下に謁見できれば感涙で咽(むせ)ぶことが多い。大多数の国民が皇室を支持しているのに、改憲の際、わざわざ「国民投票にかけて皇室の存続を決めろ」、なんて狂気の沙汰である。

  日本国民は大東亜戦争の敗北で帝國陸海軍を失ったが、皇室だけは必死で守り、何が何でも残そうとした。それなのに、小林節は「国民の合意が無いから議論しろ」と言う。これはどういう了簡なんだ? 対談相手の竹田恒泰は女系天皇に反対で、男系男子の皇位継承を支持していたはずだぞ。どうして、小林教授に対し、「私はあなたと意見が全く異なります !」と言えないのか? 皇位の継承に「時代錯誤」とか「男女平等」など関係無い。竹田氏は女性天皇を誕生させたいと謀る知識人や政治家に反対し、舌鋒鋭く徹底的に反論していたのに、どうして恩師に対しては黙っているのか? インターネット放送の番組では、女系による継承を斥け、男系男子による皇統を熱心に説いていたのに、恩師については「パス(回避)」なんて卑怯だ。ちゃんと小林節の目を見据えて、きっぱりと否定すればいいじゃないか。わざと「触れない」とすれば、竹田氏には裏の顔があるということだ。

マッカーサー憲法は有り難かった?

  日本では不思議な現象があって、法学部出身者には廃憲論者が極めて少ない。いくら出来の悪い学生でも、現憲法が占領期に作成され、原文が英語ということくらい知っているはずだ。そもそも、日本人の憲法なのに、どうして外国人、しかも日本を「兇悪犯」と断罪する勝者が適当に作った草案なのに、未だにそれを後生大事にしているのか? 「私が武器を持てば再び侵掠者になってしまうので、今後一切軍隊をもちません」という詫び状なんか、さっさと捨ててしまえ ! 現憲法の前文を読めば、誰だって「こんなモノ !」と吐き捨てたくなるじゃないか。さらに、驚愕すべきは、その誕生過程である。つまり、占領軍が準備した帝國憲法改正草案を日本政府が“恭しく”戴き、日本国民が抵抗も無く新憲法にしてしまったことだ。マッカーサー草案が枢密院の審議をすぅ~と通過し、貴族院でも参議院でも圧倒的多数で可決され、再度枢密院にかけられても賛成多数なんだから呆れてしまうじゃないか。国家の基本となる憲法となれば、採決までの議論が白熱し、賛成派と反対派が拮抗するのが普通だ。たとえ、賛成されるにしても、僅差で可決されるのが通常である。なぜ、こうした異常事態が罷り通ったかと言えば、当時、日本はまだ占領期間中であったからだ。

  普通の国だと、占領軍が撤退すれば、こんな穢らわしい「桎梏」は即座に廃棄だろう。ところが、日本では不可能だった。なぜなら、東大を始めとする各大学の憲法学者が、こぞって改正と廃止に反対したからである。本来なら、法学部の教授や卒業生が、マッカーサー憲法の廃止を訴え、廃憲派の圧倒的多数を占めるはずだ。それなのに、法学部出身者のほとんどが護憲派で、憲法改正にすら消極的というのが現状である。日本の弱体化を望む憲法学者は、しきりに「マッカーサー憲法を廃止すれば社会が混乱し、軍国主義の復活になる !」と騒ぎ立てる。学者の権威に弱い一般国民がこうした警告を耳にすれば、「そうなのか ! やっぱり、廃憲は危険な考えなんだ」と思い込む。でも、実際は廃憲の方が改憲よりも簡単で、遙かに効率的なのだ。だいたい、国会議員の3分の2以上を獲得し、国民投票で過半数以上を要するなんて現実的ではない。必ずや、テレビをはじめとするマスコミの大反対が一斉に湧き起こるだろう。

  竹田氏は占領憲法の実態を知っているのに、廃憲派ではない。小林節はよほど戦前の日本が嫌いなのか、占領軍による「押しつけ憲法」でも構わないと言いのけ、呆れたことに、「いいものをくれてありがとう」と感謝の意を述べているのだ。(『憲法の真髄』、KKベストセラーズ、2018年、p.135) また、竹田氏も占領憲法の存続に肯定的である。なぜなら、敗戦後の国際世論には、ソ連につられて「天皇を消せ !」という意見もあったので、マッカーサー憲法が無かったら皇室が滅びていたかも知れないというのだ。したがって、竹田氏は「最終的に日本が残り、皇室が残り、国家として存続したことを考えれば、怪我の功名とでも言ったらよいでしょうか」と評している。(上掲書 p.135) ほぉ~んと、お坊ちゃま育ちは甘いよねぇ~。確かに、マッカーサー元帥の意向で皇室が残ったことは幸いだったが、だからといって、国家の独立と軍隊の設立を否定する置き土産を占領期間が終わっても温存する理由にはならない。竹田氏は「押しつけだから、一方的に無価値とは限らない」と述べているが、日本の衰弱を招く元兇が現憲法にあることを忘れているんじゃないか。

  護憲派も改憲派も「押しつけ」と言うが、憲法問題の核心は、左翼勢力が敗戦と占領を利用して、軍隊無き日本を狙ったことにあるのだ。左翼学者たちは米軍を憎んでいたが、日本の軍事力を封じ込める憲法を有り難く思っていた。なぜなら、敗戦後間もない頃だと、「いつかはソ連の赤軍が日本に上陸し、忌々しい愛国主義者と天皇制を叩き潰し、俺たちの天下になるんだ !」と夢見ていたからである。今となってはアホらしい妄想だが、1960年代までは共産主義国に勢いがあり、我が国のインテリどもは官僚による計画経済の方が優れていて、軍事的にもソ連がアメリカを凌ぐと信じていたのだ。赤く染まった日本の知識人は、ソ連軍が侵攻しやすいように、米軍を日本から追い出し、赤絨毯でスターリンを迎えたいと思っていた。彼らが熱心にスターリンを讃美していたのは、占領された暁(あかつき)に、「私は昔からスターリン元帥を褒めていました」というアリバイを提示するためだ。情けないけど、青瓢箪の知識人は、自分で共産主義革命を実行できないので、ロシア兵にすがって日本転覆を謀っていたのである。左翼から転向した清水幾太郎が告白していたけど、進歩的文化人どもはソ連上陸を本当に心配していたんだって。大学教授なんか、学生の前では傲慢不遜で、偉そうに説教を垂れるが、兇暴なロシア兵を前にすれば、米つきバッタのように土下座するんじゃないか。

靖國神社は本来の神道に非ず?!

  竹田氏は面と向かって指摘しなかったが、小林節には日本に対する怨念があるようだ。例えば、我が国を敗戦に導いた共産主義者の官僚や赤い軍人を批判せず、天皇陛下を熱烈に敬愛する臣民や勇敢に戦った軍人を嫌悪している。彼は大日本帝國憲法で国民が「主権者」ではなく、天皇に従う「臣民」となっていから、敗戦になったのだと考えている。小林節は「いかれた戦争」や「いかれた敗北」という言葉を以て戦前の日本を激しく非難するが、軍国主義者がいなかったことには言及しない。というより、「軍国主義者の不在」に気付いていないのかも知れないぞ。この点に関しては省略するが、第二次世界大戦に詳しかった小室直樹先生は、「日本に軍国主義者なんていなかった」と喝破した。普通の日本人が聞けば驚いてしまうが、じっくり考えてみれば、この発言には納得できる点が多くある。生前、小室先生は「戦争計画も無しに戦争を始める日本は戦争音痴だ !」と怒っていた。まぁ、憲法しか勉強しなかった小林節には理解できまい。

  小林節は一応、神道に理解を示すが、その根底には日本に対する怨みが満ちている。例えば、彼は靖國神社を「大日本帝國の徒花(あだばな)みたいなもの」と評している。(『憲法の真髄』 p. 193) そして、「靖國神社は日本の伝統神道ではなく、戦意高揚のために軍国主義用に特別誂(あつら)えされたもの」、と吐き捨てる。彼は靖國神社に「軍神」が祀られていることを挙げ、竹田氏に向かって「現代的な目的はどこにあるのでしょう?」と尋ねていた。(p.194) もう、溜息しか出ない。この憲法学者は靖國神社の英霊に何らかの現代的な「効用」とか「必要性」ないし「目的」を求めているのだ。靖國神社は爽やかな気分を味わうための水族館じゃないし、リラックス効果を図ったリゾート施設じゃないぞ。我々は国家に命を捧げた英霊に感謝するため、毎年八月になれば靖國神社に参拝し、散華した将兵を偲んで涙を流しているのだ。生きて日本に還ってきた軍人は、戦場で亡くなった戦友に再会するため靖國を訪れるし、遺族も同じ思いでやって来る。それなのに、こうした人々に対して、「現代的な目的は何ですか?」と尋ねる奴がいるのか。小林節にはマンチカンの猫パンチじゃ足りないから、マーク・ハントの右フックが必要だ。それが駄目なら、代わりにミルコ・クロコップの左ハイ・キックでもいいぞ。(これは筆者の希望だけど、蝶野正洋は山崎邦正を叩いてないで、今年こそは小林節をビンタしろ。)

  法学部ばかりじゃないけど、日本の大学が悉く左翼の巣窟になっているのは、赤い教授が長老になって学部を支配し、気に入った講師や助手を「後継者」に指定するからだ。つまり、自分の乾分(こぶん)を出世させて、自分の路線を固めているんだろう。こうした蛸壺状態だと、学界の大御所を批判する若手は育たない。というより、優秀な研究者は芽の内に叩き潰されてしまうのがオチだ。だから、法学部の実態や因襲を目にした秀才は、大学院に進まず、自分で会社を興したり、弁護士資格を取って独立する道を選んでしまうだろう。そもそも、指導教授に媚びて大学院に進むような学生には、「残りカス」のような凡才が多く、最高学府には大学教師にしかなれない駄馬が多い。悲しいことだが、一般国民は文系学部の惨状を知らないから、大学教授に過大な信頼を寄せている。特に、難しい専門用語や六法全書を暗記した学者に逢うと、「うぁぁ~凄ぉぉい ! 私なんか、半分も覚えられない」と感嘆するが、こうした学者には判断力が極めて低い、という事には気がつかない。一般人は裁判官や弁護士が「どんな」風に法律を解釈するのか、という点に着目せず、ただ難しい試験に合格したという「身分」に囚われる。ちょうど、科擧に合格した官僚を羨む支那人と同じで、難しい文章を朗読できるから「優秀」と思い込む。「何でこんな奴が最高裁判事になれたんだ?」と眉を顰めたくなる裁判官は実に多く、島田仁郎とか園部逸夫を思い出せば分かるじゃないか。それにしても、最高裁判事と言えば国家機関の要職なのに、どんな人物が任命されるのかに関心がないんだから、日本人が信じる三権分立は本当に怪しい。

  竹田氏のファンは「新刊がでたぞぉぉ !」と喜んでいるが、小林節がどんな「恩師」なのか、自分の眼で確かめてみるべきだ。対談本だけを読んでいると小林節に騙されてしまうぞ。基本的に竹田氏は左翼思想家ではないが、小林節の影響を受けた結果、無意識的に恩師の思想に染まっているのかも知れない。法学部出身者には「俺はあの難解な法典を暗記したんだ」という根強いプライドがあるので、自分の法思想に揺るぎない自信がある。でも、それが巧妙に植え込まれた赤い思想と自覚できる人物は少ない。「間違い」と気付いても、それを素直に認めず色々な屁理屈を捏ねて回避しようとするのが法律家で、死んでも面子を守りたいと考える。実に厄介な人々だ。まぁ、授業で四年間も勉強した憲法が、下らない紙屑なんて認めたくないからねぇ~。一方、憲法学者は「飯の種が無くなってしまう」と焦るから、必死になって護憲を貫くはずだ。学歴だけが自慢のインテリどもは、波田陽区に「残念でしたぁぁ~」と斬られて、素直に「あっ、そうですね」とは言えないからさぁ。余計なお世話だけど、ギター侍の波田陽区は今、何をしているんだろうか?



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