教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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公共インフラを売却する勢力

  日本の一般国民は祖か国が危機に瀕しているのに、それに気付かず、スポーツやグルメ、セックス、娯楽映像に耽っているので本当に暢気だ。政府が悪事を企てているのに、それが顕在化し、悪化するまで黙っている。身近に「害悪」が迫ってから、「役所は何をしているんだ !」と怒鳴っても手遅れ。盆踊りや花火大会なら参加したいけど、後の祭りだけは味わいたくない。そもそも、議員や役人という官族が責任を取るわけがなく、「民主主義なので、最終的な責任は有権者の皆様にございます」と言い放つ。でも、自分の責任を自覚して投票する有権者は稀だから、指摘された国民は「えっ ! 私にあるの?」と驚いてしまう。確かに、アイドル歌手のコンサート・チケットは貴重で高価だけど、役所から送られてくる投票権なんてタダ同然だしねぇ。(まるで南鮮人歌手のチケットみたいなものだ。ヤフー・オークションで10円の落札じゃぁ泣けてくる。日本のプロモーターも、朝鮮風に「アイゴぉぉぉ~」と涙ぐむんじゃないか。)

  今では明らかなように、東北大震災の惨状が起きた後、政府は原発を止めてクリーン・エネルギーを推進したが、それによる発電量は微々たるもので、原子力による電気の安定供給とは比べものにならなかった。それどころか、日本の風景が太陽光パネルの設置で無惨な姿になっている。ちょっとした空き地に人工のパネルが並べられているだけでも不愉快なのに、森林が伐採されて更地になった原野に大量のソーラー・パネルが敷き詰められているのだ。とりわけ、牧歌的な雰囲気を求めて田舎に引っ越してきた人は愕然となる。せっかくの風景が台無しになるし、緑豊かで涼しいはずの周囲にはギラギラ輝くパネルがズラリ。これじゃぁ、自宅の価値はがた落ちで、離れたくても家屋が売却できず、涙を堪えて我慢するしかない。しかも、電力会社が太陽光発電の買い取りを強要されているから、電気料金が膨れ上がっている。当初、太陽光発電の買い取り価格は1kWh当たり42円で、火力発電の1kWhで5~6円と比べたらべらぼうに高かった。最近は下がったといってもまだ30円前後なので、一般国民としては辛いところである。

  電気だけでも問題なのに、今度は水道事業が民営化されるという。低賃金に悩む日本国民は目が眩んでしゃがみたくなる。これでは蜂蜜たっぷりのワッフルを食べても無理。各自治体で下水パイプムの老朽化が懸念されているのに、民営化となれば誰が修理・交換の事業を行うのか? 民間企業はなるべく出費を避け、利益を最大限にしようと図るから、もし、下水管の取り替え作業を行えば大幅な設備投資になってしまう。必ずや、その費用を利用者に押しつけてくるはずだ。反対に、現状維持を図れば老朽化したままで、地元の利用者たる住民が困るだけ。公共料金の高騰は一般家庭だけではなく、商店や工場をも直撃するから、地域経済にとってマイナスだろう。地方自治体の水道は幾つかの会社が提供するサービスではないから、「選択」の余地は無く、唯一の供給業者と契約するしかない。つまり、一社独占だから料金が上がっても、利用者は文句を言えなくなるということだ。「嫌なら他の会社を捜せ !」と言われてしまえば終わりである。

  日常生活に欠かせない水と電気が大変な事になっているけど、日本の自然も政府によって犯されている。一般国民が注目せぬまま、今年の3月「森林経営管理法」が閣議決定され、5月に国会で可決され法律になってしまった。こうなると、僅かな面積の森林を所有する個人は辛くなる。役所は「11齢級の木を主伐してくれ」とか「森林の間伐を行ってください」と言ってくるけど、小規模所有者だと無理な相談だ。ちなみに、木の樹齢は5年ごとの幅でくくり、1~5年で1齢級、6~10年で2齢級となるらしい。森林を所有して50年くらい経つと木が伸びて11齢級になるが、業者を雇って伐採してもらうと結構な金額になる。だから、山林所有者の8割ほどを占める個人所有者だと、そう“ちょくちょく”間伐を頼むという訳にも行かないから、山林が荒れ放題となるのも致し方ない。もちろん、樹木を売って利益が出るならそうしたいが、木材価格が安いと伐採する気持ちになれないそうだ。

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(写真  /  日本の森林)

  ところが、間伐や主抜を躊躇する個人がいると、役所は「森林経営の意欲が無い人」と判断し、「意欲と能力のある林業経営者」に木を伐採するよう委託してしまうのだ。こうした行政措置を喜ぶのは素材生産業者である。伐採を委託される業者が狙っているのは、ベニアなどの合板(B材流通)と木質バイオマス(C・D材流通)に用いる原木で、製材所は生産者側からもたらされる原木を安く買い叩くことができるらしい。問題なのは、業者が購入するB材やC材の中に良質なA材が混じっていることだ。A材の原木は特に無垢材として利用され、市場では価値が高い。A材というのは、日本の気候によってのみ育成される高級品だ。我が国は温帯地域で四季があり、その上、雨の多い島国ときているから、世界的に見て良質な樹木の宝庫である。これを知っているから悪徳業者は、わざとA材の原木を伐採し、無垢材を流して差額を丸々懐に入れるそうだ。山林所有者は50年くらいで伐採せず、100年くらいかけて立派な木を育てたいと考えている。せっかく苦労して植えた杉や檜を半世紀ほどで切り倒してしまうなど実にもったいない。

  本来なら、日本の利益、つまり公益を優先すべきなのに、民衆政で選ばれる議員や試験で採用される官僚は、自分が在任する期間の利益しか考えない。また、キックバックを求める者は、「自由主義経済」とか「市場原理」、「民間の活力」といった看板を掲げて正当化を図ろうとする。大手の民間企業と結託する政治家は、とにかく自分の利益を最大化することが優先課題で、国民の将来がどうなるかは考えないし、「俺が引退した後の事は知らない」という態度を貫く。心の底で原発再稼働は必要と思っても、マスコミが騒ぐから回避しようとするし、不動産開発業者からの献金が増えるから、森林伐採と宅地開発を促進しようとする。水道管の更新は厄介だから、民間業者に丸投げして自己負担を軽くしようとするのも同じ発想からだろう。

有徳の国民をつくるには

  それにしても、なぜ国会議員や高級官僚はこうも無責任なのか? 一つ言えることは、彼らは一代限りの「エリート」だからである。政治家は当選すれば夢のような特権を享受できるが、落選すれば猿より惨めな負け犬だ。しかも、借金の返済に苦しむ生活が待っている。政治家というのは、気紛れでいい加減な有権者に自分の運命を委ねているから、落選してもいいように在任中に目一杯蓄財に励もうとするのは当然だ。官僚も同じで、いくら国民の為になるとはいえ、出世の妨げになるような事業は避けたいし、昇進に繋がる仕事に専念したいと考える。日本の名誉は鼻糞ほどの価値も無いが、天下り先だけは何としても守りぬくのが役所の鉄則だ。そのためには税金を流用しても構わないし、不正がバレても役所全体が庇ってくれるので、たとえ辞職になっても安泰である。

  現在の官僚と江戸時代の武士を比較すると、様々な点で違っている事が分かる。まづ、公務員試験という科擧で選抜されるのが今日の役人で、世襲により役職を命じられるのが武士であった。霞ヶ関の官僚は仕事の実績とは関係無く一代限りで、税金をネコババしようが失政を重ねようが、発覚しなければお咎め無し。退職してから害悪が浮上しても、恩給は取り上げられないし、投獄されることもない。「旅の恥は掻き捨て」というが、役人の恥もその場限りで、子や孫に受け継がれることはないから安心だ。ところが、世襲の武士だとそうは行かない。ヤクザが経営するキャバクラとかガールス・バーに通って娼婦を買ってしまうと、その生き恥は本人のみならず、子や孫にまで引き継がれ、親子代々世間の笑い物になってしまう虞(おそれ)がある。国民の税金や年金を食い物にした者も、その罪が嫡男に降りかかり、周囲から後ろ指を指されるからマズい。「末代までの恥」という観念があるからこそ、不正に手を染めてはならないという自覚が生まれ、公僕としての名誉を守ろうとする。しかも、切腹という処罰もあったから、端金(はしたがね)のために役職を穢そうとは思わない。

  スキャンダルを犯した政治家は、よく記者会見で「不徳のいたすところ」と口にするが、そもそも「德」を持っていたのか? 一般国民だって議員に徳を期待しないから、「あの候補者は有徳の士だから投票しよう」とは思わない。石破茂に至っては、顔を見ただけでも厭になる。あれだけマイナスのオーラを放つ人物も珍しい。それはさておき、政治における「德(ヴィルトゥ /Virtù)と言えば、イングランドの政治哲学者であったジェイムズ・ハリントン(James Harrington)を思い出す。彼は「英国のマキャヴェッリ」と呼ばれた男で、ユートピア的共和国を論じた『オシアナ(The Commonwealth of Oceana)』という書物で知られている。彼はチャールズ1世が君臨するスチュアート朝で活躍した人物なのだが、若い頃ヴェネチアを訪れ、マキャヴェッリの思想に触れたことで共和政を信奉するようになった。

  ハリントンは根っからの共和政主義者であったが、獄中のチャールズ1世に直接会って、その聡明さに惚れ込んだというエピソードが残されている。確かに、遠く隔たった下界で王様の悪口を聞けば「君主政なんか独裁政治の一種だ」と思ってしまうが、目の前で王様に謁見するとその威厳に圧倒されるし、教養溢れる会話を交わすとその人柄に魅了されてしまうものだ。チャールズ1世に接見したハリントンは、想像していた王様とは全く違った人物であったことに驚き、心の底から国王を崇敬するようになったという。そして、彼はどんな人の前でも事ある毎に国王の擁護をしたそうだ。これは共産主義者の田中清玄が、熱心な天皇崇拝者になった事と似ている。転向組の田中は昭和天皇に接する機会を得ると、その魅力に引き込まれ誰よりも深く陛下を敬っていた。迫害者のサウルが一転して、イエズスの忠実な使徒になった例もあるから、人間の感情というものは実に不思議なものである。しかし、ハリントンは共和政の思想を捨て去ることはなかった。彼は従来の君主政は破綻したと確信していたのだ。それでも、国王チャールズが斬首刑にされると、ハリントンは深い悲しみに包まれたという。

  ハリントンの政治思想で注目すべき点は、政治の主体を武装した独立自営農民に置いたことだ。ハリントンが生きた第17世紀のイングランドは、護国卿のオリヴァー・クロムエルが引き起こしたピューリタン革命で揺れ動く混乱期であった。何しろ、王権神授説を固持するチャールス1世が君臨し、その周りには君主の恩顧や賞与に群がる廷臣がいて、諌言すべき貴族も国王の権威に反抗せず、かえって媚びるような態度を取っていたのだ。それゆえ、イングランドの国内には不満が鬱血し、王国は政治的危機に瀕していた。英国でも君主政と貴族政、および民衆政が均衡を保って連携する混淆政体(mixed constitution)が理想であったが、実際は君主の傲慢さと貴族の諂いが日常となっていた。そこで、ハリントンは古来の国制を恢復(かいふく)すべく、臣民の德を強調したのである。とは言っても、有徳の個人が政治を担うためには、どうしても教養と財産を持つことが前提条件となる。そこで、安定した基盤となる土地保有が鍵となってきたのだ。

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(左: ニッコロ・マキャヴェッリ   / 中央: ジェイムズ・ハリントン  /  右: チャールズ1世 )

  当時のヨーロッパでは、貴族に率いられた庶民が戦う事もあったけど、傭兵を用いて代理戦争をさせる君主も多かった。しかし、お金で雇われた軍隊は真剣に戦わず、適当な戦闘を“演じ”てお金をせびる方に熱心だから、思ったような戦果は期待できない。そもそも、本気で戦ったら命が幾つあっても足りないし、棺桶に入ったらせっかくの大金を使えないじゃないか。報酬ばかりねだる傭兵隊長は碌でもないが、職業軍人を雇って防衛を丸投げにする国家も情けない。確かに、商業で儲かった都市国家には、兵役を厭がる公民が多いから、どうしてもお金で苦役を免れようとする。自国の安全を他人任せ、と聞けば現在の日本みたいだが、マキャヴェッリが生きたイタリアも似たり寄ったりだった。やはり、自分の領土は自分たちで守らねば、本当の安全を得る事はできない。安定した国制にするためにハリントンが提唱したのは、公民による武器の保有である。(J.A.G. Pocock, The Machiavellian Moment, Prineton University Press, Princeton, 1975, p.385)

  ハリントンによれば、権力の配分と公民的德の発揮にとって、武器の保有は極めて重要であった。そして、こうした武装公民は不動の財産に基づくべきとされ、自由土地保有者であるべし、と考えられていた。封建的土地所有だと、領主に従って生きることになるから、真に自由であるとは言えず、どうしても従属的状態になってしまうのだ。だから、非依存的な保有権の土地所有が武装の物質的基礎となっている。(Ibid., p.390) 現代人の感覚からすれば、財政的基盤を貨幣や商売に求めてもよさようなものだが、武装した独立公民は国土に根づく戦士でないと頼りにならない。利益で動く商人は、どうしても厄介事を金銭で解決しようとするので、精神の腐敗を招きやすく、無自覚な売国奴になりやすいのだ。

  武装した独立公民は、また、常備軍を有する君主に対する防禦となり得る。アメリカの入植者たちがチャールス1世を嫌ったのは、この王様が直属の軍隊を用いて議会を制圧しようとしたからである。国防軍が君主に忠誠を誓う私兵だと、人民よりも国王に従ってしまうので、庶民は国王の武力に怯え自由を失う破目に陥ってしまうのだ。アメリカ大陸で共和政を樹立した建国の父祖が懸念したのは、最高行政官(執政官)が支配する常備軍の誕生である。つまり、合衆国の軍隊は大統領が私有する軍隊ではなく、民衆を代表する元老院、すなわち議会のコントロール下にある軍隊というわけだ。武装した公民は大統領のためではなく、皆の衆という国家(レス・プブリカ)のために戦い、戦争を決めるのは議会である。

  こうした共和政原理を教えてもらえば、フランクリン・D・ローズヴェルト大統領の政治手法が、いかに非アメリカ的だったかが分かるだろう。何でも自分の思い通りにしたかったローズヴェルトは、あれこれ文句を垂れる議会が嫌いで、反抗的な議員を説得するのが苦手だった。それでも、ユダヤ人を助けたいから、直ぐにでも対独戦争をしなれればならない。ところが、当時のアメリカ輿論は戦争反対に満ちていた。だから、何らかの口実が必要となる。そこで目を附けたのが“おっちょこちょい”の日本人。ローズヴェルトが仕掛けた真珠湾攻撃の罠はご存じの通り。アメリカ国民にとり大統領の裏切りはショックだが、憲法の基本である三権分立を蹂躙したことも見逃すことはできない。なぜなら、議会が検討する前に、大統領が開戦を決めていたからだ。日本軍の奇襲攻撃を誘導する事で輿論を激昂させ、議員たちに反論できなくさせたことは、大統領がカエサル(皇帝)になったことの証しである。一旦戦争が始まれば、軍隊は大統領の専有物となるから、好きなように将兵を動かせるし、議会を従属させることも可能である。戦況に一喜一憂する国民は、どうしても最高司令官たる大統領の言動に注目するから、もはや大統領は元老院に従う執政官ではなく、元老院を配下に置く独裁官になってしまうのだ。

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(左: フランクリン・D・ローズヴェルト  / 右: 戦闘で亡くなったアメリカ兵の葬式 )

  現在のアメリカを見れば分かる通り、中流階級のアメリカ白人は、軍隊で「德」を発揮することを嫌がっている。かつて共和国の支柱と見なされていたアングロ・サクソン系の公民は、快適な生活を優先して蓄財に励むため、大学で経営や法律を熱心に学んでいる。頭の良い白人学生は、兵卒になったら「こき使われるだけ」と分かっているので、陸軍や海兵隊に志願する者は少ない。「使い捨ての駒」と分かっていながら入隊するのは、不法移民の家庭に生まれたヒスパニックの若者とか、医療保険に加入できない貧しい黒人で、命と引き替えに社会保障をもらって喜んでいる。建前上は市民兵でも、実質的には傭兵と同じだ。軍隊の訓練は辛いけど、入隊すれば特典も附いてくる。例えば、低所得の家庭に育った現役兵や退役兵でも、軍からの学費ローンや支援金をもらえるから、憧れの大学に通うこともできる。こうして見ると、南米からの移民は軍役を経てローマ市民権を獲得した属州民とソックリ。昔から住んでいるアメリカ人は怒るけど、軍隊で「德」を発揮することは私生活においても「得」である。

  軍隊を持たない日本人は、国防を自衛隊に任せっきりで、国家防衛の当事者という意識すら無い。最重要の国防に関心が無いんだから、政治における公共善に関心が薄くても当然だ。もし、一般の日本国民が少しでも軍隊の経験を持てば、「何を守っているのか」や「守るべきものは何なのか」という意識が芽生えてくる。自分が命を懸けて守る対象が明確になれば、侵掠されている国土や権利、国籍などに目が向くはずだ。日本国民に政治的関心が薄いのは、国家的課題が“他人事”になっているからである。明治維新を成し遂げた日本人が偉かったのは、国家と自分の運命を一体化させ、祖国や同胞との絆を大切にしていたからだ。ところが、現代の日本人は支那人に北海道や沖縄を侵掠され、朝鮮人に竹島を占領されても黙っている。ここまで堕落した日本人なら、北池袋や新大久保、西川口を見て奪還しようと思うはずがない。地方自治体の首長に至っては馬鹿の2乗3乗となっている。街にアジア人が増加すれば地域活性化になるから、進んで多民族主義を応援しているそうだ。電気・水道といった公共インフラを運営するのが支那系企業で、政治家や官僚が朝鮮系になったら日本はどうなってしまうのか。目先の利益しか頭にない一般国民にとって、身近な関心といったら、ユニクロでボーターTシャツが特売になっている事くらいなんだから



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