教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !

知事が判断する差別表現

hate crimes 1Koreans in Protest 3








  今週、東京都議会がヘイトスピーチに関す規制条例を賛成多数で可決したという。この条例が実施されると、都知事が特定の人種や人物に対する差別に当たるのかを判断し、もし該当するとなれば、差別主義団体(あるいは個人)の名前を公表し、公共施設の使用を制限したり、ネット動画の削除を要請できるそうだ。LGBTをめぐる『新潮45』の騒動も後押しになったのか、都議会の人権派は熱心に差別撤廃を訴えていたから、ボンクラ議員もそれに付和雷同し、「みんな賛成」で通過したのだろう。大抵の議員は「差別」という言葉に弱く、言論の自由を守るより、自分の評判を守ることに必死である。もし、国民の自由を守るために人権派と対決するとなれば、朝日新聞や毎日新聞、東京新聞、NHKからテレビ東京までの大手メディアを敵に回すことになるし、理由もなく「レイシストの味方」とレッテル貼りをされるから、この件に近づかない方が悧巧と考える。第一、言論の自由を守ったからといって、いったい何票の得になるというのか? 選挙の時、普通の都民はそんな権利擁護を考えない。むしろ、「あの右翼みたいな議員さんね !」と思い出し、綺麗事を語る左翼候補の方に投票してしまうのだ。

  こうした憎悪規制条例は人権活動家や朝鮮系左翼にとって有利な武器となる。というのも、保守派はインターネットの動画やブログ、あるいは総合雑誌で自分の意見を表明し、有害な活動を展開する反日分子を“言論”で批判する事を常とする。一般的に保守派言論人の多くは、共産主義者や左翼学者、ゴロツキ活動家から批判されたからといって、裁判に訴え「名誉毀損だ」と騒ぎ立てようとは思わない。しかし、在日鮮人や朝鮮系帰化人、および各種の反日勢力は、「民族差別に基づくヘイトだ !」とわめき散らし、法廷や役所、議員事務所に押しかけて、法的に叩き潰そうとする。彼らは言論で勝負すれば確実に負けると思っているから、堂々と議論を闘わせることはしないのだ。もし、雑誌の記事で批判されれば、その執筆者に対する反論を書くことはせず、代わりに「偏見だ ! 差別だ !」と騒いで、雑誌そのものを廃刊に追い込もうとする。地上波のテレビ局とグルになった左翼陣営は、雑誌のスポンサー企業にも圧力を掛けるので、イメージ・ダウンを恐れる広告主が雑誌社から撤退しようとするのも無理はない。

  また、「ヘイト」かどうかを判断するのが都知事というのも危険な兆候だ。どこの知事も大衆迎合型の政治家だから、たとえ国益派の人物が正論を吐いても、朝鮮人や支那人に関する批判記事となれば、日本擁護の言論は「差別を助長する偏見」と判断されてしまう。とりわけ、支那人や朝鮮人の正体を暴く告発や、特定アジア人にとって都合の悪い暴露記事というものは、多かれ少なかれ批判される民族の感情を害するので、直接関係が無い人でも不愉快になる。例えば、在日南鮮人が殺人や強姦を犯したとき、その容疑者の国籍や経歴、本名を公開すると、朝鮮人全体のイメージが悪くなるので、朝鮮系活動家は目くじらを立てて怒り出す。そして、この扇動家に追随する一般鮮人も、詳しい事情を知らないけど、感情的になって憤慨するはずだ。しかし、なぜ彼らは犯人の素性に敏感となるかには触れようとしない。いや、触れたくないのだろう。どの民族にだって悪人はいるもので、朝鮮人だけが特別に犯罪者という訳でもあるまい。それでも、朝鮮人は日本人からの拒絶反応に苛立ってしまうのだ。というのも、朝鮮人自身が昔の「不逞鮮人」を覚えており、その過去が蒸し返されるのを恐れているからだろう。都知事だって朝鮮人関連のイザコザはヤバい、と判っているので、“弱者”とされる朝鮮人の味方になって、“レイシスト”の日本人活動家を懲らしめる。そもそも、都知事というのは日本の政治家なのに、保身のために我が国を憂う同胞を敵と見なすんだから、「どっちの立場なのか」と問いたくなる。

  ヘイトスピーチ規制法ができると、国家・国民を大切にする保守派は窮地に立つ。歐米諸国と同じく、日本でもテレビや新聞は左巻きで、保守派は右翼か軍国主義者、国粋主義者と相場が決まっており、吊し上げの対象でしかない。ところが、エスニック団体とか同性愛者、性転換者、共産党系の人権活動家、左翼弁護士、ピンクや深紅の大学教授などは固い絆で結ばれた非公式の「盟友」で、この「仲間」が攻撃されたときは援護射撃をするのがメディアの「掟」となっている。朝鮮人擁護を社是とするNHK、TBS、フジテレビ、朝日新聞、東京新聞、共同通信などを見れば解るじゃないか。LGBTをめぐる論争となれば、こうしたメディアは必ずゲイやレズビアンの側に立って社説を書くし、ニュース解説者や論説委員は“偏見と差別”に満ちた「右翼」を叩く。メディアはいくら左翼偏向でも、自称「公平中立」だから、断片的な知識しかない一般国民は、やはり大手メディアの方を信じてしまうのだ。笑ったら失礼だけど、未だにNHKが最も信頼できる情報源と考えている一般人は意外と多い。「CMが無いから高級」と考える国民には附ける薬が無く、朝日新聞を読んでも平気な中高年層は、早めに来世に旅立ってもらうしかないけど、こんな人に限って長生きなんたよねぇ。

臆病になった国民と勇気をふるう国民

  アメリカでもヘイトスピーチの規制は厳しく、マスメディアは「弱者」に味方するが、その際にも「さじ加減」というか、独自の「好み」が存在するという。或る二つの殺人事件が起きたが、メディアの扱い方には違いがあった。1998年六月に高校中退者のアーロン・マッキニー(Aaron McKinney/ 22歳)とラッセル・ヘンダーソン(Russell Henderson / 21歳)は、ワイオミング大学に通うマシュー・シェパード(Matthew Shepard / 21歳)とララミーにある酒場で出逢った。目撃者によって多少の食い違いはあるものの、三人は酒場を出ると、ピック・アップ・トラックに乗り、人気の無い場所に向かったそうだ。法廷に現れたヘンダーソンの証言によると、相棒のマッキニーが急にシェパードを殴りだしたそうである。そして、通りを外れた場所に辿り着くと、ヘンダーソンとマッキニーはトラックからシェパードを引き摺り出し、彼の両手を背後で縛り、近くにあったフェンスに引っ掛けたそうだ。シェパードの足は地面から数インチ浮いていたそうで、ヘンダーソンとマッキニーは彼の金銭を奪うと、猛烈に殴り始め、スミス&ウエッサンのマグナム拳銃で18回も殴打されたという。18時間後、シェパードがレジー・フラッティー保安官に発見された時、彼はまだ生きていたが、六日後に息を引き取ったそうである。

Russell Henderson (L) & Aaron McKinney (R)Matthew Shepard 2









(左: ラッセル・ヘンダーソンとアーロン・マッキニー  /  右: マシュー・シェパード)

  それからに三週間後に、別の殺人事件が起きた。38歳のケヴィン・ロビンソン(Kevin Robinson)は、15歳のダフネ・サルク(Daphne Sulk)殺害の容疑で逮捕されたという。惨殺され、冷たくなったダフネの遺体は、ララミーにある丘で発見されたそうだ。ロビンソンの供述によると、あるグループの会合で知り合った二人は密かに交際を化されたが、ある日、彼女が妊娠したことで口論になったらしい。しかし、ダフネが堕胎を拒否したので、激昂したロビンソンは彼女を17回も刺し、血を流すダフネをそのままにして、雪で覆われた丘に遺棄したという。何とも酷い刺殺事件だが、アメリカでは珍しくない犯罪である。

  二つの殺人事件は同じ地域で起きたにもかかわらず、その報道は違っていた。マシュー・シェパードの事件は全米ネットワークで大々的に報じられ、『タイム』誌の表紙にもなったくらいで、「ヘイト・クライム」を代表する事件であった。しかも、演劇やTVドラマにもなったというから、マスコミの情熱といったら相当なものである。それにしても、マスコミはなぜこれ程までに騒いだのか? それはシェパードが同性愛者であり、ヘンダーソンとマッキニーが異性愛好者(heterosexual)であったからだ。左翼偏向のリベラル・メディアにとって、同性愛者は鄭重に扱うべき「弱者」で、その少数派を痛めつける者は極悪人となる。一方、ダフネ・サルクは“か弱い”女性なのに、その死が雑誌のカバー・ストーリーになることはなかった。当然、TVドラマ化されることもなければ、ロウソクを掲げた追悼集会すら催されることはなかった。なぜなら、ダフネは中絶を拒否したことで殺されたからである。そして、驚いてしまうけど、ロビンソンによる兇行が「ヘイト・クライム」のレベルに達していなかったからだ。1990年のヘイト・クライム統計法によれば、「ヘイト・クライム」というものは、特定の人種や宗教、出身民族、身体障碍、性的嗜好に対する偏見が動機とされている。ダフネの事件はこの定義に該当しないから、「ヘイト・クライム」ではないとされたのだ。( Tammy Bruce, The New Thought Police, Pima Publishing FORUM, Roseville, 2001, pp.36-37)

Daphne Sulk 1(左  / ダフネ・サルク )
  しかし、17回も刃物で刺されれば、憎しみによる殺人じゃないのか。ゲイを撲殺することと、妊婦を刺殺することは、どちらも残虐な兇悪事件であり、とうてい赦されない犯罪であるはずだ。それなのに、同性愛者のシェパードは可哀想で、中絶を拒んだダフネはどうでもいい、なんて酷いじゃないか。マスコミは命の重さに等級をつけている。これは筆者の邪推になるが、もしダフネが黒人女性で、殺人鬼のロビンソンが白人だったら、各マスコミは大々的に取り上げ、全米ネットワークで特集を組むほどの事件にしたはずだ。米国のマスコミは犠牲者が白人だと冷淡で、白人による黒人の殺害だと蜂の巣を突いたように騒ぐ。緊急特番にでもなれば、黒人牧師のジェシー・ジャクソンとか黒人活動家のアル・シャープトンがコメンテイターとして招かれ、黒人に同情するキャスターと一緒になって白人社会を糾弾したはずだ。以前、当ブログで紹介した「ノクスヴィル殺人事件」を思い出してもらえば分かるが、「ヘイト・クライム」とは白人が黒人に危害を加えた時に発生する犯罪で、黒人がどれほど白人を憎んで殺しても「憎悪犯罪」にはならない。

  日本でも同様で、日本人が朝鮮人に危害を加えれば「ヘイト・クライム」だし、支那人を激しく批判すれば「ヘイト・スピーチ」となる。ところが、在日や帰化の朝鮮人が皇室を侮辱しても「侮辱罪」にはならないし、「ヘイト・スピーチ」にも該当しないのだ。なぜなら、朝鮮人や支那人には「言論の自由」が保障されており、日本人が彼らを咎めれば、その譴責は少数派の「自由」と「人権」への弾圧と見なされる。日本人が朝鮮人の過去を暴けば、たとえそれが歴史的事実でも「民族差別」になってしまうし、多発する支那人の犯罪を糾弾すれば、支那人への民族的偏見とされ、警告を発する日本人の方が悪者となってしまうのだ。先進国の国民は厄介事が嫌いなので、泣き叫ぶ異邦人とか左翼分子に阿(おもね)り、何でもいいから直ちに彼らを宥めようとする。「寛容」を理想とする人々は、図々しいマイノリティーと対峙せず、自分が譲歩すれば「丸く収まるんだから」と考え、理不尽な要求でも飲んでしまう傾向が強い。自由を尊ぶ先進国の庶民は、憎悪に満ちた異民族に弱く、自ら進んで貴重な自由」を放棄し、祖国を「不自由」な社会に変えてしまうのだ。気がついた時には、社会的弱者が支配者となっており、主流民族であった現地人が下っ端になっていたりする。勇気を失った国民とは、自由のために闘うことを断念した人々で、卑屈な人生が相応しい下郎でしかない。自由を尊ぶ日本人なら、非難を恐れず反日分子を叩き潰すべきである。



人気ブログランキング