教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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救いようのない親
Amy Biehl 5
(左  /  エイミー・ビール)
  前回、南アフリカで殺害された白人女性について述べたが、今回は同じ殺人でも異常な遺族について紹介したい。時は、1993年の8月。アパルトヘイトが徐々に消えて行く南アフリカ共和国は、全人種を含めた初の民衆選挙を実施しようとしていた。(1994年には、アフリカ民族会議「ANC」が勝利して、ネルソン・マンデラが大統領になる。) 当時、26歳のエイミー・ビール(Amy Biehl)はフルブライト奨学金を得てウェスタン・ケープ大学に通うアメリカ人学生だった。 彼女は一年間の留学を終え、ルトガーズ大学で博士課程に入るため、二日後にアメリカへ戻るつもりだったという。しかし、この女子大生に突然の不幸が襲いかかった。1993年8月25日、彼女がケープ・タウン郊外にあるググルツを自動車で通行した時のことだ。街は選挙前で騒然となり、黒人どもが暴れて大騒ぎだったけど、軽率なエイミーは不用心で、愛車のマツダを走らせてググルツを抜けようとした。

  ところが、汎アフリカ会議(Pan Africanist Congress / PAC)に属する黒人達が、エイミーのクルマを見つけてしまい、ここで彼女の運命は急展開。兇暴な黒人どもは、煉瓦を手にしてクルマの窓ガラスを破壊し、さらにエイミーの頭を狙って投げつけた。慌てたエイミーは慎重に襲撃を逃れようとしたが、暴漢どもは彼女のクルマを取り囲み、「定住者一人に、銃弾一発」と叫び、「アフリカ人のためのアフリカ !」と囃し立てたという。そして、彼らはエイミーに向かって石を投げつけ、さらに彼女をナイフで刺して死に至らしめた。(Elizabeth Lowry, "We Are Not Such Things by Justine van der Leun review", The Guardian, 28 July 2016) 黒い兇悪犯どもはエイミーがアメリカ人とは判らなかったようだが、憎いアフリカーナと同じく、金髪を靡かせた白人だから、結局どうでもよかったのである。「白人なら誰でもよかった」という殺人事件は、理由が有るようで無い犯罪と言えよう。日本には国際関係学部とか社会学部に入って、多民族主義に染まってしまう単純な大学生が沢山いるけど、こういうアホ学生は一度アフリカに住んでみるべきだ。丸腰で黒人街を歩けば、身に沁みて恐怖を理解できるだろう。(案外、帰国した学生の中には改心して国防意識に目覚める者や、日本の良さを再確認する者が出てくるかも知れないぞ。)

  この殺人事件は即座に国際ニュースとなった。ところが、事件そのものよりも、エイミーの思想や彼女の両親の方に驚くべき事実があった。もう本当に呆れてしまうけど、裕福な家庭に育ち、奨学金を貰うほどの優等生だったエイミーは、高校時代にネルソン・マンデラの話を聞いて感動し、白人至上主義に対して闘おうと決意したそうだ。(世界には七不思議以外の驚異があるらしく、こうした「死に至る病」には様々なバリエーションがあるらしい。) ほとんどのアメリカ人は知らないけど、マンデラはソ連と通じた邪悪な共産主義者で、白人に不満をぶつけるだけの無能黒人だった。(マンデラの罪はイラーナ・マーサーIlana Mercerの著書『Into the Cannibal's Pot』に詳しい。マンデラが権力を握ってからは、約30万人が殺害されたし、不正や腐敗、暴力が横行し、AIDSなどの病気も蔓延していたから、どこが「デモクラシー万歳」なのか解らない。日本の大学教授は有益な洋書でも、都合が悪いと翻訳しないから、一般の日本人はマーサーの著作があることすら知らないのだ。下らない洋書でも左翼系だと岩波書店とか明石書店が直ぐ翻訳するんだけど。) アメリカのCBSやCNNといった主要メディアは、提灯番組を作ってもKGBとの繋がりは報道せず、ただアパルトヘイトに立ち向かう黒い英雄と讃えるだけだった。それなら、過激派フェミニストで公民権活動家のアンジェラ・デイヴィス(Angela Yvonne Davis)とネルソン・マンデラを取り上げればいいのに、アメリカの大手メディアは何故か素通りしようとする。まぁ、モスクワ大学で名誉博士号を授与されたり、レーニン平和賞をもらった黒人極左じゃマズいのかも知れない。たぶん、アメリカにはバラク・オバマのような黒い赤色分子が多いから、“良心的”なリベラル・メディアは出来るだけ隠したいのだろう。

Nelson Mandela 1Angela Davis 2Ilana Mercer 2








(左: ネルソン・マンデラ  / 中央: アンジェラ・デイヴィス  /  右: イラーナ・マーサー)

  脱線したので話を戻す。エイミーは典型的な名門大学ご卒業の「お嬢様リベラル」で、南アフリカに留学したのも、民衆政へ移行する国家における女性の権利を勉強するためだったという。事実、彼女はANC傘下の「全国女性同盟」のメンバーで、黒人解放運動を支持する活動家でもあったのだ。「馬鹿は死ななきゃ治らない」というが、人権とかフェミニズム、人種平等といった左翼思想を注入されたエイミーは、殺されてから現実を学んだことになる。アメリカには高学歴でも馬鹿は多い。事実、エイミーは高校の卒業式で代表演説を行うほどの優等生で、進学したスタンフォード大学ではナムビアの独立に関する論文を書いて表彰されたという。こうしたスタンフォード大を卒業し、フルブライト交換留学生となった才女は、デモクラシーを知らない南アフリカの黒人を助けるべく、現地で選挙登録の“お手伝い”をしていたそうだ。空条承太郎じゃないけど、「やれやれ」と言いたくなる。もし、エイミーが日本に留学すれば、同種族で暮らす幸せと、人種混交で失敗したアメリカを理解できたのに、よりにもよって黒人の天下となったアフリカに留学するなんて。まるで自ら不幸を招き寄せたような愚行である。

Linda & Peter Biehl 11(左  /  マンデラと会談したビール夫妻)
  アホな子供を見ると、「親の顔を見てみたい」と思うのが日本人だ。ということで、エイミーの両親はどんな人物かと思いきや、これまた裕福な上層中流階級の夫婦ときている。父親のピーター・ビール(Peter Biehl)はマーケット・コンサルタントで、母親のリンダ(Linda Biehl)は、かつてニューメキシコ州のサンタ・フェでアメリカン・インディアンのアート・ギャラリーを経営していたそうだ。こういう家庭背景を聞くと、エイミーがリベラル学生になったのも何となく理解できる。経済的に恵まれた家庭に生まれ落ちた白人娘が、両親から大切に育てられ、毛並みの良い学校に通って優等生になるのは自然だ。でも、こうした学校秀才は、兇暴な黒人が群れるシカゴとかブロンクスの実態を知らず、観念的な平等とか社会正義といった空念仏に共鳴する事が多い。エイミーは安全なサファリ・パークで獰猛な野獣を観ても、一向に恐怖心を覚えず、「可愛い動物」と笑顔で見学する子供と同じだ。世間知らずの小娘が、一旦リベラル思想に染まったら始末に負えない。いくら白人であっても、自分が心を開けば黒人も心を開いて友達になれる、と本気で思っている。こうした女性は強姦されるまで、現実の人種問題が分からない。

Amy Biehl's killers 12(左  /  エイミーを殺した黒人達)
  エイミー殺害の捜査を行った現地の警察は、間もなく犯人を突き止め、四人の容疑者を逮捕した。拘束されたのはウスムジ・ンタモとモンゲジ・マンクィナ、イージー・ノフェメラ、ントベコ・ペニで、彼らはPACの武闘組織「アフリカ人民解放軍」のメンバーだった。(Paul Hopkins, "Embrace for her daughter's killer, Independent Ireland, July 6, 2008) この殺人鬼どもは法廷で裁かれ、18年の懲役刑を言い渡されたという。ところが、1997年、彼らは「真実と和解の委員会」に陳情して恩赦を求め、それが通ってしまったのだ。というのも、この裁定にエイミーの両親が反対しなかったからである。つまり、ビール夫妻は娘が南アの民主政治を望み、その促進を尊重していたから、殺害者の恩赦に異議を挟まないというのだ。普通の日本人だと「えっ、何それ?」と驚いてしまうが、左翼リベラリズムに汚染されたアメリカ人は健全な精神を失っているので、非常識を異常とは思わない。

  ビール夫妻が娘の死を哀しんでいたのは確かで、彼らは娘の意思を継いで南アフリカに貢献しようと、1994年に「エイミー・ビール財団」を創設した。ところが、驚いたことに、ビール夫妻は娘を虐殺したイージーとントベコの二人を財団に迎え、役職を与えたのだ。殺人鬼を赦すリンダ夫人の思考様式は、日本人の常識を越えていた。彼女は明確な理由を述べなかったが、簡単に言えば、犯人達はアパルトヘイトの被害者で、PACの政治家達に踊らされて暴動に及んでしまった、というのだ。この母親の説明によれば、「若者としての彼らはある状況の下で、すなわち恐ろしい制度の下で利用されたのだ」という。(Linda Vergnani, "Parents of slain Fulbright scholar embrace her cause in South Africa", The Chronicle of Higher Education, 19 January 2001.)

Amy Biehl's killer & Linda 2Linda Biehl 13









(左: 殺人鬼と抱き合う母親のリンダ  /  右: 南アフリカの子供達と親睦を深めるリンダ・ビール)

  「罪を憎んで人を憎まず」というが、普通なら殺してやりたいくらい憎むはずだ。それなのに、娘の死は白人によるアパルトヘイトが招いたことなんだ、と解釈し、殺された娘も危険を承知で留学したんだから、と考えるリンダ夫人には救いようが無いというか、彼女の頭はどうかしている。確かに、死んだ娘を生き返らせるのは不可能だ。それゆえ、目の前の現実を受け止め、なるべく肯定的に考えようとするのも分かるけど、なにも下手人を赦して抱擁することはないじゃないか。イージーとントベコは遺族に赦しを求め、ビール夫妻はそれに応じたという。信じられないけど、娘を失ったリンダ夫人は「彼らと一緒にいると、エイミーが直ぐ側にいるように思えるの !」と述べ、「彼らはとても魅力的で、私は本当に好きだわ」と語っていた。もう、返す言葉が無い。「ルーピー」というのは鳩山由紀夫が初代ではなかったのだ。人種平等主義とか白人罪悪史観、デモクラシー礼讃といった思想を刷り込まれたアメリカ白人は、人間が持つ本能を去勢され、「復讐」という感情を失っているのだろう。まともな日本人の親なら、娘を殺したケダモノと一緒の空気を吸うことすら嫌で、自分の手で殴り殺すか、必殺仕置人を雇って抹殺する方が普通だ。昔のアメリカ人なら、犯人を生け捕りにして、三日三晩眠らずにリンチを行い、最後はカミソリでペニスを切り取って、その口に詰め込み、木に縛り付けて出血死を待つ。恨み骨髄の復讐なら、これくらいしなきゃねぇ。

Amy Biehl 6Linda Biehl 12









(左: 黒人の子供を世話するエイミー  / 右: 更生した犯人と一緒のリンダ )

  ところが、どっこい、ピーターとリンダ・ビール夫妻は、リベラル的アメリカ社会を象徴するような重症患者であった。大切に育てた娘の仇を討たず、財団を創って南アフリカの子供達を助けようなんて、脳天気というより脳神経が麻痺している。彼らの脳味噌を雀に移植すれば、背泳ぎの如く後ろ向きに飛ぶんじゃないか。日本と同様に米国でも高学歴者は「頭がいい」と思われているが、実際は洗脳教育を受けて馬鹿になった者が多い。一般的に名門大学を出れば「エリート学士」と見なされるが、物事の判断力が優れているとは限らず、頼りにならない場合がしばしばある。草原を走る野生の馬なら周囲の異変に敏感だけど、生まれた時から人間に飼育された家畜は野生の本能が鈍っている。それでも馬や鹿なら恢復(かいふく)の可能性はあるけど、リベラル思想を注入された大学生だとお手上げだ。本やパソコンを積んだからといって、駄馬が“駿馬”にならないのと同じ。人間だともっと始末に悪い。

  エイミーが虐殺されたのは誠に悲しい事件であったが、その母親がハッピー馬鹿であったことは更に哀しいことである。もし、彼女が保釈された犯人を前にして半狂乱となり、汚い言葉で罵っても我々は驚かないだろう。むしろ、その姿の方が“自然”に見える。また、亭主のピーターも異常だ。普通の父親なら、釈放された黒人どもを襲撃し、晴らせぬ恨みを抱きながら黒いケダモノを嬲(なぶ)り殺しにするんじゃないか。でも、この父親は冷静な態度を保ち、寛大な心を以て犯人たちを赦す。こんなの日本人では考えられない。仇討ちを「当然」と考えていた昔の日本人は健全だった。悪いことをした者に制裁を加えるのが正常な人間で、左翼人権思想というのは人間の感情を侵蝕するウィルスのようなものである。高学歴者になるほど、この自覚症状が無いんだから、これこそ本当の悲劇である。




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