教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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空想の殺人

elizabeth montgomry 7(左  /  「奥様は魔女」の出演者)
  日本でも好評を得たアメリカのTV番組に、『奥様は魔女(Bewitched)』というシリーズ・ドラマがあった。たぶん、チャーミングな魔法使いを演じたエリザベス・モンゴメリ(Elizabeth Montgomery)を覚えている人も未だにいるんじゃないか。今にちでは想像できないけど、1960年代末から70年代にかけてのアメリカは眩しかった。『奥様は魔女』の設定は、そんな良き時代のアメリカを映しており、新婚ホヤホヤのカップルが、まだ若いのにちょいと洒落た郊外に大きな一軒家を構えている。リビング・ルームには来客用のソファーが置かれ、キッチンを見ると七面鳥を丸ごと焼ける程のオーブンや、大型の冷蔵庫、二階には寝室と子供部屋があるんだから、団地住まいの日本人にしたら羨ましい。しかも、可愛らしい赤ん坊まで生まれて幸せいっぱい、ときている。日本のホーム・ドラマだと、あまり奇抜な設定はなく、たいてい『渡る世間は鬼ばかり』みたいな作品が多い。

  でも、若い女性の視聴者は、スリルとロマンを交えた不倫ドラマを求めていた。ということで、民放はその要望に応え、『金曜日には花を買って』(1986)とか『くれない族の反乱』(1984)を提供し、お茶の間の奥様方は禁断の不倫を楽しんでいた。しかも、役者が豪華だったから、世の女性達がうっとりするのも無理はない。前者のドラマだと、主演の篠ひろ子が人妻を演じていて、昔別れた恋人を偲ばせる世良公則と恋に落ちる。確かに、亭主役が板東英二だから、美人妻が若くてハンサムな青年に靡くのはよく分かる。お茶を啜りながら観ている中高年女性も、「私だって世良さんが相手なら、たぶん・・・いや絶対不倫しちゃうなぁぁ~」と溜息をつく。20代の女性だって人気ロック・ミュージシャンが相手なら身を委ねたくなるだろう。一方、後者のドラマでは、大原麗子が亭主に不満を募らせる人妻を演じ、百貨店の食料品売り場でパート従業員を務める役だった。しかし、その売り場を監督する上司は田村正和。オバちゃん達は「きぁぁぁ~!!」と歓声を上げる。天下の二枚目がデパ地下の担当なんて信じられない。普通は、角野卓造とか岡本信人、更に質を落としてカンニング竹山、といったところだろう。一般人の主婦が正和様のような色男にジっと見つめられたら、家でゴロゴロするだけの亭主なんか直ぐに忘れちゃうだろうなぁ。

田村正和 大原麗子篠ひろ子 1









(左: 田村正和と大原麗子  /  右: 篠ひろ子)

  脱線したので話を戻す。「問題あり」の夫婦を描く映画は珍しくないけど、言葉が通じない夫婦を設定するのはアメリカならではの作品だ。1965年に公開された『女房の殺し方教えます(How to Murder Your Wife)』という映画では、ジャック・レモン(John U. Lemmon)が“とんでもない”外人女性を妻にする夫を演じていた。彼は『お熱いのがお好き』でマリリン・モンローと共演していたから、日本の映画ファンにも馴染み深い。このレモンが演じるのは、新聞にアクション作品を連載する漫画家のスタンリー・フォードで、彼は「バッシュ・ブラニガン(Bash Brannigan)」というスパイ・ヒーローを描いている。 フォードの作画方法は独特で、原稿を書くにあたり、役者を雇ってストーリーを実行させ、それをカメラで撮影するというものであった。実際の動きを収めた写真を見ながら描くので、フォードの劇画は実にリアルである。

Jack Lemmon 6Virna Lisi 2(左: ジャック・レモン  /   右: ヴィルナ・リージ)
  人気シリーズを手掛けるフォードは売れっ子作家で、都会の高級アパートに住んでいる。しかも、忠実な執事に身の回りの世話をさせる独身貴族。そんな漫画家はある日、友人のバチュラー・パーティー(結婚前の派手な宴会)に招かれる。ところが、主役の友人は婚約者にフラれてしまい、大勢が集まるなか、結婚が破談となったことを通知する。しかし、不幸な出来事にもかかわらず、友人はパーティーを続けたので、予定通り特別なプレゼントがパーティー会場に運ばれてきた。係員が運んできたのは大きなデコレーション・ケーキの模型で、その蓋が開けられると、中から美女(ヴィルナ・リージ/ Virna Lisi)が飛び出してくる。会場の観客は拍手喝采。このサプライズを目にしたスタンリーは彼女に釘付け。瞬く間に一目惚れとなった。一方、笑顔を振りまく彼女もスタンリーにぞっこんとなる。(奇妙なことに、映画では彼女の名前が不明になっていた。)

Virna Lisi 11(左  /  ケーキの中から飛び出た美女)
  水着姿の「贈り物」に扮するくらいだから、こうしたモデルが大胆なのは分かるけど、出逢ったその日にベッド・インと結婚式じゃ「新婚さん、いらっしゃい!」のネタにはなるが、普通の人なら驚く。しかし、もっと驚くのは、彼女がイタリア人で英語を一切理解しないことだ。英語を喋る事が出来ない外国人は珍しくないけど、いきなり肉体関係を結び、酔った勢いでその夜のうちに結婚してしまうなんて尋常じゃない。でも、「情熱的なイタリア人娘だと有り得るのかも・・・」と思ってしまうところにイタリア人への先入観がある。ちょっと冷たい感じのするイギリス人レディーと違い、大きなジェスチャーを交え、早口で喋るイタリア人を見てしまうと、「こんな子も居るんじゃないか?」と思ってしまう。

  夫婦となれば同じアメリカ人同士でも大変なのに、英語が通じない女房だとあらゆる場面で苦労する。自分がして貰いたいことを頼んでも彼女にはチンプンカンプンだし、勝手な生活スタイルを強いられるから、優雅な独身生活は台無しだ。執事のチャールズ(テリー・トマス)もお手上げで、見ず知らずの女が一夜にして「奥様」になってしまったから、鞄を抱えて「お暇を頂きたい」と御主人様に申し出る。焦ったスタンリーは何とか宥めて執事を繋ぎ止めるが、女房は平然とイタリア流の暮らしぶり。手料理を作ってくれるのは有り難いが、カロリー無視のイタリア料理を作るから、スタンリーの体型は崩れる一方だ。これって、支那人や朝鮮人の嫁をもらったときと同じである。毎日、脂っこい支那料理じゃ“あっさり系”の和食が恋しくなるし、ヘンチクリンで辛いだけの朝鮮料理なんか直ぐ厭になる。一年中毎晩、キムチが食卓に並ぶなんてゾっとするじゃないか。

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(左: 執事のチャールズ  /  右: 作画の上に眠るフォードとフォード夫人)

  美人妻を娶ったことには満足しているが、あまりにも生活習慣が違っているので、スタンリーにはフラストレーションが溜まる一方だ。確かに、英語が全く通じないんだから仕方がない。でも、日常生活で会話が成立しないのは大問題であろう。ある日、不満を募らせたスタンリーは彼女を殺す漫画を書こうとする。そこでスタンリーは自宅でパーティーを催し、浮かれている女房に酒を勧め、その中に薬を混ぜて眠らせてしまう。彼女をベッドに運んだスタンリーは、用意してあった女性のマネキンを用いて部屋の窓から投げ捨てる。隣のビルは工事中なので、コンクリートが生乾きだ。マネキンはその中にズブっと埋まってしまう。ひと通り、この「暗殺」をカメラに収めたスタンリーは、早速、写真を見ながら劇画を描く。そして、一晩中ずっと殺人漫画を描いていたスタンリーは、疲れが出て来たのか、机に頭を置きながら熟睡してしまうのだ。

  ところが、事情を知らない女房が寝ているスタンリーに気付き、彼のもとに近づくと、作業中の原稿に目が止まった。興味本位で彼の劇画を覗いてしまった妻はショックを受ける。彼女はスタンリーが自分を殺したいほど嫌っていると分かり、結婚指輪を外して机の上に置くと、何も告げずにそっと消えるように家を出て行った。目覚めたスタンリーは彼女が居なくなったことに気付き、どうしたものかと動揺するが、何の手掛かりも無いので何処を捜していいのか分からない。そうこうしているうちに、「スタンリーが女房を殺したのではないか?」との噂が立ち、彼は警察に逮捕されてしまう。法廷に立ったスタンリーは、判事や陪審員の前で雄弁をふるい、信じられないが無実を勝ち取る。濡れ衣を晴らそうとするスタンリーの弁解は滑稽だけど、コミカルな映画だからしょうがない。

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(左: 「フォード夫人」役のヴィルナ・リージ  /  右: 映画のハッピーエンド・シーン)

  無罪になって釈放されたスタンリーは執事と一緒に自宅に戻るが、階段のところにハイヒールが投げ捨ててあるのに気付き、「もしや・・・」と思って寝室のドアを開けると、そこには捜していた妻がいた。しかも、裸でシーツに包まれ、スタンリーをベッドに誘っている。そこで、スタンリーは彼女にキスをしようとするが、指輪を嵌めてからという言葉に従い、二人で愛を育むシーンでパッピー・エンドとなる。

アジア人を女房にする辛さ

  ジャック・レモンの夫人を演じたヴィルナ・リージは、映画の役柄と同じくイタリア人で、もちろん英語は達者である。映画ファンなら『黒いチューリップ(La Tulipe Noire)』でアラン・ドロンと共演した女優と気付くだろう。悪徳貴族から金品を奪う義賊を演じたドロンは格好良かったが、剣術を教える役を担っていたリージも良かった。本作品ではイタリア語で押しきる強気の女房を演じていたけど、美人だったから観客は何となく赦せてしまう。これは彼女を「イタリア人」に設定したから良かった。もし、フランス人やドイツ人にしてしまうと、英語を全く理解しないというのは嘘っぽくなるし、スペイン人にするとメキシコ人を連想してしまうからマズい。スペイン語で捲(まく)し立てる女性だと、何となく下品に思えてしまうので、避けた方が賢明だ。一方、イタリア人ならアメリカに多く移住しているので一般的な抵抗は無いし、ブロンドの美女とう設定だから寛容になれる。もし、これがタリア・シャイアとかライザ・ミネリのような黒髪のイタリア人だとカチンとくる。(タリア・シャイアは『ロッキー』や『ゴッド・ファーザー』に出演した有名女優。)

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(左: アラン・ドロン  / 中央: タリア・シャイア /  右: ライザ・ミネリ )

  『女房の殺し方教えます』はゲルマン系イタリア人の女房が繰り広げるドタバタ騒ぎを描いていたが、日本で起こりうる国際結婚を考えると気分が重くなる。日本人女性から相手にされない農家の青年(中年?)だと、女体に飢えてしまい、とにかく「女なら誰でもいい」ということで、怪しげなブローカーに大金を払って、支那人女性を調達してもらうらしい。露骨に言えば、「嫁を買う」ということだが、世間体もあるので、一応「見合い結婚」という形にしているそうだ。しかし、日本語を理解できない支那人を女房にすると大変で、近所の奥さん連中との付き合いはできないし、買い物一つも頼むことができない。というのも、日本ではクルマを運転できないからだ。支那人が運転免許証を取るためには筆記試験を受けなくてはならないが、それに合格することは非常に難しい。また、家に掛かってきた電話に応対することだって一苦労だ。さらに、待望の子供が生まれたらもっと大変で、幼稚園や小学校から渡される印刷物を読むことができず、亭主が代わりに読んで色々な行事に参加する破目になる。それでも、毎晩セックスできるから、独身のまま死ぬよりマシということなんだろう。

  国際結婚で支那人や朝鮮人を妻にすると苦労が多いけど、ちょっと見ただけでは「外人」と判らない場合があるから、一応その素性を隠すことができる。しかし、フィリピン人やタイ人、ビルマ人、インド人の女性と結婚すると「外人妻」ということがバレやすく、近所の人は何となく「訳あり夫婦」と思ってしまう。だから、妙に遠慮して、詳しい馴れ初めを訊くことができない。他人の憶測はどうでもいいけど、日本人亭主にとってもっと辛いのは、生まれてきた子供が明らかな混血児になってしまうことだ。いくら日本人の氏名であっても、その顔附きが東南アジア風なので、小学校や中学校の同級生はアジア系混血児と判る。大人と違って子供は思慮が足りないから、興味本位で混血児のクラスメートに「お前の母ちゃん、何じんなんだ? 」と訊いてしまう。すると、質問された混血児は無視する訳にも行かないので、気まずくとも小声で「タイ人」とか「フィリピン人」と答える。

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(左: アジア系の女性たち     /     右: フィリピン人女性)

  子供同士のこうした遣り取りは実にたわいないものであるが、訊かれた方の子供には後々まで残るトラウマになってしまうのだ。母親が西歐白人なら躊躇無く答えることもできようが、アジア人の場合だと訊かれるまでは自分から言いたくない。愛する母親なんだけど、どうしても恥じてしまうのだ。小学生くらいになれば母親の出身国を聞かされているだろうが、インドネシアとかベトナム、ビルマと教えられても、どんな人々が住んでいる国なのか分からないし、何処にあるのかさえ判らない。ただ、テレビで見る茶色い現地人であることだけは解る。とは言っても、まだ幼いから「あっ、母ちゃんと似ている!」と思うだけ。ただし、内心は複雑だ。子供は理屈じゃなく感情で動いてしまうから、、生理的に嫌悪感を抱く対象には距離を置き、それ以上詮索することはない。いくら幼くても友人の前で自慢できないと解るから、母親の出身国には触れようとはせず、自分をみんなと同じ「日本人」と思い込むよう無意識的に努めている。

Indnesian nurse 1(左  /  インドネシアの看護婦)
  男女を問わず、日本にやって来るアジア人労働者には“いかがわしい”動機がある。確かに、「日本で働く方がより高い賃金を得られるから」という理由はもっともなんだけど、「それだけなのか?」と疑いたくなる。例えば、インドネシアからやって来る看護婦とか介護師には、日本国籍を目的とする人物が多い。彼女達は日本の資格試験に合格しようと、難しい日本語を習得しようと日夜励んでいるが、どうしてそこまで頑張るのか? 英語を学ぶマレー人の看護婦なら理解できる。なぜなら、渡航先にはオーストラリアやカナダ、アメリカ、イングランド、アイルランドに加え、シンガポールなどもあるからだ。しかし、日本語の勉強は違う。せっかく日本語を学んでも、日本の試験に落ちたら、その努力は無駄になってしまうのだ。日本以外で日本語の資格試験を実施する国は無い。したがって、日本語という特殊言語を学ぶマレー人には、“特殊”な願望や目的があるはずだ。日本を目指すマレー人介護師は「日本の会社に就職したい」と語るが、どう考えても別の魂胆があるとしか思えない。つまり、本当は日本での永住を目的として就労するんじゃないか。そして、日本人と結婚したり、帰化を申請して、故郷から配偶者とか両親、兄弟を呼び寄せるつもりなのかも知れない。一般の日本人は「労働力不足の解決になる」と喜んでいるが、一人の出稼ぎ人を雇ったら、“おまけ”として多数の扶養家族を引き受けることにもなるのだ。一般国民は気付いていないが、連鎖移民としてやって来るマレー人も歳を取る。もし、その外人が老いたら、誰が面倒見るのか? 日本人は世話をしないから、たぶん、フィリピンやインドから輸入する介護師になるだろう。この悪循環が続けば、あと数十年で日本は紛れもない「アジア国」となる。

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(左: ベトナム人女性  /  右: タイ人女性)

  日本では益々国際結婚が増えているが、その配偶者には格差がある。ヨーロッパ人ならさほど問題はないが、アジア人やアフリカ人ともなれば、厄介な問題が浮上してくる。劣等国からの妻をもらうことは、自分にとっても生まれてきた子供にとっても心の傷となるだろう。考えてもみよ。ブリテンとかデンマーク、スウェーデン、ドイツなどから出稼ぎの介護師が来日するのか? ネーデルランドやフランスでも酪農家や牧畜業者の家庭に生まれた娘はいるけど、彼女達がグローバルな結婚相談所に登録し、東北や北海道の日本人と結婚するなんて思えない。なるほど、日本語を理解しなくても田んぼや山林で働くことはできるが、彼女たちが日本国籍を目的として結婚することはないだろう。だいいち、ヨーロッパの白人女性は男に飢えたからといって日本人男性を求めない。それゆえ、日本人と結婚する白人女性を見れば、「きっと恋愛結婚ね」と我々は考える。以前、老舗旅館で若女将を務めるアメリカ人女性を取り上げテレレビ番組があった。「青い瞳の細腕繁盛記」というサブタイトルで、旅館の跡取り息子と結婚した外人妻を取材するという企画だった。日本語に関する多少の不自由はあっても、青い瞳の白人女性は魅力的で、旅館に来るお客さんには大好評。近所でも評判になるほどの美人女将だ。これがもし、朝鮮人とかベトナム人だったら、同じ企画の番組になるのか? たぶん、企画会議の段階でボツになるだろう。

MIckey McKenzie(左  /  水谷豊とミッキー・マッケンジー)
  日本で歓迎される外人妻は西歐系だけだ。1979年、日テレが水谷豊主演の『熱中時代・刑事編』を放送したことがある。水谷扮する大門署刑事の早野武は、ひょんなことからアメリカ人娘のミッキー・フランクリン(ミッキー・マッケンジー)を悪党から守ることになり、やがて恋心が芽生えて結婚するというストーリーだった。このドラマは教師編の『熱中時代』とは無関係だが、水谷氏の主演ドラマとあって結構人気を博した。彼が唄う主題歌の「カルフォルニア・コネクション」もヒットし、歌番組にも出ていたのを覚えている。(ちなみに、この曲を作ったのは、あの平尾昌晃先生だ。) ドラマの中で共演したミッキー・マッケンジーは、私生活でも水谷氏と結婚し、世間で話題になった。(ただし、後に離婚となる。) このドラマが成功した理由は色々あると思うけど、やはり、可憐なヒロインに魅力的な西歐人女性を起用したことだろう。もし、水谷氏が惚れる外人女性が、マニアからやって来たフィリピン人とか、香港から逃げてきた支那人じゃ高視聴率は取れまい。何となく、画面や雰囲気が暗くなるし、観ていても感情移入できないから、低視聴率番組となってしまうはずだ。もっとも、こうした設定だと端っからTVドラマにならない。誰が監督を務めようが、「失敗」という結果が目に見えているからだ。(いくら「自爆」続きのフジテレビでも、こんなドラマは作らないだろう。)

  年々、日本にやって来るアジア人女性は増える一方だが、普通の日本人はどう思っているのか? 一般的に言って、アジア人への印象は良くない。彼女達は“より良い生活”を得るためなら、弊履の如く祖国を捨て去り、日本国籍を取ろうとする。彼女らに祖国への愛国心は元々無いから、ナショナリズムは道端に落ちている空き缶ていど。生まれ育った国でも未練は無い。それよりも、先進国への移住は人生における最大のチャンスだ。どんな職業でも、日本で働けるのであればラッキーと考える。したがって、ちょっと教養のある日本人なら、こうした事情を知っているので、日本人と結婚したアジア人妻を目にすると、「飲み屋で知り合ったんじゃないの?」と疑ってしまうのだ。家柄や学歴を自慢するPTAの奥様連中だと、もっと露骨な陰口で大はしゃぎとなる。例えば、近所に住むフィリピン人の母親を見れば、「フィリピン・バプで今の亭主を引っ掛けたんじゃないの?」と勘ぐってしまう。実際、犯罪者まがいのブローカーを介して来日するアジア人は多いから、一般人が直感だけで「怪しい」と思っても仕方ないのだ。

  他方、日本で働くアジア人労務者は、日本人のこうした「偏見」に腹を立てるだろう。しかし、彼らの行動様式にも原因があるんじゃないか。日本人と結婚するアジア人は、圧倒的に我が国に居坐り、永住権や国籍を得ようとする。フィリピン人あるいはタイ人、マレー人と結婚した日本人が、配偶者の郷里であるマニラやバンコック、ジャカルタに移住し、現地の国籍を取ることは滅多に無い。必ず、アジア人配偶者の方が日本国籍を取る。南鮮人男性と結婚した日本人女性も同じで、夫の方が日本国籍を取得する場合が多い。日本人で南鮮国籍を取ろうとす馬鹿は0.1%以下。ほぼゼロ。また、アジア人女性を嫁にしても、日本人男性は自らタイ語とかタガログ語を学び、女房と楽しく会話しようなんて考えない。そもそも、アジア諸国の言語なんて、あまりにも下らないから勉強する価値は無いと考えてしまうのだ。

  日本人配偶者が否定するのは言葉だけじゃない。国際カップルが建てる「愛の巣」でも、朝鮮風住宅とか、タイ風建築の家なんか有り得ないだろう。日本人の亭主が受け容れる妻の文化といったら、せいぜいカミさんが作る郷土料理くらいだ。それでも、朝鮮料理だと厭になる。だが、もっと厭なのは片膝を立てた朝鮮人の女房が、ビビンバを箸でグチャグチャと混ぜる癖(文化)だ。女房には言わないけど、こんな姿は友人に見せたくない。異国の風習だからしょうがないんだけど、日本ではやめてほしいと願う亭主は多いと思う。ビルマのカレン族とかインド人も似たり寄ったりで、彼らは手づかみで御飯を食べるから、日本人は「えっ!」と驚く。大学教授たちは「多文化共生は素晴らしい!」と教えるが、実生活で体験する多文化共生は決して楽しくいぞ。アジア人との共存を称讃する知識人は、まず自らが朝鮮人や支那人と結婚し、色々な文化摩擦を経験してみることだ。大学の教室では「友好」を唱える学者でも、自宅では「離別」を考えてしまうかもよ。




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