教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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日本で増殖する朝鮮系国民

  今月は、南鮮軍による「レーダー照射事件」で毎日うんざりする。保派守派国民は南鮮側の馬鹿げた答えに憤っているが、今さら怒ることでもあるまい。朝鮮人の非常識な反日行為など毎度の事で、相手にする日本人の方が悪く思えてくる。毎回毎回、南鮮人がイチャモンをつけてくるのは、日本人が厳格な報復行為を取らないからだ。アホな劣等民族には理性的な言葉は通じないので、猛獣を扱う鞭か鉄製の棍棒で彼らの脳天を叩くしかない。それが出来ないのであれば、金融制裁を加えてじわじわと韓国経済の首を絞めるしかないだろう。

  南北を問わず、朝鮮人を論じる上で重要なのは、日本に朝鮮人を侵入させないことである。朝鮮人が朝鮮半島で発狂しても、それは彼らの民族的自由で、我々の知ったことではない。南鮮人が北鮮と連携し、統一国家を創りたいのであれば、いくら日本政府が反対しても無駄であろう。したがって、我々は核兵器を持った統一朝鮮と、それを操る支那に備えなければならない。『正論』とか『WiLL』に集まる知識人は、文在寅が親北政策を取っているとか、金正恩が南北会談を画策している、とかを熱心に論じているが、討論すべき事は、日本人が「どうするのか」という点である。マスコミに養われている評論家は、「うわぁぁ、大変だ !」と騒いではかり。彼らは北鮮の兵器開発とか習近平の動向を説明するだけで、日本人が決断すべき事柄については触れようとはしないのだ。何処で仕入れたネタか判らぬ話を得々と披露しているが、肝心な方針となると、下駄を政治家に預けている。

  南鮮と北鮮が一緒に日本を「敵」と見なすなら、我々は占領憲法を廃止して、「自衛隊を正式な国防軍にします」と宣言すればいい。これは一番の省エネだ。左翼知識人は「廃憲なんて暴論だ、非現実的だ」と叫んで猛反対するが、憲法違反の自衛隊を保有していること自体が異常である。廃憲論を困難にしているのは、「日本を弱いままにしておきたい」と望む反日分子の存在である。左翼の中には「反戦平和」で飯を喰っている奴が多いから、日本が“正常”になると別の専門分野を捜さねばならぬから一苦労だ。それにしても、左翼学者は実に奇妙な連中で、彼らはなぜ日本が強くなると悪いのかについては答えない。テレ朝やTBSは昔から、「軍国主義の復活に繋がる!」とほざいているが、それなら核兵器と強力な軍隊を持つ米国や英国は、軍国主義国だから「けしからん!」とでも言うのか? チベット人やウィグル人を絶滅させようとする北京政府は、核兵器で武装した人民弾圧軍を有しているが、NHKやTBSのコメンテイターは矢鱈と支那に寛容で、「軍国主義の支那と絶交せよ!」と宣言したことは一度も無い。一般の日本人も行動と言葉の矛盾に気付いていないのは変だ。もし、軍隊を持つ国が危険なら、どうして多くの日本人が米国や英国に旅行したり、商売や勉学で滞在するのか? だいたい、日本が軍隊を持つと侵略国になるというのは幻想である。むしろ、強力な軍隊を持つ日本が誕生することで、アジアの安定が増幅する、と考えるべきなんじゃないか。

  我々が議論すべき「朝鮮問題」とは、日本人の遺伝子プールを如何にして朝鮮人から守るか、という点である。在日朝鮮人は帰化や結婚でどんどん「日本国民」になっているが、これは「日本人」が増えている訳ではない。逆に、朝鮮人が増え、日本人が減っているのだ。なぜかと言えば、「日本人」とは「日本人の両親から生まれた者」を意味し、朝鮮人の精子や卵子で生まれた混血児は、“本当の日本人”とは言えず、日系人の系譜から外れたミュータントになってしまう。いくら日本国籍を取得しようが、帰化鮮人やその子孫は「朝鮮人の祖先を持つ別種族」であり、“日本人の遺伝子が混ざった朝鮮人”に過ぎない。ただ、中には朝鮮人の血統を忘れ、日本生まれの「日本人」として生きて行く人もいるだろう。しかし、そうした混血鮮人でも、「本当に心から日本人と思っているのか?」と問われれば、何となく言葉に詰まるし、答えに苦しくなれば、こうした疑問に反撥し、質問した日本人を「レイシズム的」と非難し、「異民族の排斥者」と考えるようになる。

  南鮮との政治問題が浮上すると、朝鮮系国民のタイプはだいたい二つに分かれてくる。一つのタイプは南鮮擁護派で、日本のあら探しをして朝鮮の掩護に努めようとする。もう一つは、「どうでもいいんじゃないの!」と無関心になるか、「よく分からない」と答えて逃げようとするタイプだ。前者は民族意識から南鮮を庇いたくなり、何らかの理由を見つけて「日本側にも非がある」と言いたくなる。後者は、「朝鮮人」という汚点を払拭したいがために、「私には関係無い」と言い放ち、なるべく朝鮮問題に係わらぬよう心掛ける人物だ。こうした混血児は「朝鮮が忌まわしい国」と分かっているので、日本人の友人から「朝鮮人の同胞」と思われたくないし、朝鮮に愛着も無いから、出来るだけ距離を置こうとする。彼らは口に出さないが、自然と防衛本能が働き、「私は日本人だ。たまたま祖父母が朝鮮人なだけ!」と自分に言い聞かせる。テレビや新聞の報道で南北朝鮮の馬鹿げた反日運動を目にすれば、朝鮮系国民が顔を背けるのも当然だ。(在日鮮人や帰化鮮人は「チョーセン」という言葉の響きを嫌うらしい。)

  最近の在日朝鮮人や帰化鮮人は、自分が朝鮮系であることを恥じず、自ら進んで朝鮮人、あるいは朝鮮系日本人であると公言する者も多くなった。しかし、こうした告白は朝鮮人のイメージが良くなったというより、日本人が批判を懼れて臆病になったこと、それに多民族教育が普及して日本人という意識が低下した為だ。日本人が朝鮮人に譲歩するのは、知識不足に原因がある。そもそも、普通の日本人は朝鮮人に興味が無い。朝鮮の歴史はドロドロした暗黒史だし、時間をかけて学んでもメリットがほとんど無い。昔から、朝鮮語を学ぶ日本人は特殊なタイプで、優秀な学生なら英語といった西ゲルマン語を専攻するはずだ。日本人は朝鮮に関する知識が無いから、在日鮮人から過去を糾弾されると怯む人が多く、トラブルを避けるため安易に謝る人が少なくない。でも、心の底から謝っている訳じゃないから、不満が残り、「何だ、この朝鮮人!」とつぶやく。もし、悔しい思いをしたくなければ、在日鮮人のやましい過去を知るべきだ。

Kyo Nobuko 2( 左/  姜信子)
  現在では、朝鮮人に関する本がたくさん出版されているが、生々しい朝鮮人を知るには1970年代や80年代までの随筆とか回顧録を読む方がいい。例えば、在日三世である姜信子(きょう・のぶこ / カン・シンジャ)が出版した『ごく普通の在日韓国人』は、在日鮮人の捻れた精神を知る上でとても役立つ。(日本での偽名は「竹田存子<たけだ・のぶこ>」であった。) 彼女は熊本出身の日本人、今村智と結婚し、娘をもうけたそうだ。彼女は神奈川県の川崎や新潟県の柏崎で育ち、東大法学部を卒業して弁護士になろうと思ったが、途中でその夢を断念し、新聞記者を目指したという。しかし、国籍がネックとなったのか、第一志望のO新聞社には採用されず、Q新聞社の入社試験を受けることにしたそうだ。だが、この新聞社でも希望が叶うことはなかった。いくら待っても合格の知らせは無く、彼女は仕方なく実力不足と諦めたそうである。

  ところが、Q新聞社で知り合いになった人から内情を聞いたときはショックを受けたらしい。彼女の成績は女子で六番だった。そして、面接まで辿り着く女性応募者は八名で、採用枠は三人だったという。信子は筆記試験で落ちたから、面接まで行く事はなかった。ただし、Q社の知人によれば、彼女の合否は微妙であったという。というのも、信子の国籍が原因なのでは、と推測されたからだ。もし、面接で朝鮮人応募者を不採用にすれば、何を言われるか分かったもんじゃない。日立製作所の前例もあるから、企業が慎重になるのも当然だ。沸騰しやすい朝鮮人だと唾を飛ばして「差別だ」と騒ぎかねない。しかも、人権派弁護士が嗅ぎつければ、火に油となるのは明らか。なので、筆記試験の段階で落とすことにしたらしい。(もっとも、これは単なる知人の推測で、実際の理由は公表されていないから謎のままだ。しかし、彼女は内心では納得していなかった。) こんな訳で、新聞記者を断念した信子は、広告会社に就職したそうだ。

日本人と結婚する朝鮮人

  TVドラマや映画だと表面的なことしか描かれないが、朝鮮人との結婚というのは、結構しんどいことが多い。姜信子も日本人との結婚で“余計な”エピソードがあったという。彼女の両親は、「そうは言ってもね、やっぱり韓国人は韓国人と結婚しなきゃだめだ」と口を揃えて愚痴をこぼしたそうだ。(『ごく普通の在日韓国人』朝日新聞社、1987年 p.27.) 朝鮮人の親なら、こうした反対論は普通である。建前上、彼らは民族の誇りを口にするが、本当は相手方の両親や親戚からの侮蔑を心配しているのだ。信子の母親は、日本人と結婚した朝鮮人の離婚を持ち出し、娘の行く末を案じていたという。母親の郭寿蘭(かく・すらん)は日鮮カップルの例を持ち出し、朝鮮人の嫁は「向こうの親や親戚に、チョーセン人、チョーセン人って随分いじめられたんだって」と話していた。父親の姜判権(きょう・はんけん)も同意見で、反抗的な娘を諫めていた。判権は次のように諭す。

  日本人の女と韓国人の男という組み合わせならまだ考えられる。でも、その逆は絶対ダメだ。女なんてただでさえ立場が弱いのに、それに韓国人ということになると、よけいに立場が弱くなる。韓国人の方が金持ちという組み合わせもダメだ。チョーセン人のくせに生意気だということになってプライドを傷つけられた日本人との間がより悪くなる。韓国人の方が貧乏でも、それだけで馬鹿にされる。要するに、日本人との結婚は難しいということだ。(上掲書 p. 28)

  こうした理由を聞けば日本人でも、信子の両親が娘の結婚に反対する気持ちがよく分かる。大抵の場合、日本人の舅や姑は、最初から息子の結婚に反対するはずだ。昭和の頃は、不信に思った親が婚約相手の素性を確かめるべく、こっそりと探偵を雇ったものである。こんな塩梅だから、日本人の親は何か気に食わないことを見つけると、「やっぱり、朝鮮人だから・・・」と言いたくなる。しかし、こうした「偏見」は「外人嫌い」というより、息子が劣等人種と結婚した事への落胆が原因となっている場合が多い。それに、生まれてくる孫が朝鮮系となるんだから尚更だ。いくら温厚な親でも怒りと悲しみが抑えきれず、「どうして、よりにもよって息子の嫁が朝鮮人なんだ」と歎きたくなるのも人情で、今まで何の為に一生懸命働いてきたのか分からなくなる。西歐人の嫁なら自慢にもなるが、朝鮮人の嫁だと友人に教えたくないし、普段のニュース報道で韓国とか朝鮮と聞けば憂鬱なる。また、相手方の両親と交流するとなれば自然と気が重くなるし、ゾっとするような朝鮮の風習に出くわせば、どうやって感情を誤魔化せばいいのか戸惑ってしまうだろう。

  一方、信子の両親は日本人の意地悪を非難するが、朝鮮人と結婚した日本人妻への陰湿なイジメについては言及せず、都合良く忘れているのだ。そもそも、朝鮮人と結婚すること自体が愚かな行為で、朝鮮人の親戚による日本人イジメは「陰湿」なんてもんじゃない。朝鮮社会では女は「つまらない存在」で、他人の家庭で育った嫁など自分の一族ではないと考えるのが普通だ。ましてや、日本人妻ともなれば下女扱い。「おぞましい朝鮮」について無知な日本人女性は、実際に体験して初めて気付く。朝鮮人の舅や姑から、「夕飯は台所の片隅で食え」と命じられた日本人はショックを受けるし、祖先を祀る儀式の時など、訳の解らぬ“しきたり”や、やぼったい民族衣装、狂ったような踊りに没頭する親戚を見て心臓が止まる思いだ。西歐人は誤解しているが、日本社会は昔から女性に寛容で、比較的自由が多かった。戦国時代に来日したルイス・フロイスが驚愕したのも当然である。日本の大学教授は日本に対する怨念を基にして勉強しているから、どうしても暗い部分だけを書く。一般国民は大学の名前だけで平伏してしまうけど、左翼学者の判断力は極めて低い。公然の秘密だが、大学院に残って教授を目指す学生には、民間企業に就職できない「残りカス」が多い。したがって、彼らが広める日本社会の説明なんて的外れで、精神の汚染でしかないのだ。

  日本人と結婚した朝鮮人はアイデンティティーの所在に困るみたいで、「民族や国籍の違いなんて大したことない」、あるいは「国籍とか国境にこだわるのは時代遅れだ」と強気になる。でも、現実社会では海外旅行する際にパスポートが必要だし、税金の面でも国籍条項は無視できない。日本に住みながら日本人になれない悲しき鮮人は、浮浪者の如く“個人”を軸にした日鮮関係を語りたがる。しかし、日鮮の溝は暢気な朝鮮人が考えるほど浅くはない。信子の周辺に住む朝鮮人は、日本人との結婚を「民族への裏切り」とか、民族の誇りを捨てる行為だ」とわめく。対する信子は、「日本人や韓国人という前に同じ人間では」と反論を投げかける。だが、差別撤廃運動にのめり込んでいる知り合いの在日鮮人は反駁したそうだ。

  あんた甘いんだよ。そんなの現実逃避の言葉だよ。俺たちは人間である前に朝鮮人なんだ。そこから出発しないと何も解決しない。第一、日本人からして俺たちを同じ人間だとは思っていないのだから。(上掲書 p.29.)

  なるほど、この朝鮮人活動家の言う通りだ。誰が何と言おうとも、朝鮮人は朝鮮人である。他人の国に居坐る異邦人は、タカリを正当化するために「人権」とか「人間」を持ち出す。ユダヤ人も似たようなものだが、朝鮮人は楽園の如き日本に永住したいと切望する。だが、肉体的には日本人ではない。でも、日本を離れるのは考えられないから、定住を正当化する理屈が必要となってくる。とは言っても、まさか「先祖代々の権利」とか「日本国民の権利」なんかを主張できないので、地球上の人間なら誰でも所有すると言われる「人権」を持ち出す。そこら辺に落ちている「人間の権利」なら、インドの乞食やジプシー、離れ小島の黒人でも拾うことができるから、たいへん便利だ。朝鮮人でも「ほら、ウリ(私)もお前らと同じ権利を持っているんだぞ!」と自慢できるし、永住権を「人間の権利」にすり替えれば朝鮮に戻らなくても済む。姜信子のような在日鮮人が国籍や国境を嫌うのは、朝鮮半島に戻りたくないからだ。もっと言えば、「朝鮮人」に生まれた劣等感を打ち消すためでもある。帰化鮮人は日本で生まれ育っても、堂々と「私は日本人」と公言できないから、「日本国民や南鮮国民という前に一個の人間なのよ!」と言いたがる。それなら、「どうか、ひとつ、渡り鳥と一緒に半島へ帰ってくれ!」と我々は頼みたくなるよねぇ~。

  信子は日鮮結婚に関する母親の話を紹介していた。母親の知人(朝鮮人)に息子がいたそうで、日本人の女性と結婚したいと両親に打ち明けたそうだ。ところが、彼の両親は猛反対。親戚も集まって説得したが、彼の意思は固かった。そこで、困った両親は強硬手段に訴えたそうだ。彼らは息子を山奥の温泉に連れ出し、親族会議で説得するつもりだった。しかし、この息子は耳を貸さなかったから、両親は堪忍袋の緒が切れた。頭に血が上った父親と母親は、「結婚を諦める」と言うまで彼を殴ったり蹴ったりして半殺しの目に遭わせたという。こうして親の折檻が効を奏したのか、頑固な息子も次第に心が折れ、恋人との結婚を諦めたそうだ。後に彼は南鮮人の女性とと結婚したらしい。(上掲書 p.30) 信子の母親はこの息子について「今はちゃんと幸せそうに暮らしているみたいよ」と語っていたそうだ。この発言に信子は呆れ、あっけらかんと言いのけた母親に一瞬、恐怖を感じたらしい。それにしても、半殺しの仕置きで結婚を断念させるなんて、さぁ~すが朝鮮人。「火病」を発症する民族は根本姿勢が違うねぇ~。まるで、連合赤軍のリンチみたい。朝鮮人は常々我々を「野蛮な日本人」と罵るが、朝鮮人も結構“野蛮”なんじゃないか。

根拠の無い昔話を信じる在日鮮人

  日本人から見ると、朝鮮人の家庭というのは間違いなく異質で、「アジア人って本当に嫌な種族だなぁ」と思ってしまう。これは料理や宗教、服装、あるいは家の造りだけではなく、思考形態や歴史までが寒気がするほどおぞましいのだ。さらに忌まわしく特徴的なのが、朝鮮人が抱く「恨(ハン / うらみ)」である。在日鮮人は“自らの意思”で来日し、敗戦後に帰国命令が下されても居残った。しかし、図々しく居坐った在日一世は、粘土のように過去を造り替え、まるで無理矢理、我が国へ連行されたかのような妄想を子孫に伝えていたのだ。

  詳細ではないが、姜信子は家族について断片的に語っていた。彼女の父親、判権は川崎高校を出て、中央大学の法学部に進学したそうだ。卒業したら法曹界に入りたかったが、在日鮮人(外国人)なので夢を諦め、鶴見にある祖父の美容室とパチンコ屋を手伝っていた。信子はサラリと述べていたが、日本に残ったことで鮮人の小倅が大学まで行くことができたのは特筆すべき事実である。それなのに、彼女は在日鮮人を差別する日本企業を恨み、父が外国人だから雇われなかった、と歎いていた。「日本人を恨むなら、朝鮮に帰って就職すればいいのに」と我々は思ってしまうが、在日三世たちは日本に住むのが“当り前”と思っているので、特別永住を「特権」とは思っていないらしい。一般的に在日朝鮮人は悲惨な生活をしてきたので、日本に暮らせる幸せよりも、日本で蒙った不幸のことを喋りたがる。信子の家族も日本で暮らす下層鮮人らしく、恥ずかしい記憶に満ちていた。例えば、彼女の家には金融業者がやって来て、しつこく借金の返済を迫ったそうだ。信子は明確に述べていないが、たぶん家にやって来たのは「朝鮮人の高利貸し」だろう。日本の銀行が鮮人にお金を貸すとは思えないから、ヤクザまがいの朝鮮人から融資を受けたんじゃないか。

  朝鮮人の家系自慢には嘘が含まれているから、話したことの総てを信じることは出来ない。信子の母親は在日二世で、彼女の両親(つまり、信子の祖父母)は戦前、日本に渡ってきたそうだ。信子の話によると、祖父母の祖先には高僧や学者などがいて、中々の家系であったらしい。祖父の家系には、ある功績を讃えられ、村に銅像が建つという偉人がいたそうだ。このような“良家”に生まれた祖父は、きちんとした教育を受け、土地を持つ農民であり、信子は「中流階級に属していたんじゃないか」と推測している。(朝鮮の「中流」って「常民」のことか? ) だが、信子の話には疑わしい点もある。彼女の祖父は日本の「植民地政策」のせいで土地を失い、その生活がガラガカと崩れ去ったそうだ。巷には同じ境遇の者が溢れ、半島には“これ”といった仕事が無く、唯一の希望は内地(日本)に移り住むことだった。そこで、彼女の祖父は「希望」を求めて日本に渡ってきたという。(p. 164)

  日本人の昔話と違って、朝鮮人の身の上話は信用できない。信子の祖父も他の鮮人と同じく日本用の通名を拵えたそうで、元々は「郭」という姓であったが、創氏改名のせいで「郭山」に変わったそうだ。朝鮮人は創氏改名を悪魔の所業と考えているが、レンタル子宮に過ぎなかった朝鮮人女性にとって、「家族名」が出来たことは誠に喜ばしいもので、永遠の「よそ者」が夫の家族となるんだから反対すべきことではない。それに、創氏改名は朝鮮人が「日本人」になりたくて自発的に取った行為である。「白丁(ペクチョン)」と馬鹿にされた朝鮮人でも、努力すれば「日本国民」に昇格するんだから、夢を越えた慶びとしか言いようがない。「日本国民」になれた当時の朝鮮人が、どれほど自慢したことか。日本に渡ってきた在日一世達は後ろめたかったのか、子や孫に本心を打ち明けず、日本で味わった苦労話や屈辱的な扱いばかりを話していた。でも、これでは「なぜ」一世が日本に住みついたのか理由が分からなくなるじゃないか。

  今では「常識」となったが、朝鮮人は歴史を捏造する常習犯である。しかし、平成の初めまでは朝鮮人の虚言癖に気付かぬ日本人は結構いて、祖父母のホラ話を信じている在日三世・四世の子供達も多かった。信子もそうした無知世代の一人である。彼女は祖父が受けた暴行について語っていた。たぶん、万歳事件(三一独立騒擾)のことだろうが、彼女の祖父は朝鮮人が集まる広場を訪れ、みんなと一緒に「万歳 ! 万歳 !」と叫んだそうだ。その日は何事も無く皆が帰っていったが、三日後に事件が起きたという。街を独りで歩いていた祖父はいきなり日本人の警官に捕まり、有無を言わさず警察署に連行されたそうだ。彼女の祖父は三日前オーバーの背中に赤い目印が附けられていたのに気づかず、それを再び着て街を歩いていたらしい。信子の祖母が言うには、祖父は三日三晩勾留され、日本人から木刀で殴り続けられたという。釈放された時には動くこともできなかったそうだ。(p.54.)  信子の祖母は話する時、いつも「日本人は酷いことをするよ」と締めくくるのが口癖だったという。

  筆者は以前、『支那人の秘史 朝鮮人の痴史』の原稿を書いたとき、三一独立騒擾の事も載せようと思ったので、ちょっとだけ詳しい。(残念ながら、ページ数の都合でこの部分は削除となった。) 一般的に、日本人は朝鮮史に関心が無いから、「朝鮮総督府は朝鮮人を弾圧した」と思っている。だが、よく調べてみると朝鮮人の勘違いと、「いつもの」過激行動が事件の核心と判る。信子は集会に参加したことが逮捕の原因と考えているようだが、祖父が正直に事件を語っているとは限らない。朝鮮人は自分にとって都合の悪い事実を“省略”する性質(クセ)があるので、口述された話だけを鵜呑みにするのは危険だ。たぶん、警察官に捕まったことは事実なんだろうけど、拘束の理由は他にもあるんじゃないか。また、どんな理由で暴行を受けたのか定かではない。集会に参加した朝鮮人の中には悪質な者や過激派、ゴロツキなどが混ざっていたから、信子の祖父が「無実の一般人」とは限らず、何らかの資料を基にした吟味が必要だ。

  本来、朝鮮人の昔話や家庭事情など聞くだけ時間の無駄であるが、政府が朝鮮人の来日を奨励し、日本への帰化を許しているので、我々は知的武装をしなければならない。朝鮮人は侮蔑されたことを活動のエネルギーにして、我々を糾弾する。そればかりか、日本の伝統文化を踏みにじり、自分達にとって快適な多民族社会変えようと図っているから、我々は鮮人駆除に邁進せねばならない。それには先ず、朝鮮人の勝手な歴史を斥け、容赦無く斬り捨てるべきである。日本人は左翼も含めて朝鮮人に甘く、彼らの言い分を検証もせずに頷くことが多い。「民族差別」という言葉を懼れるあまり、朝鮮人に同情したりするから朝鮮人がつけ上がってしまうのだ。朝鮮人が横暴になる要因の半分は日本側にある。日本人はローマ人の如く反抗する異邦人を無慈悲に懲らしめるべきだ。日本に文句を垂れる朝鮮人なら手加減せず、女・子供・老人であろうとも日本から叩き出し、「鮮人無き日本」に戻すべきである。必要なら日本国籍を剝奪し、祖国である半島に追放することも必要なのだ。

  朝鮮人について語るのは気分が重くなるけど、もう少しだけ後編で述べることにする。



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