教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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恥ずかしく隠したい系譜

Korean 13Old Days in KOrea 3









  朝鮮人は何世代にも亙って日本に住みついているのに、なぜ日本人を憎むのか? それは彼らが否定しがたい劣等感を抱いているからだろう。朝鮮人は絶対に認めないが、彼ら自身がそれを行動で示している。高度先進国の日本で育ったため、朝鮮人の歴史や文化の“みすぼらしさ”に彼らは嫌でも目につく。だが、周りの同胞から「朝鮮民族の誇りを持て!」と圧力を受けるから、「そうだ、朝鮮文化は日本文化より上等なんだ!」と自分に言い聞かせるしかない。しかし、実際の朝鮮文化に触れると、「何で、こんなにつまらないのかなぁ?」と思ってしまう。朝鮮人自慢のチマ・チョゴリを着たら、「なんか野暮ったい!」と恥ずかしく思ってしまうし、先祖崇拝の儀式を見れば、腐乱死体のお祭りみたいで気持ちが悪い。日本人的感覚を持つ朝鮮人の子供にとったら、煩雑で陰鬱な祭祀とか、狂ったように踊るオバはんはゾっとする。また、“素晴らしい”と評される民族音楽でも、太鼓や銅鑼を鳴らす程度の下らない雑音だ。姜信子は友人から朝鮮人歌手のテープを貸してもらったが、5分も聴くと中島みゆきのテープに入れ替わってしまったという。「民族の血が騒ぐ」どころか「沈殿」してしまったそうだ。(『ごく普通の在日韓国人』p.151.)

  日本で暮らしている朝鮮人が自分の出自を隠したくなるのは、無意識的に「自慢できる民族じゃない」と判っているからだ。日本は同質性の高い民族国家だが、外国人だって少なからず住んでいる。しかし、日本人が歓迎するのは西歐系の白人だけだ。これは筆者の偏見ではなく、大企業が大金を出して作る宣伝フィルムを見れば判る。例えば、ファッション・モデルや藝能人で人気が出る混血児というのは、ゲルマン的容貌を持つ人物で、アフリカ系やインド系、アラブ系の容姿を持つ者ではない。昔、カネボウ化粧品の宣伝にはブルック・シールズが、マックスファクターのファンデーションにはダイアン・レインが起用されていたし、ダイヤモンドのCFだとファラー・フォセット、高級ブランデーの「VSOP」にはシェリル・ラッドが出ていた。しかも、彼女達のギャラは目が飛び出るほど高かった。言うまでもないが、時給5万円とか日給20万円じゃないぞ。バブル時代だったから当然としても、高級な口紅や香水、宝石、ブランド品に朝鮮人の女優が起用されることは滅多にない。オムツの赤ちゃんモデルだって白人が多いんだから。とまぁ、こんな日本だから、支那人や朝鮮人の「ハーフ」なんてマイナスでしかなく、友人に自慢できるような血統ではない。朝鮮人は「何だい! 馬鹿にしやがって!」とふて腐れるが、それでも素性を晒したくないので、日本風の名前をつけて「日本人」らしく振る舞っている。

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(左: ブルック・シールズ  / ダイアン・レイン  / ファラー・フォセット / 右: シェリル・ラッド )

  在日朝鮮人の子供や日鮮混血児は、成長して物心がつくようになると、自らの血統を隠したくなるらしい。信子は少女時代を回想していた。まだ幼かった頃、彼女は朝鮮人であることを喜んでいたというが、次第に「日本人と韓国人はどうも仲が良くないらしい」と気づき始めたそうだ。そして、段々と「外国人なんだという喜びが、重荷へと変わっていった」そうである。( p.55) 日本人なら「朝鮮人に生まれた喜びなんてあるのか?」と笑ってしまうが、年端もない信子には朝鮮の実態がよく解っていなかったのだろう。日本には思想の自由があるから勝手だけど、信子は子供の頃、「ハーフ」というのが持て囃されていたので、調子に乗って友達に自慢したそうだ。「私ってハーフなの。かっこいいでしょ。うん、お母さんが日本人でね、お父さんが韓国人なの」と打ち明け、クラスメイトに向かって胸を張っていたそうだ。しかし、両親とも朝鮮人なので、信子はいつバレるかと冷や冷やしたそうである。それでも、小学校を卒業するまで「ハーフ」で通したという。(p.56) それなら、ちゃんと両親とも朝鮮人と正直に話せばいいのに、中途半端に「ハーフ」と自称していたのは、純粋な朝鮮人という身分を心の何処かで恥じていたからなんじゃないか。

  日本で生まれ育つ朝鮮人の子供は、たとえ幼くても自分の家庭は友達の家とは「何か違う!」と感じるらしい。信子が自分を南鮮人と気づいたのは雛祭りや七五三の時だったという。毎年、三月になると近所の友達は、家に雛人形を飾るが、信子の家には無い。羨ましく思った信子は母親に「なぜ、うちではひな祭りをやらないの?」と尋ねる。すると、母親は「うちはね、韓国人だからそういう習慣はないの」と答えたそうだ。(p.48.) 「なんだ、つまらない」と不満を漏らした信子は、姉と一緒に折り紙で人形を作っていたという。七五三の時も同じで、友達は鮮やかな着物を身に纏い、千歳飴を手に持って、お宮参りに行くのだが、信子はそうした友達を眺めているだけだった。そこで母親に尋ねると、「うちは韓国人だから」という答えが返ってくるだけだった。

  朝鮮人の子供に我が国の法律や制度を理解しろというのは酷だが、ふとした事で「自分は特殊なんだ」と自覚する事がある。信子が小学校に上がろうとした時のことだ。近所の子にはちゃんと小学校入学が届くのに、彼女の家には一切送られてこなかった。そこで、彼女の両親は役所に赴き、「子供を学校に通わせてください」と頼んだそうだ。この“不思議”な行動に娘が疑問を持つと、母親は「うちは韓国人だから、お願いしなきゃならないの」と答えたから、信子は目を丸くして耳を傾けたという。信子のような在日鮮人の子供は、成長すると悔しさのあまり、「どうして韓国人だからといって、一々差別されなきゃならないの!」憤る。本来、彼女たちの祖父母が朝鮮に戻らなかったのが悪いだけなのに、朝鮮人は身内を責めず、怒りの矛先を常に“排他的”な日本人へと向けてしまうのだ。そして、いくら高等教育を受けても、この愚かさに気づかない。朝鮮人とは退化へ向けて進化する民族である。

  半島の子供と比べれば、在日鮮人の子供は恵まれている。しかし、快適な生活の代償は大きく、「将来の夢」に制約が附いてしまうのだ。小学生の頃、信子は教師になりたがったそうだ。しかし、その夢を家で話すと、父親の判権は「お前はムリだよ。韓国人なんだから」と否定されたそうである。さらに、娘の心を砕くように父は言う。「先生はダメ、公務員もダメ、普通の会社だってダメだよ。手に職でもつけないと生きてゆけないよ」と窘(たしな)めた。“日本人”のように育った信子は、未来の夢を一瞬で吹き飛ばされてしまい、失望の味を噛みしめていたという。

衝撃のカミングアウト

  朝鮮人の子供は日本人の子と違い、日常生活で特別な恥辱を強いられるから、幼い頃に性格が歪んでしまうことが多い。信子は国立の附属中学を受験するとき、母親から「いい、受験票には姜信子と書くのよ。竹田存子と書いたらそれだけで落ちるからね」と注意されたそうだ。在日朝鮮人というのは、試験用紙とか役所に出す正式な書類には、本名を書かねばならない。日本人の友達はいつでも同じ名前を口にするのに、朝鮮人は時と場合によって使い分けるから、良くて藝能人悪くて工作員みたいな人生を送ることになる。「ジキルとハイド」じゃあるまいし、二重人格者になった気分だ。そう言えば、歌手の和田アキ子は「金海福子」という通名を持っていて、帰化すると「和田現子(あきこ)」に変え、再婚すると「飯塚現子」に変わったという。藝名はしょうがないけど、私生活で名前がクルクルと変わるんだから大変だ。ゴルゴ13でも40年間「デューク東郷」で通しているのにねぇ。

  信子は二つの中学を受験したが両方とも不合格。この結果を聞いた親戚のおばさんは、国籍が原因じゃないかと電話してきたという。そこで、母親は信子に小学校の校長先生に尋ねてみようか、と問い掛ける。しかし、信子は「そんなことやらなくていい」と断ったらしい。彼女は実力があっても国籍で撥ね付けられるんだ、と思い込み、日本人はどうしようもなく在日韓国人を避けているだ、と恨んでいた。「明らかに日本人はプラスで韓国人はマイナス」と述べていた。(p.58)

  信子が中学二年生の時だ。放課後、彼女は友人と二人きりになった時、「私韓国人なんだ」と暴露したという。すると、その友人は「へえ、ノンコは“チョン”なの。“チョン”だったの。全然わからなかったわ」と言い放った。内心、かなりのショックを受けた信子は外の景色を見続けたまま、友人の顔を見ることができなかったという。というのも、友人が何気なく発した“チョン”という言葉が胸に突き刺さったからである。(p. 59.) しかし、哀しいかな、信子は「馬鹿にないでよ!」と怒ることができなかった。彼女は友人の機嫌を損ねたくなかったのか、奇妙な作り笑顔を浮かべてしまったという。この友人との交友関係は続いたというが、信子の心には激しい波紋が広がり、以後、「チョン」という言葉を聞くと過剰反応を示すようになった。当時、「チョン」という差別用語は普通に使われていたようで、みんなが着ていた紺色の学生コートは「チョンコート」、薄くした学生カバンだと「チョンバッグ」、踵が無く爪先の尖った細身の靴は「チョン靴」と呼ばれていたそうだ。筆者には記憶が無いが、信子の言葉を信じるならば、神奈川県の鶴見あたりでは「チョン・グッズ」が普通にあったのだろう。

  蛇足だが、多くの日本人は「チョン」という言葉を朝鮮人の蔑称だと思っている。「バカでもチョンでも」という言い回しがあるので、「朝鮮人=馬鹿」と考えてしまうのだろう。しかし、支那研究者の高島俊男が言うように、この説には根拠が乏しい。「チョン」という“差別用語”は「一人前じゃない奴」を指す俗語で、朝鮮統治以前から日本にあった。しかし、「チョン」と「チョンコ」が混同されたため、「バカチョン・カメラ」という呼称までもが差別表現とされてしまい、今では「コンパクト・カメラ」と言い直されている。本当に嫌な時代になったものだ。昔、三笠宮崇仁殿下が「バカチョン・カメラ」を口にされて批判されたと聞くが、元々この呼び名に悪意はない。筆者が学生の頃、イエズス会神父のピーター・ミルワード教授とお茶を飲みながら話を伺ったことがある。その時、ミルワード神父はイェルサレムで撮った記念写真を筆者に見せて、「私がバカチョン・カメラで撮りました」と笑顔で説明し、やや自慢げに述べていた。筆者は撮影が下手くそだったので、「へぇ~、先生すごいですねぇ~」と褒めたことを覚えている。「馬鹿でも朝鮮人でも扱えるカメラ」と誤解するのは、ひねくれた朝鮮人の一方的な解釈で、当時の日本人はそんなことを思っていなかったはずである。

  話を戻す。日本に住む朝鮮人の子供は、様々な場面で自分が“異邦人”という事を思い知らされるらしい。信子が高校生の時に体験したエピソードが紹介されている。卒業式の三、四日前の事だ。担任の教師から自宅に電話が掛かってきて、「あなたの本名は姜さんでしょ。卒業証書にはどちらの名前を書きましょうか?」という問い合わせが来たそうだ。彼女は一瞬言葉を詰まらせ、「そうですねえ・・・・」と言いながら首を傾げ、10秒くらい沈黙してしまった。そして、迷った末に、「姜で書いてください」と告げたそうだ。すると、担任は確認するように、「姜でいいのですね。どうしましょう、卒業式では一人一人名前を呼ぶんですけど、この時も姜でいいんですか?」と訊いてくる。「いいんです。かまいません」と信子は答えた。

  卒業式当日、壇上の校長は信子の名前を呼び上げた。「姜信子(きょう・のぶこ)」という名前が発せられると、彼女の同級生達はざわつき、「えっ!」という顔で信子の方を見たそうだ。そこで、彼女は動揺してはならぬと自分の勇姿を思い描き、怯みがちな性格を叱咤激励したという。その場は何とか切り抜けたものの、彼女は通名(偽名)で過ごした事を後悔した。最初から本名を使っていれば、衝撃の暴露で縮こまることはなかったのに・・・。でも、信子のクラスメイトだって意外な告白で驚いたはずだ。諸星ダンがウルトラセブンとか、遠山の金さんが御奉行様ならいいけど、一緒に勉強していた級友が朝鮮人だったとは・・・、ショックというか、ちょっと恐ろしい。

  朝鮮名の暴露で傷ついた信子には気の毒な点もある。実は、高校に入学する時、父親が「本名で通いなさい」と勧めたので、信子もその気だったという。「よーし、高校では本名だ!」と意気込んで父親と一緒に高校の事務局を訪れた。父の判権は事務局長に向かって、「娘を本名で通わせたいのですが」と質問する。すると、事務局長は「今でも韓国の方が入学されていますが、皆さん通称をお使いですよ」とアドバイスしたそうだ。しかし、信子はこうした日本人の“親切心”を「余計なお世話」で、差別的な態度と捉えて怒っていた。確かに、朝鮮人であること自体、何ら悪いことではない。ただ、朝鮮人と判ればイジメを受ける虞(おそれ)があるし、朝鮮人の事件が起これば、同じ民族ということで肩身の狭い思いをするかも知れないから、事務局長の判断は妥当と言えよう。何はともあれ、信子が察するように、事務局長は問題の無い円満な高校生活を勧めていたに過ぎない。

  ところが、朝鮮人にとっては、こうした「気配り」が却って屈辱なのだ。事務局長の助言を受け容れた父親は、「そうですか。じゃ、通称で通わせます。どうかよろしくお願いします」と述べてしまった。(p.64.) 信子の父は体を「く」の字形に曲げ、深々とお辞儀をしたそうだ。そして、父は呆気にとられた娘に気づくと、「ホラ、お前もきちんと挨拶しろ」と頭を押さえつけた。「やっぱり、そうだよなぁ~」と我々でも、こうした光景は容易に想像がつく。傲慢な知識人と違い、普通の父親だと教師や官僚に頭が上がらないから、言われたとおりにしてしまうことが多い。信子は帰り際にたいそう不機嫌になっていた。「いったい何のために出て来たのよ!」と忿懣やるかたない。でも、父親は「いいんだよ。先生方がそう言うんだから。その方がいいんだよ」と諭す。後年、信子は本名と国籍を隠してきた子供時代を想い出すと気が滅入るそうだ。「黒く塗りつぶしたい」過去を引き摺る朝鮮人が、日本社会を恨むのも無理はない。

極左の朝鮮人学生と出逢う

  日本は根っからの“お人好し”なのか、受験生の外国人に対して気前が良く、同じ条件で入学を認めたりする。本来なら、朝鮮人には厳しい条件を設け、授業料も三倍か四倍くらい高く取るべきなのだ。信子は在日朝鮮人にしては珍しく「東大文I」に入れた。日本人でも滅多に合格しない帝國大学に合格したんだから、周りから「民族の星」と持て囃されたのも当然だ。信子の方も嬉しくてたまらず、意気揚々であったという。しかし、その学生生活は“やはり”朝鮮人的であった。大学生になって「民族の自覚」が更に強くなったのか、信子は朝鮮民族について「もっと知りたい」と望むようになった。幸運なことに、東大は左翼の巣窟。碌でなしのアカや不逞鮮人なら幾らでもいたのだ。

  本郷でも駒場でも、朝鮮人や支那人は水を得た魚のように活き活きしている。キャンパスをうろうろする信子は、日朝問題研究会が主宰する読書会に誘われたという。(さすが、教養の無い姜尚中が教養学部の教授になれた東大だ。生協の隣に朝鮮部落があってもおかしくはないぞ。) この読書会は極左グループに相応しく、朝鮮問題を越えて『資本論』や『共産党宣言』にまで及ぶテーマを扱っていたそうだ。(p.78) 日朝問題研究会の中心メンバーは、通り過ぎる学生に無視されても、キャンパスで堂々とアジ演説を行う連中だった。ところが、時折、彼らは読書会を欠席することがあったそうだ。なぜなら、ここのメンバー達は左翼デモに参加し、公務執行妨害で警察に捕まることがあったからだ。呆れて物が言えないが、研究会のメンバーは、みんな公安のブラックリストに載っていたという。これで国外追放にならないんだから、在日朝鮮人は特権階級である。信子の話によると、素性のよく判らない別のメンバーは、裏ルートで北朝鮮に行ったことがあるという。案の定、彼らは半年ばかり公安に尾行されたそうだ。信子に指摘されなくても、彼らが筋金入りの社会主義者であることくらい我々でも判る。

  在日北鮮人というのは、豊かで快適な日本に住みながら、恩人たる日本人をいつまでも呪い、同胞を苦しめる朝鮮労働党を支援する。彼らは祖国を理想化し、南鮮の民衆は米国と日本に搾取されてると憤り、米国の世界戦略の中に組み込まれていると非難していた。その一方で、北鮮は“多少”の問題はあるが、自力で着々と発展を遂げていると信じていた。こういう妄想を聞くと、「試しに北鮮に帰ってみろ !」 と言いたくなる。餓死者が出ていた北鮮なんか、虫けらの方が幸せに見えるくらい、史上稀に見る生き地獄。 空腹の北鮮人は山でカエルとかミミズを見つけると、「やったぁ !肉にありつけた!」と躊躇わずに口にしたそうだ。北鮮に住んでいると、『レ・ミゼラブル(あゝ、無情)』の世界なんてちっとも憐れじゃない。盗むパンが市場にあるだけマシだ。

  朝鮮人学生と交流はあったものの、信子は社会主義よりも民族主義に関心があったようだ。朝鮮人に首尾一貫性とか、言行一致を説いてもしょうがないけど、日本への帰化を避け、朝鮮人の「民族性」を守り通すことが大切であるというのなら、朝鮮半島で民族性とやらを保存してくれ。信子は「民族の一員として南北統一の実現を支援し、貢献すること、民族差別に対して闘うことが重要なのだ」と語っていたが、じゃあ、どうして、在日鮮人は何時までも日本に居坐っているんだ? 嫌いな日本に残っていないで、さっさと半島に帰ればいいのに。日本人は拳銃を突きつけ、「日本から出さないぞ!」と脅したことは一度もない。日本は冷戦時代の東ドイツじゃないんだ。だいたい、朝鮮人は言葉と行動が違いすぎる。在日三世とか四世、五世・・・十二世とか、ハプスブルク家の貴族じゃあるまいし。

  しかし、在日朝鮮人は快適な日本に住み続ける代償として、アイデンティティー・クライシスに陥ることがあるらしい。彼らは「いったい、自分は何者なのか?」という疑問に絶えず悩むそうだ。ある時、信子は「張」という鮮人学生から、自分が「協定永住者」という身分であるとこを知る。信子も他の鮮人と同じく、敗戦後の国籍喪失に恨みを抱いていた。1952年のサンフランシスコ平和条約で在日朝鮮人は「日本国民」から「外国人」に戻ってしまった。敗戦後、日本に留まった朝鮮人の身分を述べると長くなるので省略するが、結論を言えば、朝鮮人が半島へ戻るのは当然である。帰らなかった朝鮮人というのは、大抵、闇市の旨味や文明国の恩恵を手放したくなかった連中だ。信子のような在日三世は、勝手に作られた法律で「外国人」にされたことを恨んでいるが、本来、朝鮮に戻らなかった祖父母が悪い。信子は日本にあれこれ不満を述べるが、その一方で強制退去というオプションを本能的に恐れていた。

  (在日朝鮮人が強制退去に応じるとなれば)日本での生活を失って、ほとんど異郷である韓国で生きて行かねばならない。これはもう「死になさい」と言われるのにひとしい。いつ沈むかもわからない「ひょっこりひょうたん島」にのって、大海を漂っているような気分である。(pp.93-94.)

  現在の朝鮮人と同じく、昔の在日鮮人も結果はどうであれ、とりあえず南北統一を望んでいた。信子は同じ朝鮮人なのに、南北で国籍が別れていることに不満だった。同胞愛が芽生えたのか、北鮮籍の者が「協定永住」からこぼれてしまう事に文句を垂れていた。でも、日本は北鮮と国交がないから仕方ない。そもそも、「朝鮮籍」に不満な在日鮮人は、嫌いな日本人と一緒に暮らしていないで、将軍様がいらっしゃる平壌に戻ればいいじゃないか。日本人から言わせてもらえば、朝鮮人は居るだけで迷惑だ。信子は政治イデオロギーで朝鮮が南北に分断されたことを悲しみ、「やるせない気分」になったそうだが、それなら半島に移住して、政治活動をすればいいじゃないか。日本政府は在日鮮人を鎖で繋いで帰国させない訳じゃないぞ。だいたい、信子のような民族主義者は、どうして“いつまでも”日本に留まって、朝鮮問題をあれこれ論じているんだ? 南鮮の選挙権があるんだから、政治家になって南北統一に貢献しろ! たとえ、議員になれなくても、ソウルで勉強し、朝鮮人の学校で教師になればいいじゃないか。

  「韓国人としての私」というアイデンティティーを確立したい信子は、通名を用いて“日本人”のように暮らしていた自分を羞じ、韓国を知らずに育ってきた自分に腹を立てていた。成人してから日本に渡ってきた在日一世と違い、日本で生まれ育った二世や三世は、勝手な想像を膨らませ、理想の祖国を頭に描く傾向が強い。民族意識に目覚めた在日南鮮人は、意識的に「韓国人」ななろうと努力する。なぜなら、信子が言うように、彼らは日本に住んでいても日本人ではないからだ。とはいえ、彼らは哀しい立場にいる。韓国人といっても実際の韓国を体験したことがないのだ。信子はつぶやく。

  居場所がない、どこにも属していない中途半端な自分。そのつかみどころのない感情が確かな位置を見つけたいという衝動をかりたてる。そして、「民族」へと傾斜していく。あるべき韓国人像があって、それに近づこうと懸命だ。・・・自分自身もなかなか理想にたどりつけず、ギャップに悩んだりする。「いったい、私は何者なのかしら? 韓国人であることってどういうこと? 民族ってなんなの?」迷路にはまりこんでいくようでもある。(p.99)

  在日朝鮮人には民族性を意地でも貫こうとする者と、日本の生活に同化し、帰化をして楽に暮らしたいと考える者もいる。しかし、彼らは帰化をすることを「民族への裏切り」と考えてしまう。でも、帰化した方が何かと便利だから、現世の利益を優先させて「日本人」になってしまうのだ。ところが、「日本国民としてどう生きるべきか」といった議論は無い。なるほど、料理とか祭祀といった朝鮮文化をどうするかについて論ずる事はある。しかし、国家元首である天皇陛下への忠誠心とか、皇統への尊敬心、国家存亡の秋に備えての覚悟、あるいは日本文化を守ろうとする熱意は一切無い。帰化鮮人にとり、日本国籍は運転免許証のようなものだ。こんな連中が日系日本人と同じ有権者となり、「日本国民の権利」を享受するんだから、激怒しない日本人の方がどうかしている。

  朝鮮人は日本に帰化しても「日本人」になる訳じゃない。彼らにとって日本は便利で快適な住宅地ていどである。したがって、帰化申請には厳格な尋問が必要だ。日本国民の仲間になる外国人が、我々から審査を受けないということはおかしい。朝鮮人や支那人にっとて「忠誠の誓い」なんて意味が無い。利益の為なら平気で嘘をつく連中だ。そもそも、彼らには日本への愛情があるのか? 一般的に、朝鮮人は反日だから、英霊に感謝することはなく、靖國神社が訪日鮮人によって放火されても何とも思わない。竹島や対馬が南鮮人に占領されても当然と考える。日本の山林や観光地が支那人に買収されても無関心。彼らの愛情は恩恵を受ける日本ではなく、祖父母が眠る朝鮮へと注がれるだろう。とりわけ、日本で官僚や議員になった帰化鮮人の子供は、日鮮の架け橋になりたいと願い、朝鮮半島が統一されれば支援金を出そうと考えるし、南北分断のままなら、北鮮に戦後賠償を支払おうと提案するはずだ。彼らの心は依然として朝鮮人のままだから、間違っても、反日を繰り返す南鮮に「経済制裁を加えろ!」とか、国家犯罪を続ける「北鮮を空爆せよ!」とは言わないだろう。いくら学校で多民族社会を教えても、帰化鮮人と日系日本人は血統が違うから「同胞」にはならない。やがて平成が終わり、新たな元号を迎えるが、日本は段々と日本ではなくなって行くだろう。日本を憎む帰化鮮人やその子孫、およびアジアからの移民が到来すると、日本を憎む者は着実に増えるが、日本を愛する日系日本人は混血の進展で減少する一方だ。日本でK-ポップが主流になる日は近いぞ。



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