黒木 頼景
成甲書房
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朝鮮人の異常性は普通だ
(左 / 文喜相 )
毎度の事だけと、「また、朝鮮人の反ほ日暴言か!」とウンザリする。南鮮の国会議長である文喜相(むん・ひさん)は、戦場売春婦(鮮ピー)に関する解決策として、天皇陛下の謝罪を求めたという。この朝鮮人議員がどんな意図で発言したのか分からないが、その要求は問題の解決ではなく、更なる対立を深めただけで、日本の輿論を激昂させるだけだった。とりわけ悪質なのは、文議長が天皇陛下を「戦争犯罪の主犯の息子」と呼んだことだ。もう、これは火に油どころか、カソリンを注ぎ、ナパーム弾を発射したようなものである。「馬鹿な不逞鮮人」と呼べばそれまでだが、案外、この発言は朝鮮人の本音と本質を示しており、彼らの思考形態を知る上で役に立つ。
日本人は朝鮮人が愚かな言葉を吐く度に憤りを感じ、証拠や論理を用いて反駁するが、そんな抗議は「ぬかに釘」というか、蛙のツラに小便で、何の効果も無い。歴史の捏造や被害妄想は朝鮮人の宿痾(しゅくあ)で、国民性でもある。ここでは詳しく述べないが、彼らの過去を調べれば分かるじゃないか。朝鮮で宣教活動をしていたシャルル・ダレ(Charles Dallet)神父は次のように述べている。
朝鮮の貴族階級は、世界中で最も強力であり、最も傲慢である。他の国々では、君主、司法官、諸団体が貴族階級を本来の権限内におさえて、権力の均衡を保っているが、朝鮮では、両班の数が多く、内部で対立しているにもかかわらず、自分達の階級的特権を保持し拡大するために団結することはよく心得ており、常民も官吏も、国王すらも、彼らの権力に対抗できないでいる。
ダレ神父は更に続けて言う。
朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君の如くふるまっている。大両班は、金がなくなると、使いの者をおくって商人や農民を捕らえさせる。その者が手際よく金を出せば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物も与えられず、両班が要求する額を払うまで笞打たれる。(ダレ 『朝鮮事情』 金容権 訳、東洋文庫、平凡社、 1979年、p.192)
朝鮮の過去はこんな具合だから、日本の子供が朝鮮人の歴史を勉強したがらないのも当然だ。そもそも、貴重な人生をすり潰して、下らない民族の悲劇を学ぼうとする日本人は何人いるのか? 彼らの歴史は「悲惨」の一言に尽きる。朝鮮の民衆は両班に虐げられ、理不尽な扱いを受けても、それを甘受するしかなく、「社会正義」なんてモノは端っから無い。公正な裁判とか、慈悲深き行政、人間らしい取り扱いは、日本統治になってから初めて“出現”したものだ。日本人は支那人が言うような「東洋鬼」ではなく、「空から舞い降りた天使」といった感じ。朝鮮人にとっては日本人に支配された期間が最も幸福な時代で、日本統治を除いたら、あとは忌まわしい暗黒時代。歴史的に、朝鮮人は“いつも”弾圧されるか、抑圧され、虐殺されるかのいずれかだったので、他人を恨むことが身に染みついている。よく鯉や鮒を触った時、手に附いた「臭み」が中々消えないが、朝鮮人の「いじけた精神」はそれと似ていて、擦っても洗っても一向に消えることはない。彼らは「アイゴ~」と泣く事だけがうまくなった。それにしても、玄関の足ふきマットじゃあるまいし、毎度毎度、支那人とかモンゴル人、両班から踏まれ続ければ誰だって嫌になる。朝鮮の民衆がひねくれてしまうのも無理はない。
(写真 / 日本人とは違う伝統的な朝鮮人)
日本の保守派は朝鮮人が反日発言を口にする度に怒っているが、こうした侮辱が繰り返されているのは、日本人が武士の魂を放棄し、卑屈な商人へと成り下がっているからだ。日韓議連の政治家は、国家の名誉よりも経済的利益を優先する連中、あるいは朝鮮人に媚びる卑屈な下郎にすぎない。もし、日本人が圧倒的な軍事力を誇り、敵対する国には容赦無く報復攻撃を加える国民であれば、朝鮮人とて“ちょっと”は自分の行動を考え直すだろう。多少なりとも賢い鮮人なら、「やはり日本人は怖いから、やめとくか!」と怖じ気づくはずだ。したがって、日本が棍棒を振りかざす強国になれば、南鮮は自ずとおとなしくなる。朝鮮人を黙らせるには、武力行使が一番。
そもそも、南鮮人がナメた態度を取るのは、日本人による実際上の仕置きが無いと分かっているからだ。つまり、日本人は何を言われても小声で反論するだけで、決して軍事行動を取る事はない。一方、朝鮮人が矢鱈と支那人やロシア人に従順なのは、その狂暴性と実行力を理解しているからだ。支那人にとったら朝鮮人など虫けら程度。朝鮮人の顔面を靴で踏みにじることに慣れている。朝鮮人の扱い方は、支那人に学ぶべし。日本人は根本的に温厚で、こちらが誠意を示せば、相手も誠実に対応してくれると思っている。だが、熾烈な生存競争を繰り広げてきたアジア人には、こうした相互主義というか、思いやりの以心伝心は通用しない。朝鮮人を“対等”な人間と考える日本人の方が間違っている。クルクルパーの民族は、左や右に回しても治らない。あと何百年経っても朝鮮人は今のまま。日本人は彼らの頭を引っぱたいて調教するしかない。
矜持を放棄した日本人
非常に残念な話であるが、敗戦を境にして日本人は大きく変わってしまった。荒廃した国土を建て直すことは出来たが、精神の恢復は置き去りにされ、まるで別の民族になってしまったかのようだ。戦前の日本人は命よりも名を惜しんでいた。しかし、国家の背骨を支える帝國陸海軍が解体され、占領憲法が国民の頭に刷り込まれると、損得勘定が人々の関心事となってしまった。武士を廃業し、商売一筋と決めた国民は、金銭の額で物事を測るから、いくら皇室を侮辱されようが一向に気にせず、せっせと貿易に勤しむ。別に天皇陛下を守ったところでゼニが増える訳じゃない。それよりも、朝鮮に商品を売りつける方が大切だ。観光地の日本人だと、朝鮮人が来なくなる、店の赤字が増えてしまう、といった不安で毎日を過ごす。また、パチンコ屋から献金を受けた議員は、怒れる国民を何とか宥めようと努力する。額賀福志郎に至っては論外としか言いようがない。南鮮へノコノコと出向いて、御機嫌伺いなんだから、見ている日本人の方が恥ずかしくなる。国民の多くは忘れているけど、額賀は小泉政権下で防衛庁長官だった。(日本には国防担当大臣の人格検査はないのか?) 朝鮮系企業に媚びるテレビ局も同様で、南鮮を非難するのではなく、日本国民に自制を求める。
(左 / オズヴァルト・シュペングラー)
教育界を左翼教師に牛耳られているからしょうがないけど、現在の日本人は拘束衣を装着された囚人に等しい。国家元首を侮辱されたのに、政府は遺憾の意を示すだけで、形式的な抗議だけに留まっている。本来なら、大使を引き揚げ、経済的かつ軍事的にも南鮮を見放すべきなんじゃないか。日本の教育で致命的に欠けているのは、名誉を重んずる訓育だ。日本の政治家や官僚、とりわけ外交官に卑屈な者が多いのは、学校で国家の名誉を習っていないからだろう。受験勉強では皇室の有り難さなんか出題されないし、国家の威厳が如何に重要であるかは問われない。有名な歴史哲学者のオズヴァルト・シュペングラー(Oswald A. G. Spengler)は、名誉についてこう述べている。
あらゆる生きた道義の根本概念は名誉である。その他のものは忠誠であれ、謙遜であれ、大胆であれ、武侠であれ、克己であれ、果断であれ、すべて名誉のなかにある。・・・名誉を失うとは、生命、時間、歴史にとって、無となることである。(オズヴァルト・シュペングラー 『西洋の没落』第二巻、村松正俊 訳、五月書房、昭和53年 p. 284)
そして、名誉の無い人間というのは、
土糞のような魂、賤民である。「踏んでくれ、だが命だけは助けてくれ」という連中である。侮辱を甘受し、敗北を忘れ、敵の前に首を垂れる・・・・ (上掲書 p.285)
確かに、朝鮮半島は日本の国防を考える上で重要な地域だが、肝心の南鮮が北鮮に擦り寄っているんだから、我が国としては対馬近くまで共産圏が迫っていると考えるべきだろう。また商売上、南鮮に未練がある日本人もいるだろうが、国家の誇りを捨ててまで我慢することはない。多少の損害が出ても、南鮮人と手を切ることで得られる爽快感は決して小さくないはずだ。想い出してみよ。敗戦で我が国は米国に朝鮮(外地)を奪われたが、一般国民は悲しむどころか、「あぁ、やっと肩の荷が下りた!」と安堵した。つまり、いつもトラブルを引き起こす厄介者がいなくなり、面倒な後始末をしなくて済む、と判ったので清々したのだ。
文議長の暴言に対し、外務大臣の河野太郎は外交ルートを通して抗議を行ったというが、そんな政治的演技で朝鮮人が反省するとでも思っているのか? 南鮮側に軍事的恫喝を加えられないとすれば、せめて経済支援を断ち切るとか、在日南鮮人を悉く叩き出す、あるいはビザ無し渡航を禁止するなど、幾らでも手段があるだろう。やろうと思えば、日本は南鮮に嫌がらせを出来る。例えば、南鮮との合意があっても、そんなの破棄して、前科者の在日鮮人を南鮮に返してやればいい。強姦魔の朝鮮人とかヤクザの在日鮮人を帰還させるなんて素敵なプレゼントだ。日本国民が心から尊敬する天皇陛下を侮辱するような朝鮮人に遠慮することはない。日本人は祖国の地理を考え直すべきである。日本の不幸は朝鮮半島や支那大陸の近くにあることだ。それなのに、我が国の政府は朝鮮人や支那人の利益を考慮して、経済援助を与えたり、日本への留学を奨励したり、と日本人の不幸を増大させることばかり。日本国政府は自国民の利益と幸福を優先させるべきなんじゃないか。
朝鮮人の入植地となる日本
(写真 / 愉快な朝鮮人)
現在、支那の景気は急速に後退し、米国との軋轢もあって、習近平は窮地に立たされている。南鮮も経済が低迷し、南鮮社会は凋落へとまっしぐら。日本の経済評論家は支那と南鮮の崩壊を云々しているが、日本人にとって心配なのは、混迷を深める支那や朝鮮から迷惑な移民や難民が潜り込んでくることだ。支那人や朝鮮人には愛国心など微塵も無いから、自分の都合だけで米国や日本に向かって逃げ出してくる。特に、我が国の役人や議員は脳天気か売国奴だから、「いゃ~、人手不足の解決になる!」とか「優秀な人材が来てくれて嬉しい!」と言って手放しで歓迎するだろう。だが、こうした逃亡移民が日本に住みつくことで日本がどうなってしまうのかを考えない。朝鮮人は日本に住みつき、国籍を取得しても親日になることはない。親から受け継ぐ憎しみを日本で再開するだけだ。そして、日本は南鮮の延長、ないし飛び地になる。手っ取り早く言えば、日本は朝鮮人の入植地になる、ということだ。
現状でも、支那系や朝鮮系の人物から裏献金を受けている政治家が多いのに、帰化人の増大となれば、合法的な献金が横行するはずだ。そして、テレビ局も同様に支那朝鮮の犬と化す。スポンサーを神様とするテレビ局は支那系や朝鮮系の広告主に気兼ねするから、提灯番組が制作されるのは目に見えている。また、帰化人の議員や官僚も増えるから、アジア移民に対する福祉が手厚くなり、家族の引き寄せも簡単になるだろう。その一方で、皇室への予算は大幅にカット。朝鮮系国民にしたら、皇族は無駄飯を喰っているタカリ屋に過ぎず、憎悪の対象でしかない。朝鮮半島の南鮮人が陛下を侮辱するなら、外交関係を断ち切ればいいけど、日本国籍を取得した朝鮮人が暴れ出すと本当に厄介だ。彼らがどれほど皇室を侮辱しても、日本政府が不逞鮮人の日本国籍を取り上げ、朝鮮に送り返すなど絶対に無理。要注意鮮人のブラックリストを作っただけでも大騒ぎとなる。それにもし、帰化鮮人の背後に帰化支那人が附いたら、反日騒動はもっと複雑になるだろう。
現在の日本人がなぜ腑抜けになったのかと言えば、命に代えても名誉を守るという気概を失ったからだ。昔の日本人は生き恥を晒すことを恐れ、死よりも嫌っていた。ところが、戦後教育を受けた日本人は、誇りよりも金銭を大切にする。いくら妄言を吐く朝鮮人でも、「お客様」となれば日本の商人は土下座も厭わない。しかも、人権重視を刷り込まれているから、日本の国益は二の次三の次となり、気がつけば何処かに消えていたりする。こんな状況で帰化鮮人が増えれば、尊皇精神なんて風前の灯火だ。帰化鮮人の子供やアジア系の混血児に皇室を敬う心は芽生えないから、天皇陛下への尊敬は淡水よりも薄くなる。こうしたニュー・ジャパニーズは「天長節」と聞いてもピンとこない。「テンチョーセツ?」と聞き直し、都市伝説の類いと勘違いしてしまうだろう。彼らにとって天皇誕生日は「天皇陛下、万歳!」と叫ぶ記念日ではない。遊園地に出掛ける日とか、バーベキューを楽しむ日といった程度。だいたい、いま日本に住んでいる帰化鮮人のうち、何名が文議長の暴言に対し憤りを感じたのか? 拳を振り上げて怒っているのは保守系の日系日本人だけだぞ。なるほど、朝鮮人が移住してくれば、僅かながらでも子供の数は増えるだろう。しかし、皇室を中心とした伝統的日本は徐々に衰退する。いずれ学校で教える「国史(日本史)」も、他人事みたいな「外国史」になるんじゃないか。
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私の女房は以前、南鮮出身の朝鮮人の持ち店を借りて商売をしていました。美容院です。
15年前に駅前開発で立ち退きになり、敷金の二百万円を返してもらった時のことです。二百万は銀行の帯封がついた束です。私はその札束を数えました。すると一万円足りません。「一枚すくないね」「あ、支払いに一枚かりたのを忘れていた」財布から一万円だしました。
とくに驚きはしませんでした。憤慨したり怒ったりもしませんでした。だって怒るや憤るのは、相手と信頼関係があるからそんな感情になる訳でしょ?朝鮮人と笑って世間話をするのと朝鮮を信用するのとではまったく違います。だから黒木さんに拍手です。
明治までの日本人は、世のため人のためになるのだったら死んでもよいと学んでました。いまは自分の快楽に生きるか、らくに金を儲けることが人生の目標です。
日本人も朝鮮人や中国人とおなじになったのかなぁ。