教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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野心と復讐が満載の海賊ドラマ

Vikings Ragnar 3Vikings Lagertha 2








  「History」チャンネルの大ヒットTVドラマ『ヴァイキングズ(Vikings)』が、高視聴率を以てシーズン5を終了した。このドラマは伝説の英雄ラグナー・ロスブロックの活躍を描いた作品で、シーズン4からは、その息子達の戦争や内紛をテーマにしている。このドラマにおける見せ場は、何と言っても壮絶な戦闘にあり、ヴァイキングが敵を殲滅するシーンは圧巻だ。日本の時代劇だと、剣の達人が一瞬の隙を突いて相手を斬りつけるといった名人技か、大勢の兵隊を集めただけの合戦が主流となっている。しかし、北歐戦士の殺し方は“雑”というか、腕力で押し切るといった感じだ。とりわけ、斧で相手を惨殺するシーンは凄まじく、鬼包丁よりも肉厚の手斧が敵の肉体に食い込み、鮮血が噴水のようにほとばしる。TBSの時代劇に慣れた日本人だと、「えぇぇ~! こんなドラマ放送していいの?」と驚いてしまうだろう。ウァイキングにとったら戦争は一種の家業で、生き甲斐という側面もある。キリスト教に染まっていないゲルマン人には、手当たり次第の殺人が悪いなんて感覚は一切無い。これは言いづらい事だけど、キリスト教的倫理観に囚われない殺戮がヴァイキング映画の魅力となっている。

Vikings Ragnar death(左  /  毒蛇に噛まれて死亡したラグナー・ロスブロック)
  歴史ドラマには、戦争や策略、欲望、愛情に加えて、登場人物の様々な人間模様が描かれているが、復讐というテーマも欠かせない要素だ。もちろん、『ヴァイキング』にも恨みを晴らす復讐劇があった。シーズン4で主人公のラグナーは、ノーザンブリアの王エッラ(King Aelle)に殺されてしまう。フランス遠征で失敗したラグナーは故郷のカタカットを去り、イングランドへと渡ってしまうのだが、そこで運悪くエッラ王に捕らえられ、恥辱的なリンチを受けてしまうのだ。嬲(なぶ)り物にされたラグナーは、最終的に地面に深く彫られた穴へと突き落とされてしまう。だが、そこには沢山の毒蛇がとぐろを巻いていた。観ているだけで背中に戦慄が走るが、負傷したラグナーは運命に身を任せ、蛇に噛まれながら絶命してしまうのだ。しかし、彼の息子達は後に復讐を果たす。ラグナーにはビョルン、ウベ、ヴィトゼルク、シガード、アイヴァーという五人の息子がいて、彼らは仲間を引き連れてエッラ王を捕らえることに成功し、親の仇(かたき)を「血の鷲(blood eagle)」という残酷な刑罰につける。

King Aelle 2King Aelle blood-eagleKing Aelle 3








(左: エッラ王  / 中央: 「血の鷲」を説明した絵   /  右: 宙吊りにされたエッラ王)

  酷刑の方法は次の通り。ヴァイキングたちはエッラ王を丸太に押しつけ、うつ伏せにさせたまま、その両手に太い釘を打ち込んで固定する。そして、ビョルンが熱した刃物で王の背中を切り裂く。背中の皮膚をめくって赤い肉と背骨が現れると、そこを手斧で打ちつけるもんだから、エッラ王は堪らず絶叫する。しかし、ビョルンは容赦なく手斧を振り下ろし、脊髄を叩き折り、肺を剔ってしまうのだ。壮絶な生き地獄を味わったエッラ王は即死。ラグナーの息子達は王の死体を宙吊りにして晒し者とする。王の遺体は背中に羽根が生えたような姿になっていた。女性の視聴者だと、思わず目を背けたくなるシーンだが、ヴァイキング達は夜中に行われた、この儀式的処刑を楽しんでおり、ちっとも悪いとは思っていないのだ。彼らにとって復讐は当然の義務である。仇討ちが禁止されている現代とは大違い。法学者が何と言おうとも、行政の役人が復讐の肩代わりをするなんて茶番だ。いくら犯人の死刑が実行されたからといって、遺族の気持ちが晴れるわけじゃない。やはり、遺族が直接手を下してこそ、本当の死刑である。そうじゃないと、いつまでも遺族は鬱血した状態のままなので本当に気の毒だ。(日本は古代人に倣って、原始的な処刑法を復活させるべきなんじゃないか。案外、ヴァイキング式の復讐は歓迎されるかもよ。)

Vikings Lagertha 1Vikings Queen Aslaug 2(左: ラガサ  /  右: アスラグ)
  話を進める前に、ラグナーの家族について紹介したい。「英雄色を好む」というが、ラグナーも例外ではなく、正妻が居るのに別の女性を愛してしまった。正妻は王になる前から一緒に暮らしていたラガサで、彼女との間にはビョルンが生まれている。二人にはガイダという娘がいたけど、村に発生した疫病で失ってしまうのだ。その後、カタカットの王になったラグナーは、イングランドの侵掠を計画し、妻ラガサを残して仲間と共に遠征へ旅立つ。故郷を離れたラグナーは、ふとした事からシグリッドとブリンヒルドの娘であるアスラグに一目惚れ。彼女の魅力に抵抗できなかったラグナーは不貞を犯し、結果的に子供をもうけてしまう。これに我慢できなかったラガサは家を出る決心をする。戸惑っていた幼いビョルンは、母のラガサが旅立つ時、居たたまれなくなって態度を翻し、ラガサと共にラグナーの許(もと)を離れることにした。やはり、後妻や異母兄弟と暮らすより、実の母と一緒に暮らしたいと考えたのであろう。ラグナーは胸が張り裂けるほど悲しんでいたが自業自得だ。

Vikings Bjorn 01Vikings Bjorn 03(左: 少年時代のビョルン /  右: 「強靭(Ironside)」と呼ばれるようになったビョルン)
  ラグナーが君臨する村「カタカット」では、二番目の妻アスラグが女王になって夫を支えることになった。彼女は次々とラグナーの息子を身籠もるが、末っ子のアイヴァーだけは丈夫な子供でなかった。年上の息子三人、ウベとヴィトゼルク、ジガードは五体満足で生まれたが、アイヴァーだけは脚に障碍を持ち、まともに立つ事すらできない。アイヴァーは動くときはいつも両手を使い、地面を這いつくばるように進んでいた。(後に、鉄製の脚甲冑を作らせ、それを装着して立てるようになっている。) だが、兄弟の中で最も知能が高く、強固な意志を持っていたのはアイヴァーだ。父のラグナーはアイヴァーの素質を見抜き、不具の息子に智慧を授け、立派な統率者に育てようとした。父の薫陶を受けたアイヴァーもそれに応え、片輪の身体にめげることなく、強靱な精神を持つ戦士に成長したんだから偉い。彼は兄弟をも従えるほどの指導者になっていた。

Vikings Ubbe 1Vikings Hvitserk 2Vikings Sigurd 1Vikings Ivar the Boneless







(左: ウベ    /    ヴィトゼルク    /     ジガード     /    右: アイヴァー )

  ところが、「骨なし(Bonless)」と呼ばれたアイヴァーには、劣等感ゆえの傲慢さなのか、矢鱈とプライドが高く、野心が強すぎるという欠点があった。確かに、鋼鉄の意思はリーダーの特質になるが、周囲の人間に対する兇器にもなり得る。アイヴァーは兄弟揃って食事を共にした時、シガードの軽い嘲笑に激昂し、その場で手斧を投げつけ、侮蔑的な兄を殺してしまったのだ。アイヴァーの性格は兄弟の関係をぎくしゃくさせ、団結を誓っていたラグナーの息子たちにも亀裂が生じ、次第に骨肉の争いへと発展する。長兄のウベと末弟のアイヴァーは対立し、袂を分かつことになるのだが、ヴィトゼルクは迷った末に、アイヴァーの側に附いてしまう。理由は明らかにされていないが、アイヴァーの気魄に靡いてしまったのかも知れない。

  しかし、弟に与したヴィトゼルクは後悔することになる。アイヴァーは自分を神の如き君主と思うようになり、独裁者のように振る舞い始めた。元々、ヴァイキングの王は絶対的な君主というより、対等な者からから推挙され、戦争の時に皆を統率する首長といった感じだから、神々の権化なんていう身分じゃない。ヴィトゼルクはアイヴァーの変質に反撥を抱き、敵対していたウベとビョルンの陣営に寝返ってしまうのだ。一方、アイヴァーと対峙したウベは、異母兄弟のビョルンと組んでアイヴァー軍と戦うことにした。ラガサの運命も数奇で激しい。ある時、ラガサは敵対するイングランド人の司教ヘフマンドを捕虜にする。しかし、いつの間にか二人は肉体関係を結ぶ仲になってしまう。今でこそ、カトリック教会の司教は独身が掟となっているが、古代までは厳格な独身制はなく、妻や愛人を持っている聖職者は珍しくなかった。また、当時の聖職者は質が違っていて、剣を持って戦うことに抵抗がない。ヘフモンドはシェルボーンの司教であるが、単に儀式を執り行うだけの聖職者ではなかった。彼は異教徒からキリスト教国を守る戦士という側面を持っている。異教徒からキリスト教国を守るという名目だったが、戦場に飛び出すと豹もビックリするほど豹変するんだから凄い。このクリスチャン戦士は鬼神の如く剣を振り上げ、次々とやって来る敵兵を滅多斬り。血塗れになってヴァイキングを叩っ斬る姿を見れば、司祭の方が副業なんじゃないかと思えてくる。

Vikings Heahmund 01Vikings Heahmund & Lagertha








(左: ヘフマンド司教  / 右: ヘフマンドとラガサ )

  ヘフマンドと恋に落ちたラガサだが、彼女と息子のビョルンには平穏な日々は無い。何と、ラガサは夫を奪った後妻のアスラグを殺していたのだ。母の復讐を誓うアイヴァーは、ラガサとビョルン、ウベが統率する軍隊と対決する。この戦いは熾烈を極めたが、アイヴァーは見事勝利を収めることができた。一方、負けたラガサたちは途方に暮れ、ヘフムンドの仲介で若きアルフレッド大王が君臨するウェセックスへと逃れる。アルフレッドの庇護を受けたウベは、北歐の土着信仰を捨て去り、よく理解していないがサクソン人たちが信じるキリスト教に改宗する。ウベは国王のアドヴァイザーに納まったが、アルフレッドの側近たちはヴァイキングの改宗者を胡散臭く思っていた。しかし、来たるべき戦争に備えねばならないアルフレッドにとって、この新参者は心強い味方である。何しろ、北歐の戦士は殊のほか勇敢で、懼れを知らぬ百戦錬磨のベテランだ。戦闘経験の無いアルフレッドにしたら“文明化”された家臣よりも頼もしい。

  古代の王様は部下を率いる力強い指導者でなければならない。後方に控えて「よきに計らえ!」と命令するだけじゃ駄目だ。出陣の前には感動的な言葉で仲間を鼓舞し、戦闘開始となれば先陣を切って戦わねばならない。そこで、アルフレッドはウベに戦い方を教えてもらうことにした。依頼を受けたウベは、森にアルフレッドを連れだし、戦士としての心構えを叩き込もうとする。彼はアルフレッドに樹木の前に立つよう命じた。意味の分からぬアルフレッドだが、ウベがそう言うので仕方なく彼の指示に従うと、ウベはいきなり手斧を投げつけた。若き王は即座に「何をする!」と激怒する。だが、ウベは構わず次の手斧を投げつけた。理屈よりも実践第一。これはある意味、空手やボクシングの練習よりもキツいんじゃないか。もし、斧が当たったら、アルフレッドは即死だ。

King Alfred 03Vikings Ubbe & King Alfred








(左: 若きアルフレッド大王  /  右: ウベとアルフレッド)

  ウベの特別訓練は恐怖心の克服にあった。戦場に出れば、敵は死に物狂いで襲いかかってくる。弓矢が飛んでくることもあれば、剣や斧で向かってくる者もいるから、怯むことは即「死」に繋がってしまうのだ。相手が誰であろうと恐れず立ち向かうことが肝心で、そのためには恐怖心を忘れなければならない。当時のヴァイキングは勇敢に戦って死ねばヴァルハラ(Valhalla)に行けると信じていた。「ヴァルハラ」とは主神であるオーディン(Odin)が主宰する殿堂で、ヴァルキューレ(Valkyrie)が戦場で斃れた戦士をここへ連れてくるという。要するに、英霊が集う死後の世界ということだ。ヴァイキングにとって戦死は総ての消滅ではなく、ヴァルハラへの旅立ちであったから、心置きなく戦うことができた。戦士文化では激戦での討死が名誉となる。ちなみに、戦場へ赴く前に転んで死んだり、愛人と寝ている時に腹上死じゃヴァルハラには行けなかったようだ。

  現在、日本人が劣等民族になっているのは、戦士が持つ尚武の精神、すなわち命知らずの闘魂を失っているからだ。大東亜戦争でボロ負けした日本人は、勝者から倫理的に責められ、武器を棄てることが善人の証しであると信じてしまった。保守派の評論家は単純な発想からアメリカを批判して有頂天になっているが、本当に悪質なのは占領軍でなく、日本でヌクヌクと暮らしながら祖国を罵る進歩的知識人の方である。だいたい、勝ったアメリカ人が敵国を懲罰するのは当り前じゃないか。「勝てば官軍」と言うだろう。それよりも、合衆国政府による仕置きを“天佑”と喜び、同胞をいつまでも「犯罪者」扱いする日本人の方が遙かに赦せない。

  左翼学者を挙げけばキリが無いけど、幾人かを想い出すだけで、アメリカ人より憎くなるはずだ。例えば、東京大学には国際法の横田喜三郎とか、政治学の丸山眞男、社会学の日高六郎、教育学の宗像誠也などがいたし、東京教育大(筑波大学の前身)には歴史家の家永三郎とか和歌森太郎がいた。(和歌森は社会科の教科書を執筆したり、筑波移転に反対した人物としても有名だ。) 人民による憲法制定を望んだ鈴木安蔵は立正大学に潜り込み、反軍思想の大槻健は早稲田大学に陣取って強い日本の復活を呪っていた。(鈴木はNHKが贔屓にする極左分子で、憲法特番では大絶賛されていた人物だ。) 進歩的文化人の代表格である日高六郎は長年人権を飯の種にしていて、驚くことに、つい最近(2018年)まで生きていた。日本を非難しながら101歳の人生を送っていたんだから、悪い奴は中曾根康弘と同じく長寿である。

衰退する日本の時代劇

Travis Fimmel 2Vikings Katheryn Winnick 1Alexander Ludwig 2








(左: 「ラグナー」を演じたトラヴィス・フィンメル  / 中央: 「ラガサ」役のキャサリン・ウィニック  /  右: 青年以降の「ビョルン」を演じるアレクサンダー・ルドウック)

  日本の事はさておき、なぜ『ヴァイキング』は好評を博したのか? それは己の野望を命懸けで達成し、憎い相手なら意地でも武力で倒そうとする、戦士ならではの率直な手段を取るからだろう。もう一つ、あまり語られない理由が別にあった。歐米の視聴者はあまり口にしないが、北歐の時代劇には黒人やユダヤ人、そしてアジア人やヒスパニックを意図的に出演させる義務が無いので、これが隠れた「魅力」になっている。アメリカやヨーロッパの視聴者にとって、人種的配慮を考えなくて済む『ヴァイキング』は数少ない貴重なドラマだ。大抵のハリウッド作品は人種混交が当り前となっていて、西歐人ばかりのキャスティングだと「差別的」あるいは「偏っている」という批判を受けやすい。だから、ウンザリするほど役者の人選が政治的になっている。本来、娯楽作品は目くじらを立てずに観賞するものだ。ところが、30年くらい前から制作陣が妙な左翼思想や多民族主義を持ち込んでしまったから、あらゆるドラマが似たようなPC(政治的に正しい)動画になってしまった。これでは観ている方が白けてくる。

  もし、藝術や表現の自由があるなら、どんな俳優を使ってもいいはずだ。本当に情けないけど、「白人ばかりが主役のドラマなんて不公平である! 赦せない!」と叫んでいる南米系やアジア系の俳優はよく考えてみろ! そんなに悔しければ、自分達が主役のドラマを作ればいいじゃないか。例えば、朝鮮人男優とインディオ系女優のラヴ・コメディーとか、アフリカ系ブラジル人が主演のクライム・サスペンス、朝鮮人がサイボーグを演じる『ターミネーター』のようなSFドラマを作ればいい。だが、彼らは自分達が主役だと作品がヒットしないことを分かっている。例えば、失敗した典型例は大ヒット・シリーズのスピン・オフ、『24 : レガシー』だ。主役をキーファー・サザランドからコリー・ホーキンズに変えたら、シーズン1でキャンセル(打ち切り)となってしまった。日本でもさっぱり人気が出ず、レンタルDVDも棚に置かれたままだ。大ヒット映画の『ターミネーター』も同じで、好評だった液体金属のサイボーグ「T-1000」をロバート・パトリックから朝鮮人のイ・ビョンホンに変えたらギャグ漫画になってしまった。今、『ターミネイター3』(通算だと「6」)を制作しているジェイムズ・キャメロンは、第3・4・5作を「無かった事」にして新作を手掛けているそうだ。確かに、第五作目はシュワルツネッガーが復帰して良かったけど、内容的には「お金を返してくれ!」と言いたくなるほどの駄作だった。

Kiefer Sutherland 1Corey Hawkins 2Robert Patrick 1Li Byung Hun 1








(左: キーファー・サザラーンド  / コリー・ホーキンズ  / ロバート・パトリック  /  右: イ・ビョンホン)

  日本のTVドラマとアメリカのドラマを比較するのは酷だけど、時代劇の戦闘シーンはもっと血腥いものにしてもらいたい。大河ドラマを制作するNHKは、アイドル藝人や若手俳優を起用することにかけては熱心だが、武将が激突する合戦のシーンになると、掌(てのひら)を返したように「手抜き」をする。アクション映画を数多く手掛けた深作欣二とか村川透、五社英雄みたいな監督を使えとは言わないが、もうちょっとマシな監督を選んで、壮絶な合戦を描くべきなんじゃないか。たぶん、子供や女性の視聴者に配慮して“マイルド”な演出にしているんだろうが、本格的時代劇を切望する男性の視聴者には不満だらけで、観ていてモノ足らないところが多くある。1970年代の時代劇だと、時たま拷問や殺害のハードなシーンがあって、残酷だけど見応えがあった。

  日本のTVドラマが衰退しているのは、藝能事務所と結託したキャスティングが主流となり、サラリーマン的制作者が視聴率至上主義に走っているからだろう。だいたい、制作子会社に丸投げの「やっつけ仕事」とか、マーケット・リサーチに頼りっきりの“企画モノ”なんて面白いのか? 以前、NHKの大河ドラマで三谷幸喜が脚本を書き、堺雅人が主演を果たす『真田丸』というのがあったけど、こんなのは現代劇の類いだろう。(筆者は観ていないけど、出演者と制作陣を目にしただけで嫌気が差してきた。) そう言えば、今月『必殺仕事人2019』がテレ朝で放送されるようだが、出演者は東山紀之や松岡昌宏といった若手になるそうだ。彼らの熱狂的ファンには申し訳ないが、こんなの高校の学藝会みたいじゃないか。『新・必殺仕置人』の山崎努や『必殺仕置屋家業』の沖雅也が懐かしい。 
  


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