教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房

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お金で身分を買う

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 大衆社会が誕生する前、大学は曲がりなりにも研究と教育を司るギルド組織であったが、段々と「階級」形成機関になってしまった。今じゃ、「最高学府」という名称も白々しい。身分制度が厳格な頃は、労働者の息子が大学を卒業しても、紳士や貴族になるわけじゃないから、大金を積んでまでオックスフォードやケムブリッジに進もうとは思わなかったが、出身大学の名前が立身出世の条件になるや、無理をしても我が子を大学に押し込もうとする親が増えた。貴族階級の無いアメリカでも事情は同じで、王侯貴族が居ない分、余計に身分形成への意欲は強い。とりわけ、平等主義が徹底している日本だと、出身大学の評価がそのまま卒業生の身分に繋転化するので、エリートを目指す高校生はうなぎ登り。勉強が苦手な雑魚やドジョウだって有名大学の登龍門にチャレンジするくらい。漫画だけど、「ドラゴン桜」という弁護士が、受験生の尻を叩いて東大に入れようとするんだから、悟りを目指す比丘(びく / 僧侶)もビックリだ。

 ちょっと脱線するけど、学歴社会の裏で実力主義が脈打つ日本は意外と素晴らしい。筆者が尊敬する武論尊(別名「史村翔」)先生や池上遼一先生、弓月光先生は輝かしい学歴は無いものの、ボンクラ官僚より輝いている。武論尊といえば、『ドーベルマン刑事』や『北斗の拳』の作者としてで有名だ。池上先生は『クライング・フリーマン』を手掛けた劇画家で、武論尊と組んだ作品には『サンクチュアリ』や『HAET 灼熱』『BEGIN』などがある。ヒット・シリーズの『甘い生活』で知られる弓月先生は、昔、受験戦争をモチーフにした恋愛漫画『エリート狂走曲』を描いていた。筆者にとっては想い出深い作品である。(秀作漫画を探している高校生は一度読んでみてね。)

Rick Singer 4 (左  / ウィリアム・リック・シンガー )
  話を戻す。今月、アメリカで大学への不正入学を巡るスキャンダルが発覚した。何と、我が子を有名校に入れたい裕福な親が、大金を払ってブローカーに頼んだというのだ。この賄賂を懐に入れた仲介者というのは、ウィリアム・リック・シンガー(William Rick Singer)という"コーチ"で、受験生のカウンセリングを行う「Edge College & Career Network」の創設者である。彼はまた、非営利団体の「Key World Foundation(キー・ワールド財団)」を運営する最高責任者でもあるそうだ。高額所得者の願望に目を付けたシンガーは、「お宅のお子さんを名門校に入れてあげまっせ!」と囁き、法外な値段を吹っかけたという。彼が唾を付けた大学は、イェール、スタンフォード、テキサス大学、南カルフォルニア大学、UCLA、サン・ディエゴ大学、ウェイク・フォレスト大学などである。

  日本の庶民にはちょっと無理だが、なんと言っても、金に糸目を付けぬ億万長者がゴロゴロ居て、「世の中すべてお金で解決できる」というアメリカだ。大金を払っても構わないという親は少なくない。今回の事件がマスコミの注目を浴びたのは、依頼人の中に有名なハリウッド女優が居たせいだ。『デスパレート・ハウスワイヴズ』で知られるフェリシティー・ハフマン(Felicity Huffman)は、長女のソフィーをスタンフォード大に入れるべく、「チャリティー献金」という名目で、「キィー・ワールド財団」に1万5千ドルを寄付したそうだ。(Sara Boboltz and Hayley Miller, "Felicity Huffman, Lori Louighlin Charged In College Admission Scheme With More Than 40 Others", The Huffington Post, March 12, 2019.) 慈善活動を賄賂の道具にするのは"けしからん"が、寄付金を税控除にするためには賢い方法である。ちなみに、フェリシティーの亭主は、映画『ファーゴ』で知られるウィリアム・H・メイシー(William H. Macy)だ。

Felicity Huffman & William MacyFelicity Huffman & Sophia & William Macy












(左: フェリシティー・ハフマンと夫のウィリアム・メイシー  /  右: ハフマンの娘たち)

 もう一人のハリウッド・スターであるロリ・ロフリンは、日本でもお馴染みの『フルハウス』に出演していた女優である。彼女にはイザベラとオリヴィアという二人の娘がいて、南カルフォルニア大学にねじ込むため、50万ドル(二人分)を払ったそうだ。この娘たちはスポーツ枠を利用して裏口入学を謀ったそうだが、今回のスキャンダルで水の泡となってしまった。でも呆れたことに、彼女たちはその競技をしたことが無かったという。日本でもそうだけど、アメリカではどんなアホでも、バスケットボールやアメフトが得意なら、有名校に推薦入学できる。大学の理事長や部活のコーチは、スカウトマンを使って優秀な選手を集め、自校の名声を高めようとするから、学力なんか二の次、三の次で、終いにはどうでもよくなるそうだ。

Lori Loughlin & daughtersLori Loughlin & Mossimo Giannulli













(左: ロリ・ロフリンと二人の娘  / 右: 亭主と一緒のロフリン )

  しかし、アカデミックな業績を重要視する教授は、こうした風潮を嫌い、筋肉頭の学生に厳しい点数を付けようとする。だが、落第前に政治的な圧力が掛かり、低能学生は無事ご卒業となるらしい。小学生程度の学力しかない黒人学生が、有名大学の卒業生になっているのは、スポーツ入学と底上げ点数のお陰なのだ。ある大学教授が嘆いていたけど、英単語の綴りさえまともに書けない黒人学生とか、文法が滅茶苦茶なヒスパニック系の学生がいるんだって。それに、たとえスポーツ選手じゃなくても、「アファーマティヴ・アクション(有色人種優遇制度)」があるから、文系の一般学生には"いかがわしい"奴が多く含まれている。これは大きな声で言えないけど、鋭敏な白人は黒人の医者を避けるそうだ。どんな方法で大学に入ったのか分からないし、ちゃんとした業績でその地位を得たのか怪しいからである。有色人種だと、その肌の色で特別な出世を遂げたりするから、本当の実力なのか否か、不安で信用できない。

知識社会と所得格差

  不正入学事件はともかく、アメリカ社会で大学が果たす役割は大きい。特に、知識産業に携わる人材を育成し、高い身分や所得を形成する要因となっているから尚更だ。最近のアメリカ社会では貧富の格差が拡大し、それが固定化する傾向が強くなっている。例えば、トップ1%に属する人々は、一世帯当たり平均で421,926ドル(約4600万円)の年収があり、残り99%だと一世帯当たり平均で50,107ドル(約551万円)になるらしい。この数字だけ見れば「そんなにかなぁ」と思ってしまうが、上層中流階級を除く下層中流階級や労働者階級を区別して計算すれば、そのギャップは更に広がってしまうだろう。全米各地の所得格差を二、三箇所調べてみれば判るはずだ。

                  上位1%での一世帯当たりの平均年収 / 下位99%における一世帯当たりの平均年収
ニューヨーク州                    $ 2,202,480                                           $ 49,617     
コネチカット州                     $ 2,522,806                                            $ 67,742  
カルフォルニア州                 $ 1,693,094                                            $ 55,152 
テキサス州                          $ 1,343,897                                           $ 55,614

 今では信じられないけど、1960年代前半くらいまで、アメリカ人の所得格差は少なく、表面的には上流階級と中流階級の区別は曖昧だった。もちろん、富裕層と貧困層はあったけど、ほとんどの白人が自分を中流階級に属していると考えていたし、高額所得者もド派手な生活を送ることはなかった。例えば、上層中流階級のエリートたちが車種で差別化を図ろうとしても、選択肢は限られており、大都市ならメルセデスやジャガーを見かけることはあっても、それは例外である。第一、大都市でも輸入車のスペア部品は入手困難で、整備工も見つからないから維持費が掛かってしまう。だから、輸入車なんか買うより国産車の方がいい。

  じゃあ、キャデラックを買えばいいかというと、それはエリートから敬遠されたという。なぜならば、管理職や専門職に就くホワイトカラーは、「目立ちたがり屋」を避けるからだ。下品な都会人やレッド・ネックの田舎者なら、馬鹿デカいアメ車を乗り回して有頂天になるだろうが、洗練された趣味を持つ教養人は、平凡なアメ車かシックなヨーロッパ車を選んだりする。彼らはたとえお金があっても、ファイヤーバード・トランザムなんか買わず、フォルクス・ワーゲン社のビートルを選ぶ。屋敷に関しても同様で、プールやテニスコート附のメガハウスなんかには住まない。1960年代だと、新築物件の平均価格を二倍したくらいの値段で、高級住宅地に家を構えることができたのだ。

Richard Florida 2 ( 左 / リチャード・フロリダ )
  しかし、1970年代が過ぎ、80年代90年代と進むにつれ、新たな上流階級が現れてきた。 ハーヴァード大学教授で労働長官になったロバート・ライシュによれば、この新階層に属するのは、企業の経営者、技術者、科学者、法律家、学者、会社幹部や行政府の高官、ジャーナリスト、コンサルタントなどであるらしい。ジョージ・メイソン大学のリチャード・フロリダ(Richard Florida)教授によれば、新上流階級は、情報処理を仕事にする「頭脳労働者」、あるいはそれに見合った報酬を得ている者である。つまり「クリエイティヴ・クラス」に属する人々だ。具体的に言えば、音楽家、建築家、エンジニア、デザイナー、作家、藝術家、科学者、あるいはビジネス、医療、法律などに関わり、その中心的な部分において創造性を発揮する事を求められている人であるという。

  現在のアメリカ社会を見ていると、人種的差異もさることながら、報酬や地位で社会的評価がガラリと変わってしまうのだ。日本だと法科大学院まで進もうとする人は少数派だが、アメリカだと高額の授業料を払ってでもロー・スクールに通おうとする。憲法上の法解釈に携わる裁判官は有力者だし、黒を白にするドリーム・チームを抱える法律事務所となれば、莫大な報酬が期待でき、そこに所属する弁護士は高額所得者になること間違い無し。全米放送で雇われるキャスターやアンカーマンもビックリするような年俸を得るから、まるでメジャー・リーグの野球選手みたいだ。また、ニュース報道の方針を決めるマスコミ上層部、主要なメディアで署名入の記事を投稿している高名なジャーナリストやコラムニスト、映画やTVドラマの制作に係わるプロデューサーやディレクター、一流の大学や研究所に属する学者などもエリート層になるらしい。

階級で異なるライフスタイル

  日本人は階級を所得の面でしか見ないが、本当は生活様式での違いが決定的な相違点になっている。アメリカでは厭になるくらい、人種や階級でライフスタイルとか文化が違っているという。例えば、有名小学校に子供を通わせる保護者は服装からして違うし、乗っているクルマも大抵ヨーロッパ製の外車である。ケバケバしい化粧はせず、服装もコンサーヴァティヴで仕立てがいい。大阪のオバちゃんみたいに、ヒョウ柄などのアニマル・プリントやサンバイザーは絶対に好まず、合成繊維の服もダメ。これは論外だけど、入れ墨を彫っている紳士淑女なんて想像できない。有名幼稚園の面接では即門前払いだ。コンビニだって採用しないぞ。

  また、保護者の外見を眺めると、年齢層が違っているのに気づく。普通の小学校では母親の平均年齢は20代後半か30代前半であるのに、エリート校では20代の母親は稀で40代が多い。父親も40代後半か50歳代前半で、高校生か大学生の子供がいてもおかしくはない年齢である。もう一つの特徴は、見た目の違い、つまり体型が違うのだ。普通の小学校では、両親の3分の2が太り気味で、残りの3分の1が肥満である。日本でもオバタリアンは太り気味だけど、黒人やヒスパニックのオバはん達と比べれば、遙かにマシだ。黒人だと業務用のマヨネーズ容器かと思ってしまうほどのデブがいて、皮膚の下は脂肪だらけ。アフリカ系アメリカ人には、ホッテントットの遺伝子が混ざっているのかも知れない。

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(左: 肥満気味の黒人女性  / 右: 肥満体質の白人女性 )

  一方、有名私立小学校では、両親はだいたい痩せていて、肥満は稀である。新上流階級は健康と運動に気を配っているので、スポーツクラブに通って引き締まった体を保ってい人が多い。中にはマラソン大会とかトライアスロンに参加して、やり過ぎじゃないのか、と思える人もいる。他にはヨガ教室に通ったりする人や、週末にマウンティングバイクに乗る人、平日にプールで泳ぐ人など様々だ。彼らは自分のコレステロール値を知っており、ファストフード店に行くことはない。一部の新上流階級は、ファストフードを恥ずべきモノと考え、決して子供を連れて行こうとはしないのだ。フレンチ・フライに使われているショートニングにはトランス脂肪酸が多く、肥満の原因となっている。アメリカ人は小さい頃からジャンクフードに馴れているせいか、塩辛いポテト・フライにケチャップまで附けて食う奴がいるというから、本当に救いようがない。多少知識があって健康志向の親なら子供に食べないよう注意する。

  筆者がNYにいた時、「人間観察」の目的でバーガー・キングやマクドナルドに行ったことがあるけど、もう憂鬱になるくらい有色人種ばかりで、大抵の客は多かれ少なかれ皆、肥満気味。しかも、英語の発音が独特で、目を瞑っていても黒人と判る。店で注文できるのは、人工甘味料がたくさん含まれた炭酸飲料ばかりで、新鮮なオレンジジュースなんか無い。お金を払うのは気が進まなかったけど、試しにビスケット(日本で言うと「マフィン」)を食べてみた。案の定、パサパサで美味しくない。アメリカ人のお客が、どうして人工蜂蜜とかメイプル・シロップをタップリ附けて頬張るのか、その気持ちがよく分かった。(アメリカでの食生活を紹介すると長くなるので、別の機会で述べてみたい。)

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(左: 巨大ハンバーガーに齧り付く黒人  / 右: ジャンク・フードに慣れ親しむヒスパニックの子供 )

  新上流階級は飲み物の好みも違っており、彼らが口にするのはワインかクラフトビールくらいである。それも、軽くたしなむ程度。酒豪のアイリス人みたいに、瓶のバドワイザーをラッパ飲み、なんてことはない。一気飲みで急性アルコール中毒になるのは、日本の馬鹿な大学生くらいだ。新上流階級は、タバコを「キャンサー・スティック(癌を引き起こす棒)」と呼び、ほとんどの人が吸うことはない。

  次に、新聞や雑誌に関してだが、新上流階級は情報収集に熱心だから、リベラル派は『ニューヨーク・タイムズ』紙、保守派だと『ウォールストリート・ジャーナル』紙を毎日でオンラインでチェックする。雑誌は『ニューヨーカー』とか『エコノミスト』、老舗の『ジ・アトランティック』や『ハーパーズ』などを購読し、時折、ガーデニングや旅行雑誌、文藝評論などを読む。彼らは暇な平民と違って、あまりテレビを観ない。上流階級は平日だと仕事で忙しいし、家族との団欒を大切にするから、「アメリカン・アイドル」とか「リアリティー・ショー」といった下らない番組に没頭することはない。自分たちで楽しい事をしようとする。休日になれば、人里離れた湖までピクニックに行くし、別荘を持っていれば家族で週末を過ごしたりする。娯楽費に余裕のある彼らは、多彩な趣味を持ち、一般人だと手が出ない乗馬やテニス、登山、スキー、カヌーを楽しんだりする。また、彼らは遠く離れたカントリー・クラブでゴルフをしたり、ヨットでクルージングに出かけたりするから羨ましい。(チャールズ・マレー 『階級「断絶」社会アメリカ』橘明美訳、草思社、2013年、pp.63-66.)

Charles Murray 1 (左  /  チャールズ・マレー)
  アメリカ社会を研究する政治学者のチャールズ・マレー(Charles Murray)は、職業と認知能力(cognitive ability)に注目する。科学技術やハイテク産業はもちろんのこと、金融や法律、医療業界においても高い知能が要求され、それに応じた報酬が与えられるという。確かに、高度な技術を発明・改良できる人には、複雑な問題を解決できる数学的能力とか、人並み外れた認知能力が必要になってくる。そして、こうした能力は幼い頃からの教育で取得されるので、家庭環境や学校のレベルがこれまた重要になってくるのだ。

  良い教育にはお金が掛かる。したがって、奨学金を得れば別だが、そうでない場合、親が高額所得者でないと有名私立学校に子供を通わせることは困難だ。公立学校は下層中流階級の子弟や、黒人やヒスパニックの低能児、移民や難民の子供たちで溢れているから、学力とか勉強どころの話じゃない。そもそも、躾ができていないのだ。知的好奇心なんか限りなくゼロに近い。数学や理科は天空の科目で、ざわついた教室ではモーゼの十誡を教えるだけで精一杯。つまり、「人を殺してはダメ」とか「盗むな」「淫乱はよくない」「麻薬は違法だ」「兇器を学校に持ってくるな」とか、呆れるほどの禁止事項が優先されている。言いづらいけど、黒人のガキどもに位相幾何学(トポロジー)なんて無用だ。性科学(セクソロジー)でさえ難しいから、教えるのはコンドームの使い方くらいである。

遺伝する知能?

  子供の知能は親の影響を多大に受けている。特に、母親との接触を通して形成されるみたいで、家庭での教育は非常に大切だ。新上流階級の女性は、妊娠に気づくや否や、子育て計画に没頭するという。知的な母親は先ず産婦人科選びから始め、自己管理を徹底し、アルコールを控えるのはもちろんのこと、栄養摂取量が適量になるよう食生活を管理するそうだ。また、自然分娩のためのクラスを受講し、産後の母乳は当たり前。ベビー用品は量販店でなく、インターネットで様々な商品を検索し、比較検討した後に購入する。子供の精神的発達を重視する女性は、一時的に職場を離れ、専業主婦となって子育てに専念するらしい。新上流階級の女性は高齢出産という危険を犯すが、無事出産すれば、20代の母親より円熟しているので、落ち着いて子供の躾をすることができるという。

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(左: 理想的な上層中流階級の家庭  /  右: 知的生活にはほど遠い家庭の子供)

  知能は部分的に遺伝するが、やはり環境の要因も大きい。だから、IQの高い親からIQの高い子供が育つ確率は高く、安定した家庭を築く経済力があれば、こうした子供は更に有利だ。マレーによれば、親の学歴や知能は子供の学力を左右するそうだ。夫婦とも高校中退だと、子供のIQ期待値は94で、名門校を出た両親の子供だと、IQ期待値は121になるらしい。つまり、鳶(トンビ)から鷹は生まれないと言うことだ。確かに、日本でも学校の勉強が苦手だった親から秀才が生まれる確率は低い。ファッションとダンスだけが得意なハッピー女子が、「我が子を東大に!」とかいうテレビ番組に感動し、北歐の教育玩具を購入しても、子供の知能が高くなるとは思えない。翻って、修士号や博士号を持つ母親が、娘のヒップ・ホップ・ダンスを褒めたり、一緒にカラオケでJポップスを唄うことは稀で、毛嫌いする方が普通である。パチンコなんか夢の中でもしないし、親子揃って髪染め、藝人気取りでプリクラを撮るなんてこともない。

  米国では大学入試としてSATやACTといったテストがある。2010年、SATの数学と英語700点以上を獲得した高校生の87%は、少なくとも両親のどちらかが大卒で、56%は少なくとも両親の片方が大学院卒であったという。「やはり」と言っては何だが、大卒者の親は子供の将来を考え、大学進学のための準備をするし、普段の生活でも子供の勉強に注意を払い、時には宿題の手助けをしたりする。たとえ、意識的に勉強させようと考えなくても、親が読書の習慣を持っていたり、知的好奇心の持ち主であれば、子供は自然と本に手が伸びるし、物事を深く考えたり、新たな知識を得ようするものだ。

  以前、数学者の森毅(もり・つよし)教授が述べていたけど、子供の頃は児童向けの本が無かったので、しょうがなく父親の書斎にあった難しい本を読んでいたという。森氏は何気なく述べていたけど、これは凡人の家庭と比較すると結構すごい。例えば、労働者の家だと、そもそも学術書が無いし、本があっても競馬必勝法とか、ゴルフの上達本、釣り雑誌とか週刊現代、ヤング・マガジンくらいだ。たとえ、本棚があっても、並んでいるのは『こち亀』全200巻とか、『ワンピース』や『ドラゴンボール』ばかりでお宅族のコレクションに過ぎない。また、『ゴルゴ13』があっても、内容が難しいので「積ん読」状態だったりする。頭の痛い家族だと、全員揃っての夕食でも、知的な会話というものは無い。両親の好奇心と言えば、隣人や同僚の噂話か陰口で、社会問題といっても新聞の三面記事をちらっと読むていど。後は、藝人の色恋沙汰とか、野球の試合結果といったところだ。

Rich Americans 3lower class Americams 1









(左: 知的産業で成功した大富豪  /  右: 生活苦に喘ぐ下層労働者)

  日本でも有名大学に進学するのは、高収入の親を持つ子供か、高学歴の家庭で育った子供であるという。知能の高い人は、それに見合った仕事に就く割合が多く、配偶者となる人も同じ職場に勤めていたりするから、双方とも高学歴で高収入という場合が出てくる。つまり、彼らは自分と同等の知力と経歴を持つ相手と結婚するということだ。マレーによると、
新上流階級を形成し固定化するものは、同類婚(homogamy)らしい。これは個人的属性が類似している者同士が結婚する現象を指す。学歴が類似していれば学歴同類婚で、認知能力が似ている者同士が結ばれれば認知能力同類婚となる。ただ、高学歴の男性でも、相手が美人で魅力的なら高卒でも構わない、と思うから男女の仲は複雑だ。

  世間にはマレーの見解に腹を立てる人もいるけど、モノは考えようで、秀才と馬鹿が結婚するより、いわゆる「バカップル」の方が幸せな場合もある。趣味や知能が同じだからウマが合う。例えば、デートで洋画を観に行っても、吹き替え版で揉めたり嫌がったりすることはない。なぜなら、両方とも「日本語」の字幕を読むのが苦痛だから。もっと悲しいのは、翌日に内容を忘れていることだ。知性が等しいバカップルは、相手の缼陥(けっかん)に気がつかないから毎日が楽しい。恋人が「テイク・アウト(持ち帰り)」を「テイク・オフ(離陸)」と間違えても、それに気づかず自分も同じ事を言ってしまうし、「月極駐車場」を目にすれば、「月極(げっきょく)さんていう人は、たくさん駐車場を持っているのねぇ」と二人で感心してしまうのだ。(まぁ、「京極」という名前の人がいるから仕方ないかなぁ。) こんな訳だから、参議院と衆議院の違いが分からぬ有権者がいても不思議じゃない。

  日本と同じくアメリカでも、庶民の大学進学が普通になっている。マレーも触れていたが、1960年代くらいまでのアメリカ人は、高卒でも満足していたし、要職に就く人でも名門校卒という訳ではなかった。アイゼンハワー政権の閣僚を見れば分かるけど、有名大学卒の経歴を持つ長官がいる一方で、無名校卒の長官もいたのだ。例えば、内務長官のダグラス・マッケイは少年時代からの苦労人で、パッとしないオレゴン州立カレッジ卒である。しかも、オレゴン州知事になる前、彼は鉄道会社で事務員を務めていたし、一時は自動車のセールスマンでもあったのだ。農務長官になったエズラ・タフト・ベンソンは、11人兄弟の長男で、ユタ州立農業カレッジ卒である。労働長官になったマーティン・パトリック・ダーキンは、配管工を経て陸軍に入隊し、その軍歴を買われて政治家になった。商務長官のフレデリック・ミュラーは家具職人の息子で、通ったのはミシガン州立大学だ。

Douglas McKay 1Ezra Taft Benson 2Martin Patrick Durkin 1Frederick Muller 1









(左: ダグラス・マッケイ  / エズラ・タフト・ベンソン /  マーティン・パトリック・ダーキン /  右: フレデリック・ミュラー)

  ところが、今や政治家や閣僚になるのは、裕福な家庭の出身者か有名大学を卒業したエリートがほとんど。軍人上がりの政治家でも、海兵隊の一兵卒じゃなく、士官学校卒の優秀なビジネスマンだったりする。財務省とか国務省に配属される議員や官僚になると、ゴールドマン・サックスとかメリルリンチといった金融業界出身者が多く、あとはハリバートン(ヒューストンの多国籍業)やCFR(外政問題評議会)の回し者みたいな人物ばかり。高い地位に就く人々は、プレップスクールや大学で人脈を作り、結婚相手も同じ階級の異性を選ぶ傾向が強い。議員や官僚、大富豪の閨閥(けいばつ)を調べると、意外な人物が親戚だったりする事がよくある。

  ということで、大学進学率が増えるにつれ、学歴同類婚の可能性が広がってきてもおかしくはない。クリスティーヌ・シュワルツ(Christine R. Schwartz)とロバート・メア(Robert D. Mare)の研究によれば、教育の程度による同類婚が結構みられるという。1960年代には、両方とも大卒という組み合わせは、全米カップルの僅か3%であったが、2010年には25%に跳ね上がっていた。この変化は特筆すべきものであり、既に新上流階級形成の重要な因子になっている。さらに重要なのは、認知能力同類婚の増加である。IQの高い両親を持つ子供は、やはり知能が高くなるそうで、名門大学に集中しやすい。日本でも子供の頃から大学附属の学校や進学塾に通っていた者は、東大や京大に合格する率が高いし、理系になれば圧倒的に有利だ。社会科学や人文科学でも、本当の意味で大学レベルの課題に取り組むには優れた言語能力が必要で、良い成績を収めたいと思ったら、かなりの言語能力はもちろんのこと、困難な課題に取り組む精力や継続的な努力が必要となる。田舎の学校でのんびりと暮らしている子供じゃ、都会のエリート高校生には勝てない。

  緊縮財政や意図的なデフレ継続のせいで、ここ数十年、庶民の生活水準は頭打ちか低下の一歩を辿っている。高額所得者は子供に充分な教育を与えるから、景気に関係なく名門大学に送ることができるけど、低所得の子供は中級大学か底辺大学しか進めず、就職先も大した能力や技術を要求されない企業となる。つまり、凡庸な一般人だと、給料は安いのに目一杯こき使われる業種にしか選択肢が無いということだ。さらに恐ろしいのは、支那人や朝鮮人、インド人などの移民が日本の大学を目指し、定員枠から日本人を蹴落とすことである。科挙の伝統を引き継ぐ支那人からすれば、教科書くらいで躓く日本人など敵ではない。移民や帰化人の子供が大学に増えれば、将来のエリート層には外人系が目立つようになり、グローバリスト的風潮は益々強くなるだろう。彼らは日本の伝統や歴史に興味は無い。支那人は支那人で群れるし、朝鮮人は在日同胞の利益を優先させようとする。政界や財界でもアジア人が増えれば、彼らは日系人に不利なルールや法令を作ろうとするはずだ。大学の推薦枠にも民族的要素が濃厚となり、支那人は支那人を引き入れるし、朝鮮人は朝鮮人を贔屓にしようとする。大学の人事も例外じゃない。帰化朝鮮人が朝鮮系の講師を優遇することはくらい、容易に想像できるじゃないか。

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(左: 支那人生徒だらけになったカナダ・トロントの学校  /  右: 黒人生徒が主流になったアメリカの公立学校)

  下層階級が固定化する日本というのは本当に恐ろしい。大した学歴も無いから、つまらない仕事しか選べず、いつまで経っても低所得のまま、という庶民が増えれば、日本人の中に無力感が蔓延してしまうだろう。低い知能が親から子へと受け継がれ、貧富の格差は悪循環となって固定化し、「努力したって生活は良くならない」という絶望感が庶民に拡散する。ただでさえ左翼教育で日本人の国家意識は低下しているのに、そのうえ階級社会となれば、日本人が伝統的に持っていた「国民の絆」はズタズタに分断されるだろう。国家を支える中流階級が没落すれば、日本はラテン・アメリカのようになってしまう虞(おそれ)がある。夏祭りの時だけ元気になる国民じゃ先が知れているよねぇ~。

  でも、日本人はどんどん劣化し、怠け癖までついてきた。今年は御代替わりがあるからしょうがないけど、10連休なんて異常じゃないか。日本には驚くほど休日が多い。西歐人が「海の日」とか「山の日」なんて聞いたら腰を抜かすぞ。まぁ、受験生は勉強すると思うけど、暢気な家庭の子供だと準夏休みだ。下層階級の親はテレビの前に坐って、一日中ボケ~と野球やゴルフを観戦しているし、できの悪い子供は何時間も携帯やTVゲームに夢中となる。賢いのは藝を覚えるペットだけ、という日本になったら本当に哀しい。人間なら、元「渡辺組」の猫組長くらい頭が良くないと、グローバル社会で成功しないぞ。




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