教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
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異民族議員の出現

Indian politician 1Tower Hamlets 1










(左: 当選したプラニク・ヨゲンドラ候補  /  右 : イングランドに住むイスラム教徒の女性)

  4月21日に統一地方選挙が行われ、東京都江戸川区では、インド系の区議会議員が誕生したという。立憲民主党の公認候補であるプラニク・ヨゲンドラ(41歳)氏は、6,477票を獲得して初当選した。彼は1997年に初来日し、二年後、国費留学生として再び来日してきたという。2001年にエンジニアとして日本国内のIT企業に勤め、銀行に転職した後、2012年に帰化したそうだ。五位で当選を果たしたヨゲンドラ氏は、選挙中、江戸川区内に居住する外国人のために日本語教室を開きたいと訴え、それと同時に国際教育の促進も掲げていたという。現在、江戸川区には在日インド人全体の約1割が住んでいて、支那人や朝鮮人なども住んでいるから、アジア系候補者が出馬してもおかしくはない。昭和の頃なら不可能だった事が、平成も終わりになると実現可能な夢のなったので、異民族の流入とは恐ろしいものである。

Indian Politician 2( 左 / プラニク・ヨゲンドラ )
  ヨゲンドラ氏は民族衣装を身にまといながら選挙活動を展開し、「日本と外国人との架け橋になりたい」と語っていたそうだ。しかし、日系日本人はインド人を始めとする支那人や朝鮮人、タイ人、フィリピン人などと共存したいとは思わない。ましてや、彼らとの雑婚など考えただけでも釣り肌が立つ。アジア人との架け橋などは爆破したいと考えるのが普通で、なるべく彼らを遠ざけ、別世界に住みたいと考えるのが従来の日本人だった。大学で真っ赤に染まった日本人は、「これからはアジアの時代だ。排外主義は国際化時代に相応しくない」と述べるが、実際、彼らの何割がアジア人地区に住み、アジア人と結婚するのか? アジアと日本は対等ではないのだ。もし、日本人がインド人と結婚したら、インドに移住し、インド国籍を取得して、インド人として一生を過ごすのか、甚だ疑問である。例えば、インド人と結婚した日本人は、たいてい日本に留まり、配偶者が日本国籍を取得し、絶対にインド国籍を取得しようとは思わない。なぜなら、インド人を自分の「同胞」とか「仲間」と思えないからだ。いくらインド人の亭主(女房)を愛したからとて、異人種の群れは愛せないし、家族となった舅や姑でさえ、違和感を感じてしまうからである。

  アジア人議員の誕生は、更なる不安を感じざるを得ない。ヨゲンドラ氏のような地方議員が各地に出現すれば、選挙区に住むアジア人にとって頼もしい味方となり、在日外国人や帰化アジア人の利益を計ろうとするだろう。この潮流は地方議会のみならず、永田町にも波及し、アジア系の国会議員が増加する虞(おそれ)もある。こうなったら本当に危うい。例えばもし、アジアからの出稼ぎ労働者が滞在を延長したいとか、家族を呼び寄せたい、永住したいから特別滞在を認めてくれ、あるいは住宅を購入し、子供が日本語しか話せないから帰化したい、などと様々な要望を訴えてくれば、アジア系議員は役所に働きかけ、アジア人の希望を叶えてしまうのだ。今の日本人は忘れているけど、かつて社会党や公明党の議員たちは、在日朝鮮人や帰化支那人の願いを聞いて実現させてやったじゃないか。そうじゃなくても、左翼議員の影がちらつけば、役所の公務員は恐れをなし、積極的にアジア人の要求に屈してしまうだろう。役人というのは国家の未来より、自分の出世や地位の安泰を優先するものだ。一般国民の生活を守ったところで、一体どんな利益があるのか? 自分の職場で波風を立てるより、黙って議員からの要求を飲んだ方が利口である。

  日本人は昔から日本人同士で暮らしてきたので、異民族との雑居がどのようなものなのか想像がつかない。いくら学校で世界史や地理を学んだといっても、そんなものは机上の空論で、肌で感じるほどのリアリティーが無く、お花畑でルワンダの内戦を論じるようなものだ。だいたい、冷暖房完備の快適な教室で、アフリカ人独特の体臭や、それを嗅ぎながら輪姦される恐怖、理由も分からず鉈で腕を切断される激痛、問答無用の略奪と放火を実感できるのか? 兇器を持って襲いかかってくる黒人に対し、「人権蹂躙だわ !」とか「お巡りさんを呼ぶわよ !」といった脅しが利くと思ったら大間違いだ。日本人は日本にいれば、そんな事は絶対に起こらないと信じている。だが、異民族には日本の常識は通用しない。外人が入ってくれば「まさか !」という事態が起こってしまい、後から「後悔」することになる。そうじゃなくても、普段の生活で「常識(風習)」が異なっているので、異民族間での軋轢が絶えない。バルカン半島の歴史を観れば判るじゃないか。

  現代でも、ボスニアやセルビアで民族対立が勃発し、銃撃戦どころか「民族浄化」が行われていた。復讐に燃える兵卒たちは、敵の女を見つけると集団で襲いかかり、自分たちの精子をネジ込んで喜んでいたのだ。これは殺人よりも忌まわしいことかも知れない。なぜなら、輪姦された女性はケダモノに等しい異人の子を宿し、誰が父親なのかも判らぬ子供を育てる破目になるからだ。もし、息子が生まれると別の意味で悲惨である。我が子が成長するに従い、段々と強姦魔に似てくるから、忘れたい過去がフラッシュバックのように蘇ってしまうのだ。彼女の祖父母だって、心から孫を愛することができない。孫の顔に一族の敵が浮かび上がってくるんだから、拷問のような仕打ちである。

  ボスニア紛争以前にも、我々はオーストリア・ハンガリー帝國の悲劇を知っているはずだ。この多民族国家はハプスブルク家によって統合されているだけで、その臣民の間には国民的紐帯は無かった。国家の要(かなめ)である軍隊でも、民族ごとに分かれており、号令だって複数の言語でなされていたのだ。帝國内ではドイツ語を始めとして、ポーランド語、チェコ語、マジャール(ハンガリー)語、ウクライナ語、クロアチア語、ルーマニア語、そしてユダヤ人のイディッシュ語など、多数の言葉が飛び交っていたから不思議じゃない。とりわけ、コスモポリタンの大都市でもあるウィーンには、どこの馬の骨かも判らぬ人間が蝟集していたから、若きアドルフ・ヒトラーが戦慄を覚えたのも当然である。将来のドイツ第三帝國総統はこう述べていた。

   この国の首都が示している人種集団は、わたしにとって不愉快であり、チェコ人、ポーランド人、ハンガリー人、ルテニア人、セルビア人やクロアチア人等の諸民族の混淆は、いとわしいものだった。しかしそれよりも人類の永遠のバクテリアはなお不愉快だった。------ ユダヤ人、そしてもう一度ユダヤ人だ。
  わたしにはこの巨大都市が、近親相姦の権化のように思えた。(アドルフ・ヒトラー『わが闘争』 上巻、平野一郎・将積茂 訳、角川書店、 昭和48年、 p. 184)

Hitler 2( 左 /  ヒトラー総統)
  ウィーンに群がるユダヤ人を毛嫌いしたヒトラーは、当時のオーストリアを「古いモザイク」に譬えていたが、第20世紀初頭のオーストリアなんか、現在のオーストリアーと比べれば白人天国である。特に、現在のドイツを目にしたら、ヒトラーはもちろんのことゲッペルス、ヒムラー、ゲーリングも卒倒したことだろう。「砂漠の狐」と呼ばれたドイツ軍の英雄ロンメル元帥やヒトラー暗殺を企てたクラウス・フォン・シュタウフェンベルク(Claus von Staufenberg)伯爵、リートヴィッヒ・ベック(Ludwig A. T. Beck)上級大将だって、眉を吊り上げ絶叫するに違いない。(逆説的だが、ネオ・ナチを存続させるのは人種混淆を称讃する平等主義者で、ドイツがアーリア人だらけになったら、ネオ・ナチの存在は半減するだろう。) 今では、さほど抵抗が無くなったけど、当時のドイツ社会でアフリカ人や褐色のアラブ人、くすんだ肌のトルコ人などがゲルマン人女性と結婚するなんて論外というか、犯罪に近い行為であった。アシュケナージ系ユダ人との結婚だって大反対されたのに、有色人種となんて勘当ものである。

チャーチルが嫌った茶色いイングランド

Winston Churchill 1( 左 /  チャーチル首相)
  現在の欧米諸国ではナチスの人種衛生学や優生思想が糾弾されているが、ヒトラーを倒したウィンストン・チャーチルならナチズムの復活を望んでしまうだろう。何しろ、チャーチル自身が人種差別主義者であったから、アジア人やアフリカ人との混血は御法度が当たり前。同盟相手の日本人だって嫌いなんだから、植民地の茶色のインド人やパキスタン人、ビルマ人、黒いケニア人などは論外。マルバラ公爵の御曹司は彼らを原始的な「野蛮人」と思っていたのだ。ただし、チャーチルはユダヤ人の富豪からお金をもらっていたので、英国内のユダヤ人に寛容であった。当時のイギリス人貴族が、自宅にユダヤ人を招き、一緒にディナーを楽しむなんてあり得なかったのに、チャーチル家だけは例外で、商人や富豪、シオニストらと交流を持っていたのである。今は墓場で眠っているチャーチルだが、現在の英国を目にしたら、びっくり仰天して飛び起きるんじゃないか。青ざめたチャーチルは、「ヒトラーと手を組んでいれば良かった」と後悔するはずだ。実際、ヒトラーはアングロ・サクソン国家との同盟を望んでいたから、好戦的なのはチャーチルの方であった。

  チャーチルはユダヤ人を救いたかったのに、「イングランドをドイツの魔の手から救え !」という大義名分で第二次世界大戦を起こしたものの、その結果は無残なものだった。ご自慢の大英帝國は崩壊するし、属していた保守党は野党に転落。チャーチル自身も落選となった。栄光に輝くイングランドは激戦で優秀な人材を失い、植民地も手放したのに、国内には不愉快なユダヤ難民が流入し、チャーチルが嫌ったインド人やジャマイカ人までもが入ってきて民族のモザイク状態。世界各地に植民地を持っていたイングランドには、現地人が逆流してきて、今や王国各地に「ネオ・デリー(新ニューデリー?)」とか「リトル・カブール」、「ニュー・バクダッド」といった入植地が出来ている。とりわけ、ロンドンは著しく、もはやイギリス人の首都ではない。シティーの東に位置するタワー・ハムレッツ(Tower Hamlets)には白人よりも有色人種の方が多く、イスラム教徒やアジア人の方が主流になっている。また、人口統計に記される「白人」といっても、その正体はポーランド人やブルガリア人、スロヴァキア人、ロシア人、東欧系ユダヤ人であったりするから、「白いブリテン人」がどんな連中なのか、よく確かめてからじゃないと、政府の統計は信用できない。

Muslims in Britain 2Muslims in Bradford 1










( 写真 /  イングランドに住むイスラム教徒)

  明らかに、第21世紀のイングランド王国は別の国家に成り果てている。例えば、ウェスト・ヨークシャーの都市、ブラッドフォード(Bradford)はイギリス人の街ではない。街角には、パキスタン人やアラブ系のイスラム教徒が溢れており、チャドルを着た女性が堂々と歩いている。アジアからの移民が増えれば街並みが変わるのも当然で、道沿いにはハラル料理を出すパキスタン人の食堂とか、不気味な雰囲気を醸し出す骨董屋、エスニック料理の食材を扱う小売店、奇妙な民族衣装を取り揃える雑貨店などが目立っている。こうしたエスニック商店街には、まともなアングロ・サクソン人は立ち寄らないから、薄暗い貧民窟とか犯罪者がたむろする租界になりやすい。東京上野にあるアメ横にも、トルコ人の屋台があって、中東アジア人がシシカバブ(肉の串焼き)を食っている。いずれ、「アメリカ横町」じゃなくて「ムスリム通り」になるんじゃないか。新大久保は既に「リトル・ソウル」だから、アジア・タウンは全国各地に広がるだろう。フィリピン人やクルド人が群がる埼玉県の蕨市は、別名「ワラビスタン」と呼ばれているから、首都圏に「リトル・サイゴン」とか「ニュー・バンコック」が誕生するのは時間の問題だ。支那人が訪れる東京湾も、やがて「トンキン湾」と呼ばれるかも知れない。在日米軍のアメリカ兵も「トキヨー・ベイ」よりも「トンキン・ガルフ」の方に馴染みがある。

  以前、英国の移民問題に関しては度々述べてきたので、詳しくは過去のブログを参照してもらいたい。(参照記事A記事B記事C   記事D ) それでも、英国の現状は悲惨である。つい最近、英国南東部、ケント州のウァルダースラッドで交通事故が起きたのだが、その状況を記録した映像を見ると、マシェト(Machete / 長めの鉈)を持った黒人が逃走する姿が映っていた。これを見たイギリス人は驚愕したそうだ。以前はアングル人やザクセン人が主流の地域だったのに、今じゃソマリアのモガディシューみたいになっている。「イングランドの庭園」と呼ばれるケント州には、有名なカンタベリー大聖堂とロチェスター大聖堂があって、中世の美しさを残しているのに、黒人が浸透すると、モザンビークやジンバブエに様変わり。麻薬の密売や組織売春、強盗、引ったくり、強姦・輪姦が横行した上に、刃物を持ったアフリカ人が歩いているんだから、温厚なイギリス人でも「責任者出てこい !」と怒鳴ってしまうだろう。人気コメディーの「モンティー・パイソン」で有名なジョン・クリーズ(John Cleese)は、数年前、「ロンドンはもはやイングランドの都市ではない」と嘆いていたが、他の地域でも非英国化は進んでいたのだ。

Blacks in Britain 1John Cleese 1












(左 : 刃物を持って疾走する黒人  / 中央 : 自動車事故 /  右 : ジョン・クリーズ)

  同じ立憲君主国でも日本と違い、英国には貴族が存在する。しかし、その顔ぶれを眺めると、全くイギリス人とは思えない貴族が存在するのだ。正直な日本人だと思わず「これがイギリス貴族なの?」と呟いてしまうが、左翼教育に染まったイギリス人は、不満を抱きつつも、無言のまま堪えるしかない。祖国を愛するイギリス人なら、BNP(ブリテン国民党)やEDL(イングランド防衛同盟)に入りたくなる。(ただ、悲しいことに両組織とも凋落し、メンバーは激減しているそうだ。) 日本では英国の惨状は報道されないので、筆者が代わりにパキスタン系貴族を何名か紹介してみる。例えば、ウィンブルドン男爵となった保守党のタリク・アフメド(Tariq Ahmed)、上院議員のザヒダ・マンズール(Zahida Manzoor)、サイーダ・ワルシ(Sayeeda Hussain Warsi)男爵夫人、労働党上院議員のナジール・アフメド(Nazir Ahmed)男爵、モハメッド・A・カーン(Mohammed Afzal Khan)、自由民衆党のキシュワー・フォークナー(Kishwer Falkner)男爵、ロンドン市長のサディク・カーン(Sadiq Khan)、メイ内閣で内務大臣となったサジド・ジャヴィッド(Sajid Javid)などである。

Tariq AhmedZahida Manzoor 2Sayeeda Warsi 1Nazir Ahmed








(左 : タリク・アフメド  /ザヒダ・マンズール  / サイーダ・ワルシ  / 右 : ナジール・アフメド )

  他人の国だから、どうこう言いたくはないが、こんな異邦人を目にしてもアングロ・ブリテン人は、本当に「貴族」として彼らを尊敬するのか? 戦前の日本で、もし朝鮮人の伯爵や子爵が出現したら、日系庶民は小馬鹿にして相手にしないぞ。子供だって「ギャハハ、ヨボの華族だって !」と笑ってしまうだろう。(「ヨボ」とは庶民が朝鮮人につけた呼称。) 貴族というからには、立派な血統や輝く権威が条件で、国会議員を務めたくらいじゃ「貴族」に相応しくない。やはり、封建領主じゃないとねぇ~。ウェリントン将軍のように武勲を誇る軍人なら「公爵」でいいけど、百貨店や金融業で出世したユダヤ人が「男爵」なんてチャンチャラ可笑しい。日本でも同じだ。德川御三家や御三卿、あるいは島津家とか前田家、毛利家のお殿様や家老ならいいけど、朝鮮の両班なんかロクでなしの穀潰しだから、とても仰ぎ見る存在ではない。貴族は血統と人種が重要となる。たとえ、一橋家出身の公爵が誕生してもタイ人との混血児じゃ嫌だし、田安家から出た伯爵でも、ベトナム人の養子じゃ日本人は尊敬しないだろう。

何のために死んだか判らないイングランドの英霊

  異民族の増殖は誠に恐ろしいもので、家系を大切にする旧家や血統を自慢する堅気の家庭にとり脅威だ。良識と伝統に基づいた教育で成長した親は、祖先の肉体を守ろうとするが、左翼教育で大きくなった娘や、コスモポリタン思想にかぶれた馬鹿息子は、「現在」だけを生きている。こうした子供は義務の観念に欠けるから、子孫への配慮など微塵も無い。惚れた相手なら誰でもいいという了簡(りょうけん)だ。リベラル思想が猛威をふるう現代では、実家に住む両親は「もしかしたら・・・」と不安に駆られ、居ても経っても居られなくなる。ある日、年頃になった娘が電話を掛けてきて、恋人に会って欲しいと頼んできたら、「最悪の事態」を覚悟せねばならない。指定されたレストランに赴くと、そこには有色人種の男がいて、娘と談笑していたりするから、親は心臓が止まるくらいショックだ。たとえ黒人じゃなくても、白人に見えない混血青年だったりするから、目眩がしてくる。一応、父親は冷静に振る舞うが、心の底では「何で、こんな奴と付き合うんだ !」と怒りを隠せない。母親も、「他に良い男性がいっぱい居るのに、どうしてこんな人を選んだの !」と不満爆発だ。確かに、溢れんばかりの愛情を注いで育ててやったのに、非西歐世界の有色人種じゃ泣けてくる。これでもし結婚となったら卒倒してしまうだろう。初孫がインド人やアフリカ人との混血児なんて、あまりにも残酷すぎる。生まれたての赤ん坊を抱いたときの涙は、嬉し涙じゃないぞ。

  多民族主義を毛嫌いする保守派のイギリス人にとって、異人種間結婚(miscegenation)は身近に感じられる恐怖だ。とりわけ、藝能界で活躍する娘がいると、その親は心配でたまらなくなる。例えば、ラザ・ジェフリー(Raza Jaffrey)とミランダ・レイゾン(Miranda Raison)の結婚は、現代の恐怖を象徴するニュースだった。ラザは英国の人気TVドラマ『スプークス(Spooks)』にレギュラー出演したインド系男優で、嘗てアメリカのTVドラマ『ホームランド』に出演し、現在は『内なる敵(The Enemy Within)』に出演している。彼は『スプークス』に出演していた時、共演者のミランダと交際し、2007年に結婚した。しかし、2009年に別れている。幸い、二人の間に子供はいなかった。だが、彼は又もや異人種の女優に手を出した。同番組の出演女優ララ・パルヴァー(Lara Pulver)と親密になり、2012に結婚する。だが、それも長くは続かず、2017年に離婚したという。

Raza Jaffrey 2Miranda Raison 6Lara Pulver 3












(左 :  ラザ・ジェフリー  / 中央 : ミランダ・レイゾン  / 右 : ララ・パルヴァー  )

  ミランダ・レイゾンの両親がどう思ったかは知らないが、普通のイギリス人ならゾっとするような結婚である。というのも、異民族が大量に流入する英国では無防備な子供が有色人種と毎日接触するからだ。年頃の子供を親は、「もし、自分の子があんな婚約者を連れてきたらどうしよう」と心配になる。一方、ララ・パルヴァーの親なら結構平気だろう。なぜなら、彼女の父親はユダヤ人で、イギリス人の母親は夫に従いユダヤ教へと改宗しているし、二人はララが七歳の時に離婚しているからだ。こんな母親なら、娘の結婚に反対できるはずがない。それに、第21世紀の英国だと、親の世代もリベラルで、多少の抵抗はあっても、概ね異人種間結婚を許してしまうのだ。イングランドの地と血を守るために亡くなった将兵は、墓の底でどう思っているのか? 中流階級以上の陸軍士官とか、パブリック・スクール卒の海軍士官は、まさか、自分の子孫にパキスタン人やアラブ人の遺伝子が混ざるとは考えていなかったはずだ。あの世のチャーチルも絶句するんじゃないか。隣のヒトラーが笑っているぞ。

内部から変質する日本

  翻って日本を見てみると、本当に背筋が寒くなる。アジア系の候補者に投票する日系国民は、多民族国家の行く末がどうなるのか解っているのだろうか? たぶん、「他にマシな候補者がいなかったから」とか、「面白そうだから投票した」と答える人もいるだろう。だが、異民族の候補者とか、帰化人子孫の候補者が公権力を握ると、日本社会を揺るがすような法律を通してしまう危険性がある。立憲民主党が朝鮮系や支那系、インド系の候補者を推薦するのは、従来の伝統的日本を破壊したいからだろう。革命思想に感動した左翼分子にとって、共産主義を撥ねつける愛国心や皇室伝統は最大の障碍物である。昔、フランクフルト学派のジェルジ・ルカーチやアントニオ・グラムシは鈍感な一般人に失望したそうだ。なぜなら、伝統的生活に甘んじる農民は、“古臭い”キリスト教倫理に縛られ、放埒で淫乱な生活を嫌悪したからだ。しかも、彼らはプロレタリアの指導者に従わず、依然として王侯貴族や聖職者の方に靡いたから、共産主義革命は実現されず頓挫した。そこで、反西歐的なマルキスト指導者は、高邁な理想や啓蒙主義に弱いインテリ層にターゲットを絞り、糖衣錠で包んだ共産主義を服用させてみた。結果は大成功。有名大学に通う青年はイチコロだった。

  日本でも法学部や社会学部の学生は、日本的な生活様式を嘲笑い、伝統文化や皇室を「過去の遺物」と斥けると共に、それらを大切にする庶民を見下すことに快感を覚えたのである。そして、彼らは赤い教授から「低学歴の庶民には高度な政治体制(共産主義)を理解できないので、知識人階級が導かなければならない」と吹き込まれ、「そうだ、俺たちエリートが導いてやらねば !」と思い込んだ。これは高級官僚の態度を想い出せば、よく分かるんじゃないか。霞ヶ関のキャリア官僚は、「一般国民や代議士は馬鹿だから、俺たちが国家の舵取りをしないと、大変なことになる」と思っている。彼らは移民問題でも同じ態度を示す。朱色や深紅に染まった官僚たちは、移民の輸入に反対する国民を「右翼」と見なし、世界的潮流である「国際化」に逆行する無知蒙昧の輩(やから)、あるいは人種差別を掲げるゴロツキ集団と考えているのだ。本来なら、国政を担うエリートこそ、日本を守るために外人労働者を排除し、住み着こうとするアジア人を強制送還すべきなのに、人手不足や少子化を口実にアジア人を歓迎しているんだから、アホとしか言い様がない。高級官僚や大企業の経営者だって、私生活ではアジア人との共存は望まないのに、建前論を口にすることがエリートの証しと思っているから厄介だ。

  昭和の終わりくらいまでは、インド人や朝鮮系の候補者が当選するとは考えにくかった。しかし、平成の末期になると、アジア系議員が誕生しても不思議ではない世の中になってしまった。昭和生まれの親だと、自分の息子や娘がビルマ人とかベンガル人と結婚するなんて想像しないだろう。だいたい、インドネシアやトルコ出身のイスラム教徒が義理の息子になるとか、自分の娘が改宗し、生まれた孫もイスラム教徒なる、といった事態を予想した日本人は何割いたのか? 以前の日本では雛祭りに人形を飾り、端午の節句に鯉のぼりを上げる家庭は珍しくなかった。だが、チャドルを纏った母親が子供の手を引いて買い物をする、という光景は見かけなかったぞ。朝鮮人との結婚だって猛反対する親が多く、興信所を使って結婚相手の素性を調べたり、内緒で結婚を断念するよう相手方を説得することも結構あったと聞く。

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(左 : 白人と黒人の家族  / 中央 : 従来のイギリス人の赤ん坊  / 右 : アフリカ系の赤ん坊 )

  歐米人と同じく、なぜ日本人はこうも「国際化」や「人権思想」に弱いのか? それは日本人に嫌なものを堂々と拒絶する勇気が無いからだ。もし、自分の屋敷に在日鮮人や支那人観光客が入り込み、リビングのソファーで昼寝していたら、どんな日本人でも激怒するだろう。いくら侵入者が「快適な部屋で眠ることは普遍的権利だ !」とかぬかしても、「うるさい ! ここは俺の家だ ! 出て行け !」とつまみ出す違いない。図々しい支那人だと、「日本人はアシジアを侵略したから、家宅侵入されても仕方ない !」と反論するが、そんなことを気にする日本人はいないだろう。不愉快な外人は叩き出すのが常識で、日本国民には幸せな生活を送る権利がある。日本という国家は、誰でも入ることが出来る公衆便所ではない。自由な国境移動に賛成する人は、まず自分の部屋にフィリピン人やマレー人、アラブ人、エチオピア人を迎え入れ、五、六年ほど同棲してみることだ。そして、更なる国際化のためにジプシーの一団を招待し、庭にテントを張って野宿してもらえばいい。たぶん、花壇に小便や大便が散布されるから、綺麗な花が咲くかも知れないぞ。ただし、真夏には悪臭が漂うが、馴れれば問題は無い。朝日新聞やNHKの重役たちは、自ら進んで外人の「ホームステイ」を実践すべし。二、三年後、彼らがどんな態度を示すのか楽しみだ。意外とAfD(ドイツの反移民政党)の熱心に支持者になっていたりしてね。  



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