黒木 頼景
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将来の有権者は外国人
(左 : ミスコンテストで優勝した三名の黒人クィーン / 右 : 人気の無い従来のミスコン出場者)
歴史的および地理的要因が大きいのか、日本は極めて同質性の高い国家であった。「日本人」といえば両親が日本人で、自分が何人なのか考えなくても済む民族である。言葉だって日本語が当たり前で、方言の違いがあるものの、向こう三軒両隣どころか別の県でも日本語が公用語ときている。皇族が日本人なら庶民も日本人ばかり。アジア諸国とは極めて対照的だ。例えば、支那や天竺(インド)だと、異民族がゴチャゴチャと雑居状態で、民衆の間に統合の絆は無い。それどころか、「国民」という概念すら無いのだ。支那人にとって家族以外の者は「よそ者」で、病気で死のうが外敵に殺されようがどうでもいい。自分に害が及ばない限り知ったことではないのだ。
一方、インド人も似たような連中で、様々な部族で別れているから、同じ領域に住んでいようが親族以外は赤の他人で、気になるのはカースト制度において「どの」身分に属するのかだ。日本人はイギリス人に支配されて可哀想と思っているが、長きに亙って異民族に支配されてきたから、誰が皇帝になろうがお構いなしである。むしろ、インド人からすれば、英語という共通語ができて有り難かった。もし、ある部族の言葉が公用語(または標準語)になれば諍いの元になるので、誰もが承諾する「御主人様の言葉」だと皆が賛成となる。日本人はこれを「奴隷根性」と呼んで軽蔑するが、嫉妬の嵐で国内が分裂するよりマシだろう。インド人というのは議論好きで、一旦喋りだしたら夕暮れまで論争するし、口論が白熱すれば最終的には暴力沙汰となる。「察しの良さ」が特徴の日本人だと厭になってくるはずだ。
日本人は同質社会を当然と見なしているので、その恩恵を改めて考えることはない。しかし、外国人労働者が続々と流入すれば、この幸せを失った悲しみに“いずれ”気づくことになるだろう。ただ、今のところ問題が顕著になっていないので、一般国民は暢気に構えている。つい最近、立憲民主党の福山哲郎が政党名の略称を提案したが、この危険性に気づく国民はほとんどいなかった。NHKは次のように伝えている。
立憲民主党は夏の参議院選挙で使う政党名の略称を、ひらがなで、「りっけん」とすることになりました。福山幹事長は「立憲主義に対する、われわれの思いを国民により浸透できるようにしたい」と述べました。立憲民主党は、おととしの衆議院選挙では政党名の略称を「民主党」としていましたが、夏の参議院選挙ではひらがなで「りっけん」とすることを決め、先月末、届け出ました。
これについて福山幹事長は記者会見で、「『立憲』という漢字は難しいので、『ひらがなで書いてもいい』ということで、少しでも気持ちの負担を減らす一方、『立憲主義に対する、われわれの思いも国民により浸透できるように』という中で、『りっけん』という略称にさせていただいた」と述べました。(NHK News 2019年5月7日)
作家の百田尚樹は「有権者の精神的負担を減らす」という文言に注目し、「立憲民主党の支持者は、こんな漢字も読めない奴らなのか !」と馬鹿にしていた。彼は福山の提言を茶化し、「立憲の支持者はアホばかりか !」と興奮していたが、この批判は的外れである。狡猾な福山は近い将来、必ず日本が移民社会なると見越しているから、それを念頭に置いて発言していたのだ。なぜなら、介護師としてやって来るインドネシア人とか、建設業者や解体業者に雇われるベトナム人、料理人や工場労働者として住み着くビルマ人やトルコ人にとって、漢字というのは厄介なもので、中々覚えられない。たとえ、日常会話で日本語を話すことができても、文字を読むことは別で、どう発音したらいいのか戸惑うばかり。ましてや、漢字を正確に書くとなれば、ちゃんと勉強しなければならないから、中高年の移民にとっては苦痛の種だ。でも、日本に永住するからには、ちょっとくらい日本語を勉強しなければならない。そこで、日本語教室に通う移民や難民達は、いきなり漢字だと無理だから、最初に平仮名や片仮名を習い、小学生並の学力をつけようとする。これくらいなら、労働者階級の外人にも可能だ。
(左 : インドネシア人 / 右 : 東南アジアの人々)
国境に囚われない「世界市民」を理想とする立憲民主党は、日本国民の「ため」を思って、略称を平仮名にしたのではない。この政党は帰化した外国人の票を全部かっ攫うつもりなのだ。やっと平仮名を書けるくらいの帰化人にとって、漢字は投票所を遠ざける邪魔な文字でしかない。だからこそ、福山は平仮名を提案したのである。それなのに、福山を「アホか!」と嘲笑った百田氏の方が途方もないアホである。多少の教養を持つ日本人は、福山の目論見を世間に警告しなければならない。左翼というのは長期的に悪事を働くシロアリだ。たとえ、頑丈な城でも、皆でちょっとづつ柱を食いちぎり、100年かけても崩そうとする。「一歩前進、二歩後退」しても、次の日に三歩進もうとするから、左翼はしぶとい。菅直人だって市川房枝の腰巾着から日本の総理大臣になったじゃないか。あと三世代くらい経てば、、すなわち令和90年頃になれば、日本は相当変わっているはずだぞ。
米国でも左翼は同じ事を考える。そもそも、なぜ民衆党は南米移民を歓迎するのか? それはヒスパニック移民が民衆党の大票田になるからだ。例えば、メキシコやグァテマラからやって来る不法入国者は、人権派や移民支援者の手引きでアメリカ公民権を取得できるし、ズルズルと居続ければ最終的に永住権を得る可能性も出てくる。持久戦に持ち込めば、負けるのは合衆国政府の方だ。ベトナム人だってゲリラ戦で戦争を長期化させ、泥沼化させることで圧倒的な米軍を撤退させたじゃないか。とにかく、疚(やま)しい過去を持つ帰化人は、共和党に投票することはない。ほとんどの移民は民衆党の候補者に投票する。なぜなら、彼らにとって力強い庇護者となってくれるのは民衆党だからだ。密入国者でもICE(移民局)から守り、強制退去を食い止め、国籍や福祉までも与えてくれるんだから有り難い。移民を「エイリアン」と呼び、出来るだけ排除しようとする共和党保守派とは大違いだ。アングロ・アメリカを理想とする白人は、有色移民にとって憎むべき敵である。どんなに立派な者でも白人至上主義者に過ぎない。アメリカでは「入国手続きを守れ」と主張する者は、「頑固者(bigot)」と罵られ、「外人嫌い(xenophobia)」のレッテルを貼られてしまうのだ。
国民の肉体が変わってしまったアメリカ
アメリカ史を勉強する日本人にとってギョッとするのは、建国の民と現在の民が人種的に異なっている点である。日本史だと、貴族社会から武家社会へと変わった鎌倉時代でも、領主と領民は引き続き同じ日本人で、支配者がモンゴル人とか契丹人ということはない。また、日本が劇的に変わった明治維新前後でも、幕末の志士や明治の官僚は皆日本人で、いくら廃藩置県が断行されたからといって、ベトナム人の県知事とかビルマ人の警察官というのは無かった。天皇陛下だって日本人のままだし、幕臣が皆殺しになるどころか幾人かは新政府に迎えられたのだ。「賊軍」の親玉だった德川慶喜までもが公爵に叙せられ、貴族員議員にまでなるんだから驚きである。支那大陸なら間違いなく処刑されているはずだ。日本にも身分制度はあったけど、その境界線は曖昧で、種族に基づく階級社会ではなかったので、地位の異動が比較的簡単だった。
要するに、皇室だけが不動の頂点に君臨し、あとの臣民は能力に応じて上下左右に動いていたということだ。だいたい、足軽出身の伊藤博文がトントン拍子に公爵となり、総理大臣とか枢密院議長まで務めたんだから、当時のヨーロッパ人が聞けばビックリする。英国のデイヴィッド・ロイド・ジョージも首相を経て伯爵となったけど、イギリス貴族達は彼を「成り上がり者」としか見なさず、ウェイルズからやって来た「ケルトの魔術師」扱い。一方、ロイド・ジョージは上流階級なんか気にせず、若い頃から反国教会、反貴族制、反地主、反イングランドを隠さず、大衆政治家として世間に名を売り込んでいた。この過激派ウェイルズ人とコンビを組んでいたのが、名門貴族のウィンストン・チャーチルだった。まぁ、チャーチルは落ちこぼれで変わり者だったから、反りが合ったのかもかも知れない。
脱線したので話を戻す。今さら嘆いても手遅れだけど、アメリカ社会の変質は相当深刻である。例えば、今年行われたミスコンテストはどれも酷かった。何と、「Miss USA」と「Miss Teen USA」、「Miss America」の三大会で、全ての優勝者が黒人女性となってしまったのだ。(Kendall Trammell, "For the first time, Miss USA, Miss America, Miss Teen USA are all black women", CNN, May 5, 2019.) 黒人の観客は大喜びだったけど、自宅で独りテレビを観ていた白人達はどう思っていたのか、ぜひ訊いてみたい。なるほど、「アメリカ代表」に選ばれた優勝者は、ハッとするような美人なんだろうが、白人が評価する従来の「美人」とは相当懸け離れている。
(左 : チェスリー・クリスト / 中央 : ケイティー・コブル / 右 : カエラ・マッカラ )
「Miss USA」となったチェスリー・クリスト(Cheslie Kryst)は、「ミス・ノース・カロライナ代表」としてコンテストに出場していた。彼女の父親はポーランド系なんだけど、母親がアフリカ系だから髪は縮れ毛で、初めて会った人はよく彼女の髪を触りたがるそうだ。でも、ノースカロライナ州の白人は、以前の代表者だったケイティー・コブル(Katie Coble)の方を好み、「ケイティーの方が良かったなぁ」と悔しがる。ちなみに、ケティーは2017年の全米コンテストに出たけど、「トップ10」にすら入ることもできなかった。一方、この大会で優勝したのは、カエラ・マッカラ(Kára MuCullough)という黒人女性だ。たぶん、審査基準が昔と違っているのだろう。
(左 : ケイリー・ギャレス / リリー・ロイド / アマイヤ・アレン / 右 : ケネディー・エドワーズ )
「Miss Teen USA」で優勝したケイリー・ギャレス(Kaleigh Garris)は、黒人の父と白人の母を持つ混血児で、クルクルっとカールした黒髪が特徴的だ。アフリカ人の遺伝子を持つから仕方ないけど、まるで野生化した羊みたいな髪である。同じコンテストにはアラバマ州代表のケリン・バート(Kalin Burt)もいたけど、彼女は選考委員の目に適わなかった。日本人には理解できない審査基準である。このミス・ティーン大会にはモーガン・デューティー(Morgan Duty)とかグレイス・ターナー(Grace Turner)といったオールド・タイプのアメリカ人も出場していたが、やはり最近の流行はワシントン州代表のリリー・ロイド(Lily Lloyd)やイリノイ州代表のアマイヤ・アレン(A'Maiya Allen)、テキサス州代表のケネディー・エドワーズ(Kennedy Edwards)、ネヴァダ州代表のエリカ・ボニラ(Erica Bonilla)といったニュー・タイプである。ちなみに、2018年の優勝者はサラ・ローズ・サマーズ(Sarah Rose Summers)で、普通のアメリカ人娘といった感じの高校生だった。
(左 : ケリン・バート / 中央 : モーガン・デューティー / 右 : グレイス・ターナー )
米国の主要テレビ局は、三大会の総てを黒人が制覇したことを喜んでいたが、白人視聴者の中には陰鬱になっていた者もいるんじゃないか。昔のミスコンなら、健康で美しい西歐系女性が上位選抜者になっていた。例えば、ミス・マサチューセッツのケリー・オグラディー(Kelly O'Grady)とか、ミス・フロリダのニコレット・ジェニングス(Nicolett Jennings)、ミス・オハイオのアリス・マゴウトー(Alice Magoto)、ミス・ヴァージニアのコートニー・スミツ(Courtney Lynne Smits)、ミス・コネティカットのアケイシア・コートニー(Acacia Courtney)などを見れば、従来の基準というものが分かる。
(左 : ケリー・オグラディー / ニコレット・ジェニングス / コートニー・スミツ / 右 : アケイシア・コートニー )
ところが、多民族主義が浸透した現在のアメリカでは、優勝候補になるタイプは人種の「多様性(diversity)」を反映する女性である。例えば、ミス・ネヴァダのティアナ・テュアモヘロア(Tianna Tuamoheloa)とか、ミス・テキサスのシェルビー・ジェンキンズ(Shelby Jenkins)のようなタイプである。更に象徴的なのは、ニューヨーク州で選ばれ候補者達だ。ミス・ニューヨークを競う女性を眺めると、明らかに時代の変化が判る。例えば、アンナ・コイとかブリトニー・ブラウン(Brittni Browne)、チニア・アドグ(Chinyere Adogu)、エメラルダ・アマドアー(Emeralda Amador)、セバスチャン・ボアキー(Sebastian Boakye)、ティアナ・アダムズ(Tiana Adams)などがコンテストの主流となり、ララ・エイストン(Lara Aiston)のような女性が勝ち抜くことは難しくなっている。
(左 : ティアナ・アダムズ / エメラルダ・アマドアー / セバスチャン・ボアキー / 右 : ララ・エイストン )
白人が強い南部だって、時代の波には勝てない。例えば、テキサス州だとブリタニー・ブッカー(Brittany Booker)やケイティー・スコット(Katie Scott)、テイラー・ロウリー(Taylor Lowery)、パリス・リーガン(Paris Regan)、レベッカ・ギウントリ(Rebecca Giuntoli)などの従来型白人女性が出場しているが、やはり時代遅れのタイプとなっている。話題となるのは、クリストル・スチュアート(Crystle Stewart)やレイチェル・ホーンバックル(Rachel Hornbuckle)、エイミー・ガルシア(Amy Garcia)、ミッシェル・ミラー(Michelle Miller)、シェルビー・ロス
(Shelby Ross)といった非白人系の女性である。
(左 : レイチェル・ホーンバックル / エイミー・ガルシア / ブリタニー・ブッカー / 右 : レベッカ・ギウントリ )
多民族化は不幸の始まり
南部の白人達は不満だろうが、ミスコンの主催者からすれば、大会が多くの視聴者を惹きつけ、マスコミの話題となればいいので、出来るだけ「マイノリティー」の出場者を選ぶように心掛けている。なぜなら、非白人の候補者を優勝させれば、黒人やヒスパニック、アジア系視聴者が飛びつくからだ。こうした観客はアメリカを「自分の国」とか「ホームランド」と思っていないから、いつも白人が脚光を浴びる国民的イベントに興味を示さない。しかし、自分たちの仲間が王冠を獲得すると非常な喜びを見出す。これはバラク・オバマが大統領になったときの感激と同じだ。アメリカの黒人達は、あの時、初めてアメリカ合衆国を「自分の国」と見なした。ミッシェル夫人は亭主のバラクが大統領候補になった時、ポロっと本音を漏らしてしまった。それまで、彼女はアメリカを誇りに思ったことは無かったそうだ。たぶん、ミッシェル夫人は生まれてからずっと、「本国」であるはずのアメリカを「よその国」と思っていたのだろう。「マイノリティー」と呼ばれる有色国民は、白人に独占されていた地位やタイトルを奪う時、無上の喜びを感じるらしい。
一方、主流国民から脱落した西歐系国民は惨めなものである。祖父母の時代は何事も白人が中心で、いちいち人種を気にすることはなかった。学校に行けば級友は白人ばかりで、語り継がれる文学はシェイクスピアやジョン・ミルトン、チョーサーなどが定番で、黒人の公民権運動家や詩人が書いた作品なんて問題外。1950年代や60年代の子供達が、マヤ・アンジェロウ(Maya Angelou)とかアリス・ウォーカー(Alice Walker)、ジェイムズ・ボールドウィン(James Baldwin)、アレックス・ヘイリー(Alex Haley)、W.E.B.デュ・ボワ(William Rdward Burghardt Du Bois)の著作なんか読むのか? それに、まともな白人家庭の子供が黒人と結婚することはなかった。もし、黒人と結婚しようものなら、友人関係は崩れるし、両親や兄弟もこぞって反対だ。
(左 : マヤ・アンジェロウ / アリス・ウォーカー / アレックス・ヘイリー / 右 : W.E.B.デュ・ボワ )
当時のアメリカでは信仰の自由があるといっても、それはキリスト教の範囲内だけだった。エピスコパリアン教会からプレスビテリアン教会へ、あるいはメソディスト教会からカトリック教会への移籍はあったけど、イスラム教への改宗なんか先ず考えられない。ユダヤ教徒に改宗することだって大反対なのに、アラブ人の宗教に鞍替えするなんて狂気の沙汰である。フィクションを題材にするTVドラマでもあり得なかった。ところが、ハワード・ゴードンが手掛けた『ホームランド』では、囚人となった海兵隊員がイスラム教へ改宗するという設定だったから驚きだ。実際、イスラム教徒になる白人も出てきたし、北歐人が多かったミネソタ州は今やソマリア難民の拠点となっている。セイント・ポールの街中を歩けば、黒いイスラム教徒に厭でも気づく。やがて、イスラム教徒の下院議員や上院議員も普通になるだろう。
アメリカが“アメリカ”らしかった頃、ミス・コンテストで黒人が優勝するなど、火星人の襲来と同じくらい非現実的なものであった。ところが、今じゃ逆に白人美女の方が劣勢に立っている。西歐人や日本人は「多様性」と聞けば「何か良いもの」と思ってしまうが、実はマイナスの効果や結果の方が多いのだ。外国から移民がやって来て日本の文化を豊かにするなんて真っ赤な嘘。むしろ、日本人の権利や幸福が減少するはずだ。アメリカの前例を見れば判るじゃないか。例えば、ある白人の新人女優がTVドラマに出演したいというのでオーデションを受けたとする。「主役は無理でも脇役5名の内なら」と期待するが、人種的配役のせいで白人は一人しか採用されず、残りは黒人やヒスパニック、東南アジア系、ムスリム・アラブ系から選ぶことになっているのだ。近年の刑事ドラマを観れば、見事に人種的配分が行われていることに気づくだろう。白人の中堅役者は、こうした政治的キャスティングに遭遇すると、「何でだよぉ~」とボヤいて落胆する。テレビ局の方針だから「しょうがない」と諦めているが、独りになれば自然と涙が浮かんできて、「昔なら私が選ばれたのに・・・」と愚痴をこぼす。大学の入試やテレビ局の職員採用にも人種枠があって、不条理な落選が後を絶たない。
アメリカの白人は子供の頃からずっと譲歩を強いられている。学校の授業でも、英国系文豪の作品は削減され、代わりに聞いたことも無い黒人作家の小説を読まされたりする。歴史の授業はもっと酷く、奴隷制度を糾弾する罪悪史観を刷り込まれるというのは、奴隷を所有していた祖先を非難することを意味するから、イギリス系アメリカ人の子供は遠い祖先を誇りにすることができない。また、ホロコーストは検証も無しに教え込まれるから、西歐系の子供はナチス時代のドイツ人を悪魔のように見なす。だが、これはおかしい。何で異人種のユダヤ人が西歐系アメリカ人の味方となり、同じ種族のドイツ人が憎しみの対象になるのか? 歴史上、ヨーロバ人同士の戦争など珍しくもなく、イギリス人やフランス人、スペイン人の縄張り争いなんて度々あった。ユダヤ人に対する迫害だって何百回も起こっているから、ドイツ人を非難できるヨーロッパ人なんか居ないだろう。イエズス・キリストじゃないけど、「ユダヤ人を嫌ったことが無い国は石を投げてみろ !」と言いたい。
アメリカの白人は絶対に口にできないけど、ナチスの人種政策が普及して困る西歐人はどれ程いたのか? ドイツはアングロ・サクソン人を尊敬していたし、ヒトラーは元々ブリテンとの同盟を望んでいたのだ。ドイツは北歐諸国を占領しても、ノルマン人を殲滅することはなく、逆にこの北方種族を理想の人間と見なし、数を増やそうと考えていた。当時のアメリカだって白人の天下で、穢らわしいユダヤ人と混血したいとは望んでいなかった。むしろ、異なった容姿のユダヤ人を学校やホテルから排除したいと思っていたのだ。ところが、現在はどうか? 多民族主義を掲げるスウェーデンの政治家は、積極的に黒い難民や褐色の移民を引き込んで、祖国をアフリカ並にしようとしている。さらに、引き込んだ異邦人が金髪碧眼の女性を襲い、強姦したり殺害したりして、原住民を怯えさせているんだから、ファシズム政権より恐ろしいじゃないか。もっと深刻なのは、こうした有色移民が北歐人と結婚し、どんどん混血児を作っていることだ。一般の北歐人は気づいていないが、彼らは祖先から受け継いだ遺伝子プールを毀損している。高くなった税率なら、努力して低くすることも出来ようが、一旦異質な遺伝子が混ざった肉体は元に戻すことは出来ない。
今、西歐諸国で起きている問題は、経済成長の停滞とか福祉予算の増大ではなく、異民族による合法的な征服である。第19世紀は西歐列強がアジアとアフリカを侵掠する時代であったが、第21世紀は逆に有色人種が西歐世界に進撃する時代になってしまった。日本も周回遅れで異邦人の入植地になっている。特に、支那人による日本社会への浸透は目を見張るほど著しい。でも、政治家や知識人は鈍感だ。未だに支那人の危険性に気づいていないんだから。米国では孔子学院が次々と閉鎖になっているのに、我が国ではその気配も無い。呆れてしまうけど、山梨学院大学は、今年の五月に孔子学院を開設したんだって。もう目眩がする。しかも、そのオープン記念には、自民党の宮川典子議員まで駆けつけて、祝福しているんだから「バカに附ける薬は無い」というのは本当だ。でも、山梨学院といえば黒人選手を使って箱根駅伝を制覇しようとする大学だから、今度は支那人を用いて業績を上げようとしているんじゃないか。しかし、支那人を増やして知名度や能力が上がるとは思えない。どちらかと言えば、工作員の育成で有名になりそうだ。もしかしたら、将来、甲府のミスコンには支那人の出場者が優勝者になるかも。(審査員が支那人に買収されている可能性だって考えられるぞ。) 伊賀や甲賀の忍者が千葉真一とか真田広之じゃなく、ジャッキー・チェンとかジェット・リーじゃ嫌だなぁ。
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