教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !


「パパ、行かないで !」と懇願する娘

Skye McColeBartusiak 1Mel Gibson 5









(写真  /  『パトリアット』に出演したスカイ・マコール・バートシアクとメル・ギブソン)

  日本と同じく歐米でも、軍人は愛する者を守るために戦場へ赴く。しかし、武器を取る愛国者は、大切な家族のもとに戻る事ができるとは限らない。むしろ、愛する者を残して天に召されることが多い。『パトリオット』でもこの葛藤が描かれており、主人公のベンジャミン・マーティン(メル・ギブソン)は家族を残して決戦に挑もうとする。彼にはエリザベスという妻がいたが、七番目の子供であるスーザンを産んだ後、病に冒され亡くなってしまう。幼くして母を失った末娘のスーザンは言葉を発することができなくなり、彼女がやっと話したのは、英軍の襲撃を受けた後、兄のガブリエルに対して口を開いた時だ。まぁ、物心ついた頃から母親が居ないというのは、幼い子供にとって耐えがたいことであるから、スーザンが心を閉ざしたのも不思議ではない。

  妻を亡くし鰥(やもめ)となったベンジャミンは、七人の子供を抱えて農園を切り盛りする。しかし、英国に対する入植地の反撥は日増しに強まり、その嵐はマーティン一家が住むサウス・カロライナへも押し寄せてきた。しかし、ベンジャミンは積極的に武器を取ろうとしない。なぜなら、彼は以前フレンチ・インディアン戦争に参加し、恐ろしい体験をしたので、二度とあのような辛い目に遭うのは御免だと思っていたからだ。ところが、長男のガブリエル(ヒース・レジャー)は血気盛んな若者だから、入植地の仲間を救うべく腕まくりをしてやる気満々。喜んで地元の軍隊に入り、イギリス兵をやっつけようとする。

  最初は消極的だったベンジャミンも、息子が英軍に囚われたり殺されたりしたので、次第に植民地軍に加担するようになった。「ゴースト(The Ghost)」なる渾名を持つマーティンは、植民地軍の大佐となり、地元の民兵を率いてイギリス兵を倒してゆく。ある時、英軍が彼の農園にまで押し寄せたので、戦に備えるベンジャミンは亡き妻の妹であるシャーロット(ジョエリー・リチャードソン)に子供達を託すことにした。義理の妹であるシャーロットはベンジャミンに思いを寄せ、やがて彼の妻となる。

Patriot Gabriel Martin 1Joely Richardson 1Joely Richardson 3











(左 : 「ガブリエル」役のヒース・レジャー  /  中央 : 「シャーロット」役のジョエリー・リチャードソン / 右 : ベンジャミン・マーティンとシャーロット )

  『パトリオット』のクライマックスは、両軍が激突する戦闘シーンにあるが、出征を前にした親子の愛情も見逃せないシーンである。特に、四歳になる末娘のスーザン(スカイ・マコール・バートシアク)が見せる表情が実にいい。入植地アメリカの独立を勝ち取るため、ベンジャミンは長男のガブリエルを伴って戦場に向かおうとする。新たな妻となったシャーロットの脇には、父を見送る子供達がずらりと並んでいた。「これが最後かも・・・」と思うベンジャミンは、愛すべき子供達一人一人に向かって別れを告げ、ギュッと抱きしめる。そして、シャーロットに後を託すベンジャミンは、彼女の唇にキスをした。これを見て、シャーロットに懐いている子供達には笑顔がこぼれた。

 次は、幼いスーザンの番だ。彼女の前に立ち、「グッバイ」と告げるベンジャミン。しかし、母親の死で口が利けなくなった少女は、人形を抱えたまま、険しい表情で父親を見つめている。それでも別れを告げようとするベンジャミンは、彼女の顔をのぞき込むように言葉を掛けた。ところが、スーザンは意外な反応を示す。いとしい娘を抱きしめようとするベンジャミンに対し、スーザンは後ずさりをして父を拒んだのだ。この態度に戸惑ったベンジャミンは無理強いをせず、微笑みを浮かべて諦めた。彼は馬に飛び乗り、息子のガブリエルと共に立ち去ろうとした。

Mel Gibson 2Skye McColeBartusiak 6












(写真  / 父と別れる「スーザン」を演じた スカイ・マコール・バートシアク)

  その時である。娘のスーザンは二、三歩前に出て、込み上げてくる感情を口にした。父と兄が遠ざかってしまうことに堪えきれぬスーザンは、勇気を振り絞って「パパ、行かないで !」と言葉を発し、泣きながら父の背中を追うように走り出した。この奇蹟の言葉を耳にしたベンジャミンは、すかさず馬を降り、娘のところに駆け寄る。彼は涙を流しながら走り寄る娘を固く抱きしめた。スーザンが「パハ、何処にも行かないで。約束して !」と懇願する姿を見れば、我々も胸が締め付けられ、自然と目頭が熱くなる。スーザンの顔をしっかりと見つめるベンジャミンは、「約束する。必ず帰ってくるから !」と言い聞かせた。「信じてくれるかい?」と父が問うと、スーザンは首を縦に振って答える。今まで喋ったことがないスーザンが話しただけでも嬉しいのに、彼女はその感情を素直に表した。ベンジャミンはどれ程喜んだことか。彼は何度も確認するようにスーザンを抱きしめた。

  娘を残して戦場に行かねばならぬ父親には、心臓が切り裂かれるほどの悲しみが押し寄せる。というのも、「もう二度とこの子に会えないんじゃないか・・・」という不安が頭をよぎるからだ。死への恐怖より別れの方が辛いこともある。しかし、軍人は祖国を守るため、家族のもとを去らねばならない。たとえ、子供達が孤児(みなしご)になろうとも、自分の生命を国家に捧げることが軍人の義務であり、子々孫々にまで語り継がれる名誉となるのだ。

祖国に殉じる自衛官と日本にぶらさがる帰化人

  こうしたシーンを見ても平和ボケの日本人にはピンと来ないかも知れないが、実際に戦闘を経験するアメリカの軍人には心に突き刺さるものがある。なぜなら、幼い子供を持つ海兵隊や陸軍の将兵は、「もしかしたら、自分も帰ることができないのでは・・・」という予想がリアリティーをもつからだ。事実、戦場ではさっきまで元気だった戦友が兇弾に倒れたり、爆発で命を失ってしまうことは珍しくない。敵の銃弾を喰らった戦友からは鮮血が止めどなく流れ出す。近くに居る仲間は彼を背負って現場を離れようとするが、敵の攻撃が激しくて自分も撃たれてしまう危険性さえある。それでも、戦友を見捨てることはできないから、必死で助けようとする。が、致命傷を負った兵士からは急激に生気が失われてゆく。衛生兵のところに連れて行く頃には、既に死亡しているという場合も少なくない。歴史教科書では、戦没者というのは「数」でしかないが、現実では一人一人が家族や友人を持つ「人間」である。ゆえに、たとえ一兵卒の死であっても、多くの人を不幸にするものだ。哀しいけど、戦場では1ドルもしない銃弾で一人の命が消えてまうから、実戦というのは誠に残酷なものである。戦争を決断する政治家は、自分の評判ばかり気にしないで、この「重み」を認識すべきだ。

  法的に「軍隊」が無い日本で、実戦を経験する者はほとんど居ないけど、少なくとも自衛官はちょっとくらい生死を考えたことがあるはずだ。たとえ、イラクやアフガニスタンに派遣されないとしても、訓練で実弾を使用する自衛官は、戦場で同じような弾が自分に向かって飛んでくると分かる。戦争では何が起きるか予測できないから、運が悪ければ百戦錬磨のベテラン軍曹でも即死となる。この現実を理解できれば、軍人となった者は、自分が何を守っているのか、真剣に考えるようになるだろう。大抵の軍人は「祖国を守るため」と答えるが、「どんな人間が住む国家なのか」という点にまで考えが及ぶ者は少ない。アメリカの海兵隊員や陸軍兵は星条旗ばかり見ているが、祖国の各地に住む「国民」を目にしたとき、どんなことを考えるのか? ちょっと頭のいい白人兵なら判るけど、「アメリカ国民」といってピンからキリまで様々である。南部の白人兵の中には現状に怒っている者がいて、彼らは街角にうろつく黒人やヒスパニック、金目当てでやって来たアジア移民、難民としてやってくるアフリカ人や中東のイスラム教徒などを「同胞」とは思っていないのだ。テキサスやジョージアに代々住んでいる白人は、自分たちの故郷と「仲間」を守るために軍人となったのであり、メキシコからネズミのようにやって来た密入国者のために闘っている訳じゃない。

fat American boys 1New American citizen 11









(左 : アメリカの軍人が守る子供たち  /  右 : 新たに「アメリカ国民」となった移民)

  有事の際に命懸けで日本を守ろうとする自衛官は、いったい「誰のため」に闘おうとするのか? 現在の日本には、個人的な都合で帰化する在日朝鮮人や、福祉をもらうために来日する支那人、日本国籍をボーナスと考えるインドネシア人介護師、水商売で来日し、そのまま居着いてしまったフィリピン人、貧困から抜け出すためにやって来るベトナム人など大勢いる。我が国の自衛官は、こうした移民を守るために、自分の家族を犠牲にできるのか? もし、イラクやアフガニスタンへ派遣された自衛官がゲリラに殺されれば、その女房子供は深い悲しみに包まれるだろう。夫を亡くした妻は子供を抱えて戸惑うし、父親を突然失った息子や娘はショックのあまり呆然となる。戦場での死亡となれば、その遺体は挽肉のようになっている場合もあるので、幼い子供たちは父親の遺体を見ることはできまい。場合によるけど、子供達は実感の無いまま親の葬儀に参列し、言いようのない悲しみだけを背負って父を見送る破目になる。

  死亡率の高い陸自の兵卒は、自分の妻や子供に辛い思いをさせても、アジア系帰化人のために命を犠牲にできるのか? 愛する我が子が「父(てて)無し子」になるのに、国籍目当てでやって来た支那人は、快適な環境で子孫を増やす。愛国心に燃えた立派な自衛官が大量に死んでも、何百万もいるアジア系移民は一人も戦場で死ぬことはない。中には、北鮮の工作員や人民解放軍に協力する「忍び(スリーパー)」すらいるのだ。有事の際、戦場に赴く自衛官は、泣きじゃくる幼い娘に向かって「お国のためだから・・・」と言えるのか? もし、娘から「パパ、行かないで !」と懇願されたら、どんな自衛官だって涙が込み上げてくるだろう。しかし、国家に殉じることを誓った自衛官は、それを振り切らねばならない。そして、たとえ自信が無くても、「きっと帰ってくるから。約束だ。ママと一緒に待っていなさい」と言い聞かせるんじゃないのか。

Filipinos 6Chinese 113









(左 : フィリピンの子供たち  /  右 : 日本にやって来る支那人)

  一方、日本に潜り込んだ朝鮮人や支那人、フィリピン人、タイ人、ベトナム人の親子は、ぬくぬくと日本で暮らし、老後まで安全に暮らすことができる。自衛官の何名かは遺体か、片輪、ダルマ(手足を無くした状態)で帰ってくるのに、「元移民」は最新医療で元気そのもの、心配なのは糖尿病とか腱鞘炎くらいだ。日本人は外人に対して気前が良すぎる。だいたい、ゼニ儲けや快適な環境を求めてやって来る支那人が、体を張って国家に尽くそうと考えるのか? 支那人からすれば、せっかく「より良い生活」を求めて来日したのに、戦争で命を失っては意味が無い。命と銭があっての幸せだ。そもそも、日本人のために命を懸ける支那人なんて、未だかつて見たことがない。

  戦後の日本人は手放して「デモクラシー」とやらを称讃しているが、民衆政治が機能するには、その構成員が戦闘員でなければならない。自分の命と直結するからこそ、公民は祖国の政治を真剣に考えるようになる訳で、「国防は他人に丸投げ」じゃ「パンとサーカス」だけを求めるローマ人と同じで、アリストテレスやプラトンが恐れた衆愚政治への転落だ。米国の属州と成り下がった日本では、一般国民に軍事・外政の興味は無く、誰が防衛大臣なのか知らない者が多い。岩屋毅と聞いたって「誰なの?」と尋ねる国民がほとんどで、大臣となった議員に如何なる国家哲学や軍事知識があるのか判らない。過去には田中直紀が防衛大臣になったけど、軍事を全く解っていない素人だった。単に真紀子の亭主というだけで、政治家としての資質なんかゼロ。民主党の一川保夫に至っては、安全保障の素人を自認し、軍事に無知な者が就任すれば、シヴィリアン・コントロールと思っていたのだ。嘘みたいな話だけど、これが日本の現状である。自民党の林芳正も、なんで大臣になれたのか疑問に思う人物で、キャバクラとかマッサージ店に関してなら少し解るが、国防に関しては素人以下。

Bruce Willis 1Monica Bellucci 5Taraji Henson 3Queen Latifah 3











(左 : ブルース・ウィルス  /  モニカ・ベルッチ /  タラジ・ハンソン / 右 : クィーン・ラティファ)

  日本人は自分が戦闘員にならぬ限り、政治を真剣に考えることはないだろう。自分の命や家族を犠牲にしまでも守りたい日本とは、如何なる国家なのか? 選挙権を有する日本人は、生野区(大阪)や大泉町(群馬)、新宿、荒川区、西川口(埼玉)、北池袋、新大久保などを歩いてみるべきだ。こうした地区に住むアジア人を見た後で、自分の命を危険に晒そうと考える者は、いったい何名いるのか? そういえば、2003年に『ティアーズ・オブ・ザ・サン』というアクション映画があった。海軍特殊部隊のウォーターズ大尉(ブルース・ウィルス)は、紛争地帯となったナイジェリアからリーナ・ケンドリックス(モニカ・ヘルッチ)という女性医師を救出する任務を受けたけど、助ける人物が美女だから観客は納得したものだ。もし、救出すべき女性がウッピー・ゴールドバークとかタラジ・ハンソン、クィーン・ラティファじゃ任務をキャンセルしたくなる。命を懸けるなら、それ相応の貴婦人でないとねぇ~。




人気ブログランキング