教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


好評発売中 !


日本人にとっての皇室とは?

Meiji 02Yamaoka 2













(左 : 明治天皇  /  右 : 山岡鉄舟)

  「令和」という新たな元号を迎えても、左翼陣営による皇室攻撃は無くならず、むしろ陰険な方法で皇室を撲滅しようと謀っている。女性宮家の創設とか女系天皇の承認などは論外だが、左翼学者による皇室侮蔑も見過ごすことはできない。昭和が終わり平成になると、左翼思想の人気が減退したためか、反日分子は正面から「天皇制打倒 !」とは叫ばなくなった。その代わり、皇族のスキャンダルを拵(こしら)えたり、問題を抱える雅子妃への個人攻撃にシフトし、間接的に皇室を“しばく”ことにした。さらに、こうした迂回作戦に加え、左巻きの知識人は天皇陛下を見下して“貶める”という戦法に出たから実に姑息である。陛下に向かって直接汚い言葉を吐きかけると民衆が遠のいてしまうので、「哀れな存在」として小馬鹿にすることにしたのだ。

  今更、我が国の憲法学者を批判しても始まらないが、法学部を目指す受験生の数は減らないし、教養課程で憲法学を選択する学生も未だに存在するから、国民の多くに厄介な毒が蔓延している。悪名高い宮沢俊義や横田喜三郎の著作を読む国民なんて滅多に居なくなったが、法学部の教授になる奴らには依然としてバイブルみたいなもので、頭からつま先までドっぷり漬かっている。一般の大学生は、自分が受けている授業の「先生」が“どんな”思想に染まっているのか、そして、どの長老教授を“師匠”とか“恩師”にしているのかを知らないし、興味も無い。自分の頭と心にどのような黴菌が入ってくるのか分からないんだから、本当に暢気なものである。

  国立や私立を問わず、日本の大学に蔓延する害毒の根源を探ってゆくと、だいたい東京大学や京都大学に辿り着く。以前、当ブログでは慶應大学の小林節を取り上げたが、今回は別の憲法学者である長谷部恭男(はせべ・やすお)について言及したい。長谷部氏は東大法学部を卒業した後、法学部の助手、学習院大学教授を経て、東大の大学院教授となった人物である。東大の法科大学院で学院長を勤め上げたのち、早稲田大学へ天下りし、何の功績があるのか知らないが東大の名誉教授になれた。一般的には、爆笑問題の太田光と一緒になって『みんなの憲法学入門』を出版した学者と言えば分かるんじゃないか。世間のオッちゃんやオバはん達は、「東大の先生なら偉い学者さんに違いない」と思ってしまうが、現実は逆で、大学院に進んで教授を目指す学生には「駄目な奴」が多い。なぜなら、優秀な学生は教職を選ばないからだ。露骨に言えば、実社会に向かわず、教室で燻っているのは「残り滓(かす)」ばかり。民間企業では「使い物にならない木偶の坊」といったところだ。しかも、指導教授から「こいつならワシの業績を脅かす論文は書けまい」と太鼓判を押された人物が弟子となる。つまり、恩師の立場を脅かさない愚劣な学生が跡継ぎとなる訳だ。

  長谷部氏の著作はあまりにも下らなくて、時間の無駄としか思えないから、普通の日本人は手にすることはない。購読するのは、お花畑の赤い住人か、仕方なく授業を受ける学生のみ。(左翼教授が出版する駄作は、通常、図書館の棚で埃(ほこり)をかぶっている。) ただし、自分で調べたいという一般国民もいるから、そういう人には筑摩書店から出ている新書を勧めたい。日本の憲法学者が左巻きなのは当たり前で、皇室についての記述にまともな所は無く、読み進むと本当に腹が立つ。まず、現在のマッカーサー憲法に関する認識が最低だ。信じられないけど、長谷部氏は現憲法を「立憲主義の系譜に属する典型的な憲法典である」と喝破した。(長谷部恭男 『憲法と平和を問い直す』 ちくま新書、2004年、 p.93) 一般人がこれを目にすれば、「えっっっ ! 立憲主義の系譜?!」と驚いてしまうだろう。普通、我々が立憲主義や立憲政治を勉強するとき、その模範となるのは西歐世界における憲政史で、特にイングランドの國體(constitution)と法体系である。もし、まともなアメリカ人の憲法学者がいたとして、彼らが長谷部氏の本を読めば、「一体どこの立憲主義を学んだのか?」と首を傾げてしまうだろう。いくらボンクラ教授といえども、ソ連とか支那の法律を優先する奴は居るまい。元々、占領軍が作ったマッカーサー憲法は、戦争犯罪国への「仕置き」であって、「典型的な憲法典」とは程遠い代物である。「平和憲法」と呼ばれる我が国の「憲法」は、合衆国憲法と比べればかなり異質で、水と油のようだ。アメリカ人だと「これ、ホントに憲法な?」と訊いてくる。

  こうした占領憲法を崇めるくらいだから、長谷部氏の皇室観がどんなものか誰でも察しがつく。皇室に対する彼の認識は悉く酷い。長谷部氏は天皇陛下を「一般人が持つ平等な権利を持たない人」と定義した。彼は次のように述べる。

  天皇家の人々には選挙権がないばかりでなく、皇族の男子が婚姻するには皇族会議の承認が必要で、したがって、婚姻も自由ではない。一般の国民に比べてプライバシーが大幅に縮減されていることは周知のところであるし、職業選択の自由があるわけでもない。財産の授受についても、国会の議決が必要とされている(憲法第八条)。(上掲書 p.93)

  長谷部氏は天皇陛下や皇族の方々を人権が制限された可哀想な人々と思っているみたいだ。一般国民は「天皇陛下なんだから、当たり前じゃないか」と笑ってしまうが、大学でクルクルパーにされた元学生には解らない。彼は憲法が予想していない点を指摘し、ちしきじんの格好をつけている。もし、陛下がキリスト教に入信したり、マルクス主義を提唱したらどうするのか、と彼は心配しているのだ。天皇陛下に信仰の自由が無いというのは分かるが、いくら何でも陛下がマルクス思想に感化され、マルクス主義者になっしまう可能性、というの無いだろう。天皇陛下に思想の自由が許されないのは、その影響力が甚大すぎるからで、社会的および政治的に影響が無ければ思想の自由は結構ある。

  例えば、もし陛下が自由市場経済とか自然科学重視という立場を取ったら、何か問題になるのか? 一般の日本人は普通に輸入品を購入しているし、ヴィザが下りれば外国にも旅行ができる。病気になれば医者に診てもらうし、外科手術が必要となればそれに応じるし、調合された薬だって飲む。一方、ある種の国民は超能力で治癒できると信じているし、壺とか仏像で病気が治ると信じているから、病院に通わない場合もある。犯罪捜査では、物的証拠を重視する人と、自白を一番と考える人がいるけど、もし、天皇陛下が科学捜査を好まれたら、日本の警察は困るのか? また、もし、天皇陛下が親日思想を持ち、愛国主義を表明したら、立憲政治の否定へと繋がるのか? 天皇陛下は現在のデモクラシーを肯定しているが、これだって思想の一種だから、陛下は特定の政治思想を持っていることになる。西歐には、混淆政体(mixed constitution)、すなわち君主政と貴族政、民衆政を混ぜた政体の方がいいと提唱する学者もいるが、王室と貴族制を廃止して、人民だけの共和政が良いと主張する学者もいるから、日本のようにデモクラシー万歳という訳でもない。

  長谷部氏は天皇陛下に思想の自由が許されないことを「異常」と思っているが、日本人は陛下による親政を否定することで皇室の安定を確保してきたんだから、陛下が特定の政治思想にコミットしない方が我々としては有り難い。だいたい、マルクス主義者の天皇が現れ、皇室廃絶を訴えたら厄介じゃないか。また、天皇陛下は「無私」であることを心掛けていらっしゃるから、ご自分の私的趣味を公表することもない。例えば、昭和天皇はどの力士を贔屓にしているのか秘密にしていたけど、それは社会的影響力が大きいからだ。もし、贔屓にされていない力士が判明すれば、あまりにも可哀想だから内緒にしていたのである。だからといって、陛下は相撲番組の視聴を禁止されていた訳じゃないし、どの新聞かは分からぬが、全国紙の朝刊をお読みになっていた。長谷部氏は陛下に思想の自由が無いというが、もし、陛下が「反マルクス主義者」になった場合、日本国民はどのように困るのか?

  長谷部氏は日本国憲法が作り出した政治体制に不満なようで、平等な個人を創出しようと貫かず、世襲の天皇制という身分の「飛び地」を残した、と嘆く。(上掲書 pp.93-94.) 今の憲法は、この「飛び地」を認めてしまったから、天皇に普遍的な人権がなく、その身分に即した義務と特権があっても当然だ、と述べていた。もう頭が痛くなってしまうけど、そんなに「普遍的人権」って大切なのか? 大学で「左巻き」にされた日本人は、「人権」と聞けば、無条件に「素晴らしいもの」とか「必要不可欠なもの」と思ってしまう。だが、地球上の何処にもあって、どんな種族でも有している「権利」って具体的に何なんだ? 「汝、殺すなかれ、盗むなかれ」というのは世界共通の倫理なんだろうけど、「生活保護を受ける権利」というのは先進国の贅沢で、貧乏国だとあり得ない。「冷房」も生活に不可欠だけど、インドやアラビアでは「基本的人権」すら怪しく、「各家庭には冷房があって当然」という考えは無い。健康保険にも加入できない大衆だって多いし、米国でさえ国民皆保険制度は無いのだ。

   日本人は国連にタカっている黒人どもから、子供や女性の権利をレクチャーされて、「へへっ~」と萎縮しているけど、アジアやアフリカからやって来た国連職員とか外交官は自国の社会状態を自慢できるのか? 出身国の惨状を棚に上げて日本人に説教を垂れるなんて身の程知らずだ。確かに、我が国でも児童虐待はあるが、アフリカ人やアラブ人、インド人、支那人からどうこう注意される謂われはない。昔から高度倫理社会だった日本では、子供を大切にするのは当たり前。「人権」云々というのはお門違いだ。日本では犯罪事件の容疑者が逮捕されたとき、「人権を配慮」して手首にモザイクを掛け、手錠の映像をぼかしている。でも、アフリカやアジア諸国で、こうした日本式の「人権配慮」がなされているとは思えない。ナイジェリアやコンゴ、ウガンダ、チャド、ニジェールでは、容疑者が捕まった時、その身柄が厳重に保護され、有罪判決が確定するまで「無罪」とされるのか?

  また、こうした国々で厳正な裁判手続きとか、人道主義にもとづく取り調べ、科学的検証を主体にした捜査が行われているのか、甚だ疑問だ。日本の法学者は「普遍的権利」がどの国でも“ある”と考えているが、そんな「権利」は所詮、先進国の願望に過ぎず、せいぜい「道端で理由も無く殺害されない権利」程度のものである。街中で拉致され、強姦されるのが珍しくない国で、「基本的人権」とか「普遍的人権」なんて、絵に描いた餅である。「盗みを犯した者は、手首切断の刑を受ける」国で、一体どんな「人権」があるというのか? また、ソマリアやギニア、シエラレオネ、エチオピア、マリ、エジプト、スーダン、インドネシア、イェメンなどでは、世にも恐ろしい性器切除(female genital mutilation)の風習があるけど、こんな国の外交官から「人権意識の低さ」を指摘された日本人が、彼らに対して「ご指摘、ごもっとも」と反応し、頭を下げて反省するとは思えない。「人権」教育というのは、こうした第三世界の人々に対して行われるべきものである。要するに、野蛮なアフリカ人とか、“人でなし”の支那人に対しての「誡め」で、「人間というのは動物とは違うんだ。簡単に殺したり、食ったりしちゃいけないよ !」という内容なのだ。

  長谷部氏は「飛び地」という用語を以て陛下の法的立場を述べていたが、普通の日本人なら皇族の身分を「飛び地」なんて思わない。第一、不敬だろう。我々は陛下を目にして、憲法で人権を守られぬ「哀れな人」とは考えず、むしろ「敬愛する国父」とか、「神聖な国家元首」と考え、国民を常に心配なされる「お天道様のような存在」と思っている。一般国民と違って、長谷部氏を始めとする憲法学者には、陛下に対する尊崇の念が無い。彼らは皇室を単なる「国家機関」と見なしている。譬えて言えば、池の中で飼っている錦鯉と同じだ。法で囲まれたプールの中を泳いでいるだけのペットで、役には立たないが大衆が喜ぶから餌を与えているという塩梅だ。東大の学生は左翼教授から「君たちは難関校に合格したエリートだ。偏差値の低い大学しか出ていない庶民とは違うんだよ。だから、君たちは憲法をしっかり学んで、天皇制を監視する役目に就くんだ」とおだてられ、リベラル派を気取る官僚は、「そうだ、天皇制なんて、無知な民衆が崇める過去の遺物なんだ !」と思ってしまう。だから、彼らは無意識的に陛下を見下し、面従腹背で頭を下げている。内閣法制局とか財務省、厚生労働省などにいる高級官僚を見渡せば、左翼教育の弊害を実感できるだろう。

明治天皇が頼りにした側近

  敗戦後の日本と違って、幕末・維新の頃には、骨の髄まで尊皇精神が満ちあふれる国士が本当に多かった。そうした日本人の中に、かの有名な山岡鉄舟がいる。彼は幕臣、小野朝右衛門の五男として生まれ、通称は「鐵太郎(てつたろう)」で、諱は「高歩(たかゆき)」、字は「猛虎(たけとら)」、号を「鐵舟(てっしゅう)」と称した。彼は槍術の師匠である山岡静山(せいざん)が亡くなると、山岡家の養子として跡を継ぐ。「山岡鉄舟」となる小野鐵太郎は、幼い頃から桁違いで、並の少年ではなかった。身の丈六尺もある鐵太郎は15、6歳の時、有名な千葉周作の道場を訪れ、いきなり武術の指南を願い出たそうだ。これには、千葉道場の面々もビックリ。飛騨の高山から出てきたばかりの小僧が、幕末の三剣客の一人である千葉周作に、直接の指導を仰ぐなんて身の程知らずもいいところである。千葉周作は先ず門弟との初試合を勧めるが、鐵太郎はどうしても先生と試合をしたいと言い張った。さすがの千葉先生も、この強情さに折れたそうで、自ら竹刀を手にして、異例の初手合わせをしたそうだ。

Yamaoka 1(左  /  若い頃の山岡鉄舟)
  すると、鐵太郎は天にも昇るような気分となり大喜び。幾度も陳謝して、直ちに身支度をした。こうして、見ず知らずの少年と対峙することになった千葉先生は、鐵太郎と向かい合って初めてその度胸に驚く。場数を踏んだ熟練の武術家でも、道場に来て試合をするとなれば、多少なりとも緊張して太刀先が震えるものだ。それなのに、この少年ときたら馴染みの師匠にでも向かうように平然としてやがる。だが、鐵太郎はまだ未熟である。気力は剣先にほとばしっているが、体の方は隙だらけ。案の定、鐵太郎は千葉先生に軽くあしらわれ、剣豪の「敵」ではないことを身に沁みて分かった。ところが、さすが千葉先生、一流の達人はひと味違う。一目で鐵太郎の太刀筋が非凡であることを見抜いたそうである。(立野信之 『新名将言行録』 第五巻、幕末・明治時代、河出書房新社、昭和33年、 p. 130.) 先生に見込まれただあって、鐵太郎の努力は人一倍凄かった。脇目も振らず稽古に没頭し、寝食を忘れるほど励んだという。一心不乱に努力した成果があったのか、鐵太郎の進歩はめざましく、玄武館一の青年剣客となった。彼の評判は江戸中に広まり、「鬼鐵」と呼ばれたらしい。

  山岡鉄舟は勝海舟と同じく、幕臣として西郷隆盛と談判し、江戸の無血開城に貢献した。西郷からの信頼を得た鉄舟は、後に西郷や岩倉具視の推薦で明治五年六月、朝廷に仕えることになる。同年十月、侍従番長に昇進した鉄舟は、世間からの非難をものともせず、全身全霊を以て明治天皇に尽くしていた。(世間にはやっかみの輩が多く、「德川の遺臣でありながら、薩長に媚びて宮中に出入りするとは何事だ !」という小人の俗論があったらしい。 いつの世でも嫉妬に狂った批判者はいるものだ。)

  女官の気風が強い宮中にあって、“男らしい”鉄舟は貴重な存在だった。明治天皇は元田永孚(もとだ・ながざね)のもとで論語を学んでいらしたが、余暇になると、武骨者を集めて相撲を楽しまれたそうである。単なる相撲好きならよいのだが、困った事に陛下は酒豪で、酔っ払うと誰彼構わず呼びつけて相撲をなされたそうである。可哀想なのは相手を命じられた方で、陛下と組み合えば、突き飛ばされたり、ねじり倒したりと散々な目に遭ってしまう。さらに、厄介なのは、何か気に入らぬ事があると、陛下が拳を固めてお供の者をポカポカと殴りつけることだった。かねてから、山岡鉄舟はこうした陛下の性質を気に掛けており、顰蹙の目を以て眺めていたそうだ。すると、ある日、酒をたしなまれた陛下は、例の如く侍臣を相撲で投げ飛ばすと、次に山岡を指名し、相撲を挑まれた。

  しかし、鉄舟は並の側近ではない。彼は土俵に上がると、「余人ならば、遠慮申し上げるところですが、この山岡はそんな遠慮は致しませぬ・・・どこからでもお掛け下さい !」と胸を突き出した。そこで、陛下は「よし、行くぞ !」と鉄舟に体当たり。ところが、陛下はひとたまりもなく跳ね飛ばされ、砂の中にのめり込んだ。負けず嫌いの陛下は起き上がって、「なに、負けるものか !」と再び突進する。だが、鉄舟を押せども突けども、一向に動かすことはできない。そのうち、陛下はまたもや投げ飛ばされ、砂の上にひっくり返された。そうこうしているうちに、酒が廻った陛下は立ち上がろうとはせず、そのまま土俵の上で熟睡。これじゃあ、まるで腕白小僧みたいだ。

  こうした有様を見た鉄舟は、「臣不徳にして宮内大輔を拝し、今日陛下をしてかかる御失態あらしめたのは恐懼に堪えず・・・」と直ちに辞表を書いて宮中を退出し、それ以来、再び出仕することはなかったそうだ。宮中からは「気にするな」との御内意があったが、鉄舟は頑として受け付けなかった。すると、今度は陛下からのお言葉があり、「悪かった。ぜひ元通り出仕するように・・・」との御意があったという。それを聞いた鉄舟は感激し、再び出仕して陛下に謁見したそうだ。彼は陛下に対し、次のようにきっぱりと申し上げた。

  もし、御上が武芸や力技をお好みあそばされますなら、撃剣、相撲、何にても御教授申し上げまする。しかし、御酒の上でのお戯れならば、山岡が宮中に出仕いたします以上は、お見逃し申すわけにはまいりませぬ。

  すると明治天皇は、「よくわかった」と仰せられ、それ以降、酒の上での相撲を慎まれたそうだ。陛下は鉄舟をたいそう信頼なされ、「山岡がいれば万が一の事があっても心配はないぞ」と仰せられたらしい。さらに、陛下は鉄舟が使用していた木剣を所望し、いつも御座所の近くに置いていたそうだ。(上掲書 pp.183-185.) こうしたエピソードを聞くと、陛下がいかに鉄舟を頼みとしていたかが分かる。平成・令和の日本人からすると、本当に羨ましい君臣の関係だ。現在、今上陛下は鉄舟のような側近を持っているのか?

  平成の世には、陛下を蔑ろにする官僚が多かったが、明治の頃はずらりと忠臣が揃っていた。陛下への御奉仕を天命と心得ていた鉄舟は、一瞬たりとも陛下を考えない時はなかった。明治六年、宮中が炎に包まれる事件が起き、我々は鉄舟の行動に感動する。その時、鉄舟は淀橋の自宅に居て寝ていたが、半鐘の音で目を覚ました。宮城(きゅうじょう)の一大事に気づいた鉄舟は、寝衣姿であったが、その上に袴を着け、一目散に宮城へ向かったそうだ。彼が宮城に駆けつけた時、既に火の手は御所にも廻っていた。聖上の御身を案じた鉄舟は、御寝所に入ろうとする。が、厚い戸板に錠が固く懸かっていたので入ることはできない。押せども引けども開かなかったので、無我夢中の鉄舟は拳を振り上げ、その錠前を叩き壊し、体当たりして板戸を外したそうだ。すると、この忠臣は燃え立つ炎の近くにいらした陛下を発見する。火があまりにも間近に迫っていたので、陛下の御背中がは熱くなっていた。(葛生能久 『高士 山岡鐵舟』 黒龍會出版部、昭和4年、p.341.) 鮮血がしたたり落ちる鉄舟の姿を御覧になった陛下は、「鐵太郎、よく来てくれた !」と大喜び。明治天皇の安全を確保したい鉄舟は、直ちに陛下を赤坂離宮へお連れしたそうだ。後に、鉄舟はその迅速さゆえに、天狗のようだと褒められたが、本人からすれば「当然の事をしたまで」なんだろう。

  こうした逸話を耳にすれば、明治天皇が鉄舟を寵愛した気持ちはよく分かる。陛下は常日頃、「朕には鐵太郎がついているから安心だ」と述べられ、絶対の信頼を寄せていたという。今の宮内庁長官だったら、火事が起きても自宅でぐっすりと熟睡。女房から起こされても、「ほっとけよ ! 消防署が何とかするだろう」と吐き捨てるのがオチだ。官僚上がりの宮内庁長官なんて、所詮、恩給目当ての事務員でしかない。尊皇精神など初耳なんじゃないか。以前、小沢一郎の一件で注目された羽毛田信吾などは、厚生省からの天下り官僚に過ぎず、皇室に関する知識があるのかと疑ってしまうほどだ。そもそも、宮内庁に送り込まれる高級官僚が、幼い頃から尊皇精神で薫陶を受け、鬼神となっても陛下をお守りする、という気概は無い。漫画『北斗の拳』だと南斗五車星がいて、主君を守るために「鬼」へと戻る「山のフドウ」とか、拳王に腕十字を仕掛ける「雲のジュウザ」がいたけど、現実の日本には陛下を蔑ろにする不届者ばかり。暴漢に両脚タックルを仕掛けたり、ブラジリアン・キックを喰らわす側近は居ないのに、居眠り運転で悠仁親王を亡き者にしようとする運転手なら居るんだら。(本来なら、切腹ものだぞ。)

   今更嘆いても仕方ないけど、官僚の多くは大学で下らない宮沢憲法学を叩き込まれ、天皇陛下を“お飾り”と思っている。もっと勘ぐれば、霞ヶ関の官僚は皇室伝統を「古代からの残滓」とか、「前近代的な制度」、あるいは「民衆が望むから温存されている負の遺産」と思っているんじゃないか。偽造と推測された「富田メモ」で有名な、富田朝彦(とみた・ともひこ)なんか、皇室の楯ではなく、藩屏に潜り込んだ毒蟻みたいなもんだ。山本信一郎に至っては、皇室を呪う菅義偉の共犯者という性質が強く、なぜ宮内庁長官になれたのか疑問である。この長官は陛下の譲位を役所の人事異動程度にしか思っていなかった人物だ。

  皇室というのは日本国民を前提とした存在で、その臣下が腐敗すれば、皇室が被る損害は甚大だ。したがって、皇統の存続を願うなら、まず国民が健全でなければならない。「皇室の事は国会と役所に任せておけばいい」と考える国民が増えれば、皇室はどんどん衰弱し、制度の変革と宮廷費の削減が続けば、やがて消滅してしまうだろう。さらに恐ろしいのは、皇室を支える国民の「質」が激変していることだ。近年、アジア系帰化人やアジア系混血児が大量に増えているので、皇室への支持は減少傾向にある。「より良き生活」のみを目的に来日する外国人に、命懸けで皇室を守りたいとする熱意は無い。もし、彼らに皇室への支持があるとすれば、それは有名藝人に対する「好奇心」か「のぞき趣味」の一環である。アジア系国民に尊皇精神を期待するのは、支那人に誠意を求めるようなもので、最初から無理。「皇室は憲法にある飛び地みたいなもの」と聞けば、「そうなんだ」と軽く考えるのがアジア系国民で、日系国民のように憤慨することはない。

  左翼教育を受けた日系国民は、皇室を天然記念物のように思っているが、皇室は日本の国家的中核である。かつての日本人にとって、皇室は神聖不可侵の存在で、命に代えても守るべきものであった。もし、陛下の楯になって死ぬことがあれば、それは「男子の本懐」というべきもので名誉なことである。大東亜戦争の時、この国民感情を軍官僚と左翼が濫用したから、戦後は評判の悪いものとなったが、本来、日本国民が持つ美徳の一つだった。戦後、我々が失ったものは結構多いけど、皇室への固い絆を失ったことは痛かった。週刊文春や週刊新潮といった雑誌社が、堂々と反皇室キャンペーンを繰り返すことができるのは、国民の熱意が冷めている証拠である。左翼の反日作戦は極めて巧妙で、教科書の中に皇族の悪口を書くことはせず、敢えて何も触れないという戦術を取っている。皇室への尊崇を削るには、何も教えないことが一番、という訳だ。冷静に考えてみれば、学校の社会科はおかしい。日本にとって最も重要な皇室伝統を教えず、意図的に抹殺するなんて異常である。これだから、「天皇って、どうして偉いの?」と尋ねる中学生や高校生がいても不思議ではない。昔、フランシス・ベーコンが「智は力をもたらし、それ自体が力である(ipsa scientia potestas est)」と述べたけど、知識無き子供が左翼に対抗する力が無くても当然だ。反日分子は皇族抹殺用の剣を入念に磨いているのに、迎え撃つ日本人は軟弱な竹光しかないんだから、最初から勝負はついているよねぇ~

  

人気ブログランキング