教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
成甲書房


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売れない漫才師の悲惨な家庭

  今では信じられないが、平成の初め頃まで我が国は好景気で、そのバブルが弾けてからかなりの月日が経つ。当時、日本は「国際化の時代」とやらで、政府はアジアからの低賃金労働者が入ってくるのを容認していた。まだ携帯電話が普及していない昭和末期には、「テレフォンカード(calling card)」という前払いカードが好評を博したが、国際電話用に偽造品が流通した結果、困ったNTTは300度数や500度数のカードを廃止し、被害の拡大を防いでいた。筆者は偽カードを購入したことも、掴まされたこともないが、上野にある京成電鉄駅近くで、髭面のペルシア人(所謂「イラン人」)が「偽造テレカ」を売っている場面を目撃したことがある。今では、閑静な住宅地でシャブを売っているペルシア人も、昔はチンケな商売をしていたのだ。

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(写真  /  ゴーゴー・バーで働くフィリピン人ダンサー)

  もう一つ別の外国人として、飲み屋で働くフィリピン人も多かった。来日するフィリピン人の大半は、スナックやパブで働く酌婦(所謂「ホステス」)や踊り子(半裸のダンサー)、フルタイムの売春婦、酌婦兼娼婦、3K職場の労務者という出稼ぎ人で、“いかがわしい”臭いがプンプンしていた。こうしたフィリピン人は「興行ビザ」で来日していたが、「歌手」とか「ダンサー」、「エンターテイナー」といっても、ヤクザまがいのスナックに雇われる廉価な性商品に過ぎず、彼女らを目当てにやって来るお客は、その歌声や踊りなどそっちのけで、服からはみ出る尻や胸ばかりを見つめていたものだ。こうしたフィリピン人の何割かは日本に渡航するため、現地の仲介業者に借金をしていたから、半ば契約奴隷のようだった。彼女達を見ていると、昔の支那人苦力(クーリー)を思い出す。「セミ売春婦」を扱うブローカーは、「私有動物」の女から旅券を取り上げ、外部へ逃げられなくすると、狭くて汚いアパートの部屋に数人単位で押し込め、給料のピンハネをしながら甘い汁をすすっていた。

  もう、30年くらい前になるが、筆者はキャバレーで働くフィリピン人女性と話したことがあり、とても暗い気分になったことがある。具体的な話は紹介できないが、彼女達は実家に貧しい両親や兄弟を抱えており、給料の中から生活費を抜き取ると、残りを家族に送金していたそうだ。店に来る横柄でスケベな日本人の話を聞くと、本当に恥ずかしくなるが、飲み屋にやって来る客なんて、どこの国でもそんなものである。ただ面白かったのは、フィリピン人女性が持つ同胞男性に対するネガティヴなイメージだ。彼女達が口にする「フィリピンの男なんて、だらしなくてイヤ !」という意見は、とても説得力があり、実感がこもっていた。なるほど、フィリピン人の女は現地に駐留するアメリカ兵(ただし白人)と付き合うことが多いし、ブリテン人に家政婦や看護婦として雇われると、何とかしてイギリス人と結婚しなきゃ、と考える人もいるようだ。言いにくいけど、「祖国脱出」がフィリピン・ドリームとなっている。アメリカ人や日本人と違って、彼女達に愛国心は無い。フィリピン国籍など誰も欲しがらないし、「捨てて当然」という考えが土人の間に広まっている。だいたい、フィリピン国民であることに一体どんな誇りがあるのか? 一応「独立国」とはいえ、フィリピンなんて我々が考える「国家」じゃない。フィリピンにあるのは、身分差別とゴミの山、そして貧困の螺旋階段くらいだ。南洋にポツンと浮かぶだけの島に「希望」という贅沢品は無い。

  日本の“アジア化”を目論むフジテレビは、日曜日に「ザ・ノンフィクション」という番組を放送しているが、9月1日は若手漫才コンビの「ぱろぱろ」を取り上げていた。吉本興業に属する和田昭也(わだ・あきや)と大久保健(おおくぼ・けん)は共に日比混血児で、母親が飲み屋で働くフィリピン人であるという。彼らは似た境遇を持つことからコンビを結成し、自身のフィリピン・ネタを主流に漫才を行っているが、お客のウケはあまりよくない。というより、スベってばかり。そもそも、普通の日本人はフィリピンに関心が無い。昭也は後二年もすれば人気者になると思っているが、彼の母親は「そんなの無理」と否定していた。おそらく、後者の方が正解だろう。(でも、フジテレビと吉本のことだから、無理矢理にでもヴァラエティー番組にネジ込んで“人気者”にしてしまう虞がある。地上波は多民族共生のプロパガンダ機関なので、朝鮮系や支那人、黒人系、アジア系の藝人を内緒で後押しする傾向が強い。)

Parpparo 1(左  / 「ぱろぱろ」の健と昭也 )
  昭也と健は小さい頃からフィリピンを意識しながら生活していたんだろうが、一般の日本人は「フィリピン」と聞いても漠然としたイメージしかないし、あるとしてもゴミ溜めに住む貧民か、怪しいキャバレーで働く出稼ぎホステスくらいだ。そもそも、劇場に来るお客は“明るい笑い”を求めているのに、日比混血児の自虐ネタじゃ、笑うに笑えないじゃないか。陰鬱な気分になるために、お金を払う客がいるとは到底思えない。それに、健の両親はこうしたネタに不満を持っている。健の母親にしたら、フィリピン人が日本で抱える深刻な問題を「笑い」にするなんて気分が悪いし、自分や同胞が侮辱されているようで我慢がならない。「もっと、別のネタにしたら」と提案する両親の意見はもっともだ。

  「ぱろぱろ」というコンビ名は「蝶」を意味するフィリピンの言葉らしく、「花から花へと渡り飛ぶ浮気者」を指す隠語らしい。しかし、この名前を附けた二人からは、花の香りよりも、悲惨な臭いが漂ってくる。健の父親である大久保雅之(67歳)は、1992年、フィリピン・ハブで働くレオノール(47歳)と出逢い、彼女が健を身ごもったことで一緒になったそうだ。ただし、当時の大久保氏は別居中とはいえ妻子持ちであったから、形式上とはいえ、彼の恋愛は不貞行為になってしまう。一方、酌婦のレオノールは不法滞在中(overstay)のフィリピン人。彼女は身籠もったと知った時、堕胎しようと考えたが、妊娠に気づいたのが遅く、手遅れということで健を産んだそうである。その時、彼女が心配したのは、息子が無国籍になってしまうとこであった。それを食い止める為もあってか、父親の雅之は妻と離婚し、レオノールと結婚したのかも知れない。

  あまり他人の家族について言いたくないが、妻子持ちの男が、寂しさを消すためにパブに通うことはよくある。そして、飲み屋で知り合った酌婦と親密になり、私生児をつくってしまう話も珍しくない。(筆者もこうしたケースを実際に知っているので、フィリピン人と結婚した日本人の悩みは多少だけど、分かっているつもりである。) アジア人と付き合う日本人は「先の事」を考えない人が多いので、赤ん坊が生まれてから「混血児」という現実にぶち当たり、どうしたらいいのか困ってしまう。一般的に、下流階級の男性は論理的思考が無く、目の前にぶら下がる性欲に溺れてしまうので、祝福されない結婚(または再婚)をすることが多い。もちろん、日本人の両親は民族や風習が違いすぎる嫁を歓迎せず、「何で、あんな人と一緒になるの・・・」と嘆き悲しむ。しかし、埒があかないと悟ったとき、「本人同士が決めたことだから・・・」と諦めるらしい。

  ここで我々が注目すべきは、「結婚」が違法行為を帳消しにしてしまうことだ。本来なら、レオノールと健は国外退去になるべき存在で、結婚したからといって無罪にするのはおかしい。日本の左翼学者や市民活動家は不法滞在者の赦免を求めるが、それよりも、夫の大久保氏が日本国籍を捨ててフィリピン国籍を取得し、フィリピンで就職して、家族共々幸せに暮らせばいいだけの話である。日本の左翼分子は「赤ん坊と母親を強制退去にするのは可哀想だ ! 日本国籍を与えろ!」と叫ぶが、どうしてフィリピン人に故郷で暮らすよう言い渡すことが「残酷な命令」となるのか? もし、日本政府による「家族の引き離し」が冷酷なら、不法入国者や不法滞在者と結婚した日本人の配偶者が、フィリピンに帰化すればいいじゃないか。日本人配偶者は罪を犯していないので、合法的にフィリピン国籍を取得できるはずだ。TBSや共同通信の左翼ジャーナリストは、不逞フィリピン人の強制送還を非難し、追い払おうとする正常な日本人を「右翼」と罵る。だが、彼らこそ「差別主義者」であり、無意識的にフィリピンを馬鹿にしているんじゃないのか? 移民推進派やアジア人支援者にとって、「フィリピンで幸せに暮らす」という選択肢は無い。なぜなら、彼らは「フィリピンで暮らす人生」を、「地獄で生きろ」という厳罰に等しい判決、と考えているからだ。

夫に殺意を持つ外人妻

  健の両親は再婚カップルだが、二人で仲良く飲み屋を経営しているからまだ良い。厄介なのは昭也の方だ。彼の父和田利明(53歳)はプラスチック製造の工場で働く作業員であるという。しかし、しょっちゅう金欠で、足りない分をパチンコで稼いでいる。茨城県神栖市に住む和田氏は、最初日本人女性と結婚していたそうだ。当時の日本はバブル時代であったから、和田氏も時流に乗ってしまったのか、結婚式に600万円(借金)もつぎ込んでしまったという。ところが、豪華な結婚式を挙げたものの、その関係は三ヶ月くらいで破局。離婚してもまだ、300万円ほど借金が残っているそうだ。今は別居中の和田氏だが、後に妻となるミカ(仮名 / 48歳)と出逢ったのは1990年代初めの頃で、知り合った場所はフィリピン・バブであった。

  ミカはマニラ出身で、父親を早くに亡くしていた。彼女は祖国での生活に困り、1990年頃、出稼ぎ目的で姉と一緒に来日したそうだ。二人はフィリピン・パブで働き、その給料を実家に送っていたそうだが、姉は覚醒剤に手を染めてしまい、警察に逮捕されてしまった。当然、姉は強制送還となったが、ミカは一家を支えるため日本に残ることにしたそうだ。パブで働く彼女は、お客として来店する利明と親しくなり、その関係は「客と酌婦」の間柄から「恋人同士の関係」へと移って行く。結婚当初、彼らは幸せだったようで、和田夫妻は三人の息子をもうけている。ところが、二人の関係は長くは続かなかった。原因は利明のギャンブル好きにあったそうで、妻のミカは大激怒。確かに、彼女が憤慨したのも納得できる。せっかくミカがお金を稼いでも、夫がパチンコですってしまうんだから、馬鹿らしくなる。そして、ついに業を煮やしたミカは、子供達を残して夫のもとを去る決心をした。二人は地元の茨城で自宅を構えたが、その邸宅も売却する破目に。昭也は今でも売却された家で過ごした、あの幸せな日々を懐かしんでいるそうだ。

  博打というのは黒魔術で、賭場の支配者は客に幻想を現実になると思い込ませる。そして、この妖術に嵌まった者は、「不幸」という負の利益しか得られない。フジの番組を観た人なら分かると思うが、昭也の父利明はダメ親爺の典型である。何しろ、いつも金欠状態。生活に困ると、息子に電話を掛け、お金の無心をするそうだ。それも、500円、1000円単位の“お願い”なんだから、聞いている方が恥ずかしくなる。心配になった昭也は、父と弟が暮らす実家に戻り、どんな状態になっているのか父に尋ねた。というのも、電気代すら払えない状態になっていたからだ。しかし、父の利明は深い反省もせず、いつもの調子で「何とかなる」とを繰り返し、パチンコで大勝ちしたから、溜まっていた電気代4万円を払うことができたと豪語する。「パチ・プロ」を自認する父は、パチンコで生活して行けると思い込んでいるようだ。しかし、息子の昭也はパチンコで逆転の人生が訪れるとは思っていない。それよりも、まともになって母親と再び一緒に暮らしてもらいたいと願っている。

  この要請に応えようとしたのか、母のミカが父のもとへやって来た。しかし、相変わらずの亭主を見て再び口論が勃発する。ミカはギャンブルでお金持ちになれるとは思っていないのだ。夫の利明は「遊びでやっているんじゃない !」と開き直るが、一般人が聞けば白々しいというか、呆れて「ダメだ、こりゃ・・・」と突き放したくなる。ミカは夫の態度に激怒し言い返す。祖国のフィリピンにもギャンブル場があり、みんな稼ぎたくて通っているけど、儲かった奴なんていないんだ、と力説する。確かに、博打に熱中する者は負けた時の事は直ぐに忘れ、勝った時の喜びを何時までも覚えているから、何回でも店に通い詰める。過去の戦績を合計すれば、損の方が明らかに多いはずだ。

  とにかく、和田家の「話し合い」は、お金にまつわる怒りと恨みに満ちている。(少々脇道に逸れるが、ミカの話し方を聞いていると、「ホント、フィリピンの女って、ゲスな会話しかできないよなぁ~」と思ってしまう。) 利明がミカに反論すると、彼女は激昂し、「ワタシの方がお金いっぱい持っているからね !」と啖呵を切る。しかも、金づるの男(愛人)が何人もいるらしい。一応、勤め先では「独身」で通しているそうだ。この発言を日本人が聞けば、「子供の前で口にする自慢話」じゃないだろう」と思ってしまうが、背中に刺青を彫ったフィリピン人には「勲章」のような誇りになるらしい。(服で隠れていたけど、結構、大きな刺青のようだ。どんな“デザイン”なのか、ちょっとだけ興味がある。)

  全部とは言わないが、アジア系の下流家庭にはトラブルが多い。昭也と向き合ったミカは、息子に衝撃的な告白をした。彼女は昭也に向かって、「なぜ、ワタシが離婚したのか、オマエ分かるか?」と質問する。答えられない息子を見て母は言う。それは、「オマエの父親を殺してしまいそうだから」、と。ミカは自分が稼いだカネを使い込んでしまう亭主を絶えず殺したくなるが、もし本当に殺してしまえば、警察に捕まり、子供達が不幸になるからジッと堪(こら)え、子供達を残して家を出て行ったのだ、と述べていた。なるほど、これなら視聴者だって、彼女の気持ちは理解できる。だが、その一方で、日本人は「フィリピン人と結婚する日本人の家庭は悲惨だなぁ~」と思ってしまい、「でも、こんな男だから、飲み屋の外人と結婚するのかも・・・」と考えてしまう。そもそも、堅気の日本人男性ならフィリピン・パブなんかに行かないし、結婚を前提とした交際相手なら、まともな日本人女性を選ぶはずだ。ノーパン・シャブシャブに通った大蔵官僚だって、結婚相手にタイ人とかフィリピン人は絶対に選ばない。第一、エリート主義の両親が猛反対だ。高級官僚を輩出する名門家族だと、日本人の平民すら眼中になく、もっぱら大企業の御令嬢とか血筋の良い娘を娶ったりする。例えば、外務大臣を務めた岸田文雄の両親や祖父、叔母、叔父、従兄弟を見れば分かるじゃないか。

  日本では“人種”差別は無いことになっているが、庶民の間でも明確に存在する。母親が出稼ぎ来日のフィリピン人やタイ人、ベトナム人だと、生まれてきた混血児は、なるべく母の正体を隠そうとする。事実、大久保健は親友を除いて、クラスメートに親のことを教えていなかった。まぁ確かに、母親が飲み屋で働くフィリピン人じゃ恥ずかしい。健はフィリピン系混血児であることを恥じていた。例えば、家庭の躾や立ち居振る舞いの点で、普通の日本人に劣っていると感じたとき、違うのは母親のせいなんだ、と解釈していたそうだ。昭也もアジア系混血児であることで、辛い思いを味わっていた。例えば、給食でバナナが出ると、友達が“からかい半分”でバナナを差し出し、「全部食え !」と強要したそうだ。昭也は素直に従い、全て食べたという。日本の子供が「フィリピン」と聞けば、バナナくらいしか頭になく、フィリピン人だから猿のようにバナナを頬張ると思っていたのだ。これは一種のイジメに当たるが、子供というのは無意識的に露骨な侮蔑を表すから、それが自殺にまで発展するイジメとは思わない。ただし、こうしたイジメに対する解決策は無く、教師が叱っても事態を悪化させるだけだ。もし、担任教師が日本人生徒を罰すれば、こうしたイジメはもっと陰湿になり、教師の目が届かない所で、残酷な行為が横行する事態になるだろう。教育評論家はテレビに登場して「イジメ対策・防止法」を色々と述べるが、一番の解決策は、親がアジア人と結婚しないことである。

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(左 : フィリピンの貧民地区  /  右 : 貧民地区に住むフィリピン人の子供)

  安倍政権は建前上「移民政策は取っていません !」と公言するが、現実社会に生きる庶民は、「そんなのは嘘っぱち」と判っている。コンビニへ行けば、勘定台の所に支那人や南鮮人、ビルマ人、タイ人などがいるし、建設現場にはペルシア人とかトルコ人だっている。筆者も四谷のコンビニで買い物をしたら、中東アジア人のレジ係が勘定をしてくれたし、食堂でマグロ丼を注文したら、その女給は若い支那人だった。夕飯の買い物をしようと
近くの食料店に行けば、時折フィリピン人やビルマ人の客がいて、仕事帰りなのか、3、4人で群れながら買い物を楽しんでいる。ある日、筆者が近所の道を歩いていると、背後からウルドゥー語が聞こえてきた。「えっ !」と驚き、後ろを振り返ると、3人のパキスタン人が自転車に乗っていたから、もう愕然とするよりも、日本社会の崩壊と変質が心配になり、呆然となったことがある。

  政府は外国人の入国管理を厳密にすると言うが、そんな約束はまやかしで、一旦入国を許してしまえば、彼らは決して帰らない。それに、もし彼らが不法滞在者であっても、日本人と性交し、子供を作ってしまえば「勝ち」である。不法滞在者と人権派弁護士が、「人道主義」とか「家族結合の原則」を振りかざすから、日本の役人や政治家は何も言えなくなる。かつて、日本は「日本人の国」であった。しかし、令和からの日本は異民族混淆の時代となり、日本らしい日本は静かに、着実に、一つ一つ徐々に消えて行く。戦前の日本人は大東亜共栄圏の盟主を目指したが、令和の日本人はアジアに埋没する島国となってしまうだろう。保守派は女系天皇論を警戒しているが、それよりも深刻なのは、皇室を支える日本国民の肉体が変わってしまうことだ。



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