教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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異質な日本代表チーム

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(左 : 消滅する従来のブリテン人  /  右 : これから主流となる「ブリテン国民」)

  日本人は学校教育でナショナリズムを「悪」と教えられているが、スポーツの国際試合となれば、先生から教えられた誡めを忘れ、「日本、頑張れ!」と熱くなる。サッカーや柔道はもちろんのここと、卓球のようなセコい種目でも心をときめかせ目を輝かす。(歐米人は筋骨隆々の選手が戦うダイナミックなスポーツが好きだから、アジア人が好む子供の球技を馬鹿にする。確かに、テニスと比べたら迫力に欠けるところが多いから、何となく反対できない。) 日本でのラグビー人口などは芥子粒ほどの数だろうが、ひょんな事から日本代表チームが勝ち進んだので、“俄(にわか)ファン”が増えたようだ。

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(左 : リーチ・マイケル  / 右 : ウィリアム・トゥポア )

  しかし、「ラグビー日本代表チーム」を目にすると、「えっ ! これが日本人選手なの!」と疑いたくなるような人物が混ざっている。新聞などの報道によれば、31人中15名くらいが“元外人”らしい。なるほど、彼らは日本語を習得し、合法的滞在から帰化したというが、外見からすると「日本人」とは思えない人々である。例えば、キャプテンのリーチ・マイケルはニュージーランド出身というが、アングロ・サクソン系やケルト系の西歐人ではなく、南洋人の遺伝子が強い。他にもウィリアム・トゥポア選手やツィ・ヘンドリック選手、レメキ・ロマノ・ラヴァ選手がニュージーランド出身というが、どう見てもサモア人とかトンガ人のように見えてしまう。ヘッドコーチのジェイミー・ジョセフ氏も南洋人の血統に属するんじゃないか。

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(左 : アマナキ・レレイ・マフィ  / 右 : ヴァルアサエリ愛 )

  以前から日本の大学にはトンガ王国からのラグビー留学生(傭兵選手)がいて、日本チームの助っ人になっていた。(筆者も学生時代、トンガ出身のラグビー選手と昼飯を食いながら雑談したことがある。) 日本代表チームにも5名くらいいるそうで、アマナキ・レレイ・マフィ選手やアタアタ・モエアキオラ選手、ヘル・ウヴェ選手、中島イシレサ選手、ヴァルアサエリ愛選手がそうらしい。

Matsushima 1Gu 1( 左 : 松島幸太朗 /右 : 具智元  )
  その他、注目すべきはジンバブエの父親と日本人の母から生まれた松島幸太朗選手と、南鮮人の具智元(ぐ・じうぉん)選手だ。外見から判る通り、松嶋選手は混血児で、南アフリカで生まれた。父親はアフリカ黒人なのだが、母親が日本人なので、子供の頃から国籍は「日本」ということらしい。一方、具選手は南鮮出身の朝鮮人で、両親も半島の朝鮮人である。素人の日本人だと、「どうして朝鮮人が日本代表選手になれたんだ?」と疑問に思ってしまうが、具氏は規則で定められた「三年以上の日本居住」を満たしているので、“問題なく”代表選手になれたそうだ。普通の日本人だと、「えっっ~ そんなの変!」と首を傾げてしまうが、ルールはルールなので仕方がない。しかし、民族意識が低下した日本人には気にならないようで、彼が住み着く三重県の佐伯市役所は垂れ幕を以て「鮮人選手」を応援していた。どれくらいの日本人が具選手を「日本代表選手」と認めていたか判らぬが、在日鮮人と帰化鮮人は熱心に応援していたんじゃないか。

  日本の一般国民は南極のペンギンみたいに暢気だから、日本国籍を取得すれば「日本人」と思ってしまうが、日本国籍を取る外国人の種類を眺めてみれば、「あれっ !」と思う奇妙な点が見えてくる。オーストラリアやニュージーランドだけではなく、本家のイングランドや南アフリカでもラグビーは人気スポーツだ。でも、アングロ・サクソン系のイギリス人や西歐系のオーストラリア人選手は、日本国籍を取って“日本代表選手”になることを望まない。そもそも、有能な花形選手であれば、自国の代表選手になろうとするはずで、たとえ日本に留学し、日本企業のラグビー・チームに所属しようとも、「代表選手」に選ばれるなら、「祖国の代表」になるたいと考える。一般的に、彼らは職業を優先して自身のブリテン国籍やオーストラリア国籍を捨てることはないだろう。なぜならば、スコット系ブリテン人やアイリス系オーストラリア人でも、日本よりイングランドやオーストラリア、ニュージーランドで一生を過ごそうと考えるからだ。ただし、日本人女性と結婚した選手なら、日本への帰化もありうるが、どちらかと言えば、日本人配偶者がブリテン国籍とかオーストラリア国籍を取る場合が多い。

  では、なぜ南洋系のニュージーランド人や南アフリカの原住民、トンガ人、サモア人、マウリ族系オーストラリア人は日本国籍を取るのか? まぁ一番の理由は、日本の代表選手になって世界大会に出たいから。ラグビーに限らず、スポーツ選手の目標は国際試合に出場し、金メダルとかを貰って世界の頂点に立つことだ。したがって、国籍とかチームの本拠地は二の次、三の次といった具合で、ほとんど気にならない。本国で補欠選手になるよりも、外国で一軍選手になった方がいいから、気軽に国籍を移す。また、トップ・クラスの選手になれば大金が転がってくるから、日本以外で豪邸を購入することもできるし、受け容れ先の政府も大歓迎だ。さらに、渡り鳥の如く地球を移動すれば、「節税」にピッタリな国で納税もできる。

  だが、別の理由も考えられる。それは、彼らが「出身国」に愛着が無いからだ。いくら「ニージーランド生まれ」とか「オーストラリア出身」といっても、南洋人や有色混血児にしたら、白人が主流のブリテン連邦諸国は「祖国」じゃない。フィジーやトンガの南洋土人にとって、イギリス人が創った入植地は「他人の屋敷」と同じだ。御先祖様が建てた国じゃない。便利ゆえに住んでいるだけの「外国」であるから、“一攫千金”や“出世”、“就職”といった動機があれば、簡単に捨てることができる。そもそも、愛着の無い国家に未練は無い。また、移住先の日本はフィリピンとかマレーシアといった劣等国ではなく、ニュージーランドやオーストラリアよりも遙かに素晴らしい文明国だ。それに、日本は白人国家じゃないから、露骨な人種差別に遭うこともない。仮に、あっても我慢できる程度だ。

  ラグビーの国際試合を観ている日本人は、「彼らは外人だけど、帰化人だから代表選手でもいいんじゃないか」と考えてしまう。事実、多くの国民がトンガ人やサモア人の「日本人」選手を応援していた。確かに、彼らは怨念を抱く日鮮混血児や帰化支那人と違って、燃え上がるような反日感情は無い。国籍を取得した選手達は日本文化を好み、日本風の生活に馴れようと努力しているという。周りの日本人とも親しくなり、日本人のファンが近寄れば笑顔で迎える。しかも、試合の前にはちゃんと日本の国歌を斉唱するから、世間からの評判もいい。

  スポーツ記者の中には、合宿に参加した帰化人選手が、積極的に国歌斉唱を練習するので、「素晴らしい」と称讃する者がいる。しかし、筆者は「じゃあ、彼らは出身国に対し、どんな感想を抱いているのか? 以前、彼らは現地の国歌を歌っていたが、その時、彼らはどんな忠誠心を持っていたのか?」と問いたくなる。帰化人選手は「日本でラグビーを続けたい」との意向で日本国籍を取得した訳だが、もし、そうであれば以前の国籍はスポーツよりも“軽い”ものとなるじゃないか。つまり、世界大会の出場と国籍を秤に掛ければ、放棄しても惜しくはない「身分(国籍)」であったということだ。日本人の進歩派や平等主義者は、日本に住みたいと申し出る外国人を誰彼なく温かく迎えるが、日本国籍というのは就職先次第で“廃棄”できる代物じゃない。

  ここで、日本以外の国歌について考えてみたい。筆者の個人的な好みだけど、アメリカの国歌「Star Spangled Banner」より、イングランドの「God Save the Queen」の方が高貴で味わい深い。やはり、ゲルマン系民族の中心には王様がいなきゃ。王室を抹殺したフランスの「ラ・マルセイエーズ」なんて、血なまぐさい下品な軍歌だ。あんな歌詞を喜んで口ずさんでいるフランス人の気が知れない。アメリカは不幸にして共和政体を選んでしまったけど、なるべくイングランドの國體を残そうとしたからフランスよりも数百倍マシである。ところが、現在のイングランドは昔の「メリー・イングランド」ではなく、異人種が“うろつく”ゲットー国家に成り下がっている。とりわけ、都市部には移民の末裔であるインド人やパキスタン人、アラブ人、トルコ人、マグレブ系の褐色人種、アフリカ大陸やカリブ海諸島からの黒人が大量に住んでいる。でも、彼らは名目上「ブリテン国民」であるそうだ。

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(左 : エリザベス女王とエジンバラ公爵  /  右 : 移民で溢れるロンドン)

  確かに、彼らも英国の祝日や国際的イベントに出れば、イギリス人やスコット人と同じく、小さなユニオンジャックを振ったり、「ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン」を唄ったりする。しかし、彼らは同族の首長としてエリザベス女王を尊敬しているのか? 1960年代のジャマイカ移民は、「本国に移り住むんだ」という気持ちで渡英したが、その子孫は未だに「外人」として扱われるし、本人達も「祖国」とは思っていないはずだ。イングランドでは時折、エリザベス2世の生誕を祝う式典がウェストミンスター寺院で開かれ、大勢の出席者が女王を前にして「ゴッド・セイヴ・ザ・クィーン」を斉唱するが、日本人がその光景を目にすると、「インド系やアラブ系の参列者はイギリス人と同じ愛国心を持って歌っているのかなぁ~?」と思ってしまう。日本人的感覚からすると、イングランド王国はモザイク国家としか思えない。アングロ・サクソン系の国民だと、ご先祖様は「スペインの無敵艦隊と戦った」、「オリヴァー・クロムウェルの反乱軍に参加した」、「薔薇戦争でランカスター家に与した」、あるいは「十字軍の遠征でリチャード1世に仕えた」イギリス人となるが、有色人種のブリテン国民だと「外人の先祖」となってしまうのだ。身分差別が厭になって渡英したインド人とか、紛争で家を失ったアフリカ難民、歐洲から排斥されたユダヤ人となれば、「同等の国民」と考えることは難しい。

  だいたい、バグダッドやカイロからやって来た移民の子孫が、ザックセン・コーブルク(Sachsen-Cobourg)やザクセン・ゴータ(Sachsen-Gotha)の貴族に連なるエリザベス女王に、心からの忠誠を誓うことができるのか? また、敬虔なイスラム教徒の「ブリテン国民」は、キリストの十字架像や聖人の絵が置かれる大聖堂で、「地上におけるキリストの代理人(Vicarius Christi)」たる君主を讃え、使徒であった聖パウロや聖ペトロの彫像に敬意を払うことができるのか? 多文化主義を唱えるムスリム学者は、アラブ系やアフリカ系の若者を前にして、イギリス文化に慣れ親しんで、一刻も早く現地に「同化」するよう勧めているが、彼らが暗殺された大司教のトマス・ベケット(Thomas Becket)や、国王により処刑された聖トマス・モア(Sir Thomas Moore)を尊敬しているとは思えない。1990年代から猖獗を極めた「多民族・多文化主義」の影響もあって、シリアやアフガニスタン、モロッコ、ケニア、スリランカ、香港の背景を持つ子供達は、学校で歴史の授業を取っても、「祖先の文化を保持してもいいんだよ」と教えられている。だから、何十年もイングランドに住み、どれほど英語を流暢に話せても、彼らにとって「イギリス史」は「外国史」のままなのだ。

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(左 : 新たな「ブリテン国民」となったムスリム少女  / 右 : 英国の街頭で礼拝を行うイスラム教徒の「ブリテン国民」 )

  ここでは関係ないけど、個人的見解を述べるなら、1966年に公開された『わが命つきるとも(A Man for All Season)』は感動的な映画である。この作品はヘンリー8世によって処刑されたトマス・モアを描いた物語だ。国王に忠実なトマス卿は、ローマ教皇と訣別した君主から無理難題を受け、信仰と政治の間で苦悩する。こうした真摯な大法官を目にすると、忠義と信仰の板挟みが伝わってきて胸が痛い。カトリック教会をイングランドの“正統”な宗教と信じるトマス卿は誠に立派で、たとえ暗い牢獄に繋がれようが断固として自らの意思を貫く。「伝統」に弱い保守的なアングリカン信徒は、「やっぱり、聖アウグスティヌスがもたらしたカトリック信仰の方が正統だよなぁ~」と思ってしまう。ちなみに、この映画を監督したのは、オーストリア系ユダヤ人のフレッド・ジンネマ(Fred Zinnemann)。彼はグレゴリー・ペック主演の『真昼の決闘(High Noon)』やクライム・サスペンスの傑作『ジャッカルの日(The Day of Jackal)』を手掛けたことで有名だ。ユダヤ人監督による映画といえども、1950年代や60年代だと、変態的要素を盛り込んだ映画は御法度だから、比較的マトモな作品が多かった。

  脱線したので話を戻す。大抵の日本人は、“日本人”の両親や祖父母、曾祖父母を持っているから、普段の生活で「私は日本人なのか?」と思わない。もし、幼い孫が母の実家に電話を掛けて「あっ、おばあちゃん ! あのさぁ~。僕やママは本当に日本人なの?」と尋ねれば、孫を愛する祖母は心配になって、「どうしたんだい? 何か変なモノでも食べたのかい? それとも熱があるの?」と訊いてしまうだろう。日本人にとって日本人であることは、水や空気と同じくらい自然なことで、自分の顔を鏡に映して「南洋土人の血統かなぁ」とか、「お父ちゃんはアフリカ人の家系だったのか」と思う日本人は“例外”である。

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(左 : 移住を希望するインド人  / 右 : 「日本国民」 になり得るトルコ人)

  だが、こうした「当たり前」があるゆえに、日本人には国籍意識が乏しい。つまり、国家意識が希薄となっているのだ。もうだいぶ前から、支那人や朝鮮人が続々と「日本国民」になっているのに、「日本人の大切な国籍を守ろう」という意識は芽生えない。むしろ、外国人のサッカー選手やオリンピック選手がメダル欲しさに帰化しても、「日本の代表チームが強くなるからいいじゃないか」と喜んでいる。一般の日本人は帰化した外人が自分と“対等”な国民になるとは思っていないのだろう。ところが、帰化した外国人は投票権を持ち、場合によっては政治家になることもある。帰化人の子供となれば公務員にもなれるから、朝鮮系の警察官や財務官僚、支那系の裁判官とか検事、フィリピン系の外交官もいれば、クルド系の自衛官やペルシア系の麻薬取締官が誕生してしまうのだ。近所の交番に勤務する巡査が朝鮮人でも不思議ではない。でも、何となく嫌だ。多民族社会というのは恐ろしいもので、ヤクザ向きの朝鮮人でも左翼人脈で公安の職員になれる。北鮮大好きの岡崎トミ子が国家公安委員長になれ、極左分子の千葉景子が法務大臣になれたんだから不可能じゃない。

  歐米人もそうだけど、日本人は「外国人を受け容れろ!」と叫ぶ左翼の要求に弱い。リベラル教育を受けてピンク左翼になってしまう国民は、“嫌な”外国人を排斥することを「悪」、すなわち「反倫理的行為」と思っている。これを説明すると長くなるので省略するが、自分の国家に受け容れる人物を精査し、篩(ふるい)に掛けることは非道なことではない。人気のナイト・クラブだって“ダサい”客を門前払いにし、御洒落で“華やか”な男女を優先的に入れようとするじゃないか。都会のホテルやレストランだと「女性だけのランチ・タイム」などを設けて男性客を排除するし、JRは「女性専用車輌」を導入し、男性の乗客を差別している。なんと、JRは全ての男性を「潜在的痴漢」と見なしているのだ。これなら、天皇陛下や秋篠宮殿下だって「数パーセントの犯罪性を宿す男性」となってしまうだろう。でも、男性皇族を女性客の体を触りかねない「変態」と見なすのは不敬じゃないのか。

  あり得ない話だけと、もし、来日した英国のウィリアム王子が“お忍び”でJRの電車に乗ったらどうなるんだ? たぶん、駅員は王子様を引きずり出そうとして、「こら、君 ! ダメだよぉ~。ここは女性専用車輌だから、早く降りなさい !」と注意するんだろう。しかし、こんな事を英国のタブロイド紙に知られたら「一大事」どころじゃ済まないぞ。大衆紙の「ザ・サン」とか「デイリー・ミラー」だと、「性差別の国、日本 ! イングランドの王子でも痴漢と見なす !」といった大見出しをつけて、日本人を袋叩きにするだろう。在英日本人は肩身の狭い思いをするはすだ。

  世の中には、「差別」と見える「排除」だって、堂々とまかり通っている。例えば、見知らぬ朝鮮人が三井家や岩崎家といった財閥の豪邸を訪れ、「俺は失業したから日本にやって来た。寝る場所が無いから泊めてくれ」と要求したとする。だが、家主はこうした脅迫を一切受け付けず、「アホか、お前は ! 頭がイカれているんじゃないのか !」と言い放ち、「さっさと消えろ ! この不逞鮮人めが !」と蹴飛ばすに違いない。誰を客人として迎え、誰を不審者とするかは所有者の判断であり、たとえ“恣意的”な排除であっても非難されることはない。日本への移民だって、誰が好ましく、誰が不愉快なのかを決めるのは日本人で、我々がどんな基準や価値判断で外国人を排斥しようが我々の勝手である。「人権」なんて関係無い。

  ところが、先進国だと国籍を単なる「クラブ会員権」と見なし、料金を取って配布しようとする輩が出てくる。例えば、英国の政治家でマイケル・ゴヴ(Michael Gove)という保守党議員がいる。一般の日本人でもBBCの報道番組を観ている人なら、「あっ、(ダウニング)10番街をウロチョロしていた奴だ」と気づくだろう。ゴヴ議員はキャメロン政権で法務大臣や教育大臣を務め、次のメイ内閣で環境大臣に指名された人物だ。このゴヴは政界に入る前、「ザ・タイムズ」紙の記者を務めていたが、その時に書いた記事にはトンデモない発案があった。何と、こいつはブリテン国籍を1万ポンドで売り出そうとしたのだ。(Michael Gove, 'Immigration should be about money not blood', The Times, April 6, 2004) 彼は移民問題を「偏見」じゃなく「理性」で扱おうと提案し、移民は経済的利益をもたらすと述べていた。どうせ、移民規制を厳しくしたって、大勢の不法移民が潜り込んでくるから、それなら値札を付けて政府の歳入を増やしてしまえというえ訳だ。ゴヴの考えでは、ブリテン国籍はブリテンの「労働市場」に参入するための入会料(通行税)に過ぎない。

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(左 : ジャーナリスト時代のマイケル・ゴヴ  / 議員となったゴヴ  / デイヴィッド・キャメロン  /  右 : ドミニク・ラーブ )

  こういう提案を平然と口にする奴には怪しい人物が多い。現在、ゴヴは保守党議員となっているが、若い頃(1983年)は一時的とはいえ労働党に入っており、その後、オックスフォード大学に進んで「トーリー(保守党)」になったそうである。表面上、“保守派”議員となっていても、その中身は左翼気質で、同性愛者の結婚に賛成だ。もっと注目すべきは、熱心なイスラエル支持者という点である。彼は20代のジャーナリスト時代にコカインを吸引したことがあるそうで、今年になって過去の汚点が明らかとなった。首相候補になったゴヴ氏はマスコミの取材を受けて、素直に「後悔している」と答えたが、その“正直さ”は欺瞞に満ちていた。なぜなら、彼はジャーナリスト時代、麻薬に反対する記事を書いていたからだ。

  でも、ユダヤ人の圧力団体「イスラエルの友(Friends of Israel)」に属するゴヴには、ユダヤ人からの力強い支援がある。外務大臣のドミニク・ラーブ(Dominic Raab)はゴヴを温かく見守り、「彼の正直さを認めてやりたい」と述べていた。ラーブは母のアングリカン教会に属しているが、父親はチェコスロヴァキアからやって来たユダヤ難民だ。ただし、父親のピーターはドミニクが12歳の時に病気で亡くなり、未亡人となった母のジャンが息子を育てていたという。それにしても、ユダヤ人だと若くして出世するようで、2010年に初当選したラーブは、親イスラエル派のデイヴッド・キャメロン首相により一本釣りされて、人権を担当する法務省の副大臣となった。この時、上司にあたる法務大臣だったのはマイケル・ゴヴ。愛国者のイギリス人は溜息をついてしまうが、議員にとってユダヤ人とコネを築くことは得策である。

  既にイングランド王国は異民族の流入で瀕死の状態となっているが、日本もやがて同じ道を辿ることになる。イギリス人は料金を取って国籍を販売しようとしたが、日本人は無料配布のまま。馬鹿の三乗か四乗といったところだ。日本国籍を取得する外国人は、頭脳を使う自然科学よりも肉体を使う運動競技に進むから、やがて日本のスポーツ界はアジア系やアフリカ系の「地球人」が大黒柱となるだろう。おそらく、マラソンやボクシング、バスケットボール、サッカーなどで「日本代表選手」に選ばれるのは、「黒いアスリートがほとんど」なんて状態になってしまうんじゃないか。箱根駅伝のトップランナーが皆黒人だったり、早慶戦のラグビー選手がトンガ人やサモア人ばかりじゃ、観ている日系日本人の方が白けてしまう。「国技」と称される相撲を観ればモンゴル人ばかり、プロ野球に目を転じれば朝鮮系選手がゾロゾロ、なんていう状況は嫌だ。せめて「日本代表選手」くらいは日系人がいいなぁ~。

 
 

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