教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
黒木 頼景
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不潔なインド

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(左 : 汚い川に入るインド人  /  右 : 劣悪な便所に嫌気が差すインド人女性)

  1月下旬から、武漢肺炎の報道がマスメディスアのトップ・ニュースとなっている。地上波のワイドショーは、安倍政権を批判すべく朝から晩まで感染の不安を煽り、最近はPCR検査で潜在的な感染者を炙り出そうと躍起だ。しかし、もっと熱心なのは支那人擁護である。日本人が支那人に嫌悪感を感じるのは何としても避けたい。そこで、マスコミは支那人への批判を軽減するには、国内での感染状況に焦点を当てるのが一番と考えた。常識的に原因を考えてしまうと、日本国民が支那人による災禍を恨むようになるから、防疫対策の遅れや景気の悪化に話題を移す方がいい。日本人は鰯(イワシ)のように靡(なび)く習性があるから、ちょいと舵を切ってやれば簡単に動く。

  一方、イタリアやアメリカ、ブリテンなどで武漢肺炎が広まったことで、感染拡大の元兇である習近平は万々歳。なぜなら、西歐の指導者は自国民の安全を最優先に考えるから、習近平への攻撃は後回しとなる。もし、支那人が“良心的”ならば、他国へ広めないよう、自国を封鎖して潜在的感染者を出さないよう努めるが、支那人は悪魔よりも狡猾だから、なるべく多くの支那人を外国へ輸出しようと密かに謀っていた。仮に、コロナウイルスの漏洩が偶発的なら、感染拡大の防止は不可能だから、全世界が不幸になるよう日本やアメリカ、ヨーロッパに拡散させた方がよい。支那人だけがウイルスに苦しむのは損である。ところが、この極悪民族は日本人を道連れにして地獄に落ちるより、日本人だけを蹴落として自分だけは助かろうとする連中だ。したがって、こんな支那人に永住権を与え、数年経てば国籍取得を許し、多民族共生を讃美する議員や官僚、またこれを促進する大学教授や弁護士などは、とても日本人とは思えない。

  しかし、哀しいかな、高等教育を受けた日本人は、知らないうちに洗脳されている場合がほとんど。大学でピンク左翼に染まったインテリ国民は、「アジア人を排除すべし」と考えない。もし、「移民排斥は正しい」と聞けば、「あら嫌だ、右翼かネオナチの言い草ねぇ~」と眉を顰める。でも、高学歴で高額所得の上流国民は、アジア移民のいない高級住宅地に住んでいるから偽善的だ。(大阪の西成区や朝鮮人部落に自宅を構えるインテリなんていないぞ。) 久米宏風の“気取り屋左翼”は、水商売で働くフィリピン人やタイ人に同情を示すが、社交界で友人となるのは、洗練されたマナーを持つ西歐白人とか、社会的地位の高いビジネスマンだったりする。「人権尊重」の奥様方は、あえて南鮮人を排除しないが、かといって朝鮮語を学んだり、朝鮮風住宅を建てることはない。大学で勉強するのはアングロ・サクソン人が話す英語で、大金を払って購入するのも西歐の美術品や北歐の家具であり、自慢するのもフランスかイタリアで評判の高級ワインだったりする。日本人女性が財界や政界のパーティーに出席する場合、クリスチャン・デオールやイヴサンローランのイヴニング・ドレスを着ることがあっても、チマ・チョゴリを着てゆくことは絶対にない。

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(左 : 日本への移住を目指すフィリピン人女性   / 中央 : 乳房を露出する朝鮮人女性  /  右 : アフリカに住む黒人女性)

  ヨーロッパ人と同じく、日本人も同じ民族で仲良く暮らす方が遙かに素晴らしい。異民族との共存なんて幻想だし、人種的多様性などは国家破壊を目論む左翼のまやかしである。もし、多文化主義者の学者が、同質的な日本社会を「けしからん!」と否定するのであれば、江戸時代の日本人は不幸な日々を過ごしていたことになるじゃないか。明治維新で海外渡航が許されるようになったが、当時の日本人が「やった ! 倒幕で朝鮮人や支那人と一緒に暮らせるぞ !」とはしゃいだ事は無かったぞ。むしろ、朝鮮半島に住む鮮人を目の当たりにして、「なんだぁぁ~、この乞食よりも汚い賤民は・・・!?」とビックリ仰天。さらに、悪臭漂う朝鮮を通り越して、支那大陸に入ると更に驚く。漢籍の中に登場する聖人君子と違って、現実の支那人は不潔な苦力でなければ、高位高官の詐欺師か残酷がトレード・マークの匪賊、あるいは生まれながらの殺人鬼といった連中だ。安南(ベトナム)に行くと、多少は残虐性が減るけど、庶民が貧しく不潔なのが一般的。ある日本人旅行者が列車の窓から、うずくまるベトナム人を見みたら、野糞をしていたというくらい。まぁ、現代でも支那人は電車の中で脱糞するから、アジア人に清潔さを求めるのは酷だ。

  不潔と言えば、インド人を忘れてはならない。インド人というのは独特の感性を持っているのか、鼻と口が曲がってしまうほど臭いガンジス川でも水浴びができてしまう民族だ。彼らは動物の死骸やゴミが浮いていても平気である。インド人の子供や老人は免疫力が桁外れなのか、嬉しそうに顔や体を洗って元気溌溂。除菌クリーナーで便座を拭いている日本人には到底真似できない。でも、こんな国が真夏を迎えたらどうなるのか。未だにインドは階級社会で格差社会。自宅に便所が無い庶民も多く、近くの穴や共同便所で排便だ。インドの田舎だと約50%の家庭が屋内の便所を持っていないので、排便の時は外に出て、草むらや林の中で用を足すらしい。さすがに都会では“路上排便”は少なくなったけど、ムンバイに住むある映画プロデューサーの夫人が外出したら、野糞をしている人を見かけて驚いたという。

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(写真  / インドにおける野外便所 )

  下水設備や衛生施設が普及していないインドだと、都市部でも7.5%の人々が適切なトイレを利用できず、一般世帯の39%くらいしか便所附自宅に住んでいなそうだ。こんな状況だから、ボリウッド(インドの映画界)は民衆が共感できる『トイレ : ある愛の物語(Toilet : Ek Prem Katha)』というラヴ・コメディーを作った。日本人だと信じられないが、インドではそれなりにヒットした。この作品では、主人公のジャヤが新婚の女性という設定になっている。だが、彼女は夫のもとを離れてしまう。なぜなら、二人の新婚家庭には屋内便所が無いからだ。近代的生活に憧れるインド人女性には、トイレ無しの住宅なんて我慢できない。野外便所が普通の田舎では、排便に出掛けた女性が強姦されるという事件がよくあるから、野原で下半身を露出するのは危険である。

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(左 : 街角に貼られた円河の宣伝ポスター  /  右 : インド人の一般女性)

  日本人女性がインドを旅行すれば、ちゃんと綺麗な便所が設置されているホテルに泊まり、外人観光客が訪れる施設を巡ると思うが、地方の観光地だと衛生的なトイレは期待できない。たぶん、真夏の便器から漂う臭気は強烈だから、排便を断念する人もいるだろう。一般の観光客だと悲鳴を上げて卒倒するんじゃないか。普通の日本人は口にしないけど、インドには色々な雑菌やウイルスが存在する。だから、インドを旅行するなんて、黴菌を浴びに行くようなものだ。仮に、たけし軍団が「お笑いウルトラ・クイズin インド」を企画しても、インダス川に飛び込む“罰ゲーム”は恐ろしくて出来ないぞ。もし、若手藝人が何らかの病原菌に感染したら、番組のプロデューサーやディレクターは左遷か降格だ。バブル時代には無謀な企画が数々あったけど、平成から令和の不況時代だと無理。

牛の小便は特効薬?

  日本では武漢ウイルスが流行し、老人から幼児まで、アルコール消毒液で両手を殺菌だ。一部の人々は、無駄と分かってもマスクをしたり、と涙ぐましい努力で感染拡大防止に努めている。しかし、インドでは別の方法が“実行”されていた。何と、牛の尿を呑んでコロナウイルスを退治しようとする集団がいたのだ。スワミ・チャクラパニという人物に率いられた「牛尿党(gaumuta party)」のメンバーは、コップに牛の小便を注ぎ、その液体を一気に飲み干していたのである。("Coronavirus : Group hosts Cow urine party, says COVID19 due to meat-eaters", The Hindu, March 14, 2020.)

Hindus Cow piss 1(左  /  牛の尿を飲み干すインド人)
  このチャクラパニという党首は、「アキル・バラト・ヒンドゥー・マハサバ(Akhil Bharat Hindu Mahasabha)」という団体の議長であるという。彼によれば、今回の新型コロナウイルスは、非菜食主義者を罰するためにやって来た神様の化身であるそうだ。つまり、肉を食べる奴らを懲らしめるために、神様がウイルスに化けて現れたという教義らしい。なるほど、牛を神聖な動物と考えるインド人にしたら、ハンバーガーを食べるヨーロッパ人や日本人は「けしからん連中」だから、病気になっても“当然”という理屈だ。件(くだん)の党首様は歐米の記者に向かって、「君らが動物を殺す時は、破壊をもたらすある種のエネルギーを創りだしているんだぞ !」と言い放ち、「世界の指導者達は、インドから牛の小便を輸入すべきだ。なぜなら、全知全能の神様はインドの牛にしか存在せず、外国で育った牛には居ないんだからな !」と説教した。もちろん、インド政府や衛生当局のクリティ・ブシャン局長は、牛の尿にウイルスを殺す効果は無く、科学的根拠のない話である !」と否定したそうだ。

Hindus cow piss 2(左  / 牛の小便をタンクから出すインド人 )
  確かに、動物の尿を飲んだからといって、ウイルスの感染を防止できる訳じゃない。たぶん、大多数のインド国民は「馬鹿らしい迷信だ !」と思っているはずだ。しかし、「牛尿党」の一般党員は信じている。サヴィタという主婦は自慢げに、「私は毎日これを飲んでいるわ! これ異常に健康的なものは無いのよ ! 私の家族も牛の尿を毎日飲んでいるの !」と笑顔で話し、グラスに注いだ牛の尿を啜っていたそうだ。「世田谷自然食品」とか「青汁」なら分かるけど、牛が排出した黄色い液体なんか御免である。でも、まぁ、「病は気から」という格言もある。牛の小便を飲んで元気ならいいじゃないか。ただし、目の前で牛乳ならぬ「牛尿」を飲まれては、ちょっと距離を置きたくなる。インドのネレンドラ・モディ首相は、「清潔なインド(Swachh Bharat)」運動を提唱し、各家庭に屋内便所を普及させる、と意気込んでいたが、それなら同時に「啓蒙活動」も展開した方がいいんじゃないか。

  筆者は「アジア人が全て不潔」と断定している訳じゃない。単に「異なった風習や信仰、伝統文化を持つ外国人を日本に招くのは危険だ」と言いたいだけである。特に、アジアやアフリカの異民族を受け容れると、日本人の拒絶反応を増加させるばかりか、日本社会の破壊にも繋がってしまうのだ。多文化主義というのは、ホスト国の住民に「我慢」と「譲歩」を要求する一方で、異質な移民の主張を正当化するイデオロギーとなっている。これは有害思想以外の何物でもない。もし、普通の日本人が支那人や朝鮮人、あるいはインド人やアラブ人の慣習を嫌うと、いくら「自然な拒絶反応」であっても、日本人による「民族差別」とか「異国人への偏見」と見なされてしまうのだ。とりわけ、大学時代に文化人類学とか国際関係論、社会学などの講義を受けた日本人ほど、アジア移民に譲歩し、卑屈な態度を取ってしまう。一般的に、高学歴の日本国民は“無自覚”のリベラル派、つまり確固たる信念無き“なんちゃって左翼”になりやすい。

  多文化主義の弊害は具体例を考えてみれば解るはずだ。例えば、インド人の青年が日本に移住し、日本語を習得して寿司職人の修行を始めたとする。貧しいアジア国から来た移民が日本人以上にコツコツと働き、熱心に努力すれば、巷の日本人は「大したもんだなぁ~」と感心するだろう。しかし、この見習い職人が休憩時間に便所に入り、左手の指で肛門を洗えば、「えぇぇぇ~、嫌だぁぁ !!」と身震いし、彼が握る寿司をつまむことはないはずだ。いくら、この見習い職人が「ちゃんと洗面所で石けんを使って手を洗いました」と述べても、日本人の顧客は彼の寿司店を敬遠し、常連客でも寄りつかなくなる。もちろん、インド人の観光客がこの寿司店を嫌い、同胞の寿司を食わないのは理解できる。インド人によれば、左手は不浄なので、見ず知らずの他人が両手を使って握る寿司なんか、とても食えたもんじゃない。なにせ、下層民が触れた食器でさえ厭がるんだから。したがって、もし、この見習い職人が下層階級の出身者なら、上流階級のインド人は決して彼の料理を食べないだろう。実に酷い話だが、これはインド人の伝統的風習だから非難されることはない。

    ところが、日本人に「左手は不浄」と見なす文化は無いから、インド人が握った寿司を拒めば、不合理な「民族差別」となる。机上の空論をもてあそぶ大学教授は、気軽に「異文化との共存」を説くが、実際の社会では文化の衝突や軋轢の方が多い。インド人からすれば、紙で肛門を拭く日本人の方が汚く、水を掛けて、肛門を入念に洗浄するインド人の方が清潔だ。一般の日本人は、こう説明されると反論しにくく、感情的に反撥するしかない。だが、もし、日本人がインド人の風習を否定すると、異文化の否定に繋がってしまい、「違った文化を尊重すべし」という多文化主義のドグマ(教義)に反してしまう。だが、多文化主義の“洗脳”を受けていない普通の日本人だと、「そんなの嫌だ ! ふざけんじゃねぇ!」と激怒してしまうから、こうした人々は「ネオナチ」とか「排外義者」と呼ばれてしまうのだ。テレビに出てくる御用学者はよく「寛容の精神」を説くが、そんなのは「屈服の根性」に過ぎない。日本は「日本人のホームランド(自宅のような国家)」であるから、「嫌なものは嫌」と言える自由があるし、不愉快な外人を排除するのは我々勝手である。

妊婦は異質なものを排斥する

  高学歴社会に生きる日本人は、異国人を排除することに抵抗感を持っている。日本では左翼教育が徹底しているから、学校の先生が「支那人とか黒人を毛嫌いしてはいけません!」と教えれば、大半の生徒が「はぁぁ~い。わかりました !」と素直に従う。ところが、人間は“本能的”に不気味なものや未知のものを避ける。例えば、癩病(らいびょう)患者とか、奇妙な痣(あざ)がある人を見ると怪訝な顔を表すし、違った種族の移民を見れば不快感を抱く。行動においても危険を察知するようで、膿(うみ)とか血を見ると恐れるのは、それに触ると感染するかも知れない、と考えてしまうからだ。テューレン大学の心理学者であるダミアン・R・マレー (Damian R. Murray)博士とブリティッシュ・コロンビア大学のマーク・シャラー(Mark Schaller)博士は、病原体から身を守ろうとする行動的免疫システムがあることを説明した。見知らぬ土地から来た者は、どんな病気を持っているのか判らない。保菌者が元気でも、感染者が死んでしまうケースはある。昔、アメリカ大陸に住んでいた原住民が、見知らぬヨーロッパ人と接触したせいで麻疹(はしか)や天然痘、百日咳などに罹って死亡、あるいは重症になったことは有名だ。

Damian R. Murray 1Mark Schaller 1David Amodio 1









(左 : ダミアン・R・マレー   / 中央 : マーク・シャラー  /  右 : デイヴッド・アモディオ )

  我々は危険な細菌を保有する「よそ者」ばかりではなく、馴染みのない風習を持つ外人に懸念を示す。たぶん、親しみの無い人や物に遭遇すると不安になるからだろう。ニューヨーク大学で心理学を教えるデイヴッド・アモディオ(David M. Amodio)教授によれば、我々は脅威に曝されたり異人に遭うと、身体が凍結し、闘うか逃げるかの準備をするらしい。そして、もし、その人物を不快と判断すれば、脳内にある島皮質(insula)に衝撃が走り、強い嫌悪感が巻き起こる。アモディオ氏の指摘で興味深いのは、赤ん坊を身籠もった女性が、より自己中心的となり、異質なものに対する警戒感や嫌悪感が強くなることだ。これは妊婦が胎児を守るべく、病原菌を持っていそうな人や潜在的な危険物に対し敏感になるためだろう。子供だって本能的に「悪そうな人」と「親切そうな人」を嗅ぎ分けることができる。もし、防禦能力が低い子供が多民族主義者に従い、どんな人間に対しても警戒心を抱かず、「オープンな態度」で接触したら、どんな災難に遭うのか、想像しただけでも恐ろしくなるじゃないか。

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( 写真  /   保護されるべきタイプの弱者 )

  したがって、ある地域に住む民族が、よそからやって来た流れ者に警戒感を抱くのは当然だ。例えば、日本の幼稚園児が独りで、いきなり通りすがりの黒人に遭遇し、聞いたこともない言語で話しかけられたら、どうしていいのか分からず、小さな体が凍りつく場合もあるし、奇妙な容貌に恐れをなして泣き出すこともある。日本よりも流動性の高いヨーロッパでも、一般人があまりにも異質なアフリカ人やユダヤ人を見れば、嫌な気持ちになるだろう。日本の知識人はユダヤ人を嫌った西歐人を非難するけど、第19世紀のユダヤ人なんて本当に不愉快な連中だった。たとえ裁判官や科学者になった人物がいたとはいえ、一般のユダヤ人はゲットーから抜け出た賤民と同じで、近づきたくはない。特に、社会主義やマルクス主義、無政府主義などに魅了されたユダヤ人を目にすれば、日本人だってゾッとするはずだ。

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(左 :  カール・ラデック  / ゲンリフ・ヤゴーダ  /  イリヤ・エレンバーグ / 右 : ベラ・クン  )

  例えば、カール・マルクスを始めとして、日本でもファンが多いレオン・トロツキー、如何にも下品な顔つきのカール・ラデック(Karl Radek)、メンシェビキの指導者であったユーリ・マルトフ(Julius Martov)、ソ連の秘密警察(NKVD)の初代長官を務めたゲンリフ・ヤゴーダ(Genrickh Yagoda)、ドイツ人の婦女子を輪姦せよと叫んだイリヤ・エレンバーグ(Ilya Ehrenberg)、テロリストのアイザック・シュタインバーグ(Isaac Steinberg)、ハンガリー人民共和国の首相になったマチヤス・ラーコシ(Mátyás Rakosi / Mátyás RosenfRosenfeld)、ハンガリー・ソビエト共和国の独裁者になったベラ・クン(Béla Kun)、放埒な性教育を推奨した変態のジョルジ・ルカーチ(György Lukács)、米国から追放された共産主義者の革命家エマ・ゴールドマン(Emma Goldman)、ブラジルの全体主義者であったウラジミール・ヘルツォーク(Vladimir Herzog)など、数え出したらキリがない。呆れてしまうけど、ユダヤ人には共産主義者とか極左分子が非常に多い。でも、普通の日本人で真っ赤なユダヤ人を即座に列挙できる者は極僅かだろう。大抵の日本人は「ヤゴーダとかエレンバーグなんて聞いたことがないなぁ~」と言うはずだ。それも、そのはず。学校で歴史を担当する教師が“意図的”に隠しているからだ。左翼教師の役目は共産主義者にとって「都合の悪い過去」を闇に葬ることで、赤色分子に対抗する健全な日本人を育成することではない。

Matyas Rosenfeld 1Gyorgy Lukacs 2Emma Goldman 1Vladimir Herzog 2








(左 : マチヤス・ラーコシ  / ジョルジ・ルカーチ  / エマ・ゴールドマン  / 右 : ウラジミール・ヘルツォーク )

  武漢ウイルスが流行する前、安倍総理や二階幹事長は「支那人の皆さぁぁ~ん、いらっしゃい!!」と呼びかけていたが、京都や鎌倉の日本人は本当に歓迎していたのか? 確かに、土産物店や飲食店などで働く従業員は、「ゼニ儲け」だから“仕方なく”支那人を接客していたが、私生活に戻れば「何だ、あんな奴ら !」と嫌っていたはずだ。ホテルの清掃員なんか、「支那人の客が泊まると、ベッドや洗面所とか便所だけじゃなく、カーテンとか床まで汚すから、普段より清掃に何倍もの時間がかかっちゃうのよねぇ~」と愚痴をこぼしてばかり。こんな惨状だから、観光業に携わっていない庶民は、支那人や朝鮮人、および東南アジア人の到来で大迷惑。街中に、不気味なフィリピン人とかベンガル人、ビルマ人、マレー人、インド人、ベトナム人がウロチョロすれば、さっさと買い物を済ませて家に帰りたくなる。それでも、観光客はやがて帰るからいい。ところが、もし隣にアジア人が住み着けば憂鬱になるどころか、自宅の地価が下がるんじゃないかと心配だ。品の良い西歐白人が住む麻布や広尾、目黒なら「お洒落な街」となるが、朝鮮人が密集する新大久保とか川崎、支那人が跋扈する北池袋なんて「魔界」を彷彿させるゲットーでしかない。

  日本人は武漢ウイルスに感染しないよう、「免疫力をアップさせるぞ!」と張り切っているが、アジア人の侵入に対する免疫力になると、自ら抹殺していることに気づかない。我々の体は異物が侵入してくれば、単球系のマクロファージやリンパ系のキラー細胞、顆粒系の好中球とか好塩基球が出動し、有害物質を撲滅しようとする。もし、体から白血球を除外して、「どんな細菌でもOK」となったら大変だ。したがって、本能的に「嫌い!」と思った外人は、迷わず排除すべし。だいたい、支那人や朝鮮人と係わって「いいこと」があったのか? 日本人は左翼学者に従わず、アジア人をドンドン排斥した方がいい。排外思想を放棄した歐米諸国がどんな事態に陥ったのか、ちょっと調べれば判るじゃないか。筆者はなにも全ての外国人を排斥しろ、と述べている訳じゃない。「受け容れてよい外人」と「門前払いにすべき外人」がいると言っているだけだ。もし、我々に「言論の自由」と「選択の自由」があるなら、躊躇なく行使すべきである。



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