教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 支那人の卑史 朝鮮人の痴史
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アジア人の再流入 !?

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(左 : 大挙して外国を旅行する支那人  / 右 : 路上で我が子に大便をさせる支那人 )

  9月下旬、菅義偉総理大臣は新型コロナ対策本部会で、外国人の入国制限を緩和する方針を明らかにし、日本への留学生やビジネスマン、および日本に家族がいる外国人を迎え入れるそうだ。今のところ、外国人観光客の受け容れは控えるようだが、この緩和措置は「観光立国」再開への布石だろう。何しろ、日本人だけの国内旅行だと、色々な補助金を附けての刺戟策なので財務省が臍(ヘソ)を曲げてしまい、政府に意地悪をしかねない。保守派国民が何と言おうとも、爆発的な利益を恢復するには、どうしても支那人の大量流入が必要だ。(と思っている人もいる。) 政治家にとって「お金」は原動力であり潤滑油でもある。北京政府から賄賂をもらえば国賊だけど、国内の業者が渡す献金なら違法性は無い。政治家は銭の匂いで股を開く。一票乞食の不平なんて一時的なもで、仔犬の屁と同じく、最初は臭いけど、やがて消えてしまう代物だ。

  しかし、平穏な生活を望む庶民からすれば、やはり支那人がいない方がいい。あの横柄な態度に接すると腹が立つし、支那語を耳にすると下品なガチョウが側にいるようで実に不愉快だ。つい、「支那人用のキンチョールはないものか?」と思ってしまう。「留学生の再入国を許す」といえば“響き”がいいけど、要するに支那人を始めとするアジア人の輸入を再開するということだ。一般的に、日本人は「勉強に励む若者」を好ましく思ってしまうが、実際は出稼ぎ目的の支那人というケースが多い。仮に、学問を目的とする支那人がいても、その本音は何処にあるのか分からないし、卒業後に残留となれば問題だ。事実、日本の大学を卒業して、そのまま日本企業に就職し、本国へ帰らず、日本に永住しようとする輩(やから)が少なくない。第一、あの“おぞましい”大陸から脱出することは支那人共通の夢で、高級な暮らしができる日本は正しく天国だ。歐米に移住すると、異人種ということで辛い人生が予想できるが、日本に来れば似たり寄ったりの人種が居て安心できる。しかも、日本人は脳天気な民族だから、新入りの外人にも手厚い福祉を与えるし、「レイシズム」という言葉を聞けば自動的に譲歩する。「馬鹿を利用する」藝当に長けた支那人からすれば、日本人なんか鍋を背負った鴨のようだ。

  日本の一般国民は、マスコミや政府から「少子化が進んで大変だ !」と聞かされているので、技能研修生(実質的な出稼ぎ人)や低賃金労働者を迎えるのが当然と思っている。しかし、庶民は想像力と判断力に乏しいから、「労働者」という動物を輸入したら“どんなこと”が起きるのか予想できない。牛や馬なら餌を与えて終わりだけど、「アジア人」という喋る家畜を導入すれば、色々と面倒な問題が湧き起こってくる。アジア移民だって長く勤めれば日本人と同じ待遇を要求するし、家族を持てば国籍だって得ようとするはずだ。そして、アジア人労働者が結婚するとなれば更に事態は深刻で、日本各地にアジア人租界が出来てしまう。では、日本人との結婚ならどうか? それも困った問題で、ウンザリするような混血児の増殖となってしまう。移民の流入で人口が増えても、「日本人とは思えないタイプ」が増えたら気分が悪い。子供を持つ親は戦々恐々だ。「日本人の孫」を当然のように思っていた親は、朝鮮人みたいな孫を見るや涙が出てくる。タイ人とかフィリピン人も脅威で、タガログ族みたいな孫を目にすれば、「えっ ! そんな ! 馬鹿な !」と仰天し、毛細血管が凍ってしまうだろう。もし、これがベンガル人とかインド人、あるいはケニア人との混血児となれば、もう手の震えが止まらなくなる。

  朝日新聞とかTBSといった左翼メディアは、アジア人を嫌う日本人を右翼とか民族主義者と罵り、外人嫌い(ゼノフォビア)の排外主義者と侮辱する。しかし、日本人は昔から驚くほど開放的な民族だ。ただし、気に入った外国人に対してだけ。地球上の全民族を好きになる国民がいないように、我々だって「好き嫌い」がある。イギリス人とかドイツ人は尊敬に値する民族だから、日本に招いてその文化を学びたいと欲するが、支那人や朝鮮人じゃ来て欲しくない。江戸時代までは準鎖国状態にあったから、日本人は書物の中で描かれる支那人や朝鮮人しか知らなかった。ところが、明治になって自由に渡航できるようになると、“生身”の支那人や朝鮮人と邂逅(かいこう)したから、「目から鱗が落ちる」というより、腰が抜けるほどの衝撃だった。彼らは心身共に穢らわしく、鼻が曲がるほど臭い。傲慢不遜を絵に描いたような民族で、根拠も無いのに矢鱈と尊大だ。形式的に笑顔を見せても、腹の中は真っ黒で、何を企んでいるのか判らない。しかも、恐ろしく残忍で狡猾だった。

  日本の一般国民は学校教師から「日本はアジアの一部」と教えられ、「東洋人たる日本人」と洗脳されているが、そんなのは“まやかし”で、日本はアジアから隔絶した別次元の楽園である。そもそも、「アジア」というのはヨーロッパ人が勝手に作った概念で、訳の解らぬ「トルコから東にある野蛮な地域」を表す言葉だ。つまり、不気味な容姿のエイリアンが棲息する暗黒大陸、ないし、ゴチャゴチャしたオリエントの世界を指す。だいたい、トルコ人やアラブ人、アフガニスタン人、インド人、ベンガル人、マレー人、タイ人を目にして、普通の日本人が「同じ文明圏の仲間だ !」と思うのか? 明治の頃には“冒険”好きの日本人が多く、アジア諸国を漫遊して「変わった国や民族があるもんだなぁ~」と感心していたくらいだ。「五大洲探検家」の中村直吉が記した見聞記は実に面白く、別の機会に紹介したい。

  とにかく、日本人はアジア人とは“質的”に違っている。大学教授や評論家は、アジア人との共存を促すが、巷の庶民は別の感情を抱いており、アジア人との混淆は嫌いだ。昔、日英同盟を結んだときの日本は、一等国との友好を喜び、ユニオンジャックを掲げて歓迎したが、日韓併合が実現されるとたちまち陰鬱になった。乞食より汚い朝鮮人は、新しく「日本国民」となって大喜びだったが、内地人は彼らを敬遠し、「同胞」として認めなかった。この「穢族(わいぞく)」を炭鉱夫とか港湾人足で使うことはあっても、結婚相手にすることは滅多にない。政府のお偉方は熱心に「日鮮融合」を説いたが、各地の庶民は「日鮮分離」を望んでおり、鮮人との血縁関係なんてほとんど無かった。もし、世話好きの婆さんが縁談の話を持ちかけ、その見合い相手が朝鮮人と判ったら一大事。家門を誇る父親は、「この無礼者 !」と激怒し、先祖伝来の刀を抜きたくなる。士族はもちろんのこと、商人や職人だって鮮人との縁組みなんて厭だ。だいいち、恥ずかしくて隣近所に話せないじゃないか。親戚だって反対だろう。だから、そもそも朝鮮人を紹介する仲人なんて有り得ない。

  ところが、現在は優生学とか人種衛生学がタブー(禁忌)となっているから、結婚相手がアジア人であろうと、黒いアフリカ人であろうと、両者の合意があれば問題無くOK。もし、こうした混淆に反対する者がいれば、主要メディアから叩かれ、右翼とかレイシスト、ネオナチ、頑固者といったラベルを貼られて集団リンチに遭うのがオチだ。もちろん、中には批判を気にしない親もいるだろう。しかし、反対する根拠が感情論だから、理路整然と説得することはできない。結局、恋に盲目となった子供に押し切られて、渋々ながらの了承となる。

    世界史的に見て、日本が素晴らしいのは、長いこと日本人同士で暮らしてきたからだ。アジア諸国で日本風の「気配り」とか「察し合い」は存在せず、そんなのは瞬間移動とか千里眼といった超能力の類いである。しかし、日本には幸せな人々を憎み、社会を根底から覆そうとする左翼分子がウジャウジャいる。共産主義の残滓を自覚していない学者も多く、多民族社会が「善」と思っているんだから救いようがない。最近、アジアから移民とか留学生が増えてきたが、まだ一般人はその危険性に気づいていないから、なんとも暢気だ。一旦彼らを受け容れれば、異民族との混淆は避けられず、日本人は肉体的に変わってしまうだろう。そうなれば、自ずと日本人の精神だって変わってくる。ここが左翼の狙い目だ。

驚愕の授業が行われている大学

  日本人が肉体的に健康でも精神的に異常となっているのは、大学で真っ赤な洗脳教育が行われているからだろう。そもそも、一般の大学生だと、何が「左翼教育」なのか判らない。例えば、学生食堂で毒入り味噌汁が販売されていたとする。しかし、毒の分量が僅かで無色無臭だと、誰も気がつかないから、数ヶ月後か数年後、中毒症状が出でも、被害者は「どこ」で劇物を口にしたのか判らない。まさか、学食のオバちゃんが「サイコ・キラー」なんて考えられないから、「ロシアの諜報機関が毒を盛ったのかも・・・」と考えてしまう。(アホらしい憶測だけど、判断力と推察力が乏しい学生には原因究明なんて無理。)

  大学での赤化教育はもっと厄介で、毒を盛った教授自身が「毒」に気づいていない場合もあるからだ。 例えば、明治大学の「情報コミュニケーション学部」に属している根橋玲子教授は、「静かなる民族の自殺」を学生に刷り込んでいる。彼女は表面上、“中立・公正”な立場で意見を述べているように見えるが、その根底には多民族社会への“誘導”がある。根橋教授は両極端な意見を退け、外国人を一方的に排除する考え方や楽観的に肯定する考え方を「おかしい」と思っているそうだ。しかし、ここに巧妙な罠がある。根橋先生曰わく、

  外国人を受け入れるということは、一緒に暮らす仲間として受け入れることであり、そのためには、互いの問題を一緒に考えていくことが必要です。それは、国とか日本国民という立場ではなく、同じコミュニティーの市民として一緒に考えるということです。(「『留学生30万人計画』が抱えている将来的課題とは」 Meiji.net、2017年3月29日)

  根橋教授は「シチズンシップ・エデュケーション(Citizenship Education)」という歐米の考えを紹介し、移民となる外国人に対し、社会で役割を果たせるような教育を施すべし、との提案を行っていた。「国民」ではなく「市民」といった言葉を使うところが、如何にも左翼らしいが、彼女は「市民社会」の視点から外国人との共生を考えるべきだと主張する。人を「外国人」とか「何とか人」とラベルを貼って見るのではなく、「同じコミュニティーの一員」として接するべきなんだって。しかも、彼女は「自然に接することができるような教育」を説く。根橋教授が強調するのは、「責任ある寛容性」だ。

  留学生たちが日本人と区別されず、選択肢が平等に同じように与えられるよう、政策だけでなく、それを可能にする市民社会を構築していくことが、留学生をはじめ外国人を受け入れる私達の責務だと思います。それが“責任ある寛容性”です。それを実践する社会を実現することが、留学生それぞれが、安心して日本に定住する選択肢を可能にしていくことにつながると考えます。

  世間の厳しさや実社会の仕組みを知っている大人であれば、根橋教授の話を聞いた瞬間、腹を抱えて笑ってしまうが、外の世界を知らない大学生だと、「そうなのかぁ !」と納得してしまう虞(おそれ)がある。何しろ、大学生といっても、その大半は受験勉強だけで過ごしてきた元高校生。ナマズみたいにポカ~んと口を開けて授業を聴いている学生だと、「アジア人を差別しちゃいけないんだよねぇ~」と信じてしまい、移民排斥を呼びかける日本人を「右翼」と思ってしまう。こういう学生は、「なぜ日本人がアジア人に譲歩し、自分の国を多民族国家にすべきなのか」という点に疑問を持たない。そもそも、「寛容」を持ち出す学者というのは、アジア移民や留学生の側に立って発言する弁護士のような存在だ。赤い教授は生理的にアジア人を嫌う日本人を見つけては叱責し、「つべこべ言わずに我慢しろ !」と説教する。予備知識の無い学生は教師(詐欺師?)の口車に乗ってしまい、厭がる自分の方が悪いんだ、と考えてしまうから憐れだ。

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(左 : 歐洲に住む北アフリカ系のフランス人  / 中央 : 「ヨーロッパ人」のフリをするユダヤ人  / 右 : 歐洲で生まれた黒人の赤ん坊 )

  だいたい、なんで留学生が「安心して暮らす」ために、我々が本音を隠して辛抱せねばならないのか ! 普通の日本人は「世界市民のコミュニティー」など欲していないぞ。そもそも、「日本人」というのは「古来からの権利」を受け継ぐ「公民」だ。いつの世でも皇室と共に歩み、陛下を敬愛する「日本国民」というのが大前提。我々はずっと同質社会で暮らしてきた民族だ。同じ種族から困った時には共に助け合い、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んできた。そして、仲間が嬉しい時には、自分も嬉しくなり、その喜びをみんなで分かち合おうとする。日本の「素晴らしさ」は、こうしたところにある。

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(左 : オールド・タイプのゲルマン人少女   / 現代のドイツで称讃されるニュー・タイプのドイツ国民  / 昔の理想的フランス人  /  右 : フランスで帰化するアフリカ人)

  しかし、高い賃金や手厚い福祉を目当てにやって来たアジア人は違う。彼らは同胞じゃない。ヨーロッパ諸国に定住したトルコ人やチュニジア人、アルジェリア人を見れば分かるじゃないか。いくらフランスの国籍を取得したからといって、モロッコ人がケルト系のガリア人になる訳じゃないし、ベトナム人がパリに移住しても所詮「インドシナの外人」だ。ジプシーなんかは永遠の賤民で、ベルリンやアムステルダム、海を渡ってロンドンに引っ越そうが、一生「ジプシー」のままである。ジプシー藝人だった喜劇王のチャーリー・チャップリンは生涯、自分の家系を語らず、そっと自分の血統を恥じていた。歐洲のイスラム教徒も同じだ。フランスに帰化したイラク人がカトリック信徒になっても、顔つきがケルト人やゲルマン人に変化する訳じゃないから、ベルギーやデンマークに移住しても、依然として「中東アジア人」と見なされる。マグレブ諸国からやって来たムスリム移民の2世や3世が、成長するにつれ、どうしても“ひねくれて”しまうのは、肉体的な変化が不可能であるからだ。フランス語やドイツ語の習得は日常生活に便利だけど、心の治療には役立たない。

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(左 : 「少数派」になったヨーロッパ人の少女   / 歐米で「多数派」となるアフリカ系少女  / 北米で嫌われる保守派のプティボーン姉妹 /  右 : 人種的多様性に賛成するアンジェラ・デイヴィス )

  日本にやって来るアジア移民もマグレブ移民と同じで、たとえ帰化人になっても日本社会に同化することはない。アジア人留学生は日本の大学を出ても、依然として「よそ者」のままで、「日本人」と見なされることはない。せいぜい、日本語が上手な「外人さん」程度だ。だいたい、アジア人が日本国籍を取得したからといって、日本の伝統を守り、皇室に忠誠を誓う「同胞」になるのか? 根橋教授だって支那人留学生のことくらい知っていよう。利己主義の権化たる支那人は、銭のためなら一心不乱に働くが、日本の安全と独立を守るために戦う気概なんて微塵も無い。在日南鮮人は脱税どころか、「血税」逃れの常習犯である。彼らは本国の徴兵制度を嫌い、祖先が眠る朝鮮半島に戻らない棄民だ。そのくせ、日本での参政権を要求するんだから、本当に図々しい。(註 : 「血税」というのは「血を流して払う税」のことで、「国民が納めた金銭」ではないぞ。)

  どこの大学にも左翼教授はいるもので、何も明治大学だけが異常なのではない。教授会には赤蕪(カブ)みたいな古株が盤踞し、クズ論文を「業績」とする左翼の巣窟となっている。でも、情報発信サイトの「Meiji.net」で紹介される教授陣はあまりにも酷い。「何で、こんな奴が大学教授なのかぁ~」と呆れてしまう。どいつもこいつも左巻きで、非常識な学者ばかり。「常識」を強調したサミュエル・ジョンソン博士なら卒倒するぞ。

  例えば、政治経済学部の専任講師である下斗米秀之は、初歩的な知識が無いのか、アメリカを「移民によって形成された国」と紹介している。そして、移民規制を強めるトランプ大統領は、国際社会における米国の経済的優位性を失わせる人物であるそうだ。(「移民が引き寄せるアメリカの魅力が、日本にあるのか」 2020年6月3日) 下斗米氏の視点は如何にも左派らしく、反トランプ陣営の主張をそのまま反映している。しかし、彼の見解は南米からの移民による損害を考えていない点で片手落ちだ。それに、アメリカは「移民の国」じゃなく、「イギリス人入植者によって創設された共和国」である。アメリカ合衆国は謂わば、総本家から独立した分家のような国家だ。褐色の異民族が寄り集まって建設した国家じゃない。だいたい、アラブ人やアフリカ人、あるいはインド人や支那人が共生すると、外人が憧れる立派な国家が誕生するのか? 常識で考えろ ! でも、こうした人物には理解できないようで、下斗米氏はこう述べていた。

  移民に不寛容で、摩擦や軋轢を生む一番の原因は、人々の無知だと思います。感情論に流されることなく、客観的な事実に基づいた建設的な政策を創り出していく必要があるのです。

  もう、天を仰いで嘆きたくなるが、こんな頭をしているから大学教師は馬鹿にされるのだ。「実際のアメリカを見てこい !」と言いたい。メキシコやブラジル、グァテマラ、ホンデュラスなどは腐敗の倉庫で、ここで生まれ育った下層民は「寛容」という言葉には縁が無い。「刃向かう奴は殺せ !」というのが彼らの鉄則だ。理性で社会を設計できるというのはデ・カルト主義者の妄想で、国家は国民感情に基づいている。したがって、ヒスパニックを嫌う西歐系アメリカ人が、南米からの移民を排除しなくなるのは当然だ。中南米諸国なんかは、「ギャングランド」かと見間違うほど、犯罪が充満している。ギャング集団の抗争も激しく、負けた連中の遺体は切り刻まれ、血塗れの腕や脚が荒野で野ざらしだ。切断されない場合でも、死体が歩道橋からロープで吊され、人間版の「照る照る坊主」となっている。(実際の惨殺死体を撮影した写真があるんだけど、ライブドア社の検閲があるので掲載できません。ブログの閉鎖となってしまうので。)

  普通の日本人は唖然とするが、南米では警察署長がマフィアに買収されているケースも多く、アリストテレスやグッチャルディーニが述べた「公共善」は一切ない。幽霊と同じ。聞いたことはあるけど、誰も信じないし語ることさえない。日本のお巡りさんは安月給なのに、スピード違反の取締で金(カネ)をセビることがないんだから驚きだ。東南アジアでは警察のトップでさえ賄賂を要求するのが当たり前。とにかく、中南米諸国は国全体が刑務所みたいな場所だから、そこで育った子供の倫理観は西歐人のものとは根本的に異なっている。2009年、カルフォルニア州にあるリッチモンド高校で起きた輪姦事件は象徴的だ。

  当時、学校が連休となったので、浮かれた生徒達は夜中に集まって、酒を飲んだり踊ったりと馬鹿騒ぎをしていた。ところが、みんなが酒に酔い始めると、ある男どもが15歳の女子生徒に襲いかかってしまったのだ。主犯となる強姦魔は、リッチモンドに住むホセ・カルロス・モンタノ(Jose Carlos Montano / 18歳)とマルセルズ・ジェイムズ・ピーター(Marcelles James Peter / 17歳)の二人だった。彼らに続いて輪姦に加わったのは、エルヴィス・トレンテス(Elvis Torrentes)とマヌエル・オルテガ(Manuel Ortega)、アリ・モラレス(Ari Morales)、サン・パブロ(San Pablo)、ジョン・クレイン(John Crane)等で、それぞれが懲役刑の有罪判決を受けている。("Richmond High Gang Rapes Victim's Father Speaks : It Was A Horror", The Contra Costa Times, June 5, 2013.)

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(左 :  ホセ・カルロス・モンタノ   /  中央 : マルセルズ・ジェイムズ・ピーター   /   右 : マヌエル・オルテガ  )

  南米社会では「マチズモ(Machismo)」という考えがあり、元々は男性らしい強靱さや逞しさ、勇敢な気質を表す言葉であったが、やがてそれは女性に対する男性の優越性を表す概念となってしまった。ドヤ街で育つ男の子は、筋肉が強くなっても脳味噌が弱いから、大したこともないのに矢鱈と自分の「男らしさ」を誇張し、体力で劣る女の子を軽く見るようになる。こういう風潮は野放しにすると誠に危険で、実際、一部のヒスパニック男性は野蛮そのもの。「女がどう叫こうが、押し倒してヤっちまっえばいいのさ !」という考えなんだからバカとしか言い様がない。たぶん、リッチモンド高校の不良も「マチズモ」に感染した類いなんだろう。輪姦現場を目撃したサルバドール・ロドリゲス(Salvador Rodriguez)によれば、犯人達は少女の服を剥ぎ取り、頭を蹴飛ばしたり殴ったりと、人間扱いしていなかったそうだ。しかも、連中の一人が携帯電話で強姦シーンを撮影していたというから酷い。この陵辱は約二時間ほど続いたそうだ。

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(左 : ジョン・クレイン   / 中央 : エルヴィス・トレンテス  / 右 : アリ・モラレス  )

  この輪姦事件は非常に衝撃的で、強姦に参加した奴も悪いが、それを眺めている生徒が10数名いたというから驚く。たとえ、強姦をやめさせることができなくても、警察に通報することくらい出来たはずなのに、誰も携帯電話を使おうとはしなかったのだ。一般の日本人なら、「どうして誰も通報しなかったのか? 一体どんな高校なんだ?」と怪訝に思うだろう。でも、この高校の人種構成を調べれば、「なるほど !」と納得できる。リッチモンド高校では、白人生徒の割合は全体の約2%足らず。後はアジア人が8%で、黒人は10%くらい。生徒の大半はヒスパニックで、全体の78%を占めている。米国の主要メディアは一応、この「ローカル・ニュース」を報じていたが、犯人の人種や学校の民族構成にはあまり触れていなかった。もちろん、全部のヒスパニック移民が悪い訳じゃないけど、こんな連中を受け容れたら、どんな結果になることか。日本の大学教授はよく考えろ。高校生や中学生の娘を持つ日本の親は、現実をよく弁えている。転勤や派遣で米国に移住することになれば、子供を通わせる学校を厳しく審査する。大多数の親は白人が主流の私立学校を選ぶことだろう。ヒスパニックや黒人がウヨウヨいる公立学校などは問題外である。

  国際日本学部の山脇啓造教授に関しては、以前、当ブログで述べたので省略するが、この学部には他にもビックリするような教師がいる。例えば、渋谷区の「同性パートナーシップ条例」を取り上げた鈴木賢志教授だ。彼は同性愛者の結婚に深い理解があるようだが、その日本観や愛国心には疑問が残る。鈴木教授曰わく、

  多様性の受容、尊重こそが、日本の伝統的価値なのです。その意味で、「同性カップル」を否定し、いびつな愛国心、伝統的といわれる価値観にしがみついている人こそ日本人の伝統に反しているとも言えるのです。(「同性パートナーシップ条例と多様性国家・日本 --- 内向きな愛国心が日本をダメにする」 2015年4月1日)

Jessica Yaniv 2(左  /  女性に憧れた元男性)
  もう、鈴木教授の意見を聞いていると頭がクラクラしてきて、「私は誰? ここは何処?」と自問したくなる。普通の日本人が「同性愛カップル」なんて聞いたら、「何を考えているの ?!」と眉を顰め、「アホじゃないか」と思ってしまう。鈴木氏は家父長や専業主婦がいる伝統的な家庭が嫌いなようで、「同性カップル」を否定する人は「昭和的な日本人」であるらしい。そして、彼は「サザエさん的価値観」と小馬鹿にする。でも、一般家庭の親はホモの結婚に反対である。もし、自分の息子が男を連れてきて、「父さん、母さん、紹介します。彼が僕の恋人。今直ぐじゃないんだけど、いずれ結婚したいと思っているんだ・・・」と言ったら、両親ともショックで膝から崩れ落ちてしまうだろう。父親は「お前、自分が何を言っているのか分かっているのか !? よく考えろ、バカ野郎 !! ふざけるんじゃない!」と激昂し、往復ビンタに背負い投げだ。母親の方は気が動転し、「何かの間違いよね ! 嘘と言ってちょうだい !」と息子にしがみつき、大粒の涙を流すだろう。でも、鈴木教授には庶民の気持ちが判らない。たぶん、中学校の男性教師が赤いブラジャーをして授業をしても、鈴木氏は「それを受け容れるのが日本の伝統」と言い張るんじゃないか。一方、生徒の保護者は怒り狂って校長室に殴り込みだ。鈴木教授の方こそ、「日本の常識」を学ぶべし。

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(左 : 「美人」に変身したつもりのユダヤ人   /  右 : アメリカのゲイ・カップル )

  もう一人、“とんでもない”教師を挙げるとすれば、文学部の大畑裕嗣教授である。彼は朝鮮問題や日鮮関係を研究しているそうだ。でも、その考え方が恐ろしく左寄りで、北鮮人が喜びそうな専門家である。彼は金正恩が支那を見習い、資本主義的な社会主義を目指している、と述べていた。この大畑教授によれば、金委員長はアメリカからの体制保障を取り付け、自国の市場を開放するという。ただし、労働党によるコントロール附きである。そして、日本人は「北朝鮮脅威論」というプロパガンダに凝り固まっているから、偏った見方しかできないという。他方、金正恩は若い頃からヨーロッパで学び、日本を訪れたこともあるから、冷静な交渉相手になるそうだ。確かに、北朝鮮は破局的な選択をしないだろう。大畑氏が言うように、北鮮は日本のビジネス界にとって良い「パートナー」になるかも知れない。だが、日本国民にとっては赦しがたい「拉致の実行犯」であり、空爆で報復したくなる「敵対国家」だ。

  大畑教授の日鮮文化論を聞けば、「やれやれ」という気分になってくる。まぁ、朝鮮問題を専攻するくらいだから、朝鮮人に肩入れしても不思議じゃない。でも、「日本によって植民地にされた傷は深い」なんていう解説はバカ丸出しだ。日本統治時代こそ、朝鮮史における唯一の黄金期である。「日本人に支配されたから朝鮮人は不幸を味わった」というのは真っ赤な嘘だ。日韓併合で得をしたのは朝鮮人の方であり、日本人は政府から税金を吸い取られ、嫌いな民族が「同胞」となった訳だから、それこそ大迷惑。我々の方が損害賠償を請求したくなる。

  それにしても、未だに「進歩的文化人」の残党が存在するなんて驚きだ。大畑教授の日本論は誠に香ばしく、アジア大陸の附属品たる朝鮮半島への同情が深い。でも、日本だと別。大畑氏曰わく、

  島国育ちの日本人は、いわゆるムラ意識が強く、一面的な見方に偏りがちです。自分の立場ではなく、相手がどう見ているかということを学ぶ教育が必要です。(「『日韓併合』に口をつむぐ日本人でいたくない」 2018年8月1日)

   この言葉はそっくり朝鮮人に返してやれ。朝鮮人こそ、偏頗な歴史観に凝り固まっており、歴史を捏造する常習犯じゃないか ! 大畑教授は学生に向かって「日本の近代史をしっかり学ぶように」と述べているが、大畑氏こそ「まともな日本史」を学ぶべきだ。

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(左 : アフリカ人と同じ風習を持つ朝鮮人  / 右 : 昔ながらの怠惰な朝鮮人 )

  彼らの他にも、明治大学には目眩がしそうな教授がゴマンといる。左翼教授の一人一人を批判すれば、一冊の本が出来てしまう。しかし、息子や娘を大学に通わせる親は、我が子が何を勉強し、どんな授業を受けているのかを知らないから本当に気の毒だ。もし、筆者が個々の教授について解説してやれば、「えぇっっ、そんな馬鹿な !! どうして非常識な人が教授になれるの?」と驚いてしまうだろう。そもそも、日本人は「学歴」や「身分」を取得するために大学に通っているので、講義の中身については関心が無い。つまり、四年間熱心に勉強しようが、サークル活動に夢中になろうが、“お構いなし”ということだ。ただし、頭が朱色かピンクに染まってしまうので、その知的障碍は一生続くことになる。

  昔、日本の食品業者が支那からクズ野菜を輸入して漬物にしていたことがある。ところが、あるケースでは夏場の港で放置されたから大変だった。コンテナに入っていた野菜は暑さで腐ってしまい、そのままでは商品とはならなかった。でも大丈夫。腐った野菜は漂白され、着色と味付けで立派な商品へと様変わり。事情を知らない消費者は、お金を払ってクズ野菜の漬物を食べていた。もし、お客が産地の支那や製造過程を知っていたら、絶対に購入しないだろう。大学教育も同じで、日本人は包装紙が綺麗なら、中身の商品も高級だと思ってしまう。残留農薬が基準値の300倍を越えるメロンでも、桐の箱に入っていれば高級メロンだ。まさか、1万円もする高級フルーツが毒物であるとは思わない。学校教育を公正中立と思っている親は、教師の政治思想や倫理観をよく調べてみることだ。自分の目と耳で検証すれば、ゾッとするような現実が見えてくるぞ。

  次回に続く。



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