非合法大統領に期待する大学教授

Joe Biden 82Trump 06







(左 : インチキで大統領職を手にした痴呆老人  / 右 : 窃盗事件の被害でホワイトハウスを去った大統領 )

  日本の大学はよく「象牙の塔」と呼ばれるが、どちらかと言えば、自立できない大人を収容する「保護施設」と評した方がいい。一般的に元高校生が進学する教育施設は「最高学府」と見なされる。だが、修士号や博士号を求める学生が通っている大学院ともなれば、実力社会で弾(はじ)かれる“出来損ない”とか、一般企業に採用されない“社会不適合者”の二軍ベンチとなりがちだ。そもそも、財界の企業経営者は口だけが達者の若者を雇いたがらない。もちろん、物理学とか生理学を専攻する大学院生は別。なぜなら、彼らは“国際競争”に晒される分野で勉強しており、素質や能力、そして学問的業績で評価されてしまうからだ。

Sergey Akhromeyev 001(左  / セルゲイ・アフロメーエフ )
  例えば、法学部と違い、化学を専攻する学生は世界共通の知識・素材を扱っているから、金属の比重を語っても「日本ではアルミ(Al : 2.7kg/㎤)が銀(Ag : 10.49kg/㎤)よりも重い」とは言わないし、「銅(Cu : 11.36kg/㎤)は米国で計ると金(Au : 19.32kg/㎤)よりも重くなる」と言うこともない。医学部の学生も同じだ。国別で外科手術の知識が違ったら大問題。ところが、歴史学とか政治学を専攻する者は、自分の都合や趣味、思想に合わせて事実を枉(ま)げるから、本当に信用ならない。ソ連が崩壊した時、社会主義体制の未来を語っていた進歩的文化人や、共産主義に憧れていた大学教授で自殺した者はいなかった。1991年の八月クーデタが失敗した後、かつてソ連軍の参謀総長を務めたセルゲイ・アフロメーエフ(Sergey F. Akhromeyev)元帥は、このままソ連の崩壊を見るに堪えないとして8月24日に自ら命を絶った。一方、東大でソ連を讃美していた和田春樹は、ソ連帝国が瓦解しても元気溌溂、別の反日活動に精力的だった。もしかしたら、「オロナミンC」でも飲んでいたのかなぁ~?

  それはともかく、慶應義塾大学も日本の学校なので、「文系」の教授には赤い人物が多い。それゆえ、彼らの言説を鵜呑みにするのは非常に危険だ。なるほど人命を扱う医学部は立派だが、社会学とか教育学、歴史学、法学、政治学、国際関係学といった学部は誠にいかがわしく、教師の「解釈」でどうにでもなるから、こんな連中は授業開始前に、嘘発見器や思想審査にかけた方がいい。一橋大学から慶應大学へ移ってきた竹中平蔵などは、経済学の“専門家”というよりも、外国勢力の仲介役となって儲ける“政商”だ。小泉政権や安倍政権で大臣や諮問委員になった名物教授は、菅政権になっても隠然とした権力を有している。何しろ、竹中が総務大臣の時、副大臣を務めていたのが菅義偉だ。元の部下が首相になった訳だから、色々な頼み事がしやすい。一方、「竹中の学者的能力はどうなんだ?」との疑問が湧いてくるが、彼の学問的“業績”を覗いてみると、これといった業績は無く、むしろおぞましい臭いがする。たぶん、竹中氏は自分の講義を取る学生が、佐々木実の『市場と権力』を読まないよう願っているはずだ。(竹中平蔵について話すと長くなるので、別の機会で述べたい。地上波テレビで明かされない彼の過去を知ると、なぜこの男が嫌われているのかがよく分かる。)

Nakayama 11(左  / 中山俊宏)
  総合政策部にも要注意人物の教員がいて、それがNHKやフジテレビで重宝される中山俊宏(やまなか・としひろ)教授だ。如何にも左巻きを旗印にした確信犯らしく、NHKは去年の11月7同日に『混迷 アメリカ大統領選挙』という特番を放送した。同局の制作者は慶應大学の渡辺靖(わたなべ・やすし)教授と中山教授をゲストに迎え、尻尾を摑まれないように、巧妙なトランプ批判をさせていた。アメリカの國體を理解しない三流学者だから仕方ないけど、中山氏は“不正投票”の疑惑が持ち上がった大統領選挙に触れ、トランプ大統領の方に「非」があるかのような発言を繰り返していた。彼はアメリカが訴訟社会であることを紹介し、選挙結果に異議を申し立てるトランプ大統領が、訴訟社会の悪い面を代表している、と非難する。曰わく、「トランプは選挙の正当性を始めから奪うことを目的としていおり」、そのためにトランプは訴訟を重ねていたそうである。中山氏は深刻な表情を浮かべ、トランプ大統領は「不正が明らかではないのに、事前に文句を言って、訴えることができるよう最初から仕込んでいた」、と。

  常識ある日本人なら、「いくらなんでも、こんな解釈は捩(ね)じ曲げすぎだろう」と思ってしまうが、「アメリカ政治の専門家」たる中山氏には一寸の迷いも無い。11月4日の開票作業で現れた、驚異的な“バイデン・ジャンプ”を目にすれば、誰の思考にも「不正の影」は明らかじゃないか。統計学や物理学を専攻する大学生なら、あの“急激”な投票数の増加を見て、「これは人為的な票の操作が起こったんじゃないか?」と怪しむだろう。おそらく、中山氏の講義を取る学生だって、インターネットに流れる情報を耳にすれば、「これは裏で何かあったぞ !」と気づくはずだ。NHKで中山教授の解説を聞いていた幾人かの学生は、こうした珍説に唖然とし、「えっっ~、マジで言ってるのかぁ~?」と絶句するかも・・・。まぁ、実力社会で通用しない人間が大学教授になっている訳だからしょうがない。けど、あれじゃあ、観ている方が恥ずかしくなる。慶應の学長を務めた故・加藤寛(かとう・かん)先生は、比較的まともで温厚な人物であったが、もし生きていれば苦笑していたことだろう。

  しかし、中山教授はバイデン陣営の露骨な不正行為を目にしても、未だに選挙の異常性に気づいていないようだ。むしろ、インチキで勝ったバイデンに期待を託し、アメリカを“正常”に戻す人物と評している。保守派の日本人は中山氏の解説を聞くと、「鳩山由紀夫みたいな奴だなぁ~」と思ってしまうが、ネジの外れた頭の持ち主というのは、所詮こんなものである。中山氏は大恐慌に取り組んだフランクリン・D・ローズヴェルトを引き合いに出し、大統領になったバイデンには武漢ウイルスや経済不況、人種問題、分断されたアメリカ社会の修復といった重い課題が課せられており、「まさにローズベルト級の政治手腕が要求されている」と述べていた。(「『オバマやトランプと違って…』アメリカ人が過去最多得票でバイデンを大統領に選んだ理由」、中山 俊宏 、文春オンライン、2021年01月21日)

  中山氏はCNNやABC、あるいはNHKやTBSしか観ていないのか、数々の不正で積み上げられたバイデン票に疑問を抱いていないのだ。あの「捨て駒」たるバイデンが、米国史上最高の8100万票を獲得したなんて、アメリカの左翼だって信じていないのに、中山氏は本当にバイデンが8千万票以上を獲得したと思っている。中山氏は世間の人々がトランプの人気ばかりに目を奪われ、バイデンの「歴史的得票数」に言及しないことに不満を募らせているようだ。

  大統領選挙の結果にいたっても、8100万票という歴史的な得票数であったにもかかわらず、トランプが7400万票の支持を得たことの方にむしろ注目が集まっている。しかし、下院で民主党は議席数を減らし、上院では最終的には多数党の地位を奪い返したものの期待したほどには議席数を伸ばせなかった(=民主党自体が大勝したわけではない)にもかかわらず、史上2位の得票数に達したトランプと700万票の差をつけて勝ったことの意味を見落としてはいないか。(上掲記事)

   中山氏はバイデンの「勝利」を力説しているようだが、事情を知っている一般の日本人は“専門家”の中山氏と違い、「庶民の良識」と「昔ながらの倫理」を有している。だから、巷の平民はバイデン陣営が仕組んだ「インチキ」の方に目を向けているのだ。ところが、名門大学で禄を食む中山氏は、別次元の世界に住んでいるのか、我々とはちょいと異なる御仁らしい。彼はトランプへの熱狂を斥け、バイデンが有する「普通さ」、すなわち「退屈」と変わらない「凡庸さ」を重視する。中山氏は言う。

  今回の選挙でわかりにくかったのは、なにをアメリカ人が選んだかという点である。たしかに「熱狂度」では常にトランプが優っていた。しかし、仮にアメリカが「普通であること」を新しい大統領に期待していたのだと仮定すると、バイデンの勝利の意味がよりはっきりと見えてくる。(上掲記事)

  さぁ~すが、偉い先生は観ている角度が違うようだ。しかし、日本の庶民は「でもさぁ~」と口答えしたくなるぞ。中山氏はバイデンを「超人気の大統領」と思っているが、保守的なアメリカ国民は冷めており、「あの老人に何が出来るんだ?」といった侮蔑感さえ持っている。それでも、慶應義塾の碩学は怯まない。中山氏はバイデンの「普通さ」に魅力を感じているそうだ。


  仮に本当にアメリカが「普通であること」を大統領に求めていたのだとすると、実は期せずして民主党は最強の候補を選んでいたということになる。「普通」というのが、あまりにも曖昧であるならば、それを「decency(良識)」と言い換えてもいいだろう。「普通であること」は定義上、熱狂的支持とは無縁だろう。であるがゆえに、選挙中はバイデンの「平板さ」が際立ち、どうもパッとしない候補という印象が定着してしまった。しかし、それこそが彼の強みだったという見方もありうる。(上掲記事)

  日本の一般人は中山氏の記述を読んで、「バイデンが最強の候補?! おい、何考えてんだ ?」とビックリ仰天するだろうが、この専門家は真剣にそう考えているようだ。今回の大統領選挙に興味を持った日本人なら、「在日米軍の士官や将校は、本当にお気の毒だねぇ~。事もあろうに、ボケ老人が最高司令官になっちまったんだからさぁ~」と憐れむだろう。でも、中山教授は一顧だにしない。彼はバイデンの使命を見出し、「アメリカン・デモクラシーの実存的脅威」であったトランプを斥けた、と高く評価しているのだ。

  ・・・バイデンになにも期待できないかといえば、実はそうではない。その期待の核心にあるのは、バイデンがなによりも「政治好き」だということである。バイデンは1972年の議会選挙でわずか29歳で上院議員に当選、以来2009年に副大統領に就任するまで、政治一筋で生きてきた。その間、大統領選挙に2度出馬している。今回は3度目のチャレンジだった。副大統領として8年を勤め上げた後、もう引退だろうと思いきや、76歳にして大統領を目指すと決断する。こうしたキャリアを自ら選択してきた人が「政治嫌い」なわけはない。(上掲記事)

  将棋界のレジェンド、加藤一二三(かとう・ひふみ)先生じゃないけど、「ひやぁぁぁ~」と叫びたくなる。「政治好きの議員だからバイデンに期待する」とは、一体どんな発想なんだ? 確かに、バイデンの政治人生はかなり長いけど、それは全米からデラウェア州に集まる裏金を管理していたからで、何回も再選されたのは、バイデンが殊さら“有能”だったからではない。自民党の二階俊博を観れば判る通り、特殊利権の守護神はどんな苦戦があっても、最後には当選するようになっている。しかも、「北京政府のバックアップ附」で。

  中山氏はトランプとオバマに言及し、両名の「政治嫌い」とバイデンの「政治好き」を対比していた。

  オバマは、「あるべき世界」について語り、アメリカが歩むべき方向性を提示することには長けていたが、実際にその歩んでいく道を舗装したり、そのために予算を確保したりする「政治」にはあまり強い関心を持たなかった。トランプは、政治が「トランプ・ショー」である限りにおいては、強い関心を寄せたが、スポットライトが消えると一切関心を失った。政策への関心もほぼないといっていい。この二人とバイデンを比較すると、バイデンは明らかに「政治好き」だ。それはバイデンが古き良き上院の文化の中で政治家として育ってきたこととも無関係ではない。(上掲記事)

  へぇぇ~、あのボケ老人は「古き良き上院の文化」で育ってきたのか ! 筆者は「“腐敗臭が充満するワシントンの沼”にずっと棲息していた銭ゲバ」かと思っていた。中山氏の政治分析によると、アメリカの政界には相手と妥協せず、自分の考えばかりを主張する政治家が多そうで、バイデンは珍しく「妥協や譲歩を重ねながら問題を解決する」タイプであるらしい。しかし、バイデン政権下では全ての問題が解決するような答えが提示されるのではなく、政治の「ドラマ性」が奪われ、政治が退屈なものになっていくそうだ。それでも、中山氏はバイデンの姿勢を評価する。

  しかし、元来政治とはそういうものではないか。政治空間においては、そもそもあらゆる問題が解決されるわけではないし、そもそもそうしたものが目標として設定されるべきではない。(上掲記事)

  中山氏によると、オバマ政権やトランプ政権の下では「政治が過剰に劇場化し、その結果、人々が全人格的にそこに自らを投入し、本来の政治のかたちをかなり歪めてしまった」そうである。だが、バイデン政権はこれに終止符を打つ。

  ・・・・バイデンにできることがあるとしたら、それは政治をもう一度「退屈」なものにして、会話ができる状態を作りだすことではないか。この役割は、オバマにもトランプにも絶対に担えない。それは、いまこの瞬間にはバイデンしかできないことだ。(上掲記事)

  うわぁぁぁ~、「バイデンにしか出来ない退屈な政治」だって ! 「物は言い様」というが、さぁ~すが、有名大学の大先生というのは違うねぇ~。低学歴の庶民とは大違いだ。中山先生はこう仰る。

   おそらくアメリカ人がバイデンに求めたのは、トランプを糾弾して政治的に葬り去ることではない。それは、また新たな政治的憎悪のサイクルを生むだけである。むしろ、アメリカがバイデンに求めたのは、普通であることを復権させること、そしてそのことに対する強い支持が、バイデンの勝利の背景にあると考えた方が、「バイデンという選択」の意味がよく見えてくるのではないか。(上掲記事)

  数千万人のアメリカ国民が求めたものは、「普通の政治を復権させる」ことなんだって ! こりゃ驚きだ ! 早速、「Newsmax」や「One American News」のキャスターに教えてあげなきゃ ! 今、アメリカの政界に必要なのは、過熱した政治劇を一旦冷却し、もう一度“退屈”な政治に戻すこと、なんだって。なるほど、筆者は気がつかなかった。中山氏によると、アメリカの警官や軍人が、文字通り「背を向ける」バイデンであっても、「退屈」で「普通」の政治を行えば、歴史に残る大統領になるらしい。中山教授曰わく、


  これができれば、78歳にして熱狂度ゼロで国民に選ばれたバイデンは、期せずして歴史に痕跡を残す、いまこの時代に必要不可欠な大統領として記憶されることになるかもしれない。(上掲記事)

  いやぁぁ~、畏(おそ)れ入りました。お葬式のような就任式を敢行した偽大統領が、熱狂ゼロの国民に支持されて、歴史に名を残す偉大な大統領になるなんて、筆者には想像もつかない。中山氏は「政権発足だからこそ、バイデンの可能性に目を向けることに意味があるのではないだろうか」と述べるが、現実のアメリカ人は既にバイデンを見限っており、誰もバイデンの「可能性」なんかに期待していないぞ。むしろ、井戸端会議で「いつカマラ・ハリスに大統領職を禅譲するんだ?」とヒソヒソ話に花を咲かせている。民衆党の議員だって次の中間選挙や2024年の大統領選挙に目を向けているそうだ。でも、あの老人が「選挙の顔」になったら、民衆党の下院議員は軒並み落選だろう。

  まぁ、文系の大学教授に文句を言ってもしょうがないけど、この程度の認識力と判断力で「アメリカ政治の専門家」を自称するなんて、私学助成金の配布を考え直した方がいいんじゃないか。確かに、我が国の大学では縁故昇進や同族採用が横行しているので、碌でなしの教師が多い。何しろ、学術論文の「質(quality / 内容)」じゃなくて、クズ論文の「量(quantity / 枚数)」で教授への昇格が決まるんだから。我が国の大学は本当に異常だ。赤い活動家は正教授となって余裕の生活を楽しみ、どんなことがあってもクビにならない。終身雇用に守られたピンク教授も、日本社会の恩恵を受けながら反日宣伝を繰り返し、いつかやって来る「國體破壊の夢」を毎日見ている。

  世間のオッちゃんやオバちゃん等は、「大学教授って気楽な商売よねぇ~」と小馬鹿にするけど、そもそも中山氏の授業を取っている学生、あるいは優秀な教え子のうち、いったい何割が「アメリカ政治の専門家」になるんだ? 板前や大工を目指す若者なら、自分の師匠となる人物をよぉ~く見極めてから、「弟子にしてください ! 願いします !」と頭を下げるが、普通の大学生は卒業単位を揃えるために退屈な授業を受けるだけ。入社試験の面接係は卒業論文の「質」なんて調べないし、卒業証書に至っては、「四年間の授業料を収めました」という領収書ていど。したがって、いかにアホな講義を受けてもお構いなし。中山教授には悪いけど、アメリカ政治の授業なんてカルチャー・センターの市民講座と同じである。暇なオバちゃんたちがいくら熱心に聴講したって、一流の学者になるわけじゃない。せいぜい、「教養人」にでもなった気分を味わうだけだ。

  良識を備えた日本人なら分かるけど、自信満々の大学教授に向かって、いくら反論を加えても無駄である。華麗な学歴だけが「唯一の誇り」となっている人物には、実力社会の厳しさは解らない。だいたい、論文の善し悪しで降格や解雇になる教授っているのか? 実力制度が徹底している将棋界では、たとえ九段のベテラン棋士でも、「読み」の力が衰えれば、A級からB級へ転落し、やがてC級の順位戦でもがき苦しむ破目になる。実力で身分が変わってしまう世界は、本当に辛くて厳しい。十億円者資金を動かすファンド・マネージャーはもとより、個人商店を営むオッちゃんだって、市場や世間の動向を慎重に見極め、日々危険な商売に励んでいる。判断を誤れば「即倒産」というリスクを抱えている人物と、恩給が保障された大学教授とでは月とスッポン、最初から話にならない。「乞食と教師は三日やったら辞められない」というけど、案外本当なのかも知れないね。 




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