支那人の卑史 朝鮮人の痴史 教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 [ 黒木 頼景 ]
支那人の卑史 朝鮮人の痴史 教科書に載せて全日本人に知らせたい現代史 [ 黒木 頼景 ]

福島香織の缼点(けってん)とは?

Fukushima Kaori 11(左  / 福島香織)
  1月12日、チャンネル桜が『東アジアは米中の戦場となるのか?』という討論番組を公開した。この討論会には、産経新聞社に勤めていた福島香織がゲスト・コメンテーターとして出演しており、北京政府の謀略やアメリカの対応などについて様々な意見を述べていた。支那問題に精通する福島氏によれば、北京政府に対抗するには、反共の支那人、あるいは北京政府と対立する海外華僑から情報を得ることが重要で、そうした人脈や情報源を持たない日本政府は北京政府に勝てないという。なぜなら、謀略や諜報戦にかけては支那人の方が遙かに上手(うらて)であるからだ。お花畑に住む日本人はナイーヴ過ぎて翻弄されるだけ。福島氏曰く、支那人を一番知っているのは支那人。ゆえに、反共の支那人を抱え込まない限り、日本人の勝機は無いという。

  支那通の福島氏は保守派からの反発を覚悟の上で、支那人の亡命者や留学生の受け容れを提案し、日本政府は彼らから情報を得るべきだ、と力説する。確かに、外務官僚が魑魅魍魎の支那社会に潜入し、北京政府の内情を探るなんて無理。必ず、支那人の協力者や有力者の助けが必要だ。だから、もし日本の外政担当者が共産党内部の権力闘争を焚きつけ、北京政府の弱体化を図るなら、海外へ逃げ出した亡命者や豪商、歐米に住み着いたビジネスマン、および共産党政権を嫌う留学生を受け容れ、彼らから内部情報を入手した方がいい。つまり、「支那人のことは支那人に訊け !」ということだ。支那人ゆえに支那人の手口が判るんだろう。特に、大口のビジネスを手掛ける華僑は貴重な存在で、彼らは色々な人脈からもたらされる極秘情報を握っているので、味方にすると頼もしい。それに、北京政府への嫌悪感も相当強いから、アメリカ人に協力する人も出てくる。

  しかし、だからといって日本が支那人の亡命者や商売人、留学生を受け容れるべきなのか? これは諸刃の剣である。なるほど、北京政府の工作員に対抗するには、反共支那人の人脈や協力は欠かせない。空き巣対策を講じる警察だって、防犯の為に元空き巣を「アドヴァイザー」として雇い、彼らから狙われやすい民家の特徴や、侵入手口の基礎を学んだりする。ハッキング対策だって、パソコン・オタクの新米警官より、犯罪を楽しむ元ハッカーの方が適任だ。ただし、こうした協力者はごく僅かに留めるべきで、いくらなんでも警察が10万人の元犯罪者を雇うのは危険である。もし、悪質なハッカーを退治するために、千人のハッカーを各省庁に派遣したら、どんな不始末が起きるか分からない。中には役所の機密情報を盗む奴も出てくる。もっと怖いのは、ハッキングの痕跡を残さず、外国勢力のスパイになってしまう連中だ。したがって、知能犯の協力者は出来るだけ少人数に限定し、24時間の監視を怠ってはならない。

  となれば、我々は「反共」だからといって、支那人を受け容れるべきなのか? これは非常に危険な提案だ。なるほど、共産主義が嫌いで米国や日本に逃れてくる“善良”な支那人も、少しはいるだろう。しかし、その数が、10人、100人、1000人と増えてくれば、「利益」よりも「弊害」の方が上回ってくる。福島氏は「共産支那に打ち勝つため、是非とも支那人の協力が必要だ」と主張する。が、仮に北京政府が倒れたとしても、あの支那大陸が良くなることはない。 もし、習近平が失脚し、別の指導者も倒れ、最終的に共産党が壊滅しても、あの暗黒大陸には「支那人」が残っている。この民族が存続する限り、あの大陸には絶望しかない。日本のような“素晴らしい”国家を期待するのは、イエズス・キリストの奇蹟を10回臨むことより難しい。この救世主が出来たのは、せいぜい水を酒に変えることや、不具の人々を治すことくらいだった。いくらイエズス様でも、ユダヤ人を日本人に変えることは不可能である。それはともかく、たとえ共産党政権が崩壊しても、支那大陸に明るい未来は無い。どうせ、北京政府が打倒されても、代わりに誕生するのは、「デモクラシー」を掲げるマフィア政権くらいだ。

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(左 : アメリカに住み着く現在の支那人  / 右 : 北米に移住した昔の支那人 )

  ということで、支那人は排除するのが一番。仮に共産支那の脅威が去っても、米国や日本には支那人が居続けるので、「支那人の害悪」が根絶されることはない。むしろ、潜在的な「支那人の脅威」は増すことになるだろう。なるほど、一党独裁を嫌って逃げ出した第1世代はいい。彼らは西歐風の自由主義や民衆政治を称讃するだろう。辛い経験を経た第1世代は、共産主義に戻る事はない。しかし、その子供である2世や孫の3世になれば別である。彼らは北京政府を唾棄した両親や祖父母と違い、亡命先の現地人に対し民族的な憎しみを抱く。風習や容姿が違う支那人は、学校や職場で疎外感を味わい、白人に対する反発心を強めてしまうのだ。

  支那人というのは、米国や日本へ移住したからといって、「アメリカ人」や「日本人」になれる訳じゃない。「国籍」というのは単なる紙切れである。帰化申請は血と肉を変える手続きではない。支那人は何年経っても“支那人のまま”である。日系日本人は暢気な民族だから気づかないが、支那人の貿易商とか留学生、および「出稼ぎ人」たる研修生が流入すれば、それはやがて濁流の津波となり、日本各地に支那人街が溢れてしまう。こうなりゃ、日本の美しい風景は台無しになり、下品で不愉快なエイリアンが闊歩するドヤ街が普通となる。まるで、ソドムとゴモラが蘇ったような光景となるはずだ。

ハブを狙わないマングース

Mangoose 2(左  / マングース )
  異人種の輸入は誠に危険で、原住民の減少・滅亡に繋がりかねない。これはマングースの輸入を実施した沖縄県を見れば明らかだ。昔、沖縄ではハブがウヨウヨいたらしい。とりわけ、サトウキビ畑などで働く住民は警戒したそうで、運の悪い人は猛毒のハブに噛まれたという。この毒牙にかかった者は、吐き気や動悸、血圧の上昇、呼吸困難といった症状に見舞われてしまい、アナフィラキシ反応(anaphylaxis shock)で苦しむ破目になる。最悪の場合、死亡するケースもあったらしい。そこで、東京大学で動物学を専攻する渡瀬庄三郎(わたせ・しょうざぶろう)教授が、インドのガンジス川流域に棲息するマングースを輸入し、沖縄に放ったそうだ。なぜなら、当時、マングースはハブを捕食すると考えられたからである。昭和時代に生まれ育った日本人なら覚えているだろう。よく娯楽番組で「ハブ対マングースの戦い」といった企画があり、それを観た子供達は「すげぇぇ~、マングースがハブをやっつけだぞ !」と大はしゃぎ。まるで「ガメラ対ゴジラ」の死闘を観ているようだった。

  ところが、沖縄県では“予期せぬ”事態が進行していた。何と、ハブを駆逐するはずのマングースが、大切にされる「キリボリトカゲ」とか「アマミノクロウサギ」、「ヤンバルクイナ」といった稀少動物を食べていたのだ。これには役人や専門家もビックリ仰天。唖然として、顔面蒼白だった。でも、これは当然である。腹ぺこのマングースにとったら、わざわざ厄介な蛇を狙って苦労することはない。自然豊かな沖縄には、簡単に餌食となる兎や鳥がいっぱい居るんだから、そっちの方を襲った方が楽じゃないか。インド産のマングースは、濠洲のシープドッグ(牧羊犬)じゃないんだぞ。渡瀬教授の指示に従ってハブ退治なんかする訳ないだろう。結局、環境庁の役人は税金を使って「マングースの捕獲」をする破目に・・・。これじゃあ、何のためにマングースを輸入したのか分からない。

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(左 : ハブ /  右 : ヤンバルクイナ)

  しかし、もっと恐ろしいのは「民主党の国会議員」で、こっちの方が遙かに危険であった。彼らは「事業仕分け」という名の下に、マングース退治の予算を削ろうとしたのだ。せっかく、罠を仕掛けてマングースを減らしてきたのに、ここで駆除を中止すれば、取り逃がしたマングースが再び繁殖し、有害動物の増加になってしまう。幸運にも予算の確保が出来たのでマングース退治は継続されたけど、もしあの時、予算が削減されていたら、沖縄に棲息する原生物はどうなっていたことか ! おそらく、飛べない「ヤンバルクイナ」は絶滅していたかも知れないぞ。他の貴重動物たって、どうなっていたことか。外来生物の安易な輸入は、予期せぬ弊害をもたらす。

  日本の大学に棲息する支那学者(or追随者)や人権派弁護士は、「マングースと支那人を一緒にするとは何事だ !」と激怒するが、実際の支那人を目で確認してみろ ! アメリカのみならず、支那人が蝟集するブリテン、カナダ、オーストラリアは、同質的なコミュニテイーを破壊され、「静かな侵掠」で腐敗の極地だ。裕福なアングロ・サクソン人は支那人を避け、この賤民がが近寄れない高級住宅地か郊外に移り住んでいる。ある者は森の中に邸宅を築き、別の者は要塞の如きゲーテド・コミュニティーに自宅を構えている。西歐世界の白人は、たとえ「反共」でも支那人が大嫌い。まともな西歐人なら支那人とは混血せず、交友関係すら持たないだろう。もし、自分の娘が支那人と結婚し、生まれてくる孫が支那人じゃ厭になる。支那人の父親を持つ子供は、自分を西歐人とは思わず、「支那人の変種」か「落ちぶれた白人」としか思わない。混血児に国境や国籍を憎む者が多いのは、幼い時に「異人種の壁」を体験するからだ。

  水島総社長との会話で福島氏は、共産党を支持する者、あるいはそれと癒着するの支那人と、北京政府に叛旗を翻す支那人を区別していた。彼女は支那人を一色単にして排斥することに反対する。だが、本心は違うのかも知れない。なぜなら、彼女は支那人を情報源にしているから、支那人への批判を意図的に避けていた、とも考えられる。もしかすると、福島氏は日本に住む支那人の友達か、外国で暮らす華僑や留学生を情報提供者にしているんじゃないか。それゆえ、福島しは「支那人の本質」を剔ることができないんだろう。もし、自分が親しくする友人を敵に廻せば、貴重な情報が入ってこないし、せっかく築いた人脈すら危うくなる。だから、「善い支那人」と「悪い支那人」を選別しているんだろう。でも、一般の日本人にしたら、善い支那人も悪い支那人も同じで、「昔ながらの支那人」だ。支那人を受け容れることは、将来に禍根を残す失政となる。

  日本人の缼点は冷酷になれないことだ。支那人というのは地球上で最悪な民族。支那大陸では何が起ころうとも「最悪」にはならない。なぜなら、常に殺戮、強盗、詐欺、掠奪、陰謀、疫病が蔓延(はびこ)っているからだ。支那人はどんな事態になろうとも、「いつもの災禍」と思っている。彼らは日本人のように絶望しないし、どんな屈辱にも耐えうる。「生き恥を曝すくらいなら、いっそ死んでしまいたい !」と思うのは、「恥の文化」を持つ日本人だけ。他人の面前で尻をまくり、ビリビリっと脱糞できる支那人とは根本的に違うのだ。日本人女性で「ニーハオ・トイレ」に入れる者はいるのか? (支那人の便所事情については拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』で論じたので、111頁の「尻を隠せない支那のトイレ」を参照。) 筆者の言うことを信じられない人は、支那人街に行って公衆便所を使ってみればいい。

  歐米諸国は「学問分野で有能だから」とか「難民で可哀想だから」と言って、支那人やユダヤ人を大量に迎え入れた。しかし、その結果はどうなったのか? 誰も「素晴らしい外国人」と思わず、むしろ「穢らわしい異人種」と毛嫌いし、「不愉快なエイリアンども !」といった感情を抱いている。安易に外来種を輸入すると思わぬ副作用や弊害に苦しむ。行政官や政治家は、もっと冷徹な反論に耳を傾けるべきだ。一般の日系日本人は「後悔」という言葉を忘れているのだろう。「支那人を排除すべし !」と呼びかける同胞を「差別主義者」として排除するなんておかしい。でも、こうした人々でさえ、支那大陸からの外来種が近所に定着すると豹変する。彼らは前言を翻し、「支那人は出て行け !」と叫んでしまうのだ。結局、日本人には言葉による理屈より、体験という授業の方が効果的なのかもね。



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