過激な黒人運動

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(左 : 街に放火する黒人  /  右 : 商店を掠奪する黒人)

  今や日本と同じく、歐米諸国はジョージ・オーウェルが描いた『1984年』の世界になっているようだ。嘗ては経済的に豊かで言論の自由が保障された西歐でも、巨大企業が「ビッグ・ブラザー」となり、人々の「自由」を奪っている。さらに、それを補完するかのように、主流メディアが「真理省」と化して「新言語(Newspeak)」とやらを駆使するから、この弊害は益々悪化する。哀しいことだが、物事の判断力に欠け、情報の質を見極められない大衆は、新たな思考を植え付けられても、それに気づかない。たとえ、それに気づいて反抗する者がいたとしても、「右翼」とか「白人至上主義者」などのレッテルを貼られ、社会的に抹殺されてしまうのがオチだ。

  この新たな言語空間では、従来の価値観が逆さまになり、異常なフレーズが真となる。例えば「戦争は平和である(War is Peace.)」とか、「自由は隷属(Freedom is Slavery.)」なり、「無智は力なり(Ignorance is Strength.)」といった具合だ。もし、「こんなのは出鱈目だ !」と反論する奴がいれば、即「思想警察(Thought Police)」が現れて何処かへ連行され、闇から闇へと葬り去られる。それゆえ、人々は「ビッグ・ブラザー」の「監視」と「検閲」を恐れ、「幸せ」であるかのように振る舞い、羊のように「沈黙」を貫こうとする。もちろん、こんな社会は極端で非現実的だが、今の趨勢はこの方向に進んでいるようだ。

Petter Eide 5(左  / ピーター・イード )
  こうした“日常化した異常性”を示すのが、BLM(黒人の命も大切だ運動)を「ノーベル平和賞」の候補にしようとする動きである。普通の日本人が耳にすれば、「まさか、そんなアホな ! いくら何でも有り得ない !」と思ってしまうが、西歐社会には高学歴のクルクルパーがゴマンと居るので、“非常識”な提案を平気で行う者が少なくない。その一人が、ノルウェーの国会議員であるピーター・イード(Petter Eide)氏だ。この議員によれば、BLMの運動員は人種的不平等を撲滅すべく、白人社会に根強く残っている不正義と戦っているそうだ。そして、彼らはこうした運動を通して世界中の人々の意識を覚醒させ、人種主義に基づく不正を認識させたという。だから、こうした「功績」により、BLMは2021年の受賞に相応しいそうだ。(Martin Belam, "Black Lives Matter movement nominated for Nobel peace prize", The Guardian, 29 January 2021.)  

  正常な日本人なら、「おい、こいつ頭がおかしいんじゃねぇか?」と眉を顰めるが、イード氏は全然そう思ってはいない。彼は自分の発想に疑いを抱いておらず、むしろ「当然」といった考えの持ち主である。というのも、この御仁、左派社会党(SV)に属する筋金入りの極左で、黒人の暴動や掠奪なんて眼中に無い。日本的感覚だと、呆れてモノが言えないが、骨の髄までリベラル思想に染まっている人物というのは実に厄介だ。イード氏のやる事なす事、いかにも「左翼」といった感じである。例えば、彼は困っている人に食料や医薬品を配る「CARE(Cooperative for Assistance and Relief Everywhere)」という団体に属していたし、以前はノルウェーにある「アムネスティー・インターナショナル(Amnesty International)」の支局で総書記を務めていたのだ。

  こんな経歴なので、イード議員はゴリゴリの人権派である。彼は全人代の常務委員長である栗戦書(りつ・せんしょ)がノルウェーを公式訪問した際、黄色いTシャツを着込んで、議会の前で抗議活動を行ったという。そのシャツには「自由」という漢字が書かれていたから、おそらく香港で弾圧されている民主活動家を支援する意図があったんじゃないか。でも、それなら「テロリストのようなBLMの連中はどうなんだ?」と訊きたくなる。商店街のオッちゃんやオバちゃん達は、自分の店が滅茶苦茶になって困っているし、平穏な暮らしを望む白人は怯えながら家に閉じこもっていた。左翼活動家や人権派議員というのは、矢鱈と黒人に甘く、掠奪や放火、器物損壊よりも高邁な理想の方に目を向けようとする。

  それにしても、なぜ北歐諸国では、こうも左翼思想が蔓延しているのか? 一般的に教育水準が高いのに、矢鱈と馬鹿が多い。スウェーデンやデンマークでもリベラル派が優勢で、アフリカ人やアジア人の移民・難民を大歓迎。国内が人種で分裂し、社会秩序がズタズタになってもお構いなし。今やスカンジナヴィア半島はバルカン半島と瓜二つ。さすがに一部の国民は危機感を感じてリベラル主義の悪弊に声を上げている。でも、社会主義者やピンク左翼には馬耳東風で、差別主義者の戯言(たわごと)にしか思っていないのだ。豊かな社会では、高学歴の偽善者は「天使ごっこ」を趣味とするので、愚行の結果を真剣に考えることはない。たとえ、巷(ちまた)で殺人や強盗が増加しても、そんなのは貧乏庶民が暮らす地域での「問題」である。高級住宅地に住む上級国民(専門技術者、知識人、政治家、医者、弁護士など)にしたら、単なる「対岸の火事」に過ぎない。黒人暴徒は繁華街から数百マイル離れた田園地帯に行かないし、要塞の如き豪邸に近づくこともできないから、お偉方は高みの見物である。

碌でもない連中がもらう栄誉

  そもそも、「ノーベル平和賞」なんて代物は、左翼陣営が独占するアカデミー賞みたいなものだ。過去の受賞者を目にすれば判るけど、どいつもこいつも「碌でなし」ばかりだ。ちょっと思い出してみれば、“いかがわしい”連中が直ぐ思い浮かぶじゃないか。例えば、あのキング牧師。日本の中学や高校では、黒人指導者のマーティン・ルーサー・キング(Martin Luther King, Jr.)を「立派な人物」と教えているが、私生活では二枚舌の「エロ親爺」であった。この黒人牧師は表の顔で“敬虔なキリスト教徒”を演じていたが、裏に廻ると“セックス・マニア”であったらしい。聖書によれば姦通は「罪」となるが、既婚者のキング牧師には40名もの愛人がいたそうだ。どうしてバレたかと言えば、当時、キング牧師を共産主義者と怪しんでいたFBIのフーヴァー長官が、腕利きの部下を動員してキングの盗聴を命じたからだ。そして、近年、FBIの情報が公開されてしまい、黒人が崇めてきた聖者の仮面が剝がれてしまったのである。(Bill Bostock, "Sealed FBIaudio tapes allege Martin Luther King Jr. had affairs with 40 women and watched while a friend raped a woman , a report claims", Business Insider, May 28, 2019.)

MLK 003(左  / マーティン・ルーサー・キング )
  日本の学校教師はアメリカ左翼のプロパガンダに酔っているのか、自分の生徒にキング牧師の英雄伝を語っている。暢気な教師だと、有名な演説となった「I Have a Dream」を子供に暗唱させたりするが、この偉人が実際に何をしていたのかを伝えることはない。1963年8月28日、キング牧師に率いられた約25万人の黒人は、かの有名な「ワシントン行進」に参加したが、その前日、キング牧師はセックス・パーティーを開こうとしていたのだ。司法長官のロバート・ケネディーよれば、キング牧師は女たちを集めて、乱交パーティー(orgy)を催したという。当時、ジャクリーヌ・ケネディー夫人は義弟のから、この忌まわしい話を聞いており、彼女はキング牧師の写真を見る度に破廉恥パーティーのことを思い出したそうだ。("Sex tapes, FBI smears and the trouble life of an all too human saint", Daily Mail, 30 August 2013.)  キング牧師の不貞行為とセックス中毒に関しては、彼の後継者であるラルフ・アバナシー(Ralph Abernathy)牧師も認めているから、本当のことなんだろう。

  さらに驚くのは、キング牧師の伝記作家であるテイラー・ブランチ(Taylor Branch)による暴露話だ。1964年、キング牧師は「ノーベル平和賞」を授与されるが、その賞をもらいにノルウェーのオスロへ行った時のこと。彼の取り巻き連中は、宿泊中のホテル内で半裸同然の売春婦を追いかけ回していた、というのだ。ブランチはまた、キング牧師がワシントンD.C.のホテルに泊まっていた時の情事にも言及していた。FBIが盗聴しているとも知らずに、キング牧師は浮気相手とセックスに夢中で、エロ行為の本番中に「俺は神のためにファックしているんだ !  今夜の俺は黒ん坊じゃないぞ! (I'm fucking for God ! I'm no a negro tonight !)」と叫んでいたという。これは日教組の教師のみならず、先生の話をジッと聞いていた生徒にも相当なショックだ。B級ポルノ映画じゃあるまいし、黒人のオッさんが愛人を相手に勇ましい言葉を投げかけるなんて、身内じゃなくても聞いていて恥ずかしい。

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(左 :  キング牧師  / 中央 : ネルソン・マンデラ / 右 : バラク・フセイン・オバマ  )

  しかし、他の黒人受賞者を目にすれば、「平和賞なんてタバコの吸い殻」程度と判るはず。何しろ、1993年にはKGBの手下であったネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)がもらっているし、2009年になると赤い黒人のバラク・フセイン・オバマがもらっているんだから。一般の日本人はオバマ大統領を平和主義者のように思っているが、この「ならず者」は白人を心底憎むマルキストであった。ただし、オバマは計画経済とかマルクス・レーニン主義の教義には関心が無い。オバマを始めとする黒人にとって魅力的なのは、既存の政治体制とか伝統的社会を根底から覆そうとする破壊精神だ。事実、オバマが目を輝かせるのは、人種問題が話題になった時だけで、小難しい金融取引や財政問題、エネルギー政策、軍事戦略になると急にトーンが落ちてくる。やはり、知識が無いことを自覚しているんだろう。

  黒人は自分の矛盾に気づかず、歪んだ精神を持っている。彼らは白人を嫌っているけど、意地でも白人社会にかじりつく。なぜなら、黒人は自ら素晴らしい社会を築くことが出来ない、と解っているからだ。それゆえ、あらゆる面で白人に頼ろうとする。もし、本当に白人が嫌いなら、白人国家で文句を垂れていないで、さっさと同胞が暮らすアフリカに戻り、楽しい同族国家を建設すればいいじゃないか。それなのに、どうしてアメリカの黒人はいつも白人に要求してばかりなのか? 「黒人奴隷の子孫」と称するアフロ・アメリカ人は、能力も無いくせに、「もっと黒人を要職につけろ !」と要求し、国務長官とか陸軍長官になったりする。しかし、その周りには白人の補佐官が存在し、彼らが実質的な業務を担当するのが一般的だ。だいたい、黒人ばかりの役所なんて信用ならず、どんな失敗が発生するか判らないし、適切な能力を有する職員が集まるとも限らない。

  「ノーベル平和賞」は黒人ばかりじゃなく、ユダヤ人にもしばしば与えられる。1973年には毛沢東の支那へ渡って密約を交わしたヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)が受賞し、1978年にはテロ集団である「ハガナ(Haganah)」に属していたメナヘム・ベギン(Menachem Begin)元首相が貰っている。1994年には中東和平に貢献したとして、パレスチナ人のテロリストを率いていたヤセル・アラファト(Yasser Arafat)、そして同時に、イスラエルの国防大臣から首相となったイツァク・ラビン(Yitzak Rabin)、後にイスラエルの首相と大統領になったシモン・ペレス(Shimon Peres)が貰っていた。1995年11月に極右ユダヤ人のイガル・アミール(Yigal Amir)に暗殺されたラビンは、元々「ハガナ」の戦闘部隊である「パルマッハ(Palmach)」に属していたが、日本人で彼の経歴を知る者は少ない。ペレスも「ハガナ」出身の政治家で、この「ハガナ」はブリテンの委任統治に反対し、武装蜂起を起こしていたことで有名だ。イスラエルにはテロ活動に加わった経歴を持つ政治家が意外と多い。

Menachem Begin 01Yasser Arafat 2Yizhak Rabin 001Shimon Peres 01








(左 : メナヘム・ベギン / ヤセル・アラファト / イツァク・ラビン / 右 : シモン・ペレス )

  ユダヤ人は民族的結束を以て不動の地位を築こうとする。ユダヤ人は「同胞愛」が人一倍強いのか、仲間同士で助け合いながら出世を果たす。最近、高名な弁護士でハーヴァード大学の教授を務めたアラン・ダーショウィッツ(Alan Dershowitz)が、ジャレッド・クシュナー(Jared Kushner)とアブラム・バーコウィッツ(Avrahm Berkowitz)を「ノーベル平和賞」に推薦した。(Dominick Mastrangelo, "Alan Dershowitz nominates Kushner, aid for Nobel Peace Prize", The Hill, February 1, 2021.) 皆様ご存じ、クシュナーはトランプ大統領の娘婿で、女房のイヴァンカをユダヤ教徒にしたアシュケナージ系のユダヤ人。バーコウィッツもユダヤ教徒で、トランプ政権に入る前は「クシュナー・カンパニーズ」に雇われていた弁護士だ。ダーショウィッツによれば、この二人はイスラエルとアラブ諸国の外交関係を改善したから、受賞に値する功績があるという。ホント、ユダヤ人は仲間を褒めるのがとても上手い。

Henry Kissinger 2Alan Dershowitz 1Avi Berkowitz 01Jared Kushner 2







(左 : ヘンリー・キッシンジャー  / アラン・ダーショウィッツ  / アブラム・バーコウィッツ  / 右 : ジャレッド・クシュナー )

  日本の一般人は「ノーベル賞」を過大評価しているけど、それは自然科学の分野だけで、「平和賞」や「文学賞」なんて、見るからに胡散臭い。以前、大江健三郎が「文学賞」とやらを貰ったが、いったい誰がノーベル委員会に推薦したのか? もし、外国人であるとすれば、英語訳の小説で判断したはずだから、原書がどんなものか知らなかった可能性がある。それにしても、日本人が日本語で読んでも難解なのに、よく「素晴らしい」と分かったものだ。大江にとって大先輩にあたる小林秀雄は、しょうがないから大江の小説を読んでみたという。しかし、あまりにも酷いので「こんなのは小説じゃない !」と吐き捨てたそうだ。ところが、日本語を理解しない外国人はなぜか称讃する。筆者も高校生の頃、国語の先生が推薦するので大江の小説を読んだことがあるけど、何が何だか分からなかった。今でも分からない。かつて、渡部昇一先生も「よく分からない」と仰っていたから、一般人には相当な“忍耐”と“知力”が必要だ。ノーベル文学賞や平和賞の選考基準には、一般人の理解を超えた「何か」があるんだろう。



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