フランスだって反ユダヤ主義か強かった

Halle Bailey as Little MermaidDaryl Hannah in Splash








(左 : 実写版の『人魚姫』を演じるハル・ベイリー   /  右 : 映画『スプラッシュ』で人魚を演じたダリル・ハンナ)

  「反ユダヤ主義」と言えば、日本人やアメリカ人は、直ぐアドルフ・ヒトラーやナチスが支配したドイツを連想してしまうが、この「セム人嫌い(Anti-Semitism)という感情は、フランスでも昔から根強かった。フランスの左翼陣営は「ドレフュス事件」の冤罪とかヴィシー政権の批判を自慢して、良心的な知識人はレイシズムと反ユダヤ主義に対抗してきた、と宣伝する。だが、フランスの庶民は違っており、心の底で「ユダヤ人なんかフランスから出て行け !」と思っていた。ところが、第二次大戦後、所謂「解放」という茶番劇が実現すると、ナチスに協力した「コラボ(collaborateur)狩り」が始まり、ドイツ人を支援していたフランス人は大慌て。共産主義を掲げる左翼やユダヤ人が、積もりに積もった復讐心を爆発させ、保守派や協力者を血祭りに上げていたのだ。

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(左 : フィリップ・ペタン  / 中央 : ヴィトクン・クヴィスリング  /   右 : 服を剥ぎ取られた「コラボ」の女性達)

     例えば、ドイツの軍人や官僚に寄り添ってベツドを共にしていた女を捕らえ、その髪をバっさり切り落としていた。この公開陵辱は日本でも有名だ。また、ヴィシー政権を支えていたペタン(Philippe Pétain)将軍は裁判にかけられ、死刑を宣告されるが、一応、終身刑に減刑され、1951年に亡くなっている。しかし、国防相や首相を務めたノルウェーのヴィトクン・クヴィスリング(Vidkun A.L.J. Quisling)は不運だった。彼は「裏切者」として法廷に引きずり出され、叛逆者として銃殺されたのだ。

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(左 : ナチスの鉤十字を顔面に書かれた女性   /  中央 : ドイツ人と懇ろになった女性 /  右 : 公衆の面前で髪を切られる女性)

  イギリス人やアメリカ人も同じだけど、フランス人は「ユダヤ人に対して酷いことをした !」という理由を以てドイツ人を倫理的に非難するが、そもそもフランス人にドイツ人を責める資格があるのか? 本当はユダヤ人がフランスから一掃されて清々した国民も多かったんじゃないのか? ユダヤ人を嫌っていたのは、何もナチ政権下のドイツ人だけじゃないぞ。ネーデルラントやウクライナ、ポーランドでも反ユダヤ主義はかなり根強かったし、ポーランド人なんか、戦後になっても国内のユダヤ人を迫害していたんだから。(詳しくはヤン・ロスの『アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義』、白水社、2008年、第二章を参照してね。また、Samuel Bakの『Painted in Words』Indiana University Press, 2001.も興味深く、どれほどポーランド人がユダヤ人を憎んでいたかが判る。) もちろん、ワイマール時代や第二帝政の頃もドイツ人のユダヤ人嫌いは存在したが、当時のドイツ人は意外にもこの異民族を受け容れていた。

  日本人が直ぐに思い浮かぶ「同化したユダヤ人」といえば、「カイゼルのスパイ」と呼ばれたマックス・フォン・オッペンハイム(Max von Oppenheim)だろう。ドイツの経済界でオッペンハイム家といえば、大富豪のユダヤ人一族として有名だ。マックスの父であるアルバート(Albert)は家業を継いで銀行家になったが、息子のマックスは父の期待に反し、金融業ではなく美術や歴史に興味を持ってしまった。そして、趣味が職業にまで発展し、中東アジアを旅行する考古学者になってしまった。ところが、こうした“趣味”が幸いし、マックスはドイツの外政官として活躍することになったという。(詳しくは、Lionel Gossmanの著書『The Passion of Max von Oppenheim』やDonald McKaleの雑誌論文「The Kaiser's Spy」を参照。)

  他のユダヤ人で日本人に知られているのは、オーストリアの伝記作家であるシュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig)だろう。彼の著作集は「みすず書房」から出ているので、一般国民でも『マリー・アントワネット』や『昨日の世界』を読んだ人は多いんじゃないか。また、『皇帝フリードリッヒ二世(Kaiser Friedrich der Zweite)』や『王の二つの身体(King's Two Bodies』といった名著で知られるエルンスト・カントロウィッチ(Ernst H. Kantorowicz)も、ドイツ国家に同化したユダヤ人学者であった。彼はナチスの台頭で米国に移住する破目になったが、ドイツ文化に対する考え方はずっと変わらなかったそうだ。

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(左 : マックス・フォン・オッペンハイム  / 中央 : シュテファン・ツヴァイク  / 右 : エルンスト・カントロウィッチ  )
 ちなみに、筆者がツヴァイクの作品でお薦めしたいのは、ジャン・カルヴァンの本性を剔った『権力とたたかう良心(Castellio gegen Calvin oder Ein Gewissen gegen die Gewalt)』、および「これぞ策士!」といった革命家を描いた『ジョセフ・フーシェ(Joseph Fouché : Bildnis eines politischen Menschen)の二冊である。さすが、一流の売れっ子作家だけあって、ツヴァイクの語り口は素晴らしい。洗練された文体と豊富な語彙で読者を魅了し、いつの間にか彼独自の世界へと導いて行く。

 古典的作品というのは、何度読み返してみても非常に面白い。例えば、権謀術数に長けたフーシェは、討論でロベスピエールを失脚させ、革命が成就されると、警察長官に上り詰めてゆく。ひっそりとしたオフィスの中で、他人の情報を集めた極秘ファイルを覗いているなんて、如何にもフーシェらしい。一方、ジャン・カルヴァンはユダヤ人みたいに旧約聖書の誡律に憧れ、厳格な生活を己の信者に強要していた。彼の恐怖政治により、スイス国民は精神的に苦しめられていた。世俗の快楽を奪われた庶民は、文化的創造力を失い、自慢できるものといったら時計作りくらい。確かに、窒息しそうな毎日を送っていたら、心が弾むような文化は生まれないだろう。(別の機会に、これらの人物を紹介したい。)

  以前、当ブログではフランスのナショナリストである小説家のモウリス・バレス(Maurice Barrès)や『ユダヤ人のフランス』で一躍有名になったエドゥアルド・ドュルモン(Édouard Adolphe Drumont)、「アクション・フランセーズ(Action française)」の創設者であるシャルル・マラス(Charles Marras)を紹介した。だが、フランスにはユダヤ人を警戒する言論人は他にもいて、マラスの盟友であるアンリ・ヴォジョワ(Henri Vaugeois)や「右翼」と評されるモウリス・プジョ(Maurice Pujo)、ジョルジュ・サンドの養子で議員に選出されたフランシス・ラウール(Francis Laur)といった人々がいる。現在、彼らは左翼の知識人から断罪されているが、ユダヤ人の脅威からフランスを守ろうとした愛国者であった。

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(左 : シャルル・マラス  /  モウリス・バレス  / モウリス・プジョ   / 右 : エドゥアルド・ドュルモン  )

  アルプス=ド=オート・プロヴァンス県から選出された代議士、ポール・アントニン・デュグ子爵(vicomte Paul-Antonin d'Huges)も「反ユダヤ主義者」として有名で、彼は1895年3月30日に開かれた議会の席で、絶え間なく浸透してくるユダヤ人種の危険性(les dangers de l'infiltration incessante de la race juive)」を指摘していた。(Journal officiel, débats à la Chambre des députés, séance du 30 mars 1895,p.1114.)  現在のフランス議会で、こんな事を言えば即刻“辞任”となり、世間からの集中砲火を受けて社会的に抹殺されてしまうだろう。

  さすがに、国民連合(Rassemblement National)のマリーヌ・ル・ペンでも口にできまい。デュグ子爵と同じような事を言えるのは、サックスフォン演奏者のジラッド・アツモン(Gilad Atzmon)か、オーストリア出身のユダヤ人思想家、オットー・ウァイニンガー(Otto Weininger)くらいだろう。イスラエル生まれのアツモンはユダヤ教に嫌気が差した世俗派のユダヤ人で、英国に移住してユダヤ人批判の本『The Wandering Who?』を書いた。ウァイニンガーも自己嫌悪型のユダヤ人で、ヒトラーやナチ党の幹部から評価された唯一のユダヤ人。彼は1902年にキリスト教へ改宗するが、翌年の1903年に銃を持って自らの胸を撃ち抜き自殺する。享年23。

Francis Laur 001Paul Antonin d'Hugues 001Gilad Atzman 001








(左 : フランシス・ラウール   / 中央 : ポール・アントニン・デュグ子爵   / 右 : ジラッド・アツモン )

Pedro Banos 03(左  / ペドロ・バニョス )
  別の記事で触れたいが、スペインの元陸軍大佐であるペドロ・バニョス(Pedro Baños)は、『彼らはどうやって世界を支配するのか(Asi se domina el mundo)』を祖国で出版した。しかし、ブリテン大手のペンギン・ブックス(Penguin Random House)が英訳本を出そうとした時、ユダヤ人側から「反ユダヤ主義」のイチャモンがつけられ、“削除”要求を受ける破目になったという。相手がユダヤ人だから、出版社もビビってしまい、渋々“検閲版”を発売することになったそうだ。これは、執筆者のバニョスが原書でロスチャイルド家に言及し、その財力や権力で世界に影響を与えていると述べたからだ。保守派の西歐人や一部の日本人なら「承知の事実」だが、西歐諸国に住み着くユダヤ人にとったら「不愉快な事実」なんだろう。日本の地上波テレビや全国紙は、ヨーロッパ特派員をロンドンやパリに置いているのに、この言論抑圧について全く報道しなかった。いつもは、「言論の自由を守れ !」と叫んでいるのに、なぜか都合の悪い事態になると、ピタっと無口になる。まぁ、日本のマスコミには「報道しない自由」があるんだろう。

  デュク子爵が指摘した「ユダヤ人の浸透」は単なる“暴言”や“陰謀論”の類いではなく、歐米各国で実行された事実である。国際政治ではお馴染みだから今さら言うまでもないが、庶民の日常生活にも悪影響を与えるユダヤ人の害悪は見過ごせない。もちろん、全部のユダヤ人が悪意を持って「侵掠行為」をしている訳じゃなく、意図的に謀略工作を計画する大富豪もいれば、無意識的に文化破壊を行う者もいるのだ。アメリカではADLやAIPAC、SPLCといったユダヤ人組織が豊富な資金をもってシオニズムや反米活動に勤しむけど、知識人や映画人も本質的には同じで、無意識的あるいは特定のイデオロギーを以て、西歐社会を変質させようと企む。文化破壊型のマルキストは、マスコミや大学に棲息するユダヤ人ばかりじゃなく、娯楽産業に携わるビジネスマとか映画制作者、作曲家や藝術家にも数多くいる。

人種が変わった人魚

  最近、ディズニー社が以前アニメ版として上映した『リトル・マーメイド(The Little Mermaid /人魚姫)』をリメイクし、実写版として制作することを発表した。往年のディズニー・ファンは「どんな俳優が演じるのかなぁ~」と楽しみにしていたが、公表されたキャスティングを目にしてビックリ。何と、主役の「アリエル(Ariel / 人魚姫)」には、子役上がりの黒人、ハル・ベイリー(Halle Bailey)が抜擢されていたのだ。これには日本人だって愕然とするだろう。なぜなら、我が国では1971年、フジテレビで『アンデルセン物語』が放送され、お茶の間の子供達は「人魚姫」のみならず、「みにくいアヒルの子」や「親指姫」、「マッチ売りの少女」、「裸の王様」などを観ていたからだ。番組の挿入歌も印象的で、『ズッコの歌』は「ルパン三世」でお馴染みの山田康雄が唄っていたし、『キャンティーの歌』は「峰不二子」の声で有名な増山江威子が唄っていたのだ。中高年世代なら懐かしいはず。この番組では『人魚姫』のエピソードもちゃんと放映されていたが、ヒロインとなる人魚姫はもちろん北方種族、つまり金髪を靡かせた白人少女であった。

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(左 : ハル・ベイリー   / 右 : ベイリーの家族 )

  ところが、世界市場を念頭に置いたディズニー社は、「人種的多様性(racial diversity)」とやらを“売り”にし、黒、黄、茶色の役者を揃えることで儲けようとした。海外市場で銭を稼ぐには、色々な人種を適当に登場させ、アジア人やアフリカ人、および南米人が「疎外感」を抱かぬよう配慮せねばならない。ディズニー社のユダヤ人によれば、日本人も黄色人種だから、支那系や朝鮮系の役者を登場させると大喜びになるらしい。へぇ~、令和の日本人、とりわけDVDでアニメを楽しむ幼稚園児や小学生は、ベトナム人やフィリピン人のキャラクターが登場するとワクワクするのかぁ~。筆者が育った昭和時代とは大違いである。

  脳天気な日本人は、「そうは言っても、王子様のエリック(Eric)が白人だから、まんざら変でもないよねぇ~」と思ってしまう。だが、採用されたジョナ・ハウアー・キング(Jonah Hauer-King)は西歐系白人じゃなくユダヤ人。本人の説明によれば、ジョナの祖父母は1930年代にポーランドからやって来たユダヤ移民であるという。("World On Fire", Bradford Zone, 26 September 2019.) ハリウッドのユダヤ人は、西歐系アメリカ人を幼少期から洗脳すべく、子供が好きそうな映画をユダヤ人の色に染めている。例えば、『スパイダーマン』のアンドリュー・ガーフィールド(Andrew Garfield)はユダヤ系アメリカ人で、『ワンダーウーマン』のガル・ガドット(Gal Gadot)はイスラエル出身のユダヤ人。「タカラ(現 / タカラトミー)」の変形ロボットを基にしたハリウッド映画、『トランスフォーマー』で主役を演じたシャイア・ラブーフ(Shia LaBeouf)も母親の血筋でユダヤ人。彼は「Angelus Temple(キリスト教の一派)」で洗礼を受けたのに「バル・ミツバ(Bar Mitzvah / ユダヤ教の成人式)」を祝った変人ときている。でも、彼の家庭環境を考えれば、別に不思議じゃない。シャイアの両親は元ヒッピーで、父親はヘロイン中毒のベトナム帰還兵。ヤク中の亭主を抱え、貧乏生活に苦しんだ母親は、やむを得ず離婚を決め、そのせいで息子のシャイアも貧乏になったという。

Andrew Garfield 4Gal Gadot 11Shia LaBeouf 111








(左 : アンドリュー・ガーフィールド  /   中央 : ガル・ガドット /  右 : シャイア・ラブーフ  )

  ハリウッドを牛耳るユダヤ人は西歐系の男どもに屈辱感を与えるためか、ユダヤ人の男性が西歐人の女性を「モノ」にするシーンを流す。例えば、主演女優をティア・レオーニとかジェニファー・アニストンみたいな西歐系にしても、その相手役の男優には、アダム・サンドラーとかベン・スティーラーの如き不愉快なユダヤ人にしたり、場合によっては、“ヨーロッパ人もどき”のユダヤ人にしたりする。まともな日系移民なら、「アメリカ人はイギリス風だからけしからん! 我々が暮らしやすいよう、奴らの精神を変えてしまえ !」とは考えない。もし、 こんな恐ろしい日本人がいたら、間違いなく悪党だ。常識的な日本人は「郷に入れば郷に従え」の精神で、現地のアメリカ人を見倣おうとする。

Joel & Ethan Coen 1(左   /  ジョエルとイーサンのコーエン兄弟)
  話を戻す。アリエルの父親である「トリトン王(King Triton)」は、007の映画(Skyfall)で「ラウル・シルヴァ(Raoul Silva)」役を演じたハビエル・バルデム(Javier Bardem)が務めている。このスペイン人俳優は、ヒット作になった『ノーカントリー(No Country for Old Men)』で、サイコパスの殺し屋「アントン・シガー」を演じていた。ハビエルの容姿を見ると、何となく冷酷なベルベル人やムーア人を連想してしまうので、ヒスパニックの殺人鬼には適役である。劇中では良心の呵責が一切無く、虫でも踏み潰すかのように人を殺すんだから、やはり南米人やマグレブ人みたいな役者は凄い。また、こうしたサイコ・スリラーの映画を監督したのも、ユダヤ人のコーエン兄弟(Joel & Ethan Coen)なんでから、「なるほど」と納得ししまう。でも、子供向けアニメに登場する人魚姫の父親が、ハビエル・バルデムなんて、あんまりだ。

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(左 : ジョナ・ハウアー・キング   / 中央 : ハビエル・バルデム   /  右 : ダヴィード・ディッグズ  )

  驚くのはこれだけじゃない。王子様のお供を務める「グリムズビー(Grimsby)」役には、ジュード・アクウリケ(Jude Akuwudike)という英国出身の黒人が採用されている。また、王子様の家政婦役である「カルロッタ(Carlotta)」役には、これまた英国出身で、ウガンダ・ケニア系の黒人、ノーマ・デュメズウェニ(Noma Dumezweni)が起用されている。さらに、声優陣までが人種的多様性に富んでおり、蟹の「セバスチャン」役には黒人ラッパーのダヴィード・ディッグズ(Daveed Diggs)があてがわれ、鳥の「スキュトル」役には支那・朝鮮系のアウクワフィナ(Awkwafina / 米国名 : Nora Lum)が抜擢されているのだ。コメディアンやラッパーでもあるアウクワフィナの本名は「林家珍(りん・かちん)」という。父親のウォリーが広東系の支那人らしく、母親のティアは南鮮からやって来た移民であるそうだ。

Noma Dumezweni 233Jude Akuwudike 22Awkwafina  as Scuttle








(左 : ノーマ・デュメズウェニ  /  中央ジュード・アクウリケ  / 右 : 鳥の「スキュトル」を担当する声優になったアウクワフィナ  )

  ディズニー好きの日本人なら、「こんなキャスティングをしたのは、いったい誰なんだ?」と訊きたがるが、プロデューサーや監督の正体を知れば、「えっっ ! これなら・・・まぁ、しょうがないか!」と納得してしまうだろう。監督のロブ・マーシャル(Robert Doyle Marshall, Jr.)はプロデューサーも務めているが、共同プロデューサーにはジョン・デルカ(John DeLuca)がいる。彼とロブは私生活でも「パートーナー」であるそうだ。つまり、二人はゲイ・カップルというわけ。となると、我が子に映画を見せる日本人の母親は、「えぇぇっっっ !! 良い子のみんなが楽しむアニメを同性愛者が作っているの !」と驚愕し、全身が凍りついてしまうだろう。相思相愛のジョンとロブは、自宅で脚本を一緒に練ったあと、二人でお風呂に入ったり、ベッドで舐め合ったりしてるんじゃないか。想像しただけでも“おぞましい”が、ゲイ・カップルというのはこんなものである。

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(左 : ロブ・マーシャル  / ジョン・デルカ   /  マルク・フラット  /  右 : リン・マニュエル・ミランダ )

  最新作の『リトル・マーメイド』には他にもプロデューサーがいて、ライアン・ゴスリングが主演した『Drive』(2011)や、ヒット作の『アラジン』(2019)を手掛けたマルク・プラット(Marc Platt)に加え、作曲家や歌手、俳優の肩書きを持つリン・マニュエル・ミランダ(Lin-Manuel Miranda)がいる。プラットの方はこれまたユダヤ人で、ミランダはメキシコ・プエルトリコ系のアメリカ人であるという。つくづく思うんだけど、ハリウッドの映画作品は正常なアングロ・サクソン系のプロデューサーや監督によって制作されないのか? たまに原作者となる小説家が西歐系アメリカ人の場合もあるが、それを映画化にするのは大抵ユダヤ人。配役の権利を握るのもユダヤ人なら、原作を歪めて脚本を書くのもユダヤ人であったりする。もちろん、制作会社や配給会社の経営陣もユダヤ人であるから、西歐系の観客を”第一”に考えた映画制作ではない。アクション映画でも恋愛映画でも、特定の人種に偏らぬよう、白人の俳優を主役にする場合、必ず重要な脇役には黒人や南米人、あるいはインディオとかアジア人を採用することにしているそうだ。

黒人のスーパーヒーローを望む俳優

Rachel Zegler 7743(左   / レイチェル・ゼグラー )
  我々は『人魚姫』くらいで驚いてはならない。何と、ディズニー社はヒット作のアニメである『白雪姫』も実写化するようで、主役のお姫様を選ぶ際、大規模なオーディションを行ったそうだ。そして、この主役を勝ち取ったのは、ポーランド・コロンビア系アメリカ人のレイチェル・ゼグラー(Rachel Zegler)であった。彼女は今、スティーブン・スピルバーグが制作中の映画、あの有名な『ウェスト・サイド・ストーリー』のリメイク版で「マリア」を演じるそうだ。(Justin Kroll, "Snow White : West Side Story 's Rachel Zegler to Play Title Role in Disney's Live-Action Adaptation of Animated Classic", Deadline, June 22, 2021.) 『白雪姫と七人の小人(こびと)(原題 : Snow White and Seven Dwarfs)』は、創始者のウォルト・ディズニーにとって感慨深い初期作品で、中世ヨーロッパのメルヘンをアメリカ風にアレンジした自信作であった。

  1937年12月に封切られた本作品は、800万ドルの興行成績を収めたそうである。(Terri Martin Wright, "Walt Disney's Adaptation of the Grimm's Snow White", Journal of Popular Film and Television, Vol. 25, 1997.)  劇場への入場料が大人で23セント、子供が10セントの時代だから、800万ドルの売り上げがいかに凄いかが解る。日本でも大正末期から昭和初期にかけて、タクシーの料金が「市内1円均一」であったから、通貨の価値というのは時代を反映するものである。まぁ、当時、フォードのタクシーなんかは高級車だから、乗る人も限られていた。面白いのは、泥道を走ると「割増料金」を取られたことだ。しかし、昔の日本は危険なNYと違って、乗客が運転手を撃ち殺してお金を強奪することはなかったから、1円以上の料金でも満足できるサービスであった。

Michael B Jordan 003( 左 / マイケル・B・ジョーダン )
  とにかく、アメリカ社会の変質は著しい。とりわけ、第21世紀に入ってからというもの、多文化主義に基づく教育が功を奏したのか、アメリカ映画では有色人種の採用率が急に高くなった。社会的地位の低い黒人でも、自らの種族意識が高揚すると、従来の映画作りだと不満になるらしく、「もっと黒人を前面に出した演劇にしろ !」とか「黒人が主人公の映画を観たい !」、といった願望が強くなるらしい。黒人のマイケル・B・ジョーダン(Michael B. Jordan)は、人種意識の高い俳優で、『Vanity Fair』のインタヴューを受けた時、自分の意見を熱く語っていた。黒人だらけのユートピア映画、『ブラックパンサー』に出演したジョーダンは言う。

   俺達は黒人の神話とか民話といったのを全然もっていないんだ・・・ということで、自分たち独自の神話を創り出すのは、とても重要なことなんだぜ ! なぜなら、それは夢を助けることになるからさ。つまり、人が夢を見るよう助けるって訳さ ! (Joe Hagan, "Michael B. Jordan's Technicolor Dreams", Vanity Fair, October 2, 2018.)

  政治意識の高い両親を持つジョーダンは、心の底から「黒人にも独自の英雄が必要だ」と思っている。(ここで言う「政治意識」というのは、「白人社会に対する根深い怨み」ということ。) 彼が先輩のデンゼル・ワシントン(Denzel Washington)と対談した時も、黒人俳優がヒーローとして登場する映画に言及していた。ジョーダンは自身が出演した『Fahrenheit 451(華氏451)』の監督にも、自説を熱く語っていたそうだ。これを聞いたワシントンは笑いながら答えた。

  私が子供の頃は、黒人のスーパー・ヒーローなんて一人もいなかったからね。(上掲記事)

 ちなみに、『Fahrenheit 451』を監督したのは、ペルシア系アメリカ人のラミン・バーラニ(Ramin Bahrani)である。彼もアメリカで苦労する非西歐人だから、黒人やヒスパニックの気持ちは理解できるだろう。しかし、配給会社と交渉し、歐米での興行成績を考える立場だから、頭でっかちの小僧に「そうだよねぇ~」と気軽に同調するわけにも行くまい。だいたい、黒人を主役にしたヒーロー映画はリスクが高く、儲からない場合がほとんど。日本での興行収入だって芳しくないから、全米興行収入とヨーロッパ市場を考えると二の足を踏んでしまうだろう。日本人でも『24 / Legacy』とか『Avengers』、大ヒットした『インディペンデンス・デイ』を観た人がいると思うが、コリー・ホウキンズ(Corey Hawkins)やイドリス・エルバ(Idris Elba)、ウィル・スミス(Will Smith)のファンは各都道府県でいったい何人いるんだ? ちなみに、ホーウキンズの『24』は不評で、シーズン1で打ち切り。以前、エルバが黒人版の「007」になるんじゃないか、と噂になったが、白人のボンド・ファンから猛反対が湧き起こったので、この企画は頓挫した。

Denzel Washington 1Ramin Bahrani 122Corey Hawkins 1Idris Elba 1








(左 : デンゼル・ワシントン  /  ラミン・バーラニ  / コリー・ホウキンズ  / 右 : イドリス・エルバ  )

  マイケル・ジョーダンはインタヴューの中で、レオナード・デカプリオ(Leonardo DiCaprio)やマット・デイモン(Matt Damon)みたいな二枚目俳優(matinee idol)になりたいんだ、と語っていたが、それは黒人映画に出演し、黒人相手の商売をしているからだろう。そもそも、彼が“大物俳優”になれたのは、黒人組織や左翼ロビーの“お陰”である。ハリウッドにはフォード財団やロックフェラー財団から資金を貰った左翼分子が、憎しみを込めて政治的圧力をかけており、「配役の多民族化」を強く求めているのだ。白人社会を憎む赤い活動家は、鼻息を荒くして制作者に迫り、「もっと黒人やヒスパニックの俳優を登庸しろ ! 」、「なんで白人ばかりが主役を射止めているんだ? お前等はレイシストなのか? こんなのは現実のアメリカを反映させてないぞ !」と叱責する。さらに進んで、「白人ばかりが重要なキャラクターなんてけしからん ! キャスティングにもっと人種的多様性をもたせろ !」と凄んでいるそうだ。そして、対応するのがリベラル派のユダヤ人ときているから「じゃあ、ドラマの中心になる役者には、黒人とかムスリムを積極的に採用しましょう」となる。

  こんな要求に屈服するハリウッドだから、ジョーダンみたいなチンピラ黒人でも「ヒーロー」役をもらえるのだ。彼がテレビや雑誌でチヤホヤされるのも、最初から仕組まれたヤラセであろう。それに、業界から「裏のボーナス」を頂く評論家は、歯の浮くような言葉で黒人俳優を称讃するから、白人の観客も黒人の主役に抵抗感が無くなっている。昔のアメリカ白人なら、黒人俳優が正義の味方となり、悪党の白人をやっつけるドラマなんて端っから観なかった。馬鹿らしいというか、目にするだけで不愉快になるから、ドラマの脚本家やプロデューサーは、決して黒人の大佐とかヒスパニックの刑事を主役にする事はなかった。第一、映画スタジオの重役達がOKを出すはずがない。アクション映画のみならず、黒人女優と支那人男優の恋愛映画なんて誰が観るんだ?

  『リトル・マーメイド』で人魚を演じるハル・ベイリーだって、チヤホヤされるのは黒人の間だけである。黒人文化に興味の無い普通の日本人が、わざわざ劇場に足を運んで、色黒の人魚姫にてウットリするのか? 普通の日本人が黒人女性に魅了されるとは思えない。一般の観客が「綺麗だなぁ~」と見蕩(みと)れるのは、ダリル・ハンナ(Daryl Hannah)のような白人女優が人魚に扮した時である。彼女は1984年に『スプラッシュ(Splash)』という映画に出演し、トム・ハンクスが一目惚れする人魚を演じた。丸裸のハンナがマンハッタンに現れるシーンは滑稽だが、北歐種族の美人だから何となく赦せてしまう。

Daryl Hannah 3332Hans Christian Andersen 01Halle Bailey 07Little Mermaid by Hans Christian Andersen








(左 : ダリル・ハンナ  /  ハンス・クリスチャン・アンデルセン   /  ハル・ベイリー   /   右 : アニメ『リトル・マーメイド』のポスター )

  童話作家のハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)は、1805年に生まれ、1875年に亡くなった人物だ。つまり、第19世紀のヨーロッパ、日本の元号で言えば文化・文政の頃に育ち、明治8年に亡くなったノルウェー人である。それゆえ、色黒の人魚姫なんて考えもしなかったはず。確かに、架空の生物だから、黒髪の縮れ毛で、鼻孔が大きく、アフリカ人みたいな容姿の人魚でもいい訳だが、これだと王子様が振り向かない。見かけても素通りするか、錨に括り付けて海底に沈めてしまうかのどちらかだ。物語では、人魚姫が元の姿に戻るため、魔女に貰った短剣で王子様を刺そうとするシーンがあるけど、やはり、愛する王子を殺すことができず、海に飛び込んで泡になる、という結末であった。でも、実写版で黒人女性が刃物を持ち、王子様の寝込みを襲えば、西歐白人は本能的に拳銃で撃ち殺したくなる。黒い人魚が泡となっても、「ざまあみろ !」と吐き捨てて終わりだ。

ユダヤ人に乗っ取られた夢の国

  第21世紀に入ってからのディズニー社を見ていると、つくづくウォルト・ディズニーが気の毒に思える。彼はヨーロッパの御伽噺(おとぎばなし)を色鮮やかなアニメ作品にし、アメリカ風にアレンジしても、キャラクターはヨーロッパ人のままにしていたのである。公民権運動以前の時代ということもあるが、いくらなんでも、主役や重要なキャラクターをアフリカ人やヒスパニックにする考えは無かったはずである。しかし、ディズニー社がユダヤ人に支配されると、創業者の精神なんて中古の褌(ふんどし)と同じで、雑巾にすらならない。マイケル・アイズナー(Michael Eisner)やボブ・アイガー(Robert Allen Iger)といったユダヤ人が社長や会長になると、黒人や南米人を取り込むために、ヨーロッパのファンタジーを第三世界のゲットーに変えてしまうのだ。日本人の母親も『アバローのプリンセス』を我が子に見せたとき、主人公のお姫様「エレナ」がラテン系だったのに驚いたはずだ。実は、この「プリンセス・エレナ」、ヒスパニックのユダヤ人という裏の設定で、「ハヌカ(Hanukka / ユダヤ教の記念行事)」を祝う異色のキャラクターでもあった。もう、目眩がするほどディズニー作品は汚染されている。

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(左 : マイケル・アイズナー  /  ボブ・アイガー /  ウォルト・ディズニー  / 右 : ラテン系の「プリンセス・エレナ」 )

  さらに、「ディズニーランド」を「ユーデンラント(Judenland / ユダヤ人の国)」に変えた連中は、「夢の世界」である「ディズニー・ワールド」で、「ゲイ・デイズ(Gay Days / 同性愛者の日)」という特別期間を設けた。米国の日産自動車もスポンサーに連なり、ゲイやレズビアンといった同性愛者を大歓迎。2010年には、15万人のLGBTが集まったというから、もしウォルト・ディズニーが生きていたら自殺しかねない。今のディズニー社なら、もっと「寛容の精神」を発揮するから、「トランスジェンダーの日」も有り得る。まさか、元男性をキャスティングした『性転換のターザン』とか、レズビアンのキスで目覚める『バイセクシャルの眠り姫』、カルーセル麻紀が演じる『オカマの国のアリス』、雄が主役の『ライオン・キング』は不平等だから、雌ライオンを主役にする『ライオン・クィーン』は、まさか無いよねぇ~。もし制作されたら驚きだ。

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(左 : ミッキーマウスを愛するゲイのユダヤ人   /  右 : 「ディズニー・ワールド」に集まった同性愛者 )

  そう言えば昔、「東レ」がマリア・シャラポワ(Maria Sharapova)を大会に招き、日本人のアナウンサーが「ロシアの妖精」と呼んでいたが、誰も大声で異を唱えなかった。筆者はロシアに棲息する妖精なんか見たことないので、『ベルセルク』に出てくる妖精くらいしか知らない。しかし、不思議なことに、テニス界で有名なセレナ・ウィリアムズ(Serena Williams)とヴィーナス・ウィリアム(Venus Williams)の姉妹は、「アメリカの妖精」とか「アフリカの妖精」と呼ばれることはなかった。実力者のヴィーナス・ウィリアムは、「美の女神」をファースト・ネームにしているが、なぜか日本では人気者とならず、写真集やポスターが発売されなかった。たぶん、商業的に採算が合わなかったのだろう。

Maria Sharapova 22Serena & Venus Williams 1Ella Freya 2








(左 : マリア・シャラポワ  / 中央 : ウィリアムズ姉妹  /  右 : エラ・フライヤ )

  ところが、日本語を話すオランダ人ユーチューバーだと話しが違うようで、出版大手の講談社は、密かな人気を誇るエラ・フライヤ(Ella Freya)のデジタル写真集を制作し、異例の価格、3,960円で販売した。さすが、銭儲けに敏感な有名出版社だけあって、無名の少女であっても利益が出ると踏めば強気になる。他のモデルだと800円前後か2,000円未満の値段なのに、ユーチューバーの外国人だと4,000円近くの値札をつけるなんて法外だ。事情はよく分からないけど、講談社の編集者はゲルマン人を優遇するレイシストなのか?

  近年活発になったBLM運動を見れば判るけど、本当にアメリカ社会は「多文化・多民族主義」に汚染されている。日本人は洗脳とか侵掠をアカデミックな世界でしか考えないが、本当に恐ろしいのは娯楽小説やTVドラマ、アニメといったサブカルチャーの世界で浸透するプロパガンダの方である。一般のアメリカ人は学術書とか雑誌論文を読まない。彼らは歴史や政治を映画や漫画を通して学ぶから、笑ってしまうような捏造を気軽に信じる。制作者が如何に邪悪であっても、大衆は表面の現象しか見ないので、改造された自分の頭に気づかない。巨大財閥や大口献金者にとって、全米に散らばる頓馬な有権者は、使い捨ての「便利なアホ」にすぎず、メディアの扇動で揺れ動く憐れなイワシだ。しかし、周りの者が一緒に狂っているから、何をされても意外とパッピー。例えば、大勢の中で一人だけ臭くて汚ければ、自分を恥ずかしいと思うが、みんなが等しく“ウンコまみれ”なら気にならないのと同じである

  それはともかく、イギリス系と西歐系のアメリカ人は、祖国に住みながら「家なき子」になっている。祖先から受け継ぐ故郷が、いつのまもにか異人種で埋め尽くされ、「同胞」とは思えない連中ばかりになっているのだ。そもそも、「移民の国アメリカ」というのが真っ赤な嘘。アメリカ合衆国はイギリス人が入植者となり、本国から独立して「共和政イングランド」になっただけ。本質的には変わりがない。左翼知識人は「人種の坩堝(るつぼ)」を宣伝するが、アメリカというのは、日本風に言うと北海道みたいな国である。つまり、会津藩や水戸藩、桑名藩の幕臣が北の大地へ移住し、そこで独立国を作ったようなものだ。北海道の入植者は世界市民じゃなく、先祖伝来の文化を守り、親から受け継ぐ日本語を話す日本人。肉体的にも本州の住民と違いは無い。女優の高橋惠子や歌手の松山千春は、関東や関西に住む国民と同じである。鳩山由紀夫だけが音羽御殿に現れる宇宙人。(総理になった鳩山は、北海道第9区から選出されていた。)

  左巻きの大学教授は「多民族共生」を絶賛するが、支那人や朝鮮人、インド人、アラブ人、アフリカ人が日本人と混淆したら、素晴らしい国家が誕生するのか? 常識を備える日本人なら、直ちに否定するだろう。日本が素晴らしいのは、日本人同士が寄り添って暮らし、みんなが天皇陛下を崇敬しているからだ。帰化鮮人の2世や3世は、生まれた時から日本に住んでいるけど、日系国民と一緒になって、「私は皇室を尊ぶ愛国者」と言えるのか? 日本人は同じ文化と同じ種族で数千年も暮らしてきたから、世界で一番平和な国をつくることができたのである。

  これからディズニー社はどんどん、多民族主義のアニメや進歩的文化人の映画を制作するだろう。しかし、何割かのアメリカ白人は、こうした潮流に逆らい、「昔の方が良かった」と懐かしむはずだ。日本のアニメも徐々にアメリカ左翼の影響を受け、多民族主義の害悪で汚染されるかも知れない。それに、アジア系帰化人が増えれば、『エースをねらえ!』や『はいからさんが通る』、『ベルサイユのばら』といった昭和の人気アニメは、金髪碧眼の北歐人を称讃する「レイシスト作品」と糾弾されるだろう。もし、令和の時代にリメイク作品として実写版が作られても、メインキャラクターに採用されるのは、支那人かフィリピン人の混血児、あるいは朝鮮系やインド系の帰化人かも知れない。哀しい予測になるが、日本のアニメは段々と“無国籍化”されるだろう。そして、民族や国籍に囚われない、全地球市民が参加するアニメーション、ないしグローバル市場で切り売りされる「商品(commodities)」になりそうだ。

   

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