「言葉狩り」に邁進するBBC

  イギリス人が作る喜劇は、如何にもイギリス人らしい風味が利いているから、観ていて非常に愉快だ。ブリテン島の国民はユーモアのセンスに富んでおり、そこには知的なスパイスが隠し味となっている。アメリカ人が作る喜劇番組、いわゆる「Sitcom(Situation comedy)」とは段違い。ハリウッドやニューヨークのコメディー作品は銭儲けが最優先とされるので、教養を必要とするウィット(機知)に欠け、無理矢理にでも笑わそうとするゴリ押しがある。大手メディアの制作者は、あくまでも“アホな大衆向”を顧客としており、知的な中流階級を相手にしたものではない。しかも、最近は下品さを「売り」にしたコメディー映画も多いから、観ていて吐き気がする。

Adam Sandler 5(左  / アダム・サンドラー )
  例えば、ユダヤ人俳優のアダム・サンドラー(Adam Sandler)は酷い。今や“落ち目”となったサンドラーだが、かつてはNBCの『サタデー・ナイト・ライブ』でチヤホヤされる人気者だった。しかし、最近の出演映画には失敗作が少なくない。人気女優のジェニファー・アニストン(Jennifer Aniston)と共演した『ウソツキは結婚の始まり(Just Go With It)』は予想外の惨敗であったし、メキシコ人をコケにした『Jack and Jill』も興行成績が振るわなかった。サンドラーとケビン・ジェイムズ(Kevin James)がゲイのカップルを偽装したコメディー作品、『チャックとラリー : おかしな偽装結婚?(I Now Pronounce You Chuck and Larry)』も酷評された。『もしも生まれ変わったら(The Do-Over)』や『靴職人と魔法のミシン(The Cobbler)』、『アダルト・ボーイズ(Grownups)』の1と2も駄作で、サンドラーの映画は何度もラズベリー賞からノミネートされる程である。彼は下劣なギャクを見せれば客が喜ぶと思っていたのだろうが、案外、露骨な下品さというものは観ていて気分が悪いものだ。

Adam Sandler Growup 3Adam Sandler Jack & Jill







(左 : アダルト・ボーイズ  /  右 : 「ジャック&ジル(Jack & Jill)」 )

  一方、イギリス人は真剣に馬鹿らしい笑い話を作るので、結構、印象深い作品が多い。以前、WOWOWが『リトル・ブリテン』を放送したけど、あのコメディー番組は非常に面白かった。日本だとヤバ過ぎる脚本やキャラクター設定はNGとなるが、ブリテンのテレビ業界は意外とOKだったりする。

    例えば、主役俳優のマット・ルーカス(Matt Lucas)は、語彙が貧弱でアホ丸出しの女子高生「ヴィキー・ポラード」を演じていた。こうした下層白人は、労働者階級が住む寂れた都市部で目にすることができる。このルーカスが扮する身体障碍者の「アンディー」も面白い。彼は車椅子に乗って福祉金を騙し取るハゲのデブを演じ、相方俳優のデイヴィッド・ウィリアムズ(David Walliams)は、このことに気づいていない介護師を演じている。また、ルーカスはインド人が話す英語を馬鹿にする英語講師を演じていたし、ピチピチの服に短パン姿のゲイを演じていた。相方のウィリアムズは女装趣味のオッさんを演じたり、タイ人女性を娶った下層白人を演じていた。しかし、彼のコメディーで必見なのは、まるで農奴みたいな顔をした「粗暴なグルジア人」である。なんか、スターリンが生まれ育った村に居そうな農民だ。

Little Britain 01Little Britain Miss Emmery








( 左 : 「アンディー」と「ルー」 /  右 : 「ミセス・エマリー」に扮するウィリアムズ )

  中でも秀逸なのは、奇妙なお客である「Mr.マン(ウィリアムズ)」が、「ロイ(ルーカス)」の経営する雑貨店にやって来るエピソードだ。ロイはいかにも英国に居そうな温厚な店主で、客の探しているモノが見つからないと女房の「マーガレット」に大声で尋ねる。対応するマーガレットも、現実に居そうな英国人なので、とても愉快だ。しかし、一番凄いのは、脚の悪い老婆「ミセス・エマリー」に扮したウィリアムのエピソードで、この老婆がスーパーマーケットに赴いた時、何かの拍子で気が緩んでしまい、店の床に黄色い小便を垂れ流してしまうのだ。ちょっと下品なんだけど、思わず笑ってしまうので、大目に見るイギリス人は多い。でも、こんなのを日本で放送したら即NG。放送終了後に抗議の電話が殺到し、プロデューサーやディレクターは謝罪会見だ。スポンサーにも非難の電話が鳴り響くから、たぶん、企画段階でボツだろう。(老人用オムツを販売する会社でも、スポンサーにはなってくれないかも。)

Little Britain Vicky Pollard 01Little Britain 4332Little Britain Mr. Mann








(左 :  「ヴィキー・ポラード」を演じるマット・ルーカス  / 中央 : 「ロイ」を演じるルーカス  / 右 : 「ミスター・マン」を演じるウィリアムズ )


Tracey Ullman 0032(左  /  トレイシー・ウルマン)
  もう一つ、ブリテンのTV番組で特徴的なのは、政治を扱ったコメディー・ショーがあることだ。まだ、日本では一般的に知られていないが、トレイシー・ウルマン(Tracey Ullman)のコメディー番組は英米で大ヒット・シリーズとなった。とにかく、ウルマンの物真似がすごい。彼女が扮するアンゲラ・メルケル首相は絶品だ。一瞬、本人が演じているのか、と見間違ってしまうほどである。もちろん、秘書役のサマンサ・シュピロ(Samantha Spiro)と英語で話しているから喜劇と分かるんだが、妙にリアルだ。メルケルが英語で会話をしたら、あんな風になるのかも知れない。ウルマンの演技で一番面白かったのは、呆れた時に目玉をグルグルと廻す仕草である。番組内ではトランプ大統領とテレビ電話で話すシーンもあった。それに、トランプ役の俳優も結構似ていたから、本当に可笑しかった。

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(左  : 「アンゲラ・メルケル」に扮するウルマン / 中央 :  「ニコラ・スタージョン」に扮したウルマン  /  右 : ニコラ・スタージョン首相本人)

  ウルマンの才能は豊かで、スコットランド首相のニコラ・スタージョン(Nicola F. Sturgeon)の物真似もソックリ。「本人と親戚なのか?」と疑ってしまうほどだ。その他にも幾つかレパートリーがある。007の映画で「M」を演じたジュディー・デンチ(Judy Dench)の物真似は、思わず膝を打ってしまうほどである。(何かのパロディー番組でダニエル・クレイグと共演できるぞ。) ウルマンは大物女優の物真似が得意なようで、『ハリー・ポッター』や『ダウントン・アビー』で一躍有名になったマギー・スミス(Maggie Smith)もネタの一つにしていた。もしかすると、ブリテンの女優は年を取るとみんな似てくるのかもね。

Tracey Ullman as Judy Dench 01Judy Dench 2








(左 :  「ジュディー・デンチ」に扮したウルマン /  右 : ジュディー・デンチ本人)

  ただし、トレイー・ウルマン本人は、「ブリテン女優」とは言えない面を持っている。なぜならば、彼女の父親アントニー・ウルマン(Antony John Ullman)は、第二次世界大戦の時に英国へ逃げてきたポーランド人であるからだ。しかも、母親のドリーン・クリーヴァー(Doreen Cleaver)はジプシーの血を引く労働者階級の女性ときている。したがって、トレイシーはチャーリー・チャップリンみたいな喜劇役者と言えよう。チャップリンの母親ハンナ・ヒル(Hannah Hill)もジプシーの血筋で、息子のチャーリーはジプシーのキャラバンで生まれ育ったから、下層民や異邦人の演技が上手かった。生前、その才能からチャップリンは「隠れユダヤ人じゃないのか?」と思われていたが、実際はジプシーの息子だった。(しかし、チャップリンは非常に気にしていたので、過去の話は滅多に喋らなかった。) よくチャップリンの映画で、ルンペンのチャップリンが大柄の警察官に追われるシーンがあるけど、あれは窃盗を得意とするジプシーをモデルにしたのではないか?

Tracey Ullman as Maggie Smith 02Maggie Smith in Downton Abbey 1








(左 :  「マギー・スミス」を演じるウルマン /  右 : 『ダウントン・アビー』に出演したマギー・スミス本人)

「黒ん坊」が「差別発言」となる

  話が脱線したので本題に入る。2013年頃、BBCは1970年代に放送された『ホウルティー・タワーズ(Fawlty Towers)』というコメディー番組をDVD化した時、登場人物の「ゴウェン少佐(Major Gowen)」が口にする“言葉”が問題になった。しかし、オリジナルを尊重したのか、削除されずに残されたので一安心。このゴウェン少佐というのは架空のキャラクターで、これまた架空の「フォウルティー・ホテル」に住み続けている退役軍人という設定だ。バラード・バークリー(Ballard Berkeley)演じる老紳士は、昔気質のお爺ちゃんで、頑固一徹、ドイツ人に関する話題となるや、途端に昔の記憶が蘇り、容赦ない口調となる。また、彼は「ポリティカル・コレクトネス(政治的に正しい事)」なんてお構いなし。少佐が遠慮なくレイシスト的言葉を発するから面白い。ホテルを経営するバジル・フォウルティー(ジョン・クリーズ)相手に、とんでもない言葉を口にする場面は痛快だ。如何にもイングランドの片田舎で見かけるお爺ちゃんみたい。

Major Gowen 01Major Gowen 3









(左 : 「ゴウェン少佐」を演じるバラード・バークリー / 右 : 「ゴウェン少佐」と 「バジル・フォウルティー」 )

  ところが、BBC傘下のUKTVがこの番組を再放送しようとした時、ゴウェン少佐の人種差別的セリフが問題となった。 (Bhvishya Patel, "BBC will edit out racist remarks made by Major Gowen in Fawlty Towers when the comedy series is re-aired next week, Daily Mail, 3 March 2021.) ホテルの受付でバジルと話をしているゴウェン少佐は、ある女性の友人と一緒にクリケットの試合を観たときの事を思い出す。少佐は言う。

  彼女はその朝、ずっと奇妙な事を口にしていたんだ。何と、インド人のことを「黒ん坊(nigger)」と呼んでいてな。だから、ワシは言ってやったんだ。「黒ん坊」というのは西インド諸島のインディアンで、あいつらは「ウォッグ(wog)」だよ、って ! すると、彼女は言うんだ。「No, no, no, クリケット選手全員が黒ん坊なのよ!」 (註 : 「wog」とは北アフリカや中東アジア、南歐に住む浅黒い人々を指す侮蔑語らしい。由来は不明確なんだけど、イングランドでは人種差別用語と思われている。)

  まぁ、この『Fawlty Towers』が放送されたのは1975年だから、まだポリティカル・コレクトネスの害悪はそれほど社会に浸透していなかった。多文化・多民族教育が猖獗を極めるのは1980年代後半であるから、たとえジャマイカ人やインド人の移民が局にイチャモンを附けても、制作者には跳ね返すだけの気概が残っていた。しかし、今では絶対に「NG」だ。1970年代はまだ表現の自由があったので、視聴者で目くじらを立てる者は少なかったが、「マイノリティー」が膨大な数にのぼった現在、再放送での“危険なセリフ”はみんなカット。たとえ、コメディアンのギャグでも駄目。こうした削除、つまり作品の“切り刻み”に出演者のジョン・クリーズは大憤慨。娯楽作品に政治を持ち込むのは野暮である。ちなみに、クリーズは伝説のコメディー番組『モンティー・パイソン(Monty Python)』で有名になった人気コメディアンである。

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(上  / ナチ・ドイツをパロディーにした『空飛ぶモンティー・パイソン』 )

  日本でも『空飛ぶモンティー・パイソン』というタイトルで放送されたから、懐かしいと思う人も多いだろう。出演者のジョン・クリーズやエリック・アイドル(Eric Idle)、グレアム・チャップマン(Graham Chapman)はケンブリッジ大卒のコメディアンだから、彼らのユーモアには上品さと辛辣さが混ざっている。レーニンやヒトラー、マルクスなどの話題を交えたコメディー討論会はとても刺戟的で愉快だ。ちなみに、ミュージシャンでもあるエリック・アイドルは、アニメの実写版映画『キャスパー』にも出演している。たぶん、日本の子供達にも馴染みがあるはずだ。テリー・ギリアム(Terry Gilliam)だけは「元アメリカ人」の帰化人で、彼はコメディアンの傍ら映画監督もこなしている。ブルース・ウィルスやブラッド・ピットが出演した『12モンキーズ(Twelve Monkeys)』も彼の監督作品だ。

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( 左 : ジョン・クリーズ /  エリック・アイドル  / グレアム・チャップマン  /  右 : テリー・ギリアム )

アニメ作品にも「表現の規制」が

  以前、当ブログで紹介したが、日本でも「ポリコレ」の浸透は深刻で、時代劇ばかりじゃなく、アニメ作品にも影響を及ぼしている。例えば、手塚治虫が原作者で、『機動戦士ガンダム』の富野善幸(由悠季 / よしゆき)が監督を務めた『海のトリトン』で、「おし」というセリフが削除され、一瞬だけ「無音」状態となっていた。1973年に放送された『ジャングル黒べえ』では、主人公がアフリカのピグミー族で王様の息子という設定だった。笑ってしまうのは、「黒べえ」がアフリカで飛行機の翼に摑まり、そのまま日本にやって来て、機体から落ちてくるという話だ。当然、黒べえは「密入国者」に該当するが、アニメなので問題無し。この王子様はそのまま「佐良利」家の居候となる。ただし、「黒人差別をなくす会」がイチャモンをつけてきたので、再放送されない「封印アニメ」となってしまい、子供達の目に触れることはなかった。ちなみに、原作者は藤子・F・不二雄で、アニメ化のとき宮崎駿が原案に加わったという。

  昭和の頃まで、日本社会は藝術や言論の自由を尊重し、アニメや漫画に対して寛大だった。多少、エッチな番組や残忍なシーンがあっても、「庶民のサブ・カルチャー」ということで、“お上”も目くじらを立てることはなかった。PTAや学校の先生だって大目に見ていたし、「子供の娯楽」だから大人がどうこう言うことじゃない、と思っていたのだろう。もし、永井豪(ながい・ごう)先生の漫画やアニメが歐米諸国で放送されたら大変だ。1970年代だと、まだ倫理道徳にうるさかったから、一般家庭は「日本のアニメなど暴力的で卑猥だ !」と言い出しかねない。

  例えば、1972年に放送された『デビルマン』は大人気アニメとなり、小学生はテレビにかじりつきだった。永井先生のキャラクターは如何にも日本人らしい。何しろ、「不動明(ふどう・あきら)」に乗り移ったデビルマンが「牧村美樹(ミキ)」という娘に惚れてしまい、仲間である「デーモン族」を裏切ってしまうのだ。愛するミキを守るため、デビルマンはデーモン一族を率いる魔王「ゼノン」や将軍「ザンニン」と戦うようになるが、次第に他の人間も助けるようになる。冷酷なはずの悪魔なのに、人間と触れ合ううちに自然と温かい感情を抱くようになるところが、如何にも日本のアニメらしい。もし、支那人がデーモン一族を描いたら、掠奪強姦を繰り返す極悪軍団になってしまうだろう。当然、弱い者は皆殺しとなる。だいたい、毛沢東や習近平は「人間」として生まれたはずなのに、いつの間にかデーモン族よりも残酷な悪魔となっているんだから、支那大陸はまさしく魑魅魍魎の世界に他ならない。日本では「デーモン小暮」だって礼儀正しく、テレビ局のスタッフに気を遣っているのにねぇ~。

Devilman 2(左  / 縛られた妖獣「イヤモン」 )
  永井先生の作品だから仕方ないけど、妖獣「イヤモン」のエピソードはフランスやドイツのPTAで“教育問題”となるだろう。ミキの精気を吸い取ったイヤモン(小娘の幼獣)は、戦闘中にデビルマンに捕まってしまう。そこで、ミキを助けたいデビルマンはイヤモンを縛ってクレーンに吊るし、ムチを持って拷問してしまうのだ。刮目すべきは、デビルマンが服からこぼれたイヤモンの乳房を鞭で何回もひっぱたくシーンである。小悪魔のような娘をロープで縛り、そのオッパイを鞭で叩くなんて、SMショーに見えてくるじゃないか ! フランスやドイツのリベラル派が観たら目くじらを立てて糾弾するぞ。でも、日本の親は何も言わなかったし、子供達も普通に観ていた。なんか、日本って凄い。スケベ野郎が多い、あのイタリアだって、日本のアニメは「R指定」になるはずだ。

  永井先生の代表作として忘れてならないのが、1973年にアニメ化された『キューティーハニー』だ。現在の子供達はリニューアルされたVOA版の『キューティー』しか知らないが、ホンモノは1stシーズンだけで、後の作品は水で薄めたワインみたいなものである。この作品にも「ポリコレ」が忍び寄っていて、如月ハニーが七変化をするシーンに発動されていた。1st作品では「ルンペン(路上乞食)」や「セムシ男」という変身があったが、新バージョンでは「不適切」ということで別の変身パターンに差し替えられている。ディズニー・アニメでも「ポリコレ」があって、『ノートルダムの瘻(せむし)男』が『ノートルダムの鐘』という邦題になっていた。もちろん、米国では『The Hunchback of Notre Dame』となっている。(ただし、ヴィクトル・ユーゴー(Victor Hugo)による原作のタイトルは、『Notre-Dame de Paris』となっている。)

  おそらく、日本の配給会社が「セムシ男」では“まずい”と考えたから、醜い「鐘つき男」を曖昧にして、『The Bells of Notre Dame』へと変えてしまったのだろう。また、美しいヒロインの「エスメラルダ」は「ジプシーの踊り子」という設定だが、この「ジプシー」という言葉も放送コードに抵触するのかどうか分からない。 筆者は事情に疎いので明言できないが、子供にDVDを見せる親は、こうした差別用語を避けて「ロマ」と教えているのだろうか? 最近では、「エスキモー(生肉を食べる人)」は侮蔑語とされ、「イヌイット」に置き換えられ、森永乳業の有名ブランド「エスキモー・アイス」も無くなってしまった。一方、「キャドベリー・パスカル(Cadbury Pascall)」社のブランド「エスキモー・パイ(Eskimo Pie)」も非難の的にされたが、この会社は名前を棄てなかったという。

  米国でも「ポリコレ」が浸透し、多くの老舗企業が攻撃されている。パンケーキのシロップで有名な「クェイカー・オーツ」社の『ジェミマおばさん(Aunt Jemima)』やシリアルとかの穀物食品で有名な『ベンおじさん(Uncle Ben)』も「黒人差別」で廃止となった。バナナの販売で知られている「ミス・チキータ(Miss Chquita)」や、インディアンのイラストで有名なバターの「Land O Lakes」も差別的表示となってしまったそうだ。そう言えば、日本でも「黒人への侮蔑」とされたから、老舗の「カルピス」や「タカラ玩具」のロゴマークが問題となり、いつの間にか変更されてしまった。日本人には黒人を差別する意図は無かったが、赤く染まった黒人には「侮辱の象徴」に見えてしまうのだろう。

Aunt Jemima 01Land O Lakes 001








(左 : 「ジェミマおばさん(Aunt Jemima)」  /  右 : 「Land O Lakes」 )

  とにかく、左翼陣営の「言葉狩り」は異常だ。これだと、いずれ『進撃の巨人』に登場する「オニャンコポン」も「黒人差別だ!」と指定され、吊し上げの原因になってしまうぞ。もし、日系の小学生が黒い混血児をからかい、滑稽な響きがする「オニャンコポン」という渾名をつければ、朝日新聞やNHKが取り上げて「社会問題」となってしまうだろう。作者の諫山氏は全く意識していないだろうが、もし、「オニャンコポン」がジーク・イェガーを食べて「獣の巨人」になったら、アメリカで大騒ぎになるだろう。何しろ、黒人が巨人化して「大猿」になるんだから。たぷん、ネオナチの白人は大笑いとなり、黒人の子供は屈辱感を噛みしめて大泣きだ。また、筆者の『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』読んだ高校生が、「支那人は巨人化していないのに、人肉を食べていたんだなぁ~」と冗談を言えば、大学への推薦入学は取り消しになるだろう。

  後編へ続く。



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