人種差別を嫌ったレイシスト作家
(写真 / 絵本を読んで楽しむ子供達)
現在、アメリカ合衆国では人種の軋轢で社会に煙が立ち籠めている。こうした現象の根底には、文化破壊で社会を転覆させようとする赤い地下水脈が流れているからだろう。我々はソ連の崩壊で共産主義が消滅したと思っているが、実は形を変えてアメリカやヨーロッパで生き延びていたのだ。かつて、フランシス・フクヤマはソ連の崩壊に歓喜し、自由主義民衆政の勝利だ、と称讃していた。しかし、共産主義者はゾンビの如く何度も蘇り、西歐人の生き血を啜りながら、その文化に牙を剝いている。共産主義の亡霊は、人権思想や平等主義といった衣(ころも)を纏っているから、一般人に分からないだけだ。
マルクスの呪詛は西歐世界のユダヤ人によって鼓舞され、黒人の精神へと流れ込んだ。バラク・オバマの例でも判る通り、白人に恨みを抱く有色人種は、文化破壊型のマルクス主義に魅了される。なぜなら、そこには憎い相手を叩きのめす“快感”があるからだ。黒人には自らの力で素晴らしい国家を建設することはできない。哀しいけど、アフリカ人を観れば納得できる。あと数百年経っても、まともな黒人国家は誕生しないだろう。しかし、破壊となれば話は別である。暴動は黒人の得意科目。放火や略奪となれば天下一品。逃げ足だって、ウサイン・ボルト(Usain St. Leo Bolt)並に速い。ところが、奇妙な事に、黒人にとって暴力革命の目的地は無い。忌々しい白人の国家を内部からぶっ壊すことが出来れば、それで満足。ただし、破壊した街を立て直す能力が無いから、しばらくすると白人に頭を下げることになる。実に情けないけど、現実はこんなものだ。
(左 : 「抗議デモ」のついでに掠奪をはたらく黒人 / 右 : 街に放火する黒人の暴徒)
トランプ政権が誕生してからというもの、アメリカでは「白人至上主義(white supremacy)」という言葉が流行語となった。「白人vs有色人種」という対立構造なら子供にも分かる。もちろん、主流メディアが煽ったことも要因の一つなんだが、有色人種というのは単細胞というか無鉄砲な奴が大半だから、誰に操られているのかも判らずに追随する者も多い。まるで、自衛隊に反対するピース・ボートの左翼みたいだ。普段は「自衛隊反対ぁぁ~い」と叫ぶが、いざ海賊に襲われると、「海自は何しているんだ?!」と怒り出す。黒人が白人に文句を垂れるのは分かるけど、それなら、なぜ彼らの祖先はマーカス・ガーヴィー(Marcus M. Garvey)に従ってアフリカへ戻らなかったのか? 嫌いな白人国家にしがみつき、「梃子でも帰らない !」と頑張るなんておかしい。
1990年代になると、アメリカの教育界では多民族主義が花盛り。黒人はブレイク・ダンスに夢中だったが、リベラル白人や大学教授は左翼音頭に没頭していた。彼らは人種カードを切ってアメリカの過去と文化を覆そうと謀る。本来、アメリカの公民教科書は「良きアメリカ国民」を育成するはずなのに、いつの間にか「反米分子」のマニュアルになっていた。歴史教科書を出版する「プレンティス・ホール(Prentice Hall)」や「マクグロー・ヒル(McGrow Hill)」、「ホートン(Houghton)」などが、いくら多様性(diversity)を謳っていても、その下地はマルクス主義ときている。各社に特色があるといっても、ピンク・リベラルからクリムゾン・コミュニズムの間くらいだ。基本路線は「白人が残酷な抑圧者で、黒人が憐れな被害者」という図式である。したがって、白人の子供は祖先の非道を恥じて罪悪感を抱く。一方、黒人の子供は恥辱の過去に憤慨し、白人への復讐を企てる。こんな教育内容だから、人種対立が白熱するのも当然だ。トランプ大統領が不満を募らせる白人層から熱烈な支持を受ければ、それに呼応するかのように、黒人やヒスパニックはトランプ大統領を口汚く罵る。昂奮した有色人種は「反レイシズム」や「BLM」というラッパを吹いて、街に繰り出しゲリラ戦を仕掛けた。
こうした風潮は児童文学にも深い影響を及ぼしている。その一例が、「Dr.Suessの児童書」を排除しようとする動きだ。たぶん、日本人にも馴染みがあると思うが、「ドクター・スース」とは、作者であるセオドア・スース・ガイゼル(Theodor Seuuss Geisel)のペンネームである。第二次世界大戦中、ガイゼルは政治的な風刺画を描くイラストレーターであったが、戦後になると子供向けの絵本作家になった。最近、彼の児童書は“人種差別”的要素があるとの理由で批判されるようになったが、生前のガイゼル自身がレイシストであったので、日本人なら「因果応報なんじゃねぇか?」と思いたくなる。(註 : ガイゼルは1991年に亡くなっている。)
(左 / セオドア・スース・ガイゼル )
セオドア・スース・ガイゼルは1904年、マサチューセッツ州スプリングフィールドで生まれている。彼の両親は地元にあるドイツ系アメリカ人のコミュニティーでちょいと知られる顔役であった。父親のセオドア・ロバート・ガイゼルは、稼業である酒造会社を営んでいたが、禁酒法の煽りを受けて商売を閉じることになった。母親のヘンリエッタ・スースもドイツ系らしく、実家の父親は「スース・ベイカリー」を経営する人物であった。ヘンリエッタは教育熱心なインテリであったようで、息子のセオドアにグリム兄弟の童話やゲーテの作品をドイツ語で読み聞かせ、彼の知的好奇心を喚起したそうだ。第20世紀前半のアメリカでは、まだドイツ語を家庭の言葉にする移民も多かったので、ガイゼル家だけが特殊なケースではない。
ところが、「ドイツ人の血統」や「ドイツの文化的遺産」は時に“マイナス”となったようで、第一次世界大戦が勃発すると、英国と同じく米国内でも反ドイツの気風が強くなり、セオドアは学校の友達から「カイゼルのガキんちょ(Kaiser's Kid)」と呼ばれるようになった。(Jennifer Hewett, "The Logical Insanity of Theodor Geisel", The American Interest, Vol. 5, No.6, 2020.) そして1930年代になってナチスが台頭すると、彼はドイツ系の血筋ゆえに白眼視されることもあったらしい。そう言えば、レーガン政権で軍縮担当の特別補佐官になったポール・ニッチェ(Paul Henry Nitze)も、ドイツ系であるがゆえに、家庭以外の場所では、なるべくドイツ語を話さないようにしていたそうだ。(ちなみに、彼は元々民衆党に属していた。戦時中はF.D.R. に協力し、戦後になるとJ.F.Kに仕えていた。ジョンソン政権時代になると海軍長官や国防次官となったから、アメリカの軍事政策を内側から見ていた戦略家と言えよう。)
「ドクター・スース」は一応、「ドイツ系アメリカ人」と紹介されているが、その血統は曖昧なままとなっている。なぜなら、ジャーナリストのプリシラ・フランクによると、スースは“ドイツ系ユダヤ人”の子孫であるというのだ。(Pricilla Frank, "Old-School Dr. Seuss Drawing Skewer Fascism One Frightening Drawing At A Time", The Huffington Post, December 5, 2016.) 『Dr. Seuss Goes to War』を書いたリチャード・ミネアー(Richard Minear)は、セオドアの簡潔な経歴を紹介しているが、彼の血統に関しては明確にせず、ただ彼の祖父母がドイツから渡ってきたとだけ記している。セオドアの血筋に関しては、次のようなエピソードがある。彼がダートマス・カレッジに通っている頃、「Sigma Phi Epsilon」という同好会(fraternity)に入ろうとしたが、ユダヤ人と間違えられて拒絶されたというのだ。(アメリカの大学ではギリシア文字を冠したクラブがあって、毛並みの良い学生が集まる友愛団体と見なされてる。だから、穢らわしいユダヤ人は“門前払い”というわけだ。ちなみに、女子学生の団体は「sorority」と呼ばれている。ラテン語の「soror」が「姉妹」を意味するから、女子同好会はこう呼ばれているのだろう。)
実際、セオドア・ガイゼルがドイツ系ユダヤ人なのか、ゲルマン系ドイツ人なのか判らない。普通のユダヤ人は自分の血統を公表するが、一部のユダヤ人は素性を隠し、「アメリカ人」とか「フランス人」、「オーストラリア人」と名乗っているので、故人ともなれば確かめようがない。自分の系譜を恥じるユダヤ人だと、子供にも告げない場合もあるのだ。所謂「自己嫌悪のユダヤ人(self-hated Jews)」である。以前、当ブログで紹介したように、元国務長官ジョン・ケリーのようなケースもあるので、ユダヤ人と疑われるようなアメリカ人やヨーロッパ人は意外と多い。
形式上、セオドア・ガイゼルはナチスの人種政策を嫌っていたので、ヒトラーを茶化すような風刺画を描いていたし、どのイラストでもドイツの総統は「悪党」になっていた。そして、彼はファシズムにも反対だったから、ムッソリーニを「横柄なアホ(bumbling idiot)」として描いている。でも、日本人となれば嗜好は別で、「醜い東洋人」という描き方であった。日本の代表となった東條英機首相や日本兵を描く場合には、目が細く、目尻が吊り上がった出っ歯の黄色人種となる。ただ公平を期せば、「ドクター・スース」だけが異常なのではない。当時のアメリカ人が敵国の日本兵を描けば、大抵のイラストはドクター・スースと同じ図柄だ
(左 : 悪の化身たるヒトラーの絵 / 中央 : ムッソリーニを揶揄する風刺画 / 右 : 日本人を愚弄するイラスト )
それよりも興味深いのは、若きセオドアが同好会の学生に受け容れてもらうために、ステレオ・タイプのユダヤ人を描いたことだ。たぶん不本意であったのだろうが、ユダヤ系ではないことを証明するために、わざとユダヤ人を小馬鹿にする絵を描いたのかも知れない。とはいっても、彼の本心は永遠に不明だ。もしかするとセオドアの父親か母親のどちらかが、ドイツ系ユダヤ人だったという可能性もある。ちなみに、1940年のドイツでは悪名高い反ユダヤ主義の映画『ジュー・ズース(Jud Süß / ユダヤ人ズース)』が制作されたから、「Zuß(ズース)」や「Zoice(ゾイス)」の発音から「スース(Seuss)」もユダヤ名なんじゃないか、と勘ぐる人がいる。余談になるけど、フェルディナンド・マリアン(Ferdinand Marian)が演じた「ユダヤ人ズース」は如何にもセム種族らしい顔つきであった。彼がアーリア人の女性に言い寄る姿を見れば、ドイツ人のみならず、他のヨーロッパ人も背中に戦慄が走ったはずだ。
(左 : 「ユダヤ人ズース」を演じたフェルディナンド・マリアン/ 中央 : 『ユダヤ人ズース』のポスター / 右 : アーリア人の女性に言い寄るズース)
戦後、児童文学者として人気を誇ったドクター・スースであったが、若い頃は英文学者を目指していたそうだ。ダートマス・カレッジを卒業後、セオドアはオックスフォード大学のリンカン・カレッジに入学した。しかし、彼はイラストの方に興味があり、友人も彼の才能を認めていたので、英文学者の道を諦め、イラストレーターの人生を歩むことにしたそうだ。「Dr.Seuss」というのは、博士号を断念したことで附けた筆名であったという。ちなみに、セオドアへ助言を与えた友人というのは、ウェズリー大卒のマリアン・ヘレン・パーマー(Marian Helen Palmer)嬢で、後に彼女はセオドアと結婚した。やがて二人は離婚となるが、マリアンはイラストを編集する役割も担っていたそうだ。
政治的風刺画を止めたセオドアは、ビジネス界で活躍するイラストレーターになった。有名なのは「NJのスタンダード石油(Standard Oil of New Jersey)」が発売したスプレー式の殺虫剤(Flit)の広告で、セオドアはこのブランド品のために「フリットのヘンリー(Henry the Flit)」なるキャラクターを創りだした。その後、フォード・モータースやNBCラジオ、ホリー・シュガーなどのイラストを手掛けたドクター・スースは、次第に子供向けの絵本を描くようになった。『The Cat in the Hat』や『Green Eggs and Ham』、『And To Think Taht I Saw It on Mulberry Street』、『Horton Hatches the Egg』などが彼の代表作だ。
(左 : 「フリット」の宣伝イラスト / 右 : アフリカ人を愚弄する宣伝用のイラスト)
しかし、近年、多文化・多民族主義の教育が普及したせいで、レイシズムに対する糾弾が激しくなった。この矛先はドクタ-・スースの絵本も向けられ、ロングセラーを誇っていた児童書は推薦図書のリストから消され、出版停止の憂き目にも遭ってしまう。ただし、ドクター・スースは一方的な被害者ではない。ナチズムに反対していたはずのセオドア・ガイゼルは、意外とレイシストで、有色人種(所謂、左翼用語の「マイノリティー」)を茶化すようなイラストが少なくなかった。例えば、彼は黒人のボクサーを描く際にゴリラをモデルにしていたし、絵本の中でアフリカ人を描く時には、類人猿や猿を用いていたのだ。(P.J. Grisar, "Yes, Dr. Seuss wrote racist books. He still has things to teach us", The Jewish Daily Forward, March 2, 2021.)
アジア人に対しても同様なステレオタイプを抱いており、東洋人のイラストでは目尻の吊り上がった使用人といったキャラクターになっていた。その典型例が支那人のイラストである。1930年代に描かれた「支那人(Chinaman)」は、弁髪(pigtail / 豚の尻尾)を吊した黄色人種となっており、箸を持ちながら奇妙な三角帽を被っている。ところが、こうした風刺画はPC(ポリコレ)に抵触するので、1978年の改訂版では黄色い肌と弁髪が削除されていた。(Rebecca Onion, "How Dr. Seuss Responded to Critics Who Called Out His Racism", Slate, March 3, 2021.) 「Chinaman」も侮蔑語になるので、「Chinese」に書き換えられている。
( 左 : 改定された支那人のイラスト / 中央と右 : 醜い東洋人に描かれた日本人 )
確かに、こうしたステレオタイプのキャラクターを見れば、米国の黒人やアジア人は屈辱感を抱き、ドクター・スースのイラストに不快感や憎しみを覚えるだろう。とりわけ、子供は敏感だから、白人の子供がゴリラ姿の黒人を見れば、アフリカ系の友達を茶化してクスクス笑うこともある。一方、馬鹿にされた黒人の子は癇癪をおこす。でも、それと同時に自分の容姿を鏡に映して劣等感を抱く。日系アメリカ人も同じで、自分がアーリア人じゃないと分かり、アメリカ社会での疎外感を抱くことも・・・。なるほど、ナチス時代のドイツ人は冷酷残忍な悪党だけど、何となく格好良く、間抜けというより“切れ者”というイメージが湧いてくる。ところが、日本人だと野蛮な類人猿。目尻の吊り上がった妖怪か、出っ歯の東洋人というのが定番だ。これを目にすれば、誰だって醜いと思ってしまうだろう。しかも、外見的にクーリー(苦力)の支那人と似ているから、日系アメリカ人は居たたまれなくなる。
まぁ、どこの国でも外人(よそ者)に冷たく、その容姿を以て愚弄にするから、アメリカ人やヨーロッパ人だけが極悪という訳でもない。大切なのは、銭のために他国へ移住しないことである。日本人は日本に住めばいい。歐米諸国の人種差別が嫌いなら、アジア大陸やアフリカ大陸へ移住してみることだ。そうすれば、違った差別に苦しむから、「日本が最高」と肌で分かる。在日鮮人も祖国に帰るのが一番。鮮人差別の日本人が嫌いなら、チョッパリ嫌いの半島へ帰れ ! 日本でヌクヌクと暮らす朝鮮人は、「血税」という徴兵制に従い、厳しい軍事訓練に参加すべきだ。ユダヤ人だって同じである。メディア界や教育界を支配しながら、歐米諸国の白人に文句を垂れてい暇があるなら、さっさとイスラエルへ引っ越せ ! カナン(現在のパレスチナ)にある祖国では、アラブ人やアフリカ人に対する差別がてんこ盛りだから、帰還したユダヤ人は結構レイシズムを楽しめるぞ。「黒ん坊を叩き出せ !」と叫ぶユダヤ人の群衆を見ると、「あれがユダヤ人の本性だよなぁ~」とつい思ってしまう。
話を戻す。今年の三月、セオドア・ガイゼルの児童書を出版する「Dr. Seuss Enterprise」は、“問題”となっている六冊の絵本を発売中止にすると発表した。おそらく、今流行(はやり)の「キャンセル・カルチャー」の影響なんだろうが、人種差別を助長するようなイラストはマズいと思ったのだろう。「厄介な火種」は大火になる前に消しておいた方が悧巧だ。
ちょうど今、イングランドの王室は非常に厄介な内輪揉めに苦しんでいる。だいたい、身内の喧嘩に「人種」が絡むとロクなことがない。有名な黒人司会者のオプラ・ウィンフリーによるインタヴュー番組で、ヘンリー王子の隣に坐るメーガンは、英国王室の人種偏見を暴露し、アーチャー(息子)の容姿を問題にされたと嘆いていた。弟の告発を受けて、本国に君臨する兄のウィリアム王子は困惑を隠せず、「我々は人種差別的な家族ではない !」と反論していた。エリザベス女王も孫の不始末に頭を悩ませている。メーガンに夢中のアメリカ黒人は、テレビ画面にかじりつき、悲劇のプリンセスに同情するが、ブリテンのイギリス人は密かに反撥を抱いている。勤王派の国民は、心の底でヘンリー王子夫妻を批判しているようだ。意外な“とばっちり”を受けたのは、有名司会者のピアース・モーガン(Piers Morgan)だ。彼は自身のワイド・ショー(Good Morning Britain)でメーガンに共感せず、むしろ批判的な言論を展開したので、世間の糾弾を受けてしまい、長年の番組を降板する破目になってしまった。
(左 : 幼い時のメーガンと母親のドリア / 右 : スペンサー家の令嬢であるダイアナとキティー )
親子代々ブリテンに住むイギリス人は決して口にしないが、ヘンリー王子が黒人女優と結婚したことについては、あまり良い感情を抱いていなかった。いくら、ちょっと知られた女優とはいえ、アフリカ系のプリンセスなんて心から尊敬できない。しかも、メーガンは王室に嫁ぐと分かっていたのに、英国貴族の伝統や“しきたり”に興味が無かったのだ。皇室を戴く日本人だと唖然としてしまうが、アメリカの黒人なんて所詮こんなモノである。アメリカの有色人種は「生まれてくる赤ん坊の外見を気にするなんて赦せない!」と憤るが、七つの海を支配したイギリス国民からすれば、そんなのは当然の懸念だろう。王侯貴族にとって、血統は最も大切な要素である。どんな混血児でも平気なアメリカ人とは根本的に違うのだ。日本人の親だって息子や娘が黒人と結婚するとなれば、「赤ん坊がアフリカ人の顔つきになるけど、大丈夫なのかい?」と心配になるだろう。浅黒い子供を持てば、世間の目が気になるし、成長過程での苦労も予想できる。だから、父親はカンカンに怒って反対するし、亭主をなだめる母親だって、「もう一度考え直してちょうだい !」と子供を諭す。昭和時代の日本人は平成や令和の高校生とは違い、家系や血筋を大切にする意識を持っていた。
白人の小説を禁止にするカリキュラム
( 写真 / 白人社会に反抗す「フィールズ
トン校」の黒人生徒 )
とにかく、トランプ政権以降、アメリカ国内では人種対立が激しくなった。有色人種のアメリカ人、とりわけ黒人やヒスパニック系国民は白人社会への反感を隠さなくなったから、事あるごとに差別反対のデモを組織するようになった。学校でも「人種問題」は悩みの種で、白人は以前にも増して遠慮がちになり、自分に非が無くても黒人に謝罪する。レイシストの烙印を恐れる者は、臆病になって嵐が通り過ぎるのを待つ。一方、黒人は社会正義と人種平等を錦の御旗にして大威張り。フロリダ州ジャクソンヴィルにあるダグラス・アンダーソン藝術学校(Douglas Anderson School of Arts)では、父兄に対する説明会を白人用と有色人種用に分けたことで「問題」となった。話題となったのは、「文化・人種摩擦」で、どうも生徒同士の言葉遣いにあるようだ。黒人生徒のタイシャ・ガンは、白人生徒から「N-word(主にnigger)」を浴びせかけられたことで不満を漏らしていた。彼女の母親であるラトーヤ・ガンは、学校での人種分離を憂慮していた。(「ニグロ」という言葉には侮蔑が含まれていないのに、黒人は矢鱈とこの言葉を嫌い、「アフリカ系」という言葉を白人に強要する。)
しかし、生徒の保護者が受け取った電子メールには驚きの表現が記されていた。9時から11学年と12学年の有色人種生徒(students of color)に向けた会議が開かれ、10時30分から11学年と12学年の白人生徒(white students)を集めた会議が開かれます、という文面だった。(Erk Avanier, "Douglas Anderson email : Cultural meetings to be split for students of color & white students", WJXT News 4 Jax, March 2, 2021.) おそらく、学校側からすれば、白人と有色人種の親を分けた方が良かろう、との配慮であったのかも知れない。しかし、結果は逆で、人種対立を更に悪化させてしまったようだ。
(左 / エドワード・フリーマン )
これほどまでにアメリカで人種対立が激しくなったのは、大量の有色移民を輸入したせいもあるが、高等教育でリベラル思想が蔓延したことにも原因がある。特に、名門校では人種平等のイデオロギーが支配的で、アングロ・サクソン人の文化や西歐文明の偉大さを強調するような教育は皆無だ。英国の歴史家であるエドワード・フリーマン(Edward August Freeman)は、かつてアメリカにやって来たことがある。彼は白人学生の前でアングロ・サクソン人の絆を強調し、アメリカにおけるイギリス文化の遺産について語っていた。その一方で、フリーマンは有色人種ついて厳しく、ユダヤ人なんかも大嫌い。戦前は、アイヴィーリーグの名門大学もユダヤ人に対して嫌悪感を持っていた。入試の結果だけで合否を判断してしまうと、ユダヤ人学生の比率が高くなるから、入学者数に制限(クォータ)を設けていたのだ。つまり、大学は義兄弟のような友人関係を築く場所でもあったので、穢らわしいユダヤ人は相応しくない、という訳である。しかし、今ではハーバードやイェールはユダヤ人の天下となってしまい、学長室や教授のオフィスにはユダヤ人がゴロゴロいる。コロンビア大学なんて極左ユダヤ人の巣窟で、マルクス主義の権化みたいなユダヤ人がひしめいている。スタンフォード大学やUCLAだって例外じゃないぞ。
ニューヨークは別名「ジューヨーク」と言われるくらいユダヤ人が多いけど、リベラル派の白人も負けずに多い。保守派の白人なんかは絶滅危惧種だ。ということで、子供が通う学校も深紅か桃色の左翼校がほとんど。最近ではカリキュラムにまで赤い思想が染み込んでいるそうだ。ロサンジェルスにある「ハーヴァード・ウェストレイク校(Harvard-Westlake)」や、ブルックリンにある「グレイス・チャーチ校(Grace Church School)」ではリベラル思想が基本理念になっている。左翼思想にドップリ漬かった裕福な白人は、大金を払って我が子を通わせるが、そこには貧しい黒人の子供も混ざっている。なぜ、裕福でもない黒人が通えるのかといえば、劣等種族に対する奨学金や有色人種を優先的に迎える入学制度があるからだ。
リベラル思想に染まった学校では、左翼白人や怒れる黒人が西歐文明を中心とした教育方針に異議を唱えている。こうした波により、白人向けのカリキュラムは徐々に削減され、空いた時間には有色人種の文化が組み込まれているようだ。また、PC(政治的に正しい行動様式)の推進も当たり前で、「言葉狩り」が自然な風潮になっている。グレイス・チャーチ校では12ページの指導書が配布されたそうで、そこには注意すべき言葉がリストアップされていた。例えば、「両親(parents)」という言葉よりも、曖昧な「家族の皆さん(folk)」の方が好まれるようだ。(Bari Weiss, "The Miseducation of America's Elites", City Journal, March 9, 2021.) たぶん、アメリカでは片親しかいない家庭とか、異人種の養子を持つ家庭、あるいはゲイやレズビアンの家庭などがあるから、父親と母親が揃った従来の家庭を想定すると、様々な問題が生じてしまうのだろう。確かに、二人の父親とか二人の母親に育てられる子供が、「両親」という言葉を耳にすれば、どちらが「父親」でどちらが「母親」なのか判らず、困惑した表情になる。中には性転換した元男の母親もいるので、アメリカはまさしくソドムとゴモラの現代版だ。
白人中心の社会に恨みを抱く黒人は、イギリス系アメリカ人を倫理的に糾弾し、「白人ばかりを教科書の偉人にするな !」と騒ぎ立てる。黒人奴隷の子孫や苦力の末裔、不法入国者を祖父母か両親に持つ南米人、ムスリム移民の子供にしたら、西歐人の小説家や藝術家、軍人、政治家なんか“赤の他人だろう。それゆえ、黒人の過激派は、「もっと黒人の作家や文化人を題材にしろ !」と喚く。ロサンジェルスにある名門進学校、「ブレントウッド校(Brentwood)」では、リベラル白人が有色人種の要求に屈服したそうで、古典のカリキュラムからナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)の『The Scarlet Letter(緋文字)』や、ルイーザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott)の『Little Women(若草物語)』、ネル・ハーパー・リー(Nelle Harper Lee)の『To Kill a Mockingbird(アラバマ物語)』、ウィリアム・ゴールディング(William Golding)の『Lord of the Flies(蠅の王)』が削除されたという。
(左 : ナサニエル・ホーソーン / ルイーザ・メイ・オルコット / ネル・ハーパー・リー / 右 : ウィリアム・ゴールディング )
(左 / マーク・トゥエイン)
英米文学を専攻した日本人はビックリするけど、アメリカでは黒人に対して偏見を抱いていた作家や、人種差別的表現を用いた小説家などは、国語(英語)の授業から排除される傾向にある。一部の黒人評論家や左翼教師は、あのマーク・トゥエイン(Mark Twain / 本名Samuel Langhorne Clemens)にさえ反感を抱き、『トム・ソーヤの冒険(The Adventures of Tom Sawyer)』をレイシズム文学に分類してしまうのだ。でも、こんな要求はまだ序の口で、左翼黒人は白人に対し、「奴隷制度の賠償を行え !」と本気で騒いでいる。もし、そなことを実施すれば、賠償金額はいくらになることか?! 天文学的数字どころじゃ済まないぞ。
第一、誰が奴隷の子孫なのかを選別するとなれば、系譜の調査だけで“ひと苦労”となるし、不正受給の問題も浮上してくる。中には、ジャマイカとか南米、キューバからやって来た黒人移民の子孫も混じっているから、どさくさに紛れて賠償金を掠(かす)め取る者も出てくるだろう。バイデンがホワイトハウスに乗り込んでから、有色人種への優遇政策が加速されたが、黒人左翼の要求を飲んでいたら教育界は滅茶苦茶だ。もし、多民族主義で育った子供が政界に進出すれば、その大半がオカシオ・コルテス(Alexandria Ocasio-Cortez)かイルマン・オマール(Ilhan A. Omar)の複製になるし、残りは極左ユダヤ人のバーニー・サンダースかインド系極左のカマラ・ハリスの継承者になるだろう。ジョージ・ワシントンやーアレクサンダー・ハミルトンが蘇ったら、アメリカの惨状に顔を歪め、再び棺の中に戻ってしまうかも。
( 左 : オカシオ・コルテス / イルマン・オマール / バーニー・サンダース / 右 : カマラ・ハリス )
アイザック・ニュートンの名が抹殺される授業
( 左 / アイザック・ニュートン)
有色人種への配慮は文学の授業だけではない。何と、理科や数学の教育内容にも浸透していた。信じられないけど、『City Journal』に記事を書いたバリ・ウェスによると、ロサンジェルスにある某学校では、「ニュートンの法則(Newton's laws of motion)」という呼び名が「物理学の基本三原則(three fundamental laws of physics)」という名称に変わったそうだ。日本人の子供なら、アイザック・ニュートンに不満を述べず、慣性の法則、運動の法則、作用・反作用の法則を理解できるように努めるだろう。でも、アメリカの黒人は違っていて、「こんなのは白人が構築した学問じゃないか ! 俺は白人が中心となる世界を赦せない! 何で白人が勝手に決めた名称で勉強するだ! 納得できない。そんなの御免だ !」とソッポを向く。馬鹿な子供と愚劣な親を相手にする白人教師は本当に気の毒だ。
名門校では黒人生徒が大威張りし、それに対して校長や担任は同調するか、沈黙を貫くらしい。子供を通わせている保護者の中には、こうした左翼教育に不満を持つ白人が少なくないそうだ。何しろ、ハーヴァード・ウェストレイクやブレントヴッドの教育費は高い。我が子を通わせるとなれば、年間4万から5万ドルくらいかかってしまうのだ。たった1年で500万円の授業料を払うなんて、日本の公立学校では考えられない。普通の公立高校なら、色々な項目を含めても年間40万円前後だろう。だから、高額な授業料を納める白人の親からすれば、黒人に媚びたカリキュラムなんて言語道断だ。
白人保護者の不満はこれだけではない。アメリカの小学校は人種偏見の矯正施設となっている。反レイシズムの要諦は“否定”にある。白人の子供は自分の容姿や種族に誇りを持ってはならないという。アングロ・サクソン系の祖先を持つ子供が、イギリス文化を自慢するなんて御法度。アメリカは世界中の貧民が集まって幸せに暮らす「移民の国」というのが左翼の主張である。つまり、世界中の厄介者を受け容れる「ゴミ捨て場(dumping ground)」という訳だ。バリ・ウェスはある教師からの内輪話を聞いたという。この教師は反レイシズムのカリキュラムで教えるよう命令され、白人が支配するピラミッド構造を糾弾するように指導された、というのだ。
こうした左翼教育を受ける子供の話も紹介されていた。ある日、学校から帰ってきた少女が、父親に向かってこう言ったそうだ。「肌の色が明るい人々は、肌の色が黒い人を好きじゃなく、彼らを軽蔑しているんだって !」と。すると、父親は学校での洗脳教育に驚愕し、「我が家ではそんな風に思っている人はいないんだよ」と説明したそうだ。ハーヴァード・ウェストレイクに子供を通わせている別の親の話も非常に恐ろしい。ある日、帰宅した息子が母親に話したそうだ。「ママ、僕は今日、自分がレイシストだって事が判ったんだ。僕は白色のヨーロッパ人の方が好きだから・・・」と。実は、この少年は混血児であった。おそらく、黒人と白人との間に生まれた子供なんだろう。とにかく、息子の告白を聞いた母親は肝を潰して怒り心頭だった。
(左2枚 : 抑圧者で罪悪感を抱く白人の子供 / 右2枚 : 被害者の意識を持つ黒人の子供)
ブレントウッド校に子供を通わせている、ある母親も似たような問題を抱えており、白人を抑圧者と考える学校の教義に異議を唱えていた。しかし、学校側は彼女が白人だから理解できないんだ、という反感を持っていたそうである。彼女の子供は将来、自分が希望する何らかの職業や地位に就けても、それを「マイノリティー」に譲りなさいと教えられたそうだ。たぶん、新入社員の採用における人種枠みたいなものを聞いたんだろう。彼女の子供はこう尋ねたという。「ねぇママ、僕は一生懸命働いても、その褒美(報酬)は貰えないの?」と。こうした理不尽な洗脳教育に腹を立てる親は結構多い。でも、学校に通う子供からは沈黙するよう頼まれるそうだ。親の憤慨は理解できるけど、もし激怒した親が中学や高校に乗り込んでくれば、有色人種の生徒からどんなイジメや糾弾を受けるのか分からない。白人の生徒は黙って教師のアジ演説を聴くか、懺悔の態度を示して「良い白人」を演じるしかないのだ。南部の保守白人みたいに、「なに言ってやがんだ、テメェら ! 白人で何が悪いんだ ! お前らこそ、アメリカからさっさと出て行け ! そんなに白人社会が嫌いなら、アフリカに帰って野糞でもしていろ !」なんて言ったら一大事。もしかすると、暴言を吐いた白人生徒は、停学か退学処分になるだろう。
人種差別の撲滅に熱狂する教師は、アメリカ社会にはびこる全ての白人優越思想に牙を剝く。彼らの考えはこうだ。白人は白人であるがゆえに希望する会社に採用され、白人であるが故に良い地位に就ける。しかし、有色人種は非白人であるが故に、どんなに優秀でも希望の職種に就けないし、昇進すら困難である、と。だから、白人の子供に対して、「黒人やヒスパニックの人に譲りなさい」という説教になるんだろう。これは日本の左翼教師が口にする「戦前の軍国日本は朝鮮人に対して悪い事をしたから、日本人は謝罪しなければならない」という罪悪史観と同じである。
それにしても、なぜアメリカの上流社会や中流階級では、白人のリベラル派が圧倒的なのか? それは名門の寄宿舎学校や私立の進学校、全米各地の大学で左翼教育が徹底しているからだ。フランクフルト学派に代表される左翼勢力は、何年もかけて地道に大学の至る所に浸透し、理事職や教授職を占領してきた。西歐文明や白人社会を擁護する保守派は、終身教授職に就けず、大学から追い出されて浪人暮らし。運良く就職先が見つかっても、せいぜい小規模な研究所かミニコミ誌の編集部くらい。高額の寄付金が集まるようなシンクタンク(think tank)なんて端っから無理。こうした研究機関はユダヤ人のポケットマネーに頼っているから、西歐人のナショナリズムを鼓舞するような学者は門前払いである。
筆者はしつこいくらい移民の有害性と多民族社会の危険性を述べてきた。しかし、一般国民はもとより、保守派の言論人でさえ、この話題になると臆病になる。今のところ、日本人は「対岸の火事」と思って高みの見物を決め込んでいるが、その火種はやがて日本にも降り懸かってくるだろう。一般国民は1階で火事が起こっているのに、2階の部屋で熟睡している子供のようだ。ベッドから起きて逃げ出すのが億劫だから、「あと10分寝かせてくれ」と頼む者に“まともな未来”は無い。焼死体になってから、健康の有り難さを実感しても手遅れだ。我々は他国の失敗を素直に受け容れ、勇気を以て「アジア移民に反対 !」と叫ぶべきであろう。左翼から「差別主義者」と罵られても怯まないことが肝要である。保守派が左翼勢力に対して連敗を喫しているのは、彼らを積極的に攻撃せず、いつも防禦に徹しているからだ。凋落する民族は、精神から衰退するものである。
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(写真 / 絵本を読んで楽しむ子供達)
現在、アメリカ合衆国では人種の軋轢で社会に煙が立ち籠めている。こうした現象の根底には、文化破壊で社会を転覆させようとする赤い地下水脈が流れているからだろう。我々はソ連の崩壊で共産主義が消滅したと思っているが、実は形を変えてアメリカやヨーロッパで生き延びていたのだ。かつて、フランシス・フクヤマはソ連の崩壊に歓喜し、自由主義民衆政の勝利だ、と称讃していた。しかし、共産主義者はゾンビの如く何度も蘇り、西歐人の生き血を啜りながら、その文化に牙を剝いている。共産主義の亡霊は、人権思想や平等主義といった衣(ころも)を纏っているから、一般人に分からないだけだ。
マルクスの呪詛は西歐世界のユダヤ人によって鼓舞され、黒人の精神へと流れ込んだ。バラク・オバマの例でも判る通り、白人に恨みを抱く有色人種は、文化破壊型のマルクス主義に魅了される。なぜなら、そこには憎い相手を叩きのめす“快感”があるからだ。黒人には自らの力で素晴らしい国家を建設することはできない。哀しいけど、アフリカ人を観れば納得できる。あと数百年経っても、まともな黒人国家は誕生しないだろう。しかし、破壊となれば話は別である。暴動は黒人の得意科目。放火や略奪となれば天下一品。逃げ足だって、ウサイン・ボルト(Usain St. Leo Bolt)並に速い。ところが、奇妙な事に、黒人にとって暴力革命の目的地は無い。忌々しい白人の国家を内部からぶっ壊すことが出来れば、それで満足。ただし、破壊した街を立て直す能力が無いから、しばらくすると白人に頭を下げることになる。実に情けないけど、現実はこんなものだ。
(左 : 「抗議デモ」のついでに掠奪をはたらく黒人 / 右 : 街に放火する黒人の暴徒)
トランプ政権が誕生してからというもの、アメリカでは「白人至上主義(white supremacy)」という言葉が流行語となった。「白人vs有色人種」という対立構造なら子供にも分かる。もちろん、主流メディアが煽ったことも要因の一つなんだが、有色人種というのは単細胞というか無鉄砲な奴が大半だから、誰に操られているのかも判らずに追随する者も多い。まるで、自衛隊に反対するピース・ボートの左翼みたいだ。普段は「自衛隊反対ぁぁ~い」と叫ぶが、いざ海賊に襲われると、「海自は何しているんだ?!」と怒り出す。黒人が白人に文句を垂れるのは分かるけど、それなら、なぜ彼らの祖先はマーカス・ガーヴィー(Marcus M. Garvey)に従ってアフリカへ戻らなかったのか? 嫌いな白人国家にしがみつき、「梃子でも帰らない !」と頑張るなんておかしい。
1990年代になると、アメリカの教育界では多民族主義が花盛り。黒人はブレイク・ダンスに夢中だったが、リベラル白人や大学教授は左翼音頭に没頭していた。彼らは人種カードを切ってアメリカの過去と文化を覆そうと謀る。本来、アメリカの公民教科書は「良きアメリカ国民」を育成するはずなのに、いつの間にか「反米分子」のマニュアルになっていた。歴史教科書を出版する「プレンティス・ホール(Prentice Hall)」や「マクグロー・ヒル(McGrow Hill)」、「ホートン(Houghton)」などが、いくら多様性(diversity)を謳っていても、その下地はマルクス主義ときている。各社に特色があるといっても、ピンク・リベラルからクリムゾン・コミュニズムの間くらいだ。基本路線は「白人が残酷な抑圧者で、黒人が憐れな被害者」という図式である。したがって、白人の子供は祖先の非道を恥じて罪悪感を抱く。一方、黒人の子供は恥辱の過去に憤慨し、白人への復讐を企てる。こんな教育内容だから、人種対立が白熱するのも当然だ。トランプ大統領が不満を募らせる白人層から熱烈な支持を受ければ、それに呼応するかのように、黒人やヒスパニックはトランプ大統領を口汚く罵る。昂奮した有色人種は「反レイシズム」や「BLM」というラッパを吹いて、街に繰り出しゲリラ戦を仕掛けた。
こうした風潮は児童文学にも深い影響を及ぼしている。その一例が、「Dr.Suessの児童書」を排除しようとする動きだ。たぶん、日本人にも馴染みがあると思うが、「ドクター・スース」とは、作者であるセオドア・スース・ガイゼル(Theodor Seuuss Geisel)のペンネームである。第二次世界大戦中、ガイゼルは政治的な風刺画を描くイラストレーターであったが、戦後になると子供向けの絵本作家になった。最近、彼の児童書は“人種差別”的要素があるとの理由で批判されるようになったが、生前のガイゼル自身がレイシストであったので、日本人なら「因果応報なんじゃねぇか?」と思いたくなる。(註 : ガイゼルは1991年に亡くなっている。)
(左 / セオドア・スース・ガイゼル )
セオドア・スース・ガイゼルは1904年、マサチューセッツ州スプリングフィールドで生まれている。彼の両親は地元にあるドイツ系アメリカ人のコミュニティーでちょいと知られる顔役であった。父親のセオドア・ロバート・ガイゼルは、稼業である酒造会社を営んでいたが、禁酒法の煽りを受けて商売を閉じることになった。母親のヘンリエッタ・スースもドイツ系らしく、実家の父親は「スース・ベイカリー」を経営する人物であった。ヘンリエッタは教育熱心なインテリであったようで、息子のセオドアにグリム兄弟の童話やゲーテの作品をドイツ語で読み聞かせ、彼の知的好奇心を喚起したそうだ。第20世紀前半のアメリカでは、まだドイツ語を家庭の言葉にする移民も多かったので、ガイゼル家だけが特殊なケースではない。
ところが、「ドイツ人の血統」や「ドイツの文化的遺産」は時に“マイナス”となったようで、第一次世界大戦が勃発すると、英国と同じく米国内でも反ドイツの気風が強くなり、セオドアは学校の友達から「カイゼルのガキんちょ(Kaiser's Kid)」と呼ばれるようになった。(Jennifer Hewett, "The Logical Insanity of Theodor Geisel", The American Interest, Vol. 5, No.6, 2020.) そして1930年代になってナチスが台頭すると、彼はドイツ系の血筋ゆえに白眼視されることもあったらしい。そう言えば、レーガン政権で軍縮担当の特別補佐官になったポール・ニッチェ(Paul Henry Nitze)も、ドイツ系であるがゆえに、家庭以外の場所では、なるべくドイツ語を話さないようにしていたそうだ。(ちなみに、彼は元々民衆党に属していた。戦時中はF.D.R. に協力し、戦後になるとJ.F.Kに仕えていた。ジョンソン政権時代になると海軍長官や国防次官となったから、アメリカの軍事政策を内側から見ていた戦略家と言えよう。)
「ドクター・スース」は一応、「ドイツ系アメリカ人」と紹介されているが、その血統は曖昧なままとなっている。なぜなら、ジャーナリストのプリシラ・フランクによると、スースは“ドイツ系ユダヤ人”の子孫であるというのだ。(Pricilla Frank, "Old-School Dr. Seuss Drawing Skewer Fascism One Frightening Drawing At A Time", The Huffington Post, December 5, 2016.) 『Dr. Seuss Goes to War』を書いたリチャード・ミネアー(Richard Minear)は、セオドアの簡潔な経歴を紹介しているが、彼の血統に関しては明確にせず、ただ彼の祖父母がドイツから渡ってきたとだけ記している。セオドアの血筋に関しては、次のようなエピソードがある。彼がダートマス・カレッジに通っている頃、「Sigma Phi Epsilon」という同好会(fraternity)に入ろうとしたが、ユダヤ人と間違えられて拒絶されたというのだ。(アメリカの大学ではギリシア文字を冠したクラブがあって、毛並みの良い学生が集まる友愛団体と見なされてる。だから、穢らわしいユダヤ人は“門前払い”というわけだ。ちなみに、女子学生の団体は「sorority」と呼ばれている。ラテン語の「soror」が「姉妹」を意味するから、女子同好会はこう呼ばれているのだろう。)
実際、セオドア・ガイゼルがドイツ系ユダヤ人なのか、ゲルマン系ドイツ人なのか判らない。普通のユダヤ人は自分の血統を公表するが、一部のユダヤ人は素性を隠し、「アメリカ人」とか「フランス人」、「オーストラリア人」と名乗っているので、故人ともなれば確かめようがない。自分の系譜を恥じるユダヤ人だと、子供にも告げない場合もあるのだ。所謂「自己嫌悪のユダヤ人(self-hated Jews)」である。以前、当ブログで紹介したように、元国務長官ジョン・ケリーのようなケースもあるので、ユダヤ人と疑われるようなアメリカ人やヨーロッパ人は意外と多い。
形式上、セオドア・ガイゼルはナチスの人種政策を嫌っていたので、ヒトラーを茶化すような風刺画を描いていたし、どのイラストでもドイツの総統は「悪党」になっていた。そして、彼はファシズムにも反対だったから、ムッソリーニを「横柄なアホ(bumbling idiot)」として描いている。でも、日本人となれば嗜好は別で、「醜い東洋人」という描き方であった。日本の代表となった東條英機首相や日本兵を描く場合には、目が細く、目尻が吊り上がった出っ歯の黄色人種となる。ただ公平を期せば、「ドクター・スース」だけが異常なのではない。当時のアメリカ人が敵国の日本兵を描けば、大抵のイラストはドクター・スースと同じ図柄だ
(左 : 悪の化身たるヒトラーの絵 / 中央 : ムッソリーニを揶揄する風刺画 / 右 : 日本人を愚弄するイラスト )
それよりも興味深いのは、若きセオドアが同好会の学生に受け容れてもらうために、ステレオ・タイプのユダヤ人を描いたことだ。たぶん不本意であったのだろうが、ユダヤ系ではないことを証明するために、わざとユダヤ人を小馬鹿にする絵を描いたのかも知れない。とはいっても、彼の本心は永遠に不明だ。もしかするとセオドアの父親か母親のどちらかが、ドイツ系ユダヤ人だったという可能性もある。ちなみに、1940年のドイツでは悪名高い反ユダヤ主義の映画『ジュー・ズース(Jud Süß / ユダヤ人ズース)』が制作されたから、「Zuß(ズース)」や「Zoice(ゾイス)」の発音から「スース(Seuss)」もユダヤ名なんじゃないか、と勘ぐる人がいる。余談になるけど、フェルディナンド・マリアン(Ferdinand Marian)が演じた「ユダヤ人ズース」は如何にもセム種族らしい顔つきであった。彼がアーリア人の女性に言い寄る姿を見れば、ドイツ人のみならず、他のヨーロッパ人も背中に戦慄が走ったはずだ。
(左 : 「ユダヤ人ズース」を演じたフェルディナンド・マリアン/ 中央 : 『ユダヤ人ズース』のポスター / 右 : アーリア人の女性に言い寄るズース)
戦後、児童文学者として人気を誇ったドクター・スースであったが、若い頃は英文学者を目指していたそうだ。ダートマス・カレッジを卒業後、セオドアはオックスフォード大学のリンカン・カレッジに入学した。しかし、彼はイラストの方に興味があり、友人も彼の才能を認めていたので、英文学者の道を諦め、イラストレーターの人生を歩むことにしたそうだ。「Dr.Seuss」というのは、博士号を断念したことで附けた筆名であったという。ちなみに、セオドアへ助言を与えた友人というのは、ウェズリー大卒のマリアン・ヘレン・パーマー(Marian Helen Palmer)嬢で、後に彼女はセオドアと結婚した。やがて二人は離婚となるが、マリアンはイラストを編集する役割も担っていたそうだ。
政治的風刺画を止めたセオドアは、ビジネス界で活躍するイラストレーターになった。有名なのは「NJのスタンダード石油(Standard Oil of New Jersey)」が発売したスプレー式の殺虫剤(Flit)の広告で、セオドアはこのブランド品のために「フリットのヘンリー(Henry the Flit)」なるキャラクターを創りだした。その後、フォード・モータースやNBCラジオ、ホリー・シュガーなどのイラストを手掛けたドクター・スースは、次第に子供向けの絵本を描くようになった。『The Cat in the Hat』や『Green Eggs and Ham』、『And To Think Taht I Saw It on Mulberry Street』、『Horton Hatches the Egg』などが彼の代表作だ。
(左 : 「フリット」の宣伝イラスト / 右 : アフリカ人を愚弄する宣伝用のイラスト)
しかし、近年、多文化・多民族主義の教育が普及したせいで、レイシズムに対する糾弾が激しくなった。この矛先はドクタ-・スースの絵本も向けられ、ロングセラーを誇っていた児童書は推薦図書のリストから消され、出版停止の憂き目にも遭ってしまう。ただし、ドクター・スースは一方的な被害者ではない。ナチズムに反対していたはずのセオドア・ガイゼルは、意外とレイシストで、有色人種(所謂、左翼用語の「マイノリティー」)を茶化すようなイラストが少なくなかった。例えば、彼は黒人のボクサーを描く際にゴリラをモデルにしていたし、絵本の中でアフリカ人を描く時には、類人猿や猿を用いていたのだ。(P.J. Grisar, "Yes, Dr. Seuss wrote racist books. He still has things to teach us", The Jewish Daily Forward, March 2, 2021.)
アジア人に対しても同様なステレオタイプを抱いており、東洋人のイラストでは目尻の吊り上がった使用人といったキャラクターになっていた。その典型例が支那人のイラストである。1930年代に描かれた「支那人(Chinaman)」は、弁髪(pigtail / 豚の尻尾)を吊した黄色人種となっており、箸を持ちながら奇妙な三角帽を被っている。ところが、こうした風刺画はPC(ポリコレ)に抵触するので、1978年の改訂版では黄色い肌と弁髪が削除されていた。(Rebecca Onion, "How Dr. Seuss Responded to Critics Who Called Out His Racism", Slate, March 3, 2021.) 「Chinaman」も侮蔑語になるので、「Chinese」に書き換えられている。
( 左 : 改定された支那人のイラスト / 中央と右 : 醜い東洋人に描かれた日本人 )
確かに、こうしたステレオタイプのキャラクターを見れば、米国の黒人やアジア人は屈辱感を抱き、ドクター・スースのイラストに不快感や憎しみを覚えるだろう。とりわけ、子供は敏感だから、白人の子供がゴリラ姿の黒人を見れば、アフリカ系の友達を茶化してクスクス笑うこともある。一方、馬鹿にされた黒人の子は癇癪をおこす。でも、それと同時に自分の容姿を鏡に映して劣等感を抱く。日系アメリカ人も同じで、自分がアーリア人じゃないと分かり、アメリカ社会での疎外感を抱くことも・・・。なるほど、ナチス時代のドイツ人は冷酷残忍な悪党だけど、何となく格好良く、間抜けというより“切れ者”というイメージが湧いてくる。ところが、日本人だと野蛮な類人猿。目尻の吊り上がった妖怪か、出っ歯の東洋人というのが定番だ。これを目にすれば、誰だって醜いと思ってしまうだろう。しかも、外見的にクーリー(苦力)の支那人と似ているから、日系アメリカ人は居たたまれなくなる。
まぁ、どこの国でも外人(よそ者)に冷たく、その容姿を以て愚弄にするから、アメリカ人やヨーロッパ人だけが極悪という訳でもない。大切なのは、銭のために他国へ移住しないことである。日本人は日本に住めばいい。歐米諸国の人種差別が嫌いなら、アジア大陸やアフリカ大陸へ移住してみることだ。そうすれば、違った差別に苦しむから、「日本が最高」と肌で分かる。在日鮮人も祖国に帰るのが一番。鮮人差別の日本人が嫌いなら、チョッパリ嫌いの半島へ帰れ ! 日本でヌクヌクと暮らす朝鮮人は、「血税」という徴兵制に従い、厳しい軍事訓練に参加すべきだ。ユダヤ人だって同じである。メディア界や教育界を支配しながら、歐米諸国の白人に文句を垂れてい暇があるなら、さっさとイスラエルへ引っ越せ ! カナン(現在のパレスチナ)にある祖国では、アラブ人やアフリカ人に対する差別がてんこ盛りだから、帰還したユダヤ人は結構レイシズムを楽しめるぞ。「黒ん坊を叩き出せ !」と叫ぶユダヤ人の群衆を見ると、「あれがユダヤ人の本性だよなぁ~」とつい思ってしまう。
話を戻す。今年の三月、セオドア・ガイゼルの児童書を出版する「Dr. Seuss Enterprise」は、“問題”となっている六冊の絵本を発売中止にすると発表した。おそらく、今流行(はやり)の「キャンセル・カルチャー」の影響なんだろうが、人種差別を助長するようなイラストはマズいと思ったのだろう。「厄介な火種」は大火になる前に消しておいた方が悧巧だ。
ちょうど今、イングランドの王室は非常に厄介な内輪揉めに苦しんでいる。だいたい、身内の喧嘩に「人種」が絡むとロクなことがない。有名な黒人司会者のオプラ・ウィンフリーによるインタヴュー番組で、ヘンリー王子の隣に坐るメーガンは、英国王室の人種偏見を暴露し、アーチャー(息子)の容姿を問題にされたと嘆いていた。弟の告発を受けて、本国に君臨する兄のウィリアム王子は困惑を隠せず、「我々は人種差別的な家族ではない !」と反論していた。エリザベス女王も孫の不始末に頭を悩ませている。メーガンに夢中のアメリカ黒人は、テレビ画面にかじりつき、悲劇のプリンセスに同情するが、ブリテンのイギリス人は密かに反撥を抱いている。勤王派の国民は、心の底でヘンリー王子夫妻を批判しているようだ。意外な“とばっちり”を受けたのは、有名司会者のピアース・モーガン(Piers Morgan)だ。彼は自身のワイド・ショー(Good Morning Britain)でメーガンに共感せず、むしろ批判的な言論を展開したので、世間の糾弾を受けてしまい、長年の番組を降板する破目になってしまった。
(左 : 幼い時のメーガンと母親のドリア / 右 : スペンサー家の令嬢であるダイアナとキティー )
親子代々ブリテンに住むイギリス人は決して口にしないが、ヘンリー王子が黒人女優と結婚したことについては、あまり良い感情を抱いていなかった。いくら、ちょっと知られた女優とはいえ、アフリカ系のプリンセスなんて心から尊敬できない。しかも、メーガンは王室に嫁ぐと分かっていたのに、英国貴族の伝統や“しきたり”に興味が無かったのだ。皇室を戴く日本人だと唖然としてしまうが、アメリカの黒人なんて所詮こんなモノである。アメリカの有色人種は「生まれてくる赤ん坊の外見を気にするなんて赦せない!」と憤るが、七つの海を支配したイギリス国民からすれば、そんなのは当然の懸念だろう。王侯貴族にとって、血統は最も大切な要素である。どんな混血児でも平気なアメリカ人とは根本的に違うのだ。日本人の親だって息子や娘が黒人と結婚するとなれば、「赤ん坊がアフリカ人の顔つきになるけど、大丈夫なのかい?」と心配になるだろう。浅黒い子供を持てば、世間の目が気になるし、成長過程での苦労も予想できる。だから、父親はカンカンに怒って反対するし、亭主をなだめる母親だって、「もう一度考え直してちょうだい !」と子供を諭す。昭和時代の日本人は平成や令和の高校生とは違い、家系や血筋を大切にする意識を持っていた。
白人の小説を禁止にするカリキュラム
( 写真 / 白人社会に反抗す「フィールズ
トン校」の黒人生徒 )
とにかく、トランプ政権以降、アメリカ国内では人種対立が激しくなった。有色人種のアメリカ人、とりわけ黒人やヒスパニック系国民は白人社会への反感を隠さなくなったから、事あるごとに差別反対のデモを組織するようになった。学校でも「人種問題」は悩みの種で、白人は以前にも増して遠慮がちになり、自分に非が無くても黒人に謝罪する。レイシストの烙印を恐れる者は、臆病になって嵐が通り過ぎるのを待つ。一方、黒人は社会正義と人種平等を錦の御旗にして大威張り。フロリダ州ジャクソンヴィルにあるダグラス・アンダーソン藝術学校(Douglas Anderson School of Arts)では、父兄に対する説明会を白人用と有色人種用に分けたことで「問題」となった。話題となったのは、「文化・人種摩擦」で、どうも生徒同士の言葉遣いにあるようだ。黒人生徒のタイシャ・ガンは、白人生徒から「N-word(主にnigger)」を浴びせかけられたことで不満を漏らしていた。彼女の母親であるラトーヤ・ガンは、学校での人種分離を憂慮していた。(「ニグロ」という言葉には侮蔑が含まれていないのに、黒人は矢鱈とこの言葉を嫌い、「アフリカ系」という言葉を白人に強要する。)
しかし、生徒の保護者が受け取った電子メールには驚きの表現が記されていた。9時から11学年と12学年の有色人種生徒(students of color)に向けた会議が開かれ、10時30分から11学年と12学年の白人生徒(white students)を集めた会議が開かれます、という文面だった。(Erk Avanier, "Douglas Anderson email : Cultural meetings to be split for students of color & white students", WJXT News 4 Jax, March 2, 2021.) おそらく、学校側からすれば、白人と有色人種の親を分けた方が良かろう、との配慮であったのかも知れない。しかし、結果は逆で、人種対立を更に悪化させてしまったようだ。
(左 / エドワード・フリーマン )
これほどまでにアメリカで人種対立が激しくなったのは、大量の有色移民を輸入したせいもあるが、高等教育でリベラル思想が蔓延したことにも原因がある。特に、名門校では人種平等のイデオロギーが支配的で、アングロ・サクソン人の文化や西歐文明の偉大さを強調するような教育は皆無だ。英国の歴史家であるエドワード・フリーマン(Edward August Freeman)は、かつてアメリカにやって来たことがある。彼は白人学生の前でアングロ・サクソン人の絆を強調し、アメリカにおけるイギリス文化の遺産について語っていた。その一方で、フリーマンは有色人種ついて厳しく、ユダヤ人なんかも大嫌い。戦前は、アイヴィーリーグの名門大学もユダヤ人に対して嫌悪感を持っていた。入試の結果だけで合否を判断してしまうと、ユダヤ人学生の比率が高くなるから、入学者数に制限(クォータ)を設けていたのだ。つまり、大学は義兄弟のような友人関係を築く場所でもあったので、穢らわしいユダヤ人は相応しくない、という訳である。しかし、今ではハーバードやイェールはユダヤ人の天下となってしまい、学長室や教授のオフィスにはユダヤ人がゴロゴロいる。コロンビア大学なんて極左ユダヤ人の巣窟で、マルクス主義の権化みたいなユダヤ人がひしめいている。スタンフォード大学やUCLAだって例外じゃないぞ。
ニューヨークは別名「ジューヨーク」と言われるくらいユダヤ人が多いけど、リベラル派の白人も負けずに多い。保守派の白人なんかは絶滅危惧種だ。ということで、子供が通う学校も深紅か桃色の左翼校がほとんど。最近ではカリキュラムにまで赤い思想が染み込んでいるそうだ。ロサンジェルスにある「ハーヴァード・ウェストレイク校(Harvard-Westlake)」や、ブルックリンにある「グレイス・チャーチ校(Grace Church School)」ではリベラル思想が基本理念になっている。左翼思想にドップリ漬かった裕福な白人は、大金を払って我が子を通わせるが、そこには貧しい黒人の子供も混ざっている。なぜ、裕福でもない黒人が通えるのかといえば、劣等種族に対する奨学金や有色人種を優先的に迎える入学制度があるからだ。
リベラル思想に染まった学校では、左翼白人や怒れる黒人が西歐文明を中心とした教育方針に異議を唱えている。こうした波により、白人向けのカリキュラムは徐々に削減され、空いた時間には有色人種の文化が組み込まれているようだ。また、PC(政治的に正しい行動様式)の推進も当たり前で、「言葉狩り」が自然な風潮になっている。グレイス・チャーチ校では12ページの指導書が配布されたそうで、そこには注意すべき言葉がリストアップされていた。例えば、「両親(parents)」という言葉よりも、曖昧な「家族の皆さん(folk)」の方が好まれるようだ。(Bari Weiss, "The Miseducation of America's Elites", City Journal, March 9, 2021.) たぶん、アメリカでは片親しかいない家庭とか、異人種の養子を持つ家庭、あるいはゲイやレズビアンの家庭などがあるから、父親と母親が揃った従来の家庭を想定すると、様々な問題が生じてしまうのだろう。確かに、二人の父親とか二人の母親に育てられる子供が、「両親」という言葉を耳にすれば、どちらが「父親」でどちらが「母親」なのか判らず、困惑した表情になる。中には性転換した元男の母親もいるので、アメリカはまさしくソドムとゴモラの現代版だ。
白人中心の社会に恨みを抱く黒人は、イギリス系アメリカ人を倫理的に糾弾し、「白人ばかりを教科書の偉人にするな !」と騒ぎ立てる。黒人奴隷の子孫や苦力の末裔、不法入国者を祖父母か両親に持つ南米人、ムスリム移民の子供にしたら、西歐人の小説家や藝術家、軍人、政治家なんか“赤の他人だろう。それゆえ、黒人の過激派は、「もっと黒人の作家や文化人を題材にしろ !」と喚く。ロサンジェルスにある名門進学校、「ブレントウッド校(Brentwood)」では、リベラル白人が有色人種の要求に屈服したそうで、古典のカリキュラムからナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)の『The Scarlet Letter(緋文字)』や、ルイーザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott)の『Little Women(若草物語)』、ネル・ハーパー・リー(Nelle Harper Lee)の『To Kill a Mockingbird(アラバマ物語)』、ウィリアム・ゴールディング(William Golding)の『Lord of the Flies(蠅の王)』が削除されたという。
(左 : ナサニエル・ホーソーン / ルイーザ・メイ・オルコット / ネル・ハーパー・リー / 右 : ウィリアム・ゴールディング )
(左 / マーク・トゥエイン)
英米文学を専攻した日本人はビックリするけど、アメリカでは黒人に対して偏見を抱いていた作家や、人種差別的表現を用いた小説家などは、国語(英語)の授業から排除される傾向にある。一部の黒人評論家や左翼教師は、あのマーク・トゥエイン(Mark Twain / 本名Samuel Langhorne Clemens)にさえ反感を抱き、『トム・ソーヤの冒険(The Adventures of Tom Sawyer)』をレイシズム文学に分類してしまうのだ。でも、こんな要求はまだ序の口で、左翼黒人は白人に対し、「奴隷制度の賠償を行え !」と本気で騒いでいる。もし、そなことを実施すれば、賠償金額はいくらになることか?! 天文学的数字どころじゃ済まないぞ。
第一、誰が奴隷の子孫なのかを選別するとなれば、系譜の調査だけで“ひと苦労”となるし、不正受給の問題も浮上してくる。中には、ジャマイカとか南米、キューバからやって来た黒人移民の子孫も混じっているから、どさくさに紛れて賠償金を掠(かす)め取る者も出てくるだろう。バイデンがホワイトハウスに乗り込んでから、有色人種への優遇政策が加速されたが、黒人左翼の要求を飲んでいたら教育界は滅茶苦茶だ。もし、多民族主義で育った子供が政界に進出すれば、その大半がオカシオ・コルテス(Alexandria Ocasio-Cortez)かイルマン・オマール(Ilhan A. Omar)の複製になるし、残りは極左ユダヤ人のバーニー・サンダースかインド系極左のカマラ・ハリスの継承者になるだろう。ジョージ・ワシントンやーアレクサンダー・ハミルトンが蘇ったら、アメリカの惨状に顔を歪め、再び棺の中に戻ってしまうかも。
( 左 : オカシオ・コルテス / イルマン・オマール / バーニー・サンダース / 右 : カマラ・ハリス )
アイザック・ニュートンの名が抹殺される授業
( 左 / アイザック・ニュートン)
有色人種への配慮は文学の授業だけではない。何と、理科や数学の教育内容にも浸透していた。信じられないけど、『City Journal』に記事を書いたバリ・ウェスによると、ロサンジェルスにある某学校では、「ニュートンの法則(Newton's laws of motion)」という呼び名が「物理学の基本三原則(three fundamental laws of physics)」という名称に変わったそうだ。日本人の子供なら、アイザック・ニュートンに不満を述べず、慣性の法則、運動の法則、作用・反作用の法則を理解できるように努めるだろう。でも、アメリカの黒人は違っていて、「こんなのは白人が構築した学問じゃないか ! 俺は白人が中心となる世界を赦せない! 何で白人が勝手に決めた名称で勉強するだ! 納得できない。そんなの御免だ !」とソッポを向く。馬鹿な子供と愚劣な親を相手にする白人教師は本当に気の毒だ。
名門校では黒人生徒が大威張りし、それに対して校長や担任は同調するか、沈黙を貫くらしい。子供を通わせている保護者の中には、こうした左翼教育に不満を持つ白人が少なくないそうだ。何しろ、ハーヴァード・ウェストレイクやブレントヴッドの教育費は高い。我が子を通わせるとなれば、年間4万から5万ドルくらいかかってしまうのだ。たった1年で500万円の授業料を払うなんて、日本の公立学校では考えられない。普通の公立高校なら、色々な項目を含めても年間40万円前後だろう。だから、高額な授業料を納める白人の親からすれば、黒人に媚びたカリキュラムなんて言語道断だ。
白人保護者の不満はこれだけではない。アメリカの小学校は人種偏見の矯正施設となっている。反レイシズムの要諦は“否定”にある。白人の子供は自分の容姿や種族に誇りを持ってはならないという。アングロ・サクソン系の祖先を持つ子供が、イギリス文化を自慢するなんて御法度。アメリカは世界中の貧民が集まって幸せに暮らす「移民の国」というのが左翼の主張である。つまり、世界中の厄介者を受け容れる「ゴミ捨て場(dumping ground)」という訳だ。バリ・ウェスはある教師からの内輪話を聞いたという。この教師は反レイシズムのカリキュラムで教えるよう命令され、白人が支配するピラミッド構造を糾弾するように指導された、というのだ。
こうした左翼教育を受ける子供の話も紹介されていた。ある日、学校から帰ってきた少女が、父親に向かってこう言ったそうだ。「肌の色が明るい人々は、肌の色が黒い人を好きじゃなく、彼らを軽蔑しているんだって !」と。すると、父親は学校での洗脳教育に驚愕し、「我が家ではそんな風に思っている人はいないんだよ」と説明したそうだ。ハーヴァード・ウェストレイクに子供を通わせている別の親の話も非常に恐ろしい。ある日、帰宅した息子が母親に話したそうだ。「ママ、僕は今日、自分がレイシストだって事が判ったんだ。僕は白色のヨーロッパ人の方が好きだから・・・」と。実は、この少年は混血児であった。おそらく、黒人と白人との間に生まれた子供なんだろう。とにかく、息子の告白を聞いた母親は肝を潰して怒り心頭だった。
(左2枚 : 抑圧者で罪悪感を抱く白人の子供 / 右2枚 : 被害者の意識を持つ黒人の子供)
ブレントウッド校に子供を通わせている、ある母親も似たような問題を抱えており、白人を抑圧者と考える学校の教義に異議を唱えていた。しかし、学校側は彼女が白人だから理解できないんだ、という反感を持っていたそうである。彼女の子供は将来、自分が希望する何らかの職業や地位に就けても、それを「マイノリティー」に譲りなさいと教えられたそうだ。たぶん、新入社員の採用における人種枠みたいなものを聞いたんだろう。彼女の子供はこう尋ねたという。「ねぇママ、僕は一生懸命働いても、その褒美(報酬)は貰えないの?」と。こうした理不尽な洗脳教育に腹を立てる親は結構多い。でも、学校に通う子供からは沈黙するよう頼まれるそうだ。親の憤慨は理解できるけど、もし激怒した親が中学や高校に乗り込んでくれば、有色人種の生徒からどんなイジメや糾弾を受けるのか分からない。白人の生徒は黙って教師のアジ演説を聴くか、懺悔の態度を示して「良い白人」を演じるしかないのだ。南部の保守白人みたいに、「なに言ってやがんだ、テメェら ! 白人で何が悪いんだ ! お前らこそ、アメリカからさっさと出て行け ! そんなに白人社会が嫌いなら、アフリカに帰って野糞でもしていろ !」なんて言ったら一大事。もしかすると、暴言を吐いた白人生徒は、停学か退学処分になるだろう。
人種差別の撲滅に熱狂する教師は、アメリカ社会にはびこる全ての白人優越思想に牙を剝く。彼らの考えはこうだ。白人は白人であるがゆえに希望する会社に採用され、白人であるが故に良い地位に就ける。しかし、有色人種は非白人であるが故に、どんなに優秀でも希望の職種に就けないし、昇進すら困難である、と。だから、白人の子供に対して、「黒人やヒスパニックの人に譲りなさい」という説教になるんだろう。これは日本の左翼教師が口にする「戦前の軍国日本は朝鮮人に対して悪い事をしたから、日本人は謝罪しなければならない」という罪悪史観と同じである。
それにしても、なぜアメリカの上流社会や中流階級では、白人のリベラル派が圧倒的なのか? それは名門の寄宿舎学校や私立の進学校、全米各地の大学で左翼教育が徹底しているからだ。フランクフルト学派に代表される左翼勢力は、何年もかけて地道に大学の至る所に浸透し、理事職や教授職を占領してきた。西歐文明や白人社会を擁護する保守派は、終身教授職に就けず、大学から追い出されて浪人暮らし。運良く就職先が見つかっても、せいぜい小規模な研究所かミニコミ誌の編集部くらい。高額の寄付金が集まるようなシンクタンク(think tank)なんて端っから無理。こうした研究機関はユダヤ人のポケットマネーに頼っているから、西歐人のナショナリズムを鼓舞するような学者は門前払いである。
筆者はしつこいくらい移民の有害性と多民族社会の危険性を述べてきた。しかし、一般国民はもとより、保守派の言論人でさえ、この話題になると臆病になる。今のところ、日本人は「対岸の火事」と思って高みの見物を決め込んでいるが、その火種はやがて日本にも降り懸かってくるだろう。一般国民は1階で火事が起こっているのに、2階の部屋で熟睡している子供のようだ。ベッドから起きて逃げ出すのが億劫だから、「あと10分寝かせてくれ」と頼む者に“まともな未来”は無い。焼死体になってから、健康の有り難さを実感しても手遅れだ。我々は他国の失敗を素直に受け容れ、勇気を以て「アジア移民に反対 !」と叫ぶべきであろう。左翼から「差別主義者」と罵られても怯まないことが肝要である。保守派が左翼勢力に対して連敗を喫しているのは、彼らを積極的に攻撃せず、いつも防禦に徹しているからだ。凋落する民族は、精神から衰退するものである。
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これには猛烈に違和感を覚えました。売電氏に関してですが彼は果たして本当に就任したのか?戒厳令下で州兵動員したのはトランプ支持者を恐れたからじゃない。
第一外そもそも議事堂に乱入したのだってあれも新コロウイルスと同じく壮大なやらせ。黒服きた奴らが押し寄せてくることに疑問を持った人によって既にアンティファやBLMのやらせだと判明しています。黒木さんはナンシーの部屋に入ったやつを台本と言ったのは本当に鋭い。
日本人はメディアの洗脳が深い。国民主権党の平塚氏はひかれがちだけど彼は正論を言っています。大橋眞先生の理論説明を見ればPCRによって人工的に無症状なり大量に感染者を生み出してるだけということがわかりますね。そもそも無症状感染という言葉自体がトリック。ファウチ博士もコロナ騒動の前はなんとマスクはマスク内でウイルス増殖するから意味ないと正論言ってました笑
売電はディープステートの操り人形すら務まらないしロリコンだし彼が手を置いた聖書は悪魔の書とか噂されているし、何よりマスク着用義務化からの新自由主義政策であるSDGSやグリーンニューディールを推し進める事に何故リベラル派はなんも言わんのか?もうリベラル左翼なんて全滅してあってないような思考停止の連中なんです。
更にジェンダーに関してですが試合でトランスジェンダーの試合参加権を容認した事で女性選手も大怪我
一体何がしたいのか?