王妃よりも格上の貴族

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(左 : プリンス・オブ・ウェールズのダイアナ妃   / 中央 : ケンブリッジ公爵夫人のキャサリン妃  / 右 : ウェセックス伯爵夫人のソフィー妃  )

  昔、オズワルド・シュペングラーが『西洋の没落』で述べていたけど、国家は貴族によって形成される。農民というのは多数派だが、大衆は何人集まろうが国家を創ることはできない。貴族が国の骨格を整え、その中核となるのはやっぱり国王だ。ピンダロス(Pindaros)でも、あのプラトンでも、古代ギリシアの哲学者なら王政を推奨する。日本の教師は「民主主義」を褒めちぎるが、アリストテレスから見れば「愚民政治(ochlocracy)」か、「劣等者の支配(kakistocracy)」に他ならない。ゆえに、国家転覆を狙う左翼陣営は民衆を持ち上げ、嫉妬心を束ねて王室を非難する。彼らの理想を言えば、何らかの形で対外戦争を誘発し、様々な妨害で自国を敗戦に持ち込み、不満を爆発させる民衆を唆して君主政を打倒するのが一番。(大東亜戦争はこの典型例。) もし、直接的な王室への攻撃が無理なら、その藩屏となる伯爵や子爵などを攻めて、君主政の基盤を徐々に破壊するのも一つの手段だ。

  歐洲の左翼知識人もそうだが、ブリテンの知識人も暴力を使わない代わりに、詭弁や倫理を用いて王族を批判する。特に、「人種問題」は便利な道具で、ちょっとでも王侯貴族が有色人種を嫌ったら、即座に指摘して集中砲火を浴びせればいい。メーガン・マークルの件でも分かる通り、左翼知識人とグルになったマスコミは、黒人に違和感を抱くイギリス人を糾弾し、「レイシストの白人はけしからぁ~ん !!」と連日連夜騒ぎまくる。「差別」という言葉はドラキュラが嫌うニンニクよりも強力で、この呪文を唱えられると西歐、特に戦後のドイツ人は見る見るうちに腰砕けとなってしまう。これは丁度、昭和時代の日本人が「鮮人」とか「支那」という言葉に怯えたのと同じ構図だ。昭和40年代や50年代に出版社や税務署に勤めていた日本人なら、集団で押し寄せる在日朝鮮人の恐怖を身を以て知っているだろう。兇暴な顔つきの朝鮮人が続々と群れを成し、雑誌の編集部や税務署に殴り込みをかければ、対応する職員はブルブル震えて仕事にならない。朝鮮総連の幹部や鮮人部落の重鎮などはヤクザ顔負けの極道だ。こんな連中はアイソトープ(isotope)みたいなもんだから、半グレ暴走族や街のチンピラと何ら変わらず、本当にタチが悪い。悪役専門の俳優だった志賀勝(しが・まさる)も、朝鮮人と比べたら仏(ほとけ)に見えてくる。

Princess Michael of Kent 2Princess Michael Kent 3(左 : マリー・クリスティーヌ妃  /  右 : プリンス・マイケル・オブ・ケント夫妻)
  英国の貴族は民衆のリンチに弱い。上流階級の紳士淑女は品格を尊ぶから、イチャモンをつけられても酒場のオヤジみたいに反論しないという。何気ない言葉や普段の行動で糾弾された具体例は、プリンス・マイケル・オブ・ケント(Prince Michael of Kent)の夫人であり、有名作家のマリー・クリスティーヌ妃(Princess Michael of Kent)であった。夫であるプリンス・マイケルはケント公爵エドワード(Prince Edward)の弟で、先代のケント公爵ジョージ(Prince George , Duke of Kent)の三男。ケント公爵ジョージは国王ジョージ6世の弟であるから、英国女王のエリサベス2世にとったら叔父にあたる人物だ。

  皆様ご存じの通り、ジョージ6世(Albert Frederick Arthur George)は、エリザベス女王とマーガレット王女の父親で、国王ジョージ5世の継承者となったエドワード8世の弟である。しかし、長兄のエドワード8世が離婚歴のあるウォリス・シンプソン(Wallis Simpson / 有名な「シンプソン夫人」)との結婚を断行したので、僅か1年未満で退位することになった。そこで仕方なく、空席となった王座にはヨーク公爵になっていた次男のアルバート(ジョージ)が即位することに・・・。ところが、このアルバートは乗り気じゃなかった。というよりも、「迷惑」を通り越して「御免蒙る」という態度になっていたのだ。彼は「そんなぁ~、いきなり国王になれって・・、そんなの酷いよぉ~」と拗ねていたが、周囲のプレッシャーもあって、渋々ブリテン連合国王の君主となる。でも、新国王は「アルバート」の名を用いず、先代に倣って「ジョージ6世」と名乗った。

ジョージ5世→エドワード8世(1936年1月~12月)→ジョージ6世(1936年~1952年)→エリザベス2世

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(左 : ジョージ5世  / エドワード8世  /  ジョージ6世 /  右 : エリザベス2世 )

  一方、退位後に「ウィンザー公爵(Duke of Winsor)」となったエドワード8世は、祖先の故郷であるドイツと親密になり、ヒトラーのゲストにもなったから、民衆からは「敵国と通じているんじゃないか?」と疑われていた。(ここでは詳しく触れないが、必ずしも親独方針は間違いじゃなく、好戦的でユダヤ人の手下になっていたウィンストン・チャーチルの方が悪質である。戦後の歴史はユダヤ人によって書き換えられているから、「イギリス人から見たイングランドの歴史」が必要だ。) 戦後はフランスでの優雅な暮らしを送っていたが、王室はウィンザー公爵とウォリス夫人には冷たかった。とりわけ母親のメアリー王太后がウォリス夫人を認めなかったので、1952年にジョージ6世が崩御した際も、国葬に現れたのはエドワードのみ。まるで、メーガンを米国に残してエジンバラ公爵の葬儀に参列したヘンリー王子みたいだ。とにかく、日本の高校生には複雑に思えるが、ヨーロッパの貴族はこんなもので、 こうした人脈と事情を頭に入れておかないと、なかなか西歐史は理解できない。

  脱線したので話を戻す。プリンス・マイケルは上流階級の紳士らしく、名門のイートン校を経てサンドハーストの王立陸軍士官学校(Royal Military Academy Sandhurst)へ進み、陸軍へ入隊すると騎兵隊(Royal Hussarl)に配属された。その後、諜報組織に転属し、主に東歐・ロシア関連の情報分析に携わったそうだ。しかし、なぜプリンス・マイケルがソ連関連の部署に配属され、ロシア語の専門家になったのかと言えば、それは彼の血筋が要因であった。プリンス・マイケルの母君は、ドイツ・デンマーク系ギリシア王室のプリンセスであるマリーナ(Princess Marina of Greece and Denmark)妃殿下。つまり、「シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン・ソンダーバーグ・グリュックスブルク家(House of Schleswig Holstein Sonderbeurg Glücksburg)」の“お姫様”であったのだ。

  註: ギリシアはオスマントルコから独立した後、バイエルン王国のプリンスだったヴィテルスバッハ家(Wittelsbach)のオットー(Otto Friedrich Ludwig)を迎えた。1832年、彼がギリシア国王に即位したので、地元のギリシア人じゃなく、ドイツ系貴族が王族となっていた。こうした事情を知れば、なぜエジンバラ公爵フィリップ殿下がギリシア出身なのにドイツ系貴族だったのか、という理由が納得できるだろう。

Grand Duke Vladimir Alexandrovich 003Grand Duchess Elena Vladimirovna of RussiaPrincess Marina of Greece & Denmark 0012Prince George Duke of Kent 001








( 左 : ウラジミール・アレクサンドロヴィッチ大公  /  エレーナ妃    /  マリーナ妃 /  右 : ケント公爵ジョージ )

  さらに、プリンセス・マリーナの母君はロシア貴族。このエレーナ妃(Grand Duchess Elena Vladimirovna of Russia)は、ウラジミール・アレクサンドロヴィッチ大公(Grand Duke Vladimir Alexandrovich)の娘であった。そして、エレーナはロシア皇帝ニコライ2世の従姉妹でもあるから、息子のマイケルはロマノフ家の血を引いているのだ。プリンス・マイケルがロシア語を流暢に話し、度々ロシアを訪問しているのは彼の血筋によるところが大きい。ついでに言えば、ブリテン国王とロシア皇帝の関係は親密だった。皇帝ニコライ2世がユダヤ人の革命家に虐殺された時、国王ジョージ5世は物凄いショックを受けたらしい。なぜなら、ニコライ2世の母マリアはデンマーク国王クリスチャン9世の娘で、彼女の姉であるアレクサンドラはイングランド国王エドワード7世のお妃であったからだ。つまり、ボルシェビキ革命で従兄弟のニッキーが殺されたので、血族のジョージが非常に悲しんだという訳である。

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(左 : 国王ジョージ5世  /  皇帝ニコライ2世  /  マリア・アナ妃 / 右 : ギュンター・フバートゥス・フォン・ライプニッツ )

  プリンス・マイケルの結婚相手となったのは、これまた由緒正しき御令嬢であるライプニッツ家のマリー・クリスティーヌ妃(Marie Christine Anna Agnes Hedwig Ida von Reibnitz)であった。彼女はチェコのズデーテンラント(Sudetenland)にあるカールスバット(Karlsbad)の生まれで、オーストリア・ハンガリー系ドイツ貴族の娘として育った。御尊父はギュンター・フバートゥス・フォン・ライプニッツ(Günther Hubertus von Reibnitz)男爵で、御母堂のマリア・アナ妃(Maria Anna Carolina Franzika Walburga Bernadette Szapáry von Muraszombath)は、サパリー・フォン・ムラゾムバト家のお嬢様で、ハンガリーの伯爵夫人だった。もう、マリー・クリスティーヌ妃は典型的なヨーロッパ貴族のプリンセスという訳で、ベルベル人(北アフリカの有色人種)みたいなメーガン・マークルとは大違い。アンドリュー王子と別れたヨーク公爵夫人のサラ・ファーガソン(Sarah Margaret Ferguson, Duchess of York)だって、どちらかと言えば平民階級に近いお嬢様だ。いくら、国王チャールズ2世の末裔とはいえ、正統じゃない庶子の血統だから、彼女は普通のイギリス人と変わりが無い。

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(左 : プリンス・マイケル夫妻   /  マリー・クリスティーヌ妃  /  サラ・ファーガソン / 右 : メーガン・マークル )

  ケント公爵の御子息と結婚し、「プリンセス・マイケル」となったマリー・クリスティーヌ妃であったが、実は彼女、離婚歴のある再婚者だった。1973年、彼女はピーター・トラウブリッジ男爵(Sir Peter Troubridge)の弟である銀行家のトマス・トラブリッジ(Thomas Troubridge)と結婚していたのだ。しかし、二人は1977年に離婚している。カトリック教徒であるマリーの離婚は難しいはずなんだが、上流階級には色々な助け船があり、相談役とか智恵袋も多い。彼女も手広い人脈を持つヨーロッパ貴族だから、当時のローマ教皇であるパウロ6世が何かと骨を折ってくれたのである。この教皇猊下は色々な理屈をつけて、前の結婚を「無効」にしてくれたそうだ。その後、彼女はプリンス・マイケルと出逢い、1978年に再婚するが、その時は教会で結婚式を挙げることは出来なかったので、二人はウィーンでの世俗婚(civil marriage)を選んだ。まぁ、確かに結婚は一度きりの秘蹟(or契約)であるから、それを人間の都合で反故にし、二度目の秘蹟を受けるなんて訳には行くまい。二人の間には1979年、長男のフレデリック(Frederick Winsor)が生まれ、1981年には娘のガブリエラ(Gabriela)が生まれている。

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( 左 : フレデリックとガブリエラを育てるマリー・クリスティーヌ妃 /  右 : 母親のドリアと一緒のメーガン )

  マリー・クリスティーヌは作家としても活躍しており、『Quick silver』や『The Queen of Four Kingdom』、『Crowned in a Far Country』、『Agnes Sorel : Mistress of Beauty』といった著作を出版している。しかし、英国のマスコミは彼女を称讃するよりも攻撃する方に重点を置いているようだ。例えば、2017年、彼女はバッキンガム宮殿で行われたクリスマス宴会に出席した。この時、彼女は胸に黒いムーア人のブローチをしていたので、世間から「レイシストじゃないか !」と非難されたことがある。("Princess Michael of Kent sorry for wearing racist brooch", BBC New, 23 December 2017.) なぜなら、この饗宴にはメーガン・マークルがゲストに招かれていたからだ。要するに、左翼マスコミはプリンセス・マイケルがメーガンを侮辱している、あるいは黒人のよそ者だから馬鹿にしている、と宣伝したかったのだろう。

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( 左 : 「ムーア人」のブローチを上着に附けたプリンセス・マイケル  /  右 : 「ミスター・ポポ」のフィギュア)

   しかし、これは反王室のマスコミによる強引な“こじつけ”であろう。 いくら格下の王族に会うからとはいえ、わざわざムーア人のフィギュアを胸につけて、メーガンを愚弄しようとするのか? (一応、メーガンは「サセックス公爵夫人」となっていたが、実質的には三流人種のB級女優に過ぎない。ヨーロッパ貴族のプリンセスからすれば、メーガンなどは取るに足らない雑種だ。) プリンセス・マイケル側の報道官によれば、このブローチは人から貰ったアクセサリーで、以前も何回か服に附けたことがあるらしい。そう言えば、『ドラゴンボール』に出てくる「ミスター・ポポ」も“人種差別”の批判に晒されたことがある。原作者の鳥山明先生は、日本人らしい発想でユニークなキャラクターをデザインしただけなのに、外国の評論家はひねくれた解釈を展開し、ミスター・ポポが「ターバンを頭に巻いたアラビア風の黒人」となっているから、日本人のレイシズムじゃないか、と怪しんでいたのだ。それゆえ、海外版の『ドラゴンボール』では、ミスター・ポポが青色になっている。日本の子供が見れば唖然としてしまうが、放送局はなるべく波風を立てないよう、事前に手を打ったのだろう。それにしても、歐米の白人というのは病的なまでに神経質となっている。

  貴族階級を憎むマスコミは、名門家族の出身であるプリンセス・マイケルに嫉妬心を抱いているのか、矢鱈と彼女の揚げ足を取ろうとする。例えば、2011年、娘のガブリエラ・ウィンザー(Lady Gabriella Winsor)が留学先のブラウン大学を卒業するというので、彼女は米国のロード・アイランドに渡航することにした。卒業式の後、プリンセス・マイケルはニューヨークに立ち寄り、6番街にあるレストランでディナーを取ったという。しかし、その店内には行儀の悪い黒人客が居たので、彼女は隣で騒いでいた黒人どもに向かって、「あなた達は植民地に戻るべきね ! (You need to go back to the colonies.)」と言い放ったそうだ。(David Usborne, Princess accused of making racist remark in New York restaurant", The Independent, 10 October 2011.)

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( 左 : 優秀なのかも知れないアメリカの黒人青年  /  右 : 「植民地」にされたアフリカの同胞 )

  すると、この一件を嗅ぎつけたマスコミは、「プリンス・マイケルのお妃が人種差別的発言をしたぞ !」と大騒ぎ。とりわけ、有色人種の反感を煽って儲けようとする大衆紙は、「黒人への侮辱だ !」と大合唱。しかし、ある程度“高級”なレストランで“うるさく”するのはマナー違反だろう。 報道によれば、叱責を受けたのはニューヨークに住む地元の黒人達(その内の一人はマーヴ・マセソン)であったらしい。たぶん、彼らは傲慢なイギリス人から侮辱されたと感じたはずだ。でも、マリー・クリスティーヌ妃は「植民地へ帰れ !」とは言っていないそうで、「植民地の時代には、それなりの良きルールが存在したので、その時代を思い出しなさい !」という趣旨であったらしい。とはいっても、相手は黒人だ。どんな弁解をしても、「侮蔑」と解釈されてしまうのだ。まぁ、育ちの良い貴婦人だから、がさつな黒人には我慢が出来なかったのだろう。日本人女性だって、隣のテーブルで下品な行動をする黒人を目にすれば、愚痴の一つでも言いたくなるじゃないか。

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(左 : ドイツ人の少年を支援するヒトラー総統   / 中央 : 憎しみの対象となるSS将校  / 右 : 大切にされる西歐社会の黒人 )

  日本でもそうだが、英国のジャーナリストには下種野郎が多く、上流階級の紳士や淑女にイチャモンをつけたがる。彼らは上流階級を倫理的に糾弾し、日頃の鬱憤を晴らそうとするから心底卑しい。また、歐米諸国の知識人や平民は、悉くユダヤ人に洗脳されているので、「ヒトラー」とか「ナチス」という言葉を聞くと、パブロフの犬みたいにギョッと反応したり、無意味に怯えたりする。2014年、歴史家のフィリップ・ホール(Philip Hall)は、マリー・クリスティーヌ妃の父上であるギュンター・フォン・ライプニッツ男爵が、ナチのSS(親衛隊)高官であったことを発見したという。本当に知らなかったのかどうか分からないが、この事実は彼女にとって、かなりのショックであったらしい。1930年に親衛隊へ配属となったライプニッツ男爵は、どうやらヘルマン・ゲーリング(Hermann W. Göring)とも顔見知りであったらしく、終戦になると、アメリカ軍が占領していたバイエルンへ向かい、そこからモザンビークへ移住したそうだ。一方、別れた妻のマリアと娘のマリー達はオーストラリアのシドニーへ避難した。

  大手メディアから目の敵(かたき)にされたプリンセス・マイケルは本当に気の毒だ。しかし、彼女の娘ガブリエラにも不幸が訪れていた。英国の学校では反レイシズムや多文化・多民族教育が花盛り。しかも、人種平等や人権思想が補強材となっているから恐ろしい。特に、真面目に勉強する中流階級や上流階級の子弟ほどリベラル色が濃厚となり、「有色人種を避けてはならない」といった自己規制が強くはたらく。お嬢様育ちのガブリエラも、リムジン・リベラルの若きイギリス人で、意図的に人種を意識しないよう心掛けていた。

  結婚前、ガブリエラはインド・パキスタン系の作家であるアティッシュ・タシール(Aatish Ali Taseer)と付き合っていたことがある。彼の母親(Aamna)は裕福なシク教徒で、父親はパキスタンのビジネスマン。しかも、父親のサルマン・タシールはパンジャブ州の知事を務めた政治家だ。ところが、このサルマン・タシールは2011年に暗殺されてしまう。「蛙の子は蛙」と言うが、息子と同じくサルマンも女好きで、アティッシュの母親は二番目の妻である。しかも、短い間とはいえ、インド人ジャーナリストのタヴリーン・シンとも不倫関係にあったというから、七人も子供を作るパキスタン人は精力旺盛だ。

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(左 : ガブリエラとアティッシュ・タシール  / 右 : 婚約者のトマス・キングストンと一緒のガブリエラ)

  話を戻す。ガブリエラとアティッシュは2003年頃から2006年まで交際していたが、その間、二人はヤバい事もしたそうで、ウィンザー城に行ったとき、危険な幻覚剤であるMDMAを服用したこともあるという。(Rebecca English, "We got high on ecstacy and swam naked at Backingham Palace", Daily Mail, 27 April 2018.)  MDMAというのは俗に言う「エクスタシー」という麻薬で、場合によっては死に至る劇物である。さらに、このカップルはケンジントン宮殿に赴き、女王陛下の専用プールに忍び込み、二人とも裸になって泳いだ、というのだ。

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(左 : トマス・キングストンと結婚したガブリエラ   /  右 : 両親のプリンス・マイケル夫妻  )

  もちろん、ガブリエラはタシールが小説家であることを強調し、彼が言った事は「作り話(fiction)だ」と否定した。でも、彼の昔話を「嘘」と思うイギリス人は一体どれくらい居るのか? 大半のブリテン国民は「ホントの話じゃないか?」と思うだろう。結局、ガブリエラとタシールとの恋愛は破局を迎え、フリーに戻ったガブリエラは金融業者のトマス・キングストン(Thomas Kingston)と出逢い、二人は2018年に婚約を発表した。大学卒業後、トマスは一時、外務省の仕事を請け負い、イラクでプロジェクトの主任を務めていたが、英国に戻ると本業の金融に携わり、「Voltan Capital Management」なる投資会社に勤めていた。まぁ、彼女の両親にしたら、まともなイギリス人と結婚してくれたから良かったんじゃないか。いくらリベラルなご時世とはいえ、インド・パキスタン系の婿殿じゃ頭が痛い。やはり、貴族の娘には“それなり”の相手でなきゃ ! イギリス人の親は滅多に吐露しないが、インド人やアフリカ人の配偶者となれば、生まれてくる子供の容姿が心配になる。誰だって無邪気な赤ん坊、特に自分の孫を見て溜息をつくなんて厭じゃないか。前もって回避できる事態なら、躊躇(ためら)わずにそうするべきだ。

乱れた私生活のロイヤル・ファミリー

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(左 :チャールズ王太子  /  アン王女   /   アンドリュー王子 /  右 : エドワード王子 )

  イギリス貴族はヨーロッパ随一の貴族と自慢しているが、その私生活といったら庶民以下の場合が多い。エリザベス女王はエジンバラ公爵と仲睦まじい夫婦生活を送っていたが、その子供達ときたら、両親の威厳ある行動様式とは大違い。先ず、長男のチャールズ王太子は、ダイアナ・スペンサー嬢と結婚する前から、カミラ・ボウルズ(Camilla Parker Bowles / Rosemary Shand)と恋仲であった。チャールズはダイアナ妃との間に二人の息子をもうけていたが、心はいつもカミラの元にあったという。これじゃあ、ダイアナ妃がショックを受けたのも当然だ。チャールズのみならず、妹のアン王女も再婚者となっている。彼女は1973年に陸軍中尉のマーク・フィリップス(Mark Phillips)と結婚したが、1989年に別居となり、1992年に離婚が成立した。アン王女はフィリップスと別居した頃から、海軍中佐のティモシー・ローレンス(Timothy Laurence)と交際していたようで、二人は1992年に結婚している。

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(左 : カミラ・ボウルズと結婚したプリンス・チャールズ   / 中央 : マーク・フィリップと結婚したアン王女  / 右 : ティモシー・ローレンスと再婚したアン王女  )

  問題なのは、三番目のアンドリュー王子だ。彼と結婚したサラ・ファーガソンはヨーク公爵夫人となったが、1992年頃になると二人の関係は冷え込み、やがて別居状態となる。ヨーク公爵夫妻は慰謝料などの金銭問題で泥沼状態だったが、ようやく片が付いて1996年に離婚となった。しかし、サラ夫人は離婚後もアンドリュー王子と金銭問題で揉めたそうで、公爵夫人の肩書きを利用し、もうやりたい放題であった。充分な手切れ金を貰えなかったので、彼女は恥や外聞を考えずに「お金になりそうなビジネスなら何でも」、と猪突猛進。挙げ句の果てに、飲料メーカーのテレビ宣伝にまで出演する始末。エリザベス女王はたいそう御立腹で、「イングランド王室の恥さらし」と思っていた。しかし、こんなモデル業は怪しい「口利き業」よりもマシな商売で、アンドリュー王子のセックス・スキャンダルに比べたら屁のような醜聞だ。信じられないけど、独身に戻った王子は性欲の虜となっており、あの汚らしいユダヤ人のジェフリー・エプシュタインと昵懇になった。このバカ王子はヴァージニア・ロバーツ(Virginia Roberts)という若い娘に惚れ込み、その肉体へと溺れてゆく。ところが、この性的関係はマスコミに暴露され、大衆紙の餌食となった。ホント、こんな記事を目にしたエリザベス女王の心中は如何なるものだったのか。

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(左 : ヴァージニア・ロバーツとアンドリュー王子  / 右 : 幼いエドワード王子を抱く若い頃のエリザベス女王  )

  こうした“出来損ない”の子供達を見て、女王が唯一“安心”できるのは、末っ子のエドワード王子だけである。それでも、母親の女王陛下には心配事が尽きない。一応、ケムブリッジ大学のジーザス・カレッジを卒業したエドワード王子は、貴族らしく英国海兵隊に入る。だが、戦闘員の資質が無かったのか、軍隊での訓練が辛すぎてドロップアウト。そこで、彼は演劇界やテレビ業界へと転向する。1993年、エドワード王子はテレビ番組を製作する「Ardent Productions」という会社を設立し、叔父であるエドワード8世のドキュメンタリー・フィルムなどを製作したという。ところが、営業の方は芳しくなく、業績は赤字の方に傾いていた。色々努力はしてみたものの、結局、この会社は2009年に解散となる。

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(左 : ソフィー・リス・ジョーンズと結婚したエドワード王子 /  右 : エドワード王子の家族 )

  ビジネネスでは失敗したが、エドワード王子は幸せを摑んだ。1987年頃、王子は「Capital Radio」で広報活動をしているソフィー・リス・ジョーンズ(Sophie Rhys-Jones)という女性と知り合うことができた。1999年、交際を深めていた二人は婚約を発表し、ウェストミンスター寺院で結婚式を挙げることになった。ウェセックス伯爵となったエドワード王子とソフィー夫人は、王族らしく慈善活動に励む一方で、娘のルイーズと息子のジェイムズをもうけることができた。今のところ、伯爵夫妻にはいざこざが無く、平穏な関係を保っているので、エリザベス女王も安心しているようだ。何しろ、王室にはスキャンダルが結構多い。国民的人気を誇ったダイアナ妃が死亡しのは大きな痛手だ。しかも、不人気なカミーラが後妻となったから、保守派のブリテン国民でも大ブーイング。さらに悲惨なのは、アンドリュー王子が引き起こした前代未聞のセックス・スキャンダルである。いくらなんでも、これは酷い。仮にも英国の王子だぞ。セックスのやり方まで暴露されたんだから、亡きエジンバラ公爵も晩年には死にたくなるほど恥ずかしかったに違いない。

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(左 : 米国に移住したヘンリー王子とメーガン  / 右 : ウィリアム王子一家と一緒に現れたエリザベス女王 )

  エリザベス女王の苦悩はまだ続く。何と、メーガンの尻に敷かれたヘンリー王子は公務を厭がり、米国へ逃避した。でも、豪華な生活を維持する為には大金が必要だから、王族の身分まで利用する始末。サセックス公爵夫妻は儲かるビジネスなら何でもOKだ。最近伝えられた報道によれば、ヘンリー王子はサンフランシスコにあるメンタルヘルス会社の「Better Up Inc.」に就職したそうで、その役職は上級広報係みたいである。しかし、その略称が「CHIMPO(Chief Impact Officer)」というから、「エッ !」と驚く。「チンポ」という発音を聞いた日本人は大爆笑。英国の「デイリー・メイル」紙が早速取り上げ、「日本人が笑っているぞ !」という記事を掲載した。(Chris Jewers, "Prince Harry's new CHIMPI job title sparks hilarity in Japan", Daily Mail, 20 April 2021.) 日本語を知らないイギリス人が聞くと、「何だ、それ?」と不思議がるが、「ペニス」を意味する日本語と説明されれば苦笑するだろう。まぁ、英語でも「クズ」とか「アホ野郎」を罵る時に、「ディック(Dick / 男性器を意味する俗語)」を使うから、日本語だけが悪い訳でもない。ちなみに、「リチャード」の愛称も「デック」だが、アメリカ人はどう考えているのか?

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(上写真 : 孫や曾孫に囲まれたエジンバラ公爵とエリザベス女王 )

  とにかく、英国王室にはトラブルやスキャンダルが絶えない。それでも、エリザベス女王は95歳の誕生日を迎えられ、大勢の孫や曾孫に囲まれて幸せそうだ。これは中高年の日本人女性にとったら理想の老後である。今は核家族化が進み、息子や娘が成長すると家を離れて遠くに住む。我が子が結婚して孫が出来ても、滅多に会うことが出来ないから何とも寂しい。ところが、令和になると、もっと哀しくなる。庶民の所得が下がってしまい、休暇を取っても実家に帰ることが出来なくなっているのだ。ボーナスが無くなり、月給もカットされた労働者は、高額な新幹線代や飛行機代が払えず、「今年の夏は帰省しなくてもいいかなぁ~」と思ってしまう。それでも、孫がいる中高年はマシな方である。子供達が結婚せず、独身のまま、というケースも増えてきた。食堂や町工場を経営する老夫婦は、跡継ぎが居なくて店終い。もっと深刻なのは、アパートに独りで暮らす高齢者で、いつの間にか死んでしまう爺さん婆さんだ。フェミニストの左翼学者は、脳天気な女子学生を丸め込み、「家庭無しのキャリア・ウーマン」を勧めるが、本当は孫に囲まれて暮らす農家のお婆ちゃんの方が幸せである。可愛い孫や曾孫に囲まれたエリザベス女王の写真を見ると、「色々あったけど、長生きして良かったねぇ~」と思えてくる。

  日本の上皇陛下や今上陛下は本当に大変だ。平成時代には大震災やテロ事件に加え、景気低迷と人口侵略が起こってしまった。しかも、眞子内親王殿下が小室圭と結婚するかも、と危惧されるから、心労どころの話じゃない。皇室の威信が揺らいでしまうのだ。そうじゃなくても、菅総理は女系天皇の推進役だし、有識者会議に紛れ込んだ所功は、「女性天皇論」をバラ撒いてている。こうしたモグラを目にすれば、左翼雑誌ではない『Voice』にも、「保守派」や「尊皇主義者」を装った知識人が如何に多いかが判るだろう。国際日本文化センターの今谷明や日大教授の古川隆久も皇室破壊に熱心で、善人のフリをしながら女性宮家の創設を唱えている。左翼陣営というのは長期戦を目論むファビウス派と同じだ。彼らは“しつこく”皇室攻撃を繰り返す。保守派の日本国民はマーカス・カトーのように注意を怠らず、討論の度毎に「左翼を滅ぼせ !」と叫ばねばならない。



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