独裁者に牽引されたドイツ経済

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  日本人は大学で金融政策とか経済理論を学んでいるけど、経済の根本は、「我々がモノを生産し、それと同時にサービスを行って、色々な消費をする」ということだ。大抵の国民は「セックス・スポーツ・スクリーン」に興じ、後は適当にグルメやファッションを楽しむ。いくら大学教授がケインズ経済学とか財政問題を論じても、庶民に活力や欲望が無ければ、どうしようもない。景気は人々の気分に左右される。左翼学者の講義なんか兎の屁よりも軽くて胡散臭い。李朝時代の朝鮮人みたいに、支配者からの搾取ばかりじゃ、やる気を無くすじゃないか。乞食よりも汚かった鮮人は、キセルをくわえたまま、ボケ~と空を見上げて一日を過ごしていた。両班にイジメられていた平民が新たな産業を興したり、画期的な技術を開発する、なんてことはない。白いチョゴリを鮮やかにする染料も無かったんだから、日本統治以前の朝鮮半島はアカンタレの聚落(しゅうらく)でしかなかった。

  話を戻す。消費増税に加え、デフレ・スパイラルと緊縮財政によって苦しめられる日本人は、消費意欲が驚くほど削がれている。高度成長期の日本人には信じられないが、「自動車なんて要らない ! そんなの維持費ばかりかかって無駄!」と思う若者が増えてきた。日本経済が好調な頃は、「格好いいクルマを買って、恋人と一緒に遠くへドライヴ」というのがデートの定番であったが、今では「電車に乗って近場のファミレス」というのが普通になっている。夜の営みも「フォア・シーズン」とか「センチュリー・ハイアット」みたいな御洒落なホテルじゃなく、自宅の小部屋でフライド・チキンを食べながら、という節約志向の生殖行為なんだから哀しくなるじゃないか。一生に一度(人によっては数回)の新婚旅行だって、憧れのパリやミラノじゃなくて、沖縄からちょっと足を伸ばした台湾くらい。たとえ奮発しても、パック旅行のハワイ程度。こんな暗い時代となれば、とても民間企業による斬新なイノヴェーションなんて望めないだろう。

  現在の歐米諸国や日本では、ナチス時代のドイツは徹底的に批判されているが、アドルフ・ヒトラーの経済政策や国家ヴィジョンは、リベラル学者がこき下ろすほど酷いとは思えない。例えば、『第三帝国の社会史』(邦訳 / 彩流社)を書いたリヒャルト・グルベンガーなどはナチスの政策に厳しい批判を加えているが、一般の日本人は彼が英国へ亡命したユダヤ人であることに気づいていない。ナチス批判については別の機会に述べることにする。かつて、経済学を専門としていた小室直樹先生は、ヒトラーのことを「ケインズ以前のケインジアン」と評し、ナチスの公共事業やインフレ退治について否定的ではなかった。

  しかし、筆者が興味を抱いたのは、ナチ・ドイツの経済政策だけではない。その背後にある考え方だ。極悪非道の権化とされる独裁者とはいえ、ヒトラーは意外と魅力的で、今でも人々の関心を引いている。もちろん、ユダヤ人にとったらヒトラーとその取り巻き連中は「不倶戴天の敵」でしかない。千年経っても赦せない悪魔だ。ところが、ユダヤ人の血が混ざっていないゲルマン人(昔ながらの西歐人)にとっては“ちょっと”違っており、国家社会主義といえども、その公共事業や福祉政策は“そこそこ”良いものだった。

  「ゲルマン人のためのドイツ帝國」とか「アーリア人による世界支配」というスローガンは、ユダヤ人に牛耳られた学会では悪魔の囁きにしか聞こえないが、多民族主義に苦しむイギリス人やデイン人、そして気違いじみたオランダ人やスウェーデン人、ナショナル・アイデンティティーを失ったフランス人にとっては、しんみりと「心に響く理念」である。ヒトラーを目の敵にしたウィストン・チャーチルは、ユダヤ人に買収された売国奴であったが、人種論や優生思想に関してはヒトラーと同類だった。チャーチルは根っからのレイシスト(白人を最上級と考える人種差別主義者)で、茶色いアジア人(インド人やビルマ人)なんか見るのも厭で、飢餓でパキスタン人が何人死のうとお構いなしであった。マルバラ公爵の御曹司は、デブ猫の「ミッキー(Mickey)」やオレンジ(マーマレイド)色の「タンゴ(Tango)」、ホレイショ・ネルソン提督に因んで名付けられた灰色の「ネルソン(Nelson)」を溺愛していたんだけどねぇ~。

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(上写真   /  ドイツ人の子供を増やそうとしたヒトラー)

  ユダヤ人はドイツから追い出されて恨み骨髄であったが、ユダヤ人が居なくなってドイツ人は清々していたのも事実だ。ドイツはドイツ人の国で、ドイツ人が増えるのは良いことだ、というのかヒトラーの信念だった。「生命の泉」を意味する「レーベンスボルン(Lebensborn)」は、ゲルマン人の少子化に対する社会政策で、強制的な側もあったから不評となっているが、国民の激減を食い止めるにはやむを得ない手段であった。現在、人口減少に悩む歐米人にとったら羨ましい限りの解決策である。ヒトラーは理論家ではなく実践家であったから直感に優れていた。権力を握ったヒトラーは、失業中の男性に職を与え、女性は家庭に戻って子育てに励むべし、という考えを持っていた。総理になった安倍晋三と違って、専業主婦が存在する健全な家庭を望んでいたから偉い。

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(左  : 現在のドイツで減少する親子のタイプ  /  右 : リベラルな現代ドイツで称讃されるカップル)

  1933ヒトラーは「既婚者向け融資法(Ehestandsdarlehen)」を作り、結婚したけど金銭的に困っている人へ1千マルクをバウチャー形式で貸し付けることにした。しかも無利子で。これは同時としては相当な金額で、ドイツ人労働者の月給が平均で132から140RM(ライヒスマルク)くらいだったから、お金を手にした労働者はニコニコ顔だった。翻って、令和の日本はどうか? 政府自民党は武漢ウイルスで困った国民に、たった10万円しか給付せず、それもたった1回だけ。30万円か40万円くらい渡したっていいのに、財務官僚は与党の先生方に「プライマリー・バランスを考えると、2回目は無理です !」とレクチャーする。ところが、飲食店への“自粛要請”は牛の涎(よだれ)みたいに延々と続き、今年の大型連休どころか、五月下旬になっても緊急事態宣言が解除されず、六月まで再延長されるという。まったく、令和の日本とナチス時代のドイツと、どっちの方がいいのか判らない。

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(左 : 現在のドイツで嫌われるタイプの白人女性   / 右 : 多文化社会のドイツで大切にされる人々 )

  話を戻す。この借金には大変「お得」な条件が附いており、子供を1人産む毎に返済金の4分の1が免除される、という「特典附」だった。しかも、4人もうければ全額免除となったから最高だ。夜の悦楽に励むと借金がチャラになるなんて夢みたい。ドリームジャンボ宝くじを買っても百万円すら当たらないのに、ベッドの中でハッスルすれば、有り難い御褒美が貰えるんだから、ヒトラー総統万歳だ。ここ重要なのは、ナチスの政策が「アーリア人」を対象にしたことである。もし、多民族社会になったドイツで同じ事を行えば、ユダヤ人ばかりでなく、アラブ人やアフリカ人も大量繁殖だ。さらに、東歐や南歐からも貧民が雪崩れ込み、ジプシーみたいな連中が街に溢れかえってしまうだろう。これじゃあ、民族復興の処方箋じゃなく、民族滅亡への劇薬だ。

クルマ好きの独裁者

  現在の日本人は少子化防止や過疎対策に頭を悩ましている。地方の繁華街は嘗ての輝きを失い、今ではシャッター商店街が当たり前となっている。テナント・ビルさえ幽霊屋敷だ。でも、在日支那人なら悪霊よりも図々しいから、日本の幽霊が立ち退いた空き部屋に住み着くぞ。そう言えば、昭和63年から平成元年(1988年から89年)にかけて、竹下登が「ふるさと創生事業」とやらで各地に1億円配ったけど、これは見るも無惨な大失敗だった。「地方自治」なんて「痴呆自治」と呼ばれるくらいだから、国会議員よりも酷い連中が「棚からぼた餅」と大喜び。各市町村の田舎議員は、「自由の女神」(青森県)や「UFOの里」(福島県)、「ビッグ・スライダー(長い滑り台)」(兵庫県)などを作って交付金の無駄遣い。賢かったのは青森県の石黒市くらいで、1億円のプレゼントで「純金こけし」を購入した。しかし、2006年頃から財政的に困った市は売却を検討し始める。当時、一部の住民から反対の声も上がったが、予定通り売却できたという。最初は「こけし」を惜しむ声もあったが、2億円で売れたから反対派も沈黙するしなかった。

  地方自治体や国家全体を大金で「活性化」させようとするなら、烏合の衆による「文殊の知恵」じゃ駄目だ。こういう時は、鋼鉄の意志を持った独裁者が登場し、鶴の一声で実行するに限る。ヒトラーによるアウトバーンの建設は有名だけど、そこを走るクルマも重要だ。元絵描きの総統は無類のクルマ好きであった。1930年代といえば、自動車時代の幕開けであったから、アメリカ人やヨーロッパ人はモーター・スポーツに興味津々。ユダヤ人のヘンリー・キッシンジャーはヒトラーのことを“メガロマニア(megalomania / 誇大妄想狂)”と呼んで蔑んでいたが、当時のヨーロッパ人にとっては、伍長上がりの“カー・マニア”でもマシだった。それどころか、ヒトラーがドイツ民族の優秀性を示すためにとった数々の政策は、後の世に語り継がれる偉業となったのである。

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(左 : フォルクスゲンの人気車「ビートル」を前にするヒトラー  /  右 : フォルクスワーゲンの模型を見るヒトラー)

  ヒトラーの功績はドイツ民族の精神を激しく鼓舞したことにある。元々、ドイツ人が能力のある種族であったことも成功の要因であったが、それでもヒトラーの理念が果たした役割は大きい。ドイツ人は論理や理性で物事を押し通してしまう欠点も否めないが、この民族が何らかの理想に燃え、学問や事業に集中すると物凄い結果を産むことがある。レーシング・カーの開発でもドイツ人は偉業を成し、ヒトラーの期待に応えることができた。

  1930年代のヨーロッパ・グランプリでは、ドイツ人チームの成績は芳しくなく、フランスの「ブガッティ(Bugatti)」やイタリアの「アルファロメオ(Alpha Romeo)」、「フェラーリ(Ferrari)」に引けを取っていた。したがって、ドイツのレーシング・カーはまだ開発途中。それでも、ドイツ・グランプリではルディー・カラッツィオラ(Otto Wilhelm Rudolf Caracciola)」 が、メルセデスの「SSK(Super Sport Kurz)」に乗って脚光を浴びていた。ところが、メルセデスで有名なダイムラー・ベンツ(Daimler-Benz)社だけではレーシング業界を牽引できず、ドイツ人は「どうしたものか?」と頭を悩ませていた。そこでドイツの自動車会社はタッグを組んでGPレースに臨むことにしたそうだ。1932年、「アウディ(Audi)」、「ホルヒ(Horch)」、「アヴンダラー(Wanderer)」、「DKW(Damfp Kraft Wagen / Deutsche Kinder Wagen)」の四社が合併して、「アウト・ウニオン(Auto Union)」を結成した。現在のアウディー社は四つの輪を自社のロゴ・マークにしているが、これは統合した四社を表している。

  幾つかの自動車会社が連携したとはいえ、直ぐさま実績をあげた訳ではない。それゆえ、まだ脆弱な業界に対し、ヒットラーは国家による梃子入れを行った。モーター・スポーツに熱を入れる総統は、「国家社会主義自動車部隊(NSKK / Nationalsozialistisches Kraftfahrkorps)」を創設し、そこのトップに突撃隊(Strurmabteilung /SA)のアドルフ・ヒューレイ(Adolf Hühnlein)を据えることにした。このヒューレイが部隊の指揮を執ると、ドイツ・チームは徐々に好成績を残すようになり、ベルント・ローズマイヤー(Bernd Rosemeyer)も注目の的になっていた。彼はニュルンベルクのレースやチェコのグランプリ、さらに米国のヴァンダービルト・カップなどに出場し、華々しい成績を収めた。ただし、オート・ウニオンのドライバーであるアドルフ・ローゼンベルガー(Adolf Rosenberger)はユダヤ人であったのでレースの出場が認められなかった。フランス人ドライバーのルネ・ドレフュス(René Dreyfus)も父親がユダヤ人であったため、メルセデスのチームから排除されたという。二人はヨーロッパを去り、アメリカへ移住したそうだ。

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(左 : アドルフ・ヒューレイ   /  ベルント・ローズマイヤー  / アドルフ・ローゼンベルガー  / 右 : ルネ・ドレフュス )

  1933年、ヒトラー総統は50万ライヒスマルクをアウト・ウニオンに与え、画期的なスーパー・カーを開発するよう注文を付けた。ダイムラー・ベンツ社は政府に100万マルクの補助金を要求したが、半分しか受け取れなかったそうだ。それでもダイムラー・ベンツ社はめげず、従来のロードスターであるSSK(Super Sport Kurz)をベースに改良を加え、パワーアップした500馬力の「W125」を開発した。ヒトラーはアウト・ウニオンが造り出した革命的レーシング・カー、「シルバープファイル (銀の矢 / Silberpfeil)」を目の前にし、「素晴らしい !」と胸をときめかせていた。メルセデス・ベンツのフォーミュラー・ワンとなる「W25」も、シルヴァーのボディーであったため、銀の弾丸というイメージと重なって、「銀の矢」というニックネームの由来になっていた。

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(左 : アウト・ウニオンが開発したニューモデル「銀の矢」を視察するヒトラー  / 右 : 現在のドイツで展示されているシルバープファイル (銀の矢 / Silberpfeil)」 )

  これは偶然なんだけど、ペンキを塗って白くすると車体が重くなるので、なるべく軽くするためにアルミニウムが剥き出しのままにしていた、というのだ。ちょうど、旅客機が軽量化を図るため、機体にペンキを塗らないのと同じ理屈だ。何しろ、ドラム缶数個分の量になるから、塗装といっても馬鹿にならない。燃料費を節約したい航空会社は、140kgにもなる塗装をしないことで約240万円の節約をしたそうだ。また、機内に積むコンテナも従来のアルミニウム合金製を改め、ガラス繊維強化プラスチック製にして約26kgの軽量化を図ったそうである。さらに、こうした取り組みは機内に持ち込む食器や装備品にまで及び、スプーンやフォークでさえ見直されたという。1本あたり2gの軽量化をすれば、合計で約2.5kgの軽量化になるらしい。航空会社は飲料メーカーにも協力を求め、500mLのペットポトルを改良してもらい、1本あたり9gの軽量化に成功したそうだ。ホント、民間企業は地道な努力を積み重ねている。ビールが飲みたいから冷蔵庫を買ってしまう役人とは大違いだ。

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( 左 : メルセデス・ベンツ社のレーシング・カー「W125」  /  右 : 流線型のアウト・ウニオンType Cである「ストロムライン」 )

  脱線したので話しを戻す。アウト・ウニオンが世に送り出したレーシング・カーは素晴らしく、試作品の「Type A」を基に「TypeB」が作られ、後続の「Type C」や「Type D」はヨーロッパ・グランプリで大活躍。「シルバープファイル」はドイツ・グランプリに出場し、「スクーデリア・フェラーリ(Scuderia Ferrari)」や「マセラッティー(Maseratti)」、「ブガッティー」を抜いて堂々の1位に輝いた。カラッツィオラは1935年、1937年、1938年とヨーロッパのレースに出場し、メルセデスを操って三度優勝した。メルセデスの「W25」は後に改良され、8気筒600馬力の「W125」へと生まれ変わった。ドイツ人もイタリア人に負けず劣らずで、レーシング・カーのデザインにも注意を払い、目を奪われるような流線型の「Type C」まで製造されていたのである。1930年という時代を考えれば、斬新なデザインと言えるんじゃないか。まるで、「マッハGoGo」(タツノコプロ/ 1967年放送)に出てくる「マッハ号(レーシング・カー)」を観ているみたいだ。

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(左 : レースに出場したアウト・ウニオンのType C   /  右 : 人々の脚光を浴びたメルセデスのレーシング・カー )

総統専用列車「アメリカ」の出現

  ヒトラーの趣味というのは自動車だけじゃなく、自分が搭乗する列車にも独自のポリシーを持っていた。鉄道ファンには周知の事実だが、ヒトラーは自分専用の特別列車を作るよう「ドイツ国営鉄道(Deutsche Reichsbahn)」に注文していた。そこで、二年の歳月をかけて総統特別列車(Führersonderzug)が製造され、1939年に「アメリカ(Amerika)」と呼ばれる列車が誕生した。しかし、ネーミングがマズかったのか、後に「ブランデンブルク(Brandenberg)」と改名され、この列車は移動時の司令部となった。当時のドイツには他にも「特別列車」があって、「アフリカ(Afrika)」は陸軍最高司令部のウィルヘルム・カイテル(Wilhelm Kaitel)元帥が乗る特別列車で、別名「ブラウンシュヴァイク / Braunschwig)」と呼ばれていた。海軍の元帥が乗る列車は「アトランティック」という名で、別名が「大雷鳥(オオライチョウ / Auerhahn)」であった。これはエーリッヒ・レーダー(Erich Raeder)元帥やカール・デーニッツ(Karl Dönitz)提督が乗る御用列車だ。敗戦時に国家元帥となったヘルマン・ゲーリング(Herman Wilhelm Göring)には、空軍司令官用の「アジア(Asien)」という列車があり、「ポンメルン(Pommern)」という別名が附いていた。(英語の地名表記だと「ポメラニア」である。)

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(左 : ウィルヘルム・カイテル  / エーリッヒ・レーダー  /  カール・デーニッツ  / 右 : ヘルマン・ゲーリング )

  こんな豪華な列車を観れば、日本の鉄道ファンは大喜びで、「ぜひ車内を見学したい !」とせがんでしまうだろう。とりわけ、小学生の鉄道オタクがドイツに赴き、列車内部を隈なく歩き回ったら感謝感激するんじゃないか。まぁ、日本の列車も負けてはおらず、豪華な列車は結構あって、「ななつ星」とか「とれいゆつばさ」、「トワイライトエクスプレス瑞風」も味わい深い。しかし、世界史に名を刻んだドイツの特別列車は“格別”である。

Hitler train the Beast 04(左  / 総統の特別列車「ブランデンブルク」号)
  総統の特別列車は重量が1,200トンで全長が430m、走行速度は80km/hから120km/hくらい。二台の機関車に牽引された列車は、蒸気と電気のエンジンで走る。空や地上からの攻撃に備えて、砲弾を発射できる武器が搭載され、まさしく動く要塞と化していた。司令部として機能するために通信設備(Befehlswagen)も整えられていたが、注目すべきは、総統が乗る「Führerwagen)」という車輌である。車内には護衛兵が常駐するラウンジがあり、大きなテーブルとくつろげるソファーがあった。別の車輌にはバスルームがあり、散髪も出来るようになっていた。その他、食事を楽しむ車輌や寝台車、記者を乗せる広報用の車輌などもあったから凄い。この特別列車にはフランスのペタン元帥、スペインのフランコ将軍、イタリアのムッソリーニも乗ったことがあるそうで、戦後は英米の軍人が戦利品として利用していたそうだ。

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(左 : 車内で執務をこなすヒトラー総統   /  右 : 司令部となった列車内部の部屋 )

  ナチス・ドイツに関しては様々な罵詈雑言が投げかけられるが、ユダヤ人以外の民族だと「敵ながら天晴れ」という畏敬の念が芽生えてしまうだろう。一般の知識人は言いづらいだろうが、ナチスの人種論や政治理念には眉を顰めたくなる部分もあるが、全否定するには抵抗がある。日本やドイツの一般国民はあまり触れないが、ドイツの軍服や装備には、何とも言えない格好良さがあった。歐米の主流メディアや日本のテレビ局は、ナチ党員や国防軍の将兵、親衛隊(SS)などを紹介する時には、必ず「冷酷非道な極悪人」として描く。

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(左 : 勲章を身につけるドイツの軍人   / ドイツ軍将校が着る皮のオーバーコート  / ドイツ軍士官が身につけた皮の軍服  / 右 : ナチス時代のコスプレをする現代の少女 )

    だが、ミリタリー・グッズを集めるオタク族には意外と好評で、ドイツ軍の備品やナチ・グッズは「お宝モノ」みたいだ。時たま、ドイツ軍の標章とか軍服などがオークションに出品されるが、密かなファンは高値がついても落札することがある。日本の陸軍だと野暮ったい軍服となるが、ドイツ軍の将校が着ている皮のコートや被っている帽子、首に附けている騎士十字勲章などはセンスがいい。古代ローマ人に倣ったのか、ドイツ人も鷲を標章のデザインに用いたり、ドクロ・マークを帽子に附けたりしていた。日本だと「キャプテン・ハーロック」か「エメラルダス」くらいしか用いないけど、歐米の軍隊だと、「不謹慎」に思えるような絵柄を軍隊が使っていたりする。合衆国陸軍や海兵隊の将兵だと、犬鷲や骸骨をデザインしたシールを好む。

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(左 : ドクロのデザインを用いた軍人の帽子   /  右 : ナチスのエンブレムとなった黄金の鷲 )

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  確かに、ナチス時代のドイツ人には魅力がある。日本の戦車は敵の弾丸が容易く貫通するので「鉄の棺桶」と評されるが、ドイツ陸軍にはソ連軍を蹴散らした「ティガー戦車(Panzerkampfwagen VI Tiger Ausführung B)」があって、ハインツ・グーデリアン(Heinz Wilhelm Guderian)将軍率いる装甲部隊は、ポーランド侵攻やバルバロッサ作戦で大活躍。その他、海戦では有名な「Uボート」が出没してブリテン海軍を苦しめた。ドイツ空軍(Luftwaffe)にも切り札があって、「ジェリコの壁」を切り裂くような音を立てて急降下するユンカース社の「ストゥーカ(Junkers Ju 87 Stuka)」はよく知られている。高性能を誇るメサーシュミットの「Me262戦闘機(Messserschmitt Me 262 Schwalbe)」も人気が高く、日本の戦闘機ファンにとっては基礎知識だ。

  真っ赤な大学教授はともかく、日本の一般国民はドイツの物理学、数学、医学、化学、工学、建築学などに度肝を抜かれているから、ドイツ人の卓越性に畏敬の念を抱いている。戦後に搭乗したICBM(大陸間弾道弾)の魁となる「V-2 ロケット」だって、フォン・ブラウン博士の業績だから、勝者のアメリカ人でもドイツの科学力には脱帽だ。原子爆弾を開発した「マンハッタン計画」でも、ドイツで育成されたユダヤ人科学者のお陰だから、強要のあるアメリカ人が「ドイツ人、恐るべし」という感情を抱いても不思議じゃない。アルベルト・アインシュタイン博士は超有名だが、その他にも亡命ユダヤ人はたくさんいる。例えば、マックス・ボルン(Max Born)とかジェイムズ・フランク(James Franck)、ハンス・ベーテ(Hans Bethe)は皆ノーベル賞をもらった物理学者だし、オトー・ロベルト・フリッシュ(Otto Robert Frisch)はオーストリア生まれのユダヤ人であったが、ノーベル賞学者のオットー・スターン(Otto Stern)の指導のもとハンブルクで勉強していた。

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(左 : マックス・ボルン  /  ジェイムズ・フランク /  ハンス・ベーテ  /  右 : オトー・ロベルト・フリッシュ )

  ちなみに、日本でも有名なロバート・オッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer)と弟のフランク(Frank Friedman Oppenheimer)はアメリカ生まれのアシュケナージ系ユダヤ人である。同じく、マンハッタン計画に参加していたリチャード・フェイマン(Richard Phillips Feynmann)もアメリカ生まれのユダヤ人。彼の両親はベラルーシ移民で普通のユダヤ人であったが、理論物理学者となったリチャード自身は信仰に興味が無く、無神論者を自称していた。量子力学の天才として有名なニールス・ボーア(Niles Bohr)はちょっと毛並みが違い、彼の父親であるクリスチャン・ボーアはデンマークの生理学者であったが、母親のエレン・アドラーは金融業を営むユダヤ人家庭の出身だった。

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(左 : ロバート・オッペンハイマー  / エドワード・テラー  / ニールス・ボーア  /  右 : ジョン・フォン・ノイマン)

    ホント、自然科学を専攻する研究者を調べてみると、矢鱈とユダヤ人が多いことに気づく。例えば、「水爆の父」と呼ばれるエドワード・テラー(Edward Teller)や、コンピューターの開発で有名な天才数学者のジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)は誰でも知っているし、物理学者のレオ・シラード(Léo Szilàrd / 本名Spitz)はハンガリー出身のユダヤ人であった。ノーベル賞をもらった物理学者のユージーン・ウィグナー(Eugene P. Wigner)もブタペスト生まれの亡命ユダヤ人で、マンハッタン計画に加わったデイヴィッド・ボーム(David Bohm)も米国生まれだが、両親はハンガリーとリトアニアからのユダヤ移民ときている。物理学者のフィリップ・モリソン(Phillip Morrison)もニュージャージー生まれの「アメリカ人」であったが、民族的には「ユダヤ人」として生まれた。彼はMITで量子力学を教えていたが、一般の科学者と同じく精神的には幼稚で、現実を弁えない反核運動家になっていたから厄介なユダヤ人と変わりがない。プルトニウム型の原子爆弾を作っていたアーロン・ノヴィック(Aaron Novick)も、戦後になると反戦活動家に転向だ。分子生物学に没頭してればいいのに、ベトナム戦争に反対する民衆党員になっていたんだから、「ユダヤ人はどこか精神に異常があるのか?」と訊きたくなる。

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( 左 : ユージーン・ウィグナー  /  レオ・シラード / アーロン・ノヴィック  /  右 : フィリップ・モリソン )

  敗戦後の日本人やドイツ人は、自国の過去を闇に葬り、自虐史観で「善人」を演じているが、本当に国家の再興と繁栄を目指すなら、自国民の魂を揺さぶるような教育は不可欠だ。ヨーロッパやアメリカの教育機関ではドイツ人への“仕置き”が主流となっているけど、ドイツ人が国内でドイツ人の優秀性を鼓舞して何が悪いのか? ナチスの非道をなじり、ドイツ人の罪(人種差別や国家主義)を咎めるユダヤ人は、さっさとアメリカやヨーロッパを去って、同胞が暮らすイスラエルに帰ればいいじゃないか。ドイツ人はユダヤ人に遠慮なくゲルマン人の偉業を誇り、ゲルマン系の子供を優先的に教育し、学問やビジネスの面で活躍できるよう育成すべきだ。これはイギリス系アメリカ人や日系日本人にも言えることで、仲間の国民を蔑ろにし、ユダヤ人や支那人、アラブ人、アフリカ人を招き入れ、彼らの子供に手厚い教育予算を与えるなんて言語道断。テキサス州では不法移民の子供でも公立学校に迎え入れ、ヒスパニックの子供と西歐系アメリカ人の児童を混ぜて、多文化教育を施しているんだから“まとも”じゃない。

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(左 : ゲルマン系ドイツ人の子供達  / 右 : 娘のグドルンと一緒のハインリッヒ・ヒムラー )

  日本人も「優秀」だからといって支那人や朝鮮人の移民を受け容れている。だが、そんな外人輸入は日本の変質と凋落を招くだけだ。もし、国家の将来を担う人材を育成したければ、まづ「日系日本人の子供」を最優先にすべきだろう。東日本大震災で不幸になった日系人の子供が大学進学を諦め、一生懸命働きながら納税しているのに、政府は不愉快な支那人留学生に奨学金(税金)を与えて国公立大学に招いているんだから、馬鹿でなければ異常である。日本経済も支那人に頼らず、日本人が立て直すべきだ。自民党の売国奴は二階派以外にもたくさんいて、平然と支那人を擁護している。賄賂をいくら貰ったのか判らないけど、日本人の血が流れているんなら、せめて「恥」くらいは知るべきだ。支那人が企業の経営者や大株主となり、日系日本人がヒラ社員とか派遣労働者になって、顎でこき使われるなんて真っ平御免だ。これなら、ドイツ国民を主体にした社会主義経済の方がマシに思えてくるじゃないか。ナチスを批判する者は、ナチスの支配よりも良い体制を示さねばならない。でも、ウイルス騒動くらいであたふたしている菅総理を観ていると、愚民政治の象徴にしか思えないんだけどねぇ~。


  

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