原爆の作り方を学んだ支那人

Manhattan project atomic bomb 1Atomic Bomb 001







(左 : 開発された原子爆弾   /  右 : 原爆によるキノコ雲)

  「共産支那は米国によって育成された !」と聞けば、大抵の日本人や歐米人はせせら笑って、「そんな事、あるわけねぇだろう !」と反論する。特に、高等教育を受けた者ほど反撥し、「どうして自由主義とデモクラシーを掲げるアメリカが、独裁者と共産党を育てるんだ!? 馬鹿らしい !」と吐き捨てるだろう。しかし、米国と支那の関係や両国の歴史を丹念に調べてみれば、「あれっ ! 何か変だぞ !」と思うような点が多い。

  「マンハッタン計画」を実行したアメリカと、その同盟国であるブリテンが、他国を圧倒する核保有国になるのは理解できる。しかし、どうして共産主義国のソ連と支那が最終兵器の保有国になれんるだ? そもそも、核兵器開発はアメリカにとって、国家の命運を決めてしまうほどの大型プロジェクトであり、絶対に外部へ漏れてはならない極秘作戦だった。研究施設の建設にも注意を払い、計画の内情を漏らした者は、10年の懲役刑を喰らうか、1万ドルの罰金を払うことになっていた。当時の日本人にとったらアメリカの国力は羨ましく、ロスアラモスの研究所には一流の科学者が集められ、約21億9千100万ドルもの大金が投じられたという。

Harry Truman 034(左  /  ハリー・トルーマン)
  ちなみに、ローズヴェルト政権で副大統領だったハリー・トルーマンは計画の全貌を知らされていなかったようで、マンハッタン計画の実態を知ったのはFDRが亡くなった後、つまり大統領に昇格した1945年4月以降であった。おそらく、トルーマンは朧気ながらも、計画の一部を知っていたはずだ。なぜなら、彼がまだミュズーリ州選出の上院議員だった頃(1943年)、ミネアポリスで奇妙なプラント(工場)建設があるというので、連邦議会はこの出費を調査すべし、と主張していたからだ。ところが、まもなく戦争長官のヘンリー・スティムソンから電話が掛かってきて、「首を突っ込んで嗅ぎ回るんじゃねぇぞ !」とキツい警告を受けたらしい。まぁ、ミネアポリスの施設はマンハッタン計画の一部であったから、政府の要人が釘を刺したのも当然だ。それにしても、副大統領を「蚊帳の外」に置いていたとは ! フランクリン・D・ローズヴェルトは本当に嫌な奴だ。でも、この独裁者が誰を信用し、誰を疎んじていたか、が判って面白い。

  アメリカ人は防衛意識が強いのに、潜在的な敵を自国で教育したりするから奇妙だ。もし、核兵器の製造が国家機密なら、絶対に外人を招いて技術なんか教えないだろう。ところが、大戦中のローズヴェルト政権はユルユルというか、むしろ意図的に情報漏洩を黙認していた。昔からの誼(よしみ)で、ローズヴェルト家が支那人に対して友好的なのはよく知られている。それに、支那大陸はまだ未開拓の巨大市場だ。いくら支那人が貧乏でも、衣食住は欠かせないし、ちょっと豊かになれば西洋の娯楽に興味を示すだろう。この暗黒大陸には潜在的な“消費者”が溢れているから、「ロバー・バロン(泥棒男爵)」と呼ばれた豪商にとったら垂涎の的でしかない。大東亜戦争以前の人口統計は見つからないので判らないが、共産支那が誕生した1949年だと、支那の人口は約5億4千万人であったという。当時のビジネスマンが見れば、「えっ! こんなに居るの !」とビックリする程の人数だ。これなら、毛沢東が君臨した1960年代でも魅力的で、大富豪のジョン・D・ロックフェラーが支那を「有望な市場」と見なしたのも不思議じゃない。彼については、以前、当ブログで述べた。

Warren Magnuson  01(左  / ウォーレン・G・マグヌソン )
  第二次世界大戦前、アメリカには「支那人排斥法(Chinese Exclusion Act」があって、支那の出稼人(「苦力」といった筋肉労働者)は米国に移住できず、一攫千金の夢を絶たれていた。ところが、大東亜戦争が勃発すると、支那が米国の味方になったので、「支那人を排斥するのは良くない!」という雰囲気が醸し出されたのである。そこで、民衆党下院議員のウォーレン・G・マグヌソン(Warren Grant Magnuson)が旗振り役となり、支那人排斥法が廃止されることになった。これは不吉な予徴で、あの穢らわしい支那人が排除されず、その盲流を堰き止める防波堤までが撤廃された、ということだ。忌み嫌われたユダヤ難民に続いて、支那移民までもが流入するなんて、エルム街の悪夢以上の悪夢である。(ただし、本格的な支那移民の再開は1960年代になる。)

  支那人には、想像を超える底抜けの馬鹿がいる一方で、天才的な詐欺師や見事なまでの悪徳商人、権力者に媚び諂う知識人が矢鱈と多い。日本人は高校生の時だけ一生懸命、必死で勉強するが、支那人は「本の中に銭がある」と思っているので、年齢に関係なく勉学に励む。大金を摑むためなら、70歳や80歳の老人でも科挙を受けるし、理科を専攻すれば偽造カードを生産したり、ハッキングでボロ儲けしようと考える。支那人はある意味、驚異的な努力家で、睡眠を削ってでも教科書を丸暗記しようと頑張るし、成績が伸び悩めば、不正手段で切り抜けようとするから凄い。戦前の支那人も、やはり昔ながらの「支那人」で、鉄道建設に携わる苦力(クーリー)が門前払いとなれば、知識人や大学生として米国に潜り込むこもうと躍起になる。

  名前からして笑ってしまうが、「銭学森(Tsien Hsue-shen)」という支那人は、米国で学んだ科学知識を用いて支那軍の発展に貢献し、「ミサイル開発の父」と呼ばれた人物である。彼は国立交通大学上海本部を卒業した後、精華大学の公費留学生に選ばれた。1935年、銭は渡米するとマサチューセッツ工科大学(MIT)の航空学科に入り、ここで修士号を取得すると、カルフォルニア工科大学(California Institute of Technology / CIT)へ移り、1939年に博士号を取得する。博士課程での銭は、CITの「ジェット推進研究所(Jet Propulsion Laboratory)」で学ぶことになったが、そこでの指導教官は航空学で権威者となっていたセオドア・フォン・カーマン(Theodore von Karman)であった。(Tianyu Fang, "The Man WHo Took China to Space", Foreign Policy, March 28, 2019.)

銭学林 01Theodore von Karman 005Paul S. Epstein 01









(左 : 銭学森  /  中央 : セオドア・フォン・カーマン  /  右 : ポール・エプシュタイン )

Tianyu Fang 1(左  / 方天宇 )
  支那人ジャーナリストの方天宇(Tianyu Fang)は、銭学森についての記事を書いたが、師匠のカーマンを「ハンガリー系アメリカ人」としか紹介していない。しかし、正確に言えば、カーマンはハンガリー系ユダヤ人。同じ国から来た移民でも、ハンガリーの国民を構成するマジャール人とハンガリーに住み着いたユダヤ人は本質的に違うから、我々は両者を区別しなければならない。このユダヤ人科学者は、銭の優秀性に気づき、彼の世話をする恩師になった。同校の物理学部には、ポール・エプシュタイン(Paul Sophus Epstein)という教授がいて、カーマンは彼と面白い会話を交わしていた。(エプシュタインはロシア系ユダヤ人の家庭に生まれ、モスクワやミュンヘンで量子力学を学び、CITに招聘されたユダヤ人科学者。) エプシュタインはカーマンに向かって、次のように問いかけた。

  そういゃ、君のとこの銭(Tsien)という学生が、僕の授業を受けているんだ。彼は良い学生だね。

エプシュタンはこう述べると、目をときめかせながらカーマンに尋ねた。

  なぁ、教えてくれないか? 彼はユダヤ人の血(Jewish blood)を引いているのいかい?
(William L. Ryan and Sam Summelin, The China Cloud : America's Tragic Blunder and China's Rise to Power, Boston : Little Brown, 1968, p.42.)

  いやぁぁ~、ユダヤ人って、仲間内だと平気でレイシストになるよねぇ~。ヨーロッパ人の前だと「人種主義はケシカラン !」と説教するくせに、裏に廻ると、「ユダヤ人が世界中で最も優秀 !」と本気で思っている。リベラリズムにかぶれたユダヤ人でも、心の底では黒人を低能なケダモノと馬鹿にするし、気に食わない異教徒だと「ゴイム」と呼んで家畜扱いだ。日本の大学教授はユダヤ人の学者に丸め込まれて、ナチス時代のドイツ人を非難するが、ユダヤ人がイスラエルを建国すると、そこはユダヤ民族中心の排他的国家になっていた。もちろん、黒人との結婚なんて論外だから、エリート層のアシュケナージ系ユダヤ人は、自然と北方種族の女を娶ったりする。二枚舌や偽善も甚だしいが、ユダヤ人のシオニストは本質的にヒトラーやヒムラーと同類である。 歐米のユダヤ人は“タカリ先”に永住するため、本心を隠して平等主義者を演じているだけ。

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(左 : ユダヤ人の子供に教育を授けるユダヤ人の教師  / 右 : 敬虔なユダヤ教徒 )

  ユダヤ人の排他性に関しては、もう一つ、興味深いエピソードがある。1930年代、ロサンジェルスにも共産主義者の組織や細胞があり、1千名以上の共産党員がいたそうだ。ロサンジェルス市警には共産主義者を取り締まる部署があって、ウィリアム・ハインズ(William Hynes)警部は、“赤狩り”の強襲部隊である「Red Squad」を率いていた。同じ部署に属するウィリアム・ワード・キンプル(William Ward Kimple)は、共産党内部に潜入を図る覆面捜査官。(Committee on Un-American Activities, Annual Report for the Year 1955, January 11, 1956, U.S. House of Representatives, Washington, D.C., p.24.) 当初、キンプル捜査官は素性を隠して共産党の組織に潜り込もうとしたが、あえなく失敗した。後に明らかとなった彼の証言によれば、共産主義者のほとんどはニューヨーク出身のユダヤ人であったという。それゆえ、「異人種・異教徒」のキンプル氏は、共産党の中に侵入できなかったらしい。

  もしかすると、共産党の幹部どもは、非ユダヤ人の「よそ者」を何となく怪しく思い、仲間にしなかったんじゃないか? これは支那社会にも当て嵌まる。例えば、サン・フランシスコのチャイナタウンを根城にする秘密結社とかチャイニーズ・マフィアは、血縁者しか信用しないから、同族じゃないヨーロッパ系の白人とかヒスパニック系の捜査官は、なかなか信用されず、いつまで経っても「胡散臭い奴」と見なされる。これでは組織の中枢に入り込めない。したがって、外見が明らかに違う黒人捜査官となれば、いくら優秀でも最初から論外だ。支那マフィアのメンバーを「警察のスパイ」にしようとする時だって、勧誘するのは白人警官よりも支那人警官の方が断然いい。支那人は同胞の微妙な心理に詳しいし、どんな餌で誘惑すべきか、どれくらい信用できるかは、支那人同士じゃないと解らない。

Sidney Weinbaum 002(左  / シドニー・ワインバウム )
  日本の一般国民がユダヤ人と聞けば、大抵は「優秀な学者」とか「大富豪のビジネスマン」、あるいは「ナチスに迫害された可哀想な民族」と思ってしまうが、実際のユダヤ人には極左藝人や変態プロデューサー、マフィアの幹部とか、筋金入りのアナーキスト、怨念に満ちたマルキスト、男勝りのフェミニストなど、“とんでもない奴”が異常に多い。確かに、北米や歐洲には優秀な科学者と評されるユダヤ人があちこちにいる。しかし、左翼活動家や共産主義者も、驚くほどウジャウジャいるから厄介だ。CITにもユダヤ人の共産主義者がいて、その内の一人がシドニー・ワインバウム(Sidney Weinbaum)博士であった。ハインズとキンプルもワインバウム博士を見張っていたようで、共産党に属していた銭と博士は密かに接触していたという。

  ロサンジェルス郡のパサデナ(Pasadena)市には共産党の支部があって、ロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer)博士の弟で、物理学者のフランク・オッペンハイマー(Frank Friedman Oppenheimer)も、そこに出入りしていたという。彼は大恐慌時代にジャッキー夫人と一緒に共産党へ入り、マッカーシー時代になると、共産党員であることがバレてしまった。糾弾されたフランクはパスポートを取り上げ、教職にも就けない状態となった。貧困生活を余儀なくされたフランクは、手持ちの美術品を売って生活費に充てたそうだ。しかし、赤狩りの嵐が去ると、ハンス・ベーテといった仲間の科学者が助けてくれたので、フランクはコロラド大学で教授職に就く事ができた。さらに、グッゲンハイム財団から研究費をもらえたので万々歳。「グッゲンハイム・フェロージップ」というのは、苦労人のユダヤ人にとって干天の慈雨に等しい。皆様ご存じの通り、この「ジョン・サイモン・グッゲンハイム記念財団」は、ユダヤ人の大富豪であるジョン・サイモン・グッゲンハイム(John Simon Guggenheim)によって設立された慈善団体である。後に、彼はコロラド州選出の上院議員になっていた。

Robert Oppenheimer 22Frank Oppenheimer 11John Simon Guggenheim 01









(左 :  ロバート・オッペンハイマー  / 中央 : フランク・オッペンハイマー  /  右 : ジョン・サイモン・グッゲンハイム )

  毎度のことながら、歐米の政治や社会問題を取り上げると、必ずと言っていいほどユダヤ人が登場してくる。「マンハッタン計画」にもユダヤ人科学者が多く、ちょっと思い出しただけでも、直ちに数人の名が頭に浮かんでくる。例えば、「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラー(Edward Teller)博士は日本でも有名だ。第20世紀の科学史で燦然と輝くジョン・フォン・ノイマン(John von Neumann)は、数学や物理学だけでなく、コンヒューターの開発や工学、心理学、政治学、経済学などでも一流だった。ドイツ出身の物理学者であるハンス・ベーテ(Hans Albrecht Bethe)はノーベル賞をもらっていたし、ハンガリー生まれのレオ・シラード(Leo Szilard)は、核物理学や分子生物学といった自然科学の分野に留まらず、左翼の政治活動、とりわけ反戦運動に情熱を傾けていた。ちなみに、ソ連のスパイと発覚したクラウス・フックス(Klaus Fuchs)はユダヤ人じゃないけど、このドイツ人科学者はベーテ博士のもとで働いていた。

Edward Teller 2John von Neumann 01Hans Bethe 001Leo Szilard 1








(左 : エドワード・テラー  /  ジョン・フォン・ノイマン / ハンス・ベーテ  /  右 : レオ・シラード  )

Roger Tsien 001(左  / 「ロジャー・Y・ツェン」こと「銭永健」)
  共産主義者の摘発が盛んになった1950年代、銭学森は共産党員の正体がバレてしまい、移民当局から追放処分を受けることになった。国外退去となった銭は、妻子を連れて米国を後にし、祖国支那でのミサイル開発に尽力する。しかし、彼の従兄弟である銭学榘(Hsue-Chu Tsien)は米国に留まっていた。銭学榘も奨学金を得て米国にやって来た支那人学生。最初はMITに入ったが、後にCITに移って航空学を勉強していた。1949年、彼はパサデナでFBIに逮捕されるが、アメリカ国籍を取得していたので強制送還にはならなかった。支那人は窮地に陥っても簡単に諦めない。銭は米国に留まり、ボーイング社で研究を続けていたという。そして、彼にはロジャー・Y・ツェン(銭永健)という息子ができたが、この末っ子は2008年、ノーベル化学賞を受賞した。

  米国には「homegrown terrorism」という言葉がある。この用語は自国民によるテロ行為を指すが、一般的にはアメリカで生まれ育った非西歐人によるテロリズムを指すことが多い。例えば、アメリカへ移住してきたアラブ人の息子は、「帰化人の子供」として米国で成長する。しかし、その肉体はどうあがいても非西歐的でしかない。ちょっと現実的なアラブ人なら、「所詮、俺はアメリカ人じゃない!」と悟って白人を憎む。こうした歪んだ精神を持つアラブ系アメリカ人は、高校生までは無宗教で過ごし、大学に入ってイスラム教に目覚めたりする。普段は物理学や化学、生物学などを勉強するが、夜、独りになると過激派のイスラム教徒に大変身。「アラブ人」という「本来の自分」を取り戻した異邦人は、偽善のキリスト教を侮蔑し、真実の宗教であるイスラム教へと回帰する。

  一方、脳天気なリベラル白人は、自由で豊かなアメリカに住みながら、自国に敵意を持つなんて考えられず、狂気に満ちたムスリム青年に驚く。まさか、自国の学校で教育を受けた若者が、同じアメリカ国民に対してウィルスや毒ガスを用いて攻撃するなんて信じられない。しかし、イラクやシリア、ペルシアといった中東アジアの留学生なら、帰国後に核兵器や生物兵器の開発に携わる研究者になってもおかしくはない。実際、アメリカのユダヤ人科学者は、イスラエルの核開発に重要な役割を担っていた。これと同じく、支那人留学生が共産党員になり、祖国の発展に寄与しても変じゃない。しかし、こうした知識の拡散を黙認するアメリカ人は異常だ。本来なら、軍事兵器の知識は極秘にし、支那人といった外国人やソ連にシンパシーを持つユダヤ人を排除するはず。それなのに、合衆国政府の要人は、KGBのスパイ組織に甘く、わざと情報の流失を見逃していた節がある。

  ここでは詳しく説明できないが、日本人はジョージ・ケナン(George F. Kennan)の「封じ込め政策(plicy of containment)」を称讃する。しかし、これは妙だ。ケナンの提案はソ連を成長させるための“時間稼ぎ”に使われていた可能性が高い。本来なら、対独戦で疲弊したソ連を叩くべきだった。それなのに、チャーチルとローズヴェルトはバルカン半島からの攻撃じゃなく、ソ連に有利なノルマンディー作戦を断行し、東歐諸国をスターリンにプレゼント。ポーランドをヒトラーの魔の手から救って、悪魔のスターリンに渡すなんて馬鹿げている。これじゃあ、歐洲大戦で命を失ったアメリカ兵やイギリス兵が憐れじゃないか。

George Kennan 01Harry Hopkins 01FDR 002









(左 : ジョージ・ケナン  / 中央 : ハリー・ホプキンス  / 右 : ローズヴェルト大統領  )

  英米には共産主義国を育成する意図が働いていたんじゃないか? 例えば、ソ連に大量の物資を提供する「貸与法(Lend-Lease Acts)」は悪名高い。共産主義者の容器が濃厚なローズヴェルト大統領とハリー・ホプキンス(Harry Hopkins)は、共産主義を憎むアメリカ国民からソ連を守らなければならなかった。だから、戦う相手をドイツと日本に絞り、大切なソ連は同盟国にしたのだろう。ユダヤ人から銭を貰っていたチャーチルが、ウォーバーグ兄弟のボルシェビキ・ロシアを敵にするとは思えない。もし、アメリカ国民の要望に押された米軍が、本気になってソ連打倒を計画し、全勢力を以て赤軍を攻撃したら、ロシアの陸海軍は大打撃を蒙っていただろう。せっかく大金を投じて誕生させたソ連が、あっけなく崩壊したら大変だ。それゆえ、外堀から睨みを利かすだけの「包囲戦」でお茶を濁し、西歐諸国の一般人を脅迫しながら、軍事予算を増大させた方がいい。軍産複合体の投資家や国際金融資本のユダヤ人にとって、軍拡競争を深める東西の緊張関係は「金のなる木」である。

銭学林 毛沢東(左  / 銭学森と毛沢東)
  現在、日本人はアメリカの保守派に倣って、ほんのちょっとだけ「反支那のポーズ」を取っている。しかし、バイデン政権を操る連中が、本気で支那の打倒を狙っているとは思えない。もしかすると、習近平だけは抹殺したいのかも知れないが、北京政府を葬る気は無いだろう。アメリカで隠然たる勢力を誇る闇組織は、北京政府の利点を心得ている。あれだけの膨大な人間を牛耳るには、虐殺や弾圧をも辞さない独裁体制が最適だ。また、毛沢東に核兵器の所有を許したのは、支那を世界政治のメイン・プレイヤーに育てて、「グレート・ゲームの駒」にしようと考えたからだろう。もし、本当に合衆国政府が共産主義を自国への脅威と考えていたなら、危険な毛沢東を支援しなかったし、弱小国のうちに潰していたはずだ。

  我々は田中角栄に始まる「対支那経済援助」を知っているが、なぜ、合衆国政府はそんな敵国支援を許したのか、という盲点を考えない。支那との太いパイプを築いた田中派や竹下派については、ジャーナリストの青木直人が厳しく批判していたので、ここでは詳しく述べない。ただ、我々が刮目すべきは、米国の有力者にとったら、日本の首相や自民党の重鎮といえども、「虫けら」同然の存在ということである。もし、米国の旦那衆が竹下登や橋本龍太郎を「邪魔な小僧」と判断すれば、即座にスキャンダルを流して失脚させるだろう。あの不可思議なロッキード裁判で闇将軍の地位を奪われた角栄を思い出せば判るじゃないか。日本の政治家が支那に大金を献上しても、米国から“お咎め”が無かったのは、闇組織の意向に沿った売国政策であったからだ。つまり、文化大革命で超貧乏となった支那人を「便利な労働者」と「有望な消費者」にするには、連邦議会が承認しない大金が必要だから、その費用を日本に負担させた訳だ。日本の庶民はせっせと税金を払って、あの忌々しい支那人の教育を行い、インフラ整備や技術開発を支えたのである。

Brent Scowcroft 04George H Bush & George W 001








(左 : ブレント・スコウクロフト  / 右 : ジョージ・ブッシュ大統領親子  )

  米国の人権派議員は、天安門事件の虐殺を責めていたが、この殺戮を「マズい!」と思ったジョージ・H・W・ブッシュ大統領は、事件の直後にこっそりと腹心のブレント・スコウクロフト(Brent Scowcroft)将軍を北京に派遣していた。息子のジョージ・ウォーカーも大統領になったが、彼はチベット人を殺しまくった胡錦濤をホワイトハウスに招いて記念写真を撮っていた。日本の一般国民でも、この恐ろしい光景をテレビで目撃したが、NHKや朝日新聞は騒がなかったし、連邦議会の人権派もブッシュ大統領を弾劾裁判にかけようとはしなかった。そう言えば、ジェノサイドに敏感なはずのユダヤ人団体も、あまり騒がなかったから不思議だ。確かに、米軍の将校や戦略家は支那との対決を真剣に考えているが、政治家に大量の資金を与えるパトロンは別の考えを持っている。彼らは「国際政治の八百長」を仕組む連中だから、属州に住む日本人は用心しなければならない。「国際貢献」とやらで税金をむしり取られた挙げ句、「もっと米国から武器を購入しろ」と脅されるだけの「便利な馬鹿(useful idiots)」になるのは御免だ。バイデン政権を誕生させた組織は、日本を支那の「倭人自治区」にしてもいい、と考えているのかも知れないぞ。

  


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