肩書・学歴のみを重視する日本人

Koizumi Shinjiro 001Koizumi Juniciro 002Koizumi Junya 1Koizumi Matajiro






(左 :  小泉進次郎  / 父親の小泉純一郎  / 祖父の小泉純也 / 右 : 曾祖父の小泉又次郎 )

  日本人は平等思想を好むが、その裏で学歴や家系を非常に尊ぶ。確かに、我が国は民族的同質性が極めて高く、西歐的な階級社会とは程遠い。だから、善悪は別にして、何らかの「差別」が必要になってくる。人間は平等を愛していても、時折、他者との違いを求め、どちらが優位なのかを知りたくなる。とりわけ、日本人は全国何処にいっても似たり寄ったりの顔つきで、貧富の格差も少ないから、より一層色々な「格付け」に興味を抱く。天皇陛下の目から見れば、百姓でも将軍でも「同じ日本国民、陛下の赤子」だから、日本は稀に見る平等社会なんだけど、ちょっとだけ「序列」をつけて「差別」わ楽しみたくなる。日本人が学校の試験とかスポーツの競技に夢中になるのは、ランキングの刺戟を求めているからだろう。

Arleigh Burke 221(左 / アーレイ・バーク )
  最近発売された『週刊新潮』の記事によれば、小泉進次郎は「親爺の人脈」や「特別待遇」とやらで、コロンビア大学の大学院や、世界的に知られるCSIS(戦略国際問題研究所)に入ったそうだ。ちなみに、この「CSIS(Center for Strategic and International Studies)」というのは、1962年、ジョージタウン大学に創設されたシンクタンクのことで、主導者は合衆国海軍の高名な提督たるアーレイ・バーク(Arleigh A. Burke)と、レーガン大統領の特別補佐官を務め、国務省勤務からNATO大使になったデイヴィッド・マンカー・アブシャー(David Manker Abshire)である。国家論や軍事・外政を勉強している者にとって、有力者が集まるCSISは馴染みが深く、「フーバー研究所」や「ケイトー研究所」、「ヘリテージ研究所」と肩を並べるシンクタンクだ。一般国民だとバーク提督を知らない人もいるだろうが、テレビやラジオの番組でミサイル駆逐艦(イージス艦)「USSアーレイ・バーク」の名を聞いたことはあるんじゃないか。

  気候変動サミットに参加した進次郎は、「セクシー発言」で注目を集め、「ポエム的発想」で話題となった環境大臣だけど、その英語力は留学経験で磨かれていた。2004進次郎は年に関東学院大学を卒業し、父親(純一郎)の「後押し」で難関のコロンビア大学院に入ったそうだ。しかし、その「入学」には関東学院大学の教授と国際関係学研究所の天川由記子(あまかわ・ゆきこ)所長が絡んでいたという。母校の教授は小泉家からの接触を受け、コロンビアに行きたい進次郎の希望をどうしたらよいのかと悩んだらしい。そこで、知り合いの天川に相談してアドバイスを求めたから、今回の暴露記事になったそうだ。進次郎はコロンビア大学で日本の政治を専門にするジェラルド・カーティス(Gerald Curtis)教授のもとで学びたかったそうで、父親の純ちゃんも息子の願いを叶えたかったらしい。まぁ、藝人の「なべおさみ(渡辺修三)」も息子の「やかん(渡辺心)」を明治大学に入れたく、お金を使って替え玉受験をさせたから、どこの業界にも子煩悩な親はいるものだ。

Gerald Curtis 1Gerald Curtis 443(左 : ジェラルド・カーティス /  右 : 小泉総理と一緒のカーティス教授)
  一方、カーティス教授は日本のメディアにも度々登場した学者なので、「ああ、昔、TBSやテレ朝に時々出ていたアメリカ人教授かぁ~」と覚えている日本人も多いだろう。カーティス教授もYKK(小泉、加藤紘一、山崎拓)とは顔馴染みだから、純ちゃんの「お願い」を聞き入れた可能性は高い。ここでは直接関係ないけど、カーティス教授の素性は知られておらず、どんな民族性なのか興味がある。

  米国人で日本の事を勉強する人にはユダヤ人が多く、合衆国陸軍で対日情報を扱っていたハーバット・パッシン(Herbert Passin)はコロンビア大学のユダヤ人教授であったし、合衆国海軍に属していたエドワード・サイデンステッカー(Edward George Seidensticker)は、カトリック信徒になったドイツ系ユダヤ人のアメリカ人。戦後、上智大学の教授となり、源氏物語を英訳したことで有名だ。モルガン・スタンレーMUFGの日本担当アナリストであったロバート・フェルドマン(Robert Alan Feldman)は、テレビ東京の「ワールド・サテライト・ニュース」に出演したり、政府の諮問委員会に参加したことで有名なユダヤ系アメリカ人である。現在は、東京理科大学で客員教授を務めているそうだ。日本に活動の場を移したマーティー・フリードマン(Marty Friedman)は、人気ロックバンド「メガデス」の元ギターリストで、流暢な日本語を話すユダヤ系アメリカ人。おそらく、歌手の相川七瀬を支持するファンや「タモリ倶楽部」の視聴者なら、フリードマンを知っているだろう。カーティス教授は、一体どんなアメリカ人なのか?

Herbert Passin 111Edward Seidensticker 111Robert Feldman 111Marty Friedman 001







(左 : ハーバット・パッシン  / エドワード・サイデンステッカー  / ロバート・フェルドマン  /  右 : マーティー・フリードマン )

  それはともかく、肝心な問題は、進次郎の学力と英語力の方だ。中堅の関東学院でも「優等生」なら米国への留学も可能だが、進次郎の成績は「平均的」だったというから、卒業時の進次郎ではコロンビア大学への留学は極めて困難。(『週刊新潮』 2021年8月12・19日夏期特大号、p.153.) そもそも、留学の前提となる語学力(TOEFLの点数)だって「凡庸」であったというから、進次郎の留学計画は最初から破綻していたのかも知れない。ちなみに、この「TOEFLE」とは外人留学生に課せられる英語試験で、今は形式が違うけど、昔は満点が677点で、有名校だと最低でも620点から630点くらいは要求されたものである。

  その他、高校から学部への入学だと英語と数学によるSATという試験が課せられ、大学院への進学ならGREという難しい試験を受けなければならない。SATの方は簡単な数学と、ちょっと難しい英語の読解程度だから、日本人でも頑張れば合格点を取れる。しかし、TOEFLで躓く進次郎となれば、GREで合格点を取るのは不可能に近い。進次郎よりも前の世代だと、留学を希望する日本人は過去の試験を参考にしたTOEFLの問題集やGREの解説書を購入して勉強したものだ。(一般的に受験勉強はつまらないけど、日本人にとって英語で質問される数学の試験は新鮮だ。日本の学校に通っていると、理科や数学を英語の参考書で勉強する人は滅多にいないから。)

Victor Cha 001(左  / ヴィクター・チャ )
  話を戻す。相談を受けた天川氏は、面識のあるマイケル・グリーン(Michael Green)氏に連絡を取ったそうだ。「ジャパン・ハンドラー」として有名なグリーン氏は、ブッシュ政権で国家安全保障会議(NSC)に属し、大統領特別補佐官に就いた人物である。それゆえ、日本の総理から内々に「お願い事」を打診されれば、「一肌脱いでやるか !」と気張っても不思議じゃない。グリーン氏は早速NSCのヴィクター・チャ(Victor Cha / ブッシュ政権で北鮮問題を担当した補佐官)を紹介し、チャ氏に対しては「父親の跡継ぎだから、小泉家の御曹司を面倒見てね !」と頼んだらしい。そこで、チャ氏は小論文や推薦状で進次郎が政治家になりたい旨を強調するよう、天川氏に伝えたそうである。(上掲記事 p.154.)

  このアドバイスが功を奏したのか、進次郎は条件付きで合格となった。ただし、TOEFLのスコアが600点に達するまで、大学内の英語講座を受けるよう指示されたそうだ。まぁ、勉強するために渡米したんだからいいんだけど、これって、何となく「胡散臭い入学」に思えてくる。それなら、堂々と寄付金を払って正門から入学すればいいじゃないか。

Michael Green 11(左  / マイケル・グリーン )
  新潮の記事によると、進次郎は睡眠時間を削って猛勉強し、コロンビア大で修士号を取れたという。しかし、驚くのは、その後の就職先である。何と、出来損ないの進次郎は、世界的に有名なCSISに就職できたのだ。モノマネ藝人の梅小鉢さんじゃないけど、「へぇぇぇ~」と叫びたくなる。これは、いくら何でも八百長だろう。CSISの研究員とかスタッフといったら、英語を得意とするアメリカ人やカナダ人にとっても「狭き門」であるのに、そこへ凡庸な進次郎が就職できたなんて奇蹟だ。まるで、小室圭の留学みたいだぞ。マイケル・グリーンによれば、ジェラルド・カーティスの「口利き」で進次郎の「CSIS入り」が実現したそうだが、天川氏には不可解であったらしい。彼女がグリーン氏と会った時、よく進次郎は博士号も無いのにCSISに採用されましたね、と尋ねたら、グリーン氏はニヤッと笑って「人質だよ」と答えたそうだ。(上掲記事 p.155.)

  この会話を聞いた大抵の日本人は、背中に戦慄を感じるというよりも、恐怖と落胆、困惑、心配、不安が入り交じった感情を抱くはずだ。愛国者や神経質な人だと、無意識的に膝から崩れ落ちてしまうだろう。そして、「あぁぁ~、こんな奴が未来の総理大臣かぁ~。いったい日本の運命は、どうなるんだ?」と嘆くに違いない。アメリカのエスタブリッシュメントは、裏庭の衛星国や間抜けな後進国を間接的に支配するため、現地で権力を振るう酋長の息子や土豪の娘を米国の教育機関に招き、将来の買弁にしようと考える。日本は米国の属州だから、小泉家の跡継ぎは、何年か先の「支店長」と見なされてもおかしくはない。グリーン氏は茶目っ気たっぷりに「人質だよ !」と控えめに述べていたが、実質的には「操り人形の調教」に違いない。つまり、今のところは、この馬鹿息子をチヤホヤ持ち上げて「アメリカ通」にしてやり、何年後かには「飼い犬」に戻して、アメリカの無茶な要求を次々と承諾させるつもりなんだろう。しかし、「小泉劇場シーズン2」に夢中な日本人は、こうした裏事情には気づかず、地上波テレビの宣伝ばかりを鵜呑みにする。たぶん、巷のオバちゃん達は、永田町の歌舞伎役者に惚れ込み、進次郎がどんなヘマをしようが「進ちゃ~ん、頑張ってぇぇ~」と励ますんじゃないか。彼の横に滝川クリステルが居れば鬼に金棒で、石原裕次郎と浅丘ルリ子の再来に思えてくる。

フランクフルトの牙城はコロンビア大学に移った

  学歴重視の日本人は、大学のランキングや試験の難易度ばかりに目を奪われてしまい、教室の中でどんな授業が行われ、如何なる卒業生が輩出されるのかを無視する。元々、学問の質や人材育成に無関心な大衆は、自分の尻や子供の腕に名門大学の烙印(ブランド)が焼き付けられれば、それで万々歳。脳味噌が真っ赤になったり、ツムジが左巻きになってもお構いなし。卒業大学の「評判」が自分の「評価」に変換されればOKなんだから。大学は食堂と大違い。民間のレストランは、たとえミシュランの星を4つ貰っても、客に出す料理が不味ければ世間の評判はガタ落ちだ。しかも、近所にライバル店が現れ、客がそちらに流れてしまえば、やがて閉店となる。東京大学や京都大学の学食で、ウンコ入りのカレーを出したら大騒動になるけど、法学部や教育学部、経済学部では問題無し。学生のオツムは鈍感となり、健康なクルクルパーにされているから、味の違いなんか判らない。

  一般の日本人は「アイヴィーリーグの一つである名門のコロンビア大学」と耳にすれば、即在に「凄いなぁぁ~、英語力が相当高い人じゃないと入れないんだぁ~」と溜息をつく。しかし、ちょっと正常で保守的なアメリカ人だと、「なんだ、あんな大学 !」と呟いて、「俺なら真っ平御免だ !」と吐き捨てる。多少アメリカに詳しい日本人だと、「ズビグニュー・ブレジンスキーやヘンリー・キッシンジャーが教えていた大学だよなぁ~」とか、「オバマが編入した大学だ」と述べるだろう。でも、「フランクフルト学派のユダヤ人が移り住んだ、赤い悪魔の巣窟」と評する日本人は極めて少ない。何しろ、「フランクフルト学派って何?」と訊いてくる日本人が大半なんだから。(フランクフルト学派については、別の機会で具体的に述べたい。)

  フランクフルト学派のユダヤ人がコロンビア大学に移ってきた理由は様々あるけど、コロンビア大学にも受け容れる“素地”があったのは確かだ。1920年代後半から1930年代にかけて、コロンビア大学の社会学部は凋落の危機に瀕していた。当時は不況の波もあったから、思ったように研究費は支給されなかったし、気前の良い旦那衆はそうそう現れるものではない。コロンビア大学はシカゴ大学を創ったロックフェラー財団のような庇護者を持っていなかったから、世間の関心を集める講座やプログラムを実行できなかった。しかし、社会学部には後に社会学の業界で大御所となるロバート・マッキヴァー(Robert Morrison MacIver)教授がいたし、有名な社会学者のロバート・リンド(Robert Staughton Lynd)も雇われていた。このリンド教授は女房のヘレン(Helen Lynd / 旧姓 : Mirrell)と一緒に『Middletown』を書いて出版し、一躍世間の脚光を浴びた人物。しかし、この夫婦は共産主義に親近感を抱く学者カップルであったから、1950年代のマッーカーシー時代になると「赤狩り」のターゲットになってしまった。もっとも、リンド教授自身は「コミュニスト」じゃく「リベラル派」を名乗り、容疑の火消しに躍起だった。でも、本当は“マルキストもどき”のクリムゾン・リベラルだったりして・・・。

Robert MacIver 1Robert Lynd 1Helen Mirrell Lynd 01








(左 : ロバート・マッキヴァー  /  中央 : ロバート・リンド  /  右 : ヘレン・ミレル・リンド )

  コロンビア大学とフランクフルト学派を結び附ける「仲人」は幾人かいて、その内の一人が、ルイス・ローウィン(Lewis Lorwin)という社会学を専攻する知識人であった。彼の本名はルイス・リヴァイン(Louis Levitski Levine)といい、キエフ生まれのユダヤ人。根無し草のユダヤ人らしく、彼の家族はヨーロッパ各地をうろつき、息子のルイスはロシア、スイス、フランスなどで教育を受けた。その後、大学へ進もうとしたルイスは、米国のコロンビア大学に入って博士号(社会学のPhD)を取得する。彼はほんの少しだけウェスリー・カレッジや母校で教鞭を執るが、後にモンタナ大学へと移った。しかし、根っからの左翼であるから、モンタナ州の労働問題に首を突っ込み、地元で絶大な影響力を持つアナコンダ鉱山会社(Anaconda Copper Mining Company)を批判したという。何しろ、ユダヤ人左翼は資本家や大企業が不倶戴天の敵だから、巨大企業による搾取や税金逃れを見逃すことはできない。ローウィンは会社の不正を指摘し、そこの経営陣や地元の政治家、さらには大学のお偉方と一悶着を起こしたらしい。その結果、エドワード・エリオット学長から停職処分を受け、三年間の教員生活に終止符を打つことになった。(詳しい経緯は、Arnon Gutfeld, 'A Russian Jew Named Levine', Michael : On the History of the Jews in the Diaspora, 1975.を参照。)

  この事件で刮目すべきは、当時の西歐系アメリカ人がユダヤ人を「厄介者」とか「脅威」と見なしていたことだ。アーノン・ガットフェルドによれば以下の通り。

  1919年の愛国者達は、「外国人の過激な行動(foreign radicalism)」に最大の脅威を見出していた。ユダヤ人というのが、この脅威に関して、最も目につく、現実的な具体例となった。この見解は移民反対論者を支援することになる。移民に反対する人々は、どのユダヤ人も過激な社会主義軍団にリクルートされる可能性を秘めている、と警告したのだ。そして、ユダヤ人の過激派どもは世界革命をもたらし、アメリカの政治・経済システムを破壊する要因である、とも述べていた。そして、「ボルシェビキはユダヤ人の運動である」という考えは、アメリカ中に広がっていく。多くの点で、こうした「赤の恐怖(red scare)」時代は、1920年代における反ユダヤ主義の道を舗装することになった。反ユダヤ主義は色々な形をとり、時には露骨で騒がしく、またある時には、潜在的で目に見えないものである。リヴァイン事件はこの両方の形をとっていた。(上掲記事、p.216.)

  「リヴァイン」から「ローウィン」に改名したユダヤ人学者は、被服業界の国際労働組織に雇われ、労働問題の専門家となった。さらに、ローウィンは有名な「ブルッキングス研究所(Brookings Institution)」の研究員となる。これは如何にもユダヤ人らしい転職だが、ブルッキングス研究所に雇われたローウィンは、やがて別のユダヤ人と接触し、フランクフルト学派の盟友となってしまう。

  「類は友を呼ぶ」というのはユダヤ人社会にも当て嵌まるようで、ローウィンが出版した本の書評には、ジュリアン・グンペルツ(Julian Gumperz)という社会学者が名を連ねていた。このグンペルツはローウィンを高く評価するマルキストで、後にマックス・ホルクハイマー(Max Horkheimer)の後輩となる。フランクフルト学派の仲間になたローウィンは、これまた上層中流階級の家庭に生まれたユダヤ人。彼はフランクフルト学派の連中とソックリだ。創設メンバーのフェリックス・ワイル(Felix Weil)は、裕福な家庭に育ち、彼の父親であるヘルマン・ワイル(Hermann Weil)は、アルゼンチンで成功した穀物商人であった。フランクフルトで育ったレオ・ローウェンタール(Leo Lowenthal)は、同化したユダヤ人医者の息子だし、藝術面で批判論を展開したテオドール・アドルノ(Theodor Wiersengrund Adorno)は、ワイン販売で儲けた父親を持つ。ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)もドイツの上層中流階級に生まれ、父親のカール(Carl)は裕福なユダヤ人ビジネスマンだった。

Felix Weil 001Leo Lowenthal 1111Theodor Adorno 21Herbert Marcuse 001








(左 : フェリックス・ワイル / レオ・ローウェンタール  /  テオドール・アドルノ / 右 : ヘルベルト・マルクーゼ )

  脱線したので話を戻す。グンペルスはマルクス主義を学ぶためにドイツへ渡り、フェリクス・ワイルが主宰する「マルキスト学習週間」という講座に参加したという。(Thomas Wheatland , The Frankfurt School in Exile , Minneapolis : University of Minnesota Press, 2009, p.45.) ちなみに、フェリクスの父親であるヘルマン・ワイルがフランクフルト学派創設のスポンサーである。当初、フランクフルト大学の運営者は、スポンサーの恩恵に報いるため、「フェリクス・ワイル社会研究所」という名称にしようと提案したが、これはワイルの方が断ったらしい。そこで、西歐社会を破壊しようと目論むユダヤ人どもは、科学的学問としてマルクス主義を確立し、この偉大なる思想に貢献しようと考え、単に「社会研究所(Institut fürSozialforschung)」と呼ぶことにした。(マーティン・ジェイ 『弁証法的想像力』 荒川幾男 訳、みすず書房、1975年、 p.7.)

  ハイデルベルク大学で博士号を取ったグンペルツは、「研究所」のリサーチ・スタッフとなり、フランクフルト学派の創設メンバーであるフリードリッヒ・ポロックのアシスタントになったそうだ。しかし、研究所でホルクハイマーの助手という地位に不満を感じたグンペルツは転職を考え、ルイス・ローウィンに手紙を書いてブルッキングス研究所に勤めようと試みた。ところが、ホルクハイマーからの推薦状をもらっても、ブルッキングスには採用されず、悲嘆の日々を過ごすことになる。確かに、この不採用には落胆したが、グンペルツはめげずに別の道を模索し、アメリカでの人脈を広げつつ、社会学や心理学で著名な学者と顔見知りになった。

  ついでに言えば、グンペルツの私生活も酷かった。ユダヤ人の左翼学者だから仕方ないけど、彼が結婚したヘーデ・テューン(Hede Tune / Hedwig Tune)という女優であった。ただし、彼女は結婚を機に共産主義者となり、「レッドベッド(Redhead)」というコードネームを持つソ連のスパイになった。ヘーデはポーランド人の父親とオーストリア人の母親との間に生まれた非ユダヤ人。ウィーンでそだった少女は普通に成長したが、高校生の時にジャーナリストで作家のカール・クラウス(Karl Kraus)に魅了され、文学の世界に没頭した。ところが、ノーベル文学賞に何度もノミネートされたクラウスは、これまたヨーロッパに住み着くユダヤ人。彼は日本の左翼学者の間で人気が高く、あの赤い法政大学出版から著作集が出ている。ホント、日本の出版社は西洋の赤色分子が大好き。そして、「ヨーロッパの知識人」として紹介する学者が、実はヨーロッパ人のフリをするユダヤ人なんだからタチが悪い。翻訳者は原作者の素性を曖昧にせず、ちゃんと原作者の血筋や人脈を解説すべきだ。

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(左 :  カール・クラウス  / 中央 : ヘーデ・テューン  /  右 : ゲルハルト・アイズナー )

  ハリウッド女優のエリザベス・テイラーじゃないけど、ヘーデも離婚や再婚を繰り返し、その都度「ラスト・ネーム」を変えていた。最初の亭主はゲルハルト・アイズナー(Gerhart Eisner)で、ドイツ・オーストリアの共産党に属するユダヤ人であった。彼の母親は非ユダヤ人であったけど、父親のルドルフ・アイズナーがオーストリア出身のユダヤ人であったから、血統的にはドイツに住み着くユダヤ人。父親のルドルフは哲学を専攻する大学教授であったというから、典型的なユダヤ人の左翼家庭である。ゲルハルトの導きにより、ヘーデはベルリンにあるドイツ共産党に入ってしまう。その後二人は離婚し、ヘーデはジュリアン・グンペルツと再婚するが、この夫も共産党に共鳴する極左分子だった。二人は米国のNYへ移り住むが、やがてジュリアンはフランクフルトへ留学し、再婚カップルは破局を迎える。三番目の亭主となるのは、ドイツ人社会学者のポール・マッシング(Paul Wilhelm Massing)で、彼もドイツの共産党(KPD)に属する左翼活動家であった。この時期、ヘーデはあのリヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge)に勧誘され、イグナス・レース(Ignace Reiss)のもとで動くソ連のスパイになってしまった。

Paul Lazarsfeld 1Sophie Lazarsfeld 01Alfred Adler 1








(左 :  ポール・ラザースフェルト  / 中央 : ゾフィー・ラザースフェルト  /  右 : アルフレート・アドラー )

  もう一人、フランクフルト学派の仲人になったと考えられるのは、有名な社会学者のポール・ラザースフェルト(Paul Lazarsfeld)である。彼はウィーンのユダヤ人家庭に生まれた移民で、元々は数学で博士号を取った研究者で、次第に社会科学に興味を示した転向組だ。彼が大衆心理の研究を始めたのは、母親の影響があるのかも知れない。母のゾフィー・ラザースフェルト(Sofie Munk / Sophie Lazarsfeld)はセラピストで、彼女は精神治療を専門とする心理学者のアルフレート・アドラー(Alfred Adler)の弟子であった。このアドラーもオーストリアに住み着くハンガリー・チェコ系のユダヤ人で、彼の「個人心理学(Individualpsychologie)」は日本でもよく知られている。

  ラザースフェルドの才能を見出したロックフェラー財団は、このユダヤ人学者をアメリカに招き、これから発展するコミュニケーション媒体の研究を任せることにした。米国での生活を決めたラザースフェルドは、当時普及し始めたラジオの影響や、その宣伝力に着目し、新たな媒体が大衆に及ぼす効果を研究した。日本人でも心理戦を勉強する人は、ラザースフェルドと協力関係にあったハドリー・カントリール(Albert Hadley Cantril, Jr.)や、ユダヤ人社会学者のエリュー・カッツ(Elihu Katz)の名を知っているはずだ。マスメディアの影響力を研究していたラザースフェルドが、社会学の教授達と顔見知りであっても不思議じゃないし、事実、彼はコロンビア大学で「応用社会科学研究所(Bureau of Applied Social Science)」を創設していたのである。

  ホルクハイマー率いるフランクフルト学派がコロンビア大学に移籍できたのは、ロバート・リンドやルイス・ローウィン、ロバート・マッキヴァー、ジュリアン・グンペルツ等が奔走してくれたこともあるが、コロンビア大のニコラス・マレー・バトラー(Nicholas Murray Butler)学長が理解を示してくれたことも大きかった。そして、この大学には日本でも有名なジョン・デューイ(John Dewey)が盤踞していたから、極左の社会主義者や隠れ共産主義者が繁殖したのも当然だ。デューイの弟子で、後に保守派へと転向したシドニー・フック(Sidney Hook)によれば、彼の師匠はマルクスに批判的だが、心の何処かで共産主義に共鳴しており、社会改革にとても熱心な社会主義者であったらしい。事実、デューイは有名な黒人団体であるNAACPの初期メンバーであったし、極左人権団体のACLUの創設者でもあった。一般の日本人は学校の先生から聞いていないけど、デューイは1928年にソ連を旅行し、共産党にもシンパシーを持っていたからFBIの監視対象になっていたのだ。(John A. Beineke, 'The Investigation of John Dewey by the FBI', Educational Theory, Vol. 37, 1987, p.43.)

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(左 : マックス・ホルクハイマー /  ニコラス・マレー・バトラー  /  シドニー・フック  / 右 : ジョン・デューイ )

  日本でもそうだけど、歐米諸国で社会学を専攻する学者には、密かなマルキストや心情的な共産主義者が結構多い。共産党とは距離を置く知識人でも油断はできず、別路線の共産主義を目指す者かも知れないし、「リベラル派」を看板にするピンク左翼という場合もある。国立大学や私立大学にも、共産党に入らずに共産主義革命を模索する赤色細胞がウジャウジャいるし、社会主義や共産主義の理論を用いて西歐社会を破壊したいと願うアナーキストも少なくない。日教組の教師は滅多に口にしないが、天才的物理学者のアルベルト・アインシュタインや国連で人権活動をしていたエレノア・ローズヴェルトは、NAACPの創設メンバーで、あからさまな共産主義者ではないが、心の底で西歐社会を憎む左翼分子であった。

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(左 : フリードリッヒ・ポロック   /  エレノア・ローズヴェルト / アルベルト・アインシュタイン /  右 : カール・マンハイム)

  日本でも昔は「進歩的知識人」が流行しており、今では残骸しか生きていないが、敗戦後30年くらいは、左翼の黄金時代であった。文系・理系を問わず、大学には反日分子や様々なタイプのマルキストが溢れていたのだ。例えば、東大教授から法政大学の学長にまでなった大内兵衛は、筋金入りのマルキスト学者で、その専攻分野は経済学であった。東大の総長を務めた経済学者の大河内一男は、『赤旗』に寄稿する反戦論者であったし、内村鑑三の赤い弟子であった大塚久雄は、これといった業績が無く、社会学の泰斗であるマックス・ウェバー(Max Weber)の『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を和訳した事だけが「唯一の業績」である。この東大教授は、西洋の市民社会とやらを称讃することで日本は“遅れた”後進国と暗に批判していた。

  同じ東大で名物教授になっていたのが、政治学者の丸山眞男で、彼はアントニオ・グラムシの共産主義思想に共鳴していたが、ユダヤ人社会学者のカール・マンハイム(Karl Manheim)にも憧れていた。一橋大学で社会学を教えていた佐藤毅(さとう・たけし)は本当に碌でなしで、犯罪者の責任を教育や環境のせいにして、政府や世間が社会悪と仄めかしていたのだ。一橋大学には左翼学者がゴロゴロいて、人権思想をバラ撒く田中宏やイスラム擁護で悪名高い内藤正典(ないとう・まさのり)が教えていたし、政府の諮問委員会で権力をふるう竹中平蔵も一橋大学の教授だった。学者としての才能が無いことに気づいたパソナの竹中平蔵は、ロバート・ルービンやラリー・サマーズといったユダヤ人支配者に貢ぐ日本側の買弁となり、参院議員を経て政商に成り下がっていた。こんな売国奴が一橋大学の名物教授になっていたんだから、出資者の渋沢栄一が知ったら「資金を返せ!」と叫ぶだろう。福沢諭吉だって竹中が慶應義塾の教授と判ったら、筆を棄てて刀を握るんじゃないか。何しろ、福沢先生は痩せても枯れても中津藩士だからねぇ~。

  とにかく、日本人は学校で何を学んだかを問わず、「どこの大学に合格したのか? どいうった学歴なのか?」ばかりに注目する。筆者は小泉進次郎がどんな学歴でも構わない。日本の政治家は日本の国益を最優先にし、国家の独立と安寧を図るべきだ。もし、本業が日本人から選ばれた代議士なら、国家主義者になるのは当然だろう。ところが、進次郎には日本第一の思想が全く無い。テレビや雑誌で人気を博す小泉家のお坊ちゃんは、皇室伝統にさえ関心が無いのだ。しかし、もっと心配なのは、神奈川の有権者が進次郎の国家思想を尋ねないことだ。彼がどんな政治哲学を抱き、如何なる政策を以て国家を運営したいのか、ほとんどの国民には「謎」となっている。進次郎が思い描く未来の日本とは、一体どんな社会なんだ?

   なるほど、進次郎はテレビ映りが良く、選挙にも強い。同僚の応援演説に駆けつければ、見物客が寄ってくる。しかし、保守派国民の心には不安しか残らない。マスコミから期待される進次郎は、幾つかの大臣職を経て、やがては首相の座に上り詰めるだろう。でも、内閣総理大臣となった進次郎は、日本人の利益を最優先に考えるのか? もしかすると、合衆国政府やウォール街の命令に従う属州総督になるかも知れない。今だって、外国資本の要求に屈する売国奴になる可能性もあるのだ。マイケル・グリーンは進次郎を「人質」と呼んでいたが、心の底では10年先の日本で気軽に使え、何でも言うことを聞く「便利な馬鹿(useful idiot)」と思っているのかも知れないぞ。

Koizumi Shinjiro 0234  現在の進次郎は、支援者の企業に報いるため、国民にとって迷惑な太陽光発電を推進しているくらいだから、数年先の進次郎となれば危険極まりない。たぶん、父親に倣って厚労大臣とか総務大臣、あるいは財務大臣か外務大臣になるかも知れないが、肝心要の知識に乏しく、そのうえ実務にも疎いから、側近の官僚に従うだけだろう。それでも、マスコミ各社は短い言葉で「決め台詞」を口にする進次郎を持て囃し、小泉劇場の再来を期待するはずだ。おそらく、大衆の喝采を浴びる進次郎も自分の影響力に自信を抱き、自民党での基盤を固めることだろう。もし、何らかの要職について外遊ともなれば、進次郎の人気は鰻登りだ。何しろ、クリステル夫人を伴った映像は華やかだから、まるでカンヌかベルリンの国際映画祭に参加する藝能人みたいだ。さらに、クリステル夫人には“お得意”のフランス語という武器があるから、ヨーロッパの政治家と面会した際、英語を交えたフランス語の会話があるのかも。

  まぁ、現在の日本は衆愚政治を称讃する頽廃社会だから、世襲議員の進次郎に高度な知識や教養人の礼儀作法を求めても無駄であろう。それでも、CSISの関係者が述べていたエピソードは衝撃的だ。(『週刊新潮』上掲記事、p.155.) 進次郎がCSISに入って、まだ間もない頃、彼はあるシンポジウムに参加したそうだ。進次郎が「気さくな青年」であることは好ましいが、初対面のアメリカ人に対して、「Hey !」と声を掛けていたなんて、ビックリ仰天である。親しい友人になら、「おい! どうしてる?」でいいけど、面識の無い大人に向かって使う言葉じゃないだろう。でも驚く事に、進次郎は上司のマイケル・グリーンに対しても「Hey !」と呼びかけていたそうだ。これは深刻なレベルの「重症」である。アメリカで生活していた人なら判るが、英語でも敬語や丁寧な言い回しがあるから、時と場所、話しかける相手によって言葉を選ぶのは常識だ。それなのに、二十歳を過ぎた進次郎には解らなかったなんて、とても信じられない。日本の有権者は進次郎の学歴よりも、その根本的な思考形態を問題にすべきだ。



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