男系男子の危機

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  男系男子による皇位継承は非常に難しい。敗戦の衝撃は皇統を揺るがし、窮地に陥った伏見宮とか久邇宮、朝香宮、北白川宮など、11の宮家は皇籍離脱となってしまった。この臣籍降下はGHQによる脅迫と、皇室財産の剝奪が原因となっている。本来、皇太子殿下の系統に危機が訪れれば、「血のリザーブ」である伏見の宮家から男子の皇位継承者が現れ、男系男子の皇統が存続されるはずなのに、今や男系の皇統は風前の灯火だ。

  敗戦を迎えた国家はどこも惨めで、日本では一気に男系男子の皇族が減ってしまった。いくら昭和天皇が健全とはいえ、他の男子皇族は秩父・高松・三笠宮の直宮家くらいになってしまった。昭和天皇が男系男子の激減を憂慮したのも当然で、皇太子の明仁殿下を除けば、後は三笠宮寛仁(ともひと)親王殿下と高松宮宣(のぶひと)仁親王殿下くらい。幸い、昭和35年に浩宮徳仁親王殿下が、そして昭和40年に礼宮文仁親王殿下がお生まれになったから良かったものの、皇位継承の危うさは依然として囁かれていた。(将来的に皇太子妃から男子が生まれる確率を計算すれば明らかだ。)

  平成5年(1993年)、皇室会議を経て、皇太子殿下と小和田雅子様の御婚約が正式に発表されたので、世間は祝賀ムードで沸き返っていた。尊皇主義派の渡部昇一先生や谷沢永一先生も「良かった、良かった、実に目出度い !」と喜んでいたが、筆者は心の奥で不安が渦巻いていた。なぜなら、高校で英国史を勉強した時、ヘンリー8世の焦りと王妃の悲劇を学んでいたからだ。

  チューダー朝の王様が男子の誕生を望み、離婚や再婚を繰り返したことは有名で、離婚を言い渡された王妃の運命も、映画やドラマの題材となったから、世間一般にもよく知れ渡っている。日本の朝廷では全く考えられぬが、英国では元王妃の死刑があった。エリザベス1世を産んだアン・ボーリン(Anne Boleyn)とキャサリン・ハワード(Catherine Howard)は、不義密通の容疑で処刑されてしまった。キャサリンの方は通常通り「斧」による斬首刑だったが、アンの方は彼女の懇願で、「剣」による首の切断であったらしい。また、筆者は『わが命尽きるとも』(1966年公開)というブリテン映画が大好きで、例外的に何回も観たことがある。この映画はヘンリー8世と聖トマス・モアの葛藤を描いた作品なんだけど、王妃の離婚を巡るトマス卿の苦悩が何時までも頭に焼き付いていた。筆者が皇太子殿下の御婚約を聞いた時、ふと昔の記憶が蘇ってしまった。(この映画に関しては別の機会で述べたい。) 

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(左 :  ヘンリー8世 /  アン・ボーリン /  キャサリン・ハワード /   右 : 聖トマス・モア)

  御婚約当時から心配したように、1999年に“御懐妊”となった雅子妃には、思いもよらぬ不幸が襲いかかった。反皇室主義の朝日新聞は、医者による検査結果を待たずに「懐妊の兆候」をデカデカと記事(1999年12月10日)にして、銭儲けを謀ったのである。この無礼な報道に対し、雅子妃は大きなショックを受けたらしい。普段、朝日新聞や進歩的文化人は、「女性の権利」とか「プライバシーの尊重」を口にしているくせに、皇族となれば言いたい放題。ペン先で雅子妃の心臓を剔るような拷問を繰り返す。そして、この無礼な報道から約1ヶ月後、雅子妃は「稽留流産」で授かった子宝を失ってしまった。悲嘆に暮れる雅子妃が東宮御所に閉じこもり、外に出なくても当然だろう。朝日新聞を購読している国民は恥を知れ !

 「男子のお世継ぎを産むように !」との催促は、相当“重い任務”であったらしい。雅子妃は御懐妊前に何度も細かい検査を受けられたそうで、子供を産めるかどうかの身体検査に耐えたという。義務感と忍耐力に優れた雅子妃は、検査の苦しさよりも、子供を産める体と判って嬉しかったそうだ。(友納尚子『雅子妃の明日』文藝春秋社、 2006年、p.32. ) それゆえ、流産という残酷な運命に遭遇した妃殿下が、如何に心を痛めたか、誰でも想像がつく。誹謗中傷を得意とするマスコミは、雅子妃の傷口に塩を塗りつけることで喜んでいた。

  真摯な雅子妃殿下は、こうした苦難を忍従してきたのに、保守派を自称する西尾幹二は、公務を欠席する雅子妃を非難し、「仮病を使っての公務怠慢じゃないのか?」と疑っていたのだ。こんな奴を「先生」と崇めている水島総社長は、秋篠宮殿下を批判する国民を叱責することができるのか?

  チャンネル桜北海道でキャスターを務める「小野寺まこと」もいかがわしく、平成31年4月5日の放送で、嫌いなはずの『週刊新潮』記事(2008年11月13日号)を取り上げていた。当時、謎の人物がヤフー・オークションで皇室関連の品々を出品したことが話題となり、小野寺氏は皇族から雅子妃に贈られた「象牙御紋附金蒔絵御扇子」の競売を問題にしていた。週刊新潮の記者は、東宮御所に出入りしていた雅子妃の御母堂を怪しむような記事を掲載し、「小和田家から扇子が流出し、それを匿名人物がヤフオクに出したのでは?」と匂わせていた。小野寺氏も「誰が売却したのか?」という点に関しては断言しなかったが、「小和田家に扇子が渡った後、どうなったのか?」という疑問を述べた。つまり、「小和田家の誰かが売り払ったんじゃないか?」という“仄めかし”で番組を締めくくっていたのだ。

  こんな「匂わせ番組」を放送したら、普通の視聴者は雅子妃と小和田家を疑ってしまうじゃないか ! 水島社長は普段、「週刊誌の記事なんて根拠が無い !」とか、「皇室を貶めるための誹謗中傷だ !」と怒っているが、雅子妃への批判や誹謗中傷、濡れ衣記事ならいいのか?  

  話を戻す。平成13年(2001)12月1日に敬宮愛子内親王がお生まれになったことは、皇太子殿下や雅子妃だけではなく、国民にとっても喜ばしい慶事であった。しかし、「お世継ぎ」になるはずの赤ん坊が女の子であったから、男系男子を望む皇族や国民にとっては落胆であった。側近の者や一般国民が、雅子妃に「男の子の第二子を !」と望んだのも無理はない。こうなると、雅子妃に掛かるプレッシャーは日々増すばかり。ニュージーランドやオーストラリアの御訪問から戻ってくると、高位の側近から「次のことは、お分かりですね !」と念を押されるし、別の幹部は「もっと皇太子妃としての自覚を持ってください」と叱責する始末。雅子妃は「しきたり」を重視する側近から、「お妃教育」のレッスンを受ける毎日だった。

驚愕の「人格否定」発言

  宮内庁や国民からのバッシングが吹きすさぶ中、2004年5月10日の記者会見で、皇太子殿下は異例の御言葉を口にされた。あの有名な「人格否定発言」である。歐洲訪問を前にされた皇太子殿が、記者会見で“異例”な発言をなされたのは衝撃的で、何のことやら判らぬ国民も多かった。いくら雅子妃の御病気が悪化したとはいえ、普段は冷静沈着な殿下が、いつもとは違う厳しい表情で、あのような批判を口にするなんて尋常じゃない。殿下はスピーチライターが書いた原稿を“言わされた”のではなく、御自分の意思で発言なさったのだ。

  それにしても、「誰」が雅子妃の「キャリア」や「人格」を否定したのか? 確かに、湯浅利夫宮内庁長官が「第三子」に触れたけど、湯浅長官が原因で皇太子殿下が激怒したとは思えない。では、林田英樹東宮大夫や小林秀明東宮侍従長が、何らかの批判をしたから殿下が立ち上がったのか? たぶん、そんなことはないだろう。当時、筆者も殿下の発言に驚いたけど、誰が「原因」だったのか直ぐピンときた。

Princess Michiko 8942(左  / 美智子皇后 )
  これは裏取りしていない筆者の単なる邪推となる。率直に言えば、「人格否定」の張本人は美智子皇后陛下だろう。高貴な皇室といえども、構成するのは生身の人間だ。違った性格の人間が狭い空間の中で生活すれば、反目や軋轢が生じてくる。一般家庭にだって陰湿な「嫁姑バトル」があるじゃないか ! 昔、社会学の教授から聞いた話だけど、性格や風習の違う女性が家に入ってくると、姑による“嫁イビリ”が始まり、夫婦の離婚や傷害事件にまで発展するケースがあったそうだ。それゆえ、美智子妃が雅子妃に対し、間接的なイジメを行う場合もある。また、棘のある言葉を囁いて人格攻撃をする場合だってあるだろう。もしかすると、厭な国内公務を押しつけて、雅子妃が希望する外国訪問の機会を奪う事だって有り得る。一般人の女性でも、姑から「跡継ぎの男子を産まずに、ちょくちょく外国へ旅行するなんて、いつ孫の顔を見ることができるのやら・・・」と嫌味を言われれば、胸の中で「この糞ババァ !」と反撃したくなるだろう。

Princess Masako 884(左  /  テレビで紹介された雅子様)
  男性もそうだけと、女性の嫉妬心は根深く強烈だ。特に、気性の激しい女性は、ライバルとなる女性に対しては厳しい。美智子皇后は聖心女子大卒の御嬢様で、スポーツや勉強に秀でた才女だった。となれば、雅子妃は美智子妃の華麗な経歴を脅かすライバルだ。昭和時代、マスコミは民間初の皇太子妃ということで、美智子妃を毎日のように追っかけていた。しかし、平成の時代になると、小和田雅子嬢が「お妃候補」として浮上し、マスコミと世間の注目は、一気に美貌の外交官へと流れた。何しろ、雅子様はハーバード大学を卒業され、帰国するや外交官を目指して、東京大学法学部へ編入だ。そして、如何にも優等生らしく、短期間に不慣れな法学を習得され、見事外交官試験に合格。さらに、外務官僚となれば、オックスフォード大学に留学なんだから、紀子妃殿下とは月とスッポンだ。

Princess Kiko 8831(左  /  買い物帰りの紀子妃)
  若くて美しく、品格が備わった御令嬢。しかも、難関の試験を突破したキャリア官僚とくれば、皇后陛下の威光が霞んでしまうじゃないか ! 皇后陛下が無意識のうちに反感を覚えても不思議じゃない。翻って、紀子妃を観れば安心だ。次男の嫁には優しくできる。なぜなら、紀子妃は絶対にライバルとならないからだ。川嶋紀子様には貧乏左翼の父親と出世欲に塗れた母親、そして凡庸な弟がいるだけ。しかし、当時のマスコミは「庶民のプリンセス」に大はしゃぎ。『川嶋紀子さんの魅力のすべて』という本まで出版された。

  追っかけ記者は、近所のスーパーで買い物をする未来のプリンセスを取材したが、その買い物袋を見た知識人はビックリ。紀子様は普段着でヨーグルトや牛乳パック、納豆、スナック菓子などを購入されていたが、それらは「生協」の文字が印刷されたプラスチック・バックに入っていた。つまり、川嶋家は共産党や社会党支持者がよく組合員になる食料品店を利用していたのだ。お客を組合員にする「日本生活協同組合連合」は、コミュニスト系の賀川豊彦が創設者の一人とされている。この善人ぶった赤い牧師は、神戸のスラムで貧民救済を行っていたことで有名だ。

Kagawa Toyohiko 1(左  /  賀川豊彦)
  一般の日本人は賀川のことを「貧民街の聖者」と崇めているが、裏の顔はゾッとするほど恐ろしい。キリスト教精神に則った慈善活動家のフリをしていたが、その中身は労働者を利用する左翼。今では、売国奴の風見章と昵懇だった馬島僩(まじま・かん)というソ連贔屓の医者を知っている人は少ないが、この赤いドクターは賀川の忠実な助手だった。(大宅壮一『昭和怪物伝』角川書店、昭和48年、 p.80.) 人権や差別に敏感な知識人には、政党色を前面に出さない隠れ左翼が多い。常識的な善意の日本人でも、川嶋教授の研究分野を知れば、「なるほど」と納得すると思う。

  「皇室に嫁ぐ人は皆“優秀”」というのが日本人の建前だ。紀子妃殿下も一応、皇室の力で「博士号」を取得したお姫様となっている。しかし、紀子妃の学力はそう高くなく、頑張り屋だけど「地頭が悪い」女学生といったところだ。たぶん、ご自慢の英会話力は初歩的で、イギリス人と社会問題や専門分野の討論はできまい。若いときに披露した英語のスピーチも、たぶん暗記の賜物だろう。(筆者は皇族に「英会話力」なんか求めていない。素朴な愛情と敬虔な信仰心が最も重要である。皇室に嫁がれた女性は、良妻賢母であればよく、公務で見栄を張る必要は全くない。)

Princess Kiko 732(左  /  帰国子女の川嶋紀子)
  だいたい、紀子妃はオーストリア(ウィーン)から戻ってきた「才女」であるはずなのに、どうして学習院大学に入った時に、得意のドイツ語を選ばず、支那語のクラスを取ったのか? 皇族となってから「特別研究員」になったプリンセスは、お茶の水大学で熱心に勉強するが、それは悠仁親王殿下を附属小学校に入れるためだった。紀子妃殿下は結核予防の論文を書いて博士号を取得したが、一体どんな「質(クォリティー)」であったのか? デビルマンじゃあるまいし、「誰も知らない、知られちゃいけない博士論文」なんて聞いたことがないぞ。

  皇室は「語学が得意な紀子様」を宣伝するが、若い頃の紀子妃殿下がCWAJ主催の版画展で話した演説を聴いてみると、まるで高校生のスピーチコンテストみたいな英語と判る。確かに、綺麗な発音に気をつけていたが、優秀な英語教師の影がちらつく。バカにするわけじゃないが、「一生懸命リハーサルしたんだなぁ~」という出来映えであった。最近でも、COVID-19の注意を呼びかける国際会議向けのスピーチが披露されたが、これも英語教師のレッスンを受けての暗記スピーチだなと判る。もし、紀子妃が「語学の達人」なら、自分で考えた意見を即興で話すことができるはずだ。

  しかし、あの喋り方だと「語学教師の仕込みだな !」とバレてしまう。これは筆者の邪推だけど、外務省か何処かの役所から派遣された英語教師なんじゃないか? そもそも、筆者は英会話を「優等生の証明」にする風潮には反対だ。日本人なら品の良い日本語で話せばいいじゃないか。英語を流暢に喋ることが「国際的だ」と考えるのは、劣等感に苛まれた下層民だけ。英国や米国に行けば判るけど、乞食やチンピラでさえペラペラと英語を喋っているじゃないか。

  ちなみに、父親の川嶋教授も変人で、母親は「いとこ」という名前であったが、漢字で書くと「紀子」である。令和の高校生や大学生は、「えっ、何それ !?」と驚いてしまうが、自分の娘に母親の名前を附けるなんて普通じゃない。歐米だと息子が父親と同じ名前であるのは珍しくなく、親子二代で大統領になった「ジョージ・W・ブッシュ」や副大統領になった「アルバード・ゴア Jr.」などを思い出せば理解できよう。

Princess Masako 9324(左  /  外交官になった小和田雅子嬢)
  話を戻す。もし、美智子皇后が雅子妃の人格を否定したのであれば、皇太子殿下の発言は理解できる。殿下は宮内庁の役人が愚痴をこぼしたくらいでは、あのような行動に出ない。これも筆者の推測になるが、皇太子殿下は御成婚の前、雅子妃に何らかの「約束」をしたんじゃないか? つまり、皇室に嫁ぐ前の「取引(結婚を承諾すに当たっての契約)」で、雅子妃が内々に幾つかの「条件」を提示したのかも知れない。皇太子妃になるということは、一般人の私生活や外交官のキャリアを捨てることだから、雅子妃が様々な約款、例えば外遊の約束を求めてもおかしくはない。自分から進んで嫁いだ訳でもない雅子妃が、諸外国への訪問を断念し、国内の介護施設とか孤児院への訪問、あるいはスポーツ競技や被災地だけの御公務で満足するのか? 「籠の中の鳥」という状態を耐え忍ぶなんて想像できない。

  つくづく思うけど、女性の世界は複雑怪奇だ。美智子皇后は香淳皇后からイビられたのに、自分が姑になるや、息子の嫁をイビリ始めるんだから。翻って、紀子妃は可愛い。話せば「劣等生」と判るので、美智子妃は優越感を確認し、安心して接することができる。しかも、初孫を産んでくれたから、皇后陛下が喜んだのも当然だ。

  確固たる信念と意思を持つ雅子妃は可愛くない。虎が豹と睨み合うようなものである。保守派国民は、なぜ皇太子殿下が異例の発言をなされたのか、その理由をあれこれ推測したが、意外と答えはシンプルなのかも知れない。常識的に考えてみよ。未来の皇后たる雅子妃を公然と威嚇できるのは、天皇陛下か皇后陛下くらいである。たぶん、記者会見で怒りを述べることで、殿下はイジメを行う母親に抗議したんじゃないか? 皇室の親子関係は庶民と違い、親子でもよそよそしいから、記者会見を利用して間接的な怒りを伝えたのかも知れない。皇太子殿下は誠実で生真面目だから、雅子妃との「約束」を守ろうとしたんじゃないか?

Princess Aiko 7724(左  /  愛子内親王)
  実際、妃殿下は1993年の東京サミットでクリントン夫妻を接待したし、中東アジアへも訪問された。しかし、愛子内親王殿下が生まれるまでに、8年6ヶ月もかかっているのだ。その間(1993年から2001年)に周囲から受けたプレッシャーは、相当なものであったに違いない。何しろ、流産を経験された雅子妃は、高齢出産となる38歳に近づいていたんだから。普通の産婦人科医なら、35歳以上の妊婦を懸念する。巷のキャリア・ウーマンは「40歳近くの妊娠でも大丈夫」と高を括っているが、30代後半の女性が産む赤ん坊だと、障害児になる可能性が結構高い。若い妊婦と比べたら2倍の危険率である。

  意外と知られていないのが「卵子の老化」である。もし、皇太子妃の卵子に染色体の異常が発見されれば深刻だ。(染色体異常の確率は36歳で60%くらい。) また、卵子の劣化だと流産になる確率だって高くなる。卵子の数だって減ってしまうのだ。例えば、35歳の女性が持つ卵子は2万5千個なのに、38歳になると5千個に減ってしまうし、40歳になると2千500個にまで減ってしまうのだ。それゆえ、侍従達が40歳代になってしまう雅子妃の妊娠・出産を懸念したのも当然だ。

Nishio 121(左  /  西尾幹二)
  皇太子妃時代の雅子妃は、様々な重圧や批判で適応障害に苦しまれたが、令和の時代になると何となく健康を恢復なされたように見受けられる。「保守派知識人」のフリをする西尾幹二は、鬱病で公務を欠席された雅子妃を非難し、「サボリたいが為の仮病だ !」と言い放った。そして、雑誌『WiLL』を取り仕切っていた花田凱紀(はなだ・かずゆき)編集長も西尾幹二を支援し、雅子妃バッシングに加勢した。皇室批判で売上増加を図るなんて意地汚い。令和の幕開けとなったが、この二人はどのように考えているのか?

  巷の庶民は雅子妃に育てられた敬宮愛子内親王と、紀子妃殿下に育てられ、NYに逃避した眞子内親王を見比べたが、圧倒的に愛子内親王殿下の方が思慮深く思えた。そう言えば以前、眞子様も成人した時に記者会見に臨まれたが、あの受け答えは酷かった。普通の女子学生であれば、「あの程度の対応でも仕方ないだろ~」と思えるが、英才教育を受けたはずの皇族が、渋谷をうろつく「パープリン程度」じゃ、若きプリンセスを目にしているる国民の方が恥ずかしくなる。一般的に、子供は母親の影響を強く受けるからねぇ~。

  次回に続く。



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